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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


−双−

<序>
 毎夜、悪夢は舞い降りる。


『記憶が途切れるんです 投稿者:Mao-N 投稿日:2002/05/**(wed) 18:21

 こんにちは、初めて書き込みさせていただきます。
 実は、最近時々ふっと記憶がなくなることがあるんです。最初はあまり深刻ではなかったんですが、ここのところ、僕が僕である時間が短くなってきているので……。
 知人は、いつもどおりの僕がそこにいるというんです。
 でも、僕にはその間の記憶がまったくないんです。
 僕じゃない僕が、勝手に「僕」を演じているんです。
 病院にも行ってみたんですが、別にどこかに異変があるというわけでもないらしくて……どうしていいかわからないんです。
 夜も、僕じゃない僕が誰かに向かってひどい呪いの言葉を発している夢を見たりしていて。
 僕は、もしかして知らない内に誰かを殺そうとしているんじゃないかってだんだん心配になってきて……。
 もしかしたら、見知らぬ人を、知らない内に殺してしまうんじゃないかって、しんぱ

 俺は見知らぬ誰かを手にかけるほど、無節操でもない。
 狙うには、それなりの理由がある。もっとも、そのために複数の無関係者が巻き込まれてはいるがな。
 さて。これを読んだお前の正義感が疼くというのなら――俺の所業を止められるというのなら、来るがいい。
 その時に「俺」がいるか、もう一人の「俺」がいるかは知らないがな。
 指定の場所は添付ファイルに記しておいた。
 来週。ミカエルの午前二時に、待っている。』


 瀬名雫は、いつものネットカフェで、自分のHPの掲示板書き込みを見て眉をひそめた。
 何だろう、これは。
 二人の者が一つの書き込みをしている――ように見えるが、文章だけならいくらでも「一人なのに二人いる」と装うことはできる。
「うーん……悪戯かなぁ。本物かなぁ」
 判別しかねて、小首を傾げる。
 それに「ミカエルの午前二時」とは一体何のことなのか。一文の頭に「来週」とつけられているということは、おそらく、来週のいつの日かを指定しているのだろうが……。
 書き込みに添付されているファイルを開くと、どこかの小さな公園への地図が現れる。
「うーん。もし最初に書き込んだ人が本当に悩んでたりするなら、このままサクッと削除するわけにもいかないしなぁ……」
 ふと、隣にいた者に顔を向けて、雫はにっこりと微笑んだ。
「思い当たる日に、この指定の場所に行ってちょっと確認してきてくれないかなぁ? え? 私? 私はちょっと別の用事があってダメなのよ〜」
 興味津々なんだけどなぁ、と残念そうに呟くと、彼女は頬杖をついて深いため息を漏らした。

<PM5:00 oneday――推論>
 頬杖をついて、なんとはなく横合いからそのモニターに浮かんでいる文字を長めていた内場邦彦は、ふと視線を感じて顔を動かした。雫と、その向こう側に湖影虎之助がいることはわかっていたが、両手を組んで「お願い☆」のポーズを取るに至り、ゆるりと首を傾げて瞬きをする。
 なんということはない仕草だったが、邦彦がやると妙に可愛らしく見えた。
「え? 僕が行くの?」
「人の話聞いてないねこのお兄さんは」
 呆れたように、コーヒーのカップを口許に運びながらしれっと虎之助が言う。横顔でさえも端正で、さすがは人気モデルといったところか。コーヒーを飲み下してカップを置くというその一連の動きでさえもが、妙に洗練されたものに見える。
 ぴ、と人差し指を立てて虎之助が優美に微笑んだ。
「雫ちゃんが知りたがってるんだ。行かなければ男じゃない。違うかな?」
 どういう論旨なのかよくわからないが、とりあえず虎之助はこの書き込みの主に会いに行くつもりらしい。そういわれても、ともごもごと言いながら、邦彦は口許に手を当てる。
「ミカエル……うーん。あまり思い当たることがないんだけど」
 確か、9月には「ミカエルの日」というのがあったはずである。けれど、さすがに日付が違いすぎる。とすると。
「日曜の守護天使だった気がするけどな、ミカエル。でも、諸説あったと思うんだ」
「実は俺も日曜だと思ってた」
 目にかかる少し長めの前髪を整った指先で梳き上げて、虎之助はふと雫の後ろからモニターをぼんやりと眺めていた愛らしい顔立ちの女性に目を向けた。そしてにっこりと秀麗な顔に女性の心をとろかすような甘い微笑を浮かべる。
 さすがに女性至上主義者だけあって、周辺の女性チェックの目に抜かりはないらしい。
「あなたはどう思う?」
「え? あたし?」
 不意に問いかけられて、考え事をしていたらしい女性――鳴神秋歌はぱちぱちと長い睫を瞬かせた。顎に人差し指を当て、ゆるく首を傾げる。金に近い茶色の髪がさらりと頬に零れ落ちた。
