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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


+Re+ Weekly Victim

≪Weekly Victim≫

「おっひさ〜!」
 その日は朝からイマイチはっきりしない空模様が続いていた。
 早足で駆け過ぎて行ってしまった春の気配は既に遠く、大きく開け放たれた窓からは湿り気を帯びた初夏の風が舞い込み、煙草の煙に満ちた室内を浄化している。
「はぁ‥‥今日もいい天気だな」
「‥‥思いっきり無視したね」
 この興信所の主、草間武彦にすげなくされた通称『金にならん依頼ばかりを持ち込む傍迷惑な男』、仲介依頼人の京師紫(けいし・ゆかり)はブチブチと呟きながら、ここを訪れた時の指定席であるソファに腰を降ろした。
 そんな二人のやり取りを小さく笑いながら、紫に茶を勧めた女性所員が救いの手を差し伸べる。
「で、今回はどんな依頼なんですか?」
「んー、新宿で少しだけ噂になってる『神隠し』の話って知ってる?」
「新宿に出かけたっきり丸一週間音沙汰なくなるってアレですか?」
 流石にここの人達は耳が早いねぇ。
 目には目を、歯には歯を、無視には無視を。大袈裟なアクションで草間に背を向けた紫はこれみよがしの大声で語り始めた。
「じゃ、これは知ってるかな? 毎週金曜日に都庁近くの5階建のオフィスビルで開催されているヴァーチャルゲーム。勝者に与えられるのは――夢のような時間」
「え? それって‥‥」
 目を大きく見開いて、神隠しとゲームを繋ぐ糸に気付いた所員に、紫は「ほんと、飲み込みの良い人ばっかりで助かるよ」と微笑んだ。
「そう、想像通り。ゲームの勝利条件は最上階で眠っている人を起こす事。そして起こした人物――ゲームの勝者が新たな眠りにつくってワケ。これが『神隠し』の正体らしいんだけどね」
 そして紫は応接テーブルの上に1枚の地図を取り出した。
「場所はここ。この建設予定地になってる空き地にゲーム開催日に忽然と入り口のないビルが現れて、そしてゲームスタートの21時になると何もない壁から扉が出現する」
「そんなバカなことがあるか!」
 紫の話を背中で聞いていた草間が溜まらず怒鳴り声をあげる。しかし紫は冷静な目でそれに応えた。
「嘘じゃないよ、僕も経験者だし。すごいリアルなゲームでね、マネキンみたいな人形が出てくるんだけど、そいつらに殺される! って思ったらスタート地点に戻されてたりとかしたからさ」
 まるでリセットボタンを押してるみたいにね。
 その言葉に、居合わせた所員達は息を飲む。ただ草間だけは小難しい表情で眉を潜めた。
「というわけで、今回の依頼はこの理不尽なゲームを終わらせる事。
 今度の金曜、扉は僕がなんとか20時半には開けるから、ゲームが始まる迄の30分の間に全てを片付けて欲しい。
 最上階のゴールの部屋にたどり着くには1階から順に『地の鍵』『水の鍵』『火の鍵』『風の鍵』と4階までの各階に1つづつ、その名に関係する場所に隠してある鍵を手にいれる必要がある。一応スペアキーも僕が作ったのがあったりはするけど、万端とは言いきれない。
 まぁ一番の問題は勝者にならず、どうやって眠る人を起こすかだと思うけど‥‥」
「で、そんな馬鹿げたゲームの主催者は誰なんだ?」
 相変わらず背中を向けたままの草間の問いに、紫はその日初めての苦い笑みを浮かべた。
「それは不明。いかんせん僕はクリアー出来なかったからさ」
 また金にならん依頼を‥‥深々と草間が吐き出した吐息に、紫は「それが僕のポリシーだから」と舌を出した。

   ***   ***

 餓えていたのだ
 ただ久遠に続くこの刻に
 持たぬものなど何一つありはしなかった
 だからこそ生まれた虚無感
 そして見つけた
 それを癒す玩具を
 目まぐるしく移り換わる生を一呼吸置くのさえ惜しいかのように駆けぬける
 これほど面白いものはないと思った
 生まれた意義にようやく出会った
 そう悟った

