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調査コードネーム:ニライ・カナイ
執筆ライター :立神勇樹
調査組織名 :草間興信所
募集予定人数 :1人〜5人
■オープニング■
草間興信所の入り口で一つの争いが勃発していた。
興信所内に押し入ろうとする男と、興信所内に押し入らせまいとする男の。
前者は警察庁の特殊犯罪調査官である榊千尋。後者は(一応)この興信所の主である草間武彦だ。
「帰れ。お前の依頼は面倒な割に金にならん」
「酷いなぁ。折角出張みやげの長崎カステラ持ってきてるのに」
「よし、カステラは入れ。お前は帰れ」
思わずなんじゃそりゃ、と言いたくなる草間の一言に、榊はドアに足を挟んだまま深々とため息をついて見せた。
「ニライ・カナイ?」
「そうニライ・カナイ。竜宮と言った方がなじみ易いかもしれませんね。沖縄地方で海底……あるいは波間にあると信じられている伝説の楽園です」
「で、そのニライ・カナイがどうかしたのか?」
草間の当たり前すぎる問いに、榊は隣に座る女性を指して素っ気ない口調で「比嘉……まゆらさんを連れて行ってもらいたいんです」と告げた。
染めたのではなく自然に色素が抜けた琥珀色の髪。夜の海底のように静かに潤う瞳。日に焼けた健康的な肌が彼女――まゆらが南国の出身だと告げていた。
「場所はわかってますっ、どうしても助けたい人がいるんです。その為にはニライカナイへ戻らないと行けないんです。お願いします……!! 榊さんに警察病院で出会って、それでここなら何とかしてくれるって聞いて、無理に連れてきてもらったんです! お願い……助けて」
ソファーから身をのりだし、草間の腕を掴む。と、草間はあわてて体をのけぞらせ、助けを求めるように榊をみた。
「おい、場所がわかってるんなら、何でお前が連れて行かないんだ。天下の警察だろ」
「連れて行きたいのは山々ですが、フカがね」
「フカ?! フカってあの鮫の事か!」
「そう。九メートルクラスの人喰いフカ。あと、場合によっては海龍」
ハニワの様に眼と口をぱっくり開ける草間に向かい、事もなげに榊は言う。
「ニライ・カナイがあるらしき場所の近辺で、最近船の転覆やフカの異常発生が相次いでいましてね。ただのおとぎ話、と笑ってもいられません。海開きも近いですし」
「なるほど、人助けと海洋安全をかねている訳か」
皮肉気な草間の言葉に榊は苦笑し、「それだけじゃないんですけれどね」とつぶやいて再び長いため息をついた。
「ともかく、何人か人をお貸しいただけますか? ウチだけでは手にあまります」
言いつつ榊は立ち上がったが、立ちくらみを起こしたのか、よろめいて近くの机に片手をついた。
心配げにみる草間たちに向かって、ごまかすように乾いた笑いを漏らし、榊はまゆらと二人で興信所を後にする。
「何というか……あいつ、疲れていなかったか?」
――疲れている?
どちらかといえば「憑かれ」ているように見えたのだが。
窓の外を見る。
とビルの入り口から榊が「一人」で出ていくのが見えた。
■22:00 七森家の事情■
七森拓己は獣医学部に在籍するごく普通の、大学2年生であった。
ごく普通の穏やかで人当たりの良い性格と、それを写し取ったような柔和な外見。
騒がしくやや心配性のきらいもあるが、思いやりある明るい4人兄弟の3男にして調停役。
ごく普通に勉強もでき、ごく普通に友達をつくり、たまに講義をさぼる。
一般的日本の大学生であった。
――ただ一つ、普通でないのは。
七森家は異能者を排出する家系だったのです。
(なんて、某海外ドラマのナレーションみたいなことしている場合じゃないですよね)
ぽりぽりと、天井をみながら頬を掻く。
「沖縄?」
妹が愛情を込めて作ったカレー(もちろん市販のレトルトなのだが、愛情(というより兄馬鹿のひいき目)で本場の味を越える、と勝手に兄弟は解釈している)を口に運ぶ手をとめて、長兄である七森慎は拓己を見返してきた。
「単位」
