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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


+Re+ Weekly Victim

≪Weekly Victim≫

「おっひさ〜!」
 その日は朝からイマイチはっきりしない空模様が続いていた。
 早足で駆け過ぎて行ってしまった春の気配は既に遠く、大きく開け放たれた窓からは湿り気を帯びた初夏の風が舞い込み、煙草の煙に満ちた室内を浄化している。
「はぁ‥‥今日もいい天気だな」
「‥‥思いっきり無視したね」
 この興信所の主、草間武彦にすげなくされた通称『金にならん依頼ばかりを持ち込む傍迷惑な男』、仲介依頼人の京師紫(けいし・ゆかり)はブチブチと呟きながら、ここを訪れた時の指定席であるソファに腰を降ろした。
 そんな二人のやり取りを小さく笑いながら、紫に茶を勧めた女性所員が救いの手を差し伸べる。
「で、今回はどんな依頼なんですか?」
「んー、新宿で少しだけ噂になってる『神隠し』の話って知ってる?」
「新宿に出かけたっきり丸一週間音沙汰なくなるってアレですか?」
 流石にここの人達は耳が早いねぇ。
 目には目を、歯には歯を、無視には無視を。大袈裟なアクションで草間に背を向けた紫はこれみよがしの大声で語り始めた。
「じゃ、これは知ってるかな? 毎週金曜日に都庁近くの5階建のオフィスビルで開催されているヴァーチャルゲーム。勝者に与えられるのは――夢のような時間」
「え? それって‥‥」
 目を大きく見開いて、神隠しとゲームを繋ぐ糸に気付いた所員に、紫は「ほんと、飲み込みの良い人ばっかりで助かるよ」と微笑んだ。
「そう、想像通り。ゲームの勝利条件は最上階で眠っている人を起こす事。そして起こした人物――ゲームの勝者が新たな眠りにつくってワケ。これが『神隠し』の正体らしいんだけどね」
 そして紫は応接テーブルの上に1枚の地図を取り出した。
「場所はここ。この建設予定地になってる空き地にゲーム開催日に忽然と入り口のないビルが現れて、そしてゲームスタートの21時になると何もない壁から扉が出現する」
「そんなバカなことがあるか!」
 紫の話を背中で聞いていた草間が溜まらず怒鳴り声をあげる。しかし紫は冷静な目でそれに応えた。
「嘘じゃないよ、僕も経験者だし。すごいリアルなゲームでね、マネキンみたいな人形が出てくるんだけど、そいつらに殺される! って思ったらスタート地点に戻されてたりとかしたからさ」
 まるでリセットボタンを押してるみたいにね。
 その言葉に、居合わせた所員達は息を飲む。ただ草間だけは小難しい表情で眉を潜めた。
「というわけで、今回の依頼はこの理不尽なゲームを終わらせる事。
 今度の金曜、扉は僕がなんとか20時半には開けるから、ゲームが始まる迄の30分の間に全てを片付けて欲しい。
 最上階のゴールの部屋にたどり着くには1階から順に『地の鍵』『水の鍵』『火の鍵』『風の鍵』と4階までの各階に1つづつ、その名に関係する場所に隠してある鍵を手にいれる必要がある。一応スペアキーも僕が作ったのがあったりはするけど、万端とは言いきれない。
 まぁ一番の問題は勝者にならず、どうやって眠る人を起こすかだと思うけど‥‥」
「で、そんな馬鹿げたゲームの主催者は誰なんだ?」
 相変わらず背中を向けたままの草間の問いに、紫はその日初めての苦い笑みを浮かべた。
「それは不明。いかんせん僕はクリアー出来なかったからさ」
 また金にならん依頼を‥‥深々と草間が吐き出した吐息に、紫は「それが僕のポリシーだから」と舌を出した。

   ***   ***

 餓えていたのだ
 ただ久遠に続くこの刻に
 持たぬものなど何一つありはしなかった
 だからこそ生まれた虚無感
 そして見つけた
 それを癒す玩具を
 目まぐるしく移り換わる生を一呼吸置くのさえ惜しいかのように駆けぬける
 これほど面白いものはないと思った
 生まれた意義にようやく出会った
 そう悟った

 『人』は脆弱であるからこそオモシロイ‥‥


≪First Contact + 鷹科碧≫

「あれ、碧、一緒に来ねぇの?」
「んー、悪ぃ。今日はちょっとヤボ用」
 っつかさ、俺ちゃんと今日は用有りだって朝言ったハズだけど。
「っげ。お前いないと騒ぎ出す女タチどーすりゃ良いんだよ?」
 そーゆー連中くらい自分達でなんとかしろ。
「いねぇって、そんな奇特なヤツ」
「まー今日はスカッシュ予定だったからナ。碧の独壇場になるこたぁなくなって俺等にも可能性があるってワケだ」
 独壇場ってのは認める。
「ま、頑張れよ。埋め合わせは今度すっからさ」

