コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


−双−

<序>
 毎夜、悪夢は舞い降りる。


『記憶が途切れるんです 投稿者:Mao-N 投稿日:2002/05/**(wed) 18:21

 こんにちは、初めて書き込みさせていただきます。
 実は、最近時々ふっと記憶がなくなることがあるんです。最初はあまり深刻ではなかったんですが、ここのところ、僕が僕である時間が短くなってきているので……。
 知人は、いつもどおりの僕がそこにいるというんです。
 でも、僕にはその間の記憶がまったくないんです。
 僕じゃない僕が、勝手に「僕」を演じているんです。
 病院にも行ってみたんですが、別にどこかに異変があるというわけでもないらしくて……どうしていいかわからないんです。
 夜も、僕じゃない僕が誰かに向かってひどい呪いの言葉を発している夢を見たりしていて。
 僕は、もしかして知らない内に誰かを殺そうとしているんじゃないかってだんだん心配になってきて……。
 もしかしたら、見知らぬ人を、知らない内に殺してしまうんじゃないかって、しんぱ

 俺は見知らぬ誰かを手にかけるほど、無節操でもない。
 狙うには、それなりの理由がある。もっとも、そのために複数の無関係者が巻き込まれてはいるがな。
 さて。これを読んだお前の正義感が疼くというのなら――俺の所業を止められるというのなら、来るがいい。
 その時に「俺」がいるか、もう一人の「俺」がいるかは知らないがな。
 指定の場所は添付ファイルに記しておいた。
 来週。ミカエルの午前二時に、待っている。』


 瀬名雫は、いつものネットカフェで、自分のHPの掲示板書き込みを見て眉をひそめた。
 何だろう、これは。
 二人の者が一つの書き込みをしている――ように見えるが、文章だけならいくらでも「一人なのに二人いる」と装うことはできる。
「うーん……悪戯かなぁ。本物かなぁ」
 判別しかねて、小首を傾げる。
 それに「ミカエルの午前二時」とは一体何のことなのか。一文の頭に「来週」とつけられているということは、おそらく、来週のいつの日かを指定しているのだろうが……。
 書き込みに添付されているファイルを開くと、どこかの小さな公園への地図が現れる。
「うーん。もし最初に書き込んだ人が本当に悩んでたりするなら、このままサクッと削除するわけにもいかないしなぁ……」
 ふと、隣にいた者に顔を向けて、雫はにっこりと微笑んだ。
「思い当たる日に、この指定の場所に行ってちょっと確認してきてくれないかなぁ? え? 私? 私はちょっと別の用事があってダメなのよ〜」
 興味津々なんだけどなぁ、と残念そうに呟くと、彼女は頬杖をついて深いため息を漏らした。

<PM5:00 oneday――推論>
 頬杖をついて、なんとはなく横合いからそのモニターに浮かんでいる文字を長めていた内場邦彦は、ふと視線を感じて顔を動かした。雫と、その向こう側に湖影虎之助がいることはわかっていたが、両手を組んで「お願い☆」のポーズを取るに至り、ゆるりと首を傾げて瞬きをする。
 なんということはない仕草だったが、邦彦がやると妙に可愛らしく見えた。
「え? 僕が行くの?」
「人の話聞いてないねこのお兄さんは」
 呆れたように、コーヒーのカップを口許に運びながらしれっと虎之助が言う。横顔でさえも端正で、さすがは人気モデルといったところか。コーヒーを飲み下してカップを置くというその一連の動きでさえもが、妙に洗練されたものに見える。
 ぴ、と人差し指を立てて虎之助が優美に微笑んだ。
「雫ちゃんが知りたがってるんだ。行かなければ男じゃない。違うかな?」
 どういう論旨なのかよくわからないが、とりあえず虎之助はこの書き込みの主に会いに行くつもりらしい。そういわれても、ともごもごと言いながら、邦彦は口許に手を当てる。
