コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 界鏡線・仮面の都 札幌>


調査コードネーム:少女
執筆ライター  :水上雪乃
調査組織名   :界鏡線シリーズ『札幌』
募集予定人数  :1人〜2人

------<オープニング>--------------------------------------

 入院生活など退屈きわまりないものだ。
 のんびりした生活ができる、などと思うのは最初の一日か二日くらいのものだ。そこから先は、延々と続く退屈にひたすら堪えなくてはならない。
 札幌医科大学付属病院。
 欠伸を噛み殺しながら廊下を歩く新山綾も、そんな時間をもてあましている人間の一人だった。
「はあ‥‥退屈ねえ。身体はもう何でもないんだから、退院させてくれてもいいのに‥‥」
 つい愚痴もこぼれてしまう。
 と、綾の視線が前方に固定された。
 なにか違和感を感じたのだ。
 小首を傾げる。
 そんな動作をすると、若々しい助教授は一層幼く見える。
「‥‥ああ、なるほど」
 数瞬の思案の後、綾は違和感の正体に気が付いた。
 それは、猫である。
 窓辺に佇んでいる少女が、猫を抱いているのだ。
 なんとも微笑ましい光景であったが、もちろん病院では動物の持ち込みなど許可されていない。
 注意した方が良いかしら?
 少しだけ考え込む。
 彼女は病院のスタッフではない。あまり余計なことをするのはどうであろう。
 でも、諭すような感じで言えば、そんなにヤな顔されないかな?
 猫さわらせてもらえるかもしれないし。
 人見知りを蹴飛ばして、少女に近づこうとする。
 だが、そのままの姿勢で綾は硬直する。
 既に窓辺から少女が消えていたのだ。
 猫だけを残して。
 そして、猫のいる場所は病院内ではなく、窓の向こうの駐車場の塀の上だった。
 少女の身体が透けていたため、あたかも抱いているように見えたのである。
「‥‥‥‥」
 酸欠の金魚のように口を開閉させる。
 目撃した現象を、一生懸命、論理的かつ理性的に理解しようとする。
 そして、結果は不可能と出た。
「‥‥Q〜〜〜」
 なんとも意味不明な言葉を残して意識が遠のいていった。
 絶対解明してやる、という理性の声を無視しながら。



※水上雪乃の新作シナリオは、通常、毎週月曜日と木曜日にアップされます。
 受付開始は午後8時からです。

------------------------------------------------------------
少女

 新千歳空港は、いつもながらの人混みだ。
 不況に喘いでいるはずの日本だが、旅行者の種は尽きないらしい。
「まあ、ワールドカップイヤーってのもあるんだろうけどね」
 胸中に呟いて肩をすくめたのはシュライン・エマである。
 黒い髪、蒼い瞳、白い肌。
 普段なら間違いなく人目を惹く彼女だが、今日は集団に埋没しているようだ。
 外国人が多いからである。
 祖国の名誉と威信をかけて戦う戦士を見物にきたサポーターたちだ。
 ひょっとしたら、噂のフーリガンとやらも混じっているかもしれない。
 なにしろ札幌では、イングランド対アルゼンチンというカードが組まれているのだ。フォークランド紛争の頃から続く因縁の対決である。
 悪名高きフーリガンが紛れ込んでいても不思議はなかろう。
「‥‥なるべく人と目を合わせないようにしよう‥‥」
 よく判らないことを考える。
 べつに、彼らは組織的自由業者やチンピラではないので、いきなり一般人に襲いかかるようなことはないのだが。
 と、視界の隅を何かが通過する。
「あれ?」
 思わずシュラインが声を出した。
 見覚えのある人影だったような‥‥。
 既視感だろうか?