「うーん。多分、水曜だったと思うんだけどぉ」
「水曜か。やっぱりいろいろ説があるんだね」
 ふう、と短く吐息をついて邦彦がアイスティーに挿したストローに口をつける。と、その頭の上からひょこりとハイティーンの少年が顔を出した。
「それって火曜じゃないの? 確かミカエルが司るエレメントって火だったし」
「あ、九夏くんじゃない。九夏くんも行ってくれるの?」
 他の書き込みを眺めていた雫が顔を上げた。それに答えるように、九夏珪は明るい笑みを浮かべてひょいと手を持ち上げて挨拶し、その場にいる者たちにも手短に自己紹介をした。それに続くように各々が自分の名を名乗っていく。
 ようやくお互いの顔と名前が一致する。
「まあ、これ見た他の人も、気になる日に地図の場所に行ってくれるかもしれないしね」
 話を元の場所に戻し、雫がテーブルに頬杖をつく。画面をスクロールさせ、例の書き込みを中央に表示させる。
「にしても、ミカエル、か。なにか曜日とか示す以外に意味あるのかな」
「魂を冥界に導く者、とか、そういう意味にかけてなければいいけどね」
 言いながら、虎之助がイスから腰を上げた。そして立ったままだった秋歌に微笑みと共に手で席を勧めながらわずかに右肩をすくめる。
「ただの二重人格か、それとも霊が降りてどうにかなっているのか。その辺りもちょっと気になるかな」
「どっちにしても、何か狙ってることには違いないよな」
 珪が邦彦の座っているイスの背もたれに両腕を乗せてわずかに腰を折ってモニターをもう一度見やる。
 一人目の書き込みは不自然なところで切れ、その後に二人目が挑発的な文章を書き込んでいる。
 まったく違う性格の者が書いたように見えるこの文章。
 虎之助に勧められた椅子に腰を落ち着けた秋歌が、頬に指を当てて憂い顔でモニターを見つめる。
「この前学校で勉強したんだけど、『多重人格』とかは実際に存在する病気だしぃ……。もしかしたら悪戯かもしれないけど、やっぱり放っておけないよねぇ」
「ん? 秋歌さんは看護学校の学生さんなんだ?」
 虎之助に問われて、こくりと秋歌は頷く。昼間は看護学校で看護婦となるべく勉強し、夕方からは実習もかねて学校近くの産婦人科で看護助手のアルバイトをしているのである。
「う〜ん……この書き込みした人が心配だよ〜」
 おっとりとした口調で言いながら、ふうと吐息をもらす。
 多重人格。正式な病名は「解離性同一性障害」。記憶がすっぽりと抜け落ちたり、自分の意識がないところで勝手に思いもがけない行動を取っていたりする、精神的な病である。もしそんな病にかかっているのだとしたら、最初の書き込みをした方――主人格と見るべきだろうが――がかなりつらい思いをしているだろうことは想像できる。
 なんとかしてあげたいと思う気持ちは、その場にいる誰もが同じだった。なぜか、この書き込みからは不思議なことに、あからさまな悪意は感じ取れないのである。
 むしろ、話を聞いてほしいと、そう思っているように感じられる。
「一人称からいって、この人は男の人だよね、きっと。もしかしたらこのハンドルネームって本人の名前なのかな」
 邦彦がモニターに映し出されている名前部分を指差した。
 Mao-N。ネットの世界にあっては、それが本名なのかハンドルネームなのかさえもわからない。本名を晒している人もいれば、ハンドルネームをいくつも使っている人もいる。
「まあとりあえず話聞きに行くだけでも悪くないと思うな」
 かつんとスニーカーの先で床を蹴り、珪が背を伸ばした。
「よし、オレは火曜に行ってみるよ。なんか初めに出てきてる方は助け求めてるっぽいし、誰か巻き込んでまでなんかやろうってのが気にかかるし」
 正義感が特に強いというわけでもない。けれど、やっぱり後者の書き込みの中にある台詞が気になる。『正義が疼くなら』とかなんとかいう、トゲのある言葉。皮肉な響が気にかかる。
 正義や天使――もしかしたら案外これがキーワードだったりするんだろうかと思いながら、その場にいる者を見やる。
「バラけて行ったら、誰かは会えるかもしれないし」
「じゃああたしは水曜に行こうかなぁ」
 言って、秋歌は微笑を浮かべて大きく頷いた。
 人を傷つけることは、どんなことがあってもいけない。人殺しは、どんな理由があってもいけない。止められるのなら、止めてあげたい。
「うん、やっぱり困ってる人は放っておけないものね。何かあたしにできることがあるなら協力してあげたいしぃ」
 その言葉に、はっと虎之助が素早く反応した。
「そっちの野郎はともかく、女性が深夜に一人で得体の知れない男のところに行くのは危険極まりないと思うんだ」
 そっちの野郎、という、自分をぞんざいに扱っているとしか思えないその言葉にぴくりとわずかに珪の眉を動く。が、別に取り立てて反論すべきようなこともないので短く唸るようにして頷いた。