 センスの悪い制服を駅のトイレで着替えて、鷹科碧はようやく安堵の息を吐いた。
 通学鞄代わりに使っているデイパッグの中に無理矢理詰め込んだ制服が、再び光を仰ぐ時には皺だらけになっていることが容易に予想できたが、そんなことはどうでも良かった。
 いや。
 やっぱちょっと気になる。
 制服がぐちゃぐちゃになることは別にどうでも良いケド。それを見たあの人が眉をしかめて怒り出すのは非常にマズイ。
「ま、なんとかなるダロ」
 どっちかってーと、なんとかしなきゃだけど。
 制服分、重量を増したデイパッグを担いで、碧は人の波を泳ぐようにかき分けながら走り出す。
 すれ違い様、太り気味のオバサンと肩がぶつかりそうになったが、にっこり笑って「すいません」と先手を打ったら、とろける笑顔が返って来た。
 こんな瞬間、現金だけど天国の両親に思いっきり感謝したくなる。
 人間、なんだかんだで見てくれも大事な要素ってワケで。
 改札を潜る。
 最近、触れるだけで通過可能なタイプの定期券に変えたばかり。ピピっと小さな電子音と共に碧は、絶対に湧いて出たとしか思えないニンゲンの大群の中に飛び込んだ。
 スラリとした長身が、既に夕闇色に染まった街並を走り出す。
 長くもなく短くもない茶色の髪が、人いきれをすり抜けた摂氏36度の熱を僅かに孕んだ大気にフワリと揺れる。

 夢のような時間を与えるというゲーム。
 本当にソレをくれると言うなら、命をかけるのだって惜しくはないけど。
 既に知れている正体は超絶趣味が悪い。
 そんな悪趣味なゲームは終わらせてやるのが親切ってもんだ。
 放っておくと、のんびり屋のあの人がひっかかっちまうことだってあるかもしれないから。
 後顧の憂いは断っておくに限る。