 『人』は脆弱であるからこそオモシロイ‥‥


≪手繰り寄せられる糸≫

 陽はすっかり洛ちていた。
 室内の光に照らされる窓に映るのは己の姿。忙しなく瞬く都会のネオンがそれに被る。定期的に光を発するどこかのビルの屋上の信号灯の輝きが、奇しくもシュライン=エマの瞳を赤く染めた。
 日頃のライター業務プラス草間興信所での事務作業。すっかり固くなってしまった肩の筋肉をほぐすように軽く二、三度振る。
「さてっと。もう少し調べておこうかしら」
 猫のようにしなやかに背を伸ばすと、彼女は再び目に優しくない光を放つディスプレイに視線を戻す。一瞬だけ、あまりクッションの効いていない事務椅子のスプリングが軋む音が興信所内に響いたが、それを咎める者の姿も既にない。
 シュラインの指がキーボードの上を踊る。マウスを操る動きにも澱みがない。
 立ち上げたブラウザの向こうの世界が幾度か入れ替わり、そしてシュラインは目的の物を発見し僅かに頬を緩ませた。
「‥‥この会社があの土地の所有者」
 パソコンデスクに肘をつき、右手の人差し指をキッチリとルージュの引かれた唇に当てシュラインは呟いた。
 京師紫から入った新たな依頼は、週毎に繰り返される意味のないゲームの連鎖を経ち切ること。
 彼女は今、そのゲームの開催地であると言うビルが忽然と姿を現す空き地の所有者について調べていた。
 青を基色として作成されたそのホームページは、日本国内では多少名の通ったグループ企業。そう言えば先日、海外で新たに展開した事業が予想以上の成果を収め、前年度決算はこの不況時からは考えられない程の益を出したとか経済番組で取り上げられていた気もする。
「この土地の所有者と問題のゲーム。何か関係でも‥‥」
「なんだ、まだいたのか」
 企業沿革をなぞりながら紡がれた言葉は、馴染んだ煙草の匂いに掻き消された。
「武彦さん――こんな時間まで仕事?」
 着崩したスーツのジャケットを無造作にソファに放り投げ、珍しく締めていたネクタイの結び目を片手で器用に緩めた草間武彦は、備え付けの冷蔵庫の中からミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、一気にそれを半分ほど煽った。
「まぁな。最近人手は増えたが、その分厄介な依頼を持ち込む輩も増殖してるからな」
 そういうヤツに限って大した金にならないってんだから、世の中間違ってるよな。
 ブツブツと愚痴を吐く武彦に、シュラインは青い瞳を細めて笑った。
「何だ、お前も仕事か――って、今ごろ京師のヤツの身辺調査か?」
「え‥‥京師さん?」
 悪戯っ子のような目をしてディスプレイを覗き込んだ武彦の口から発せられた言葉に、シュラインの息が詰まる。
「‥‥お前が見てるそのホームページ、ヤツの実家だろ」
 一瞬だけ眉宇を寄せた武彦は、それでもいずれ辿り着く結論だろうからと判断したのか、シュラインの手からマウスを譲り受けると、パソコンデスクに横座りしながらそれを動かし始めた。
「ほれ、名前見てみろ」
 グループ会長の挨拶のページ。そこに70歳くらいの老獪の写真と共に添えられた名は『京師重敏』。
「京師の爺さんだ」
「‥‥似てないわね」
 システム不良を起こしたパソコンのように、一時的に著しく処理能力の低下したシュラインの思考は、今目の前にある現実から最も分かり易い結論に到達した。
 ディスプレイの向こうで厳しい顔に人を威圧するような笑みを浮かべた老人からは、どれだけその顔から皺を取り除いてもシュラインの知る紫の顔に繋がらない。
「この爺さんとお妾さんの間に生まれたのが京師の親父さんで、そいつはエライ優男だったらしいぞ」
 今の京師みたいにな。
 笑いを含んだ武彦の言葉の中の響きの違和に、シュラインはハっと気付いて顔を上げた。視線が、正面から武彦のそれとぶつかる。
「‥‥過去形? 京師さんのお父さんは亡くなってるの?」
「カミさんがな、ヤツを産んですぐ死んじまったとかで。それを追うように逝っちまったらしい」
 全部、ヤツが初めてココに依頼を持ち込んだ時に話したコトだ。厄介ごとを持ち込む代わりに素性を明らかにしておくのも誠意かな――とか抜かしてやがったな。
「で、お前は何を調べてたんだ?」
 武彦が、用は終わりとばかりに腰を上げると、ペットボトル内に残っていた水分を体内に送り込んだ。その様をぼんやりと視界に映しながら、何故かシュラインの唇から小さな溜息が零れた。
「別に。なんとなく暇だったから見ていただけよ」

 嘘。
 今度の事件に関係する土地のことを調べていたの。
 そしたら京師さんに繋がってビックリしたわ。

 どうしてだかその言葉が出せなかった。
 何故だか分からないけれど、口に出してはいけない気がした。
「そうか、ならもう閉めるから一緒に帰るぞ」
 武彦に促されてパソコンの電源を落す為にマウスを操る手が、ひどく冷たくなっていことをシュラインは自覚していた。

 何故?
 どうして?
 コレに何か意味はあるの?