「ミカエル……うーん。あまり思い当たることがないんだけど」
 確か、9月には「ミカエルの日」というのがあったはずである。けれど、さすがに日付が違いすぎる。とすると。
「日曜の守護天使だった気がするけどな、ミカエル。でも、諸説あったと思うんだ」
「実は俺も日曜だと思ってた」
 目にかかる少し長めの前髪を整った指先で梳き上げて、虎之助はふと雫の後ろからモニターをぼんやりと眺めていた愛らしい顔立ちの女性に目を向けた。そしてにっこりと秀麗な顔に女性の心をとろかすような甘い微笑を浮かべる。
 さすがに女性至上主義者だけあって、周辺の女性チェックの目に抜かりはないらしい。
「あなたはどう思う?」
「え? あたし?」
 不意に問いかけられて、考え事をしていたらしい女性――鳴神秋歌はぱちぱちと長い睫を瞬かせた。顎に人差し指を当て、ゆるく首を傾げる。金に近い茶色の髪がさらりと頬に零れ落ちた。
「うーん。多分、水曜だったと思うんだけどぉ」
「水曜か。やっぱりいろいろ説があるんだね」
 ふう、と短く吐息をついて邦彦がアイスティーに挿したストローに口をつける。と、その頭の上からひょこりとハイティーンの少年が顔を出した。
「それって火曜じゃないの? 確かミカエルが司るエレメントって火だったし」
「あ、九夏くんじゃない。九夏くんも行ってくれるの?」
 他の書き込みを眺めていた雫が顔を上げた。それに答えるように、九夏珪は明るい笑みを浮かべてひょいと手を持ち上げて挨拶し、その場にいる者たちにも手短に自己紹介をした。それに続くように各々が自分の名を名乗っていく。
 ようやくお互いの顔と名前が一致する。
「まあ、これ見た他の人も、気になる日に地図の場所に行ってくれるかもしれないしね」
 話を元の場所に戻し、雫がテーブルに頬杖をつく。画面をスクロールさせ、例の書き込みを中央に表示させる。
「にしても、ミカエル、か。なにか曜日とか示す以外に意味あるのかな」
「魂を冥界に導く者、とか、そういう意味にかけてなければいいけどね」
 言いながら、虎之助がイスから腰を上げた。そして立ったままだった秋歌に微笑みと共に手で席を勧めながらわずかに右肩をすくめる。
「ただの二重人格か、それとも霊が降りてどうにかなっているのか。その辺りもちょっと気になるかな」
「どっちにしても、何か狙ってることには違いないよな」
 珪が邦彦の座っているイスの背もたれに両腕を乗せてわずかに腰を折ってモニターをもう一度見やる。
 一人目の書き込みは不自然なところで切れ、その後に二人目が挑発的な文章を書き込んでいる。
 まったく違う性格の者が書いたように見えるこの文章。
 虎之助に勧められた椅子に腰を落ち着けた秋歌が、頬に指を当てて憂い顔でモニターを見つめる。
「この前学校で勉強したんだけど、『多重人格』とかは実際に存在する病気だしぃ……。もしかしたら悪戯かもしれないけど、やっぱり放っておけないよねぇ」
「ん? 秋歌さんは看護学校の学生さんなんだ?」
 虎之助に問われて、こくりと秋歌は頷く。昼間は看護学校で看護婦となるべく勉強し、夕方からは実習もかねて学校近くの産婦人科で看護助手のアルバイトをしているのである。
「う〜ん……この書き込みした人が心配だよ〜」
 おっとりとした口調で言いながら、ふうと吐息をもらす。
 多重人格。正式な病名は「解離性同一性障害」。記憶がすっぽりと抜け落ちたり、自分の意識がないところで勝手に思いもがけない行動を取っていたりする、精神的な病である。もしそんな病にかかっているのだとしたら、最初の書き込みをした方――主人格と見るべきだろうが――がかなりつらい思いをしているだろうことは想像できる。
 なんとかしてあげたいと思う気持ちは、その場にいる誰もが同じだった。なぜか、この書き込みからは不思議なことに、あからさまな悪意は感じ取れないのである。
 むしろ、話を聞いてほしいと、そう思っているように感じられる。
