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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


狂走詩

<序>
 本日の仕事も滞りなく終え、草間武彦は椅子から腰を浮かせた。
 窓の外はもう闇に包まれている。とはいえ、下の道を通る車のサーチライトや向かいのビルの明かりなどがあるために完全な漆黒とは言えない。
 時計の針は午前一時過ぎを差していた。
 今日も一日よく働いた、という充足感を抱き、椅子の背もたれに引っ掛けていた上着を手にデスクから離れようとしたその時。
 デスクの上の電話が耳障りな呼び出し音を立てた。
 草間の片眉が下がる。
「誰だよこんな時間に」
 ちらりともう一度時計に目をやる。仕事の依頼か? と思うとなんだか取るのが億劫になった。
 用事があるなら明日にでもまた電話してくるだろう。
 そう思い、コール音に背を向けた。
 が、呼び出しが止む気配はない。
「……ああもうっ」
 苛立たしげに髪を荒々しくかき回すと、やむなく受話器を手に取った。
「もしもしっ? 草間興信……」
 言いかけた言葉は途切れ、その眼鏡の奥の双眸が見開かれる。受話器の向こうから、涼やかな男の声が耳に流れてきた。
「お前……鶴来、か?」
『電話、無視する気かと思った』
「あ、いや。っていうかお前、何だよこんな時間に。しかもこないだっから一度もこっちに顔見せないで変な事件ばっか送り込んできやがって」
 旧知の者のその声が、受話器の向こうで小さく震えた。笑っているらしい。
『悪いが……また厄介ごとを持ち込ませてもらいたい』
「また?」
『大した依頼じゃないんだ、何も起こらなければそれはそれでかまわないから。頼まれてくれないだろうか?』
 変に下手に出ている相手に、草間が受話器を肩で挟みながら煙草を取り出して火をつける。そして苦く笑った。
「あんまりお前からの依頼は請けたくないな」
『…………』
「なんてな。あんまり仕事選り好みしてられるほどに左団扇ってわけでもないからな。仕事内容にもよる、聞かせてみろ」
 話は、以下のようなものだった。
 とある女が中古の車を買ったのだが、その車、妙に事故などを起こしやすいというのだ。
 前バンパーをいつのまにか擦られていたり、いつの間にか側面にへこみができていたり。何かにハンドルを取られて縁石に乗り上げてタイヤをバーストさせたり、運転していると眩暈がしたり目の前が真っ暗になったり。
『それで、何か憑いているのではないかと心配しているんだ』
「ただ単に運転が下手だということじゃないのか?」
『いや、他の車だと彼女の運転はさほど危ないものじゃない。が、その車に限り』
「おかしくなるのか」
 デスクに腰半分を乗せて灰皿に長くなった煙草の灰を落とす。
「だがお前、そういうの『視る』力に長けていなかったか? 視た限り、どうなんだ」
『何も視えなかった』
 答えて、電話の相手――鶴来那王(つるぎ・なお)は吐息を漏らしたようだった。
『何か条件がそろえば視えるのかもしれないが、ただ停めてある車をざっと視ても何も妙な感じはしなかった』
「つまり、その『条件』とやらを探してほしい、と?」
『彼女は今、怖がって車を運転できない状態だ。が、彼女以外の者が車に乗っても同じことが起こる。だが、起こらない者もいる。起こらない場合も、ある。いまいち判然としないんだ』
「だったらお前が乗っていろいろ試してみればいいだろう?」
 その草間の言葉に、鶴来はわずかに沈黙した。そして。
『……いや、多分俺が運転すると、別の意味で危ないと思う』
「何だ? お前、車の運転できないのか?」
『いや、できないわけじゃない。が、……極力しないほうが身のためだと思っている』
 とつとつと答える鶴来の声に、草間は笑い出したい衝動を何とか押さえて、デスクの上のメモ帳とボールペンを手にした。
「で? その車種とかは」
『今の持ち主は七鞘深月(ななつさや・みつき)。車はスカイライン、GTS−TタイプM。平成2年式の2ドアタイプ。色はワインレッド、AT車だ。あとは……少し車高を下げてあったり、マフラーが改造ものだったり。元々の持ち主が男だったようだ』
「MT車じゃないんだな? ……スポーツタイプなら多くて4人は乗れるな」
 確認すると、草間は一応いろんな可能性を試すために様々な知人の顔を思い浮かべた。女、男、大人、子供、独り者、恋人つき……。
『何もなければそのままドライブでも楽しんでもらえばいい。ちょうどいい季節だろう?』
 何もなければ。
 その言葉に小さく笑うと、草間は電話越しの相手に承諾の意を返した。

<謎の手荷物>
 天気は上々だった。
 強すぎもせず弱すぎもしない日差しが、青く澄んだ空から地上に降り注いでいる。芽を出した新緑が育つには、とてもいい気温と天気だ。