ぽつり、と二つ目の単語を吐き捨て慎は再びカレーを口に運び始める。
「え? 何にいさん?」
「単位が足りてるなら、いいんじゃないのか?」
あっさりとした許可に、胸をなで下ろす。
昼間に草間興信所を訪れ、沖縄での――ニライカナイの事件を聞いて以来、興味を引かれていたのだ。
半分以上は観光気分であるが、生来の人の良さからか、困っている人を放っておくことは出来ないのだ。
まゆらの様子をみるに、かなり切羽詰まっていた。
力になって上げたい、と思った――兄弟が許可してくれれば。だ。
何せいつもの東京の事件とは違う。沖縄だ。最南端の島だ。日本唯一の亜熱帯気候の地域だ。
そんなところに「じゃ、行って来ます」「はいはいどうぞ」で行けるかどうか、不安であった。
特に七森家は他家と違う秘密――もっとも、本人達は生まれたときからその秘密と共生しているので、普段は深刻に捕らえたりはしていないが――を持っているのだから。
「いいなぁ。沖縄、私も行きたい」
末っ子で妹で三人の兄から愛されている沙耶が、テーブルの上で頬杖をついて、上目遣いで拓己と槙を交互に見ている。
胸元の十字架を指先で弄んでいることから、彼女が半分あきらめているのは明らかだ。
「嫁入り前の娘を、沖縄なんて遠くにやれるか」
カレーの火照りをさますため、水を一気のみしていた次男の慎一が小馬鹿にしたように言った。
さすが元暴走族『ナイトメア』の総長。
口調は軽いが、言葉には否定をゆるさない絶対の重みがある。
「じゃぁ、ちんすこうがたべたいな」
頬を膨らませて、沙耶が言う。
「オリオンビール」
「泡盛」
妹の不満をうち消すように、二人の兄がほぼ同時に沖縄の二大アルコールを述べる。
――これでは本当に、観光になりそうだ。
と心中で苦笑しながら、拓己は兄弟に向かって微笑みかけた。
■翌日 14:30 沖縄■
ともあれ沖縄だ!
蒼い空にエメラルドグリーンの海。というと、安っぽい三流旅行代理店のあおり文句のようだが、実際に目にすれば、もはやその売り文句以外頭に残らない。
高く遠く、どこまでも透き通っている空。
空を写してなお透明で、深い場所にある珊瑚まで見通せる輝石のような海。
街を彩るハイビスカスの赤に、ブーゲンビリアの鮮やかなマゼンタ。
屋根瓦はくすんだ紅色。野放図にしかし力強く茂る植物の緑。
これらの色彩に迎え撃たれ、心が躍らないヤツはもう救いようがない。
草間興信所を中心として集った十一人は、日本唯一の亜熱帯に降り立ち、すっかり気もそぞろである。
「うわぁ! すっかり夏! 海! 南国っ!」
ジャンプして、空を掴むような仕草をしながら鷹科碧が歓声を上げる。
「本当に夏ですね。これなら泳げそうですね」
「ゴールデンウィーク越したら泳げるらしいがな」
若さを爆発させる碧をほほえましく見ながら、七森拓己と黒月焔が言葉を交わす。
「とっとと片づけて、とっとと遊ぶぞ、おら」
めんどくさげな口調で、しかし珍しく満面の笑みを浮かべながら背伸びをし潮風に満ちた空気を吸い込んでるのは中島文彦こと張暁文。
「紫外線対策が面倒ね」
と一人現実的かつ美容的な事で頭を悩ませ、女王らしからぬ憂愁のため息をついているのは、湖影華那。
「ホテルを経営している知り合いがオープン前のホテルのスウィートに招待してくださるので宿泊はそちらにするつもりですが。かまいませんよね、榊さん」
ファッション雑誌から一足早く抜け出してきた、と言わんばかりの白を基調にした夏の装いで周囲の女性達の視線を集めながら、斎悠也が問うと、その足に浴衣を着た童女――寒河江駒子が抱きついた。
「こまこ、こまこねー、はやく《きーちゃん》にあいたいな。《きーちゃん》はこまこの《ともだち》なんだー。ほんとーは《きじむなー》ってゆーんだけどね。《さかなのひだりめ》がだいすきだから《にらいからい》や《ふかをよける》こともおしえてくれるとおもうよー☆」
満面の笑顔を見せながら、高く良く透る声で駒子が言う。