「一人称からいって、この人は男の人だよね、きっと。もしかしたらこのハンドルネームって本人の名前なのかな」
 邦彦がモニターに映し出されている名前部分を指差した。
 Mao-N。ネットの世界にあっては、それが本名なのかハンドルネームなのかさえもわからない。本名を晒している人もいれば、ハンドルネームをいくつも使っている人もいる。
「まあとりあえず話聞きに行くだけでも悪くないと思うな」
 かつんとスニーカーの先で床を蹴り、珪が背を伸ばした。
「よし、オレは火曜に行ってみるよ。なんか初めに出てきてる方は助け求めてるっぽいし、誰か巻き込んでまでなんかやろうってのが気にかかるし」
 正義感が特に強いというわけでもない。けれど、やっぱり後者の書き込みの中にある台詞が気になる。『正義が疼くなら』とかなんとかいう、トゲのある言葉。皮肉な響が気にかかる。
 正義や天使――もしかしたら案外これがキーワードだったりするんだろうかと思いながら、その場にいる者を見やる。
「バラけて行ったら、誰かは会えるかもしれないし」
「じゃああたしは水曜に行こうかなぁ」
 言って、秋歌は微笑を浮かべて大きく頷いた。
 人を傷つけることは、どんなことがあってもいけない。人殺しは、どんな理由があってもいけない。止められるのなら、止めてあげたい。
「うん、やっぱり困ってる人は放っておけないものね。何かあたしにできることがあるなら協力してあげたいしぃ」
 その言葉に、はっと虎之助が素早く反応した。
「そっちの野郎はともかく、女性が深夜に一人で得体の知れない男のところに行くのは危険極まりないと思うんだ」
 そっちの野郎、という、自分をぞんざいに扱っているとしか思えないその言葉にぴくりとわずかに珪の眉を動く。が、別に取り立てて反論すべきようなこともないので短く唸るようにして頷いた。
「……ん、まあ確かにオレは平気だろうけど。鳴神さんはやっぱり一人だったらマズいんじゃないかなぁ」
「だったら、九夏くんと一緒に行くか、僕と湖影さんと一緒に行ったらどうかな」
 アイスティーのグラスをコースター上に戻しながら発された邦彦の提案に、優しく微笑んで虎之助が秋歌の顔を横から覗き込んだ。
「じゃあ、俺たちと一緒にとりあえず日曜日に行こうか? もし外れていたらまた三人で秋歌さんの予想した水曜に行けばいいことだし」
「そうだね。まあ、無節操ではない、とか言ってる言葉を信じてもいいけど、その公園に行くまでが危ないしね」
 別に熱心なフェミニストというわけでもない邦彦も、やはり深夜の女性の一人歩きには賛成しかねた。その場に待っている男は無節操ではないかもしれないが、世の中の男すべてが無節操ではないかといえば、決してそうとは言えないからだ。
「送り迎えだったら俺がばっちりしてあげるし」
 ぱちりと虎之助が一つウインクする。それに、しばし「んー」と考え込むように唸ってから、にっこりと微笑んで秋歌は頷いた。
「はい。それじゃ、お言葉に甘えて湖影さんと内場さんと一緒に、日曜日に行きますね。でもぉ、ハズれたら水曜、だからね?」
 それに邦彦と虎之助が指でオッケイの仕草をして答えた。
 ようやく話がまとまったのを見、それまで黙って様子を見ていた雫ががたりと席を立った。そして右の拳を振り上げる。
「よーしっ。それじゃあみんなっ、何かあったらちゃんと報告してよねーっ☆」

<AM2:10 Tue ――見えない堕天使>
 人通りも車の行き来もまったくない、静まり返った道を歩き、珪は書き込みに添付されていた公園へとやってきた。
 ちらりと携帯電話のディスプレイを見る。午前2時を少し回ったところだ。がらんとした空虚さが公園内には横たわっていた。日中の公園とくらべると、どことなく不気味な感じがする。蒼白い月明かりの中に、滑り台やブランコが、まるでオブジェのように存在している。
 人気は、ない。誰かがいる気配もない。