「……ん、まあ確かにオレは平気だろうけど。鳴神さんはやっぱり一人だったらマズいんじゃないかなぁ」
「だったら、九夏くんと一緒に行くか、僕と湖影さんと一緒に行ったらどうかな」
 アイスティーのグラスをコースター上に戻しながら発された邦彦の提案に、優しく微笑んで虎之助が秋歌の顔を横から覗き込んだ。
「じゃあ、俺たちと一緒にとりあえず日曜日に行こうか? もし外れていたらまた三人で秋歌さんの予想した水曜に行けばいいことだし」
「そうだね。まあ、無節操ではない、とか言ってる言葉を信じてもいいけど、その公園に行くまでが危ないしね」
 別に熱心なフェミニストというわけでもない邦彦も、やはり深夜の女性の一人歩きには賛成しかねた。その場に待っている男は無節操ではないかもしれないが、世の中の男すべてが無節操ではないかといえば、決してそうとは言えないからだ。
「送り迎えだったら俺がばっちりしてあげるし」
 ぱちりと虎之助が一つウインクする。それに、しばし「んー」と考え込むように唸ってから、にっこりと微笑んで秋歌は頷いた。
「はい。それじゃ、お言葉に甘えて湖影さんと内場さんと一緒に、日曜日に行きますね。でもぉ、ハズれたら水曜、だからね?」
 それに邦彦と虎之助が指でオッケイの仕草をして答えた。
 ようやく話がまとまったのを見、それまで黙って様子を見ていた雫ががたりと席を立った。そして右の拳を振り上げる。
「よーしっ。それじゃあみんなっ、何かあったらちゃんと報告してよねーっ☆」

<AM2:10 Sun ――遭遇>
 近くの二四時間営業のファミリーレストランで時間を潰した邦彦、虎之助、秋歌の三人は、書き込みに記されていた約束の時間――午前二時に、同じく書き込みに添付された地図に記されていた指定の公園へやってきていた。
 静まり返った園内。さほど広くはなく、ある遊具も滑り台、ブランコ、砂場、鉄棒、と少なめだった。端の方には小さな藤棚があり、盛りを越えた藤が数房、垂れ下がっていた。
 人が溢れているシーンが頭の中に浮かぶためか、今のこの、人気がなく青い静寂に満ちた空間はひどく違和感を感じる。あるべきものが正しくその場所にない、というような違和感だ。
「こんな時間に公園に来ることなんて滅多にないものねー」
 ひらりとロングスカートの裾を翻して、秋歌が数歩駆け出し、両手を頭上にかかげた。まるで月の光をその掌に集めるかのように。
「でも、静かでいいわねぇ」
 滑り台が、月光で鈍く光っている。昼間なら、きっと子供たちがわあわあと楽しげな声を上げながらあの上ではしゃいでいることだろう。それはそれで見ていて可愛らしくて心が和むのだが、静かな公園というのも悪くはない。
「それにしても、少し時間過ぎてしまったようだけど……大丈夫かな」
 邦彦が、右肩にかけた帆布製のカバンの紐を握り締めながら小声で言った。ちらりと虎之助が腕にはめた時計を見下ろす。
「二時一〇分か……。一〇分程度で遅刻だなんてわめくような心が狭いヤツなら困るね」
 前髪を指先でかき上げて、先に園内に駆け入っていった秋歌の姿を瞳に映す。視線の先で、秋歌がふとブランコの方へ目を向けた。そのまま、ぴたりと動きが止まる。
「秋歌さん、どうかし……」
 小走りに駆け寄ってブランコの方へ同じく視線を向けた虎之助がはたと目を瞠った。
 そこには、白いシャツを着た者が一人、俯きがちに座っていた。月光の下、白いシャツが青く染まって見える。
 邦彦も、二人のもとにすぐさま駆け寄った。
 俯いていて、その者の顔は見えない。ただ、背格好からして自分と同じかそれより少し年下か、といったところだと見当をつける。
 ふ、と。
 その者が静かにに眼差しを持ち上げた。
 少し青みがかった、ひどく澄んだその瞳が三人の姿を映す。
「……来て、くださったんですね」
 たったそれだけの言葉だったが、それだけで三人は十分、これが『Mao-N』なのだと判った。書き込みの後者ではなく、前者のほうである。
 おとなしげな人だ、というのが、三人の抱いた第一印象だった。こざっぱりした黒い髪は、爽やかな印象さえ与える。人をだましたり、脅したり、あまつさえ殺そうとしたりするようにはまったく見えなかった。
「あなたがあの書き込みの?」
 確認の言葉を、虎之助が切り出した。それに彼は素直に頷く。そしてブランコから腰を上げて、丁寧に頭を下げた。
「ご足労お掛けしてすみません。ありがとうございます、来てくださって」
「それよりも、一体どうしたの? あなたは向こうを恐れていることはわかるけれど、向こうはどうなんだろう。どうしてあなたの意識をのっとったりするんだろう? 何かわからないの?」
 立て続けに並べられた邦彦の質問にも、彼は嫌な顔一つせずにわずかに首を傾げた。
「わからないんです。ただ、気がつけば、僕は記憶をなくしていて……でもその間も、僕は僕としてちゃんと動いているみたいで」
「その間のこと、まったく覚えてないの?」