「あ! でもこまこ《おかね》もってない……えと……だれかこまこに《おさかな》かって?」
不安になったのか、急にまなじりを下げ顔を曇らせる。
「いいですよ」
「かまいません」
ほぼ同時に榊と悠也が答え、苦笑する。
「寒河江さんには前回お世話になりましたし」
「それを言うなら俺も、です」
大したことではないのに、何故か役目を担いたがる男二人。当の本人達もそのおかしさにとまどっているのだろう。
(しかし、これは良いチャンスかもしれませんね)
事件とは別に、悠也には突き止めたい事があった――この、榊千尋について。
「なんだか右から左に会話がながれすぎて、私、混乱してまいりました」
白いワンピースの裾を風にそよがせながら、草壁さくらがため息を付く。
「私もよ」
日差しを避けるためか、いつもなら胸にかけているうすい色つき眼鏡をかけて、眉根をしかめる。
高校生、大学生、サラリーマンに、バーテンダー、SMの女王様に、警察官。幼女に金髪美女。
全く持って相容れない異質異色の集団だ。
やれやれ、と先を考えて気が遠くなっていると、煙草を吸っていた暁文――中島文彦という偽名を使っているのだが――が鼻をならした。
「それにしても。ニライカナイ、海の底の神の国だっけか?」
そこに『戻る』って事は普通の人間じゃないな。と心中で吐き捨て、シュラインの隣に立っているまゆらを横目でにらむ。
「……助けたいヤツが居るって言ってたよな? そいつを助けたら事態は収まるのか? アンタ達が何かしたからこんな事態になってるんじゃないのか?」
辛辣な言葉に、まゆらはうつむく。
「ちょっと、アンタ」
既に事情を知っているシュラインが、押しとどめようとする。が、一瞬だけ遅れた。
「僕も知りたいです」
にこにこと無邪気な笑顔をふりまきながら、七森拓己が暁文とまゆらの間に入ってきた。
「助けたい人って誰ですか? ニライカナイってどんな場所ですか? まゆらさんは幽霊ですか?」
早速売店で買ったばかりのちんすこうを差し出しつつ矢継ぎ早に質問する。
「――ごめんなさい」
消え入りそうな声でまゆらがうつむく。目は潤み、今にも涙がこぼれそうだった。
とたんに拓己は罪悪感に襲われてしまう。
「ま、いいさ。俺達が加わったところで化け物相手にどーこー出来る訳がない。結局本人同士に納めてもらわないとな」
沈みがちな陰気な空気を嫌ったのか、ただ、女に泣かれるのがめんどくさいと思ったのか、軽口のように暁文が吐き捨てる。
しん、と沈み帰ったメンバーをみて、何かを思いだしたように、暁文はぽん、と手を打った。
「あ、榊が憑かれてる事に関しては別料金だと思うぞ」――と。
■16:00 斎場御嶽(セイファウタキ)■
斎場御嶽(セイファウタキ)は琉球の創世神・アマミキヨが作った国始め七御嶽の一つである。
古くから沖縄第一級の霊場とされ、琉球王朝時代の最高神職である聞得大君の即位儀礼が行われた聖地である。
近年の観光化にともなって、男子禁制の掟は取り払われたものの、地元の男は今でも――誰に禁止されているわけでもないのに――敬い、なかなか足を踏み入れようとはしない。
そこに長い歴史の間に沖縄、否、琉球の人たちが培い、守ってきた神々との絆が感じられる。
「では、ここで二手に別れましょう」
フカや海竜と戦うチームとまゆらと一緒にニライカナイへ向かうチームに。だ。
ニライカナイには斎場御嶽から。
フカが発生する海域――久高島へは、斎場御嶽近くにある安座真港から船で移動する。
船と言っても漁船に毛が生えたようなものだ。
全員を乗せるのは不可能だし。フカにかまけている間にニライカナイの門が閉まっては一日が無駄になるのだ。
ニライカナイへの道は日没の瞬間。もしくは日の出の瞬間のみに開かれる。
まゆらがニライカナイへ行くのを邪魔するであろう、フカと海龍を船のメンバーがおとりとなって引きつけ、その隙にまゆらをサポートするメンバーが「ニライカナイ」へ渡る。そういう作戦だった。
「僕は――出来ればフカ退治は棄権させていただきたいです」