 待ち合わせの時間には多少早い時間だが、これ以上人混みに紛れているのもうんざりで。
 碧は約束の場所に向かう足を、よりいっそう速めた。


≪始動≫

「なら、俺が火で、クローソーが風の鍵だな」
「地の鍵なら僕達でなんとかなると思いますよ。エマさんもいてくれるし」
「それなら俺は水の鍵ってことですね」
「そういう割り振りになるか。くれぐれも早まらないで全員の到着をギリギリまで待つ事を憶えておいてくれ。どうやら四つの鍵が揃わないとあの女は出てこないような口ぶりだったから」
「‥‥やっかいな話ね」
 四つ人影が表通りから少し離れた場所にあった。
 いっそ不自然なまでに人の流れの途絶えたそこは、窓一つない不審な漆黒のビルの裏手にあたる所。
 色様々なネオンに彩られた中空から降り注ぐ光で、暗闇とは程遠い立地条件にありながら、そのビルはひっそりと夜の中に溶け込んでいた。
 それはまるで――誰かが意図的にそうしているのではないかと思える程に。
「でも、ゲーム参加者が三人もいてくれるってのは正直心強いですね」
 ジーンズにTシャツ。その上にパーカーを羽織ったいかにも高校生らしい姿の碧が、周囲の大人達を見まわして微笑んだ。
「ゲーム参加者と言っても、僕の場合はひたすら逃げ回ってただけだけどね」
 その言葉に、いつも通り一日の労働の跡が色濃く残ったスーツを着た充が照れたように頬を掻く。そんな彼の肩を、全身黒一色で衣服を統一した夾が軽く叩いた。
「そんなことはないだろう。現に『勝者』になったのはあんたなんだし。色々な所を見て回ってくれたおかげでこうしてビル内部の地図が用意できたんだからな」
 取り敢えず、無事に目が覚めてよかった。
 先日参加したゲームで顔を合わせ、充が勝者となり眠りについていたことを自分の目で見て知っていた夾は、この場に充がいることに珍しく頬を緩めた。
「確かに地図はありがたいけど」
 今回、このゲームに初参加となる――正確には依頼を遂行することになる――充とは対照的に彼女の性格をまるで体現したように爪の先まできっちりと整えたシュラインは、今ここにはいない子供のような青年から手渡された一枚の地図を見て嘆息した。
「まぁね‥‥僕もちょっとビックリしたんだけどさ」
 充の話を元に作成されたソレは、確かにビル内部の状況を事細かに記してはあったが、今時珍しい手書きのコピーだった。しかも罫線までがコピーに出ているは、消しゴムで何度も消した跡が残っているわで‥‥明らかにノートに手書き、しかも鉛筆で描いた物である事がくっきりと見て取れる。
 充の話だと、地図を作成した張本人が人前でパソコンを使うことを嫌がったゆえの顛末らしい。
「皆さん、お待たせしました〜」
 純白のワンピースに同系色のボレロを身を纏った女性が緊張感のかけらもないおっとりとした足取りで四人の元へ駆け寄った。
「クローソーさん、お疲れさまです」
「あれ、黒駒くんは?」
 コピーして持ってきていた地図が、気が付いたら一枚たりなくて慌ててコンビニに走って行った地図製作者の黒駒と一緒に、「今夜はちょっと冷えますから温かい飲み物でも買ってきます」と、自分は二度目だから詳しい話は簡単に聞けば分かりますので、とコンビニに付き添った筈のラフィエル単独の帰還に充が疑問符を投げる。
「えっと、行ったコンビニ。偶然コピー機が故障してまして。遅くなるとみなさんが心配するからって私だけ先に戻って来てしまいました」
 なんだか、どうしてボクっていつもこうなんだろうって泣きそうになられてたのが気にかかるんですけれど。
 小首を傾げながら、見る者の気持ちを穏やかにする笑顔を惜しげもなく振り撒くラフィエルの手から、コンビニ袋を譲りうけた碧が全員に缶ジュースを手渡してまわる。
「しっかし、その依頼人って人。まだですかね?」
 時計を見れば既に『入り口を開ける』約束の時間まで、あまり余裕のある状態ではなかった。現に、今日のゲームの「招待参加者」であるだろう人影もビルの反対側――つまりは大通りに面した方にチラチラと見え始めている。
「お待たせ」
「うわぁぁっ」
 不意に背後から何かに抱き付かれた碧が短い悲鳴を上げ手にしていたコンビニ袋を派手な音を立てて地面に落下させた。何事かと、拘束された体で振り返れば、自分よりほんの少しだけ背の低い男が、ワシっと碧の背中に張り付いている。
「紫くん、遅いっ」
 未だ事態の把握に至っていない少年の体を隠れ蓑にした遅刻寸前ギリギリセーフ状態の仲介依頼人の紫が、碧の背からちょこっと顔を覗かせ、充の言葉に「ゴメンゴメン」と二度謝ってみせた。
「‥‥相変わらず得体の知れない行動をする男だな、京師」
「あ、紫月くんも来てくれたんだ」
 別件で既に紫と面識のあった夾は短い一瞥をくれたが、その視線に呆れだけでない再会を喜ぶような色が混ざっていることに紫は気付き、パタパタとそれに手を振って応える。
「初めまして。ラフィエル‥‥」
「クローソーさんですよね。TVで時々お姿拝見してます」
 隣に立つ充に紫をコソっと紹介されたラフィエルが、絵的に似合わない甘さ控え目の缶紅茶を両手で握り締めたままフワリと優雅に紫と初対面の挨拶を交す。
「ところで京師さん。その子、固まってるわよ」
 顔なじみの気安さのシュラインの鋭い指摘に、紫は思い出したように碧の背中を解放した。
「ごめんごめん。ってことは君が鷹科碧くんだね?」
「あ‥‥と、えぇそうですけど。ってことはアンタがこの件の依頼人?」
「そうです。草間さんちに金にならない依頼を持ち込むのを趣味にしている京師紫です。今回はよろしくね」
「‥‥京師さん、絶対に武彦さんおちょくって遊んでるでしょう?」
 シュラインの手厳しいコメントにフフっと目を細めながら、紫は改めて碧に対し正面に向き直り、スッと右手を差し出した。
 その手を、いきなり他人の背中に張り付くような男に払う礼儀があるもんだろうかと釈然としないまま一応碧は握り返してやる。
「ところで黒駒くんは?」
「お‥‥っ、お待たせしました〜っ!」
 紫の追及のタイミングを待っていたかのような絶妙さで黒駒ががパタパタと駆け戻って来た。
「はい。碧くんの分です」
 笑顔で差し出されたのは当然先ほどの手描きの地図のコピー。
 今回の面子で最年少だからという遠慮もあってか、足りない分を辞退していた碧だったが、既に地図の概要は頭の中に十二分に叩き込んである。しかし要らないとは流石に言えなくて小さく有り難う、と告げるとそれを受け取った。
「というわけで、全員揃ったね」
「一番最後に来た人の言うセリフじゃないわね」
 シュラインのツッコミに、紫は一瞬押し黙ったが「すいませんねぇ」と悪びれた様子もなくすぐに復活を果たす。
「時間がないから手短に確認。使える時間は今から21時までの約30分。リセット食らってる暇はないから各々行動には十分に気をつけて」
「時間がないのはアンタが遅かったせいだろ‥‥‥」
 背後に取り付かれたのを根に持っているのか、目上の者には敬語を使う筈の碧がボソっと呟きながらジト目を向ける。が針のムシロに慣れたのか、紫はにっこり邪気のない笑みでそれに応えた。
 碧の肩をぽんぽんと慰めるように充が叩く。
「で、鍵の奪取その他だけど‥‥」
「それに関しては既に調整は終わっている。あんたは入り口を開けてさえくれれば大丈夫だ」
「そうなんだ。なら安心して任せられるね」
 夾の言葉に、紫は無言で頷くと、六人に背を向けて入り口のない漆黒のビルに歩み寄った。
 男にしては線の細い手が、コンクリートの冷たい壁にそっと触れる。
「僕は足手まといになるといけないからここで待つけど。くれぐれも油断はしないで」
「そんなこと当然だろ」
 すでに臨戦モードに突入した碧に、紫は皮肉でもなんでもなく心の底から「頼もしいね」と微笑むと、そっと瞳を閉じる。
 訪れる静寂。
 目に見えない何かが紫の無造作に結われた髪をフワリと持ち上げた。
「それじゃ、行っておいで!」
 その刹那、なかった筈の裏口用の非常扉が出現した。
 ムダな動き一つなく、次々に六人が扉の中に吸い込まれて行くのを紫は黙って見送る。
「貴方も気をつけて」
 駆け込みざま、ラフィエルは紫の額に浮かぶ汗に気付いて声をかけた。


