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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:ニライ・カナイ
執筆ライター  :立神勇樹
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜5人

■オープニング■

 草間興信所の入り口で一つの争いが勃発していた。
 興信所内に押し入ろうとする男と、興信所内に押し入らせまいとする男の。
 前者は警察庁の特殊犯罪調査官である榊千尋。後者は(一応)この興信所の主である草間武彦だ。
「帰れ。お前の依頼は面倒な割に金にならん」
「酷いなぁ。折角出張みやげの長崎カステラ持ってきてるのに」
「よし、カステラは入れ。お前は帰れ」
 思わずなんじゃそりゃ、と言いたくなる草間の一言に、榊はドアに足を挟んだまま深々とため息をついて見せた。
 
「ニライ・カナイ?」
「そうニライ・カナイ。竜宮と言った方がなじみ易いかもしれませんね。沖縄地方で海底……あるいは波間にあると信じられている伝説の楽園です」
「で、そのニライ・カナイがどうかしたのか?」
 草間の当たり前すぎる問いに、榊は隣に座る女性を指して素っ気ない口調で「比嘉……まゆらさんを連れて行ってもらいたいんです」と告げた。
 染めたのではなく自然に色素が抜けた琥珀色の髪。夜の海底のように静かに潤う瞳。日に焼けた健康的な肌が彼女――まゆらが南国の出身だと告げていた。
「場所はわかってますっ、どうしても助けたい人がいるんです。その為にはニライカナイへ戻らないと行けないんです。お願いします……!! 榊さんに警察病院で出会って、それでここなら何とかしてくれるって聞いて、無理に連れてきてもらったんです! お願い……助けて」
 ソファーから身をのりだし、草間の腕を掴む。と、草間はあわてて体をのけぞらせ、助けを求めるように榊をみた。
「おい、場所がわかってるんなら、何でお前が連れて行かないんだ。天下の警察だろ」
「連れて行きたいのは山々ですが、フカがね」
「フカ?! フカってあの鮫の事か!」
「そう。九メートルクラスの人喰いフカ。あと、場合によっては海龍」
 ハニワの様に眼と口をぱっくり開ける草間に向かい、事もなげに榊は言う。
「ニライ・カナイがあるらしき場所の近辺で、最近船の転覆やフカの異常発生が相次いでいましてね。ただのおとぎ話、と笑ってもいられません。海開きも近いですし」
「なるほど、人助けと海洋安全をかねている訳か」
 皮肉気な草間の言葉に榊は苦笑し、「それだけじゃないんですけれどね」とつぶやいて再び長いため息をついた。
「ともかく、何人か人をお貸しいただけますか? ウチだけでは手にあまります」
 言いつつ榊は立ち上がったが、立ちくらみを起こしたのか、よろめいて近くの机に片手をついた。
 心配げにみる草間たちに向かって、ごまかすように乾いた笑いを漏らし、榊はまゆらと二人で興信所を後にする。
「何というか……あいつ、疲れていなかったか?」
 ――疲れている?