 解答を求めて視線が彷徨う。
 いた。
 細身の後ろ姿。少し速め歩調に合わせて揺れる黒く長い髪。
 友人たる斎木廉だ。
「廉! 廉じゃない!?」
 それにしても、警視庁勤めの彼女が、どうして北海道にいるのだろう。
 まあ、このあたりの事情は銀の瞳の友人が話してくれる。そう思って声をかけたのだが、肝心の廉は歩調を落とすことなく歩みを続けている。
 しまった、と、シュラインは思いいたった。
 慣れてしまって忘れていたが、廉は耳が不自由なのだ。
 後ろから声をかけて気が付くはずがない。
 愛用のハンドバッグをしげしげと見つめる。
 これをぶつけたら気付くかしら‥‥。
「‥‥危ない危ない。武彦さんじゃないんだから」
 どうも恋人の大雑把さが感染しつつあるようだ。
 苦笑を浮かべて不穏当な思考を追い出したシュラインは、友人に追いつくために歩調を速めた。
 友人の改心によって危機を脱した廉だったが、そもそも、危機を迎えていたことすら知らなかったので、神に感謝したりなどしなかった。
 肩を叩かれ振り返る。
「シュライン!? どうして北海道(こっち)に?」
「それはこっちの台詞よ。変なところで会うものね‥‥」
「私は仕事よ。秀‥‥稲積警視正の代理で新山さんのお見舞い」
「あらら。ますますもって奇遇ね。こっちも綾さんのお見舞いに来たのよ」
 笑いながら言う興信所事務員。廉が上司の名を言い直した事については言及しなかった。二歳年少の友人は、奇妙に堅苦しくて公私混同を嫌うことを知っているからだ。
 そんなに無理しなくて良いのに、などと余計なことを言わないのが、青い目の美女の大人なところである。
 銀の瞳の美女も微笑を浮かべる。
「ほんとに奇遇ね。シュラインは相方と一緒じゃないの?」
「相方っていわないでよ。漫才コンビじゃないんだから」
「‥‥似たようなものだと思うけど」
 ぼそりと呟く。
「言ったわねえ。ラブラブ刑事物語のクセに」
「な!?」
「ふふーん。こないだ、仲良く腕組んで歩いてるところ見ちゃった。青山で」
「あ、あれは‥‥!」
 廉の頬が染まる。
 シュラインが艶やかに笑った。
 恋愛に不器用な美女たちであるが、警察官僚の補佐役よりも怪奇探偵の助手の方が少しだけ上手のようであった。
 賑わう雑踏を人目を惹く二人が並んで歩く。


 綾の病室は個室である。
 それも、特別室とか呼ばれるものだ。
 内装といい広さといい、まず高級ホテル並の部屋であった。
 むろん、そんなところに入るには、高額な差額ベッド代が必要になるのだが、黒い目の助教授自身は一円も支払っていない。
 だいたい、たいした怪我などしていないのだから大部屋で充分なのだ。
 そう主張したものである。
 とはいえ、入院の手配をした三浦陸将補としては、そんな要求に応えるわけにはいかなかった。
 怪我をした経緯が異常だから、ではない。
 問題になるのは綾の交友関係だ。
 一介の私大助教授にすぎない彼女だが、交際関係が普通でなさすぎる。自衛隊の幹部に、内調の実力者。警察官僚に、果ては大臣クラスまで。
 こんな連中がぞろぞろと見舞いに来ては、他の患者の迷惑になるだろう。
 まあ、たいていは秘書だの副官だのという肩書きを持ったものが訪れるが、それでも異常なことには違いないし、見舞品の量も半端なものではない。個室でないと収まりきらないのだ。
 ついでにいえば、前に綾を攫った連中が、もう一度なにか仕掛けないとは言い切れまい。
したがって、綾の病室の前には常に二人ほどのガードが張り付いている。
 これも、あまり一般的とはいえないだろう。
 バカバカしさと窮屈さを感じつつも、結局、綾は三浦陸将補の論法を受け入れざるをえなかった。
 あるいは、入院費は全額自衛隊が支払うという条件が決め手になったのかもしれない。
「吝嗇だな」
「ケチいうなー だいたい、お見舞い返しだって大変なのよー」
