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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:ニライ・カナイ
執筆ライター  :立神勇樹
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜5人

■オープニング■

 草間興信所の入り口で一つの争いが勃発していた。
 興信所内に押し入ろうとする男と、興信所内に押し入らせまいとする男の。
 前者は警察庁の特殊犯罪調査官である榊千尋。後者は(一応)この興信所の主である草間武彦だ。
「帰れ。お前の依頼は面倒な割に金にならん」
「酷いなぁ。折角出張みやげの長崎カステラ持ってきてるのに」
「よし、カステラは入れ。お前は帰れ」
 思わずなんじゃそりゃ、と言いたくなる草間の一言に、榊はドアに足を挟んだまま深々とため息をついて見せた。
 
「ニライ・カナイ?」
「そうニライ・カナイ。竜宮と言った方がなじみ易いかもしれませんね。沖縄地方で海底……あるいは波間にあると信じられている伝説の楽園です」
「で、そのニライ・カナイがどうかしたのか?」
 草間の当たり前すぎる問いに、榊は隣に座る女性を指して素っ気ない口調で「比嘉……まゆらさんを連れて行ってもらいたいんです」と告げた。
 染めたのではなく自然に色素が抜けた琥珀色の髪。夜の海底のように静かに潤う瞳。日に焼けた健康的な肌が彼女――まゆらが南国の出身だと告げていた。
「場所はわかってますっ、どうしても助けたい人がいるんです。その為にはニライカナイへ戻らないと行けないんです。お願いします……!! 榊さんに警察病院で出会って、それでここなら何とかしてくれるって聞いて、無理に連れてきてもらったんです! お願い……助けて」
 ソファーから身をのりだし、草間の腕を掴む。と、草間はあわてて体をのけぞらせ、助けを求めるように榊をみた。
「おい、場所がわかってるんなら、何でお前が連れて行かないんだ。天下の警察だろ」
「連れて行きたいのは山々ですが、フカがね」
「フカ?! フカってあの鮫の事か!」
「そう。九メートルクラスの人喰いフカ。あと、場合によっては海龍」
 ハニワの様に眼と口をぱっくり開ける草間に向かい、事もなげに榊は言う。
「ニライ・カナイがあるらしき場所の近辺で、最近船の転覆やフカの異常発生が相次いでいましてね。ただのおとぎ話、と笑ってもいられません。海開きも近いですし」
「なるほど、人助けと海洋安全をかねている訳か」
 皮肉気な草間の言葉に榊は苦笑し、「それだけじゃないんですけれどね」とつぶやいて再び長いため息をついた。
「ともかく、何人か人をお貸しいただけますか? ウチだけでは手にあまります」
 言いつつ榊は立ち上がったが、立ちくらみを起こしたのか、よろめいて近くの机に片手をついた。
 心配げにみる草間たちに向かって、ごまかすように乾いた笑いを漏らし、榊はまゆらと二人で興信所を後にする。
「何というか……あいつ、疲れていなかったか?」
 ――疲れている?
 どちらかといえば「憑かれ」ているように見えたのだが。
 窓の外を見る。
 とビルの入り口から榊が「一人」で出ていくのが見えた。


■16:30 骨董屋『櫻月堂』■

 願いは何か?
 ――千年を越えてなお願うのは何か? 祈りにも似た切なさと真摯さで望むのは何か。
 問われて答えるのはただ一つ。
(人と化生が無為の争いを行うことなく、この国で生きていってほしい)
 千年近くを生きた妖狐、草壁さくらはそう答えるだろう。
「今のこの国においてそれが至難の業であることは重々承知していますが、やはり私はその願いを捨てることができません」
 名は体を表す、というのは何時頃派生した言葉なのだろうか。
 触れればほろり、と崩れ風に舞う桜の花のように、たおやかで今にも消え入りそうな雰囲気。
 陽光に輝き、空にとけ込んでしまいそうな繊細な金の髪。
 永遠に芽吹き伸びていく若木と同じ緑の瞳。
 たわわに実る稲穂の黄金。風にそよぐ若木の緑。
 それは古代から日本に連綿と続く豊かで優しい情景の集約であった。
 骨董屋『櫻月堂』の店主である武神一樹は、微笑とも苦笑ともとれない曖昧な表情でさくらの言葉を聞いていた。
 柔らかくたおやかであるが、瞳の奥底には千年に近い歳月を生きたさくらだけが知る、様々な出会いや別れ、喜びや悲しみがうたかたとなって揺らいでいる。
 一樹とさくらが出会ってからの時間は、さくらが生きてきた「歴史」に比べればまさに「うたかた」が水の中を揺らぎ、水面で消える迄の時間でしかない。
 過去と比較すれば塵芥にも似た、取るに足りない時間だが、ふたりは時間を比較する愚を無意識の内に知悉していた。
「わかった。行って来るといい沖縄へ」
 ちょうど一樹も北海道に行くべき用事――ありたいていに言えば仕入れその他諸々の諸事なのだが。――があるため、店を留守にしなければならないのだ。
 もちろんさくら一人でも店を開けることは可能だし、いままでそう言うことは何度もあったのだ。
 だが最近知己が北海道に引っ越し、それをきっかけに店を離れる事が増えてきたのも事実だ。
 どうせ客はそんなにこないのだ。たまにはまったく違った環境に行くのも悪くはない。何よりさくらの親友であるシュラインが同行するのだから、安心でもある。
「まあ、これで北と南の銘酒をいっぺんに味わう事ができるなら、悪くはない」
 照れを隠すためなのか、それとも本心なのか、奇妙な理由をこじつける一樹に、さくらはただ花がゆれるようにふうわり、と微笑んで見せた。