 秋歌が頬に手を当てて柔らかく問いかける。さらりと頬にかかる髪は月の光に淡く金色に発光しているかのようだった。
「他の人たちは、その時のあなたを見てなんて言ってるのぉ?」
「いつもの僕とあまり変わらない、と」
 虎之助が眉宇をひそめる。
「なんでもう一人の方は、わざわざ普通のあなたを演じているんだろう?」
 普通にこの青年と同じことをやるだけならば、別に性格を入れ替える必要はないような気がするのだ。
「それに、書き込みを見ていると、もうすでに何人かの人を巻き込んだ、みたいなことが書いてあったけど、それは?」
 青年は、緩く頭を振った。寄せられた眉宇に苦悩が滲む。
「僕には……何もわからないんです。向こうはもしかしたら僕のことを知っているかもしれない。けれど、僕はもう一人の僕のことを何も知らないんです」
「もう一人の方は今日は現れそうにはないのかな」
 邦彦が穏やかな顔で問う。優しい眼差しは、どこかこの青年と似通っていた。ゆるりとまた彼が首を振る。
「いつも唐突だから。あの書き込みをしていた時も、途中から記憶がなくなっていて……。でも、後で見てみたら確かに僕が書いたものみたいだから、一応僕も思い当たる『ミカエルの午前二時』にここに来たほうがいいと思って、来たんです」
 と、その時だった。
 道路の方から人が駆けて来る音がする。ぱっと全員が公園の入り口の方へと視線を向けた。

<AM2:20 Sun ――堕天使来臨>
 ざっと靴底を鳴らして、一つの影が公園入り口の低い位置にかけられている弛んだ鎖を飛び越えて着地した。
 その眼差しがキッと上げられる。
 が、その場にいた男二人と女一人を見てはたと目を瞬かせた。
 六つの瞳はまっすぐに、飛び込んできた者を見ている。
「あれ……?」
 呟いた影――斎司更耶に、ああ、と短く声を発したのは湖影虎之助だった。整った容貌にわずかばかりの笑みを乗せている。
「もしかして、雫ちゃんのサイトの書き込みを見てきたのか?」
 全速力で駆けて来たのにまったく息も切らさず、更耶は頷いた。まさか、先客が居るとは思わなかった。
「ああ、まあそんなところ……」
 が、紡ぎかけた言葉は途中で止められた。更耶の目が立っている三人の向こう側――ブランコの方へ縫いとめられる。
 そこから発せられる、なにやら剣呑な、不穏な気配。
 ふわりと髪を揺らせて、紅一点の鳴神秋歌が振り返った。内場邦彦と虎之助も、パッとブランコへ顔を向けなおす。
 全員が、息を詰めた。
「な……っ、なにっ?」
 かろうじて声を紡げたのは、邦彦だった。その場に満ちるざわりと肌が泡立ちそうな気配に、わずかばかり頬を引きつらせる。
 周辺の薄闇に混ざる空気が、濁りを帯びて穢れていくのが判るような。そんな感覚だ。薄気味が悪い。
 そのブランコには一人の青年が腰掛けている。白いシャツを纏った体は前のめりになり、顔は伏せられていた。
「……そいつがあの書き込みしたヤツかよ?」
 更耶が柳眉を潜めて誰へともなく問いかける。こくりと頷いたのは秋歌だ。口許に手を当て、長い睫に縁取られた目を瞬かせながら言う。
「うん。さっきまでは落ち着いた、優しい目の人だったのに」
 発される気は、さっきまでの彼とは明らかに違っている。いや、気だけではない。
 さっきまではこざっぱりした髪型だったのに、いつのまにか横髪だけが顎の先くらいまで伸びていた。俯いて小刻みに肩を震わせているその様はなんだかひどく不気味である。
 すっと。
 静かに、青年が顔を上げた。そこにあるのは、さっきまでの穏やかな表情とは違う、鋭い眼差し。黒々とした瞳。さっきまでの優しげな表情と青みがかった瞳はもうそこにはなかった。
 髪型と眼差しの違いだけなのに、そこにいる人物はさっきまでここにいた者とはまるで違う人物のように見える。
 ゆっくりと、その唇が開かれた。
「ふふ、見た目を変えたほうがわかりやすいだろう? 一人で二役演じていると思われるのはごめんだからな」
 声も、さっきまでの彼とは微妙に違っていた。幾分低く、口調もまるで違う。驚く虎之助と邦彦と秋歌を見、男は唇を歪めて笑った。冷笑である。
「俺は別にこの器と同じ姿のままでもいいんだが。まあ、お前らに理解しやすいように、といった所か。サービスがいいだろう?」
 荒んだその眼差しを見ながら、応じるように唇を歪めて笑いながら虎之助が問いかけた。
「お前が『俺』の方か」
 いや、答えを確認するまでもない。
「現れてくれて嬉しいよ。どうせ話聞いてほしくて呼び出したんだろ? だったらサクサクっと話せよ」
 彼が出てこない限りは、雫に正確な報告ができない。虎之助にとっては正義だの彼の事情だのはこの際あまり気にかかることではなく、ただ、彼に関する情報を得に来ただけなのである。
 それは興味本位でもなく、ただ「雫に正確な情報を教えてやりたい」という思いからくるものだった。
 男が低く笑った。