 絡まり付いた思考の糸は、その先を都会の闇の中に潜ませて、不意に現れた疑問という扉の向こうまで続いていた。


≪始動≫

「なら、俺が火で、クローソーが風の鍵だな」
「地の鍵なら僕達でなんとかなると思いますよ。エマさんもいてくれるし」
「それなら俺は水の鍵ってことですね」
「そういう割り振りになるか。くれぐれも早まらないで全員の到着をギリギリまで待つ事を憶えておいてくれ。どうやら四つの鍵が揃わないとあの女は出てこないような口ぶりだったから」
「‥‥やっかいな話ね」
 四つ人影が表通りから少し離れた場所にあった。
 いっそ不自然なまでに人の流れの途絶えたそこは、窓一つない不審な漆黒のビルの裏手にあたる所。
 色様々なネオンに彩られた中空から降り注ぐ光で、暗闇とは程遠い立地条件にありながら、そのビルはひっそりと夜の中に溶け込んでいた。
 それはまるで――誰かが意図的にそうしているのではないかと思える程に。
「でも、ゲーム参加者が三人もいてくれるってのは正直心強いですね」
 ジーンズにTシャツ。その上にパーカーを羽織ったいかにも高校生らしい姿の碧が、周囲の大人達を見まわして微笑んだ。
「ゲーム参加者と言っても、僕の場合はひたすら逃げ回ってただけだけどね」
 その言葉に、いつも通り一日の労働の跡が色濃く残ったスーツを着た充が照れたように頬を掻く。そんな彼の肩を、全身黒一色で衣服を統一した夾が軽く叩いた。
「そんなことはないだろう。現に『勝者』になったのはあんたなんだし。色々な所を見て回ってくれたおかげでこうしてビル内部の地図が用意できたんだからな」
 取り敢えず、無事に目が覚めてよかった。
 先日参加したゲームで顔を合わせ、充が勝者となり眠りについていたことを自分の目で見て知っていた夾は、この場に充がいることに珍しく頬を緩めた。
「確かに地図はありがたいけど」
 今回、このゲームに初参加となる――正確には依頼を遂行することになる――充とは対照的に彼女の性格をまるで体現したように爪の先まできっちりと整えたシュラインは、今ここにはいない子供のような青年から手渡された一枚の地図を見て嘆息した。
「まぁね‥‥僕もちょっとビックリしたんだけどさ」
 充の話を元に作成されたソレは、確かにビル内部の状況を事細かに記してはあったが、今時珍しい手書きのコピーだった。しかも罫線までがコピーに出ているは、消しゴムで何度も消した跡が残っているわで‥‥明らかにノートに手書き、しかも鉛筆で描いた物である事がくっきりと見て取れる。
 充の話だと、地図を作成した張本人が人前でパソコンを使うことを嫌がったゆえの顛末らしい。
「皆さん、お待たせしました〜」
 純白のワンピースに同系色のボレロを身を纏った女性が緊張感のかけらもないおっとりとした足取りで四人の元へ駆け寄った。
「クローソーさん、お疲れさまです」
「あれ、黒駒くんは?」
 コピーして持ってきていた地図が、気が付いたら一枚たりなくて慌ててコンビニに走って行った地図製作者の黒駒と一緒に、「今夜はちょっと冷えますから温かい飲み物でも買ってきます」と、自分は二度目だから詳しい話は簡単に聞けば分かりますので、とコンビニに付き添った筈のラフィエル単独の帰還に充が疑問符を投げる。
「えっと、行ったコンビニ。偶然コピー機が故障してまして。遅くなるとみなさんが心配するからって私だけ先に戻って来てしまいました」
 なんだか、どうしてボクっていつもこうなんだろうって泣きそうになられてたのが気にかかるんですけれど。
 小首を傾げながら、見る者の気持ちを穏やかにする笑顔を惜しげもなく振り撒くラフィエルの手から、コンビニ袋を譲りうけた碧が全員に缶ジュースを手渡してまわる。
「しっかし、その依頼人って人。まだですかね?」
 時計を見れば既に『入り口を開ける』約束の時間まで、あまり余裕のある状態ではなかった。現に、今日のゲームの「招待参加者」であるだろう人影もビルの反対側――つまりは大通りに面した方にチラチラと見え始めている。
「お待たせ」
「うわぁぁっ」
 不意に背後から何かに抱き付かれた碧が短い悲鳴を上げ手にしていたコンビニ袋を派手な音を立てて地面に落下させた。何事かと、拘束された体で振り返れば、自分よりほんの少しだけ背の低い男が、ワシっと碧の背中に張り付いている。
「紫くん、遅いっ」
 未だ事態の把握に至っていない少年の体を隠れ蓑にした遅刻寸前ギリギリセーフ状態の仲介依頼人の紫が、碧の背からちょこっと顔を覗かせ、充の言葉に「ゴメンゴメン」と二度謝ってみせた。
「‥‥相変わらず得体の知れない行動をする男だな、京師」
「あ、紫月くんも来てくれたんだ」
 別件で既に紫と面識のあった夾は短い一瞥をくれたが、その視線に呆れだけでない再会を喜ぶような色が混ざっていることに紫は気付き、パタパタとそれに手を振って応える。
「初めまして。ラフィエル‥‥」
「クローソーさんですよね。TVで時々お姿拝見してます」
 隣に立つ充に紫をコソっと紹介されたラフィエルが、絵的に似合わない甘さ控え目の缶紅茶を両手で握り締めたままフワリと優雅に紫と初対面の挨拶を交す。
「ところで京師さん。その子、固まってるわよ」
 顔なじみの気安さのシュラインの鋭い指摘に、紫は思い出したように碧の背中を解放した。
「ごめんごめん。ってことは君が鷹科碧くんだね?」
「あ‥‥と、えぇそうですけど。ってことはアンタがこの件の依頼人?」
「そうです。草間さんちに金にならない依頼を持ち込むのを趣味にしている京師紫です。今回はよろしくね」
「‥‥京師さん、絶対に武彦さんおちょくって遊んでるでしょう?」
 シュラインの手厳しいコメントにフフっと目を細めながら、紫は改めて碧に対し正面に向き直り、スッと右手を差し出した。
 その手を、いきなり他人の背中に張り付くような男に払う礼儀があるもんだろうかと釈然としないまま一応碧は握り返してやる。
「ところで黒駒くんは?」
「お‥‥っ、お待たせしました〜っ!」
 紫の追及のタイミングを待っていたかのような絶妙さで黒駒ががパタパタと駆け戻って来た。
「はい。碧くんの分です」
 笑顔で差し出されたのは当然先ほどの手描きの地図のコピー。
 今回の面子で最年少だからという遠慮もあってか、足りない分を辞退していた碧だったが、既に地図の概要は頭の中に十二分に叩き込んである。しかし要らないとは流石に言えなくて小さく有り難う、と告げるとそれを受け取った。
「というわけで、全員揃ったね」
「一番最後に来た人の言うセリフじゃないわね」
 シュラインのツッコミに、紫は一瞬押し黙ったが「すいませんねぇ」と悪びれた様子もなくすぐに復活を果たす。
「時間がないから手短に確認。使える時間は今から21時までの約30分。リセット食らってる暇はないから各々行動には十分に気をつけて」
「時間がないのはアンタが遅かったせいだろ‥‥‥」
 背後に取り付かれたのを根に持っているのか、目上の者には敬語を使う筈の碧がボソっと呟きながらジト目を向ける。が針のムシロに慣れたのか、紫はにっこり邪気のない笑みでそれに応えた。
 碧の肩をぽんぽんと慰めるように充が叩く。
「で、鍵の奪取その他だけど‥‥」
「それに関しては既に調整は終わっている。あんたは入り口を開けてさえくれれば大丈夫だ」
「そうなんだ。なら安心して任せられるね」
 夾の言葉に、紫は無言で頷くと、六人に背を向けて入り口のない漆黒のビルに歩み寄った。
 男にしては線の細い手が、コンクリートの冷たい壁にそっと触れる。
「僕は足手まといになるといけないからここで待つけど。くれぐれも油断はしないで」
「そんなこと当然だろ」
 すでに臨戦モードに突入した碧に、紫は皮肉でもなんでもなく心の底から「頼もしいね」と微笑むと、そっと瞳を閉じる。
 訪れる静寂。
 目に見えない何かが紫の無造作に結われた髪をフワリと持ち上げた。
「それじゃ、行っておいで!」
 その刹那、なかった筈の裏口用の非常扉が出現した。
 ムダな動き一つなく、次々に六人が扉の中に吸い込まれて行くのを紫は黙って見送る。
「貴方も気をつけて」
 駆け込みざま、ラフィエルは紫の額に浮かぶ汗に気付いて声をかけた。