 
■17:00 警察病院・病棟■

 医療施設独特の薬品の匂いが、鼻孔を刺激する。
 夕方ともあって、病院内部の人の流れは閑散としている。
 夕食の配膳をするワゴンも、ここには見られない。
 ここに居るのは食事をとることも出来ないほどに、傷ついた重傷の患者達だけなのだから。
 透明な液体が、まるで砂時計のように点滴筒の中で規則的に落ち、チューブをつたって、ベッドに横たわる男の体内へとゆっくりと流れ込んでいく。
 頬がかすかに痩け、髪がぱさついてはいるものの、彫像のようにベッドに横たわり、規則的に胸を上下させる男――木内龍也の顔には苦しみはなく、ただただ眠っているだけにしかみえない。
 事実、そうなのであろう。
 ――延々と眠りつつけ、目覚めない。
 シュライン・エマは、表現しがたいむなしさに襲われ、木内から目を逸らした。
 隣に立っていた草壁さくらが、彼女のむなしさに同調したとつげるように、きゅっ、と袖口を握りしめた。
「遅いですね」
 病室の端に立っていた、美貌の青年――斎悠也が時計を見ながらため息を付いた。
 ニライ・カナイの話を聞き、ともかくまゆらの事情がわからないことには対応ができない、と榊に携帯電話で告げたのが14:00。
 16:30にはスケジュールが空くから、病院のこの場所――つまり、まゆらが助けたいと望む男・木内龍也の病室で会いましょう。といわれ待っていたのだが。
 30分待ってもなんの音沙汰もない。
 悠也は闇を削り取ったかのような髪を、指先でひとつまみして払った。
「ニライ・カナイへ戻る? ですか」
 ぽつり、とつぶやき漏らす。
「そうよねぇ。それもひっかかるのよ」
 長いため息をシュラインがもらす。首からかけているラベンダー色の眼鏡が彼女のため息に応じるように、ちゃらり、と鳴った。
 ――行く、ではない。戻る、である。
「ニライ・カナイってあの世って説もあるし……そこへ戻るって事は彼女は既にこの世の肩じゃないかもって事?」
 戻らなければ助けられない人というのだから、その相手の生死も微妙だ。と思っていたが、まさにその通り。
 この状態では「生きている」とは言えない。
 ただ、こんこんと眠り続けているだけ――。
(ということは、まゆらさんがニライカナイへ戻れば、この木内龍也は目覚める?)
 おそらくは、そうだろう。
 だが、ただ戻るだけではすむまい。戻って――一体どんな代償を支払う?
「お見受けしたところ、比嘉様が榊様にとりついておられるように感じました」
 ぽつり、とさくらがうつむきがちに言う。
 木内龍也を救うため、榊に取り憑き沖縄へ向かわせるようにし向けた?
 それはあまりにも身勝手ではた迷惑な行動だが、まゆらを責める気にはなれなかった。
 彼女の真剣な眼差しを見てしまったから。
「比嘉って名前と沖縄と警察、か……そんな名前のイザイホーを取っていた写真家を思い出すわねぇ。そう言や今年この祭りがある年か……二十四念ぶりにあるのかしら」
「イザイホー、島に住む女性が神の女になるための祭でしたか。1978年の午年を最後に中断していると聞きましたが」
 神道に精通しているだけあって、すらすらと悠也がそらんじて見せる。
「島にすむ女性が、神の女になる……ですか」
 緑色の瞳を瞬かせながらさくらが小首を傾げた。
「琉球の始祖神アマミキョが降り立った島・久高島と斎場御嶽(セイファウタキ)で行われる神事だそうです」
 室内に流れ込んできた夕日で自らの金の瞳を乱反射させながら、悠也が微笑んだ。
 琉球王朝はヤマト古代にも散見できるヒメヒコ制をとっていた。
 神話の時から男王とその妹の二人で治世していた。という。
 男王は現実的な政治をにない、妹は宗教を統べた。
 妹がいない時には男王の妻がその役目を果たすこともあったが、その宗教を統べる役目、人を指して「聞得大君(キコエオオギミ)」と呼んだのだ。
 イザイホーとはその聞得大君の戴冠の儀式、とでも言う処であろうか。
 斎場御嶽(セイファウタキ)と呼ばれる琉球最大の聖地で行われる、琉球最高の巫女である祝女(ノロ)の王である聞得大君の戴冠。
 それがイザイホーである。
「とはいえ年末だから関係ないのかなぁ。この時期だと来訪神が沖縄本土に来るとか。海神祭だったかな。……北から来るのよね……まゆらさんと関係あるのかなぁ?」
 悠也の説明を聞き終えたシュラインが、あごに手をあてながら推論をつづける。
「――相変わらず、聡明な推理ですね。敬服しますよ」
 ノックの音もなく、柔らかな声が投げかけられた。榊千尋警視だ。
 そして彼の後ろには影のように、まゆらがよりそっている。
「遅れましたね、すみません。あらためて紹介しましょう。――元・聞得大君候補の比嘉まゆらさんです」
 微笑みを崩さずに榊は言う。だが、その口調にはかすかに辛辣さが混じっていた。
「元、ということは、今はそうではないのでしょうか」
 榊に会釈を返すや否や、さくらが率直に聞き返す。
「すくなくとも、まゆらさんにはその気はありません」
 柔らかな微笑み、柔らかな口調ではあるが、行っている言葉は断定的だ。
「その気はない? どういうこと」
