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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


−双−

<序>
 毎夜、悪夢は舞い降りる。


『記憶が途切れるんです 投稿者:Mao-N 投稿日:2002/05/**(wed) 18:21

 こんにちは、初めて書き込みさせていただきます。
 実は、最近時々ふっと記憶がなくなることがあるんです。最初はあまり深刻ではなかったんですが、ここのところ、僕が僕である時間が短くなってきているので……。
 知人は、いつもどおりの僕がそこにいるというんです。
 でも、僕にはその間の記憶がまったくないんです。
 僕じゃない僕が、勝手に「僕」を演じているんです。
 病院にも行ってみたんですが、別にどこかに異変があるというわけでもないらしくて……どうしていいかわからないんです。
 夜も、僕じゃない僕が誰かに向かってひどい呪いの言葉を発している夢を見たりしていて。
 僕は、もしかして知らない内に誰かを殺そうとしているんじゃないかってだんだん心配になってきて……。
 もしかしたら、見知らぬ人を、知らない内に殺してしまうんじゃないかって、しんぱ

 俺は見知らぬ誰かを手にかけるほど、無節操でもない。
 狙うには、それなりの理由がある。もっとも、そのために複数の無関係者が巻き込まれてはいるがな。
 さて。これを読んだお前の正義感が疼くというのなら――俺の所業を止められるというのなら、来るがいい。
 その時に「俺」がいるか、もう一人の「俺」がいるかは知らないがな。
 指定の場所は添付ファイルに記しておいた。
 来週。ミカエルの午前二時に、待っている。』


 瀬名雫は、いつものネットカフェで、自分のHPの掲示板書き込みを見て眉をひそめた。
 何だろう、これは。
 二人の者が一つの書き込みをしている――ように見えるが、文章だけならいくらでも「一人なのに二人いる」と装うことはできる。
「うーん……悪戯かなぁ。本物かなぁ」
 判別しかねて、小首を傾げる。
 それに「ミカエルの午前二時」とは一体何のことなのか。一文の頭に「来週」とつけられているということは、おそらく、来週のいつの日かを指定しているのだろうが……。
 書き込みに添付されているファイルを開くと、どこかの小さな公園への地図が現れる。
「うーん。もし最初に書き込んだ人が本当に悩んでたりするなら、このままサクッと削除するわけにもいかないしなぁ……」
 ふと、隣にいた者に顔を向けて、雫はにっこりと微笑んだ。
「思い当たる日に、この指定の場所に行ってちょっと確認してきてくれないかなぁ? え? 私? 私はちょっと別の用事があってダメなのよ〜」
 興味津々なんだけどなぁ、と残念そうに呟くと、彼女は頬杖をついて深いため息を漏らした。

<AM1:50 Sun ――独り言>
 とある深夜営業の喫茶店の一角。
 ちらりちらりとそちらに、ウェイトレスの女が視線を何度も送っては、同僚とこそこそと囁きあっていた。控えめながらもしつこくまとわりついてくるその視線に、うんざりしながら深く座席に腰掛け、すでに今夜3杯目になるコーヒーを口にする。
 冷めていて、ひどくマズイ。
 その不味さ加減がさらに苛立ちに油を注ぐ。
 こんなことならいっそ二四時間営業のファミレスにでもしけこんでおけばよかったと思いつつ、長い足を持て余すようにゆったりと組み替え、はあ、と大きくため息を漏らした。
 その憂い顔に、またウェイトレスが視線をやり、頬を赤らめてきゃあきゃあと同僚たちと囁きあう。
 勘弁してくれと心底思いながら、斎司更耶はちらりとテーブルの上に放り出してある携帯電話のディスプレイに視線を向けた。
 午前一時五〇分。