 街路樹を見てそんなことをぼんやりと思っていた里見史郎は、ふと隣を歩く従弟・斎司更耶を見やった。いつになくおとなしいと思ったら、やたら眠そうな顔をしている。
 大きなあくびを一つもらし、目を擦る姿がなんとなく子供っぽい。
「寝不足なのか?」
「ん……いや、ネットゲーやってたらつい、な。それでも4時間は寝てるから大丈夫だけどさ」
「今日は仕事だって教えてあったはずだけどな」
「今日はお前がいるの判ってたからだよ」
 先日の「手の呪い」の依頼の時は史郎がいなくて、調査の指針まで自分で決めなくてはならなかった。が、今日はブレイン役である史郎がそばにいるため、自分は暴れるだけ。頭を使う必要がないため、気分的に楽なのである。
 また一つ大きなあくびを漏らして、更耶はふと史郎の肩にかけられている黒いデイバッグを見た。
「その中、何入ってんだよ」
「まあ、いい天気だしね」
 答えになっていないことを口にしながら、史郎も更耶の肩にかかっている少し大きめの紙袋を見た。どこかのブティックの紙袋らしいが――。
「更耶こそ、一体何を持ってきてるんだ?」
「ふふふふ、それはナイショだ」
 怪しげな笑いをこぼしながら、紙袋の中を覗こうとした史郎の手をパシリと軽く叩いて払いのけて「覗くなスケベ」などと言いながらべー、と軽く舌を出す。
 その様に、やっぱり子供だな、と叩かれた手の甲を撫でながら史郎は苦笑する。
 二人は今、駅から十分程度のところにある住宅街にいた。車の持ち主である七鞘深月の住むマンションに向かっているのである。
「ええと、確かこの辺り……ああ、あれかな」
 メモに記した地図を確認し、史郎が顔を上げる。
 視線の先にあったのは、一二階建ての新築マンションだった。マンション前の道の脇に、ワインレッドのスカイラインが停められている。
 どうやらそれが問題の車らしい。左前のあたりに、わずかに擦ったような傷があった。
「……ところで。今日って那王、来てるよなあ?」
「え? ああ、鶴来さんなら来ると思うけど」
「そうかそうか、来るよな。うんうん、あいつはいっつも依頼現場には顔出してるもんな。来ないわけないよな、うんうん」
「……更耶。一体何を企んでいるんだ?」
 ニヤニヤと、秀麗な顔に似つかわしくない変な笑いを浮かべている更耶を怪訝そうに見、史郎が問う。
 怪しい。見るからに怪しい。
 だが、更耶は笑って「ナイショ」と答えるだけだった。

<質問>
 スカイラインの影に、依頼主・七鞘深月はしゃがみこんでいた。どうやら右後ろの擦り痕が気になるらしく、何度も指で撫でながら、傍らに立っている黒いスーツの男となにやら小声で会話を交わしている。
 ふと、その黒スーツの男が視線を上げた。そして史郎と更耶の姿を見止めると穏やかに微笑んだ。
「ご足労かけてすみません」
 鶴来那王だった。挨拶を口にしながら、軽く頭を下げる。それに史郎もぺこりと頭を下げて、微笑を返した。
「お久しぶりですね。先日は更耶がお世話になりました」
「いえ、こちらこそお世話になりました。またよろしくお願いします」
 にこにこと二人が挨拶を交わしている間に、更耶は車の周囲をくるっと一周して来た。そして鶴来の傍らに立っている七鞘を見る。
 見たところ、まだ二十歳前に見える。肩までまっすぐに伸びた黒髪と清楚な雰囲気のせいか、とてもスカイラインなどというスポーティーな車に乗るタイプには見えなかった。
 視線に気づいたのか、七鞘がぺこりと小さく頭を下げた。
「七鞘です。お手数おかけしますが、よろしくお願いします」
 その左手首には白い包帯が巻かれている。ぴくりと史郎が気づいたようにわずかに眉宇を動かしたが、それを察した鶴来が緩く頭を振った。
「ただの打撲だそうです。縁石に乗り上げた時にハンドルにぶつけてしまったらしくて」
「ああ……そうですか。他にお怪我は?」
「いえ、今のところはこの打撲だけです」
 控えめな声で七鞘が答え、短く吐息をついた。
 史郎はそんな七鞘の様子をじっと見ていたが、別に七鞘自体に何かが取り憑いている、ということはないらしい。更耶も、七鞘からは同様のことを感じ取っていた。
「ああ、里見さん。これが頼まれていたリストです」
 スーツの内ポケットから一枚の紙を取り出し、鶴来は史郎に差し出した。礼を述べながら史郎がそれを受け取り、ざっと目を通す。
 そこには十数名の男女の名前が書き綴られていた。
 あらかじめ、草間を通して鶴来にこの車に乗った人のリストを作成しておいてもらったのだ。名前の一覧だけでは何もわからないだろうが、一応、ないよりはマシだろうということで頼んでおいたのである。
「そこにあるのは全員彼女の友達で、彼女のことを心配した彼らが試しに乗ってくれたそうなんですが、いずれもハンドルを取られて縁石に乗り上げかけたり、対向車にぶつかりかけたりしたそうです」