「何だ、俺を力ずくで止めにきたわけじゃないのか」
 鼻で笑い、足を組み上げる。キィ、とわずかにブランコの鎖がきしんだ音を立てた。
「一体、何を狙っているの、あなたは」
 邦彦が、相手の様子を伺いながら慎重に口を開いた。声につられるように男の視線が虎之助から邦彦へと移動する。
 一羽の鷹を思わせるその鋭い視線に、思わず強くカバンの紐を握り締めた。一瞬背筋に走った震えを見抜いたのか、男が目を伏せて唇の端を歪ませて笑みをこぼす。
「言っているだろう。俺はだれかれ構わず狙うわけではない、と。安心しろ。警戒せずともお前たちをどうこうするつもりはない」
「とはいえ、すでに誰かに危害を加えたんだろう? その中に女性はいなかったのか?」
 すっと秋歌を自らの後ろに自然に移動させ、虎之助が問う。庇われるような形になった秋歌が、ぱちぱちと目を瞬かせた。相手がどう動いても、秋歌を守れるようにという虎之助の配慮だった。
 女性は守るべきもの。それは虎之助にとって絶対の真理のようなものである。
 ふと男がわずかに顎を上げた。見下すような冷めた眼差しで虎之助を見る。
「さあ、どうだったろうなぁ」
 明らかに嘲弄を含んだその声音に、ぴくりと虎之助の整った顔にわずかばかりの怒りが色を差す。はらりと目の前に落ちてきた前髪を指で梳き上げた。その手をゆっくりと下ろす瞬間、表情が厳しくなる。
「……やっぱり潰すべきかな? 女性に害ある者を放ってはおけない」
 その言葉に、それまで黙って男の様子を観察していた更耶が慌てて声を放り込んだ。
「潰すべきって、こいつ潰しちまったら元の……Mao? ってのまでやっちまうことになるぜ?」
 そりゃ、潰すとなればそれなりにやるけどさ、と付け足しはするが、更耶自身はあまり乗り気ではなかった。実際、観察してみても、更耶には「悪ぶっている」ように見えるだけで、根っからの悪人のようには見えないのである。
 ……表情はまあ確かに、傲岸不遜で悪者っぽいが。
 秋歌が、虎之助の後ろからひょこりと顔を出した。そして男に向けて、場違いなほどに優しく暖かく微笑む。
「人を傷つけたりとか人殺しとかはどんな理由があってもいけないと思うのよ。もし、あたしにできることがあったら協力するよ?」
 そしてちらりと虎之助を見る。
「湖影さんも。すぐに潰すとか言うのはよくないよぉ」
「ああ……そうだね、秋歌さん。わかったよ」
 諌める言葉に、素直に虎之助は苦笑を浮かべて頷く。女性を守るために潰すと言ったその言葉を女性に諌められて、わずかに肩をすくめた。
 一瞬漂ったすさまじく険悪な空気に、なすすべもなくその場にいる者の顔を見渡していた邦彦が、大きくひとつ深呼吸して、ゆっくりと口を開いた。
 もう一度、先刻紡いだ問いを繰り返す。
 聞ける時に聞いておかないと、いつまた元のMaoに戻ってしまうか判らない。
「だから、あなたは何の目的で、何を狙っているの? あなたは一体、何? Maoさんの二重人格のうちの一人? それとも、霊魂か何かで、Maoさんに取り憑いてるの?」
「っていうかさ」
 かりかりと頭をかきながら、更耶がため息をつく。
「なんかややっこしいんだよな。Maoとかあんたとかもう一人とかお前とかさ。……よし、元の『僕』の方をミカエル、お前のことはルシフェルって呼ぼう。ん、決定っ」
 誰に同意を求めるでもなく、さっさと独り決めしてしまう。
 この男の書き込みの中にあった「ミカエル」に双子の兄弟がいるという説があるため、あえて更耶はここでそれを引用したのである。
 それに、仮名『ルシフェル』が肩を揺らせて小さく笑った。
「まあなかなか悪くないネーミングセンスなんじゃないか?」
「だったらルシフェル……ってのも長いから、まあ『るっしー』でいいよな。さっきからこいつも聞いてっけど、一体何がやりてえんだアンタは。言いたいことがあるなら聞いてやるぜ?」
 こいつ、と邦彦を指差しながら言う更耶に、ルシフェルは肩をすくめた。
「るっしー、はセンスが悪いと思わんか」
「話、ずらすなよ」
 鋭く指摘され、やれやれというように片手の掌を空へ向けて軽く持ち上げると、ルシフェルはその眼差しを虎之助に向けた。
「話し合いをしてやってもかまわないが、お前は俺を討ち取りたいんだろう? 相手してやってもかまわんが?」
 言いながら、持ち上げた手を軽く振って指を鳴らし、肩の高さに持ち上げて水平に横に凪ぐ。と、その腕にふわりと黒い煙が現れた。まるでマジックか何かのように、その煙の中から、一羽の真紅の鷹が姿を現す。
「本当は二羽いるんだが、まあお前たち相手なら一羽で十分だろう」
 鷹が、ルシフェルの腕の上で一つ翼を羽ばたかせた。ゆっくりとブランコから腰を上げ、すっと鷹を乗せた手を軽く振る。と、音もなく鷹はルシフェルの肩へと移動した。
 キィキィと、ブランコが前後に緩く揺れるたびに耳障りな音を立てる。