 何が悲しくてこんな時間に喫茶店で一人きり、クソ不味いコーヒーなんぞすすっていなければならないのだろうか。
 恨めしげにその携帯電話を睨みつける。いや、電話に罪はないのだが――まあ、ただの八つ当たりである。
 ゆるく前髪をかき上げ、そのままテーブルの上に片腕で頭を抱えるようにして突っ伏す。指の間から茶色の髪がさらさらと零れ落ちる。
「あああもう、時間外労働だっつーの……!」
 低く押し殺した声で呟く。店内にかかっている意味があるようなないようなどうでもいい言葉を並べ立てた流行歌が、呟きをその場で圧殺する。
 ゆうらりと中空に渦を巻く紫煙がさらにムカつきを倍増させる。違う席で談笑する声がムカつく。食器がぶつかる音がムカつく。
 何もかもがひどく神経に障る。
 イライラすることばかりで、いい加減、本気で更耶はキレそうになっていた。
 現在、午前二時少し前である。
 言っておくが、昼の二時ではない。太陽はとっぷりと暮れ、今は空には月が浮かんでいる。
 夜の二時だ。丑三つ時だ。
 なんでこんな時間に、家のベッドの中ではなく喫茶店などにいるかと言えば。
 ひとえに、仕事のためである。
「労働基準監督局に訴えてやろうか本家の連中……」
 目が不穏な色を帯びて半眼になる。伏せていた上体を持ち上げて、更耶はもう一度前髪をかき上げた。目を眇めてゆうらりと揺れているマズいコーヒーを眺める。
 なんで自分が夜中の二時などに働いていなければならないのか。これはもう、本家の――両親の陰謀としか思えない。わざとそんな仕事を自分に回してきているに違いない。
 そういえば、確か先日も深夜二時に働いていたような気がする。手の霊の時だ。
「……嫌がらせかよ」
 いくら両親の能力を奪い取って生まれてきたとはいえ、自分は彼らの子であることには違いないのに。
 裏家業である「退魔師」としての力を発揮するのが遅かったとはいえ、今は普通にそれなりに、役には立っているのに。
 まだ半人前としてしか見られていないのだろうか。もっと依頼をこなして修行しろということなのか。それとも、やたらめったら面倒な仕事を回してくるのは、能力を奪い取ったならそれなりに働いてみせろ、ということなのだろうか。
 どんどん被害妄想がひどくなってくるのを厭うように、ちっと短く舌打ちして、更耶はコーヒーカップを手に取った。そして中の琥珀色の液体を一気に飲み干す。
 もっとも。
 回された仕事を拒否する権利くらいは与えられている。
 それなのに拒否せずにここにいるということは。
(……結局は自分の意思なんだよな)
 なんでこんな仕事を請けてしまったんだろうと今更ながらに首を傾げたくなる。
 お陰で、この不味いコーヒーを味わうハメになってしまったのだ。最悪である。
「あー……。…………」
 また愚痴をこぼしそうになった口を閉ざし、頬杖をついて空になったカップを見やる。
 うだうだ考えていても、今更どうにかなるものでもない。請けてしまった以上はそれをきっちりカタさなければ。
 ……力があるくせに何もできない役立たず、などとは。
 あの家の連中にだけは死んでも言われたくはなかった。
「…………」
 短く吐息を漏らし、意味もなくソーサーの上のスプーンを手に取り、カップの縁を軽く叩く。音楽にかき消される程度の小さな澄んだ音が紡がれる。
 依頼内容は、どこかのホームページの掲示板に書き込まれていた一文の調査だった。ンなもんてめえらで調べろよ、大体ネットの海に漂っているそんなたった一つのわけわかんねえ書き込み調べるため費やしてる時間なんかあるかよ、と思いながらも、結局なんとはなしに請けてしまった更耶である。
「ミカエル……だったっけ」
 依頼を請けてから自分で実際に見てみたその書き込みの内容を思い出す。
 指定の日時は「ミカエルの午前二時」
 ミカエルといえば、確か火の属性の天使である。としたら火曜ではないか?