 シュラインが言うと、榊はわざと道化めいた動作で両手を肩の高さに上げてみせ、まゆらを振り返る。
 が、まゆらは眉根をよせたまま、ずっと――そう、他に誰も存在しないのだ、と言わんばかりに他者をすり抜けた目線で――木内龍也を見つめるだけである。
「順番を追って説明しましょうか」
 榊は三人に向かって、病室の外のドアを指さした。
 そして医者に許可をとりカンファランスルーム――医者がうち合わせや病状説明に使う小部屋へと三人を案内し、淡々と説明を始めた。
 曰わく、まゆらが聞得大君の候補であったこと。木内龍也と恋に落ち、その候補の座と沖縄をすてて東京へ来たこと。
 東京で男が海難事故に遭い、何故か意識が戻らず重体であること、をだ。
「体調も脳波も正常。で、ほとほと手を焼いた医者が私用で警察病院に来ていた私に泣きつきましてね。早速部下に調査させたら、どうも呪術的な素因があるようだ。と」
「ちょっとまって。それってまゆらさんを取りかえしたいが為に、ニライ・カナイの誰かが男を海難事故にみせかけて呪いをかけたって事?」
「おそらく。それでも戻ってこないから今度は沖縄で騒ぎを起こしている、という処ではないでしょうか」
 まるで他人事のようにすらり、と榊は言う。
「そんな――身勝手です」
 ぽつり、とさくらがいう。と、榊は頭を振った。
「さあ、どちらが最初に身勝手だったんでしょうね」
 責務を放り投げて、龍也を取ったまゆらなのか。二人を許さず、龍也にのろいをかけたニライカナイの者なのか。
 どちらにもお互いの言い分、どちらにもお互いの非がある。
「ともかく、主観と客観はややこしいから、追いときましょう。ところで――まゆらさんは人魚か何かなんですか?」
 突拍子もない悠也の質問に、さくらとシュラインは目をしばたかせたが、榊は穏やかに悠也の視線を受けとめながら唇を開いた。
「なぜそう思うんですか?」
「人ならば、人に取り憑いたりはしないでしょう。霊であれば聞得大君の候補になれるとは思えない。イザイホーの儀式は写真家が写真に残しているように、ちゃんと人間が執り行っています」
「だから、人間ではないが、人に近いと――なるほどね。そこまで推理されては手の内を明かさざるをえませんね――彼女はニルヤセジ――根元の霊力ですよ」
「根元の霊力?」
「簡単に言ってしまえばニライカナイと沖縄の人々を繋ぐ伝令司でしょうか? 聞得大君となった女性と一体になり乗り移り、その霊力をもって琉球を守護してきた精霊ですね。久高島の神女・外間(フカマ)ノロによって招かれ、聞得大君という形代にやどる」
「だから――なのですね」
 神と人を繋ぐ精霊、その精霊ニルヤセジが離れれば、神と人は遠くなる。
 何をしても神はまゆらを連れ戻そうとするだろう。
 人と神とを再び繋ぐため。神の息吹のこる琉球を守るため。
「でも、それでは」
 ――あまりにも悲しすぎる。
 さくらが言いよどんだ言葉が、沈黙を重くする。
 榊も、シュラインも曖昧な微苦笑を浮かべた。
 長く、長く、誰もしゃべる気が無いのかと思えるほどの重苦しい沈黙をやぶったのは、さくらであった。
「私は人と化生が無為の争いを行うことなく、この国で生きていって欲しいと願う者です。比嘉様には比嘉様の、ニライカナイの海竜には海竜の言い分がございましょう。けれど、このまま双方が行き違いあらそうのは――あまりにも、悲しい」
 どちらの気持ちも、わかるのだから。
 多くの者を守ろうとするニライカナイの意向と、たった一つを守りたいまゆらの意向。
 計れるものではない。
「この身体、お貸しします」
「草壁さん」
 榊が目を見開き、ついで困ったような顔をする。
「もめ事には全て原因があるものです。ですがいまお伺いした所以。身体がないので彼女がその願いをかなえることは難しいでしょう。また、このままでは榊様の身体がもたないように見受けられます。無論、彼女を憑かせるということは、リスクも伴うでしょうが、なにも人に憑くのは幽霊だけの専売特許ではありません」
 人と人以外。
 混じり合わない時と、混じり合えない命を知るさくらだけが持ちうる、決意の瞳で榊を見る。
 榊は長い間さくらの翡翠の瞳を見ていたが、やがて長いため息をつき、頭を振った。
「それはできません。彼女は私に取り憑いてる訳ではありません。私が取り憑かせている――いいえ、彼女の存在を固定しているから、です」
「固定させている――?」
 シュラインの言葉に、悠也が顔をしかめる。
 やはり、という想いが頭をかすめたからだ。
 一番最初に彼に会った時に感じた衝撃、そして――別の事件で出会った電脳の魔術師の顔が脳裏に浮かぶ。
 だが、悠也が何かを聞くより早く、榊は全ての問いを拒否するように立ち上がった。
「詳しくは言えませんが、彼女は一定時間私からはなれれば、意志を――存在を保てず消滅するでしょう。もっとも彼女の根元となる「セジ」満ちた沖縄では話は別でしょうが」
 かたん、とわざとらしく椅子を鳴らしながらため息を付く。
「もし、草壁さんに彼女の憑依をお願いするのならば、おそらく「ニライカナイ」の門ひらいた時でしょう」
 疲れに満ちた重い声でいうと、榊は挨拶するせずに、三人に背中を向けて部屋を出ていった。