 園内の端の方にある小さな藤棚に、わずかばかり薄紫色の花が垂れているのが見えた。ゆうらりと、流れてくるわずかばかりの風に花の房が揺れている。
「……空振りだったかな」
 ネットカフェで、皆が日曜に行くと言っていた時にやっぱり一緒にいけばよかっただろうか、とちらりと思う。けれど、今更思ったところでもう遅い。日曜はもう過ぎてしまっているし、そこで何かの結果が出ているのなら、書き込みの主はもう苦しんだりはしていないのかもしれない。
 それならそれでいいと、思う。
 けれど、それならそうだったと誰か連絡してくれてもいいのに、とちらりと恨めしげに携帯電話を見下ろした。
 その時。
 ふっ、と、誰かの視線を感じて珪は目を上げた。
 宙でばさりという羽音が上がり、夜の闇を切る。
 音に引かれるように空を見上げると、大きな鳥が一羽、円を描くようにして羽ばたいていた。月を覆い隠すかのように広げられた翼は、逆光にあってもなお鮮やかな。
 真紅。
 珪の頭にふと、先日、彼の師匠である久我直親が仕事から戻ってきた時に肩に乗せていた式神が浮かんだ。その後、その式神を師匠が連れているのを見たことはなかったが、確か、あれも真紅の鷹だった。額に不吉な逆さ五芒星を宿していたが……。
 だが、今頭上を飛ぶ鳥からは別に敵意は感じられない。もしかしたら、直親が飛ばしてきたものなのだろうかと思い、右腕を鷹に向けて差し出した。
 ただの鳥でないことだけは確かだ。いくら視界が利くほど月明かりがあっても、こんな夜中に鳥が空を飛ぶはずはない。
 自分の式神でもないのに、自分の元へ降りてくるかどうかは疑問だったが、鷹は、すぐさまそんな心配を払い飛ばすように、優美に一つ羽ばたきを起こして珪の元へ降りてくる。そして差し出された腕にそっと舞い降りた。足には鋭い爪を持っていたが、珪の腕を傷つけはしなかった。
「……きれいだなぁ、お前」
 思わず口に出してそう言ってしまう。真紅の羽に包まれたその体は、まるで血塗れているようでもあり、炎を具現化させたようでもあった。月光が艶やかにその羽に光を落とす。
 感情のないガラス玉のような金色の瞳が、珪を静かに見ている。その額に、逆さ五芒星はない。
「あれ? ……ってことは師匠のとこから来たんじゃないのか?」
『なるほど。あれはお前の師匠なのか』
「っ?!」
 突如直接頭の中に響いた声に、はっと珪が周囲を見渡し、空いている手を耳に当てる。それに、腕の上にいる鷹がふわりと羽を一つ羽ばたかせた。
『驚くこともないだろう。今俺はお前と思念をつなげている。それだけだ』
 はた、と珪が鷹へと目を戻す。その視線に答えるように、鷹がまたばさりと羽を動かした。
「……あんた、もしかしてあの書き込みの後半部分のヤツか?」
『先日出くわした者たちは、元の書き込みの方をミカエル、後から書き込みした方をルシフェル、と命名したが――その呼称を使うなら、俺はルシフェルの方だ』
 じゃあやはり火曜という読みは外れていたのかと珪は小さく舌打ちした。その意思を読み取ったかのように、思念の声が笑う。
『まあそう残念がるな。とはいえ直接姿を見せるのはゲームのルール違反だろうから、今日はこんな姿で参上だ。本来なら姿を見せるつもりもなかったが』
 ばさりともう一度鷹が翼を広げる。金色の瞳がまっすぐに珪を見つめていた。その瞳を見つめ返す。なんだかその瞳に胸の奥まで覗かれているような気がしたが、それでも怯まずに強い眼差しでまっすぐ見つめる。
「で? ルール改定してまで一体俺に何の用だよ」
 すでに先発隊と出くわしているのなら、話はもうついているのだろう。他人を巻き込んで動いていることも、はじめの書き込みの主が助けを求めていることも。何とかしてやれと、先発隊の者たちに言われているはずだ。
 だが。
 目的を果たしたはずなのに、あえて今自分の目の前に現れたのだとすれば…おそらく。
 目を眇めて、珪は腕に鷹を乗せたまま近くにあったブランコに腰を下ろした。月明かりの下、きい、と鎖がきしんだ音を立てる。静まり返った園内に、それはひどく大きな音として響き、すぐさま闇の中へと消えていく。