≪綺麗なお姉さんは好きですか?≫

「悪いなー、鬼ごっこは苦手じゃないんだよっ」
 行儀悪く靴を履いたたまま登ったワークデスクの縁を蹴り、碧はフワリと宙に飛ぶと一気に距離を詰めて電子人形とやらの肩口に踵落しをお見舞いする。
 そのまま器用にバランスを取りながら反転し空いたスペースに着地すると、一瞬だけ瞳を閉じる。
 下腹部に全神経を集め、一気に右手を正面に突き出す。
 極限まで密度を高められた破魔の力を持った波動が、やや距離を置いた場所に出現していた電子人形を弾き飛ばした。
「あーもーっ! こんなんじゃ運動にもなりゃしねぇって」
 屋内階段を夾、ラフィエルと共に駆け上がり、最初に目的地に到達した碧は「それじゃ、また後で」と軽く手を二人に振り、2階フロアーに降り立った。
 頭の中に認識済みの地図を脳裏に描いて走り出す。
 どうせなら、一番最初に最上階に辿りついてやろうじゃないか。
 大人達の中で大人しくしていた分の鬱憤が、彼の能力を最大限まで高めて、元より優れた運動能力をより高みへと押し上げていた。
「しっかし。給湯室とかトイレじゃなくって飲み掛けのペットボトルの中ってのがなんともイイ趣味してるよなー」
 壁の影から新たに現れた電子人形に向かって真っ直ぐ走りだし、行動を起こされる前にその首に両手を絡めると、自分の方に引き寄せ、下がった頭に容赦の欠片もない膝蹴りを叩き込み、オマケとばかりに振り返りざま頚椎部への回し蹴りでトドメをさす。
 溜息モノの流麗なその動きを賞賛するオーディエンスはいなかったが、碧は自分の体の動きに満足気に高揚した笑みを浮かべた。
「甘い甘い甘いってね。こんなんじゃ俺を止められるワケないじゃんっ」
 鉛筆で大きく塗りつぶされて、一目で目的地とわかる場所に息の乱れさえなく辿りついた碧は、付近のワークデスクの上を片っ端から漁り始める。
 少しだけスイッチを押しても点かない電灯が恨めしくなった。
「発見」
 二度目の参加者がいるってことを考えてねぇなー
 心の中でひとりごちて、碧は淡く輝く何かを内包したどこででも見掛けるお茶の清涼飲料水の500mlペットボトルを手に取った。
 軽く振ると、中で淡い光を発しているのが小さな金属性の鍵である事が知れる。と、その刹那、碧の体が逆さ釣に持ち上げられた。
「お待ちしてました♪ っと」
 背後にそれが迫っているのは分かっていた。
 ただどう出るのか見物で、敢えて放っておいたのだが。あまりの理想通りの展開にペットボトルをしっかりと握りしめたまま笑い出した。
「一回、こーゆーシチュエーションってやってみたかったんだよな、俺っ」
 自分の左足を掴んでいる巨大な電子人形を、フフンと鼻を鳴らして嘲笑うと、碧は腹筋のバネを利用して己の体を電子人形の顔辺りまで持ち上げる。
 天井が一気に近くなる。
 巨大な電子人形の横っ面に碧の長い右足がクリーンヒットした。そのままバランスを崩し倒れかける電子人形の力が緩んだ隙に左足の自由を奪い返し、天井を踏み込みに使うと手にしていたペットボトルを巨体の頭部めがけて投げつけた。そして宙でバランスを取りながらクルリと体を捻り、狙いすました一撃を破魔の力で強化した踵でペットボトルを踏み砕くついでに進呈する。
「いっちょあがりってな」
 砕けた巨大電子人形の頭部の残骸から、碧はまだ淡い光を発したままの鍵を拾い上げた。

「げー‥‥ってか、スゲー」
 最上階までの階段を二段飛びで駆け登っていた碧は、ちょうどのタイミングで差しかかった4階で空気を振動させる破裂音に興味を惹かれ、寄り道とばかり4階フロアーに足を踏み入れた。
 確かここは金髪美人のお姉さんが担当の風の鍵だった筈だが。
 一度経験がありますから、とおっとりと微笑んだ彼女の姿には何やら余裕すら感じられたのだが、ヤバイ事態でも発生したのだろうか?
 そして、屋内階段とフロアーを結ぶ防火扉に手をかけた碧は息を飲んだ。
 彼女が通ったであろう道が、疑う余地もなく知れる状況。
 自分が相手にした数とは到底比較にならない電子人形の残骸に、背筋がうすら寒くなるのを碧は感じた。
「なんかムカつく」
 敵も然る者引っ掻く者――ということか。
 本来は2階の分であったであろう電子人形まで経験者である者が踏み込んだフロアーに差し向けたらしい。
 決して碧の責任ではないのだが、なぜだか軽んじられた気がして無償に腹が立つのを押さえられない。
 残骸の欠片をわざと乱暴に踏みつけながら、碧はそれの終わる場所を目的地に走り始めた。
 しかしその足は終着点に辿りつく前に急ブレーキをかけた。
『綺麗なお姉さんは好きですかーっ』
 女性に手を上げるなんて外道のする事だ。
 ありったけの力を込めて人知を逸した効果を持つ波動を打ち出す。目には見えないそれが確かな質量を持って、今まさにぐったりと床に倒れたラフィエルに掴みかからんとする巨大な電子人形に襲いかかる。
「っち!」
 狙いを違わず、頭部を打ち砕かれた人形が動きを止め、今度はただの崩れ落ちるだけの残骸に成り果てラフィエルを襲う。
「倒れる方向まで計算してられねーっつの」
 一瞥で発動させた念動力で動きを留め、風の速度でラフィエルの隣へ滑り込む。
「おい、アンタしっかりしろって!」
 意識を失っているラフィエルを抱き上げ、呼びかける。その時、途絶えた集中力で電子人形が再び倒れ始めた。
 右肩に激痛が走り抜ける。
 避け切れなかった電子人形の腕が碧の肩を強打したのだ。
 しかし、そんな痛みはうっすらと目を開けたラフィエルの花が綻ぶような笑顔で払拭される。
「私‥‥?」
「良かった、気付いてくれて」
 まだ事態を理解していないらしいラフィエルの肩を抱いて起きるのを手伝いながら、碧は安堵の息を吐いた。
「ところで、鍵は見つかりました?」
「えっと‥‥持ってるみたいです」
 開かれたラフィエルの手の中には、碧が持つのと同じように淡い光を発する小さな金属製の鍵があった。
 何故「持ってるみたいです」なのだろうと、と聞きたいきもしたが。思わぬ所で時間をとってしまったと、碧とラフィエルは並んで最上階へ向かって走り出した。