 ……と思いながらも結局、曜日をハズさないように日曜から張り込みをかけているあたり自分も本家に対して何だか意地になっているなと思い、ようやくこの喫茶店に入ってから始めて小さく笑いをこぼした。それまでずっと眉間に不機嫌そうな縦皺を刻みっぱなしだったのである。
 ちなみに、例の公園には今、家の人間を張り込ませてある。誰かが現れたら携帯にすぐさま連絡を入れるようにと指示を与えて。
 そして更耶自身は、その公園のすぐ近くにある喫茶店に身を置いているのである。連絡があり次第、即座に現場に駆けつけられるように。
 だが。
 こんなマズいコーヒーを飲まされるくらいなら自分で張っていてもよかったな、と思いつつ、また一つカップの端をスプーンで叩く。キィン、と硬質な音が響いた。
 明日もまた張らなければならないようなことになったら、とりあえずこの喫茶店だけは外すことにしようと固く心に決めて、思考をもう一度仕事の方へとシフトする。
 ――掲示板に書き込みをしていたのは「Mao-N」なる人物。
「確かミカエルって、双子の兄貴がいたよな」
 大天使長ルシフェル。後に「ルシファー」となる者だ。
「……その辺りに引っ掛けてんのかな」
 一人ごち、スプーンをソーサーに置く。
 書き込みをした「Mao-N」。最初の書き込みがミカエル。そして後の書き込みがその「Mao-N」のブラックバージョンともいうべき、ルシフェル。そんな感じだろうか。
 ふと目を上げる。
「『Mao-N』って、漢字で書いたら『魔音』だったりして」
 言ってから、誰が聞いていたわけでもないのに「なーんてな」と付け足して小さく笑う。
 ……妙に独り言が多いのは、一人でいる寂しさを紛らわそうとしているからかもしれない。
 今日は、魂の片割れともいうべき相棒が、近くにいないから。
「……ま、ブラックの方もそんな悪い奴には思えなかったし、うまく会えたら話くらいは聞いてやるか」
 逸れかけた思考を呟きで正しい方向へと戻す。
 普段は普通におとなしくしていて、何か特定の『理由』がある時にだけ、動く。それはまるで、本当に二人の人間の自我がその体内に存在しているかのようだ。
「もしかして、ミッシングツイン、ってヤツか?」
 ミッシングツイン(バニシングツインとも言う)とは、本来双子として生を受けるはずの胎児が、一方の胎児になんらかの理由により吸収され、存在が消滅する現象である。。
 けれども、意識までもが個別として残るかどうかは疑問である。
 どうにも考えがまとまらず、なんだかなぁとため息をついた、その時。
 マナーモードにしてテーブルの上に放り出していた携帯電話が、小刻みな振動を発し始めた。はっとすぐさまそれを捕まえ、ディスプレイを覗き込む。
 メールが一通。公園に張らせていた者からだった。
「……火曜だけにかけてなくて正解だったな」
 すぐさま席を立つと、更耶はテーブルの上に置いてあった不味いコーヒー三倍分のレシートを掴んだ。

<AM2:20 Sun ――堕天使来臨>
 ざっと靴底を鳴らして、一つの影が公園入り口の低い位置にかけられている弛んだ鎖を飛び越えて着地した。
 その眼差しがキッと上げられる。
 が、その場にいた男二人と女一人を見てはたと目を瞬かせた。
 六つの瞳はまっすぐに、飛び込んできた者を見ている。
「あれ……?」
 呟いた影――斎司更耶に、ああ、と短く声を発したのは湖影虎之助だった。整った容貌にわずかばかりの笑みを乗せている。
「もしかして、雫ちゃんのサイトの書き込みを見てきたのか?」
 全速力で駆けて来たのにまったく息も切らさず、更耶は頷いた。まさか、先客が居るとは思わなかった。
「ああ、まあそんなところ……」
 が、紡ぎかけた言葉は途中で止められた。更耶の目が立っている三人の向こう側――ブランコの方へ縫いとめられる。
 そこから発せられる、なにやら剣呑な、不穏な気配。
 ふわりと髪を揺らせて、紅一点の鳴神秋歌が振り返った。内場邦彦と虎之助も、パッとブランコへ顔を向けなおす。
 全員が、息を詰めた。
「な……っ、なにっ?」
 かろうじて声を紡げたのは、邦彦だった。その場に満ちるざわりと肌が泡立ちそうな気配に、わずかばかり頬を引きつらせる。
 周辺の薄闇に混ざる空気が、濁りを帯びて穢れていくのが判るような。そんな感覚だ。薄気味が悪い。
 そのブランコには一人の青年が腰掛けている。白いシャツを纏った体は前のめりになり、顔は伏せられていた。
「……そいつがあの書き込みしたヤツかよ?」
 更耶が柳眉を潜めて誰へともなく問いかける。こくりと頷いたのは秋歌だ。口許に手を当て、長い睫に縁取られた目を瞬かせながら言う。
「うん。さっきまでは落ち着いた、優しい目の人だったのに」
