コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


狂走詩

<序>
 本日の仕事も滞りなく終え、草間武彦は椅子から腰を浮かせた。
 窓の外はもう闇に包まれている。とはいえ、下の道を通る車のサーチライトや向かいのビルの明かりなどがあるために完全な漆黒とは言えない。
 時計の針は午前一時過ぎを差していた。
 今日も一日よく働いた、という充足感を抱き、椅子の背もたれに引っ掛けていた上着を手にデスクから離れようとしたその時。
 デスクの上の電話が耳障りな呼び出し音を立てた。
 草間の片眉が下がる。
「誰だよこんな時間に」
 ちらりともう一度時計に目をやる。仕事の依頼か? と思うとなんだか取るのが億劫になった。
 用事があるなら明日にでもまた電話してくるだろう。
 そう思い、コール音に背を向けた。
 が、呼び出しが止む気配はない。
「……ああもうっ」
 苛立たしげに髪を荒々しくかき回すと、やむなく受話器を手に取った。
「もしもしっ? 草間興信……」
 言いかけた言葉は途切れ、その眼鏡の奥の双眸が見開かれる。受話器の向こうから、涼やかな男の声が耳に流れてきた。
「お前……鶴来、か?」
『電話、無視する気かと思った』
「あ、いや。っていうかお前、何だよこんな時間に。しかもこないだっから一度もこっちに顔見せないで変な事件ばっか送り込んできやがって」
 旧知の者のその声が、受話器の向こうで小さく震えた。笑っているらしい。
『悪いが……また厄介ごとを持ち込ませてもらいたい』
「また?」
『大した依頼じゃないんだ、何も起こらなければそれはそれでかまわないから。頼まれてくれないだろうか?』
 変に下手に出ている相手に、草間が受話器を肩で挟みながら煙草を取り出して火をつける。そして苦く笑った。
「あんまりお前からの依頼は請けたくないな」
『…………』
「なんてな。あんまり仕事選り好みしてられるほどに左団扇ってわけでもないからな。仕事内容にもよる、聞かせてみろ」
 話は、以下のようなものだった。
 とある女が中古の車を買ったのだが、その車、妙に事故などを起こしやすいというのだ。
 前バンパーをいつのまにか擦られていたり、いつの間にか側面にへこみができていたり。何かにハンドルを取られて縁石に乗り上げてタイヤをバーストさせたり、運転していると眩暈がしたり目の前が真っ暗になったり。
『それで、何か憑いているのではないかと心配しているんだ』
「ただ単に運転が下手だということじゃないのか?」
『いや、他の車だと彼女の運転はさほど危ないものじゃない。が、その車に限り』
「おかしくなるのか」
 デスクに腰半分を乗せて灰皿に長くなった煙草の灰を落とす。
「だがお前、そういうの『視る』力に長けていなかったか? 視た限り、どうなんだ」
『何も視えなかった』
 答えて、電話の相手――鶴来那王(つるぎ・なお)は吐息を漏らしたようだった。
『何か条件がそろえば視えるのかもしれないが、ただ停めてある車をざっと視ても何も妙な感じはしなかった』
「つまり、その『条件』とやらを探してほしい、と?」
『彼女は今、怖がって車を運転できない状態だ。が、彼女以外の者が車に乗っても同じことが起こる。だが、起こらない者もいる。起こらない場合も、ある。いまいち判然としないんだ』
「だったらお前が乗っていろいろ試してみればいいだろう?」
 その草間の言葉に、鶴来はわずかに沈黙した。そして。
『……いや、多分俺が運転すると、別の意味で危ないと思う』
「何だ? お前、車の運転できないのか?」
『いや、できないわけじゃない。が、……極力しないほうが身のためだと思っている』
 とつとつと答える鶴来の声に、草間は笑い出したい衝動を何とか押さえて、デスクの上のメモ帳とボールペンを手にした。
「で? その車種とかは」
『今の持ち主は七鞘深月(ななつさや・みつき)。車はスカイライン、GTS−TタイプM。平成2年式の2ドアタイプ。色はワインレッド、AT車だ。あとは……少し車高を下げてあったり、マフラーが改造ものだったり。元々の持ち主が男だったようだ』
「MT車じゃないんだな? ……スポーツタイプなら多くて4人は乗れるな」
 確認すると、草間は一応いろんな可能性を試すために様々な知人の顔を思い浮かべた。女、男、大人、子供、独り者、恋人つき……。
『何もなければそのままドライブでも楽しんでもらえばいい。ちょうどいい季節だろう?』
 何もなければ。
 その言葉に小さく笑うと、草間は電話越しの相手に承諾の意を返した。

<にゃんこ、旅をする>