≪open into …≫

 1階から最上階の5階まで、一気に充、シュライン、黒駒が息を切らして駆け上がって来た時、彼等を最初に向かえたのは碧の笑顔だった。
「‥‥間に‥‥あった‥‥かしら?」
 肩で息をしながら問うたシュラインに「ギリギリセーフです」と碧は優しい笑みを浮かべて答えを返す。
 その言葉に、黒駒と充はリノリウムの冷たい床に揃ってしゃがみこんだ。
 なんだか、このビルに来ると走りまわりっぱなしな気がする。
 前回もそうだったし、今回もやっぱりそうだ。
 どれくらい前に辿り付いていたのかは知らないが、服装に微塵の乱れもない一回り年下の少年の気遣いに、充は少しだけ哀愁を漂わせた。
「あ、クローソーさんに紫月さん!」
 充同様、床にペッタリと座り込んでいた黒駒が、同じ形状の扉が並ぶだけの廊下の向こうから、走り寄ってくる二人を目聡く見つけて嬉しそうに手を上げる。
「鍵は?」
 夾の短い問い掛けに、シュラインはずっと握り締めたままだったソレを突き出した。
「間違いありませんわね。これからあの扉の模様と同じ力の気配を感じます」
 ラフィエルの言葉に、碧と夾が顔を見合わせて頷き合う。この階に到着したばかりの三人にはその意図が計れず、無言の眼差しで説明を要求した。
「えっと、黒駒さんにもらった地図にメモしてあったでしょう? この階の扉には鍵の属性を示すようなマークがあるものがあるって」
 碧の説明に充が、あぁ、と頷きを返した。
 前回参加した時に一緒だった寒河江駒子が気付いたコト。そのおかげで充は鍵の合う扉を一つ一つ探す手間が省けたのだ。
「どうやら、その模様に何らかの力が封印されている気配がするんです。それら全部をこの鍵を使うことで解放して初めてこのゲームの主催者の方に辿り付くのではと思いますの」
 ラフィエルの言葉に充と黒駒が目を合わせて笑う。
 事前に必要なことをキチンとまとめて書いた地図が役に立ったことが、純粋に嬉しかった。黒駒の癖のない黒髪を、充がやや乱暴に掻き混ぜた。
「とにかく。もう残り時間が少ないからな。全員揃ったことだしそろそろ行こうか」
 夾が、鍵の属性に対応する扉を一つ一つ指し示す。
 充と黒駒が、重い腰を上げた。

 充・シュライン・黒駒は連れ立って山のようなマークが蛍光塗料が発するそれに似た淡い光で描かれた扉の前に立った。
 碧はこの先に待つ『結末』に不敵な笑みを浮かべて、水の滴のようなものが描かれた扉へ姿勢を正して向かう。
 夾は何一つ迷いのない足取りで炎が描かれた扉の前へ。
 そして白銀の十字架をそっと握り締めたラフィエルは、風車が描かれた扉の前へと進む。