「師匠がこないだ連れてた式神と、あんたと、なんか関係があるってわけだ?」
 問いかけに、鷹が小さく首を動かした。肯定とも否定ともとれない仕草だった。
『どうだかな』
「どうだかもなにも、同じ式神じゃないのか。こいつと、今師匠のとこにいるヤツとは」
『今のこの式神は、俺が飛ばしたモノではないからな』
 言われて、もう一度珪は鷹をまじまじと眺めた。美しい真紅の翼に、金色の瞳。確かに、師匠が連れていたのと同じ式神だ。――額に逆さ五芒星がないことを除けば。
 鷹の額に視線を止めたその珪の考えを見抜いたかのように、思念が小さく笑う。
『そう、逆さ五芒星がないだろう? だから俺の式神じゃないんだ。……ヒントをくれてやるとすれば、俺は「二人で一人、一人で二人」なんだ。わかるか?』
 遠まわしに手の内を明かすことを楽しむかのようなその声音に、珪は眉宇を寄せた。……そうである。こいつは「正義感が疼くなら」云々と言っていたヤツである。根性がひねくれ曲がっているだろう事は薄々想像してはいたのだが。
「性格悪ィ」
 ぼそりと呟いたその言葉に、思念がさらに声に愉悦を乗せる。
『お褒めに預かり恐悦至極だな』
「誰が褒めてんだよ。つまり、これはアンタじゃないもう一人の……ええと、ミカエルの式神だってことだろ? で、今師匠ンとこにいるほうが、アンタの式神ってことだ」
 言ってから、ふと気づく。
 何気なく会話してはいたが。
(式神、だって?)
 そんな単語を平然と口に出して会話を進める種の者で、思い当たるのは……。
「ミカエルもアンタも、陰陽師なのか? っつか、なんで陰陽師なのに天使の名前なんかかたるんだ?」
『指定の曜日を間違えた愚か者の質問に答える義務が俺にあるとは思えんが?』
 それとも、と言を継ぎ、思念は低く笑う。ねっとりとした、嫌な笑いだった。
『どうしても教えてほしいか、半人前の坊や? 土下座して頼むんなら考えてやってもいいが?』
 茶化すような響きのあるその声音に、カッとなって珪が鷹を乗せた腕を横に凪いだ。大きな翼を広げ、音もなく鷹が宙へ舞い上がる。それを睨み上げて拳を固め、苛立ちをぶつけるようにして、怒鳴る。夜の闇がかすかに震えた。
「なら何のために俺の前に現れたんだよっ」
 若さゆえに感情をあからさまにほとばしらせる珪に、思念がまた低く笑った。けれど、それは嘲りではなく、珪の少年らしい元気な様につい漏れてしまった、という感じの笑いだった。
『問いに答える義理はないが、お前の放った二つの問いに答えてやろう。天使の名をかたるのは、それが俺にはまっているからだ』
「ミカエルがハマッてる? 神に選民を任されし者、って意味か?」
『そうではなく。ミカエルとルシファー――ルシフェルだな。それが双子だという説は知っているか?』
 その説はカナンの伝承にある、高位の太陽神に嫉妬し、クーデターを企てたが失敗したという明けの明星シャヘルと、その弟・宵の明星シャレムという双子神の話から来ていると言われている。
『善と悪は双子である、というその思想がな』
「双子だって? じゃあアンタたち、双子なのか?」
『物のたとえだ。頭の悪い奴だな』
 嘲られたことにカッと珪が頬に朱が差す。それすらも嘲笑うように、思念が愉悦を滲ませた声を紡ぐ。
『可愛いヤツだなまったく。まあそういきり立つな。思わずかまってやりたくなるだろう?』
「……アンタのその物言いがすっげえムカつくせいなんだけど。っつか、かまってもらいたくねえし」
 憮然として答える。
「双子じゃないなら一体なんなんだよ」
『お前の質問に答える義務はないと言ったはずだ』
 あっさりと質問を却下し、二つ目の問いに答えよう、と言葉をつなげて思念がふと声のトーンを落とした。それはさっきまでの嘲りが嘘のように取り払われた、ひどく真剣な声音――思い、だった。