 鶴来の説明を受け、史郎が口許に拳を当てて黙り込む。
 一人一人に会ってみるのも手かもしれないが、それではおそらく……。
 ちらりと更耶を見る。更耶は車をじっと眺めている。が、史郎の視線に気づいたのか首を傾げて史郎へ視線を移した。
「何だよ?」
「……きっと更耶、退屈するだろうし……」
「あ?」
「いや、独り言」
 追求されたらきっと「子ども扱いするな」と怒り出しそうなので、ごまかすように顔の前でひらりと手を振って、史郎は七鞘に問いかけた。
「前の持ち主の事って、わかりますか?」
「名前から、男性だということはわかるんですが」
「名前?」
「ええ。車検証が、まだ前持ち主の名前のままなんですよ」
 言いながら、七鞘がジーンズのポケットから鍵を出して助手席のドアを開ける。そして車内へと身を滑り込ませた。開けたドアから芳香剤の香りが漂い出す。香りはグリーンアップルのようだ。
「車検証って、そういうものなんですか?」
 史郎が鶴来に問いかけるが、鶴来も緩く首を傾げた。
「さあ……ちょっと判りかねますが。確かこの車は来年車検でしたね?」
 車から出てきた七鞘に問いかけると、七鞘が車検証を史郎に渡しながら頷いた。
「はい。車検が残っているから、ということでこれにしたので」
「車種とか気にしなかったんだ?」
 しゃがみこんで車の足回りを眺めながら更耶が顔を上げずに訊くと、七鞘はそれにもこくりと頷いた。
「はい。乗れれば何でもよかったんで」
「のわりに綺麗にしてるよなぁ。ホイールまでピカピカ」
「安い買い物ではありませんから。それに、買ってみたらそれなりに愛着も沸いてきたので」
「ここまで綺麗にしてもらってたら何にも文句つけることねえと思うんだけどなぁ。むしろ守ってやるかぁ、くらい思うよな、車的には」
 空から降り注ぐ光が反射して、車体は美しい天鵞絨のような色合いを見せている。ワックスも丁寧にかけられているようだ。
 車の後ろへ移動して、マフラーに拳を突っ込みながら更耶が顔を上げる。
「おー楽にグーが入っちまう。これってすげえ音出るんじゃねえの?」
「まあ、アクセル踏み込めばそれなりに。でも、普通に走っている分にはそれほどご近所迷惑な音ではないです」
「エンジンかけてみていいか?」
「ええ、どうぞ」
「サンキュ」
 七鞘から鍵を受け取り、運転席に滑り込む。中はきれいに片付けられていた。特に変な感じはない。バックミラーの端につけられた、細いワイヤーで吊られた見覚えのあるキャラクターのマスコットがゆらゆらとスウィングしている。
 キーを差し込んでくるりと回す。確かに、中にいる分にはさほどマフラーの音は感じない。エンジンをかけてみても、特に内部に何かが現れる、ということはなかった。
 低い重低音のようなマフラーの音を聞きながら、外で車検証を眺めていた史郎は目を細めた。
「この人に連絡は取れないんでしょうか?」
「この車を買ったところで連絡とってもらうように頼んでみたんですが、控えを取っていた連絡先にもうこの方はいないらしくて、連絡取れないそうなんです」
 七鞘が申し訳なさそうに答える。いえ、と短く史郎は言い、穏やかに微笑んだ。
 だが、胸には引っかかることがあった。
(ただ引っ越しただけなのか、それとも、車を売った後その元のオーナーの身に何かが起きたのか……)
 どちらにしても、元の主から情報が引き出すこともできなさそうだ。
 ならば。
「……いい天気だし、少しドライブでもしてきていいですか?」
 その言葉に、七鞘は少し戸惑うような表情をした。
「ええ、かまわないですが……でも何が起こるかわからないから危ないですよ?」
「まあ今のところ大事故は起きてないでしょう? 大丈夫ですよ」
 にこりと笑い、エンジンを切って降りてきた更耶のほうを見やる。話は聞こえていたらしく、更耶は答えるように手の中の鍵をちゃらりと鳴らした。そして鶴来の方へ持っていた紙袋を放り投げた。
「那王、アンタも乗ってけよな」
「え? ……あ、いや、しかし」
 キャッチした紙袋を腕で抱えながら鶴来が困ったような顔をした。それを見て、ニッと笑う。
「安心しろよ、運転は俺がするからさ」
「更耶が?」
 傍らから返された言葉に、ムッとして更耶が史郎へと視線を返した。
「なんだよ。別に事故っても、お前は俺が一緒だったら文句ねえだろ? 俺と心中だったら文句ねえだろ? よし決まり。史郎は助手席、那王は助手席よりちっとは安全な後ろな。アンタには膝枕の借りがあるからな」
 意見を差し挟む余地なくすっぱりと一人で決めると、更耶はさっさと運転席に乗り込むべく移動する。
 その背中を眺めてから、ちらりと、鶴来が史郎を見た。
「……彼の運転はそんなに危険なんですか」
「……いや、大丈夫……だと思いますよ」