 どちらかといえば「憑かれ」ているように見えたのだが。
 窓の外を見る。
 とビルの入り口から榊が「一人」で出ていくのが見えた。


■3:30 とあるバーで■

 会話を遮らない程度に押さえられたジャズの旋律が、かすかに薄暗い店内を揺らしている。
 最も、午前三時もすぎたとあって、店内には経営者である黒月焔と時折店に来る、水商売――会員制高級SMクラブのナンバーワン女王である――湖影華那の二人しか居なかったが。
「ニライカナイ……ねぇ……」
 けだるげに、しかし、女王の品格を失わない優雅さで華那は闇に浮かぶ琥珀のように煌めく茶色の髪をかき上げた。
「まゆらちゃんって子が言うには場所はわかってて『戻る』ってのね……ふぅん」
 ファンタスティック・レマン。遠い異国の蒼い湖を模したカクテルのグラスを傾けて、口の端を二ミリだけ引き上げて笑う。
 上質のヴェルベットのように赤く柔らかい唇が、アルコールによりしっとりと潤う。
 とても淫靡で退廃的な光景。
 グラスの底で揺れるブルーキュラソーの蒼が華那のけだるさに逢わせるように揺れ、攪拌され、まどろむ。
「ほぅほぅ沖縄か。海で泳ぐのもいいかな」
 今日も使われなかったロングのカクテルグラスを磨きながら、黒月焔はからかうように言った。
 この店は常に人気がない。つぶれないのが不思議だというほどに。
 内装も、店主の腕も悪くないし、場所だって悪くないのに、この人気のなさは、きっとこの店主――魔道や神道などオカルト全般をこなし、その手の情報や仕事を斡旋する焔――が、何らかのまじないをかけているに違いない。と華那はぼんやり思った。そう、そういう事件に惹かれ、集ってくる「力」持つ者にしか見えない結界を張っているとか……。
 まさかね、と苦笑して手元のFAXを見る。
 昼間に草間興信所から送られてきた、FAXである。
 同じような情報を取り扱い、事件を使う草間の興信所とこのバーはお互いに情報や人手を交換しあっているのだ。特に今回は大量発生したフカ退治。人手は多い方が良い。
 焔はグラスを磨く手を止めて、華那の綺麗にマニキュアが塗られた指先が指す一点を見た。
「榊が憑かれているようだが……どうも依頼人の女が憑いているような感じだな。ま、女が何かを企んでいるとしても沖縄に行くのであれば、ほっといても大丈夫だろ」
 ひょい、と肩をすくめてみせる。右頬に彫られた龍が退屈そうにあくびして見えたのは、幻影だったろうか?
 もしそれがあくびであったなら、吐き出された火炎は焔の髪だろう。
 薄暗い店内に灯る鮮やかな炎。混じりない、透き通った赤く繊細な髪。そして髪と同じ……いや、それ以上に深く危険な深紅の瞳。
 見かけこそ実際の年齢より若く、十代にもみえるが。その瞳の奥に潜む知謀は年齢より深く、重い。
 一度こういう男を僕にしてみたいものだわ、と夢想しながら、華那はかり、と手入れされた爪でFAXをこすった。
 真っ白い感熱紙の上に、かすれた黒い筋が出来る。
「泳ぐのにはまだ早いわ」
 ゴールデンウィークを過ぎたとはいえ、梅雨に入ったばかりの沖縄の海はまだ冷たいだろう。
 向こうのいい方をするならば「この時期に泳ぐのは本土から来た人間だけ」だろう。
「ん? 早すぎるって? 気にするな」
 華那の言葉を軽く受け流しながら、焔はまたグラスを磨き始める。
 カクテルの腕は一流なのだが、もっぱら店ではウィスキーやブランデーしか出してはくれない。今日、華那に「ファンタスティック・レマン」を作ったのも、ただの気まぐれだろう。
 魔術、神道、オカルトならなんでもある程度こなす、とはいえどれも極めないまま飽きたというのだからその気まぐれさ加減は推し量れるというものだ。最も人並み外れた素質がなければ「ある程度」すらかなわないのだが。
「おもしろいじゃない」
 つぶやいて、華那は脇に置いているハンドバッグを引き寄せた。
 中には仕事――表のSMでも、裏のオカルトじみた仕事――でも使う愛用の鞭が入れられていた。
「伝説の楽園とやらを拝んでこようじゃないの」
 フカなど、霊力をこめたこの鞭でしばきたおせば良いだけの話だ。
 と、華那が考えていると、まるで彼女の考えに同調したように焔があさっての方向を向いたまま言った。
「フカなんて俺の龍眼でちょちょいと眠らせてやれば軽いもんよ。何せ動物だから効きやすいだろ」
 磨き終えたグラスを棚に戻し、流れるような動作でカウンターに両手をついた。
 表情を変える度に、まるでそれ自体が生きているかのように顔に――否、全身に彫り込まれた龍が脈動する。
 龍が焔の顔を、焔の顔立ちが龍を引き立てる、永久機関とも言える美の共生関係。
 そこいらの女性であったなら、瞬く間に魅入られ、刺青の龍が見せる幻覚と催眠に取り込まれてしまうだろう。女帝とも呼ばれる華那でさえ、見ほれずにいられないのだから。
(でも、はたしてフカに効くかしら?)