「‥‥ぐお、この果物カゴ‥‥えらく豪勢だと思ったら、文部大臣からじゃねえか!? どんな知り合いなんだよ‥‥」
「どんなって‥‥内調に関わってた頃、色々コネクションができちゃったのよ。その辺の事情は灰滋だって知ってるじゃない」
「そりゃそうだが‥‥」
「あー お返し考えるのメンドいなー 全員、図書券三〇〇〇円分じゃダメかしら?」
「‥‥文部大臣に図書券三〇〇〇円分‥‥綾‥‥お前、最強だな‥‥ある意味で」
 とは、入院直後に交わされた魔術師と浄化屋の会話である。
 実際、綾も困っているのだ。
 とっくに縁の切れた政府や機関から好意を示されても、あまり嬉しくない。まして海外の諜報機関から届く見舞い品など迷惑なだけである。
 まさか送り返すわけにもいかないから、大人しく受け取っているのだ。対応が不誠実になるのも、やむをえなからざるところだろう。
 だから、さくら、シュライン、廉が見舞いに現れたとき、綾は心から歓迎した。
 かつては敵として刃を交えた仲であっても、政治的打算の絡まない相手というのはありがたい。
 それに、綾の性格では絶対に口にできないことだが、彼女はこの三人が好きなのだ。
 魔術師を含めて四人とも恋愛中であり、相手を大切に思うという一点において甲乙つけがたい。非常に恥ずかしい表現を用いれば、自分自身より大切な人を持っている、というあたりであろうか。
 怪奇探偵。調停者。警察官僚。浄化屋。それぞれに欠点もあるが魅力溢れる男たちである。まあ、彼女たちとしては、自分の恋人が一番だと思っているから、諍いのネタになることもない。
 年齢も性格も違う四人が、和気あいあいと話に花を咲かせる。
「やっぱり、それは幽‥‥」
「いやー! 廉ちゃん、それ以上いわないで〜!」
「あれ? 綾さんって、その手のもの苦手だったの?」
「まあまあシュラインさま。誰にでも苦手なものはありますから」
「だって、新山さんも魔法使うでしょ。科学で解明できないものなんていくらでもあるのに」
「うー だって怖いものは怖いんだもん。それに、わたしの物理魔法はちゃんと根拠があって発動してるけど、お化けとか黒いアレとか、非常識じゃない!」
「いやまあ‥‥黒いアレの存在が非常識ってわけじゃないと思うんだけど」
「まあまあ、どなたにも得手不得手ございますから」
「で? その女の子はスゥーって消えたのね?」
「いやー! 思い出させないでぇ〜!」
「思い出さなきゃ調査にならないでしょ。しっかりしてよ綾さん。アレに遭遇したわけじゃあるまいし」
「あらあら。シュラインさまったら。そんなに焦らなくてもゴキブリは逃げませんよ」
『具体名出すな〜〜』
「そもそも、どうして黒いアレの話になってるの?」
「大丈夫ですよ。北の地にアレはいません」
「‥‥狸はいるけどね‥‥」
「狸は嫌ですぅ〜」
「あれ? 草壁さん。狸きらいなんですか?」
「へんなの? あんなに可愛いのに。こないだも支笏湖の方走ってたらねー」
「ちょっと待ってよ。幽霊の話でしょ」
「いや〜〜!」
 ひたすらに脱線を繰り返す会話。
 すでに誰が何を話しているか判別ができない。
 病室の隅で巫が溜息をついた。
 べつに、いま入室したわけではない。女性陣には完全に忘れ去られているが、ちゃんと最初からこの場にいたのである。
 まあ、女三人寄ればかしましい、と、昔から言う。まして現状四人集まっているのだ。男が出る幕などありはしないだろう。
 たとえ出る幕があったとしても、巫はこの集団のなかにくちばしを突っ込むほど無謀ではなかった。
 ‥‥贈答品のリストアップでもするかな‥‥。
 ぽつりと、寂しいことを考える。
 なんだか首筋から背中にかけて、哀愁のようなものが漂っていた。
 男とは、孤高のイキモノである。
 と、
「はいじ。灰滋ー☆ こっちにおいでよ。シュラインちゃんがアップルパイ作ってきてくれたんだよ。一緒に食べよ」
 綾の声が聞こえる。
 憶えていてくれたのだ。
 さすが、俺の綾!
