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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡線・仮面の都 札幌>


調査コードネーム:邪教  〜邪神シリーズ〜
執筆ライター  :水上雪乃
調査組織名   :界鏡線シリーズ『札幌』
募集予定人数  :1人〜4人

------<オープニング>--------------------------------------

 この件は、まだまだ根が深いようでございますね。
 まったく、邪神を崇めるのも人間なれば、それを封ずるのも人間。
 業、とでもいうのでしょうか。
 ああ。これはこれは、ようこそいらっしゃいました。
 たしか自衛隊の‥‥三浦さま、でございましたね。
 本日は如何なる御用向きで?
 はあ。邪教の館を調査せよ、と。
 何でございましょう。その怪しげなネーミングは。
 あ、いえ。けっして文句があるわけではございません。
 ただ、私、一介の雑貨屋でございまして。
 そのようなことは、あなた方自衛隊の方が向いていらっしゃるのではないかと。
 あ、もちろん他意はございませんよ。
 この税金ドロボウめ、などと思ってはおりませんから、そんなに睨まないでくださいませ。
 そうですねえ。
 それでは、この張り紙でも玄関に貼っておきましょうか。

 荒くれ者 大募集!!
 職種 調査員
 荒事に発展する恐れあり。
 調査対象は『邪教の館』
 高給優遇。経験不問。

 え、いつの間に書いたか、でございますか。
 当店には、色々なものがあるのでございますよ。



※水上雪乃の新作シナリオは、通常、毎週月曜日と木曜日にアップされます。


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邪教

 湿度の高い重たい風が、ぬるぬると頬をなぶる。
 薄曇りの空。
 不快感を誘う奇妙な高温。
 季候の良い北海道の初夏には似つかわしくなかった。
 蝦夷梅雨というヤツか。これも地球温暖化の影響かもしれんな。
 噴き出した汗を右手の甲で拭いながら、巫灰滋は漫然と考えた。
 べつにナチュラリストなわけではないが、些細な環境の変化から、人類の行く末について思慮を巡らすこともある。
 札幌医科大学付属病院。
 たった今、巫が出てきた建物の名だ。といっても、彼自身の健康に問題があるわけではない。
 恋人の見舞いである。
 新山綾という固有名詞を持った恋人は、二日ほど前に発生したある事件に巻き込まれ、この病院で入院加療中だった。まあ、重傷というほどの傷は負っていないので、それほど心配する必要はないが、精密検査などをおこなう必要もあり二週間ほど病院で寝泊まりしなくてはならない。
「‥‥思ったより元気そうで安心したぜ」
 綾が入院して以来、幾度呟いたか判らない言葉。
 それは、あるいは、不安の現れだったかもしれない。
 軽傷で済んだとはいえ、精神的なダメージは計り知れないものがある。あれほどの異常な体験をしたのだ。気が強いと思われている黒い瞳の魔術師だが、メンタル面に脆い部分があることを巫は知っている。
 だからこそ、こうして病院に日参しているのだ。
 むろん東京には戻っていない。
 このあたりは、フリージャーナリストの強みである。暇をつくろうと思えば、いくらでもつくることが出来る。勤め人ではこうはいくまい。