「皆さんに神のご加護がありますように!」
 ラフィエルの祈りと同時に、今全ての扉が開かれた。


≪bring … to a conclusion≫

「待って、いたよ」
 何もない部屋に二人いた。
 いや、一人は冷たい石の寝台に横たわって眠っているだけなので、そこに在っただけと言ったほうが正しいか。碧と年齢的に大差ない感じの少女だった。
 そして、もう一人。
 深淵を思わせる闇より深いムラサキイロに彩られた女。
 壁一面を紫に塗り込められた部屋に、初めて足を踏みいれた者はその異様さにまず眉を顰め、再び至った者は、婉然とした笑みを浮かべ片足に体重を預ける姿勢で、組んだ両手に小型のノートパソコンを持ち静かに立つ女に視線を奪われた。
「‥‥紫胤」
 夾が低い唸りにも似た声で女の名を呼ぶ。
 ラフィエルは、先ほどその女の幻に触れられた首筋に、握り締めていた白銀の十字架を押し当てる。
 そして充は――以前、このゲームで<勝者>の称号を得、一週間の眠りを得た充は、何故だか石の寝台で眠り続ける少女に見覚えがあるような気がした。
 多分、恐らく。
 この少女が自分を起こし、新たな眠りについたのだろう。
 そのことを充は理性ではなく本能で知覚した。
 それぞれ違う扉を潜った筈なのに、ドアを開けた瞬間から六人は同じ場所にいた。ただ細長い真っ直ぐな廊下。
 話には聞いてはいたものの、目の当たりにするとやはり我が目を素直に信じることは困難で。しかしそれでも足を止めるわけにはいかず。六人は無言のままこの紫色の部屋の扉を揃って開いたのだった。
 ここは彼等の日常のものさしは通用しない世界なのだ。
「へー、エラク美人なお姉さんが、こんな悪趣味なことをやってるんですねぇ‥‥」
 碧が小さく首を傾げて紫胤を眺め遣る横で、黒駒は怯えた様子で充の背に姿を隠した。
「アナタの目的は何なの?」
 影を縫い取られたような硬直から、シュラインが抜け出しゆっくりと紫胤に歩み寄りながら問いかけた。その声に混じる明らかな非難の響きに、紫胤は僅かに唇を綻ばせ微笑んだ。
「そこの三人から聞かなかったのか?」
「自分の暇つぶし? そんなものの為にこんなことを?」
「何か私が非難されるようなコトをしていると?」
「当然でしょう! アナタに人の時間を拘束する権利はないわ」
 激しく言い募るシュラインに、紫胤は静かに視線を横に流しながら底の見えない笑みをその顔に刻んだ。
「そうだな、私に権利はないかもしれないな。けれど、人間の方から私の方に寄ってくるのだ。自分の意志で来るものが自分の責任でどうなろうと‥‥私に非はあるまい?」
 これは以前にも語ったことだがな。
 押し黙ったシュラインに紫胤は黒のスリップドレスの裾を揺らした。
「人は脆弱だからこそ面白い。弱い心に棲み付かせた闇にほんの小さなキッカケを与えることで、本当に色々な顔を見せてくれる」
 こんなに楽しい玩具はあるまいよ。
 紫胤の言葉に、趣味サイアクっと吐き捨てる。
「ところで、お前達は良いのかい? 私は――楽しいから別に構わないが」
 ふっと紫胤がないはずのそこに窓があるように、目を細めた。その行動の意味することに気付いた黒駒が時計を見遣り、小さく短い悲鳴を上げる。
「たっ‥‥大変ですっ! 約束の21時まで残り5分もありませんっ」
 黒駒の言葉に碧も自分の時計で時間を確認し、不快感を露に前髪をかきあげた。
「要は‥‥っ、要はゲームを止めてまえばエエんやろっ! なら全員であの人一斉に起こしてまえばイイんと違います?」
 加速した苛立ちに碧の言葉使いが一変する。しかしそれに対しての反応を返せるほどの余裕のある者はいなかった。当のゲームの主催者を除いて。
「駄目だ。それでは恐らく眠る人間の意識に最初に触れたものが勝者になってしまうだろう。それに根本的にゲームが止まらない」
 夾の導き出した答えに、紫胤が満足そうに喉の奥を鳴らして笑った。
「その人を私達以外のモノで起こす方法には策があるんだけど‥‥」
 シュラインが、お守り代わりにポケットの奥に忍ばせてあるものをそっと服の上から握り締めた。そこには先日、以前紫から武彦が貰ったと言うガラス製の鍵が静かに覚醒の時を待っていた。
「それじゃぁ、あのパソコンの中身。全部消しちゃえば良いんですね、きっと」
 充の背後から顔を出した黒駒が、不意に思いついたことを口にした。瞬間、全員からの視線を浴び、「え? え??」と戸惑いながら再び充の背に隠れる。
「さて、相談会はそろそろ終わりかい?」
 紫胤の紫の瞳が舐るように全員を一人一人眺め見た。
「‥‥私があの方の能力を封じます」
 それまで無言を通していたラフィエルがそっと夾に耳打ちする。夾も無言でそれに肯き返し、二人の様子を伺っていた碧に一度だけ目を伏せて事態の了解を求めた。
「私の力が貴女に及ばぬと言うのなら、私は神に祈りを捧げましょう!」
 ずっと握り締め続けた白銀の十字架を胸に押し当てて、高らかに祈りの言葉を口にする。
「聖霊来たり給え、信者の心に充ち給え。主の愛熱の火をわれらに燃えしめ給え。しかしてよろずの者はつくられん。地の面はあらたにならん」
 そして謳い上げる。
 聖霊降臨祭で謳われる美しい調――『Venisancte spiritus』
 彼女のこの世の物とは思えぬ、まさに天使の歌声と形容されるに相応しいその旋律に、共鳴するように左腕のブレスレッドが淡い、そしてやがて炎の熱にも似た光を発し始めた。
「聖霊の光をもって信者の心を照らしたまいし天主、同じく聖霊をもってわれらに正しきことを悟らしめ、その御慰めによりて、常に喜ぶを得しめ給え。われらの主、キリストによりて、願い奉る」
 その瞬間、夾と碧が同時に動いた。
 夾の右手の一振りで意志を得た鋼糸が紫胤に絡みつきその動きを封じる。とそのタイミングに合わせて彼女の元へ走り込んだ碧が、それと認識される前に紫胤の手からパソコンを奪うと充と黒駒の方へそれを投げた。
「初期化命令! 分かるやろっ!!」
「――っ!」
 まだワケがわかっていないらしいまま充にしがみつく黒駒を取り敢えずそのままの状態で、充は手早くパソコンの電源を入れてメンテナンスモードに突入する。
「へぇ‥‥中身は普通のパソコンなんですね」
 興味深げに黒駒が発した言葉に、ホント、それで助かったと充は安堵の息を吐き出した。
「エマさんっ!」
「任せて」
 充の合図にシュラインがポケットの中から祈りを込めてそれを取り出した。
 繋ぎたい時に繋ぎたい場所へ扉を繋げてくれるという鍵。
 握り締めて自分の思いを伝える。
 眠る少女の隣と階下で今も動く人形の目の前を今すぐ繋げて。
 そうすれば不意に現れた障害物に人形が躓き、少女に向かって倒れこむ。そしてその衝撃は必ず彼女の目覚めに繋がる筈だ。
 室内に、ラフィエルの発する純白の光に、微振動を繰り返し始めたガラスの鍵が纏う薄水色の輝きが混ざり始めた。
 その水色の光に一瞬だけ紫胤が目を奪われたことに、彼女のすぐ近くにいた碧さえも気付かなかった。
 ユラリ。
 陽炎のような大気の揺らめきが生まれ、眠る少女のすぐ近くに半透明な扉が出現する。
「今だ!」
 誰が叫んだかは分からなかった。
『‥‥お前達には本当に楽しませてもらったよ。だから今回は私はここで引くとしよう』
 聴覚が捉えたのではなく、意識その物が捉えた紫胤の声。
 それは充の指が完全初期化命令を下すのと、幻の扉から現れた人形が眠る少女に向かって倒れこむのと、そして夾の鋼糸が捕獲していた対象を忽然と失って冷たい床に滑り落ちるのと完全に同時な出来事だった。