 ■翌日 14:30 沖縄■

 ともあれ沖縄だ!
 蒼い空にエメラルドグリーンの海。というと、安っぽい三流旅行代理店のあおり文句のようだが、実際に目にすれば、もはやその売り文句以外頭に残らない。
 高く遠く、どこまでも透き通っている空。
 空を写してなお透明で、深い場所にある珊瑚まで見通せる輝石のような海。
 街を彩るハイビスカスの赤に、ブーゲンビリアの鮮やかなマゼンタ。
 屋根瓦はくすんだ紅色。野放図にしかし力強く茂る植物の緑。
 これらの色彩に迎え撃たれ、心が躍らないヤツはもう救いようがない。
 草間興信所を中心として集った十一人は、日本唯一の亜熱帯に降り立ち、すっかり気もそぞろである。
「うわぁ! すっかり夏! 海! 南国っ!」
 ジャンプして、空を掴むような仕草をしながら鷹科碧が歓声を上げる。
「本当に夏ですね。これなら泳げそうですね」
「ゴールデンウィーク越したら泳げるらしいがな」
 若さを爆発させる碧をほほえましく見ながら、七森拓己と黒月焔が言葉を交わす。
「とっとと片づけて、とっとと遊ぶぞ、おら」
 めんどくさげな口調で、しかし珍しく満面の笑みを浮かべながら背伸びをし潮風に満ちた空気を吸い込んでるのは中島文彦こと張暁文。
「紫外線対策が面倒ね」
 と一人現実的かつ美容的な事で頭を悩ませ、女王らしからぬ憂愁のため息をついているのは、湖影華那。
「ホテルを経営している知り合いがオープン前のホテルのスウィートに招待してくださるので宿泊はそちらにするつもりですが。かまいませんよね、榊さん」
 ファッション雑誌から一足早く抜け出してきた、と言わんばかりの白を基調にした夏の装いで周囲の女性達の視線を集めながら、斎悠也が問うと、その足に浴衣を着た童女――寒河江駒子が抱きついた。
「こまこ、こまこねー、はやく《きーちゃん》にあいたいな。《きーちゃん》はこまこの《ともだち》なんだー。ほんとーは《きじむなー》ってゆーんだけどね。《さかなのひだりめ》がだいすきだから《にらいからい》や《ふかをよける》こともおしえてくれるとおもうよー☆」
 満面の笑顔を見せながら、高く良く透る声で駒子が言う。
「あ! でもこまこ《おかね》もってない……えと……だれかこまこに《おさかな》かって?」
 不安になったのか、急にまなじりを下げ顔を曇らせる。
「いいですよ」
「かまいません」
 ほぼ同時に榊と悠也が答え、苦笑する。
「寒河江さんには前回お世話になりましたし」
「それを言うなら俺も、です」
 大したことではないのに、何故か役目を担いたがる男二人。当の本人達もそのおかしさにとまどっているのだろう。
(しかし、これは良いチャンスかもしれませんね)
 事件とは別に、悠也には突き止めたい事があった――この、榊千尋について。
「なんだか右から左に会話がながれすぎて、私、混乱してまいりました」
 白いワンピースの裾を風にそよがせながら、草壁さくらがため息を付く。
「私もよ」
 日差しを避けるためか、いつもなら胸にかけているうすい色つき眼鏡をかけて、眉根をしかめる。
 高校生、大学生、サラリーマンに、バーテンダー、SMの女王様に、警察官。幼女に金髪美女。
 全く持って相容れない異質異色の集団だ。
 やれやれ、と先を考えて気が遠くなっていると、煙草を吸っていた暁文――中島文彦という偽名を使っているのだが――が鼻をならした。
「それにしても。ニライカナイ、海の底の神の国だっけか?」
 そこに『戻る』って事は普通の人間じゃないな。と心中で吐き捨て、シュラインの隣に立っているまゆらを横目でにらむ。
「……助けたいヤツが居るって言ってたよな? そいつを助けたら事態は収まるのか? アンタ達が何かしたからこんな事態になってるんじゃないのか?」
 辛辣な言葉に、まゆらはうつむく。
「ちょっと、アンタ」
 既に事情を知っているシュラインが、押しとどめようとする。が、一瞬だけ遅れた。
「僕も知りたいです」
 にこにこと無邪気な笑顔をふりまきながら、七森拓己が暁文とまゆらの間に入ってきた。
「助けたい人って誰ですか? ニライカナイってどんな場所ですか? まゆらさんは幽霊ですか?」
 早速売店で買ったばかりのちんすこうを差し出しつつ矢継ぎ早に質問する。
「――ごめんなさい」
 消え入りそうな声でまゆらがうつむく。目は潤み、今にも涙がこぼれそうだった。
 とたんに拓己は罪悪感に襲われてしまう。
「ま、いいさ。俺達が加わったところで化け物相手にどーこー出来る訳がない。結局本人同士に納めてもらわないとな」
 沈みがちな陰気な空気を嫌ったのか、ただ、女に泣かれるのがめんどくさいと思ったのか、軽口のように暁文が吐き捨てる。
 しん、と沈み帰ったメンバーをみて、何かを思いだしたように、暁文はぽん、と手を打った。
「あ、榊が憑かれてる事に関しては別料金だと思うぞ」――と。
 