困ったように黒髪をくしゃりとかき混ぜながら、拓己がつぶやく。
獣医の卵だけあって、生き物を傷つけるのがイヤなのだ。
そもそも最初からまゆらをニライカナイに連れて行くのには賛成でも、フカや海龍と敵対する意志はない。
「私とさくらもパスね、戦力外だし。まゆらさんには憑きなおして貰わなきゃ駄目でしょう?」
シュラインがはきはきという。
その後ろで静かに、しかし毅然とさくらが頷いてみせる。
「私もパス。フカ退治は警察に任せるわ。面倒くさいから」
ビーチには似合わない深紅のピンヒールで浜辺の砂を踏みにじりながら華那は言う。
逸らしたあごと胸が、無言の威圧感で他の男性陣をたじろがせる。さすが女王様、というところであろうか。
「先着順、仕方ありませんね。戦力という点からみればこの分け方がベターでしょう」
半分呆れ、半分どこか面白がるような様子で榊が言い切った。
「ちょっとまて、このガキもか!!」
ぎょっ、とした顔で暁文が叫び、足下を走り回っている駒子を指さした。
「こまこ、《ゆーやちゃん》と《きーちゃん》といっしょがいい。《ふーみん》もいっしょ☆」
「ふーみん、って誰だ、オイ」
期待のまなざしで暁文、もとい中島文彦を見つめる駒子。
「……言わずもがなでしょう」
冷静に突っ込む榊。その榊の後頭部を力一杯拳でなぐりつけて、暁文は叫んだ。
「なんだその一昔前のアイドルみたいなあだ名は! 断じて却下だ!」
「いいじゃない、似合ってるわよ。ふーみん」
半眼で冷ややかに嘲笑うシュライン。
かつて草間興信所をさわがせた中学生のお嬢様を思い出しながら、さくらが遠い目をしてみせる。
「絵梨佳様の時もそうでしたが、中島様には何か子供を引きつける強い魅力がおありなのだと思います」
「そんな魅力、四つに畳んでドブ川に捨ててやる!!」
フォローにならない誉め言葉に対して暁文が絶叫する。
アンダーグラウンドに息づき、あらゆる犯罪の影で動く流氓の彼にしてみれば、たとえ事実であったとしても言われたくない誉め言葉なのだろう。
「良いんじゃないですか? ふーみん」
笑いを押し殺しながら、悠也が煽る。
「おうっ、カワイイじゃないか。ふーみん」
「俺もそう呼ばせてもらおう、ふーみん」
碧と焔が便乗してからかい続ける。
そして騒ぎを興味なし、と言った体でみていた華那が、高飛車にトドメを指す。
「声がウザイわよふーみん」
「……あとで覚えてろ」
殺気を唸りに変えながら、まとわりつく駒子の頭をなで、それとなく自分から遠ざけようと悪戦苦闘する。
そのさりげない優しさが、子供に好かれる要因であることを、暁文は全く気づいて居ないようだ。
「んしょ」
ようやく暁文から離れた駒子は、悠也からビニール袋を受け取り、引きずるようにして斎場御嶽の近くにあるガジュマルの木の前に運ぶ。
中には国際通りの市場(マチグワー)で買った、赤や青といった原色の魚達がはいっている。
「《きーちゃん》ねぇ。こまこあそびにきたよ!」
高く、高く天まで伸びる気にむかって、駒子が無邪気にさけんだ。
唐突な出来事に、全員が話をとめて駒子をみた。
海風がゆらゆら、ざわざわとガジュマルの枝を揺らす。
潮の匂いが駒子の切りそろえた髪をくすぐり、浴衣の袖をはためかせる。
大きな瞳が、若木を透過した木漏れ日にきらきらと輝いた。
――風が、止まる。
そして木々のざわめきにかすかに子供の笑い声が混じり始める。
くすくす――ざわざわ――くすくす――といった調子で。
「クワラクワラだのにー!!!」
弾けるような男の子の声がした。
突然ガジュマルの木の皮がさけ、赤い固まりが転がり出てきた。
固まりは木の前に置かれたビニール袋をひっつかむと、ブルブルと震えた。
全身を包むほど長く赤い髪の毛がパックリと割れ、日に焼けた顔と真っ白な歯が現れる。
「クワラクワラだのにー、よくきたなぁ。ヤマトンチュはげんきぃだにー」
一般的に沖縄の人間は昼間――およそ11:00〜17:00は浜に出ない。
強すぎる日差しで日射病になったり、脱水症状を起こすのがわかっているからだ。