 謎である。
 

■翌日 14:30 沖縄■

 ともあれ沖縄だ!
 蒼い空にエメラルドグリーンの海。というと、安っぽい三流旅行代理店のあおり文句のようだが、実際に目にすれば、もはやその売り文句以外頭に残らない。
 高く遠く、どこまでも透き通っている空。
 空を写してなお透明で、深い場所にある珊瑚まで見通せる輝石のような海。
 街を彩るハイビスカスの赤に、ブーゲンビリアの鮮やかなマゼンタ。
 屋根瓦はくすんだ紅色。野放図にしかし力強く茂る植物の緑。
 これらの色彩に迎え撃たれ、心が躍らないヤツはもう救いようがない。
 草間興信所を中心として集った十一人は、日本唯一の亜熱帯に降り立ち、すっかり気もそぞろである。
「うわぁ! すっかり夏! 海! 南国っ!」
 ジャンプして、空を掴むような仕草をしながら鷹科碧が歓声を上げる。
「本当に夏ですね。これなら泳げそうですね」
「ゴールデンウィーク越したら泳げるらしいがな」
 若さを爆発させる碧をほほえましく見ながら、七森拓己と黒月焔が言葉を交わす。
「とっとと片づけて、とっとと遊ぶぞ、おら」
 めんどくさげな口調で、しかし珍しく満面の笑みを浮かべながら背伸びをし潮風に満ちた空気を吸い込んでるのは中島文彦こと張暁文。
「紫外線対策が面倒ね」
 と一人現実的かつ美容的な事で頭を悩ませ、女王らしからぬ憂愁のため息をついているのは、湖影華那。
「ホテルを経営している知り合いがオープン前のホテルのスウィートに招待してくださるので宿泊はそちらにするつもりですが。かまいませんよね、榊さん」
 ファッション雑誌から一足早く抜け出してきた、と言わんばかりの白を基調にした夏の装いで周囲の女性達の視線を集めながら、斎悠也が問うと、その足に浴衣を着た童女――寒河江駒子が抱きついた。
「こまこ、こまこねー、はやく《きーちゃん》にあいたいな。《きーちゃん》はこまこの《ともだち》なんだー。ほんとーは《きじむなー》ってゆーんだけどね。《さかなのひだりめ》がだいすきだから《にらいからい》や《ふかをよける》こともおしえてくれるとおもうよー☆」
 満面の笑顔を見せながら、高く良く透る声で駒子が言う。
「あ! でもこまこ《おかね》もってない……えと……だれかこまこに《おさかな》かって?」
 不安になったのか、急にまなじりを下げ顔を曇らせる。
「いいですよ」
「かまいません」
 ほぼ同時に榊と悠也が答え、苦笑する。
「寒河江さんには前回お世話になりましたし」
「それを言うなら俺も、です」
 大したことではないのに、何故か役目を担いたがる男二人。当の本人達もそのおかしさにとまどっているのだろう。
(しかし、これは良いチャンスかもしれませんね)
 事件とは別に、悠也には突き止めたい事があった――この、榊千尋について。
「なんだか右から左に会話がながれすぎて、私、混乱してまいりました」
 白いワンピースの裾を風にそよがせながら、草壁さくらがため息を付く。
「私もよ」
 日差しを避けるためか、いつもなら胸にかけているうすい色つき眼鏡をかけて、眉根をしかめる。
 高校生、大学生、サラリーマンに、バーテンダー、SMの女王様に、警察官。幼女に金髪美女。
 全く持って相容れない異質異色の集団だ。
 やれやれ、と先を考えて気が遠くなっていると、煙草を吸っていた暁文――中島文彦という偽名を使っているのだが――が鼻をならした。
「それにしても。ニライカナイ、海の底の神の国だっけか?」
 そこに『戻る』って事は普通の人間じゃないな。と心中で吐き捨て、シュラインの隣に立っているまゆらを横目でにらむ。