「…………」
「……酔い止め、いります?」
 自分は確かに、更耶の言うとおり心中になったとしても文句はないが、なんとなく巻き込まれた感を否めない鶴来に、あまり慰めにもならない言葉を史郎は真剣な顔で発していた。

<にゃんこ、捕獲>
「じゃあ、鶴来さんは後ろに」
 言って、史郎は助手席のシートを前に倒して鶴来を中へ勧めた。紙袋を抱え、困った顔をしたまま鶴来がそれに従って車内へと身を滑り込ませた。
 それを運転席側に立って眺めていた更耶は、にやりと笑った。
「観念したらしいな」
「更耶。俺はかまわないけど、鶴来さんに怪我させたら困るからしっかり運転してくれよ?」
「わーってるって。お前とも、心中するにはまだ早いしな」
「たとえ事故を起こしたとしても、心中にはならないよ」
 穏やかに、ごく自然なことのように、史郎は目を伏せて微笑みながら言った。
「何があっても、更耶だけは死なせないから」
(たとえ自分が死んでも)
 そう思いはするが、口に出したら更耶が烈火の如く怒り出すのは判っていたから、ただにっこりと笑っておく。更耶はそれでもやはり何か感じるところがあったのか、わずかに目を眇めてみせたが、すぐさま頭をかいて空を見上げた。
「……ん。まあいいけどさ。俺もお前死なせるつもりねえし」
「だったらやっぱり心中にはならないな」
「だな」
 軽く笑いあう。
 そして車に乗ろうとしたときだった。
 ぽて、と車のボンネットの上にトラ模様のねこが一匹飛び乗った。そしてくるりとその場で自分の尻尾を追いかけるかのように回り、ぴょんと軽く飛び跳ね、更耶に向けてひょいひょいと招き猫のように手を動かす。
 それを見て、更耶が「あ」と短く声を漏らした。
「ねこ発見っ。っつか、なんか変なことやって……あー、なんだお前、虎助じゃねえか」
「え? 桐谷くん? ……あ、本当だ」
 史郎もそのねこの姿を確認する。赤い首輪に金の鈴。トラ毛の小柄なねこだ。
 ひょいとボンネットの上で踊るねこの首根っこを捕まえて捕獲すると、更耶はそのねこが動いたあたりをじっと見つめた。猫のあしあとがついてはいるが、どうやら傷はついていないようだ。空いている手でその足跡を撫でて消す。
「ったく、車の上に乗るなっての。あーごめん、傷はついてねえから」
 車から少し離れた場所に立っていた七鞘の方へねこを見せて笑う。ぶらんと揺れる、首根っこを捕らえられたせいで動きを封じられているそのねこの姿に、七鞘が小さく微笑んだ。
「いいんです、今更傷の一つや二つくらいは。私、ねこ好きだし」
「そっか。んー……こいつも乗っけてやってもいいかなぁ?」
「ええ、いいですよ」
「ん。じゃ、ちょっと行ってくらぁ」
 更耶はひらりと七鞘に手を振って運転席に乗り込んだ。

<お着替えタイム>
「ほら、お前は後ろな」
 ぽい、と後部座席にいる鶴来の方へねこ――桐谷虎助を放り投げると、史郎が鶴来の膝の上にちょこんと乗っかった虎助に助手席から顔を向けてひらひらと手を振った。
「こんにちは、桐谷くん。いい天気だね」
「にゃん」
「あー、那王、そいつちょっと特異体質だけどあんまり気にすんなよな」
 シートベルトを締めながら更耶が言う。その適当な説明に、史郎が苦笑した。
「更耶、それだと鶴来さんが驚くと思うんだけど」
「いや、そいつのことだから正体くらい気づいてんじゃねえの? 『視る力』は異常に強いみてえだし」
 バックミラーの角度を調節して、その端に映った鶴来を見る。鶴来はねこを見下ろして少し首を傾げた。
「……猫又……ですか」
「ご名答。っつーわけで虎助、いいぞ」
 更耶の言葉にぴくりと耳を動かして、虎助がにゃんと一つ鳴く。と、そのねこのフォルムがふわりとブレて、徐々に緩やかに大きくなっていく。動物から人への進化を、時間を早送りにして見ているかのような感じだ。毛に覆われていた背中がするりとした肌へと変わり、肩先まで伸びた金色の髪の襟足を一つに束ねた高校生くらいの少年の姿に転じる。
「……っと、変身完了ッと」
 ぷるぷると頭を振ると、虎助は間近にいた鶴来に顔を向けた。
「っつーわけで、桐谷虎助だ。那王さん、だったよな。よろしくな」
「……ええ、よろしくお願いします。……というか、あの、そのままではちょっと……」
「ああ、今日は桐谷のデカ息子の服、盗って来てないからなぁ……。別に裸んぼでも俺はいいんだけど?」
「いや、それはちょっと……」
 いきなり膝の上にすっ裸で現れた少年に困惑しながら、鶴来が自分のスーツの上着を脱ごうとしたが、それを更耶が振り返って手で止める仕草をした。
「よし虎助、お前に服プレゼントしてやっからな」
「なんだ更耶、桐谷くんのために服用意してたんだ?」
 史郎が、更耶が持っていたあの紙袋の正体を悟って微笑む。
 が。
 更耶はチチチと、人差し指を顔の前で左右に振った。