  ***   ***

 ふと気がついた時、六人はそろって屋外にいた。
 振り仰いだ空は、少なくない星の瞬きを忘れてしまった都会の夜空。
 少し離れた所から鼓膜を揺らした「なんだ、結局このゲームの話ってガセかよっ」と口々に不平を漏らす声に、彼等は事態を悟った。
 駅に向かって歩き出す人の塊とはやや距離を置いた所には、一人で立ちすくむ高校生くらいの少女の姿。
 その少女も、しばし考えあぐねた様子だったが、すぐに駅に向かって走り出して行った。

「お疲れ様でした。依頼、無事に完了してもらえたみたいですね」

 不意に背後からかかる声。
 まるで合わせたように全員で振りかえって。
 そこにあった紫の笑顔で、六人はようやく自分たちが自分たちの現実に返って来たことを実感した。


≪少年、老いやすく恋成るアテもなく≫

「終わったーーっ」
 しなやかに背を反らし、碧はおもむろにガードレールに腰を下ろした。
 眼前には再び出入口の一切なくなった漆黒のビル。事の真偽は定かではないが、多分おそらく明日の朝にはこのビルはここからなくなり、二度と現れることはない筈だ。
 器用にバランスを取り、星の少ない空を振り仰ぐ。
 地上から真っ直ぐにのびる人口の光が、薄く天を覆う雲に得体の知れない紋様を描いているのをぼんやりと眺め、碧はいつのまにか忘れていた呼吸を再開した。
 一緒に事件解決に参加した面々の話声が少しづつ遠くなるのを意識の端にひっかけて、風に煽られ足元に転がり込んだ空き缶を、碧は景気良く蹴飛ばした。
 僅かに喧騒から遠い世界に、カラカラと乾いた音が響き渡る。
 それはなんとなく、今の自分自身の心境を表しているようで。
 可笑しいことなんて何もないのに、腹の底から沸き上がってくるその衝動を碧は眉を寄せて見送った。
 まー、こんなもんなんじゃねぇの?
 囁きは風に乗ることはなく。
 碧の心の中だけで大気を震わせ消えて行く。
 夢のような時間とか、それに釣られる人間とか、さらにそいつを嘲笑ってる得体の知れないイキモノとか。
 常軌を逸しまくっているのは疑いようはナイけれど。現に目の前にあるもんはあるんだから仕方ない。
「つまりはそう言うコトだろ。ニンゲンのキモチが綺麗なばっかじゃないから、こんな事件も起きるっつーワケで」
 どうにも釈然としない出来事を、自分を納得させる為に口に出して呟いてみる。
 その効果はあまり芳しい物ではなかったが、代わりに碧の知る限りこの世で一番綺麗な顔が「お疲れ様」と労いの言葉と共に脳裏に浮かんだので、取り敢えず善しとすることにして。
「っはーー」
溜め息全開、ついでにガクリと体を折り曲げた瞬間。碧は右腕に走った鈍い痛みに小さく舌を打った。多分、あの金髪の女を庇った時に痛めたのだろう。
 別に彼女に対する苛立ちは湧いてこなかったが、自分自身の力不足に少しだけ嫌気がさす。おかげで最初に最上階に辿り付くと言う目的は、紫月とか言う男に掻っ攫われたのだから。
 けれど、そんなささやかな自己嫌悪は、物思いに耽るヒマもなく強制的に払拭された。
「あーっ! やっぱり怪我してるし」
「やかましいわっ」
 騒音としか思えない明るい声に、相手の姿を確認しないまま反射動作で怒鳴り返す。イントネーションがやや関西弁に近くなったのは、碧の怒りバロメーターが上昇したことを示していた。
 けれどいきなり威嚇された本人も肝が座っているのか、それともただの阿呆なのか。怯む様子を微塵も見せず、碧の右隣のがードレールに自分のポジションを陣取った。
「あんたさぁ‥‥もちっと静かに登場できないワケ?」
 理不尽な怒りのような気もしたが、どうしてだか今日が初対面だとは思えない彼――京師紫の行動に、上っ面の体裁をかなぐり捨てた碧は、左手で頬杖をつきながら冷たい視線を向ける。
 が、当の紫はそんな碧を一向に気にした様子はなく、ジャケットのポケットから折り目正しくアイロン掛けされたハンカチを取りだし、冷ややかな視線の先でわざとらしくそれをちらつかせた。
「‥‥何?」
「何でしょう?」
「ハンカチだろ」
「ざーんねん。巻いてるだけでどんな怪我でも治しちゃう不思議な布だよ」
「――マジかよ」
「ウ・ソ☆」
 容赦のない碧の一撃が炸裂し、紫が固いアスファルトに沈没する。おまけとばかりに踏んでやろうかと思ったが、それは面倒な気がして真剣に振り上げた足を碧は大きな音を立てて地面に下ろした。
 ‥‥なんか、俺の周りの大人ってこんなんヤツばっかな気がする。
 一瞬だけ脳裏を過った男の顔をシッシと思考の端から追いたてる。溜息はどうやら既に在庫切れの状態らしかった。
「はい」
 突然、紫が碧の眼前に緩く握った拳を突き出した。一瞬、身を固くした碧の眼前でその拳は解かれ、紫の手の中から何かが零れ落ちた。
「オイッ!」
 卓抜な運動神経で碧は地面に激突する寸前のそれを拾い上げる。手の中に納まったのは、中の砂まで細かく砕いた同素材で作ったのか、どこまでも透明度の高いガラス製の小さな砂時計だった。
「何?」
 先ほどした質問を繰り返す。
「プレゼントに最適。見たい夢を見せてくれる砂時計」
 嘘くせぇ
 言いかけた台詞は、目が笑っていない相手の表情に押され、悔しいが飲み込まざるをえなかった。
「信じるも信じないも君の自由。でも効果は一回きりだから使う時は注意してね」
 ポンっと碧の右腕を叩き、地べたに座り込んだままだった紫がよいしょ、と立ち上がる。
「それじゃ、今日はお疲れ様でした」
 ニコリと微笑んで頭を下げた自分より年上の男の後姿を見送って。彼の姿が視界から完全に消えてから碧も腰を上げた。
 刹那、まるで計ったタイミングで携帯がメールの着信を告げる。液晶画面が表示するのは、碧にとってこの世で一番大切な人からであることを教えていた。
「さっすが兄貴。俺のこと分かってるじゃないか」
 ガラリと纏う空気を変えた碧だったが、それはメールの内容を一読したのと同時に一気に氷点下まで急下降した。
「あのヤロー‥‥人が留守なのイイことに兄貴を連れ出す気だなっ」
 携帯をズボンのポケットに捻じ込むと、タイミング良く通りかかったタクシーを捕まえる為に思いきり右手を振り上げる。
 短いメールの本文は、碧最大のライバルに食事に行こうと誘われたが、碧はどうするかを問うものだった。
 短い悲鳴のようなブレーキ音をたててタクシーが急停車する。ここからなら電車を乗り継いで帰るより、裏道を車で走った方が断然早い。
「取り敢えず渋滞だけは死んでも避けて。おまけに超急ぎ」
 乗り込みざま、目的地までの経路を事細かに告げて、独特の匂いに満ちたソファに身を沈める。
 タクシー代は絶対にヤツに払わせる!――そう心で固く誓いながら。