 ちなみに、黒髪の浄化屋が拠点としているのは綾の部屋である。すなわち、大学の職員住宅だ。宿代が不要だという利点があるし、汚れ物を洗濯したり着替えを届けたりするのに便利なのである。
 もっとも、綾の方は下着まで洗濯させることに、かなりの罪悪感があったようだが、
「困ったときはお互い様だ」
 という論法で押し切られてしまっていた。
 強引なようだが、巫らしい気遣いだった。
 入院生活などをしていれば、誰だって気が重くなる。その上、退院して一人暮らしの部屋に帰るとしたら、心細さは如何ほどだろうか。多少不躾でも強引でも、生活感を保ってやるべきだ。
 待っている者がいるから人は強くなれる、という側面もあろう。
 もちろん、こんな恥ずかしいことを口に出来るわけもないが。
 と、巫の視線が前方に固定された。
 見覚えのある人影が、こちらに向かって軽く右手を振っている。
 黒い髪。同色の瞳。
 武神一樹である。
「ようダンナ。どうしたんだ? こんなところで」
「むろん綾の見舞いだ」
 そう言って、無造作に持った花束を指し示す。
「‥‥‥‥」
 巫が言葉に詰まった。
 べつに豪華な花束、というほどのものではない。その辺の花屋で適当につくってもらったような平凡なものだ。
 だが、いつも手ぶらの浄化屋にしてみれば、居心地の悪いこと夥しい。
「どうした? 変な顔をして」
「‥‥べつに」
 わずかにふてくされたような巫の顔。
「少し待ってろ。受付に預けてくるから」
 苦笑をたたえながら、武神が言う。
「会っていかないのか?」
「万難を排して会いたい、という相手でもないからな」
 偽悪的な表現に調停者らしい気遣いが見え隠れしている。
「俺は何を置いても会いたいぜ」
 戯けたように両手を広げ、巫も苦笑した。
 ちゃんと気が付いているのだ。
 幾度かの死線をともにくぐり抜けた経験は、ときに言葉を必要としない関係を築く。
「ところで、武神のダンナはまだ札幌に居たんだな」
「ああ。少し気になる事があったんでな。それに、さくらのトレーニングがまだ終わっていない」
「トレーニング?」
「目利きの、な。そろそろ、仕入れや取引も憶えてもらわなくてはならん」
「‥‥てことは、櫻月堂は空かい? 不用心だな」
「いや。ちゃんと留守番をしてくれるものがいる。下手な警備員よりずっと頼りになるぞ」
 笑いながら武神が答える。一緒に行きたいと駄々をこねていた蘭花の顔が思い出されたのだ。もう夏も近いというのに、一向に出で行く気配のない居候。まあ、気が変わるまで好きなだけ居座ってくれても良い。家賃分くらいは働け、と、冗談を言って留守番を命じたのだが、事がこう推移すると東京に残してきて正解である。一連の怪異な事件に巻き込むことはできないのだ。
 やがて、二人は駐車場へと足を向けた。
 やたらとラブリィな内装の軽自動車が浄化屋と調停者を迎える。
「‥‥‥‥」
「綾の車だぞ。念のため」
「‥‥‥‥」
 武神は応えない。クールな魔術師とキャラクターグッズ占拠された車内。この二つを結びつける事ができずに失調してしまったようだ。
「‥‥‥‥」
 結局、何の感想も口にせぬまま、助手席の扉を開く。
「気を付けてくれ、ダンナ。土禁なんだ」
「‥‥‥‥」
 ああ、そういえば俺や綾はそういう世代だな‥‥。
 そんなことを考える。
 爽やかさと涼気を欠いた風が、ゆっくりと動いていた。