「……助けたいヤツが居るって言ってたよな? そいつを助けたら事態は収まるのか? アンタ達が何かしたからこんな事態になってるんじゃないのか?」
 辛辣な言葉に、まゆらはうつむく。
「ちょっと、アンタ」
 既に事情を知っているシュラインが、押しとどめようとする。が、一瞬だけ遅れた。
「僕も知りたいです」
 にこにこと無邪気な笑顔をふりまきながら、七森拓己が暁文とまゆらの間に入ってきた。
「助けたい人って誰ですか? ニライカナイってどんな場所ですか? まゆらさんは幽霊ですか?」
 早速売店で買ったばかりのちんすこうを差し出しつつ矢継ぎ早に質問する。
「――ごめんなさい」
 消え入りそうな声でまゆらがうつむく。目は潤み、今にも涙がこぼれそうだった。
 とたんに拓己は罪悪感に襲われてしまう。
「ま、いいさ。俺達が加わったところで化け物相手にどーこー出来る訳がない。結局本人同士に納めてもらわないとな」
 沈みがちな陰気な空気を嫌ったのか、ただ、女に泣かれるのがめんどくさいと思ったのか、軽口のように暁文が吐き捨てる。
 しん、と沈み帰ったメンバーをみて、何かを思いだしたように、暁文はぽん、と手を打った。
「あ、榊が憑かれてる事に関しては別料金だと思うぞ」――と。
 

■16:00 斎場御嶽(セイファウタキ)■

 斎場御嶽(セイファウタキ)は琉球の創世神・アマミキヨが作った国始め七御嶽の一つである。
 古くから沖縄第一級の霊場とされ、琉球王朝時代の最高神職である聞得大君の即位儀礼が行われた聖地である。
 近年の観光化にともなって、男子禁制の掟は取り払われたものの、地元の男は今でも――誰に禁止されているわけでもないのに――敬い、なかなか足を踏み入れようとはしない。
 そこに長い歴史の間に沖縄、否、琉球の人たちが培い、守ってきた神々との絆が感じられる。
「では、ここで二手に別れましょう」
 フカや海竜と戦うチームとまゆらと一緒にニライカナイへ向かうチームに。だ。
 ニライカナイには斎場御嶽から。
 フカが発生する海域――久高島へは、斎場御嶽近くにある安座真港から船で移動する。
 船と言っても漁船に毛が生えたようなものだ。
 全員を乗せるのは不可能だし。フカにかまけている間にニライカナイの門が閉まっては一日が無駄になるのだ。
 ニライカナイへの道は日没の瞬間。もしくは日の出の瞬間のみに開かれる。
 まゆらがニライカナイへ行くのを邪魔するであろう、フカと海龍を船のメンバーがおとりとなって引きつけ、その隙にまゆらをサポートするメンバーが「ニライカナイ」へ渡る。そういう作戦だった。
「僕は――出来ればフカ退治は棄権させていただきたいです」
 困ったように黒髪をくしゃりとかき混ぜながら、拓己がつぶやく。
 獣医の卵だけあって、生き物を傷つけるのがイヤなのだ。
 そもそも最初からまゆらをニライカナイに連れて行くのには賛成でも、フカや海龍と敵対する意志はない。
「私とさくらもパスね、戦力外だし。まゆらさんには憑きなおして貰わなきゃ駄目でしょう?」
 シュラインがはきはきという。
 その後ろで静かに、しかし毅然とさくらが頷いてみせる。
「私もパス。フカ退治は警察に任せるわ。面倒くさいから」
 ビーチには似合わない深紅のピンヒールで浜辺の砂を踏みにじりながら華那は言う。
 逸らしたあごと胸が、無言の威圧感で他の男性陣をたじろがせる。さすが女王様、というところであろうか。
「先着順、仕方ありませんね。戦力という点からみればこの分け方がベターでしょう」
 半分呆れ、半分どこか面白がるような様子で榊が言い切った。