 とはいえ、ここで露骨に喜んではコケンに関わる。
「ああ、そうだな。甘いモンは苦手だが」
 少しだけ苦み走った顔で答える。
 だが、せっかくの固ゆでも二秒ほどの寿命しか保ちえなかった。
「そう? 苦手だったら無理に食べなくても。わたしがハイジの分まで食べちゃうから」
「待て待て! 誰も食わないとは言ってねえ!」
「はいはい。だったらカッコつけてないで、こっち来々☆」
 ぽんぽんとベッドの上を右手で叩く綾。
 廉とシュラインとさくらが、三色の瞳をあわせて、
「巫さん‥‥完全に‥‥」
「敷かれてるわね。もうこれ以上ないってくらい」
「仲のお宜しいこと」
 笑声を壁や天井に乱反射させた。
 

 夜。
 わずかに欠けた月が、仄白いヴェールを地上に投げかける。
 穏やかで、静かな夜。
 三人の女性と一人の男性が病院の廊下を歩んでいる。
 すでに面会時間は終わっていたが、霊現象を調査するなら夜の方が効率がよい。
 もちろん、病院側の許可は得ている。
「‥‥こうアッサリ許可されるのも複雑な気分ね‥‥」
 シュラインが呟く。
「まあ、新山さんはVIP扱いだから」
 苦笑をたたえた廉。
 皮肉というには毒のない口調だった。
 病院としては、VIPというよりも、腫れ物に触るような感覚なのだろう。政府の高官たちと付き合いの深い人物の機嫌を損ねるわけにはいかない。
 過大評価というものだが、要するにそういうことである。
「私たちは新山さまの党与と見なされたわけですね」
 不本意そうな表情で、だが、笑いながらさくらが言葉を紡ぐ。
「ま、いいじゃねえか。そのお陰で自由に動けるんだから」
 仲間たちに悪意はないと判っていても、つい綾を弁護してしまう巫だった。
 ただ、当の魔術師はここにはいない。
 いくら権威主義の大学病院でも、さすがに患者が探偵の真似事をするのは許可してくれなかったのだ。
 いまごろはベッドのなかでアップルパイの夢でも見ているだろう。
 なんだかんだ強がりを言っても、未だ本調子ではないはずだ。
 ちゃんと休息をとった方がよかろう。
 言いくるめて寝かしつけた浄化屋である。
 もっとも、他にも綾を外した理由はあった。
 幽霊を見てパニックを起こし、物理魔法を暴発でもさせたら、えらいことになるのだ。
「一応、私とさくらで調べておいたわ。結論から言うと、駐車場の猫を見ていた女の子はいたの」
 淡々と報告するシュライン。
 このあたりは、さすが探偵社の人間というべきだろう。
 余計な感情を入れたりしない。
「‥‥過去形ね。ということは‥‥」
 わずかに目を伏せ廉が確認する。
「はい。一週間ほど前に他界なさっています」
 答えたのはさくらだった。
 沈痛な口調。
 緑色の瞳に悲しみの色が揺れる。
 幼くして消えた命を痛むかのようであった。
「‥‥そうか‥‥」
 巫が頷く。
 浄化屋を生業とする彼だが、それは死者を畏れないことと同義ではない。浮かばれない霊を哀れだと思えばこそ、たいして実入りの良くない仕事に情熱を傾けているのだ。
「‥‥斉藤美佳(さいとう みか)ちゃん。享年は八歳ね‥‥」
 左手に持ったメモ帳を見ながら、興信所事務員が説明を始める。
 少女は、生まれつき心臓に欠陥があった。
 心奇形症の一つらしいが、専門的なことは判らない。
 判っていることは、移植によってしか命長らえる方法がなかったということだ。
 そして、美佳に提供者は現れなかった。