 さて、武神が軽自動車の前で立ち竦んでいる頃、彼の恋人たる草壁さくらは、嘘八百屋の店内で修行中だった。
「では、これは判りますか? さくらさま」
 主人が三〇センチメートルほどの高さの壺を見せる。
「青花釉裏紅大壺。元の時代ものですね」
 淀みなく答える。
「では、真贋は如何でしょう?」
「もちろん偽物です。青花釉裏紅大壺は世界に五つくらいしか残っていないのでしょう?」
「正解でございます。ただ、知識ではなく眼で鑑定なさいませ」
「はい」
「次はこれです。如何ですか?」
「ええと、黒釉油滴天目碗、でしたかしら?」
「はい。時代はお判りですか?」
「宋だったと‥‥」
「正確には、南宋です。一一二〇年代の作品ですね。宋代のものとは雰囲気が異なりますから、憶えておかれるとよろしいかと」
「はい」
 答えながら、真剣な顔でメモを取る金髪の美女。
 主人が微笑する。
「こちらはお判りになりますか?」
 そう言って、一振りの日本刀を指し示した。
 優美な曲線が、なんともいえず艶めかしい。
「‥‥江戸時代の後期でしょうか?」
「ご名答。銘は藤原道辰。良くお判りになりましたね」
「なんとなく見覚えがあったような気がしまして‥‥」
「このくらいの時期の作品は、芸術性が高くなっています。武器でありながら、美しさも追求された時代ですから」
 したがって、商品としての人気は室町期の村正などより高いのだという。
「価値はどうなのでしょうか?」
「高額なものでも二〇〇万円を少し超える程度でございます。まあ、安価だというもの人気の秘密でこざいましょう」
「そういうものかもしれませんね」
「さて、少し休憩にいたしましょう。さくらさまもお疲れになったでしょう。今、お茶を煎れますから」
「あ、それでしたら私が‥‥」
 さくらが席を立つ。
 と、その時、店の扉が開いた。
「あのー 表の張り紙を見たんですが‥‥」
 戸口に現れたのは、黒髪黒瞳の少壮の男性である。
 おや、と、主人が首を傾げた。
 募集したのは、荒くれ者だったはずだ。こんな小柄で線の細い男が、かの者どもと戦うのは難しかろう。
 人を外見で判断するのは愚劣というものだが、遊び半分で相手ができるほど生易しい敵ではないのだ。
「‥‥申し訳ありませんが‥‥」
「この地に水の邪神が現れたそうですね」
 丁重に断ろうとする嘘八百屋を遮って、黒髪の男が告げる。
 主人の目が、すっと細まった。
 インスマウスのことダゴンのことは、限られたものしか知らない極秘情報である。
「‥‥何者ですか‥‥」
 警戒の色も露わにさくらが問う。
「星間信人と申します。けっして怪しいものではありませんよ」
 自分で自分のことを怪しいという人間はいない。
 残念ながら星間の言葉に説得力がなかった。
 だが、
「‥‥いまは敵ではない。そういう解釈でよろしゅうございますか?」
 嘘八百屋が訊ねる。
 左手の白い手袋を撫でながら男が微笑した。
 アルカイックスマイル。
 穏やかな笑みなのだが、なぜかさくらはうそ寒いものを感じていた。


 煌々と輝く満月が、館を闇に浮き上がらせる。
 洋館の背後には、藻岩山が黒々と蟠り、必要以上の不気味さを演出していた。