「あのねこまこね《にらいかない》にいきたいの。《ふかをよける》ほうほうおしえて」
「《ふかをよける》ほうほう? 海人(ウミンチュ)なら誰でも知ってるだに。海龍にマブイダマ投げるだに」
といって、ぼうぼうと伸びっぱなしの髪の毛に手を突っ込んで、小さな革袋を取り出して駒子の手のひらにぽとりと落とした。
中には親指の先ほどのガラス玉がつまっており、一つ取って日にかざすと、それは万華鏡のようにくるくると色を変え明滅し始めた。
「海龍は海でさまよう魂(マブイ)をニライカナイへ連れて行くだに。マブイダマみたら、追っかけてくるだに。海龍の手下のフカも同じだに」
ビニール袋から、魚を捕りだし、指先で左目だけをもぎ取って食べていたキジムナーはにっ、と白歯を見せてわらった。
「こまこ、魚の左目うまかっただに」
キジムナーが言うが早いか、ひときわ強い海風がガジュマルの樹を揺らした。
巻き上げられた砂から、全員が目をかばい、再び浜辺を観た時。
そこには、食べ散らかされた魚と、市場のビニール袋だけが砂にまみれて残っていた。
■AM5:00 命薬(ヌチグスイ)■
「そう、しょうがないわね」
浜辺にたかれたたき火でを見つめながら、シュライン・エマはため息をついた。
たき火の向こう側では先ほどまでちんすこうをつまみに、ビールを傾け「動物性と調教の必要性」について激しく意見を戦わせていた、華那と拓己が毛布にうずくまって眠っている。
海上の榊からの電話では、まだ海龍どころかフカも現れないそうなのだ。
「それより体調はどう? まゆらさんがニライカナイへ行って木内さんを助けられれば、海は元通りになって、あんたからも離れてくれるのよね?」
『おや、心配してくれているんですか?』
「そうじゃないわ。ただ……観ていて痛々しかったというか……なんでも受け入れちゃうのねぇ」
今、まゆらはさくらに取り憑いて居る。その分榊は体力的に疲労することは無いだろう。しかし、弱り切った体力でフカと戦うというのだから、心配するなというほうがどうかしている。
『――受け入れる、というのは違いますよ』
穏やかな声で、やんわりと否定される。
『警察病院でも言いましたが、私はまゆらさんを受け入れた事は一度もありません。ただ単に彼女を固定していただけです』
はぜる焔をぼんやりみていると、携帯電話の向こうからノイズがかった榊の声が聞こえた。
『シュラインさん。「クラップハンド・フェアリーテール」をご存じです?』
唐突な話題の変換に頭がついていかず、思わず、え、と漏らすと榊がくすくすと笑って見せた。
『ああ、子供が妖精を信じて笑いながら手を叩くと、植物やものの影から新たに妖精が生まれる、というアレです』
「? それがどうかしたの?」
雑談でもしていなければ、眠くなるからなのだろうか? それにしては妙に話題が飛躍しすぎている。
『――そして、妖精などいない。と子供が断言する度に一人の妖精が消えていく』
シュラインの質問に点で的はずれな答を榊は返す。
何が何だかさっぱりわからない。つまらない話をするのなら電話を切るわよ、と言いかけたとき、榊が決定的な一言を突きつけた。
『同じ事ですよ。精霊であるまゆらさんがどうして宿り地である沖縄を離れて、無事でいられたと思うんです』
精霊や妖精は、人が信じれば信じるほどその力を、存在の強さを増す。
百年前にはこの日本にも多くの魑魅魍魎が潜み、悪戯し、あるいは人と共生していた。
しかし科学の発展により闇という闇が暴かれるにしたがって、一つ、また一つと忘却の刃で引き裂かれ、消えていった。
昼間に出会ったキジムナーも、どれほどの人間が忘れずにいてくれたのだろう。
そして、沖縄で信じられている神や精霊がどれほど「東京」で「存在」を保てたと言うのだろう。
まゆらが東京で消失せずに、木内龍也のそばに居られた理由はただ一つ。
――木内龍也が信じていたから。
誰よりも強く、何よりも強くまゆらという「存在」を愛していたから。
神話より、信仰より強く「存在」を信じて愛していたから。