≪貸借対照≫

「さて、問題です」
 多少、呼吸を乱しつつシュラインが共にある二人を見返ると、ちょうどすっ転んで今にもビービーと泣き出しそうな勢いの黒駒を、充が手を取って立ちあがらせてやる瞬間だった。
「すいません、すいません。もうっ‥‥ボクってなんでいつもいつもこうなんだろう」
 既に何度目になるか分からないそのセリフを、ハッキリ言えばかなりウンザリした心境でシュラインの耳は聞き流した。
 彼女の優れた聴音能力は、彼に悪気があるわけでも、またその言葉に真実嘘がないことをしっかりと聞き取ってはいたが――こうも連発されると嫌気もさすという物だ。
「良いよ、気にしなくって。それよりリセットかかって振り出しに戻される方が大変だからさ」
 大変――というより。
 どうやら鍵を四種とも揃えないとラスボスに御登場頂けないらしいと言うシステム上、どこか一箇所でもリセットを食らうのは、今回の依頼を解決する上で致命傷であると思われる。
 小学生と、その引率の先生と言った様子で黒駒の手を引きながらシュラインに追いついて来た充に「ご苦労様」と目で告げたら、少しの苦さが混じった笑顔が返って来た。
 三人で一度足を止める。
 どこをどう走ったかはしらないが、視野の範疇には互いの姿しかなかった――今は。
 壁にドサリと体重を預けてシュラインが大きく嘆息する。
「で、さっき何か言ってなかったっけ?」
「『さて、問題です』」
 充の問い掛けに、シュラインは二人の鼻先にピッと立てた人差し指をつきつけた。
「現在のこの状況を打開する為にはどうすれば良いのでしょうか?」
 ――さしあたり直面している、そして早急に解決しなくてはならない問題だった。
 恐らく同時に同じことを思ったのであろう。一人視線の高さの違う黒駒を挟んで、充とシュラインは目を合わせて、計ったように二人並んで盛大な溜息をついた。
 そんな二人を、所在なげに黒駒が怯えた瞳で見上げる。
 それはほんの少し前の出来事。
 何やら特殊技能持ちらしい残りの三人とは屋内階段の下で別れを告げ、正面入り口(らしき)場所まで行った所までは良かったのだ。
 以前このゲームに参加したことのある充に先導され、まだ電気が通っていないのか、表示板にすら明りの点っていないエレベーター前の観葉植物の鉢の中を三人で手分けして捜すことにして。
 観葉植物に妙な虫がついていたとかで、黒駒が騒ぎ出したのが運の尽き。
 そこから三人はひたすらのっぺりとした表情のない電子人形に追い掛け回されることになってしまっていた。
「ねぇ‥‥コレだけここに置いて行ったらダメかしら?」
 本気ともつかない冗談をシュラインが口にした刹那、ビクリと黒駒が身を大きく震わせシュラインの背後に逃げ込んだ。
「何よ、冗談じゃない」
 流石に言い過ぎたかしら、と綺麗にマニキュアの塗られた爪で黒駒の鼻先を弾いたが、黒駒はふるふると首を横に振ってそれに応えた。
「‥‥エマさーん」
「どうしたの? 情けない声なんか出して」
 今度は充がツイツイっとシュラインの服の引いて恐る恐る一点を、いや一点を差して、また指をスライドさせたので二点を示して絶望の表情を見せた。
「最悪ね‥‥」
 充の示した先を見遣り、半ば自棄の心境でシュラインが言い捨てた。
 三人の視線の先、ちょうど挟み込むように音もなく出現した二体の電子人形。
 ハッキリ言わなくても、状態としては最悪だった。
「あ! そうだ!」
 壁に持たれかかっていた為、現在は既に退路は断たれているに等しい。
 更に悪いこととは重なる物で、迫ってくる電子人形の一体は充を一度リセットに追いやった巨大サイズバージョンだ。
 どう考えてもリセットの絶体絶命大ピンチに、黒駒は思い出したように両手を打ち鳴らした。
「鍵、欲しいんですよね?」
 迫り来る二体の電子人形を怯むことなく、蒼い双眸で睨み付けているシュラインの腕に黒駒がぶら下がるように縋り付く。
「当たり前でしょう!」
「ボク、出来ます。それ、出来ますっ!!」
 シュラインの叱咤に、怯むことなく黒駒が正面から言い返す。その初めて見る彼の姿に充も人形を牽制しながら両の目を見張った。
 ユラリ。
 またユラリ。
 追い詰めた獲物を嘲笑うような緩慢な動きで、一歩一歩電子人形たちとの距離が詰められる。
「でも‥‥ボク一人じゃ出来ないんです! お願い、してくれますか?」
「あぁっ、もう! なんでも良いわ。出来ることならさっさとやってちょうだいっ」
「何? 僕達は何をすれば良いのっ!?」
 この時、二人は黒駒の微妙な言葉使いに気付き損ねた。
 黒駒が「お願いできますか?」と協力を要請したのではなく「お願い、してくれますか?」と願うことを要請したことに。
「祈って下さい! 鍵さん出て来て下さいって!」
 黒駒が二人の勢いに押されて叫ぶ――否、すぐ目前まで迫った電子人形の黒駒の頭くらいなら一掴みに出来そうなほどの巨大な手に恐怖を感じたからかもしれない。
「地の鍵! 今すぐ出てきなさいっ! 出てきて私の手の中に納まりなさい!!」
 ワケも分からず、シュラインが祈りの叫びをあげるのが充のそれより一瞬だけ早かった。
 刹那、黒駒の体から透明な光が溢れ出す。
 警戒したように人形達も、ピタリとその動きを止めた。
『願いを叶えましょう、等価のモノが代償になりますけど‥‥貴方の望みを今、ここに』
 陽炎のようだった光が急速に密度を増してシュラインの手の中に集束する。
『貴方の望みは地の鍵。それを貴方に授けましょう』
 カっと目を灼く烈光が周囲を真昼の輝きに染め上げた。
「‥‥あ、ボクったら代償が必要なこと、先に言うの忘れてましたね」
 真っ白な視界の中で黒駒がポツンと呟いた言葉に、充がこめかみを押さえたが、ほとんど視力が効かない状態であったため、その光景を黒駒が目にすることはなかった。
「そんなこと今はどうでも良いわよっ! さっさと行くわよ!」
 掌中に確かな質量を実感して。
 シュラインはまだ視野の眩む世界を二人の男の背を押して再び走り出した。
 予想していなかった突然の出来事に、人形達が意識を奪われ動きを止めている今が唯一無二のチャンス。
 これを逃してはここを切り抜ける機会はなくなる。
 そして最上階で待っているであろう今日限りかもしれないが、一応の『仲間』達の苦労を水の泡にするわけには絶対にいかなかった。
 僅かに聞こえる人形達の軋む音と、上階から響く誰かの声。
 ただそれだけを頼りに、シュラインは充と黒駒の手を取って屋内階段を目指した。
 そして、最上階に辿り付く寸前。
 少しだけ息をついた階段の踊り場で、シュラインはいつも胸から下げている眼鏡が失われていることを知るのである。