 ■16:00 斎場御嶽(セイファウタキ)■

 斎場御嶽(セイファウタキ)は琉球の創世神・アマミキヨが作った国始め七御嶽の一つである。
 古くから沖縄第一級の霊場とされ、琉球王朝時代の最高神職である聞得大君の即位儀礼が行われた聖地である。
 近年の観光化にともなって、男子禁制の掟は取り払われたものの、地元の男は今でも――誰に禁止されているわけでもないのに――敬い、なかなか足を踏み入れようとはしない。
 そこに長い歴史の間に沖縄、否、琉球の人たちが培い、守ってきた神々との絆が感じられる。
「では、ここで二手に別れましょう」
 フカや海竜と戦うチームとまゆらと一緒にニライカナイへ向かうチームに。だ。
 ニライカナイには斎場御嶽から。
 フカが発生する海域――久高島へは、斎場御嶽近くにある安座真港から船で移動する。
 船と言っても漁船に毛が生えたようなものだ。
 全員を乗せるのは不可能だし。フカにかまけている間にニライカナイの門が閉まっては一日が無駄になるのだ。
 ニライカナイへの道は日没の瞬間。もしくは日の出の瞬間のみに開かれる。
 まゆらがニライカナイへ行くのを邪魔するであろう、フカと海龍を船のメンバーがおとりとなって引きつけ、その隙にまゆらをサポートするメンバーが「ニライカナイ」へ渡る。そういう作戦だった。
「僕は――出来ればフカ退治は棄権させていただきたいです」
 困ったように黒髪をくしゃりとかき混ぜながら、拓己がつぶやく。
 獣医の卵だけあって、生き物を傷つけるのがイヤなのだ。
 そもそも最初からまゆらをニライカナイに連れて行くのには賛成でも、フカや海龍と敵対する意志はない。
「私とさくらもパスね、戦力外だし。まゆらさんには憑きなおして貰わなきゃ駄目でしょう?」
 シュラインがはきはきという。
 その後ろで静かに、しかし毅然とさくらが頷いてみせる。
「私もパス。フカ退治は警察に任せるわ。面倒くさいから」
 ビーチには似合わない深紅のピンヒールで浜辺の砂を踏みにじりながら華那は言う。
 逸らしたあごと胸が、無言の威圧感で他の男性陣をたじろがせる。さすが女王様、というところであろうか。
「先着順、仕方ありませんね。戦力という点からみればこの分け方がベターでしょう」
 半分呆れ、半分どこか面白がるような様子で榊が言い切った。
「ちょっとまて、このガキもか!!」
 ぎょっ、とした顔で暁文が叫び、足下を走り回っている駒子を指さした。
「こまこ、《ゆーやちゃん》と《きーちゃん》といっしょがいい。《ふーみん》もいっしょ☆」
「ふーみん、って誰だ、オイ」
 期待のまなざしで暁文、もとい中島文彦を見つめる駒子。
「……言わずもがなでしょう」
 冷静に突っ込む榊。その榊の後頭部を力一杯拳でなぐりつけて、暁文は叫んだ。
「なんだその一昔前のアイドルみたいなあだ名は! 断じて却下だ!」
「いいじゃない、似合ってるわよ。ふーみん」
 半眼で冷ややかに嘲笑うシュライン。
 かつて草間興信所をさわがせた中学生のお嬢様を思い出しながら、さくらが遠い目をしてみせる。
「絵梨佳様の時もそうでしたが、中島様には何か子供を引きつける強い魅力がおありなのだと思います」
「そんな魅力、四つに畳んでドブ川に捨ててやる!!」
 フォローにならない誉め言葉に対して暁文が絶叫する。
 アンダーグラウンドに息づき、あらゆる犯罪の影で動く流氓の彼にしてみれば、たとえ事実であったとしても言われたくない誉め言葉なのだろう。
「良いんじゃないですか? ふーみん」
 笑いを押し殺しながら、悠也が煽る。
「おうっ、カワイイじゃないか。ふーみん」
「俺もそう呼ばせてもらおう、ふーみん」
 碧と焔が便乗してからかい続ける。
 そして騒ぎを興味なし、と言った体でみていた華那が、高飛車にトドメを指す。
「声がウザイわよふーみん」
「……あとで覚えてろ」
 殺気を唸りに変えながら、まとわりつく駒子の頭をなで、それとなく自分から遠ざけようと悪戦苦闘する。
 そのさりげない優しさが、子供に好かれる要因であることを、暁文は全く気づいて居ないようだ。
「んしょ」
 ようやく暁文から離れた駒子は、悠也からビニール袋を受け取り、引きずるようにして斎場御嶽の近くにあるガジュマルの木の前に運ぶ。
 中には国際通りの市場(マチグワー)で買った、赤や青といった原色の魚達がはいっている。
「《きーちゃん》ねぇ。こまこあそびにきたよ!」
 高く、高く天まで伸びる気にむかって、駒子が無邪気にさけんだ。
 唐突な出来事に、全員が話をとめて駒子をみた。
 海風がゆらゆら、ざわざわとガジュマルの枝を揺らす。
 潮の匂いが駒子の切りそろえた髪をくすぐり、浴衣の袖をはためかせる。
 大きな瞳が、若木を透過した木漏れ日にきらきらと輝いた。
 ――風が、止まる。
 そして木々のざわめきにかすかに子供の笑い声が混じり始める。
 くすくす――ざわざわ――くすくす――といった調子で。
「クワラクワラだのにー!!!」
 弾けるような男の子の声がした。
 突然ガジュマルの木の皮がさけ、赤い固まりが転がり出てきた。
 固まりは木の前に置かれたビニール袋をひっつかむと、ブルブルと震えた。
 全身を包むほど長く赤い髪の毛がパックリと割れ、日に焼けた顔と真っ白な歯が現れる。
「クワラクワラだのにー、よくきたなぁ。ヤマトンチュはげんきぃだにー」
 一般的に沖縄の人間は昼間――およそ11:00〜17:00は浜に出ない。
 強すぎる日差しで日射病になったり、脱水症状を起こすのがわかっているからだ。
「あのねこまこね《にらいかない》にいきたいの。《ふかをよける》ほうほうおしえて」
「《ふかをよける》ほうほう? 海人(ウミンチュ)なら誰でも知ってるだに。海龍にマブイダマ投げるだに」
 といって、ぼうぼうと伸びっぱなしの髪の毛に手を突っ込んで、小さな革袋を取り出して駒子の手のひらにぽとりと落とした。
 中には親指の先ほどのガラス玉がつまっており、一つ取って日にかざすと、それは万華鏡のようにくるくると色を変え明滅し始めた。
「海龍は海でさまよう魂(マブイ)をニライカナイへ連れて行くだに。マブイダマみたら、追っかけてくるだに。海龍の手下のフカも同じだに」
 ビニール袋から、魚を捕りだし、指先で左目だけをもぎ取って食べていたキジムナーはにっ、と白歯を見せてわらった。
「こまこ、魚の左目うまかっただに」
 キジムナーが言うが早いか、ひときわ強い海風がガジュマルの樹を揺らした。
 巻き上げられた砂から、全員が目をかばい、再び浜辺を観た時。
 そこには、食べ散らかされた魚と、市場のビニール袋だけが砂にまみれて残っていた。