『お前の前に現れてやったのは、一体あいつのそばにどれほどの力の者がいるのかと気になったからだ』
「あいつ?」
 珪は意識に直接触れてくる思念から少しでも自らの意識を庇おうとするかのように左耳を押さえ、そして怪訝そうに目を眇めた。鷹を睨みつける視線を緩めずに。
「それは師匠のことなのか」
『その師匠とやらに伝えておくがいい。これ以上あの男に関わるのはよしたほうがいい、とな』
 ふっと声がわずかに遠ざかる。思念のリンクが解けかけているらしい。
 ちっと鋭く舌打ちし、珪は意識を凝らす。
「あの男ってのは誰のことだ!」
 月影が踊る静かな公園内に、珪の声が鋭く響く。どこか遠くでその声を聞きつけたのか、犬がさかんに吠えていた。
 けれどそんなものは意識の外へ除外し、珪はゆうるりと宙で弧を描いて飛んでいる鷹だけを見据える。その他の世界はすべて除外し、今、意識の中に繋がっている何者かとの一本の糸を途切れさせないように。
 ふっ、と。
 その耳元に。
 虫の羽音のようなか細さで、一人のとある人物の名が注ぎ込まれた。
 それが、ルシフェルとの意識のつながりを保てた最後の時だった。
 ふっと宙を舞っていた式神のフォルムが崩れ、ふわりと紙切れに戻って珪の眼前に落ちてくる。
 拾い上げたその白い紙切れに書き付けられているのは、真紅の呪と五芒星だった。

<AM2:30 Tue ――終…見えないつながり>
 ミカエルとルシフェル。
 光と、影。
 正の術師と、負の術師。
 陽と、陰。陰陽を身に宿せし者。
 ……まあ、そんなところだろうか。
 陰陽道に身をおきながら天使の名など使ったのは、自らの中にある光と影――陽と陰を表したかったからなのか。
 双子だか二重人格だかはよくわからなかったが、まあ、とりあえずそんなものだろう。
「まったく意味もなく『ミカエル』なんて書き込んだわけでもなかったんだなぁ」
 しかも、赤い炎のような鷹を式神として扱う「ミカエル」。四大天使で炎を司るミカエルらしいといえば、らしい。
 人気のない公園。まだ立ち去らずに、珪はブランコに腰掛けて月を見上げた。そしてかりかりと頭をかく。
「あー……電話しとくか」
 多分きっと、こんな深夜でも起きているだろうと思い、ポケットから携帯電話を取り出してメモリーで番号を呼び出す。そして通話ボタンを人差し指で押す。
 数回のコールの後、回線が繋がる。
「あー、もしもし師匠? 今終わりましたー」
 前かがみになって地面を見下ろしながら、聞きなれた声を耳に入れる。時間は午前二時半過ぎ。こんな時間なのにまったく眠そうでもないその相手の声は、いつものとおりに落ち着き払っていた。
 苦く笑いながら、珪は呪符を持つ手で前髪をかき上げる。
「あはは、えーと……実は、相手の謎かけを読み間違えちゃって、直接接触できなかったんすよ」
 呆れ気味な声が回線を伝って耳に飛び込んで来る。用がそれだけなら切るぞ、とそっけなく続いたその言葉に、慌てて珪は電話を握り締める。
「ちょちょちょっと待ったっ! えーと、その、実はその相手にちょっと伝言を頼まれて」
 要領を得ないというか、持って回ったようなその珪の言葉の並べ方に、相手が苛々と声を回線へ送り込んでくる。「誰から誰宛にどんな内容を言付けられたのかはっきり言え。俺は暇じゃないんだぞ」と刺々しく言われ、うう、と珪が短く唸る。
 相変わらず、弟子をかわいがってくれない師匠である。
「わかった、言いますって! えーと、師匠宛に、今日の依頼人から」
 俺宛に? と怪訝そうに返す師匠の言葉に答えず、珪は続ける。
「これ以上関わるのはよしたほうがいい、って」
 微妙な沈黙が下りる。電話の向こうの空気を伺いながら、ぼそりと、わざと聞こえにくいような音声で、珪は言った。
「まおって人と」
『……なお、だって? 鶴来那王のことか?』
 返された言葉に、ああ、と珪は短くため息をついた。やはりあの赤い鷹の主は、自分が師匠の弟子だから、曜日を違えていたのにコンタクトを取りに来たのだと判った。