『比嘉まゆらは木内龍也の「愛する記憶」によってかろうじて「存在」していたんです。ですが、木内龍也は意識不明に陥った』
少しずつ、日々がすぎていく事に人はまゆらの事を忘却していく。木内を介して出来た友人も「木内が意識不明」という事件が日常になじんでいくに従って、少しずつまゆらの事も忘れていく。
「でも、それならまゆらさんがニライカナイに戻ったら、全て丸く収まるんじゃないの?」
木内が目覚め、再びまゆらを愛すれば良い。
何を些末な事を真剣に言っているのだろう、とシュラインが呆れていると、榊は電話の向こうで冷たくつぶやいた。
『木内龍也は、後遺症により記憶障害を起こしている可能性が高い』
息を呑んだ。
記憶障害を起こしている可能性が高い――それはつまりまゆらに関する記憶すら無い可能性が高い事で――彼が助かれば、まゆらは消滅するという事以外の何者でもない。
「ちょっ、まって。それって木内さんが回復したらまゆらさんが消滅するってこと?!」
『そうなりますね』
反射的に顔をまゆらに――否、まゆらの姿をしたさくらに写す。
と、彼女は寂しげに微笑んだ。
呆然とその笑みを観ているシュラインの耳もとで、通話の終了を示す電子音が、冷たく鳴り続けていた。
――どうする?
まゆらが決めているのなら、自分に止める権利はない。
「あの、まゆらさん」
ためらいがちにシュラインが声をかけると、まゆらの姿をしたさくらが頭をふった。
そしてまるで過去の記憶を再生するかのように、脳裏にさくらの声が響いた。
(比嘉様は、もう決めてらっしゃいます)
取り憑かれた事により、記憶を共有したのだろう。さくらが淡々とした声で返した。
人と妖の関わり故の別れを経験した彼女にしてみれば、まゆらの気持ちは痛い程わかるのだろう。
――自分が消えるか、相手が眠り続けるか。
それは残酷なおとぎ話。
「本人がいいんなら、良いんじゃないの?」
面倒くさそうな声が聞こえる。つられて振り向くと湖影華那が髪についた砂を払い落としながら不機嫌そうに起きあがった。
「まわりがやいやい言う事じゃないわ」
どっちにしても、止めたって手遅れでしょ。と華那は切り捨てるように言う。
「それはそうだけど」
釈然としない思いに、シュラインが言葉を濁らせる。すると寝ているようで起きていたのか拓己がうっすらと目をみひらき、申し訳なさそうな顔をしながら起きあがった。
「すみません。――あんまり事情を知らないのにこういう事をいうのも、悪いかなと思ってたんですけれど」
ぽつり、と前置きして拓己はシュラインに向かって無理に作った笑顔を見せた。
「本音を言えば、別の策を探した方が良いと思うんです。――でもまゆらさんの気持ちもわかります」
他人の痛みに敏感な青年らしい言葉を漏らす。
どちらにしても、辛いのだ。
永遠に目覚めない人のそばに居続けるか。永遠に忘れ去られて消え失せるか。
同じ永遠なら――愛する人が残ればいい。
それが自己満足の自己犠牲だと笑う人間には笑わせればいい。
しかし、まゆらは決めたのだ。
言葉を失う四人。
ただたき火のはぜる音だけが続いている。
長いとも短いとも言えない沈黙のあとに、さくらがすっくとたちあがり、海へ向かって歩き出し、久高島の方向を指さして見せた。
「――来光」
「え?」
「門が開きます」
言うが早いか、夢遊病者のようにぼんやりとした目のまま浜辺を横切り海へと入っていく。
「追いかけましょう!」
毛布をかなぐり捨て、濡れるのにもかまわず拓己が、華那がまゆらのあとを追う。
まゆらは腰まで水に浸かると、両手を天にさしのべ高く細い声で歌い始めた。
昇る太陽の神女よ
我らの崇高な神女よ
海をなだめ
風を安らげ
門を招いておくれ
昇る太陽の神女
ニライカナイの神の女よ
歌になだめられるようにして、波が止まる。
斎場御嶽(セイファウタキ)から、波を切り分けるように突風が吹く。
そして海の底に――まるで飛行場の滑走路のランプのように、転々と青白い光が灯り始めた!