 月光に、鷹の金色の瞳が煌く。冷たいその煌きに、邦彦が思わず怯えるように肩にかけていたカバンを下ろして腕に抱え込んだ。何か動きがあったら、そのカバンの中から何か――何が出てくるかわからないが――を引き出せるように。
 平穏無事に済みますように、とここへ来る前密かに祈ってきたのだが、無駄だっただろうかと心配そうにルシフェルと虎之助を交互に見やる。
「たっ、戦うのっ?」
「でも、ルシフェルくん、さっきあたしたちには手出ししないって言ったよぉ?」
 ぴ、と人差し指を立てて秋歌はわずかに頬を膨らませた。あっさり約束を破ろうとしているルシフェルへ、思い切り非難をこめた眼差しを向ける。が、それを手で制して、虎之助が短く吐息を漏らした。そして両手を軽く顔の高さに持ち上げ、お手上げのポーズを取る。そんなポーズを取っていても彼の二枚目ぶりは微塵も崩れなかった。
「俺には降霊能力しかないからなぁ。戦闘向きじゃないんだが、まあお前が何らかの霊だというなら、無理矢理そこから引き剥がしてやることは可能なんだけどね」
 ルシフェルが低く笑った。月明かりがその顔に微妙な陰影をつける。
「残念ながら、霊じゃないからお前のその能力は無意味だな」
「だったらお前は何者なんだ?」
「そうだな……まあ、二重人格、というのはあながち外れてはいないな。いや、この主人格――ミカエルがとってきた行動の末に生まれたもの、といえばいいだろうか」
 手で自らの胸を指差し、ルシフェルは告げる。案外あっさりと明かされたその言葉は、けれども新たなる謎を含んでいた。
「ミカエルがとってきた行動って何だよ?」
 ゆったりと腕組みしながら更耶が口を開いた。月明かりの元、指にはめたシルバーリングが鈍く光る。その光が瞳を刺したかのように、わずかにルシフェルが片目を細める。
「お前たちと同じだな。変なものを退治するというのか、悪しきものを正しき方向へ導くというのか」
「その結果がどうしてそうなるのぉ? みんなはそんなことにはなってないのに」
「こいつの場合、少しばかり特殊だったんだ」
 問いを挟んだ秋歌へ視線を移すと、自分のこめかみに人差し指を当てる。まるで銃を突きつけるかのように。
「悪しきモノを正しい方向へ導くのではなく、ミカエルは自分の中にそれを吸収する能力を持っていたんだ。で、その吸収したものが凝り固まって出来た第二の意識が、俺、というわけだ」
 霊でもなく、人格でもなく。
 悪しきモノが凝り固まった、思念。
 肩にのる鷹の頭を指先で撫で、ルシフェルは唇の端をわずかに持ち上げて笑った。
「お前たちに手出しする気はない。お前たちが手出ししない限りは」
 約束を違えはしないと、はっきり口にする。
「俺は、意味のないものには手を出さない。ただ、その『意味あるもの』をおびき寄せるために、無関係なものを巻き込んでいるが」
「それなんだ。問題なのはそこだろう?」
 虎之助が素早く指摘した。厳しい表情でルシフェルの冷めた笑いを浮かべる顔を見据える。
「野郎がどうなろうが俺の知ったことじゃないが、女性が巻き込まれるのは放っておけない」
 その言葉に、ルシフェルはしばし何かを考え込むように滑り台の方へ視線を向けてから、わずかに頷いた。
「……そうか。なら今後は野郎のみを狙うことにしよう。ならば問題はないな? なるべく女を獲物にしたほうが、解決する側としては燃えるかと思ったんだがな」
 意味のわからない呟きをするルシフェルに、邦彦が落ち着きなく肩にかけ直したカバンの紐に指を滑らせながら、わずかに眉をひそめる。
「あの、そういう問題じゃない気がするんだけど。とりあえず、君はミカエルさんの敵なの? 味方なの? ミカエルさん、君の事怖がってるみたいなんだけど」
「ああ……どうなんだろうな。敵でもあり味方でもある」
 曖昧なその返答は、自らに言い聞かせているようでもあった。ややして、ふっと目を細める。
「ただ、俺はミカエル自身をどうこうするつもりはない。それだけは断言してもいい」
 言い切る言葉に嘘の匂いは微塵も感じられない。
 ほっと秋歌が安堵の吐息をもらした。
「もしも霊的なものなら、うちの病院につれてってあげようかと思ってたんだけどぉ。ルシフェルくんがミカエルさんの敵じゃないなら、一緒にいてもいいかなぁ?」
「病院?」
「うん。あたしね、産婦人科で看護助手のアルバイトしてるのよー」
「……俺に産婦人科に行けと?」
 微妙な表情で問い返すルシフェルに、秋歌が明るく笑った。
「違うの、うちの病院、裏では霊的な治療もやってるの。でも霊的なものじゃないならうちにきても仕方ないよねぇ」
 頬に人差し指を添えながら、秋歌が肩をすくめた。愛らしいその様にルシフェルが小さく笑う。
「まあ、産婦人科に行っても意味はないな」
「っつーかさ、お前、日記でもつけたら?」
 更耶が横合いから提案した。言いながらルシフェルの隣の、空席のブランコに片足を乗せる。ブランコの鎖が軋んだ音を立てた。