「ちょっとまて、このガキもか!!」
 ぎょっ、とした顔で暁文が叫び、足下を走り回っている駒子を指さした。
「こまこ、《ゆーやちゃん》と《きーちゃん》といっしょがいい。《ふーみん》もいっしょ☆」
「ふーみん、って誰だ、オイ」
 期待のまなざしで暁文、もとい中島文彦を見つめる駒子。
「……言わずもがなでしょう」
 冷静に突っ込む榊。その榊の後頭部を力一杯拳でなぐりつけて、暁文は叫んだ。
「なんだその一昔前のアイドルみたいなあだ名は! 断じて却下だ!」
「いいじゃない、似合ってるわよ。ふーみん」
 半眼で冷ややかに嘲笑うシュライン。
 かつて草間興信所をさわがせた中学生のお嬢様を思い出しながら、さくらが遠い目をしてみせる。
「絵梨佳様の時もそうでしたが、中島様には何か子供を引きつける強い魅力がおありなのだと思います」
「そんな魅力、四つに畳んでドブ川に捨ててやる!!」
 フォローにならない誉め言葉に対して暁文が絶叫する。
 アンダーグラウンドに息づき、あらゆる犯罪の影で動く流氓の彼にしてみれば、たとえ事実であったとしても言われたくない誉め言葉なのだろう。
「良いんじゃないですか? ふーみん」
 笑いを押し殺しながら、悠也が煽る。
「おうっ、カワイイじゃないか。ふーみん」
「俺もそう呼ばせてもらおう、ふーみん」
 碧と焔が便乗してからかい続ける。
 そして騒ぎを興味なし、と言った体でみていた華那が、高飛車にトドメを指す。
「声がウザイわよふーみん」
「……あとで覚えてろ」
 殺気を唸りに変えながら、まとわりつく駒子の頭をなで、それとなく自分から遠ざけようと悪戦苦闘する。
 そのさりげない優しさが、子供に好かれる要因であることを、暁文は全く気づいて居ないようだ。
「んしょ」
 ようやく暁文から離れた駒子は、悠也からビニール袋を受け取り、引きずるようにして斎場御嶽の近くにあるガジュマルの木の前に運ぶ。
 中には国際通りの市場(マチグワー)で買った、赤や青といった原色の魚達がはいっている。
「《きーちゃん》ねぇ。こまこあそびにきたよ!」
 高く、高く天まで伸びる気にむかって、駒子が無邪気にさけんだ。
 唐突な出来事に、全員が話をとめて駒子をみた。
 海風がゆらゆら、ざわざわとガジュマルの枝を揺らす。
 潮の匂いが駒子の切りそろえた髪をくすぐり、浴衣の袖をはためかせる。
 大きな瞳が、若木を透過した木漏れ日にきらきらと輝いた。
 ――風が、止まる。
 そして木々のざわめきにかすかに子供の笑い声が混じり始める。
 くすくす――ざわざわ――くすくす――といった調子で。
「クワラクワラだのにー!!!」
 弾けるような男の子の声がした。
 突然ガジュマルの木の皮がさけ、赤い固まりが転がり出てきた。
 固まりは木の前に置かれたビニール袋をひっつかむと、ブルブルと震えた。
 全身を包むほど長く赤い髪の毛がパックリと割れ、日に焼けた顔と真っ白な歯が現れる。
「クワラクワラだのにー、よくきたなぁ。ヤマトンチュはげんきぃだにー」
 一般的に沖縄の人間は昼間――およそ11:00〜17:00は浜に出ない。
 強すぎる日差しで日射病になったり、脱水症状を起こすのがわかっているからだ。
「あのねこまこね《にらいかない》にいきたいの。《ふかをよける》ほうほうおしえて」
「《ふかをよける》ほうほう? 海人(ウミンチュ)なら誰でも知ってるだに。海龍にマブイダマ投げるだに」
 といって、ぼうぼうと伸びっぱなしの髪の毛に手を突っ込んで、小さな革袋を取り出して駒子の手のひらにぽとりと落とした。