「違う違う。俺がそんなに準備いいわけねえだろ」
「……じゃあ、あの紙袋は一体」
 怪訝そうに言う史郎に軽く笑うと、更耶はまた後部座席に顔を向ける。鶴来の膝の上から降りた虎助に、鶴来の脇にある紙袋を指差した。
「ホントは那王に着せようと思って持ってきたんだけどなー、ピンクハウス。しょうがねえからそれ着とけ」
「……ピンクハウス?」
 その単語に、鶴来がぴくりと目を上げた。隣で虎助が紙袋から服を引っ張り出している。そしてそれを見て。
「げ。なんだこのビラビラ」
 出てきたのは赤いワンピースと白いブラウス、白いスカートだった。ワンピースの方は可愛らしいくまの総柄に、袖や襟、裾などにギンガムチェックがあしらわれている。
 むろん、ピンクハウスなだけあってフリルびらびら、スカートはボリュームがあり、びらびらだ。ブラウスもフリルびらびらリボンびらびらである。
「え〜。これ着るのかよ〜。やっぱ裸んぼでいい」
 ぽい、と服を全部丸めて鶴来の方へ放り投げると、虎助は裸のままシートに背を預ける。鶴来は膝の上に広がった服のレース部分を指先で持ち上げて、彼にしては珍しく思い切り嫌そうな顔をした。
「……なぜ俺にこんなものを着せようと……」
「そんなの面白いから決まってんじゃん。こら虎助、ちゃんと着とけよそれ」
「更耶、なんだか楽しそうだったのはそういう企みがあったからか」
 キーを回してエンジンをかけながらあっけらかんと答える更耶に、史郎が苦笑する。そして肩越しに後部座席を振り返り、虎助に微笑んだ。
「桐谷くん、あとで猫缶好きなだけあげるから服着てくれないかな。グルメなねこの贅沢メニューだよ?」
 テレビCMのキャッチコピーを言いながらにこにこと微笑む史郎に、虎助がぴくんと目を上げた。
 猫缶。
 その甘美な響きに、虎助は鶴来の膝の上にあった赤いワンピースを引っ張っていそいそと袖を通した。
 あっけなく懐柔成功である。
 ピンクハウスのワンピースを装着し終えた虎助が、そのびらびらスカートを少し持ち上げて首を傾げる。
「でもこれって雌が着るヤツだよな。なんで兄ちゃんは那王さんに着せようと思ったんだ?」
「だから、面白いからだっつってんだろ」
「……へんなの」
 呟くと、虎助は行儀悪く片足をシートに乗せて両腕を頭の後ろで組んだ。そして、ちらりと隣にいる鶴来を見る。
 その手元に残っている白いブラウスとスカート。
「那王さんも着るか? 俺、手伝ってやるけど?」
 ぎょっと、鶴来が虎助を見た。そして慌てて丸められたブラウスとスカートを手早くたたみなおして紙袋に収納する。
「い、いえ、俺は結構です」
 紙袋を腕に抱え込んで頬を引きつらせてなんとか微笑みを作る鶴来を、史郎が「面白いものを見た」とでもいうような顔でしばし眺めていたが、ややして体を正面に戻した。
「さて。一体どこへ走らせるんだ? いい天気だし、どうせなら楽しんで行きたいね」
 持ってきた黒いデイバッグの中から地図を取り出し、この辺りのページを広げる。
「何か起きたときのために、なるべく人がいなさそうなところがいいかな」
「だな」
 言って、史郎と二人で適当にコースを決めると、更耶はブレーキを踏みながらサイドブレーキを下ろし、シフトをパーキングからドライブへ入れた。
 ようやく出発、である。

<ドライブ>
 とくに何事もなく、車は陽光の元、のどかな川沿いを順調に走っていた。
「Rだったらもうちっと面白かったかもなぁ」
 窓を開け放ったその枠に右腕を乗せて頬杖をつきながら、左手だけでハンドルを持ち、更耶が呟いた。それにひょこっと助手席と運転席の間に後部座席から顔を覗かせて虎助が首を傾げた。
「Rって?」
「ん? ああ、車のグレードのこと。これがGTS−tタイプMだから、うーん…まあ言えば、これの一個上ってとこかな」
「でもRだとミッションだからそんなふうにのんびりは運転できないんじゃないか?」
 少し車の様子をうかがっていた史郎が、抱えているデイバッグの中に視線を落としながら言った。それに更耶は肩をすくめる。
「ま、確かに楽っちゃ楽だけどさ」
 思わずあくびが漏れそうになるくらいに楽ではある。
 運転は、思ったよりも丁寧なほうだった。酔い止めも必要ないその安全な運転は、ぽかぽか陽気のせいもあり思わず眠気を誘われる。
「ところでさ」
 あくびをかみ殺して、ちらりと更耶はバックミラーを見やった。さっきから黙り込んでぼんやり斜め前に視線を固定して開いた窓の外を見ている鶴来が鏡の中に映る。
「なあ、那王」
 呼びかけられて、ふと視線が鏡越しに返される。
「はい?」
「俺前から訊きたかったんだけど、アンタ、依頼人を名前で選んでたりすんのか?」
「え?」
「アンタの依頼主って、なんか『七』がつく名前の人多くねえ? っていうかほとんどそんな感じだろ? だから何かあんのかなーと思ってさ」