 ガタガタと揺れる、ビールケースを積んだトラックの荷台の上。
 少し空いたスペースで、のんびりとひなたぼっこしながら寝そべっているトラ模様のねこが一匹、いた。
 ぽかぽかと、暖かく優しい日差しが降りてくる。周囲を走るたくさんの車が吐き出す排気ガスのせいで、流れる風は少し嫌なにおいを含んでいるが、まあそれはこのお日様の光の心地よさに免じて見逃してやることにする。赤い首輪についている金色の鈴がきらりと光った。
 ふぁぁぁ、と大きなあくびをひとつ。
 ねこがまぶしそうに目を開く。ピンと伸びたひげが風に揺れた。
 ゆるやかにトラックが減速する。ぴくりと耳を動かしてねこは体を起こすと、ひょいとその身も軽くビールケースの上を飛び跳ねて移動する。そしてトラックの端まで移動すると、体を伸ばしてみを乗り出し、トラックの進行方向を見やる。
 先にある信号は、赤。その横についている地名を読み取る。
(……次の信号だな)
 頭の中にしっかり叩き込んである地図と照らし合わせて、ふにゃ、と小さく鳴く。
 と、その声が聞こえたのか、それともバックミラーに姿が映り込んでしまったのか、運転席にいたオヤジが開けていた窓から顔を出してねこのほうを見た。
「おい、いつのまにそんなとこに乗っちまったんだお前っ」
 それに、愛らしく「にゃあ」と鳴いておく。それと同時に信号が青に変わった。オヤジはやれやれという顔をすると、ねこへビシリと指を差した。
「いいかお前、落っこちるんじゃねえぞ!? しっかりしがみついてろよ!」
「にゃん」
 鳴き声を返事と取ったのか、オヤジの顔が窓の中に引っ込む。ねこも荷台の真ん中の方へ移動し、ちょこんとそこに腰を下ろして自分の前足を見下ろした。
(落ちるわけねーだろ。そんなドジじゃねえんだからな、俺は)
 思いながら、その前足で顔を洗う。
 その様は、どこからどう見てもねこ。
 だが彼は、そんじょそこらのねことは年季の入り方が違っていた。
 いわゆる、妖怪猫又というやつである。かわいいだけのそこいらのねことは一味違うのだ。
 なんせ、人の姿になることもできるのだから。
 今はねこの姿のまま、頭の中に叩き込んだ地図上にある目的地にたどり着くために、そのあたりへ行きそうなトラックの荷台に乗り込んで、交通費無料で移動中なのである。
 そしてそんな彼の今日の目的地は、変な車のあるところ、だった。

<にゃんこ、考える>
 こわもてながらも気のよさそうなビール配達のオヤジのトラックから、信号待ちの間にひらりと飛び降りると、ねこ――桐谷さんちの虎助くんは、ひとつ大きく伸びをした。
(さて、次はそこの角を曲がってー……)
 ねこならではの小さな体を駆使し、人が通れそうもない通路へ入り込む。太陽の明かりが入ってこない小道はすこしかび臭さがある。
(やっぱりお日様があるところがいいなぁ、歩くなら)
 思いながらてくてくと先に進む。茎の細いたんぽぽがアスファルトとコンクリートの隙間から伸びている。その横を通り過ぎ、ごみ入りのコンビニ袋をひょいと軽く飛び越え、細い通路を抜ける。
 出たのは、見知らぬ住宅街。転がった空き缶を足先でつつき、にゃんと小さく鳴く。
(昔はこんなにゴミとか転がってなかったのになぁ)
 思うと、ちょっと切なくなる。でも、時代が流れたことで「猫缶」という美味しい食べ物に出会うことができたのもまた事実なわけで。
 ふう、と小さくため息をつくと、虎助はまた歩き出す。
 と、通りかかった自転車に轢かれそうになってあわてて道の横へ飛びのいた。
「危ねえんだよ、このクソ猫が!」
 自転車に乗っていた人間が、そう大声で怒鳴って通り過ぎて行った。それを見やり、虎助はフーと短く唸る。
 いつだって人間は、自分が一番だと思っていやがる。
 もちろん、そんな人間ばかりじゃない。いい人がいるということも、自分はよく知っているのだが。
(ああいうヤツ見ると、お前もねこになってねこの目線で世界見てみやがれ、とか言いたくなるよなぁ)
 そうすれば、少しは自分の愚行の程が見えてくるはずだ。
 やれやれとため息をつき、またとぼとぼと歩き出す。
 まあとりあえず、今は早くその「変な車」があるところへ行かなければ。バカな人間にいちいち構っている暇はないのである。
 その車。持ち主の「雌」を危険な目にあわせているというのだ。
(うーん……もしかしたら、その車も雌なのかもしれねえなぁ)
 人間というのは、とかく物に名前をつけたがったりするやつがいたりする。
 もしかしたら、その車の元の持ち主という奴が「恋人」の名前でもつけていたのかもしれない。
(で、そのコイビト以外の雌が乗ったら怒るって寸法とか?)