≪open into …≫

 1階から最上階の5階まで、一気に充、シュライン、黒駒が息を切らして駆け上がって来た時、彼等を最初に向かえたのは碧の笑顔だった。
「‥‥間に‥‥あった‥‥かしら?」
 肩で息をしながら問うたシュラインに「ギリギリセーフです」と碧は優しい笑みを浮かべて答えを返す。
 その言葉に、黒駒と充はリノリウムの冷たい床に揃ってしゃがみこんだ。
 なんだか、このビルに来ると走りまわりっぱなしな気がする。
 前回もそうだったし、今回もやっぱりそうだ。
 どれくらい前に辿り付いていたのかは知らないが、服装に微塵の乱れもない一回り年下の少年の気遣いに、充は少しだけ哀愁を漂わせた。
「あ、クローソーさんに紫月さん!」
 充同様、床にペッタリと座り込んでいた黒駒が、同じ形状の扉が並ぶだけの廊下の向こうから、走り寄ってくる二人を目聡く見つけて嬉しそうに手を上げる。
「鍵は?」
 夾の短い問い掛けに、シュラインはずっと握り締めたままだったソレを突き出した。
「間違いありませんわね。これからあの扉の模様と同じ力の気配を感じます」
 ラフィエルの言葉に、碧と夾が顔を見合わせて頷き合う。この階に到着したばかりの三人にはその意図が計れず、無言の眼差しで説明を要求した。
「えっと、黒駒さんにもらった地図にメモしてあったでしょう? この階の扉には鍵の属性を示すようなマークがあるものがあるって」
 碧の説明に充が、あぁ、と頷きを返した。
 前回参加した時に一緒だった寒河江駒子が気付いたコト。そのおかげで充は鍵の合う扉を一つ一つ探す手間が省けたのだ。
「どうやら、その模様に何らかの力が封印されている気配がするんです。それら全部をこの鍵を使うことで解放して初めてこのゲームの主催者の方に辿り付くのではと思いますの」
 ラフィエルの言葉に充と黒駒が目を合わせて笑う。
 事前に必要なことをキチンとまとめて書いた地図が役に立ったことが、純粋に嬉しかった。黒駒の癖のない黒髪を、充がやや乱暴に掻き混ぜた。
「とにかく。もう残り時間が少ないからな。全員揃ったことだしそろそろ行こうか」
 夾が、鍵の属性に対応する扉を一つ一つ指し示す。
 充と黒駒が、重い腰を上げた。

 充・シュライン・黒駒は連れ立って山のようなマークが蛍光塗料が発するそれに似た淡い光で描かれた扉の前に立った。
 碧はこの先に待つ『結末』に不敵な笑みを浮かべて、水の滴のようなものが描かれた扉へ姿勢を正して向かう。
 夾は何一つ迷いのない足取りで炎が描かれた扉の前へ。
 そして白銀の十字架をそっと握り締めたラフィエルは、風車が描かれた扉の前へと進む。