 少し離れたところに五人の男女が立っている。
 星間、さくら、嘘八百屋。それに、合流した武神と巫だ。
 色々と紆余曲折はあったが、今回はこのメンバーで偵察ということに相成ったのだ。
 依頼主たる三浦陸将補は、自衛隊の精鋭部隊とともに周囲を固めている。
 これは、特殊能力という一点において、彼らの方が自衛官たちより勝っているためだ。なにしろ、邪神だのその眷属だのが相手なのだ。通常の武装しか持たない自衛官では荷が勝ちすぎる。
「いずれ、武器を増産しなくてはならないかもしれませんね」
 溜息をつきながら嘘八百屋が言った。
「へえ。こいつらは全部、アンタが作ったのか?」
 右手に貞秀を握った巫が訊ねる。
「巫さまの貞秀は違いますよ。ですが、他のものは全て私が想像で複製したものです。能力に関しては、適当な精霊を封入いたしまして」
「‥‥適当なのかよ‥‥」
「もちろん、精霊たちの同意は得てございますよ」
「‥‥そういう問題じゃないと思うぜ‥‥」
 ふざけているのか真面目なのか判らない会話を嘘八百屋と浄化屋が楽しんでいる。
 微笑をたたえて見守る星間は、無言だった。
「‥‥一樹さま‥‥」
 さくらが、武神に身を寄せた。
 軽く頷く調停者。
「判っている。だが、俺も主人と同意見だ。無意味に疑っても仕方あるまい」
「でも‥‥」
「なんだ。まだ心配か?」
「‥‥なにか、底知れない深淵のようなものを感じます‥‥」
 ちらりと星間の方へ視線を走らせる。漠然とした不安を込めて。
 と、さくらの金色の頭に掌が置かれた。
 大きく力強い調停者の手だ。くしゃくしゃと髪を掻き回す。
「いまは正面の敵のことだけ考えろ。大丈夫だ。この国も、お前も、俺が必ず守ってやる」
 恋人を安心させるための大言壮語。否、それは調停者の胆力に裏打ちされた静かなる自信だったのかもしれない。
 たしかに星間と名乗る男は底が知れない。ダゴンのことを認知していた情報力も侮ることはできまい。しかし、それでも嘘八百屋は彼を受け入れた。
 それは何故か。
 おそらく、調停者と同じ発想に基づく理由だろう。
 腹背に敵をつくるべからず。
 兵法の基本である。
 たとえば、星間を受け入れなかった場合、この少壮の男は勝手に蠢動するだろう。敵にせよ味方にせよ第三勢力にせよ、背後で動き回られては堪ったものではない。正直いって、邪神の一党と戦うのにも戦力が不足しがちなのだ。とてもではないが他まで手は回らない。遠くで自由に行動されるよりは、近くで監視した方が効率的というものだ。
 獅子身中の虫を飼う結果になるかもしれないが、信用できないのは最初から判りきっている。
 裏切りというものは、彼我の戦力が拮抗し戦線が膠着したときに行ってこそ意味がある。どちらの陣営にしろ、一方的な攻勢の最中に矛を逆しまにしても無意味なのだ。
 隙をつくらず、裏切る余地を与えないことが肝要であろう。
 軽く心をさだめ、前方の洋館を凝視する。
「さて。そろそろ行くか」
 ピクニックにでも出掛けるかのような気楽な言葉。
 同行の四人の男女は、それぞれ為人に応じた表情で頷いた。
 血生臭い饗宴の幕が、いま上がる。