 発される気は、さっきまでの彼とは明らかに違っている。いや、気だけではない。
 さっきまではこざっぱりした髪型だったのに、いつのまにか横髪だけが顎の先くらいまで伸びていた。俯いて小刻みに肩を震わせているその様はなんだかひどく不気味である。
 すっと。
 静かに、青年が顔を上げた。そこにあるのは、さっきまでの穏やかな表情とは違う、鋭い眼差し。黒々とした瞳。さっきまでの優しげな表情と青みがかった瞳はもうそこにはなかった。
 髪型と眼差しの違いだけなのに、そこにいる人物はさっきまでここにいた者とはまるで違う人物のように見える。
 ゆっくりと、その唇が開かれた。
「ふふ、見た目を変えたほうがわかりやすいだろう? 一人で二役演じていると思われるのはごめんだからな」
 声も、さっきまでの彼とは微妙に違っていた。幾分低く、口調もまるで違う。驚く虎之助と邦彦と秋歌を見、男は唇を歪めて笑った。冷笑である。
「俺は別にこの器と同じ姿のままでもいいんだが。まあ、お前らに理解しやすいように、といった所か。サービスがいいだろう?」
 荒んだその眼差しを見ながら、応じるように唇を歪めて笑いながら虎之助が問いかけた。
「お前が『俺』の方か」
 いや、答えを確認するまでもない。
「現れてくれて嬉しいよ。どうせ話聞いてほしくて呼び出したんだろ? だったらサクサクっと話せよ」
 彼が出てこない限りは、雫に正確な報告ができない。虎之助にとっては正義だの彼の事情だのはこの際あまり気にかかることではなく、ただ、彼に関する情報を得に来ただけなのである。
 それは興味本位でもなく、ただ「雫に正確な情報を教えてやりたい」という思いからくるものだった。
 男が低く笑った。
「何だ、俺を力ずくで止めにきたわけじゃないのか」
 鼻で笑い、足を組み上げる。キィ、とわずかにブランコの鎖がきしんだ音を立てた。
「一体、何を狙っているの、あなたは」
 邦彦が、相手の様子を伺いながら慎重に口を開いた。声につられるように男の視線が虎之助から邦彦へと移動する。
 一羽の鷹を思わせるその鋭い視線に、思わず強くカバンの紐を握り締めた。一瞬背筋に走った震えを見抜いたのか、男が目を伏せて唇の端を歪ませて笑みをこぼす。
「言っているだろう。俺はだれかれ構わず狙うわけではない、と。安心しろ。警戒せずともお前たちをどうこうするつもりはない」
「とはいえ、すでに誰かに危害を加えたんだろう? その中に女性はいなかったのか?」
 すっと秋歌を自らの後ろに自然に移動させ、虎之助が問う。庇われるような形になった秋歌が、ぱちぱちと目を瞬かせた。相手がどう動いても、秋歌を守れるようにという虎之助の配慮だった。
 女性は守るべきもの。それは虎之助にとって絶対の真理のようなものである。
 ふと男がわずかに顎を上げた。見下すような冷めた眼差しで虎之助を見る。
「さあ、どうだったろうなぁ」
 明らかに嘲弄を含んだその声音に、ぴくりと虎之助の整った顔にわずかばかりの怒りが色を差す。はらりと目の前に落ちてきた前髪を指で梳き上げた。その手をゆっくりと下ろす瞬間、表情が厳しくなる。
「……やっぱり潰すべきかな? 女性に害ある者を放ってはおけない」
 その言葉に、それまで黙って男の様子を観察していた更耶が慌てて声を放り込んだ。
「潰すべきって、こいつ潰しちまったら元の……Mao? ってのまでやっちまうことになるぜ?」
 そりゃ、潰すとなればそれなりにやるけどさ、と付け足しはするが、更耶自身はあまり乗り気ではなかった。実際、観察してみても、更耶には「悪ぶっている」ように見えるだけで、根っからの悪人のようには見えないのである。
 ……表情はまあ確かに、傲岸不遜で悪者っぽいが。
 秋歌が、虎之助の後ろからひょこりと顔を出した。そして男に向けて、場違いなほどに優しく暖かく微笑む。
「人を傷つけたりとか人殺しとかはどんな理由があってもいけないと思うのよ。もし、あたしにできることがあったら協力するよ?」
 そしてちらりと虎之助を見る。
「湖影さんも。すぐに潰すとか言うのはよくないよぉ」
「ああ……そうだね、秋歌さん。わかったよ」
 諌める言葉に、素直に虎之助は苦笑を浮かべて頷く。女性を守るために潰すと言ったその言葉を女性に諌められて、わずかに肩をすくめた。
 一瞬漂ったすさまじく険悪な空気に、なすすべもなくその場にいる者の顔を見渡していた邦彦が、大きくひとつ深呼吸して、ゆっくりと口を開いた。
 もう一度、先刻紡いだ問いを繰り返す。
 聞ける時に聞いておかないと、いつまた元のMaoに戻ってしまうか判らない。