■AM5:00 命薬(ヌチグスイ)■

「そう、しょうがないわね」
 浜辺にたかれたたき火でを見つめながら、シュライン・エマはため息をついた。
 たき火の向こう側では先ほどまでちんすこうをつまみに、ビールを傾け「動物性と調教の必要性」について激しく意見を戦わせていた、華那と拓己が毛布にうずくまって眠っている。
 海上の榊からの電話では、まだ海龍どころかフカも現れないそうなのだ。
「それより体調はどう? まゆらさんがニライカナイへ行って木内さんを助けられれば、海は元通りになって、あんたからも離れてくれるのよね?」
『おや、心配してくれているんですか?』
「そうじゃないわ。ただ……観ていて痛々しかったというか……なんでも受け入れちゃうのねぇ」
 今、まゆらはさくらに取り憑いて居る。その分榊は体力的に疲労することは無いだろう。しかし、弱り切った体力でフカと戦うというのだから、心配するなというほうがどうかしている。
『――受け入れる、というのは違いますよ』
 穏やかな声で、やんわりと否定される。
『警察病院でも言いましたが、私はまゆらさんを受け入れた事は一度もありません。ただ単に彼女を固定していただけです』
 はぜる焔をぼんやりみていると、携帯電話の向こうからノイズがかった榊の声が聞こえた。
『シュラインさん。「クラップハンド・フェアリーテール」をご存じです?』
 唐突な話題の変換に頭がついていかず、思わず、え、と漏らすと榊がくすくすと笑って見せた。
『ああ、子供が妖精を信じて笑いながら手を叩くと、植物やものの影から新たに妖精が生まれる、というアレです』
「? それがどうかしたの?」
 雑談でもしていなければ、眠くなるからなのだろうか? それにしては妙に話題が飛躍しすぎている。
『――そして、妖精などいない。と子供が断言する度に一人の妖精が消えていく』
 シュラインの質問に点で的はずれな答を榊は返す。
 何が何だかさっぱりわからない。つまらない話をするのなら電話を切るわよ、と言いかけたとき、榊が決定的な一言を突きつけた。
『同じ事ですよ。精霊であるまゆらさんがどうして宿り地である沖縄を離れて、無事でいられたと思うんです』
 精霊や妖精は、人が信じれば信じるほどその力を、存在の強さを増す。
 百年前にはこの日本にも多くの魑魅魍魎が潜み、悪戯し、あるいは人と共生していた。
 しかし科学の発展により闇という闇が暴かれるにしたがって、一つ、また一つと忘却の刃で引き裂かれ、消えていった。
 昼間に出会ったキジムナーも、どれほどの人間が忘れずにいてくれたのだろう。
 そして、沖縄で信じられている神や精霊がどれほど「東京」で「存在」を保てたと言うのだろう。
 まゆらが東京で消失せずに、木内龍也のそばに居られた理由はただ一つ。
 ――木内龍也が信じていたから。
 誰よりも強く、何よりも強くまゆらという「存在」を愛していたから。
 神話より、信仰より強く「存在」を信じて愛していたから。
『比嘉まゆらは木内龍也の「愛する記憶」によってかろうじて「存在」していたんです。ですが、木内龍也は意識不明に陥った』
 少しずつ、日々がすぎていく事に人はまゆらの事を忘却していく。木内を介して出来た友人も「木内が意識不明」という事件が日常になじんでいくに従って、少しずつまゆらの事も忘れていく。
「でも、それならまゆらさんがニライカナイに戻ったら、全て丸く収まるんじゃないの?」
 木内が目覚め、再びまゆらを愛すれば良い。
 何を些末な事を真剣に言っているのだろう、とシュラインが呆れていると、榊は電話の向こうで冷たくつぶやいた。
『木内龍也は、後遺症により記憶障害を起こしている可能性が高い』
 息を呑んだ。
 記憶障害を起こしている可能性が高い――それはつまりまゆらに関する記憶すら無い可能性が高い事で――彼が助かれば、まゆらは消滅するという事以外の何者でもない。
「ちょっ、まって。それって木内さんが回復したらまゆらさんが消滅するってこと?!」
『そうなりますね』
 反射的に顔をまゆらに――否、まゆらの姿をしたさくらに写す。
 と、彼女は寂しげに微笑んだ。
 呆然とその笑みを観ているシュラインの耳もとで、通話の終了を示す電子音が、冷たく鳴り続けていた。
 ――どうする?
 まゆらが決めているのなら、自分に止める権利はない。
「あの、まゆらさん」
 ためらいがちにシュラインが声をかけると、まゆらの姿をしたさくらが頭をふった。
 そしてまるで過去の記憶を再生するかのように、脳裏にさくらの声が響いた。
(比嘉様は、もう決めてらっしゃいます)
 取り憑かれた事により、記憶を共有したのだろう。さくらが淡々とした声で返した。
 人と妖の関わり故の別れを経験した彼女にしてみれば、まゆらの気持ちは痛い程わかるのだろう。
 ――自分が消えるか、相手が眠り続けるか。
 それは残酷なおとぎ話。
「本人がいいんなら、良いんじゃないの?」
 面倒くさそうな声が聞こえる。つられて振り向くと湖影華那が髪についた砂を払い落としながら不機嫌そうに起きあがった。
「まわりがやいやい言う事じゃないわ」
 どっちにしても、止めたって手遅れでしょ。と華那は切り捨てるように言う。
「それはそうだけど」
 釈然としない思いに、シュラインが言葉を濁らせる。すると寝ているようで起きていたのか拓己がうっすらと目をみひらき、申し訳なさそうな顔をしながら起きあがった。
「すみません。――あんまり事情を知らないのにこういう事をいうのも、悪いかなと思ってたんですけれど」
 ぽつり、と前置きして拓己はシュラインに向かって無理に作った笑顔を見せた。
「本音を言えば、別の策を探した方が良いと思うんです。――でもまゆらさんの気持ちもわかります」
 他人の痛みに敏感な青年らしい言葉を漏らす。
 どちらにしても、辛いのだ。
 永遠に目覚めない人のそばに居続けるか。永遠に忘れ去られて消え失せるか。
 同じ永遠なら――愛する人が残ればいい。
 それが自己満足の自己犠牲だと笑う人間には笑わせればいい。
 しかし、まゆらは決めたのだ。
 言葉を失う四人。
 ただたき火のはぜる音だけが続いている。
 長いとも短いとも言えない沈黙のあとに、さくらがすっくとたちあがり、海へ向かって歩き出し、久高島の方向を指さして見せた。
「――来光」
「え?」
「門が開きます」
 言うが早いか、夢遊病者のようにぼんやりとした目のまま浜辺を横切り海へと入っていく。
「追いかけましょう!」
 毛布をかなぐり捨て、濡れるのにもかまわず拓己が、華那がまゆらのあとを追う。
 まゆらは腰まで水に浸かると、両手を天にさしのべ高く細い声で歌い始めた。