 音高く扉が蹴破れた。
 奇怪な像に向かって熱心に祈りを捧げていたものたちが、無礼な闖入者を振り返る。
 敵意に満ちた視線が男たちに注がれた。
「熱視線ってヤツだな。照れちまうぜ」
 巫が挑戦的な口調で吐き捨てる。
 目前にいるのは二〇匹以上の魚人だ。むろん、照れるはずなどない。
「道化が三人。わざわざ殺されにきたようですね」
 魚人たちの間から日本語が流れる。
 続いて、声の主が姿を現した。
 ブレザー姿にマントという奇抜な格好をした女。
 先日、綾を誘拐した女。
 槙野奈菜絵(まきの ななえ)と名乗っていた女だ。
「もちろん、下等な魚人の親玉などに、殺されて差し上げるつもりなどありませんから、ご安心ください」
 穏やかな微笑のままの星間の言葉。
 嘲弄された、と理解できないのであれば、小学校低学年からやり直した方が良い。
 むろん、奈菜絵は理解した。
「キサマ! 我が神を愚弄するか!?」
「わざわざ聞き直さないと理解できませんか? 所詮、魚は魚というところですね」
「キサマ!!」
「おやおや。語彙も貧困なようですね」
 言いつつ、星間が一歩後退する。
 これだけ挑発すれば、さしあたりは充分だ。
「殺せ!」
 奈菜絵が右手を振り上げる。
 魚人たちが緩慢な動作で戦闘態勢に移行する。
 もちろん、相手の準備が整うまで待ってやるほど、浄化屋も調停者もお人好しではなかった。
 人の形をした暴風が、魚人たちの間を吹き抜ける。
 猫科の猛獣の如き巫と、古の剣豪のような武神。
 魚人程度では対抗しえるはずもない。
 貞秀の一撃が二、三匹の魚人をまとめて壁に叩き付ける。
 天叢雲が生み出す烈風が、草でも刈るように魚人の頚をはね飛ばす。
「く!」
 舌打ちとともに大きく後ろに跳んだ奈菜絵が、聞き慣れない呪を紡ぎだした。
 と、虚空に出現した水の固まりから、数十本の細い水流が三人に向かって伸びる。
「気を付けろ!」
 仲間の注意を喚起しながら、床を転がって危険な水をかわす武神。
 彼を追うように水流が降り注ぎ、大理石の床に穴を穿つ。
 西岡の地でダゴンが使用した技と同じだ。
 高圧で撃ち出される細い水流は、たかが水芸と侮ることはできない。
「うわっと!?」
 天性の反射神経と霊刀で、なんとか巫も水から身を守っている。
 だが、星間はぴくりとも動かなかった。
 ひょっとして運動神経が鈍いのか?
 視界の端に謎の男を捉えながら、浄化屋が内心で舌打ちする。
 この距離では援護が間に合わない!
 数条の水に貫かれて絶命する星間を、このときみこは幻視した。
「‥‥つまらない芸です」
 古拙的な笑いから漏れる冷淡な言葉。
 巻き起こる風。
 そして、目前で大きく軌道を逸れる水流。
「そろそろ、本気でいきますよ‥‥」
 ごうごうという音をたて、星間の周囲で風が渦巻く。
「物理魔法か!?」
 武神と巫が驚愕した。
 呪文は聞こえなかったが、これは茶色の髪の魔術師が行使する技と同じではないか。
 しかし、竜巻まで起こせるのは綾だけのはずだ。これほどの大技を彼女が他人に教えるとは思えないが‥‥。
「風の魔法ですよ」
 淡々とした声が渦の中心部から聞こえる。
 やがて、空中に浮かぶ水の固まりは、風の固まりと打ち消しあうように消えた。
「‥‥キサマ‥‥何者です‥‥」
 やや唖然とした顔で奈菜絵が問う。
「水の邪神の眷属風情に、名乗る名など持ち合わせませんよ」
「‥‥まさか‥‥まさか‥‥奴等の手のもの!?」
「僕のことを詮索するゆとりは無いと思いますけど」
 蒼白になった女の質問には答えず、星間は嘲りを含んだ口調で忠告した。
 見ると、奈菜絵の周りを守る魚人は、もはや一兵も残っていない。
 呆然としている間に、武神と巫によって全滅させられたのである。
「お前の負けだ」
 右から天叢雲を突きつける調停者。
「少しばかり歌ってもらうぜ」
 左には貞秀を持った浄化屋。
 既に退路はない。
 新たな術を使うこともできまい。
 がっくりと奈菜絵が膝をついた。
 勝敗は決した。
 三人の男と座り込んだ女は、そう認識した。
 だが、
「降伏なんて期待はずれの真似はしないでよ。奈菜絵クン」
 何者かの声が全員の聴覚域を満たす。
 邪神像の前に屹立する、浅黒い肌の背の高い若い男。
 数瞬前まで誰もいなかった場所だ。
 何処から現れたというのか。
「なにもんだ‥‥てめえ‥‥」
 乱暴に問いかけつつ、奈菜絵に向けていた貞秀を構え直す浄化屋。積極攻撃型に属する彼にしては慎重な行動だった。
 なんとなく斬りかかりたくない相手だった。
 戦士としての本能のようなものだ。
「義爺さん‥‥どう思う?」
 口には出さない問いかけ。
『主の判断で正解じゃろう。なんとも得体が知れぬ』
「‥‥たしかにな‥‥」
 冷たい汗が背中を伝う。
 と、奈菜絵が動いた。
 それは、静から動への突然の移行だった。
 邪神像、否、青年の方へと駆け寄る。