 ありえない話ではないと思う。その前の持ち主の思いが濃く焼きついていたら、ありえることかもしれない。
 歩きながら考えていた虎助は、頭の中の地図を再び引っ張り出して現在位置と照らし合わせる。そしてひょいと軽くジャンプして、近くの家の塀に飛び乗った。
 ふと、空を見上げる。
 青い空に、ぽっかりと浮かぶきらきらお日様。
「にゃあ」
 思わず「いい天気」と声に出して鳴いてしまう。
 こんなぽかぽかとした、あったかくてお日様が優しい日は、どこか広い原っぱの上で、飛んでいる蝶々を意味もなく追いかけたり、ごろりと寝転がったりしているのもいいものだ。
 すくすくと伸び盛りの雑草たちは、この小さなねこの姿をあっさりと緑の壁の中に隠してしまう。その中から空を見上げると、真っ青な空と、光り輝く太陽だけがある。
 それは、人の姿の時にビルの間から見上げた空と、同じような見え方だった。
(人もねこも、見える空は同じなのに)
 誰が見ても、空の大きさは同じなのに。
 人間というのは、いまいちよくわからない生き物である。何ゆえに自分が生き物の中で一番だなどと思うのだろうか。
 さて、とぼんやりしていた意識を取り戻して、空から視線を下ろし、たたた、と軽い足取りで塀の上を駆ける。
 もう少しで目的地に着くはずだ。変な車があるところに。
(そうだな。雌が車に乗る時に一緒に乗っけてもらうことにしよっと。雌と一緒にいたほうが「何かが起こる」かもしれないしなっ)
 もし最大四人以上になりそうなら、自分はねこの姿のままで乗車すればいい。それなら定員オーバーにはならないだろう。
 思いながら、ひらりと塀から飛び降りる。そして左右をきょろきょろと確認した。確かもうそろそろ目的地に到着のはずだ。月極駐車場、倉庫、潰れた居酒屋……。覚えた目印を一つ一つ確認する。
 間違いない。このあたりだ。
 と、そのくるりとした瞳に、赤い車が映った。そして、そのそばにいる四つの人間の姿。
(あれぇ?)
 その四人のうちの二人に、虎助は見覚えがあった。
(あれ、兄ちゃんとシロちゃんじゃん。なんだ、二人も来てたのか)
 兄ちゃん、というのは斎司更耶で、シロちゃん、というのは里見史郎のことである。とすると、そのそばにいる「雌」が七鞘深月という今回の依頼主で、黒スーツを着ている者が鶴来那王という人だろうか。
 ふむ、と少し虎助は考えた。
 雌が乗る車に乗車しようと思っていたが。
(やっぱ知り合いの気安さってものもあるし、兄ちゃんとシロちゃんに一緒に乗っけてもらおっと)
 どうやら、ちょうど今から出発しようかというところらしく、更耶、史郎、鶴来が動き出す。すぐさま虎助は全力で車に向かって駆けた。
(うーん、どうやって俺だって気づいてもらおっかな)
 走りながら考える。そして、ふと、思いつく。
 二人は自分の正体も知っている。
(だったら那王さんとやらに説明もしてもらえばなーんも面倒くさいことないしなっ)
 問題は、発車させる前にどうやれば自分がここにいるということに気づいてもらえるか、だ。
 うむ。
(ここはひとつ、自己主張というヤツが大事だな。それならっ)
 とてててて、と車に駆け寄り、虎助はひょいとその車のボンネットを見上げた。

<にゃんこ、捕獲>
「じゃあ、鶴来さんは後ろに」
 言って、史郎は助手席のシートを前に倒して鶴来を中へ勧めた。紙袋を抱え、困った顔をしたまま鶴来がそれに従って車内へと身を滑り込ませた。
 それを運転席側に立って眺めていた更耶は、にやりと笑った。
「観念したらしいな」
「更耶。俺はかまわないけど、鶴来さんに怪我させたら困るからしっかり運転してくれよ?」
「わーってるって。お前とも、心中するにはまだ早いしな」
「たとえ事故を起こしたとしても、心中にはならないよ」
 穏やかに、ごく自然なことのように、史郎は目を伏せて微笑みながら言った。
「何があっても、更耶だけは死なせないから」
(たとえ自分が死んでも)
 そう思いはするが、口に出したら更耶が烈火の如く怒り出すのは判っていたから、ただにっこりと笑っておく。更耶はそれでもやはり何か感じるところがあったのか、わずかに目を眇めてみせたが、すぐさま頭をかいて空を見上げた。
「……ん。まあいいけどさ。俺もお前死なせるつもりねえし」