 昇る太陽の神女よ
 我らの崇高な神女よ
 海をなだめ
 風を安らげ
 門を招いておくれ
 昇る太陽の神女
 ニライカナイの神の女よ

 歌になだめられるようにして、波が止まる。
 斎場御嶽(セイファウタキ)から、波を切り分けるように突風が吹く。
 そして海の底に――まるで飛行場の滑走路のランプのように、転々と青白い光が灯り始めた!
 波をわけ、取り憑いたさくらの身体ごとまゆらが海の奥深いところへ歩いていく。
「追いかけろって、このままじゃおぼれるわ!」
 シュラインが叫ぶ。
 と、まかせてください! と拓己が叫び両手を波間に浸して瞑目した。
 瞬間、彼を中心に水が渦巻き出す。
 まるでそれ自体が思念をもつように押し広げられ、丸い空気の球体を作り出す。
 拓己が持つ「水使い」の能力を応用した結界である。
「みなさん、僕のそばを離れないようにしてください!」
 叫んでまゆらのあとを追う。
 やがて全身が海につかり、空の変わりに水が天を覆う。
 暗く、重苦しい夜の海に小さな光が灯っている。それは蛍光するイカの群だった。
 うやうやしく女王に付き従うように、海底を歩むまゆら達を取り囲み先導する。
 燐光にてらされぼんやりと浮かぶ珊瑚礁。岩陰で息を潜めて「ニルヤセジ」の帰郷を見守る熱帯の魚達。
 どこまでも白い、南国の砂。
「綺麗だわ」
 幻想的な風景に、シュラインが言葉をもらす。
 ただ美しいというだけではない。今にも消えそうな切なさと悠久を得た強さ。相反する二つの性質をもちゆらゆらと揺れる風景。
 初めてみるのにどこか懐かしい光景。
 その光景の奥底、海の最も深く暗いばしょに、橙色の光が灯った。
(――太陽?)
 華那が唇を動かす。
 刹那。
 圧倒的な光が海を満たす。
 白く、明るく、何も見えないほどに。
 自分の指先すら観ることが出来ないほどのまぶしく、暖かい光!
 感覚が消えていく。
 見るという感覚が、聞くという感覚が、感じるという感覚が消えていく。
 自分の存在が光に取り込まれる。
 それは恐怖ではない。
 細胞の一つ一つまでもが光にとりこまれ、浄化され、新たに再構成されるような感覚。
 ――生まれ変わり。
 百の言葉と、千の記憶が浮かんでは消えていく。
 人を、ものを、世界を愛した記憶。そして愛された記憶がうたかたのように湧いてきては白い光に還元されていく。
 何もかもが消え失せ、光にという観念すら消えた時。
 ――どこかで、子供の――否、自分の生まれた日の声が聞こえた。