波をわけ、取り憑いたさくらの身体ごとまゆらが海の奥深いところへ歩いていく。
「追いかけろって、このままじゃおぼれるわ!」
シュラインが叫ぶ。
と、まかせてください! と拓己が叫び両手を波間に浸して瞑目した。
瞬間、彼を中心に水が渦巻き出す。
まるでそれ自体が思念をもつように押し広げられ、丸い空気の球体を作り出す。
拓己が持つ「水使い」の能力を応用した結界である。
「みなさん、僕のそばを離れないようにしてください!」
叫んでまゆらのあとを追う。
やがて全身が海につかり、空の変わりに水が天を覆う。
暗く、重苦しい夜の海に小さな光が灯っている。それは蛍光するイカの群だった。
うやうやしく女王に付き従うように、海底を歩むまゆら達を取り囲み先導する。
燐光にてらされぼんやりと浮かぶ珊瑚礁。岩陰で息を潜めて「ニルヤセジ」の帰郷を見守る熱帯の魚達。
どこまでも白い、南国の砂。
「綺麗だわ」
幻想的な風景に、シュラインが言葉をもらす。
ただ美しいというだけではない。今にも消えそうな切なさと悠久を得た強さ。相反する二つの性質をもちゆらゆらと揺れる風景。
初めてみるのにどこか懐かしい光景。
その光景の奥底、海の最も深く暗いばしょに、橙色の光が灯った。
(――太陽?)
華那が唇を動かす。
刹那。
圧倒的な光が海を満たす。
白く、明るく、何も見えないほどに。
自分の指先すら観ることが出来ないほどのまぶしく、暖かい光!
感覚が消えていく。
見るという感覚が、聞くという感覚が、感じるという感覚が消えていく。
自分の存在が光に取り込まれる。
それは恐怖ではない。
細胞の一つ一つまでもが光にとりこまれ、浄化され、新たに再構成されるような感覚。
――生まれ変わり。
百の言葉と、千の記憶が浮かんでは消えていく。
人を、ものを、世界を愛した記憶。そして愛された記憶がうたかたのように湧いてきては白い光に還元されていく。
何もかもが消え失せ、光にという観念すら消えた時。
――どこかで、子供の――否、自分の生まれた日の声が聞こえた。
気が付くと、拓己は浜辺に寝そべっていた。
記憶を失って術がとけたのか、髪は海水にさらされべたべたでほほには砂がべっとりと付いていた。
慌てて身体を起こし、あたりをみる。
拓己のすぐそばには短いタイトスカートからすらりとした足を惜しげもなくさらした華那が。
波打ち際にはシュラインと――元の姿に戻ったさくらがお互いをかばうように倒れていた。
(一体――何が)
ニライカナイにはたどり着けなかったのだろうか。
と、不安に襲われた拓己の指に、固く冷たいものがふれた。
それは原色の琉球ガラスで作られた、小瓶だった。
中には数滴ほどの液体が入っていた。
「命薬(ヌチグスイ)?」
だとすると、まゆらはどこに消えたというのだろうか。
慌てて周囲を見渡す。
と、浜辺の向こうからフカを引きつける役目を担っていた、榊達がやってくるのが見えた。
「大丈夫ですか」
さほど心配していないのか、安心させる為なのか、柔らかい微笑みを浮かべながら榊が聞いてきた。
「大丈夫です。けど、まゆらさんが」
塩水をのんでひりつく喉を押さえながらつぶやく。
榊は答えず、穏やかな光を瞳にやどしたまま、拓己のてに握られている小瓶を見た。
――まだ冷たい朝の海風が、礼をいうようにゆるりとがじゅまるの枝をゆらしていた。
■沖縄最終日 10:00 沖縄の空に笑え!■
とにかく事件は解決した!