「だったらやっぱり心中にはならないな」
「だな」
 軽く笑いあう。
 そして車に乗ろうとしたときだった。
 ぽて、と車のボンネットの上にトラ模様のねこが一匹飛び乗った。そしてくるりとその場で自分の尻尾を追いかけるかのように回り、ぴょんと軽く飛び跳ね、更耶に向けてひょいひょいと招き猫のように手を動かす。
 それを見て、更耶が「あ」と短く声を漏らした。
「ねこ発見っ。っつか、なんか変なことやって……あー、なんだお前、虎助じゃねえか」
「え? 桐谷くん? ……あ、本当だ」
 史郎もそのねこの姿を確認する。赤い首輪に金の鈴。トラ毛の小柄なねこだ。
 ひょいとボンネットの上で踊るねこの首根っこを捕まえて捕獲すると、更耶はそのねこが動いたあたりをじっと見つめた。猫のあしあとがついてはいるが、どうやら傷はついていないようだ。空いている手でその足跡を撫でて消す。
「ったく、車の上に乗るなっての。あーごめん、傷はついてねえから」
 車から少し離れた場所に立っていた七鞘の方へねこを見せて笑う。ぶらんと揺れる、首根っこを捕らえられたせいで動きを封じられているそのねこの姿に、七鞘が小さく微笑んだ。
「いいんです、今更傷の一つや二つくらいは。私、ねこ好きだし」
「そっか。んー……こいつも乗っけてやってもいいかなぁ?」
「ええ、いいですよ」
「ん。じゃ、ちょっと行ってくらぁ」
 更耶はひらりと七鞘に手を振って運転席に乗り込んだ。

<お着替えタイム>
「ほら、お前は後ろな」
 ぽい、と後部座席にいる鶴来の方へねこ――桐谷虎助を放り投げると、史郎が鶴来の膝の上にちょこんと乗っかった虎助に助手席から顔を向けてひらひらと手を振った。
「こんにちは、桐谷くん。いい天気だね」
「にゃん」
「あー、那王、そいつちょっと特異体質だけどあんまり気にすんなよな」
 シートベルトを締めながら更耶が言う。その適当な説明に、史郎が苦笑した。
「更耶、それだと鶴来さんが驚くと思うんだけど」
「いや、そいつのことだから正体くらい気づいてんじゃねえの? 『視る力』は異常に強いみてえだし」
 バックミラーの角度を調節して、その端に映った鶴来を見る。鶴来はねこを見下ろして少し首を傾げた。
「……猫又……ですか」
「ご名答。っつーわけで虎助、いいぞ」
 更耶の言葉にぴくりと耳を動かして、虎助がにゃんと一つ鳴く。と、そのねこのフォルムがふわりとブレて、徐々に緩やかに大きくなっていく。動物から人への進化を、時間を早送りにして見ているかのような感じだ。毛に覆われていた背中がするりとした肌へと変わり、肩先まで伸びた金色の髪の襟足を一つに束ねた高校生くらいの少年の姿に転じる。
「……っと、変身完了ッと」
 ぷるぷると頭を振ると、虎助は間近にいた鶴来に顔を向けた。
「っつーわけで、桐谷虎助だ。那王さん、だったよな。よろしくな」
「……ええ、よろしくお願いします。……というか、あの、そのままではちょっと……」
「ああ、今日は桐谷のデカ息子の服、盗って来てないからなぁ……。別に裸んぼでも俺はいいんだけど?」
「いや、それはちょっと……」
 いきなり膝の上にすっ裸で現れた少年に困惑しながら、鶴来が自分のスーツの上着を脱ごうとしたが、それを更耶が振り返って手で止める仕草をした。
「よし虎助、お前に服プレゼントしてやっからな」
「なんだ更耶、桐谷くんのために服用意してたんだ?」
 史郎が、更耶が持っていたあの紙袋の正体を悟って微笑む。
 が。
 更耶はチチチと、人差し指を顔の前で左右に振った。
「違う違う。俺がそんなに準備いいわけねえだろ」
「……じゃあ、あの紙袋は一体」
 怪訝そうに言う史郎に軽く笑うと、更耶はまた後部座席に顔を向ける。鶴来の膝の上から降りた虎助に、鶴来の脇にある紙袋を指差した。
「ホントは那王に着せようと思って持ってきたんだけどなー、ピンクハウス。しょうがねえからそれ着とけ」
「……ピンクハウス?」
 その単語に、鶴来がぴくりと目を上げた。隣で虎助が紙袋から服を引っ張り出している。そしてそれを見て。
「げ。なんだこのビラビラ」
 出てきたのは赤いワンピースと白いブラウス、白いスカートだった。ワンピースの方は可愛らしいくまの総柄に、袖や襟、裾などにギンガムチェックがあしらわれている。