 中には親指の先ほどのガラス玉がつまっており、一つ取って日にかざすと、それは万華鏡のようにくるくると色を変え明滅し始めた。
「海龍は海でさまよう魂(マブイ)をニライカナイへ連れて行くだに。マブイダマみたら、追っかけてくるだに。海龍の手下のフカも同じだに」
 ビニール袋から、魚を捕りだし、指先で左目だけをもぎ取って食べていたキジムナーはにっ、と白歯を見せてわらった。
「こまこ、魚の左目うまかっただに」
 キジムナーが言うが早いか、ひときわ強い海風がガジュマルの樹を揺らした。
 巻き上げられた砂から、全員が目をかばい、再び浜辺を観た時。
 そこには、食べ散らかされた魚と、市場のビニール袋だけが砂にまみれて残っていた。


■翌々日 AM5:00 船上■

 まだ日がささない薄闇の中。
 一隻の船が久高島から少し離れた沖合に停泊していた。
「何もおこりませんね」
 甲板の隅。傍らに寝息を立てる駒子を抱いたまま悠也が言った。
 夕方からずっとフカが出ると言われる地点を徘徊しているが、なかなか遭遇しない。
 海は薙いでおり、波間のむこうに一つ二つと漁船が見える。
「無線の方にも連絡は入ってません。まゆらさん達の方にも――動きは無いみたいですね」
 いつもより砕けた、シャツにジーンズという格好の榊が携帯電話を振りながら相変わらずの微笑みで返す。
「退屈だな」
「退屈だよな」
 暁文と碧がまるで一卵性双生児のように同時につぶやいた。
 そしてお互い顔を見合わせると、奇妙な笑いを浮かべ音を立てないように立ち上がり、船縁にたって波間を観ている榊の背後に近づいた。
「良くもふーみんと呼びやがったな!」
「フカのおとりになりやがれ!!」
 同時に叫んで、榊に体当たりをする。
 榊は振り向いたが、なにぶん男二人に突撃されてはたまらない。
 あっと言う間にバランスを崩し、派手な水音をたてて落っこちた。
「何するんですか!」
「取りあえず退屈だったからだ」
「取りあえず気にくわなかったから」
 理由にならない理由を言う、暁文と碧。
「おいおい、夜の海に落っことすなんて、危険すぎるぞ」
 龍眼――全身に彫り込んだ刺青の龍を使った幻覚や催眠でフカを惑わす為、いつでも泳げるようにと、水着の上にパーカーを羽織っただけの黒月が、呆れながら榊に手を伸ばす。
「冗談にしても、きつすぎますね」
 流石に微笑みがボウフラのように湧いてくる、と暁文から常日頃皮肉られている榊も、いきなり海に落とされたからか憮然としている。
 何をやっているのだか、と言おうとして悠也は言葉を失った。
 いや、悠也だけではない。
 暁文も碧も笑いを強ばらせたままじっと榊の顔を凝視していた。
 ――さっきまで茶色だった筈の翠色の瞳を。
(ティシポネと――アキと同じだ)
 ゴーストネットで関わった、ハッカー達の事件を思い出し、悠也は息を呑んだ。
 視線を一身に集めていることに気が付いたのか、榊は怪訝な顔をしたあとで片手で目を覆い、彼らしからぬ辛辣な笑みを浮かべた。
「ああ――カラーコンタクトレンズ、無くしてしまったようですね」
 別人のように冷たく、抑揚のない声。
「カラコンって――お前」
 暁文が指を指していると、榊は肩をすくめた。
「別に驚くことではありませんよ。化け物でもなんでもありません。ただ、母がヴァチカンの出身だったというだけです。要するにハーフ」
 再び普段通りの調子で、柔らかい笑みを浮かべる。が、先ほどの冷たさをうち消すことは出来ない。
 全員が言葉を失った瞬間。
 思いものが船倉に当たる音がした。
 そして、急に不規則になる水音。
「――何?」