 虚を突かれた格好になった武神が、それでも、横薙ぎに天叢雲を振るう。充分に間合いのなかである。
 奈菜絵の背中が大きく切り裂かれる、はずだった。
 しかし、調停者の剣戟は女の影を捉えたに留まる。
 忽然と姿を消した奈菜絵は、次の瞬間には青年の腕に抱かれていた。
 クイーンムーのときと同じである。
「‥‥お前の仕業だったのか‥‥」
 苦渋に満ちた調停者の呟き。
「ご名答。ついでに言えば、ジョゴスを貸してあけたのも僕だよ」
 軽く言ってのける青年。
 抱いた奈菜絵の乳房を服の上から揉みしだく。
 ふざけた行為だった。まるで隙だらけである。
「く!」
 突然、星間が動いた。
 端正な唇から異質な呪文が流れ出す。
 悠然とたたずむ青年の頭上で暗黒が口を開け‥‥何事もなかったかのように閉じた。
「へえ。そっちにもアイツらのシンパがいるんだ。でも、ビヤーキーなんかで僕をどうこうしようってのは、甘いと思うよ」
 冷笑をたたえて、青年が宣言する。
 それによって、武神と巫は臨時に加わった仲間が何をしたのか知った。
 驚いたように星間を見つめる。
「なんだ。仲間にも言ってなかったのかい? そいつは悪いことしたなあ」
 何処までも嘲弄する。
 だが、星間は立ち竦んだまま、怒りの感情すら忘れてしまったかのようだった。
 星間だけではない。武神も巫も動けない。
 蛇に睨まれた蛙。使い古された表現を用いれば、そのような状態が最も近いだろう。
 幾度も死線をくぐり抜けた戦士だけに、根元的な力の差が判ってしまうのだ。
 神経が焼き付くような時間が過ぎる。
 やがて、戦場に二つの人影が飛び込んできた。
「一樹さま!」
「みなさま!!」
 さくらと嘘八百屋である。
 初歩的な陽動作戦を展開していたのだ。武神たち三人が敵の耳目を引きつけている間に、二人で奈菜絵たちの正体を探る。
 この作戦は、今のところ完全に機能している。
 魚人たちが奉ずる邪神の名も判った。あとは撤退のタイミングだけだが、目前の青年は、簡単に彼らを逃してくれるだろうか。
 彼我の戦力差は五対二。
 奈菜絵を計算に入れなければ五対一である。
 数的に圧倒しているはずなのに、何故か不安に駆られる五人だった。
「ま、今回はキミたちの勝利ってことで良いんじゃない?」
 しかし、青年があっけからんと告げる。
「敢闘賞ってことで、素直に退いてあげるよ。その方が面白そうだしね。あ、そうそう。近いうちに、コイツも復活させてあげるから。もっと楽しくなるよ」
 邪神像を見上げる。
「ふざけるな!」
 ついに巫が激昂した。
 貞秀を構えて走り出す。
「いけない! 巫さん!!」
 制止の声をあげる星間。
 同時に青年が左腕を突き出した。
 浄化屋に迫る無形の衝撃波!
 一閃!
 貞秀が宙を切り裂く。衝撃波ごと。
 人間に可能なことではない。
『一応、儂も神じゃからな。だが、何度もは保たぬぞ』
 巫の精神に直接響く声。
「判ってる。助かったぜ。義爺さん」
 冷静さを取り戻し、巫が足を止めた。
「危ない危ない。じゃあ、僕はそろそろ消えるよ」
「待て」
 静な声で武神が押しとどめる。
「名くらい名乗ったらどうだ? 礼儀としてな」
「そうだね。じゃあ、僕のことは‥‥」
 言いながら、青年と奈菜絵の姿は蟠る闇と化しつつある。
「ブラックファラオとでも呼んでもらおうかな‥‥」
 声は闇の中に消えていった。


 激戦の跡に残ったものは、奇妙に疲労した五人と奇怪な邪神像だけであった。
 青年は言った。
 近いうちにコイツを復活させると。
 蛸とも烏賊ともつかぬ頭を持った不気味な像が、ただ静かに五人を見下ろしている。
 なぜだか、夜明けが待ち遠しかった。


                     終わり


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0173/ 武神・一樹    /男  / 30 / 骨董屋『櫻月堂』店主
  (たけがみ・かずき)
0377/ 星間・信人    /男  / 32 / 図書館司書
  (ほしま・のぶひと)
0134/ 草壁・さくら   /女  /999 / 骨董屋『櫻月堂』店員
  (くさかべ・さくら)
0143/ 巫・灰慈     /男  / 26 / フリーライター 浄化屋
  (かんなぎ・はいじ)

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■         ライター通信          ■
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お待たせいたしました。
毎度のご注文ありがとうございます。
『邪教』お届けいたします。
またまた、多くの謎が残る結末となりました。
楽しんでいただけたら幸いです。
それでは、またお会いできることを祈って。