 むろん、ピンクハウスなだけあってフリルびらびら、スカートはボリュームがあり、びらびらだ。ブラウスもフリルびらびらリボンびらびらである。
「え〜。これ着るのかよ〜。やっぱ裸んぼでいい」
 ぽい、と服を全部丸めて鶴来の方へ放り投げると、虎助は裸のままシートに背を預ける。鶴来は膝の上に広がった服のレース部分を指先で持ち上げて、彼にしては珍しく思い切り嫌そうな顔をした。
「……なぜ俺にこんなものを着せようと……」
「そんなの面白いから決まってんじゃん。こら虎助、ちゃんと着とけよそれ」
「更耶、なんだか楽しそうだったのはそういう企みがあったからか」
 キーを回してエンジンをかけながらあっけらかんと答える更耶に、史郎が苦笑する。そして肩越しに後部座席を振り返り、虎助に微笑んだ。
「桐谷くん、あとで猫缶好きなだけあげるから服着てくれないかな。グルメなねこの贅沢メニューだよ?」
 テレビCMのキャッチコピーを言いながらにこにこと微笑む史郎に、虎助がぴくんと目を上げた。
 猫缶。
 その甘美な響きに、虎助は鶴来の膝の上にあった赤いワンピースを引っ張っていそいそと袖を通した。
 あっけなく懐柔成功である。
 ピンクハウスのワンピースを装着し終えた虎助が、そのびらびらスカートを少し持ち上げて首を傾げる。
「でもこれって雌が着るヤツだよな。なんで兄ちゃんは那王さんに着せようと思ったんだ?」
「だから、面白いからだっつってんだろ」
「……へんなの」
 呟くと、虎助は行儀悪く片足をシートに乗せて両腕を頭の後ろで組んだ。そして、ちらりと隣にいる鶴来を見る。
 その手元に残っている白いブラウスとスカート。
「那王さんも着るか? 俺、手伝ってやるけど?」
 ぎょっと、鶴来が虎助を見た。そして慌てて丸められたブラウスとスカートを手早くたたみなおして紙袋に収納する。
「い、いえ、俺は結構です」
 紙袋を腕に抱え込んで頬を引きつらせてなんとか微笑みを作る鶴来を、史郎が「面白いものを見た」とでもいうような顔でしばし眺めていたが、ややして体を正面に戻した。
「さて。一体どこへ走らせるんだ? いい天気だし、どうせなら楽しんで行きたいね」
 持ってきた黒いデイバッグの中から地図を取り出し、この辺りのページを広げる。
「何か起きたときのために、なるべく人がいなさそうなところがいいかな」
「だな」
 言って、史郎と二人で適当にコースを決めると、更耶はブレーキを踏みながらサイドブレーキを下ろし、シフトをパーキングからドライブへ入れた。
 ようやく出発、である。

<ドライブ>
 とくに何事もなく、車は陽光の元、のどかな川沿いを順調に走っていた。
「Rだったらもうちっと面白かったかもなぁ」
 窓を開け放ったその枠に右腕を乗せて頬杖をつきながら、左手だけでハンドルを持ち、更耶が呟いた。それにひょこっと助手席と運転席の間に後部座席から顔を覗かせて虎助が首を傾げた。
「Rって?」
「ん? ああ、車のグレードのこと。これがGTS−tタイプMだから、うーん…まあ言えば、これの一個上ってとこかな」
「でもRだとミッションだからそんなふうにのんびりは運転できないんじゃないか?」
 少し車の様子をうかがっていた史郎が、抱えているデイバッグの中に視線を落としながら言った。それに更耶は肩をすくめる。
「ま、確かに楽っちゃ楽だけどさ」
 思わずあくびが漏れそうになるくらいに楽ではある。
 運転は、思ったよりも丁寧なほうだった。酔い止めも必要ないその安全な運転は、ぽかぽか陽気のせいもあり思わず眠気を誘われる。
「ところでさ」
 あくびをかみ殺して、ちらりと更耶はバックミラーを見やった。さっきから黙り込んでぼんやり斜め前に視線を固定して開いた窓の外を見ている鶴来が鏡の中に映る。
「なあ、那王」
 呼びかけられて、ふと視線が鏡越しに返される。
「はい?」
「俺前から訊きたかったんだけど、アンタ、依頼人を名前で選んでたりすんのか?」
「え?」
「アンタの依頼主って、なんか『七』がつく名前の人多くねえ? っていうかほとんどそんな感じだろ? だから何かあんのかなーと思ってさ」
「……ああ……偶然です、と言っても信じてもらえないでしょうね」
「まあ、信じろってほうが無理があるよな」
「…………」