「だから、あなたは何の目的で、何を狙っているの? あなたは一体、何? Maoさんの二重人格のうちの一人? それとも、霊魂か何かで、Maoさんに取り憑いてるの?」
「っていうかさ」
 かりかりと頭をかきながら、更耶がため息をつく。
「なんかややっこしいんだよな。Maoとかあんたとかもう一人とかお前とかさ。……よし、元の『僕』の方をミカエル、お前のことはルシフェルって呼ぼう。ん、決定っ」
 誰に同意を求めるでもなく、さっさと独り決めしてしまう。
 この男の書き込みの中にあった「ミカエル」に双子の兄弟がいるという説があるため、あえて更耶はここでそれを引用したのである。
 それに、仮名『ルシフェル』が肩を揺らせて小さく笑った。
「まあなかなか悪くないネーミングセンスなんじゃないか?」
「だったらルシフェル……ってのも長いから、まあ『るっしー』でいいよな。さっきからこいつも聞いてっけど、一体何がやりてえんだアンタは。言いたいことがあるなら聞いてやるぜ?」
 こいつ、と邦彦を指差しながら言う更耶に、ルシフェルは肩をすくめた。
「るっしー、はセンスが悪いと思わんか」
「話、ずらすなよ」
 鋭く指摘され、やれやれというように片手の掌を空へ向けて軽く持ち上げると、ルシフェルはその眼差しを虎之助に向けた。
「話し合いをしてやってもかまわないが、お前は俺を討ち取りたいんだろう? 相手してやってもかまわんが?」
 言いながら、持ち上げた手を軽く振って指を鳴らし、肩の高さに持ち上げて水平に横に凪ぐ。と、その腕にふわりと黒い煙が現れた。まるでマジックか何かのように、その煙の中から、一羽の真紅の鷹が姿を現す。
「本当は二羽いるんだが、まあお前たち相手なら一羽で十分だろう」
 鷹が、ルシフェルの腕の上で一つ翼を羽ばたかせた。ゆっくりとブランコから腰を上げ、すっと鷹を乗せた手を軽く振る。と、音もなく鷹はルシフェルの肩へと移動した。
 キィキィと、ブランコが前後に緩く揺れるたびに耳障りな音を立てる。
 月光に、鷹の金色の瞳が煌く。冷たいその煌きに、邦彦が思わず怯えるように肩にかけていたカバンを下ろして腕に抱え込んだ。何か動きがあったら、そのカバンの中から何か――何が出てくるかわからないが――を引き出せるように。
 平穏無事に済みますように、とここへ来る前密かに祈ってきたのだが、無駄だっただろうかと心配そうにルシフェルと虎之助を交互に見やる。
「たっ、戦うのっ?」
「でも、ルシフェルくん、さっきあたしたちには手出ししないって言ったよぉ?」
 ぴ、と人差し指を立てて秋歌はわずかに頬を膨らませた。あっさり約束を破ろうとしているルシフェルへ、思い切り非難をこめた眼差しを向ける。が、それを手で制して、虎之助が短く吐息を漏らした。そして両手を軽く顔の高さに持ち上げ、お手上げのポーズを取る。そんなポーズを取っていても彼の二枚目ぶりは微塵も崩れなかった。
「俺には降霊能力しかないからなぁ。戦闘向きじゃないんだが、まあお前が何らかの霊だというなら、無理矢理そこから引き剥がしてやることは可能なんだけどね」
 ルシフェルが低く笑った。月明かりがその顔に微妙な陰影をつける。
「残念ながら、霊じゃないからお前のその能力は無意味だな」
「だったらお前は何者なんだ?」
「そうだな……まあ、二重人格、というのはあながち外れてはいないな。いや、この主人格――ミカエルがとってきた行動の末に生まれたもの、といえばいいだろうか」
 手で自らの胸を指差し、ルシフェルは告げる。案外あっさりと明かされたその言葉は、けれども新たなる謎を含んでいた。
「ミカエルがとってきた行動って何だよ?」
 ゆったりと腕組みしながら更耶が口を開いた。月明かりの元、指にはめたシルバーリングが鈍く光る。その光が瞳を刺したかのように、わずかにルシフェルが片目を細める。
「お前たちと同じだな。変なものを退治するというのか、悪しきものを正しき方向へ導くというのか」
「その結果がどうしてそうなるのぉ? みんなはそんなことにはなってないのに」
「こいつの場合、少しばかり特殊だったんだ」
 問いを挟んだ秋歌へ視線を移すと、自分のこめかみに人差し指を当てる。まるで銃を突きつけるかのように。
「悪しきモノを正しい方向へ導くのではなく、ミカエルは自分の中にそれを吸収する能力を持っていたんだ。で、その吸収したものが凝り固まって出来た第二の意識が、俺、というわけだ」
 霊でもなく、人格でもなく。
 悪しきモノが凝り固まった、思念。
 肩にのる鷹の頭を指先で撫で、ルシフェルは唇の端をわずかに持ち上げて笑った。
「お前たちに手出しする気はない。お前たちが手出ししない限りは」
 約束を違えはしないと、はっきり口にする。
「俺は、意味のないものには手を出さない。ただ、その『意味あるもの』をおびき寄せるために、無関係なものを巻き込んでいるが」