イロイロと思う事はあるだろうが、この美しい南国の前に悩んで居られるほど張暁文は禁欲主義者ではなかった。
南国美女に、老酒、海。
咲き乱れるハイビスカス、でいご、ブーゲンビリア。
水着の上にパーカーをひっかけ、サングラスもばっちり用意で、ホテルのプライベートビーチへ飛び出す。
緑のバドワイザー、赤いハイネケンの旗がシーサイドバーの片隅で風に煽られ揺れている。
少し先の桟橋へいけば、水中をのぞけるグラスボートでオレンジと白の縞模様をもつクマノミや白やピンクのイソギンチャクなど、極彩色の海を観覧する事ができる。
さて、まず何をしようか、と煙草をくゆらせていると、暁文と大差ない格好をした黒月焔がにやりと笑っている。
無駄な筋肉一つない身体に彫り込まれた刺青が、光に影に脈動しビーチにいる女性客の視線をあつめている。
しかし焔は女性の視線をあつめてにやけているのではない。
暁文のあしもとに、ちょこんとすわる水着すがたの童女に気づいたから笑っているのだ。
「《ふーみん》あのね、こまこ《うみ》の《おさかな》が《あかい》のみたいな」
「だぁあああ!! ていうか、《ふーみん》はヤメロ!」
「《かなちゃん》が《ふーみん》がとってくれるって☆」
にこにこと笑いながらマイペースに言うと、意外な足の速さでビーチを走りぬけ、ざぶざぶと波の向こうへ突撃する。
「馬鹿! オマエおよげるのか! 浮き袋無いと波にさらわれるだろうが!!」
先ほどまでのリゾートへの夢はどこへやら、あわてて暁文は追いかける。
「……僕、中島さんが子供に好かれるのって、やっぱり性格だとおもいます」
ポロシャツにジーンズを来た七森拓己が日差しを避けるように、目の上に手のひらをかざしながらつぶやいた。
「だろうな」
駒子を追いかけ、右往左往する暁文をみながら、焔がくつくつと喉をならす。
「ところで、僕、沖縄の海洋生物の生態系にも興味があるんです。良かったらご一緒しませんか?」
母親に始めての薔薇を送る少年のような、無垢な笑みを浮かべる。
それは焔が他人に向けられるにしては、新鮮な反応であった。
本来なら、他人に対して冷たい態度をとることが多い焔も、この時ばかりは笑ってうなずいた。
「あっ! 僕、ニライカナイの写真、デジカメで取っていくって兄弟に約束したのに――すっかり忘れてました」
思い出したように、叫ぶ拓己。
焔は拓己の背中を叩いて「いいさ」と答えた。
グラスボートの底から見える海も、きっとニライカナイに負けない位綺麗だろう。
それで許して貰えばいい。
沖縄には、まだそこかしこに、神の息吹が残っているのだから。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 /草間興信所事務員&翻訳家&幽霊作家】
【0213 / 張・暁文(チャン・シャオウェン) / 男 / 24 / サラリーマン(自称)】
【0164 / 斎・悠也(いつき・ゆうや)/ 男 / 21 / 大学生・バイトでホスト】
【0134 / 草壁・さくら(くさかべ・−) / 女 / 999 / 骨董屋『櫻月堂』店員】
【0291 / 寒河江・駒子(さがえ・こまこ)/女/ 218 /座敷童子】
【0490 / 湖影・華那(こかげ・かな)/ 女 / 23 / S○クラブの女王】
【0454 / 鷹科・碧(たかしな・みどり)/ 男 / 16 /高校生】
【0464 / 七森・拓己(ななもり・たくみ)/ 男 / 20 / 大学生】
【0599 / 黒月・焔(くろつき・ほむら) / 男 / 27 / バーのマスター】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは立神勇樹(たつかみ・いさぎ)です。
大変お待たせして申し訳ありませんでした。今回はちょっと多めに9人取らせていただきました。
大人数を描写するのは久しぶりで、大変でもありましたが、かなり楽しませていただきました。
参加していただいてありがとうございました。
さて、今回の事件は「エピローグを除いて時系列順に11シーン」になっております。
人によっては「何故?」の部分が(プレイングにより)欠落している処もあります。「なぜこのキャラが、こういう情報をもってこれたのかな?」と思われた方は、他の方の調査ファイルを見てみると、違う角度から事件が見えてくるかもしれません。
もしこの調査ファイルを呼んで「この能力はこういう演出がいい」とか「こういう過去があるって設定、やってみたいな」と思われた方は、クリエイターズルームやテラコンから、メールで教えてくださると嬉しいです。
あなたと私で、ここではない、別の世界をじっくり作っていけたらな、と思います。
初めまして、七森拓己さん。
今回は参加いただきありがとうございました。
事件の核心には残念ながらあまり触れられませんでしたが、いかがでしたでしょうか?
また兄弟思いということで、他の依頼を参考に家族のシーンをつけてみましたが(汗)
では、再び不可思議な事件でお会いできることを祈りつつ。
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