「……ああ……偶然です、と言っても信じてもらえないでしょうね」
「まあ、信じろってほうが無理があるよな」
「…………」
 史郎はバッグから「コアラのマーチ」なるお菓子を取り出して虎助に封を開けて手渡してやりながら、口許に手を当てて黙り込む鶴来の様をちらりと見た。
 どう見ても、答えたくないと思っているようにしか見えない。かと言って何か適当な言い逃れを考えているようでもなかった。
 ふと吐息をついて、史郎は虎助に渡したお菓子の袋の中から一つ取り、更耶の前に差し出した。
「はい更耶、いちご味だよ。あーんして」
「あーんって……お前目の前にいきなり食いモン出すなよ。運転ヘマしてもしらねえぞ?」
「なんだ、食べないんならいいんだけど」
「いや、食うけどさ」
 差し出されたお菓子に食いつく。後部座席では虎助がぽいぽいと頭上にお菓子を三つ放り投げて、一気にぱくぱくと食いついていた。まるでアシカのショーのようである。それにパチパチと拍手を送っておいて、史郎は虎助に笑いかけた。
「ほら桐谷くん、鶴来さんにもおすそ分けしてあげて」
「ん? ああ、はい那王さん、あーん」
 さっき史郎が更耶にやってやったことをそのまま真似する虎助に、がくりと更耶が首を横に倒す。
「おい史郎、虎助に変なこと教えるなよ」
「別に、俺が教えたわけじゃないって」
「ほら那王さん、あーんって口開けろってー」
「ああいや、俺は結構ですから、気にせず食べてください」
「ちぇっ。つまんねえなあ。しょうがない、シロちゃんあーん」
「はい、あーん」
「……お前ら、仲いいよなぁ」
 答えて口を開けた史郎をちらりと横目で見て、更耶が笑う。それに虎助がにんまりと笑う。
「ははぁん、兄ちゃんヤキモチ焼いてんの?」
「誰が誰にだよ」
「兄ちゃんがシロちゃんに」
「へっ。こいつの八方美人にいちいちヤキモチなんか焼いてられっか」
 その言葉に、史郎がちらりと横目で更耶を見る。
「八方美人というのは褒め言葉だと思っていいんだな?」
「面の皮厚い、のほうがよかったか?」
「兄ちゃん兄ちゃん、シロちゃん怒ったら怖いぜ?」
「まあ、あながち間違いでもないからね」
 にしても、と史郎は苦笑しながら目を上げた。
「何も起きないな」
 走り出してから小一時間が過ぎようとしているが、まったく車に異変は起きない。更耶も、んー、と短く唸った。
「眩暈もこねえしな。ハンドルも別におかしくねえし」
 虎助もきょろきょろと車内を見渡したが、何も感じられなかった。「雌」の服を着ていたら、予想通り「雌」と間違えた何かが異変を引き起こすかもしれないと思ったのだが……そうは上手くはいかないらしい。
「こりゃ何もおこらねえかな?」
 虎助がびらびらのスカートの端っこを持ち上げながら呟いた。

<到着。そして恐怖の大魔王降臨>
 結局、何も起こらないまま車は七鞘のマンション前に戻ってきた。
「はー。まあドライブできたからよしってとこか?」
「依頼の解決にはなっていないけど、まあ今回は仕方ないかな」
 肩をすくめて史郎がシートベルトを外し、後部座席を振り返った。
「桐谷くん、ねこの姿に戻らないと七鞘さんがびっくりするから」
「あ、そっか。服も兄ちゃんに返さなきゃだしなっ」
 言うと、虎助は鶴来を見てニッと笑った。
「それじゃまたな」
「はい、お疲れ様でした」
「兄ちゃんとシロちゃんも、お疲れさんっ」
「おう、お疲れ」
「お疲れ様」
 人の姿のうちに挨拶をすませると、その体はするする、と人の姿になったときの逆回しのように小さくなっていく。そしてするっとワンピースの中にもぐりこんでしまった。
「……うにゃ」
 服の中から現れたのは、トラ毛のねこ。ぴょんと飛んで史郎の膝の上に移動する。それを見、にっこりと更耶がその秀麗な顔に人の悪そうな笑みを浮かべた。
「さて。それじゃあ那王。次はアンタの番だな」
「……は?」
 広がったままのびらびらワンピースをたたもうとしたその手がぴたりと止まる。そして視線をちらりと上げて更耶を見やった。
「な、何を言ってるんですか更耶さん?」
「ふふふふ、わざわざここまでそれを持ってきた俺の苦労を無にするつもりか?」
「ちょっと待ってください、苦労も何も」
「おとなしく」
 シートベルトを外して、更耶が後部座席に身を乗り出した。そしてガッと鶴来のネクタイを掴み上げた。
「観念しやがれ!! おらっ、史郎、お前も手伝えっつの!」
「やれやれ、仕方ないなぁ。ほら、更耶どいて」
 更耶の肩を引き戻して、史郎が素早く後部シートの端に身を寄せて逃れつつ、締め上げられたネクタイのせいで息が詰まって小さく咳き込む鶴来に、にっこりと微笑んだ。
「すみませんね、なにぶんワガママな育て方をしてしまったもので」
「……困るんですが。女装の趣味など俺にはありませんし」