「お前が動いたときのことがミカエル……ん、ミカちゃんにもわかるようにさ。したらミカちゃんだって、ちったあ怯えずにすむんじゃねえ?」
 自分の中にいるものが何者かがわからないから、おそらくミカエルは怖がっているのだ。ならば、そういう手段でコンタクトを取っていけば、今よりはミカエルの心理的負担も少しは軽くなるのではないだろうか。
 なるほど、と短くルシフェルが呟く。
「そうだな。考え付かなかった、そんなこと」
「……案外バカなんだなお前」
 辛辣な更耶の言葉は、けれども悪意が含まれたものではない。鼻先で軽く笑い、ルシフェルは小さく肩をすくめた。鷹がふわりと羽を開く。
 よし、と虎之助が頷いた。
「これでとりあえず雫ちゃんには報告できるな。書き込みは本当だった、って」
 それに、こくりと邦彦が頷いて微笑む。
「そうだね。……でも、どうしてルシフェルさんは掲示板に挑発するみたいなこと書いてたの? 正義がどうとか、って」
 ただ今のように話を聞いて欲しかっただけならば、あんな書き方をする必要はなかったはずだ。ミカエルの書き込みに付け足す形で「話を聞いてほしいから指定の場所に来て下さい」と書いておけばすむ話である。
 ふと、ルシフェルがわずかに視線を足元に落とした。色の濃い影が水溜りのようにそこに凝り固まっている。
「ああ……俺が狙っている者が見かけるかもしれないと思っただけだ。エサに引っかかってくれれば、それで一気にカタをつけられる、と。そう思っただけだ」
「結局そのるっしーが狙ってるヤツって、一体何者なんだよ? なんで狙ってんだ?」
 リラックスするように首を左右に動かしながら問う更耶に、ルシフェルはふっと顔からすべての表情を消して、低く言った。
「命を狙われているからさ」
「それはミカエルくんの命? ルシフェルくんの命?」
「俺の、だ」
 俺、の部分に力を込めて言う。秋歌が眉宇をわずかに寄せた。
「誰であろうと、命狙うのはだめだよぉ。生きてるっていうのは、すごいことなんだよ?」
「……なら、お前は俺が殺されそうになったら、俺に手を貸してくれるか?」
 低く、けれども真剣な眼差しで紡がれたその言葉に、ふと虎之助が目を細めた。
「もしかして、俺たちをここに呼び出したのはそれを言い出すためだったんじゃないのか?」
 自分を助けてくれるか、と。
 掲示板に書き込みをしたのはミカエルかもしれない。けれども、最終的にここへ自分たちをおびき寄せたのは、ルシフェルだ。
 ルシフェルも、助けを求めていたのではないか?
 けれども。
 今までぶつけた問いには軽く答えていたにも関わらず、最後の最後に発されたその問いかけに、ルシフェルは小さく笑っただけで何も答えはしなかった。

<PM4:25 Mon ――終……再コンタクト>
「というわけだったんだ」
 後日。
 いつものネットカフェ。下校途中の学生が、雨模様の空から逃れるようにあちこちの席に陣取り、様々な電脳世界を覗いている。緩やかなざわめきが店内にかかっている流行歌を打ち消していた。
 その一角に、雫を真ん中に左右それぞれの席に腰掛けて、虎之助と邦彦は雫のホームページの掲示板を眺めていた。眺めながら、昨夜の「ミカエル」と「ルシフェル」の件を報告していたのである。
 話を締めくくった虎之助は、静かにコーヒーカップを口許に運ぶ。ふむ、と雫は頬杖をついたまま頷いた。
「そうなんだー。それじゃ結局そのルシフェルが狙っていた『獲物』は今回ひっかからなかったのね」
「みたいだね。もし引っかかっていたら、平和的に話し合いだけで解決したとは思えないし……、まあ僕はこれでよかったんじゃないかと思うよ」
 平和主義的な言葉を口にすると、邦彦はにこりと微笑む。雫もつられるようににっこりと笑った。
「でも、よかったじゃない。これからはミカエルの方はルシフェルの日記を見たら自分の中にいる人がどんなのかってわかるだろうし。今ほど怖がらなくて済むんじゃないかな」
「無関係な女性にも害は出ないしね」
 白いカップをソーサーに戻しながら虎之助が優美な笑みをこぼす。あいかわらずねぇ、と雫がひょいと眉を持ち上げた。そして、でも、と言葉をつなぐ。
「命狙われてるなんて、穏やかじゃないよね。ミカエルもルシフェルも無事でいてくれるといいんだけとな」
「ま、何かあった時にはまた雫ちゃんのページのBBSに書き込みしてくるんじゃないかな? 助けを求めるにしてもなんにしても」
 言って、虎之助はトンとモニターの横を指でつついた。
 何かあった時には、きっと、書き込みをしてくるだろう。
 だからこそ、あの時、最後の問いに何も答えなかったに違いない。そう、虎之助は確信していた。
 と、そこに。
「みんなぁ、ここにいたんだー」
 おっとりとした明るい声が飛び込んできた。ぱたぱたとミュールの底と床の間で音を立て小走りに駆け寄ってきたのは、秋歌だった。軽く肩で息を弾ませながら、愛らしい顔に満面の微笑を浮かべる。