 史郎はバッグから「コアラのマーチ」なるお菓子を取り出して虎助に封を開けて手渡してやりながら、口許に手を当てて黙り込む鶴来の様をちらりと見た。
 どう見ても、答えたくないと思っているようにしか見えない。かと言って何か適当な言い逃れを考えているようでもなかった。
 ふと吐息をついて、史郎は虎助に渡したお菓子の袋の中から一つ取り、更耶の前に差し出した。
「はい更耶、いちご味だよ。あーんして」
「あーんって……お前目の前にいきなり食いモン出すなよ。運転ヘマしてもしらねえぞ?」
「なんだ、食べないんならいいんだけど」
「いや、食うけどさ」
 差し出されたお菓子に食いつく。後部座席では虎助がぽいぽいと頭上にお菓子を三つ放り投げて、一気にぱくぱくと食いついていた。まるでアシカのショーのようである。それにパチパチと拍手を送っておいて、史郎は虎助に笑いかけた。
「ほら桐谷くん、鶴来さんにもおすそ分けしてあげて」
「ん? ああ、はい那王さん、あーん」
 さっき史郎が更耶にやってやったことをそのまま真似する虎助に、がくりと更耶が首を横に倒す。
「おい史郎、虎助に変なこと教えるなよ」
「別に、俺が教えたわけじゃないって」
「ほら那王さん、あーんって口開けろってー」
「ああいや、俺は結構ですから、気にせず食べてください」
「ちぇっ。つまんねえなあ。しょうがない、シロちゃんあーん」
「はい、あーん」
「……お前ら、仲いいよなぁ」
 答えて口を開けた史郎をちらりと横目で見て、更耶が笑う。それに虎助がにんまりと笑う。
「ははぁん、兄ちゃんヤキモチ焼いてんの?」
「誰が誰にだよ」
「兄ちゃんがシロちゃんに」
「へっ。こいつの八方美人にいちいちヤキモチなんか焼いてられっか」
 その言葉に、史郎がちらりと横目で更耶を見る。
「八方美人というのは褒め言葉だと思っていいんだな?」
「面の皮厚い、のほうがよかったか?」
「兄ちゃん兄ちゃん、シロちゃん怒ったら怖いぜ?」
「まあ、あながち間違いでもないからね」
 にしても、と史郎は苦笑しながら目を上げた。
「何も起きないな」
 走り出してから小一時間が過ぎようとしているが、まったく車に異変は起きない。更耶も、んー、と短く唸った。
「眩暈もこねえしな。ハンドルも別におかしくねえし」
 虎助もきょろきょろと車内を見渡したが、何も感じられなかった。「雌」の服を着ていたら、予想通り「雌」と間違えた何かが異変を引き起こすかもしれないと思ったのだが……そうは上手くはいかないらしい。
「こりゃ何もおこらねえかな?」
 虎助がびらびらのスカートの端っこを持ち上げながら呟いた。

<到着。そして恐怖の大魔王降臨>
 結局、何も起こらないまま車は七鞘のマンション前に戻ってきた。
「はー。まあドライブできたからよしってとこか?」
「依頼の解決にはなっていないけど、まあ今回は仕方ないかな」
 肩をすくめて史郎がシートベルトを外し、後部座席を振り返った。
「桐谷くん、ねこの姿に戻らないと七鞘さんがびっくりするから」
「あ、そっか。服も兄ちゃんに返さなきゃだしなっ」
 言うと、虎助は鶴来を見てニッと笑った。
「それじゃまたな」
「はい、お疲れ様でした」
「兄ちゃんとシロちゃんも、お疲れさんっ」
「おう、お疲れ」
「お疲れ様」
 人の姿のうちに挨拶をすませると、その体はするする、と人の姿になったときの逆回しのように小さくなっていく。そしてするっとワンピースの中にもぐりこんでしまった。
「……うにゃ」
 服の中から現れたのは、トラ毛のねこ。ぴょんと飛んで史郎の膝の上に移動する。それを見、にっこりと更耶がその秀麗な顔に人の悪そうな笑みを浮かべた。
「さて。それじゃあ那王。次はアンタの番だな」
「……は?」
 広がったままのびらびらワンピースをたたもうとしたその手がぴたりと止まる。そして視線をちらりと上げて更耶を見やった。
「な、何を言ってるんですか更耶さん?」
「ふふふふ、わざわざここまでそれを持ってきた俺の苦労を無にするつもりか?」
「ちょっと待ってください、苦労も何も」
「おとなしく」
 シートベルトを外して、更耶が後部座席に身を乗り出した。そしてガッと鶴来のネクタイを掴み上げた。
「観念しやがれ!! おらっ、史郎、お前も手伝えっつの!」