 不安に顔を強ばらせながら碧が船の周囲に目をやり、そして息を呑んだ。
「囲まれてる!」
「こっちもだ! 船がフカにかこまれてる」
 暁文が慌てて積んであったサーチライトを照らす。
 波が消えていた。
 一面に黒々と隆起したフカの背中が見えた。
 ぐるりと取り囲み、船に身体をこすりつけるようにしている。
「おいおい、このままでは転覆させられるぞ!」
 焔が叫ぶ。
「くっ」
 悠也が呻いて立ち上がる。もたれかかっていた駒子が眠そうに目をこすりながら身じろぎした。
(このままでは)
 転覆すれば、フカの居る海に投げ出される。
 流石にそれは遠慮したい。派手になるのは不本意なことこの上ないが、風神と水神の結界符を併用すれば、直径30m程度の結界空間を作ることができる。それで身を守ることはできるのだが。
 舌打ちして、懐からセロハンの束を取り出す。
 綺麗に飛び魚の形に切り抜かれたセロハンを、祝詞をとなえながら海へと放つ。
 とたんに、セロハンは燐光を帯び、水の中で光る飛び魚となり、フカにまとわりつき動きを封じ出す。
 いつも使っている白蝶の応用だ。本当に力ある術者は新しい術をあたらしい方式で生み出せる。それを証明したかのような対水中戦闘の創作術であった。
「おっし、俺も負けないからな。こんなところで転覆してたまるかよ」
 不安をうち消すように言うと、鷹科碧は船縁に立って、手を波間にかざす。
 そして裂帛の声と同時に、身体の中にある「気」――を波動にして放つ。
 弾けるような音がして、水柱が立つ。
 焔はパーカーを脱ぎ捨てて大きく両手を広げる。と、身体に彫り込まれた龍がゆらりと身をよじらせた。
 彫り込まれた線の一つ一つが、焔の身体の内面から放たれる「力」に呼応して脈動し始める。
 それこそが焔の身体により作られた催眠の術――龍眼だった。
 焔の心拍数に呼応して彫り込まれた龍が身体を揺らす度、声もなく身体を船倉にこすりつけていたフカがおとなしく海底へと沈み消えていく。
「止まり――ましたね」
 榊がつぶやいた瞬間、海の底から蒼い光をまとった何かが浮上してきた。
「海龍か!」
 暁文が叫ぶと同時に、水柱が立ち上り、硬質的な鱗を全身にまとった龍が海の中から現れ、船をとびこえ、波をかきたて、海の底へと沈んでいく。
 突如起こった波に、船が大きく揺れ、積み込まれた懐中電灯や地図がバラバラと海へと落ちる。
「駒子さん、マブイダマです!」
 榊が駒子を抱き留め、甲板に背中をしたたかに打ち付けつつも叫んだ。
 暁文が跳躍し、榊と駒子の近くに着地すると、軽々と駒子を抱き上げて船縁に足をかけて飛び込んだ。
 そして海面につま先が触れるより早く、手近な場所にいたフカの背中の上にテレポートする。
「《きーちゃん》がくれた《まぶいだま》投げるから、こまこたち、いじめちゃだめだよ☆」
 かすかに頬を膨らませながら、駒子が袋の中から「マブイダマ」を握っては、まるで節分のまめのように海中へとばらまく。
 ばらまいたが早いか、暁文は次のフカの背中へとテレポートする。
 光を放つ玉が海底へと沈んでいく。
 それを追いかけてフカ達が一匹、また一匹と沈んでいく。
 海龍がガラスをこするような、耳障りな鳴き声をあげて、大きくうねり、フカ達を追いかけていく。
 駒子の袋の中にあったマブイダマがすべてなくなり、力を使い果たした暁文が甲板でがっくりと膝を突いた時。
 海は最初から何もなかったように、静まりかえり。
 最初の太陽の光――来光を受け、金剛石のように綺羅めいていた。


■沖縄最終日 10:00 沖縄の空に笑え!■

 とにかく事件は解決した!