 聞き取りにくく言ったのは、あの、最後にルシフェルが残していった人物の名前を、師匠の口から聞けるかどうかを試したのだ。
 違う名前を出しても、『なお』という名前を聞けるかと。
『つるぎ・なお』という名を、聞けるかと。
「そう。なお、って人。で、俺が今日会ったのは、『まお』って人で、赤い鷹の式神使いでした。なんか二重人格者みたいだったけど。……で、一体誰なんすか、なおって」
 問いかけに電話の向こうの声は、別件の依頼人の名前だと答えて、用がそれだけなら切るぞ、とそっけなく通話を打ち切ってしまった。
 ツーツーと虚しい音を繰り返している電話をしばし眺め下ろし、珪は瞬きした。そしてかりかりと頭をかきながら自分の携帯電話の通話も切り、ブランコから腰を上げる。
 白い月が、ぼんやりと柔らかい光を地表に落としている。ポケットに携帯電話をしまいこみながらそれを見上げ、手をかざす。そして月を掴もうとするかのように、握りこぶしを作った。
 ついさっきまでここにいた赤い鷹の式神と、自分の脳裏に送り込まれていた思念の思い出す。
「……ま、正義云々っつってたけど、別に悪さしようとしてる感じじゃなかったよな」
 本当に悪意の塊だったとしたなら、曜日を間違えた自分に『罰ゲーム』と称して何らかの措置をとったとしてもおかしくない。
 けれど、相手はただ姿を見せなかっただけ。それどころか、自分の師匠に対しての忠告を与えにわざわざ思念を飛ばしてきた。
 その辺りを考慮すると、きっと、無意味に人を傷つけたりはしないだろうという結論に行き着く。
「んー……まあまたなんかあったら、次はもうちょっと俺にも判りやすいヒント出してくれよなぁ。そしたら次こそはいろいろ質問してやるからさっ」
 ここにはいない相手に向けて言い放つと、珪は両手を空へ向け、大きく一つ伸びをした。しなやかな背筋がわずかに反る。
 澄んだ夜の空気を肺一杯に吸い込む。
 先発隊の連中は、あいつから何か聞き出せたのだろうか。ふと気になったが、もういいか、というような気にもなった。
 それよりも。
「あ。いけねっ、今日宿題出てたんだっけっ」
 数学教師の陰険な顔がポンっと頭に浮かぶ。明日の一限、なんとなく答え合わせの際に当てられそうな予感がして、珪はわたわたと慌てて公園から駆け出した。
 今からなら、帰って真剣に取り組めばなんとかなる。いや、なんとかしなければ!
 月が、そんな彼の背を見守るように、どこまでも夜道を照らしていた。

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0183/九夏・珪(くが・けい)/男/18/高校生(陰陽師)】
【0264/内場・邦彦(うちば・くにひこ)/男/20/大学生】
【0683/鳴神・秋歌(なるかみ・しゅうか)/女/19/看護学生】
【0689/湖影・虎之助(こかげ・とらのすけ)/男/21/大学生(副業にモデル)】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?

 九夏珪さん。再びお会いすることができてとてもうれしいです。
 前回の作品が戦隊モノだったので、つい「カレーが!」とか「スカートが!」とか珪くんに叫んでもらいたくなってしまうという…何か悪い病にかかったかのような状態になっておりました(笑)。
 実はプレイングかけられていた曜日指定がハズれておりまして、物語自体の謎はきっちりとは解かれていない部分があります。
 が、別の側面が「珪くんが参加されたこと」により、見えています。
 少しでも楽しんでいただけるとよいのですが…。

 よろしければ、お手隙の時にでもこの作品についての感想などいただけるととても嬉しいです。
 それでは、また会えることを祈りつつ。
 今回はシナリオお買い上げ、本当にありがとうございました。