「湖影クンも内場クンも、夜はご苦労様でしたぁ」
 言ってぴょこんと頭を下げる。ふわりと揺れた綺麗な色の髪と柔らかいその微笑みは、周囲の空気を暖かいものに変えるかのような錯覚を覚えさせる。
 にっこり笑って、虎之助は席を立った。そして最初に会った時と同じように秋歌にそこに座るようにと勧める。ありがとー、と天使のような微笑を浮かべ、秋歌がすとんと席に着く。邦彦も優しい笑みを浮かべて秋歌を見やる。
「学校、終わったの?」
「うん、この後バイトだけどね。昨日家まで送ってもらったから、お礼言いたいなぁって思って、寄ってみたの」
「そっか、じゃあ今日は秋歌ちゃんはダメなのね」
 雫がうーん、と唸った。それにひょいと首を傾げて秋歌が不思議そうな顔をする。
「どうしたのぉ? なにか困ってるの?」
「実はね」
 雫がモニターに映し出された掲示板をちらりと見た。
「また気になる書き込みがあるのよー。ちょっと調べて来てくれないかなぁと思って」
「えっ、また僕も行くの?」
「雫ちゃんのお願いなら聞かないわけにはいかないなぁ。ま、今日は撮影もないし、俺はオッケーだよ」
「面白そうならあたしも行ってみたいなぁ。うーん、でもバイト休めないしなぁ。残念〜」
「じゃ、秋歌ちゃんはまたの機会にねっ。それじゃ次はねー」
 言って、一度掲示板をリロードする。と、新規書き込みが一件表示された。
「あれ? ……これって」
 雫の視線を追い、三人もモニターに目を向ける。
『(無題) 投稿者:ルシフェル 投稿日:2002/05/**(Mon) 16:32
 Rex tremendae majestatis, Qui salvandos salvas gratis, Salva me, fons pietatis.』
 邦彦が口許に手を当てる。
「……英語、じゃないよね」
「ドイツ語でもないよねぇ」
 秋歌がゆるく首を傾げる。それに、虎之助が目を細めて言った。
「ラテン語だな。『畏るべき威光の王よ。無償で救える者を救いたまう方よ。我をも救いたまえ。慈悲の泉よ』……か」
 キリスト教の『レクイエム』というラテン語の歌の一つだ。
 ちっ、と短く舌打ちし、虎之助は前髪をかき上げた。
「やっぱり、助けてほしがってるんじゃないか」
「今湖影さんが言ったとおりの文章だったなら、多分そういうことだよね」
 最後の最後で放った問いかけに、ここで答えたということなのだろうか。口許に手を当てたまま邦彦がその書き込みをじっと眺める。
 それに、にっこりと秋歌が微笑み、雫にレス画面に移動してもらって横からキーボードに手を乗せた。
「照れ屋さんなのかなぁ、ルシフェルくんは。だから、直接顔をあわせてる時には言えなかったのかもしれないよぉ?」
 細い指先がキーを打つ。
 そして、邦彦と虎之助の顔を見た。
「これでいいかなぁ?」
 本当は、虎之助はその文について言いたいことがなくもなかった。が、秋歌がそう思うのならばそれでいいかと思い、了承の意を伝えるようにわずかに頷く。
 邦彦は答えるかわりに穏やかな微笑みをこぼした。
 二人の意思を受け取り、秋歌がエンターを中指で弾く。
 偽りのない思いを込めて。
『投稿者:堕天使との遭遇者 投稿日:2002/05/**(Mon) 16:41
 困ってるなら、あたしたちはいつでも力になるよ』
 と。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0183/九夏・珪(くが・けい)/男/18/高校生(陰陽師)】
【0226/斎司・更耶(ときつかさ・さらや)/男/20/大学生】
【0264/内場・邦彦(うちば・くにひこ)/男/20/大学生】
【0683/鳴神・秋歌(なるかみ・しゅうか)/女/19/看護学生】
【0689/湖影・虎之助(こかげ・とらのすけ)/男/21/大学生(副業にモデル)】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、はじめまして。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?

 内場邦彦さん。初めてのご参加、どうもありがとうございます。
 優しく内気なお兄さん、という感じで描かせていただきました。イメージ違ってたら申し訳ありません(汗)。カバンも今回抱きしめる、くらいしか出番がなく…機会がありましたら今度こそ何か取り出してみたいと思います。
 プレイングは、作品をご覧いただければわかると思いますが、曜日指定、正解でした。すでに巻き込まれていた人々のことを心配してあげる優しさが、印象的でした。

 もしよろしければ、感想などをお気軽にクリエイターズルームからいただけると嬉しいです。今後の参考にさせていただきますので。
 それでは、今回はシナリオお買い上げありがとうございました。
 また再会できることを祈りつつ、失礼します。