「皆さんに神のご加護がありますように!」
 ラフィエルの祈りと同時に、今全ての扉が開かれた。


≪bring … to a conclusion≫

「待って、いたよ」
 何もない部屋に二人いた。
 いや、一人は冷たい石の寝台に横たわって眠っているだけなので、そこに在っただけと言ったほうが正しいか。碧と年齢的に大差ない感じの少女だった。
 そして、もう一人。
 深淵を思わせる闇より深いムラサキイロに彩られた女。
 壁一面を紫に塗り込められた部屋に、初めて足を踏みいれた者はその異様さにまず眉を顰め、再び至った者は、婉然とした笑みを浮かべ片足に体重を預ける姿勢で、組んだ両手に小型のノートパソコンを持ち静かに立つ女に視線を奪われた。
「‥‥紫胤」
 夾が低い唸りにも似た声で女の名を呼ぶ。
 ラフィエルは、先ほどその女の幻に触れられた首筋に、握り締めていた白銀の十字架を押し当てる。
 そして充は――以前、このゲームで<勝者>の称号を得、一週間の眠りを得た充は、何故だか石の寝台で眠り続ける少女に見覚えがあるような気がした。
 多分、恐らく。
 この少女が自分を起こし、新たな眠りについたのだろう。
 そのことを充は理性ではなく本能で知覚した。
 それぞれ違う扉を潜った筈なのに、ドアを開けた瞬間から六人は同じ場所にいた。ただ細長い真っ直ぐな廊下。
 話には聞いてはいたものの、目の当たりにするとやはり我が目を素直に信じることは困難で。しかしそれでも足を止めるわけにはいかず。六人は無言のままこの紫色の部屋の扉を揃って開いたのだった。
 ここは彼等の日常のものさしは通用しない世界なのだ。
「へー、エラク美人なお姉さんが、こんな悪趣味なことをやってるんですねぇ‥‥」
 碧が小さく首を傾げて紫胤を眺め遣る横で、黒駒は怯えた様子で充の背に姿を隠した。
「アナタの目的は何なの?」
 影を縫い取られたような硬直から、シュラインが抜け出しゆっくりと紫胤に歩み寄りながら問いかけた。その声に混じる明らかな非難の響きに、紫胤は僅かに唇を綻ばせ微笑んだ。
「そこの三人から聞かなかったのか?」
「自分の暇つぶし? そんなものの為にこんなことを?」
「何か私が非難されるようなコトをしていると?」
「当然でしょう! アナタに人の時間を拘束する権利はないわ」
 激しく言い募るシュラインに、紫胤は静かに視線を横に流しながら底の見えない笑みをその顔に刻んだ。
「そうだな、私に権利はないかもしれないな。けれど、人間の方から私の方に寄ってくるのだ。自分の意志で来るものが自分の責任でどうなろうと‥‥私に非はあるまい?」
 これは以前にも語ったことだがな。
 押し黙ったシュラインに紫胤は黒のスリップドレスの裾を揺らした。
「人は脆弱だからこそ面白い。弱い心に棲み付かせた闇にほんの小さなキッカケを与えることで、本当に色々な顔を見せてくれる」
 こんなに楽しい玩具はあるまいよ。
 紫胤の言葉に、趣味サイアクっと吐き捨てる。
「ところで、お前達は良いのかい? 私は――楽しいから別に構わないが」
 ふっと紫胤がないはずのそこに窓があるように、目を細めた。その行動の意味することに気付いた黒駒が時計を見遣り、小さく短い悲鳴を上げる。
「たっ‥‥大変ですっ! 約束の21時まで残り5分もありませんっ」
 黒駒の言葉に碧も自分の時計で時間を確認し、不快感を露に前髪をかきあげた。
「要は‥‥っ、要はゲームを止めてまえばエエんやろっ! なら全員であの人一斉に起こしてまえばイイんと違います?」
 加速した苛立ちに碧の言葉使いが一変する。しかしそれに対しての反応を返せるほどの余裕のある者はいなかった。当のゲームの主催者を除いて。
「駄目だ。それでは恐らく眠る人間の意識に最初に触れたものが勝者になってしまうだろう。それに根本的にゲームが止まらない」
 夾の導き出した答えに、紫胤が満足そうに喉の奥を鳴らして笑った。
「その人を私達以外のモノで起こす方法には策があるんだけど‥‥」
 シュラインが、お守り代わりにポケットの奥に忍ばせてあるものをそっと服の上から握り締めた。そこには先日、以前紫から武彦が貰ったと言うガラス製の鍵が静かに覚醒の時を待っていた。
「それじゃぁ、あのパソコンの中身。全部消しちゃえば良いんですね、きっと」
 充の背後から顔を出した黒駒が、不意に思いついたことを口にした。瞬間、全員からの視線を浴び、「え? え??」と戸惑いながら再び充の背に隠れる。
「さて、相談会はそろそろ終わりかい?」
 紫胤の紫の瞳が舐るように全員を一人一人眺め見た。
「‥‥私があの方の能力を封じます」
 それまで無言を通していたラフィエルがそっと夾に耳打ちする。夾も無言でそれに肯き返し、二人の様子を伺っていた碧に一度だけ目を伏せて事態の了解を求めた。
「私の力が貴女に及ばぬと言うのなら、私は神に祈りを捧げましょう!」
 ずっと握り締め続けた白銀の十字架を胸に押し当てて、高らかに祈りの言葉を口にする。
「聖霊来たり給え、信者の心に充ち給え。主の愛熱の火をわれらに燃えしめ給え。しかしてよろずの者はつくられん。地の面はあらたにならん」
 そして謳い上げる。
 聖霊降臨祭で謳われる美しい調――『Venisancte spiritus』
 彼女のこの世の物とは思えぬ、まさに天使の歌声と形容されるに相応しいその旋律に、共鳴するように左腕のブレスレッドが淡い、そしてやがて炎の熱にも似た光を発し始めた。
「聖霊の光をもって信者の心を照らしたまいし天主、同じく聖霊をもってわれらに正しきことを悟らしめ、その御慰めによりて、常に喜ぶを得しめ給え。われらの主、キリストによりて、願い奉る」
 その瞬間、夾と碧が同時に動いた。
 夾の右手の一振りで意志を得た鋼糸が紫胤に絡みつきその動きを封じる。とそのタイミングに合わせて彼女の元へ走り込んだ碧が、それと認識される前に紫胤の手からパソコンを奪うと充と黒駒の方へそれを投げた。
「初期化命令! 分かるやろっ!!」
「――っ!」
 まだワケがわかっていないらしいまま充にしがみつく黒駒を取り敢えずそのままの状態で、充は手早くパソコンの電源を入れてメンテナンスモードに突入する。
「へぇ‥‥中身は普通のパソコンなんですね」
 興味深げに黒駒が発した言葉に、ホント、それで助かったと充は安堵の息を吐き出した。
「エマさんっ!」
「任せて」
 充の合図にシュラインがポケットの中から祈りを込めてそれを取り出した。
 繋ぎたい時に繋ぎたい場所へ扉を繋げてくれるという鍵。
 握り締めて自分の思いを伝える。
 眠る少女の隣と階下で今も動く人形の目の前を今すぐ繋げて。
 そうすれば不意に現れた障害物に人形が躓き、少女に向かって倒れこむ。そしてその衝撃は必ず彼女の目覚めに繋がる筈だ。
 室内に、ラフィエルの発する純白の光に、微振動を繰り返し始めたガラスの鍵が纏う薄水色の輝きが混ざり始めた。
 その水色の光に一瞬だけ紫胤が目を奪われたことに、彼女のすぐ近くにいた碧さえも気付かなかった。
 ユラリ。
 陽炎のような大気の揺らめきが生まれ、眠る少女のすぐ近くに半透明な扉が出現する。
「今だ!」
 誰が叫んだかは分からなかった。
『‥‥お前達には本当に楽しませてもらったよ。だから今回は私はここで引くとしよう』
 聴覚が捉えたのではなく、意識その物が捉えた紫胤の声。
 それは充の指が完全初期化命令を下すのと、幻の扉から現れた人形が眠る少女に向かって倒れこむのと、そして夾の鋼糸が捕獲していた対象を忽然と失って冷たい床に滑り落ちるのと完全に同時な出来事だった。