 一時たりとて休まらぬ気持ちを持て余しながら、いつの間にか消えていた右腕の痛みのことには気付くことなく、碧は短いまどろみの海へと落ちて行った。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0054/紫月・夾(しづき・きょう)/ 男 / 24 /大学生】
【0076/室田・充(むろた・みつる)/ 男 / 29 /サラリーマン】
【0086/シュライン・エマ/ 女 / 26 /翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0418/唐縞・黒駒(からしま・くろこま)/ 男 / 24 /派遣会社職員】
【0454/鷹科・碧(たかしな・みどり)/ 男 / 16 /高校生】
【0477/ラフィエル・クローソー/ 女 / 723 /歌手】

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■         ライター通信          ■
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 初めまして、ひっそりライター観空ハツキです(何?)。この度は京師紫からの依頼を受けて頂き、ありがとうございました。

 碧くん、表面の性格と実際の性格が異なる――とのことでしたので、今回はその辺りに力を入れて書かせて頂きました。冒頭・ED、本編中でまるで人間が違うような書き方をしてしまったのですが‥‥PL様の碧くん像とかけ離れておりましたら申し訳ありませんでした。
 更に、似非関西弁ですいません(汗)身近に監修をしてくれる人がおらず、実は真剣に頭捻りまわしておりました(暴露)。
 そしてEDですが‥‥テラコン相関図・設定から勝手にかなり遊ばせて頂いてしまいました。此方の方も、ご不快でしたら‥‥ごめんなさい。
 えっと、PL様としても初めましてということで。作中に出て参りました不思議アイテムの補足を少し。紫も申しております通り、使用回数一回限定のアイテムになっております。もし今回の物語をお気に召して頂けて、またの機会を与えていただけるようでしたら、紫のいる依頼で是非使ってやって下さいませ(使い道があれば‥‥ですが・笑)

 それでは改めて今回は本当にご参加頂きましてありがとうございました。少しでも皆さまのお気に召して頂ける事を切に祈っております。ご意見・ご指摘・ご感想、更には不思議アイテムのネタ(←品切れ中・笑)などございましたら、クリエーターズルームもしくはテラコンより送ってやって下さいませ。
 雨の多い季節になってまいりました。風邪など召されぬようお気をつけ下さい。