「ええ、それはわかります。ですがこの際あなたの嗜好は俺には関係ないので」
「さ、里見さん?」
「大丈夫、更耶よりは手際よく着替えさせられると思いますよ」
「いや、待ってください、大丈夫も何も」
「先ごろ更耶がお世話になった方に対してこんなことをするのは、俺としても大変心苦しいのですが」
「…………」
 史郎の笑顔に真剣に頬をわずかに引きつらせて恐怖を覚えているらしい鶴来の様を、空いた助手席から見ていた虎助が、ふにゃ、と小さく鳴いた。
「ご愁傷様」という、彼なりの哀れみを込めた声だったのかもしれない。

<名前の謎>
 纏わされたピンクハウスを慌てて脱いでスーツに着替え、無言のまま車から飛び出して行った鶴来の背を見て、
「怒ったかなー?」
 と思いはしたものの、やはり面白いものを笑わないのは嘘だろう、ということで大爆笑をかました更耶は、満足げに車にもたれていた。
 今は、先に車から降りた史郎が、鶴来と話をしている。にこにこと笑う史郎を、何か怖いものでも見るような目で見ている鶴来の様がまた面白い。
 その史郎が鶴来から離れて七鞘の方へ移動するのを見、そばに置いていた紙袋を持って駆け足で更耶は鶴来の方へと駆け寄った。
「どした? なんかえらい疲れてるみてえだな」
 なんだかぐったりした様子の鶴来に、更耶が明るく邪気のない声をかける。ため息をつきながら鶴来が視線を更耶に向けた。
「どうしたじゃないでしょう……」
「あー、そんなに史郎が怖かったのか?」
「……というか、諸悪の根源はあなたのような気がするんですが」
「まあ細かいことは気にすんな」
 それより、と更耶は笑みを消して声を落とした。
「なんでアンタの依頼人は『七』がついたヤツが多いのかって質問の答え、まだ聞いてねえんだけど」
 あの場は史郎がお菓子攻撃を仕掛けてきたため流れてしまったが、更耶は忘れたわけではなかったのである。
 ふと、苦笑を浮かべていた鶴来が、その笑みを困ったような表情へと移した。そして視線を落として少し歪んだネクタイを手で直す。
「言ったでしょう。偶然です、と」
「俺が知ってるだけでも三件。気になったから草間に聞いてみたら、他にも一件あったんだって? 合計四件か」
 目を眇めて視線を伏せたままの鶴来を見据える。
「一体どういう偶然だ?」
「…………」
 短く、鶴来が吐息を漏らした。そしてゆっくりと視線を持ち上げる。
 それは、ひどく酷薄な眼差しだった。
「もし、俺が何かを成すために依頼人の名を選んでいる、としたら?」
「……なに?」
「どうする?」
 すっと左手を持ち上げ、鶴来が更耶の喉元に指を突きつけた。
 ぞわりと、更耶の背筋に悪寒のような感覚が駆け上がる。
「俺はお前たちを、金を払って利用しているだけかもしれない。いつか俺は、お前たちを殺そうとするかもしれない。そしたらどうする?」
 思わず、無意識に史郎を呼びそうになった。だが、すっと鶴来が目を細め、無言の威圧をかける。声が喉で凍る。
「……一人では答えを出すこともできないのか、お前は」
 嘲られたと思った。きつく奥歯を噛み締め、顎を引いて鶴来を睨みつける。
 が。
 次の瞬間、鶴来は手を下ろして顔を伏せた。そして肩を小さく震わせる。
 それを見て、更耶がきょとんとした。
「……な……?」
「冗談です。本気で怒らないでください」
 小さく笑いながら、鶴来が顔を上げた。いつもと同じ優美な笑みを浮かべていた。
「ひどい屈辱を受けたから、少し仕返しをしたくなっただけです」
「……って、アンタなぁ……」
 がくりと肩の力が抜ける。取り繕うように前髪を手でかき上げ、くしゃくしゃとかき混ぜた。そしてじろりと上目遣いに鶴来をにらみつける。が、その目の前にすっと左手が出された。とん、と眉間にその指先が当たる。
「な……」
「俺が依頼人を選んでいるわけではないんです」
「どういうことだ?」
 眉宇をひそめて問いを重ねる更耶。すっと手を下ろし、鶴来は自分の左の二の腕を右手で掴んだ。そして苦笑をもらした。
「『七』の名を持つ依頼人の元に、なぜか俺が足を運んでしまうように出来ているようです」
「……よく、わかんねえんだけど」
 怪訝な表情で更耶が呟く。それに、鶴来は緩く頭を振った。
「三年坂の依頼以降、何かに呼ばれるんです。呼び声の方へ行くと、必ずそこに『七』の名を持つ、霊的な何かと関わっている者がいる」
「……つまり?」
「俺にもどうして『七』の名を持つものが依頼主になるのか、よくわからない、ということです」
 導き出された答えに、更耶は思い切り手に持っていた紙袋を鶴来の顔面めがけて投げつけた。
「よくわからない」という答えを聞くためにビビらされたのだと思ったら、なんだか無性に腹が立ったのである。
 しかも、つい先刻目の前で発された殺気は嘘でもなんでもないもののように思えた。
(人騙すために普通そこまでやるかっ?)