「それなんだ。問題なのはそこだろう?」
 虎之助が素早く指摘した。厳しい表情でルシフェルの冷めた笑いを浮かべる顔を見据える。
「野郎がどうなろうが俺の知ったことじゃないが、女性が巻き込まれるのは放っておけない」
 その言葉に、ルシフェルはしばし何かを考え込むように滑り台の方へ視線を向けてから、わずかに頷いた。
「……そうか。なら今後は野郎のみを狙うことにしよう。ならば問題はないな? なるべく女を獲物にしたほうが、解決する側としては燃えるかと思ったんだがな」
 意味のわからない呟きをするルシフェルに、邦彦が落ち着きなく肩にかけ直したカバンの紐に指を滑らせながら、わずかに眉をひそめる。
「あの、そういう問題じゃない気がするんだけど。とりあえず、君はミカエルさんの敵なの? 味方なの? ミカエルさん、君の事怖がってるみたいなんだけど」
「ああ……どうなんだろうな。敵でもあり味方でもある」
 曖昧なその返答は、自らに言い聞かせているようでもあった。ややして、ふっと目を細める。
「ただ、俺はミカエル自身をどうこうするつもりはない。それだけは断言してもいい」
 言い切る言葉に嘘の匂いは微塵も感じられない。
 ほっと秋歌が安堵の吐息をもらした。
「もしも霊的なものなら、うちの病院につれてってあげようかと思ってたんだけどぉ。ルシフェルくんがミカエルさんの敵じゃないなら、一緒にいてもいいかなぁ?」
「病院?」
「うん。あたしね、産婦人科で看護助手のアルバイトしてるのよー」
「……俺に産婦人科に行けと?」
 微妙な表情で問い返すルシフェルに、秋歌が明るく笑った。
「違うの、うちの病院、裏では霊的な治療もやってるの。でも霊的なものじゃないならうちにきても仕方ないよねぇ」
 頬に人差し指を添えながら、秋歌が肩をすくめた。愛らしいその様にルシフェルが小さく笑う。
「まあ、産婦人科に行っても意味はないな」
「っつーかさ、お前、日記でもつけたら?」
 更耶が横合いから提案した。言いながらルシフェルの隣の、空席のブランコに片足を乗せる。ブランコの鎖が軋んだ音を立てた。
「お前が動いたときのことがミカエル……ん、ミカちゃんにもわかるようにさ。したらミカちゃんだって、ちったあ怯えずにすむんじゃねえ?」
 自分の中にいるものが何者かがわからないから、おそらくミカエルは怖がっているのだ。ならば、そういう手段でコンタクトを取っていけば、今よりはミカエルの心理的負担も少しは軽くなるのではないだろうか。
 なるほど、と短くルシフェルが呟く。
「そうだな。考え付かなかった、そんなこと」
「……案外バカなんだなお前」
 辛辣な更耶の言葉は、けれども悪意が含まれたものではない。鼻先で軽く笑い、ルシフェルは小さく肩をすくめた。鷹がふわりと羽を開く。
 よし、と虎之助が頷いた。
「これでとりあえず雫ちゃんには報告できるな。書き込みは本当だった、って」
 それに、こくりと邦彦が頷いて微笑む。
「そうだね。……でも、どうしてルシフェルさんは掲示板に挑発するみたいなこと書いてたの? 正義がどうとか、って」
 ただ今のように話を聞いて欲しかっただけならば、あんな書き方をする必要はなかったはずだ。ミカエルの書き込みに付け足す形で「話を聞いてほしいから指定の場所に来て下さい」と書いておけばすむ話である。
 ふと、ルシフェルがわずかに視線を足元に落とした。色の濃い影が水溜りのようにそこに凝り固まっている。
「ああ……俺が狙っている者が見かけるかもしれないと思っただけだ。エサに引っかかってくれれば、それで一気にカタをつけられる、と。そう思っただけだ」
「結局そのるっしーが狙ってるヤツって、一体何者なんだよ? なんで狙ってんだ?」
 リラックスするように首を左右に動かしながら問う更耶に、ルシフェルはふっと顔からすべての表情を消して、低く言った。
「命を狙われているからさ」
「それはミカエルくんの命? ルシフェルくんの命?」
「俺の、だ」
 俺、の部分に力を込めて言う。秋歌が眉宇をわずかに寄せた。
「誰であろうと、命狙うのはだめだよぉ。生きてるっていうのは、すごいことなんだよ?」
「……なら、お前は俺が殺されそうになったら、俺に手を貸してくれるか?」
 低く、けれども真剣な眼差しで紡がれたその言葉に、ふと虎之助が目を細めた。
「もしかして、俺たちをここに呼び出したのはそれを言い出すためだったんじゃないのか?」
 自分を助けてくれるか、と。
 掲示板に書き込みをしたのはミカエルかもしれない。けれども、最終的にここへ自分たちをおびき寄せたのは、ルシフェルだ。
 ルシフェルも、助けを求めていたのではないか?