 気が付くと、拓己は浜辺に寝そべっていた。
 記憶を失って術がとけたのか、髪は海水にさらされべたべたでほほには砂がべっとりと付いていた。
 慌てて身体を起こし、あたりをみる。
 拓己のすぐそばには短いタイトスカートからすらりとした足を惜しげもなくさらした華那が。
 波打ち際にはシュラインと――元の姿に戻ったさくらがお互いをかばうように倒れていた。
(一体――何が)
 ニライカナイにはたどり着けなかったのだろうか。
 と、不安に襲われた拓己の指に、固く冷たいものがふれた。
 それは原色の琉球ガラスで作られた、小瓶だった。
 中には数滴ほどの液体が入っていた。
「命薬(ヌチグスイ)?」
 だとすると、まゆらはどこに消えたというのだろうか。
 慌てて周囲を見渡す。
 と、浜辺の向こうからフカを引きつける役目を担っていた、榊達がやってくるのが見えた。
「大丈夫ですか」
 さほど心配していないのか、安心させる為なのか、柔らかい微笑みを浮かべながら榊が聞いてきた。
「大丈夫です。けど、まゆらさんが」
 塩水をのんでひりつく喉を押さえながらつぶやく。
 榊は答えず、穏やかな光を瞳にやどしたまま、拓己のてに握られている小瓶を見た。
 ――まだ冷たい朝の海風が、礼をいうようにゆるりとがじゅまるの枝をゆらしていた。


■一週間後 11:00 記憶■

 照れたように花束を受け取る木内龍也をみながら、草壁さくらはため息をもらした。
 榊が予告したように、命薬(ヌチグスイ)で目覚めた木内は記憶を失っていた。
 それも、選ばれたようにまゆらに関する記憶だけを。
「あれで、良かったのでしょうか」
 初夏の匂いをかすかに含ませた風に、金髪を遊ばせながら言う。
「そうね」
 肯定とも否定とも取れる言葉をもらしたまま、シュラインは黙り込んだ。
 そして二人は、別々の瞳で木内龍也をみながら、同じ事を考えていた。
 ――自分が、同じ立場だったらどう行動しただろうか。
 愛するものを助ける為に、自分の存在を捨てることができるだろうか――自分を愛した記憶を相手が失っていると知った上で。
 木内はおそらく誰か別の女性を愛し、まゆらの存在しない人生を歩いていくのだろう。
 まゆらの愛した記憶を、否、存在した事すら知らないままに。
(ならば、自分は?)
 答の出ない問いを繰り返しながら退院していく、木内龍也の背中をみつづける。
 と、ただ沈黙のままに微笑みながら木内をみていた榊が、ふ、と小さく息をもらした。
「怖いですね」
「え?」
 さくらとシュラインが全く同時に聞き返した。
「どうして女の人は――愛した記憶に愛された記憶に何もかもをなげうてるんでしょうね?」
 穏やかに答えながらも、その瞳はどこか鋭い光を宿していた。
 答える言葉など、何も持ってはいなかった。
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 /草間興信所事務員&翻訳家&幽霊作家】
【0213 / 張・暁文(チャン・シャオウェン) / 男 / 24 / サラリーマン(自称)】
【0164 / 斎・悠也(いつき・ゆうや)/ 男 / 21 / 大学生・バイトでホスト】
【0134 / 草壁・さくら(くさかべ・−) / 女 / 999 / 骨董屋『櫻月堂』店員】
【0291 / 寒河江・駒子(さがえ・こまこ)/女/ 218 /座敷童子】
【0490 / 湖影・華那(こかげ・かな)/ 女 / 23 / S○クラブの女王】
【0454 / 鷹科・碧(たかしな・みどり)/ 男 / 16 /高校生】
【0464 / 七森・拓己(ななもり・たくみ)/ 男 / 20 / 大学生】
【0599 / 黒月・焔(くろつき・ほむら) / 男 / 27 / バーのマスター】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは立神勇樹(たつかみ・いさぎ)です。
 大変お待たせして申し訳ありませんでした。今回はちょっと多めに9人取らせていただきました。
 大人数を描写するのは久しぶりで、大変でもありましたが、かなり楽しませていただきました。
 参加していただいてありがとうございました。
 さて、今回の事件は「エピローグを除いて時系列順に11シーン」になっております。
 人によっては「何故?」の部分が(プレイングにより)欠落している処もあります。「なぜこのキャラが、こういう情報をもってこれたのかな?」と思われた方は、他の方の調査ファイルを見てみると、違う角度から事件が見えてくるかもしれません。
 もしこの調査ファイルを呼んで「この能力はこういう演出がいい」とか「こういう過去があるって設定、やってみたいな」と思われた方は、クリエイターズルームやテラコンから、メールで教えてくださると嬉しいです。
 あなたと私で、ここではない、別の世界をじっくり作っていけたらな、と思います。

 はじめまして、草壁さくらさん。
 最初『櫻月堂』のシーンなどを入れてみましたが、いかがでしたでしょうか?
 シュラインさんと親友らしいということをお聞きしていたので、二人の関係は近しいものにしてみましたが。
 もし違っていましたらごめんなさい。

 また、再び不可思議な事件でお会いできることを祈りつつ。