「ったく。アンタにそれくれてやるから、それ着てさっさとお祓いにでも行って来いっ!!」
 びしりと指差して言い放つと、更耶はふんっと鼻を鳴らして踵を返した。その背に、顔面直撃を食らった鶴来が片手で顔を押さえ、片手に紙袋を抱えて苦笑しながら頭を下げた。
「お疲れ様でした」

<終>
 依頼をきちんとした形で終わらせることができなかったことを、丁寧に七鞘に謝罪を述べると、七鞘はゆるりと頭を振った。そしてにこりと微笑んだ。
「皆さんがご無事でなによりです」
 その言葉と笑顔に、もう少ししっかり下調べすべきだったかもしれないと思いながら、帰宅の途につく史郎は吐息を漏らした。
 その隣から、更耶がトンとその肩を拳で軽く叩く。
「しゃーねえだろ。まあ、もとから何も起こらなかったらドライブでいいって那王に言われてたんだからさ」
「まあ、そうなんだけど。あー……更耶、本当にあんなことしてよかったのか?」
「あ? あー、俺はとりあえず満足だ」
 腹を押さえて小さく笑いながら、更耶は目尻に浮かぶ涙を拭った。
「ダメだ、思い出しただけで笑える」
「ひどいな、お前は」
「一番ひどいことしたのはお前だろ?」
 肩にのっけたねこ姿の虎助に「なぁ?」と同意を求める。それににゃんと短く答える虎助。その鳴き声の意味するところは「そのとおり」だろう。
 なんといっても、嫌がる鶴来に、あっさりとジャケットとシャツを奪い取ってピンクハウスを着せ込んだのは史郎である。スラックスだけは武士の情け(?)として剥ぐのはやめてやったのだが。
 思い出して、史郎は口許に拳を当てて苦笑した。
「鶴来さんに恨まれなければいいけど……もう遅いかな」
「マジでお前のこと怖がってたもんな、那王」
「そんな、人を鬼みたいに」
「お前は鬼より怖いって」
 なー? とまた虎助に同意を求める。むろん虎助は「にゃん」と答えただけだった。虎助にしたら、「シロちゃんは怖い」と同意したら猫缶お預けくらいそうだし、かといって否定するのは自分の意思に反するし、と少しだけ悩んだ挙句、どうせ猫語はわからないだろうと適当に答えておいただけなのだが、更耶はそれに小さく笑った。どうやら「同意」と取られたらしい。
「だよな、やっぱ怖いよなコイツは」
「ひどいな。俺はお前がそう望むから、してやっただけなのに」
 その言葉に、更耶が虎助の喉元を撫でながら首を傾げた。
「お前、俺のこと甘やかしすぎだって思わねえ?」
「いいんだよ、お前のことだけは甘やかしても」
 言って、史郎は更耶の肩にいる虎助を抱き取った。ふにゃ? と史郎を見上げる丸い瞳を隠すように、そっとその上に手を乗せて。
「お前以外に、甘やかす人なんかいないんだから」
「史……」
 紡ぎかけた言葉は、一瞬だけ封じられて。
 驚いたように更耶は目を見開いた。そして後ろによろけるようにして史郎から離れると、慌てて周囲を見渡した。
 その様に、史郎が目を伏せて笑った。そっと虎助の目の前から手を取り払い、目を瞬かせる虎助に微笑みかける。
「誰も見てないよ」
「だ……だからっ、誰も見てなくてもっ」
「お前が恥ずかしいんだろう? わかってるよ」
 さらりと言うと、史郎は口許を押さえて立ち尽くしている更耶に笑いかけた。
「さ、桐谷くんの猫缶、買いに行こうか」
 どこまでも広がる青い空の下。
 先に立って歩き出す史郎の背を眺めて、更耶はぼそりと呟いた。
「やっぱりお前は鬼より怖いって」
 武器もなく、一撃でこの心臓を止めることができるのは、きっと史郎だけだ。早い鼓動を刻む胸を押さえ、そんなことを思う。
「……まあ、お前に殺されるんならそれもアリかな」
 呟きはそのまま、流れてきた緑の匂いを含んだ風にさらわれていく。史郎の肩の上によじ登った虎助が、ひょいひょいと手を振って更耶を呼ぶ。
 若いヤツラのやることは見てらんねえな、などと思いつつ。
 ふぁ、ともらされる虎助の平和なあくびに、更耶は、いつになく幸せそうな笑みをこぼして史郎の背を追った。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0104/桐谷・虎助(きりたに・こすけ) /男/152/桐谷さん家のペット】
【0202/里見・史郎(さとみ・しろう)  /男/21/大学生】
【0226/斎司・更耶(ときつかさ・さらや)/男/20/大学生】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?

 斎司更耶さん。再びお会いすることができてとてもうれしいです。4度目の参加、どうもありがとうございます。
 さて。プレイングを見た瞬間に、私がのけぞったのはもはや言うまでもないでしょう――…ピンクハウス(笑)。
 何ゆえ鶴来にピンクハウスかと、本気でしばらく笑いが止まりませんでした(笑)。作中、着た鶴来が一体どんなふうだったかは、あえて描写しておりません。ご想像にお任せいたします(書くのが怖かったんです/笑)。
 ラストの里見さんとのやり取りは、随分前より少し進展した形になっております。お、お気に召しませんでしたら申し訳ありません。
 そして『七』についての問いかけも、ありがとうございました。今回詳細には触れていませんが、いつか、その謎が解ける日がくるかもしれません。

 よろしければ、お手隙の時にでもこの作品についての感想などいただけるととても嬉しいです。
 それでは、また会えることを祈りつつ。
 今回はシナリオお買い上げ、本当にありがとうございました。