  ***   ***

 ふと気がついた時、六人はそろって屋外にいた。
 振り仰いだ空は、少なくない星の瞬きを忘れてしまった都会の夜空。
 少し離れた所から鼓膜を揺らした「なんだ、結局このゲームの話ってガセかよっ」と口々に不平を漏らす声に、彼等は事態を悟った。
 駅に向かって歩き出す人の塊とはやや距離を置いた所には、一人で立ちすくむ高校生くらいの少女の姿。
 その少女も、しばし考えあぐねた様子だったが、すぐに駅に向かって走り出して行った。

「お疲れ様でした。依頼、無事に完了してもらえたみたいですね」

 不意に背後からかかる声。
 まるで合わせたように全員で振りかえって。
 そこにあった紫の笑顔で、六人はようやく自分たちが自分たちの現実に返って来たことを実感した。


≪ありがとう、を君に。≫

 薄暗いオフィスの中、明々とディスプレイの光だけが自己主張していた。
「‥‥‥ねぇ」
 問いかけても応えは返らない。分かっていながらシュラインは頬杖をついたままの姿勢で今日、何度目になるか分からない溜め息を吐いた。
 事件解決の翌日、誰も彼もが家路につき人気のなくなった草間興信所。武彦の横で過ごす以外は、最も馴染んだその席でシュラインはずっと動けないままでいた。
 何か繋がりはあるのかしら?
 そもそも御曹司である筈の彼がなんで仲介依頼人なんてものをやってるの?
 心の中で幾ら繰り返しても答えの出ない問いを呟き続ける。
 室内がディスプレイの発する青い光に染まり、まるで深海にいるような錯覚に襲われた。
 グラリ、と視界が傾ぐような不快感。
 椅子の高さ、持ち込んだクッション。最善を尽くして自分用にモディファイした居心地の悪くない筈のその席が、〆切間際に編集者と打ち合わせに使う喫茶店の固い椅子と同じくらいに居たたまれない気分にさせる。
「‥‥‥‥‥‥」
 無言のまま、吐息だけが空気を震わせた。
 立ち上げられたブラウザ。青い光の元は先日見付けた某グループ企業のサイト。四角い箱の向こうで、シュラインの知る顔とは全く違う、それでも名字だけは同じな老年の男が笑っている。
 今日、ここに来る前に立ち寄った、ゲームの開催されていたビルが在った場所は、噂と違わず、そして地図と違わず<建設予定地>の立て札の建った空き地になっていた。
 あまりに人知を逸したその現実が、シュラインの脳裏にまるで今しがた見てきたばかりの映像のようにリフレインする。