「やれやれ、仕方ないなぁ。ほら、更耶どいて」
 更耶の肩を引き戻して、史郎が素早く後部シートの端に身を寄せて逃れつつ、締め上げられたネクタイのせいで息が詰まって小さく咳き込む鶴来に、にっこりと微笑んだ。
「すみませんね、なにぶんワガママな育て方をしてしまったもので」
「……困るんですが。女装の趣味など俺にはありませんし」
「ええ、それはわかります。ですがこの際あなたの嗜好は俺には関係ないので」
「さ、里見さん?」
「大丈夫、更耶よりは手際よく着替えさせられると思いますよ」
「いや、待ってください、大丈夫も何も」
「先ごろ更耶がお世話になった方に対してこんなことをするのは、俺としても大変心苦しいのですが」
「…………」
 史郎の笑顔に真剣に頬をわずかに引きつらせて恐怖を覚えているらしい鶴来の様を、空いた助手席から見ていた虎助が、ふにゃ、と小さく鳴いた。
「ご愁傷様」という、彼なりの哀れみを込めた声だったのかもしれない。

<にゃんこ、慰める>
 更耶と史郎が、無理矢理着込まされた鶴来のピンクハウス姿に笑っている間に、虎助は開いていた窓からひょいと外へ飛び出した。
 と、その目の前をふわふわとその前を黄色い蝶々が飛んでいく。思わず前足を上げてぴょんと飛んでじゃれついてしまったところ、かすかな笑い声が聞こえて顔を上げた。
 七鞘が、少し離れたところでしゃがみこんで虎助の様子を見ていたのである。
 ひらひらと飛ぶ蝶々が気にはなったが、その七鞘が手に持っているものにも少し興味を引かれた。
 煮干である。
「食べる?」
 七鞘に優しい声で言われて、ととと、と虎助は七鞘の方へと歩み寄った。そして差し出された煮干に、かぷりと噛み付く。
 もぐもぐと口からはみ出す煮干のしっぽを手と地面の間で挟み、一生懸命にかじる。と、その頭をそっと七鞘の指が撫でた。
「かわいいなぁ」
 言われて、もぐもぐと口を動かしながら顔を上げる。七鞘はしゃがみこんで、片手を頬に当てて微笑んでいた。
 いい人間だなぁ、と思うのは、別に餌付けされたせいではない。優しい笑顔のせいだ。
 なんだか、ちゃんと「変な車」を「普通の車」にしてやれなかったことを申し訳なく思った。
 口の中の煮干をごくりと飲み込んで、にゃんと鳴いた。
 ごめんな、と。
 けれどもそれを「もっと煮干くれ」という鳴き声と勘違いしたらしく、七鞘は持っていた煮干を差し出した。
「おいしい?」
 まあ、せっかくだからくれると言ってるものは食わなくちゃな、と思い、はぐはぐとまた新しい煮干を噛む。そして、食べ終わるまでずっとそのさまを眺めていた七鞘の膝に、ひょいと前足を置いて体を伸ばした。そしてぺろりとその頬をなめる。
 まずい化粧の味は全然しなかった。
「ふふ、くすぐったいよ。だっこしてもいいかな?」
 にゃん、と了承の意を伝えるように鳴く。今度はちゃんと伝わったのか、ひょいとその体が宙に浮いた。そして優しく抱き上げられる。
「かわいいなぁ。私、本当にねこ大好きなのよ」
 幸せそうに笑うその笑顔を見、虎助はほっとした。
 少しの間でも嫌なことを忘れて笑ってくれるなら、今日自分がここに来た意味はあったはず。
 そう、思いたい。
(……誰かがちゃんと解決してくれるといいな)
 もう一つ、ぺろりと虎助は七鞘の頬をなめた。七鞘は、そんな虎助の体を優しく抱きしめた。

<終>
 依頼をきちんとした形で終わらせることができなかったことを、丁寧に七鞘に謝罪を述べると、七鞘はゆるりと頭を振った。そしてにこりと微笑んだ。
「皆さんがご無事でなによりです」
 その言葉と笑顔に、もう少ししっかり下調べすべきだったかもしれないと思いながら、帰宅の途につく史郎は吐息を漏らした。
 その隣から、更耶がトンとその肩を拳で軽く叩く。
「しゃーねえだろ。まあ、もとから何も起こらなかったらドライブでいいって那王に言われてたんだからさ」
「まあ、そうなんだけど。あー……更耶、本当にあんなことしてよかったのか?」
「あ? あー、俺はとりあえず満足だ」
 腹を押さえて小さく笑いながら、更耶は目尻に浮かぶ涙を拭った。
「ダメだ、思い出しただけで笑える」
「ひどいな、お前は」
「一番ひどいことしたのはお前だろ?」