 けれども。
 今までぶつけた問いには軽く答えていたにも関わらず、最後の最後に発されたその問いかけに、ルシフェルは小さく笑っただけで何も答えはしなかった。

<AM3:05 Sun ――終…動く理由>
 ようやっと仕事から解放、である。特に今回は暴れることもなく、淡々としたものだったなぁと思いながら、更耶は小さくあくびを漏らした。
 ちょっと、眠いかもしれない。気が抜けたせいだろうか。
 月は、まるで作り物のようにくっきりとその姿を黒い中空に浮かばせていた。
 ふと。
 その月が照らし出す道に。
 更耶が進み行く方向に。
 更耶が天上へ持ち上げた視線を下界へと下ろす、その一瞬の間に人影が一つ、現れた。。
 す、と月が雲に隠される。周囲の闇が重さを増した。
 静かに、更耶が双眸を見開く。
 そこにいるのは、ルシフェルだった。さっきまでの白いシャツとは違い、黒い衣装を身に纏っている。どうやら、和装らしかった。
 肩にのった真紅の鷹が、月明かりの微妙な照らし具合のせいでまるで血塗れているかのように見える。奇妙なまでに、闇の中で爛々とその金の目は煌いていた。
 月が隠れたせいか、街灯のない夜道はひどく暗い。
 ルシフェルはまるでその闇に身を半分沈めたかのようだった。表情も、影に覆われていて見えない。
 気を取り直して、更耶はかすかに笑みを浮かべた。
「……んだよ、おどかすなよ。なんか言い忘れたことでもあったわけ?」
 空気の微震を感じる。わずかに、ルシフェルが笑ったようだった。
「お前、俺の書き込みを見て何も思わなかったか?」
「あ? いや別に。ただの悪戯かマジモンの二重人格者か、くらいだったけど」
「名前を見ても、何も思わなかったか」
「名前? あー、『Mao-N』だから、漢字で書いたら魔物の音で『魔音』かなー、とかって」
「それだけか?」
「……なんか意味あったのかよ、あのハンドルネーム」
 わずかに片眉を下げて、訝しげに更耶は問いかけた。ルシフェルのシルエットが闇の中でかすかに揺れる。頭を振ったようだった。
「あれはハンドルネームではない」
「じゃあアレって本名かよ?」
「『マオ』というのはこの身体の――ミカエルの本名だ。……覚えがないか。『マオ』に似た名に」
「覚え?」
 言われて、唇に手を当てて視線をわずかに横に流して記憶の中を検索する。そういう名前の女優が居たな、と思うと、そこから意識が離れなくなる。他を探そうとしても、必ずその女優の顔が頭に浮かぶ。それは違うっつーの、と意識の外へ無理矢理その顔を追いやる。
「まお。まお……んー……」
「覚えはないか。俺に似た、男に」
 すっと。
 タイミングよく、空に流れていた雲が途切れた。降り注ぐ月明かりに照らし出される、ルシフェルの顔。
 黒い瞳。うっすらと浮かんだ優美な微笑。穏やかな眼差し。
 ふっと更耶の脳裏に、一人の青年の顔が浮かんだ。その記憶の中の顔を幾つか若くしたような顔が、目の前にある。
「あ……っ」
 更耶の反応にルシフェルの微笑が消え、冷めた、何かを嘲るような笑みへと変わる。
「やはりな。お前、あの男と共に行動したことがあるだろう。子供たちに呪殺のための気を集めさせていた時。子供に姉の思い人を事故にあわさせ、その手の霊を使わせていた時。そして先日の車の時」
 過去関わった仕事内容を次々に上げられ、更耶の目が見開かれる。驚きを宿すその顔を、唇の片端を吊り上げて笑いながら、ルシフェルは眺める。
「近くに置いていた式神を通して見ていたヴィジョンに、お前の顔があったからな」
「待てよ。何だ? じゃあお前が狙ってるヤツって、もしかして」
 獲物を狩るためにすでに別の者たちを巻き込んでいると、この男は言っていた。そして、先にあげられた仕事の時に必ずその現場に居た人物は、一人しか浮かばない。