 目に映る物こそが現実
 ならば、今私が直面しているコレもまた現実

 どこをクリックするでもなく、マウスカーソルがシュラインの気持ちを反映するかのごとくディスプレイの中を落ち着きなくさ迷う。
「あれ、草間さんは?」
 不意に扉を開く音、そして続いた快活な声に、シュラインは条件反射的にブラウザを閉じた。
 声の主がスイッチを入れたのであろう。室内に昼間の明るさが一瞬で満ちる。
「京師さん、珍しいわね。こんな時間に」
 ‥‥顔、引き攣ってないわよね?
 高鳴る心音が鼓膜の奥で五月蝿くてたまらなかったが、それにムリヤリ蓋をしてシュラインは急な来訪者に艶やかな笑みを向けて見せた。わざとらしくならない緩慢な動作で椅子から腰を上げると、彼の定位地であるソファに座るように紫に向かって手を差し伸べる。
 その指先が震えていない事に、シュラインはホッと安堵した。
「今日はこんな時間に依頼?」
 電気ポットの電源は当に落としてあるからすぐにお湯が用意できる訳ではないので、備え付けの冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、ガラスのコップに注ぎ紫に振る舞う。
 コクリと小さく喉を鳴らし、それを嚥下する紫の横顔をシュラインはこっそりと盗み見た。
 やはり、似ていない。
 余程、紫の父親の出来が良かったのか。それとも母親の出来が素晴らしかったのか――それともその両方か。
「何? なんか僕の顔についてる?」
 いつの間にか目が合っていた。
 一瞬だけ弾みそうになった息を「なんでもないわ」と押さえ込み、シュラインは紫に返す。
「あ、そうだ。シュラインさんに返しておこうと思って」
 紫がポケットの中からハンカチで丁寧に包まれたものをそっとテーブルの上を滑らせて、シュラインに差し出した。
「あ‥‥」
 大きさからなんとなく予想は着いていたのだが、実際にそれを目にしてシュラインは小さく驚きの声を上げる。
「それ、大事な物なんじゃないのかなって思って」
 皆が帰った後、見付けたんだ。
 黒駒の不思議な能力で鍵と引き換えに失われてしまったと思った、いつも胸元に揺れていた薄く色のついた眼鏡。
 ハンカチ越しでも伝わる肌に馴染んだ感覚で、紫が新しく購入して用意した物ではないことが十分に知れた。
「それと。毎度毎度お金にならないもので悪いけどさ」
 カツンと小さな音ともにテーブルの上に置かれたのは小振りの砂時計。例によって例の如くガラス製である。
「‥‥綺麗ね」
「あ、砂落さないで! 効力なくなっちゃうから」
 中の砂もガラスを砕いて作ったのか、透明な輝きで人工の光を乱反射させるそれを、シュラインが興味深げに手に取り角度を変えると、紫が慌ててそれを止めた。
「見たい夢を見せてくれる砂時計なんだけどね。一回砂が落ちちゃうとそれで効果が終わりなんだ」
 もちろん、自分以外の人に夢を見せることも出来るよ。
 付け加えながら、砂時計を持ったシュラインの手を、大切そうに紫が両の手で包み込んで零れかけた砂を元の位地に戻した。
 呼気が触れ合うほどの至近距離。
 吸い寄せられるように間近に見つめた紫の瞳の色が、実は紫がかっていたことにシュラインは初めて気付いた。
 蒼い双眸と紫色の視線が交錯する。
「‥‥ねぇ、京師さん」
 あなた‥‥
 誘われるように名前を呼んで、そこから先、何をどう問えば良いのか言葉につまってシュラインは息を詰めた。
 酷く真剣な紫の表情。
 どこか覚悟を決めた――そんなような。
「‥‥なんでもないわ」
 そんな顔されたら、聞くものも聞けなくなるじゃない。
 僅かに頬を緩ませ、言葉に出来なかった疑問を胸の内にそっとシュラインは仕舞い込んだ。
 言いたくないのなら問わないでいよう。
 紫がどこの誰であろうと、今の自分に弊害があるわけではないのだから。
「‥‥‥ありがとう」
 だから、聞こえるか聞こえないかのか細い声で呟いた紫の言葉も、聞こえなかったフリをシュラインは通した。
「おーっす、まだいたのか――って京師! なんでお前がいるんだ?」
 居心地の悪くない沈黙が疲労の溜まった声に打ち破られる。
 今日も今日とて、独自の交友関係を回って情報を集めていたらしい武彦の帰還だった。
「いきなりその言い種はヒドイなぁ。せっかく今回の興信所への報酬を持って来たって言うのに」
 武彦に乱暴に投げつけられたジャケットを床に放り投げ、逆襲とばかりに紫は草間興信所の主に茶封筒を投げつけた。
 たいした重みもないのか。空中でバランスを崩したそれを猫のような器用さで武彦がキャッチする。
「‥‥って、これだけかい!」
「だって今回はみんなにゲームに参加してもらっただけだもん」
「屁理屈ごねるな! お前金持ってるだろうが!」
「‥‥僕名義なだけの他人の金。どんなに汚れた物か知らないけど要る?」
「要るに決まってるだろっ!」
「やーだー。草間さんってば守銭奴〜っ」
「お前が言うな、お前がっ!!」
 取り敢えず、床に投げ出された武彦のジャケットを救出して。
 まるで子供のようなコミュニケーションの取り方に、「これだから男の人って」と淡い笑みを浮かべシュラインは武彦の為の茶の準備に取り掛かった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0054/紫月・夾(しづき・きょう)/ 男 / 24 /大学生】
【0076/室田・充(むろた・みつる)/ 男 / 29 /サラリーマン】
【0086/シュライン・エマ/ 女 / 26 /翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0418/唐縞・黒駒(からしま・くろこま)/ 男 / 24 /派遣会社職員】
【0454/鷹科・碧(たかしな・みどり)/ 男 / 16 /高校生】
【0477/ラフィエル・クローソー/ 女 / 723 /歌手】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、ひっそりライター観空ハツキです(何?)。この度はまたまたまたまた京師紫からの依頼を受けて頂き、ありがとうございました。

 シュラインさん、プレイング欄におけるお気遣い、ありがとうございました(ほろり)。なんだか分不相応な状態が発生して吃驚しあのコメントに繋がったのですが、逆にご迷惑をおかけしたようでしたら申し訳ありませんです。
 今回、お一人だけ意外な場所に着目して頂いたおかげで、意外な所から意外な(?)情報がシュラインさんのお手元に渡っております。もしお気にかけて頂けますようでしたら、機会がありましたら折を見て今後もフラリと現れるであろうヤツをつついてやって下さいませ(笑)
 余談ですが。草間さんとシュラインさんのツインピンナップ。楽しく拝見させて頂きました。

 それでは改めて今回は本当にご参加頂きましてありがとうございました。少しでも皆さまのお気に召して頂ける事を切に祈っております。ご意見・ご指摘・ご感想、更には不思議アイテムのネタ(←品切れ中・笑)などございましたら、クリエーターズルームもしくはテラコンより送ってやって下さいませ。
 雨の多い季節になってまいりました。風邪など召されぬようお気をつけ下さい。