 肩にのっけたねこ姿の虎助に「なぁ?」と同意を求める。それににゃんと短く答える虎助。その鳴き声の意味するところは「そのとおり」だろう。
 なんといっても、嫌がる鶴来に、あっさりとジャケットとシャツを奪い取ってピンクハウスを着せ込んだのは史郎である。スラックスだけは武士の情け(?)として剥ぐのはやめてやったのだが。
 思い出して、史郎は口許に拳を当てて苦笑した。
「鶴来さんに恨まれなければいいけど……もう遅いかな」
「マジでお前のこと怖がってたもんな、那王」
「そんな、人を鬼みたいに」
「お前は鬼より怖いって」
 なー? とまた虎助に同意を求める。むろん虎助は「にゃん」と答えただけだった。虎助にしたら、「シロちゃんは怖い」と同意したら猫缶お預けくらいそうだし、かといって否定するのは自分の意思に反するし、と少しだけ悩んだ挙句、どうせ猫語はわからないだろうと適当に答えておいただけなのだが、更耶はそれに小さく笑った。どうやら「同意」と取られたらしい。
「だよな、やっぱ怖いよなコイツは」
「ひどいな。俺はお前がそう望むから、してやっただけなのに」
 その言葉に、更耶が虎助の喉元を撫でながら首を傾げた。
「お前、俺のこと甘やかしすぎだって思わねえ?」
「いいんだよ、お前のことだけは甘やかしても」
 言って、史郎は更耶の肩にいる虎助を抱き取った。ふにゃ? と史郎を見上げる丸い瞳を隠すように、そっとその上に手を乗せて。
「お前以外に、甘やかす人なんかいないんだから」
「史……」
 紡ぎかけた言葉は、一瞬だけ封じられて。
 驚いたように更耶は目を見開いた。そして後ろによろけるようにして史郎から離れると、慌てて周囲を見渡した。
 その様に、史郎が目を伏せて笑った。そっと虎助の目の前から手を取り払い、目を瞬かせる虎助に微笑みかける。
「誰も見てないよ」
「だ……だからっ、誰も見てなくてもっ」
「お前が恥ずかしいんだろう? わかってるよ」
 さらりと言うと、史郎は口許を押さえて立ち尽くしている更耶に笑いかけた。
「さ、桐谷くんの猫缶、買いに行こうか」
 どこまでも広がる青い空の下。
 先に立って歩き出す史郎の背を眺めて、更耶はぼそりと呟いた。
「やっぱりお前は鬼より怖いって」
 武器もなく、一撃でこの心臓を止めることができるのは、きっと史郎だけだ。早い鼓動を刻む胸を押さえ、そんなことを思う。
「……まあ、お前に殺されるんならそれもアリかな」
 呟きはそのまま、流れてきた緑の匂いを含んだ風にさらわれていく。史郎の肩の上によじ登った虎助が、ひょいひょいと手を振って更耶を呼ぶ。
 若いヤツラのやることは見てらんねえな、などと思いつつ。
 ふぁ、ともらされる虎助の平和なあくびに、更耶は、いつになく幸せそうな笑みをこぼして史郎の背を追った。


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0104/桐谷・虎助(きりたに・こすけ) /男/152/桐谷さん家のペット】
【0202/里見・史郎(さとみ・しろう)  /男/21/大学生】
【0226/斎司・更耶(ときつかさ・さらや)/男/20/大学生】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
 こんにちは、はじめまして。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?

 桐谷虎助さん。初めてのご参加、どうもありがとうございます。
 にゃんこ姿を書くのがとっても楽しかったです。ちょっと子供っぽすぎたかな、と思う部分もあるのですが、どうでしょうか。イメージにあっていなかったら申し訳ありません(汗)。
 依頼的には成功とはいえないのですが、楽しんでいただけたら幸いです。

 さて、今回登場しました「鶴来那王」は言うまでもなくNPCです。これからも逢咲からの依頼ではちょこちょこと顔を出すと思いますので、またどこかでお会いすることがあるかもしれません。
 もしよろしければ、感想などをお気軽にクリエイターズルームからいただけると嬉しいです。今後の参考にさせていただきますので。
 それでは、今回はシナリオお買い上げありがとうございました。
 また再会できることを祈りつつ、失礼します。