 その人物は、さっきルシフェルの顔を見た瞬間に思い出した者と、一致していた。
 としたら、導き出される結論は、一つ。
 ふふ、と短くルシフェルが笑った。
「お前の想像通りだ」
「……けど、書き込みの時の名前が本名になるなら、苗字違わねえか? Mao-N。Nじゃなくて、Tになるんじゃねえのかよ」
「家庭の事情というやつだ」
「じゃあお前……本当に」
 更耶は一つゆっくりと呼吸して、低く声を吐き出した。
「鶴来那王(つるぎ・なお)の、弟なのか」
「ああ。ミカエルの本当の名は七星真王(ななほし・まお)。鶴来というのは母方の姓だ」
「七星?」
 はっとまた更耶が目を瞠る。先日の、鶴来那王への問いかけを思い出したのだ。
 依頼人の姓に『七』がついている理由。
「あいつ、やっぱわざと『七』がつく依頼人選んでんじゃ……」
「俺がわざわざ『七』の文字がつく者にちょっかいかけてやっているからな。俺の後を追っていれば、自然と『七』の依頼人に辿り着く」
 頬にかかる伸びた横髪を手で払いのけ、ルシフェルは冷めた笑みをこぼす。
「逆に言うと、俺の後を辿りやすいように俺と同じ『七』がつく姓をエサにしているというわけだ」
 言って、ルシフェルは踵を返した。その黒い和装――式服のうなじの辺りに月明かりで鈍く光って浮かびあがるのは、金色の逆さ五芒星。
 つい先日、手の霊を鎮める仕事の時に病院で見た、あの後姿と同じものが今、目の前にある。
「健気な兄だろう? 弟に巣食う『俺』というバケモノを退治するために忙しなく動き回っているんだからな。呪殺されると知りつつ、現場に乗り出して来てまで俺の尻尾を捕まえようとしている」
「……お前……」
「お前があの男に今後も関わる機会があるなら、近いうちにまた会うことになるかもしれんな」
 肩越しに、更耶に向けて冷めた笑みをこぼし。
「肉親の間で疎みあうなど、お前にとっては珍しいことでもなんでもないだろう? まあ、お前の場合、そこに殺意が介在していたかどうかは知らんが」
 ふわりとその肩から赤い鷹が舞い上がる。
 去っていくルシフェルの背中を、更耶は慄然とした思いで、ただ見つめることしか出来なかった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0226/斎司・更耶(ときつかさ・さらや)/男/20/大学生】
【0264/内場・邦彦(うちば・くにひこ)/男/20/大学生】
【0683/鳴神・秋歌(なるかみ・しゅうか)/女/19/看護学生】
【0689/湖影・虎之助(こかげ・とらのすけ)/男/21/大学生(副業にモデル)】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?

 斎司更耶さん。いつもご参加、どうもありがとうございます。
 作中、プレイングにより少し更耶くんのご実家のことなどに触れていたりしますが…もしイメージ違ってたらどうもすみません(汗)。なんか初っ端は「コーヒーまずい」ばっか言ってるし(笑)。
 プレイングの方は、曜日は間違われていたのですが、現場に他の人を張り込ませて連絡を取れるようにされていたので、正解とさせていただきました。
 あと、ラストで一気にいろんな謎が噴出した感じになっています。…びっくり箱開けたときのような状況になっているとよいのですが(笑)。名前に注目されていた点と、今までの逢咲のシナリオへの参加状況を加味して、このようなラストになっています。

 もしよろしければ、感想などをお気軽にクリエイターズルームからいただけると嬉しいです。今後の参考にさせていただきますので。
 それでは、今回はシナリオお買い上げありがとうございました。
 また再会できることを祈りつつ、失礼します。