 イロイロと思う事はあるだろうが、この美しい南国の前に悩んで居られるほど張暁文は禁欲主義者ではなかった。
 南国美女に、老酒、海。
 咲き乱れるハイビスカス、でいご、ブーゲンビリア。
 水着の上にパーカーをひっかけ、サングラスもばっちり用意で、ホテルのプライベートビーチへ飛び出す。
 緑のバドワイザー、赤いハイネケンの旗がシーサイドバーの片隅で風に煽られ揺れている。
 少し先の桟橋へいけば、水中をのぞけるグラスボートでオレンジと白の縞模様をもつクマノミや白やピンクのイソギンチャクなど、極彩色の海を観覧する事ができる。
 さて、まず何をしようか、と煙草をくゆらせていると、暁文と大差ない格好をした黒月焔がにやりと笑っている。
 無駄な筋肉一つない身体に彫り込まれた刺青が、光に影に脈動しビーチにいる女性客の視線をあつめている。
 しかし焔は女性の視線をあつめてにやけているのではない。
 暁文のあしもとに、ちょこんとすわる水着すがたの童女に気づいたから笑っているのだ。
「《ふーみん》あのね、こまこ《うみ》の《おさかな》が《あかい》のみたいな」
「だぁあああ!! ていうか、《ふーみん》はヤメロ!」
「《かなちゃん》が《ふーみん》がとってくれるって☆」
 にこにこと笑いながらマイペースに言うと、意外な足の速さでビーチを走りぬけ、ざぶざぶと波の向こうへ突撃する。
「馬鹿! オマエおよげるのか! 浮き袋無いと波にさらわれるだろうが!!」
 先ほどまでのリゾートへの夢はどこへやら、あわてて暁文は追いかける。
「……僕、中島さんが子供に好かれるのって、やっぱり性格だとおもいます」
 ポロシャツにジーンズを来た七森拓己が日差しを避けるように、目の上に手のひらをかざしながらつぶやいた。
「だろうな」
 駒子を追いかけ、右往左往する暁文をみながら、焔がくつくつと喉をならす。
「ところで、僕、沖縄の海洋生物の生態系にも興味があるんです。良かったらご一緒しませんか?」
 母親に始めての薔薇を送る少年のような、無垢な笑みを浮かべる。
 それは焔が他人に向けられるにしては、新鮮な反応であった。
 本来なら、他人に対して冷たい態度をとることが多い焔も、この時ばかりは笑ってうなずいた。
「あっ! 僕、ニライカナイの写真、デジカメで取っていくって兄弟に約束したのに――すっかり忘れてました」
 思い出したように、叫ぶ拓己。
 焔は拓己の背中を叩いて「いいさ」と答えた。
 グラスボートの底から見える海も、きっとニライカナイに負けない位綺麗だろう。
 それで許して貰えばいい。
 沖縄には、まだそこかしこに、神の息吹が残っているのだから。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 /草間興信所事務員&翻訳家&幽霊作家】
【0213 / 張・暁文(チャン・シャオウェン) / 男 / 24 / サラリーマン(自称)】
【0164 / 斎・悠也(いつき・ゆうや)/ 男 / 21 / 大学生・バイトでホスト】
【0134 / 草壁・さくら(くさかべ・−) / 女 / 999 / 骨董屋『櫻月堂』店員】
【0291 / 寒河江・駒子(さがえ・こまこ)/女/ 218 /座敷童子】
【0490 / 湖影・華那(こかげ・かな)/ 女 / 23 / S○クラブの女王】
【0454 / 鷹科・碧(たかしな・みどり)/ 男 / 16 /高校生】
【0464 / 七森・拓己(ななもり・たくみ)/ 男 / 20 / 大学生】
【0599 / 黒月・焔(くろつき・ほむら) / 男 / 27 / バーのマスター】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは立神勇樹(たつかみ・いさぎ)です。
 大変お待たせして申し訳ありませんでした。今回はちょっと多めに9人取らせていただきました。
 大人数を描写するのは久しぶりで、大変でもありましたが、かなり楽しませていただきました。
 参加していただいてありがとうございました。
 さて、今回の事件は「エピローグを除いて時系列順に11シーン」になっております。
 人によっては「何故?」の部分が(プレイングにより)欠落している処もあります。「なぜこのキャラが、こういう情報をもってこれたのかな?」と思われた方は、他の方の調査ファイルを見てみると、違う角度から事件が見えてくるかもしれません。
 もしこの調査ファイルを呼んで「この能力はこういう演出がいい」とか「こういう過去があるって設定、やってみたいな」と思われた方は、クリエイターズルームやテラコンから、メールで教えてくださると嬉しいです。
 あなたと私で、ここではない、別の世界をじっくり作っていけたらな、と思います。

 初めまして黒月焔さん。
 能力がちょっと特殊だったので、描写に迷ってしまいましたが、如何でしたでしょうか?
 また、再び不可思議な事件でお会いできることを祈りつつ。