 もちろん、心臓は生体移植などできない。脳死患者から受け取るしかないのだが、この国では子供への移植は認められていない。
 あるいは認められていたとしても、適応しなければ移植はできない。
 そういうものなのだ。
 少女は幾年も待ち続け、酬われることなく死んでいった。
 珍しいことではない。
 移植を受けられる人の方がずっと少数で幸運なのだから。
 だが、運がなかったの一言で、遺族が納得できるだろうか。
 本人が納得できるのか。
 然らず。
 誰だって、最後の最後まで生きたいと願う。
 まして八歳だ。
 過去より未来に多くのものがあっただろう。
 その無念は如何ばかりか。想像するとこすら難しい。
 むろん、生きていれば良いことばかりあるわけではなかろう。死にたいと思うこともあるかもしれない。しかし、少女にはそんな体験をする時間すら与えられなかった。
 命について考える暇も。
 誰かと友情を育み、誰かに裏切られ、誰かを裏切り、何かを愛し、何かを学び、何かに感動し、何かに傷付く。
 すべての可能性は少女に背を向けてしまった。
「‥‥重いわね‥‥」
 廉が溜息をつく。
 彼女は、四人のなかで唯一、体制に属する人間である。
 臓器移植に関して何らかの権限を持っているわけではないが、忸怩たる思いを抱くのも無理はない。
 だが、
「‥‥はじめるわ」
 それでも銀の瞳の美女は決然と顔を上げた。
 三人が頷く。
 どれほど同情したとしても、肉体を失った魂をこの世に留めておいて良いことはない。
 無念を残したままの霊は、いずれ悪霊と化し、生者へ害を及ぼすだろう。
 それでは少女の魂も救われない。
 せめてその魂の呪縛を解き放ち、新たな生への一歩を踏み出させることしかできぬのではないか。
 傲慢の誹りを受けようとも、生者にできることなどたかが知れている。
 廉は瞳を閉じ、そして再び開いた。
 歴眼という能力である。千里眼といえば、より理解しやすいだろうか。
 四人の役割分担は、ごく自然に決定している。
 調査のノウハウを心得たシュラインが事前調査を担当。
 霊の探知能力に優れた廉が場所を特定。
 除霊能力を持つ巫とさくらが、浄化をおこなう。
「‥‥いた」
 静かな声。
 廉のしなやかな指がさす場所は、綾が少女と会ったという窓辺だ。
 意外な場所ではない。
 思いを残すなら、それなりの理由があるということだろう。
 すっと、さくらが進み出る。
「‥‥美佳さま‥‥」
 優しい声。慈愛に満ちた聖母のような。
『なーに? きつねのおねーさん?』
 少女の霊が振り返る。
 小さな、とても小さな姿だった。
「なにを見ていらっしゃるのですか?」
『ねこ。もうすぐ赤ちゃんが産まれるんだよ。ほら、おなかがおっきくなってるでしょ』
「‥‥そうですか」
『こねこ、見たかったけど。それまでがんばるつもりだったけど‥‥あはは、間に合わなかったよ‥‥』
「‥‥そうですか」
 繰り返す。
 この少女が何を望んでいたのか、さくらは知った。
 ささやかな願い。
 たったこれだけのことが叶えられなかったのか。
 皆、言葉に詰まる。
 巫も、廉も、彼女に「通訳」してもらっているシュラインも。
「‥‥私たちが来た理由‥‥お判りになりますね‥‥」
 ふたたびさくらが口を開くまで、幾ばくかの時間が必要だった。
『うん‥‥もう、いかなきゃいけないんでしょ‥‥』
「‥‥はい‥‥」
『‥‥あは‥‥やっぱり間に合わないんだ‥‥』
 透明な雫が少女の頬を伝い、落ちた。
 不思議だった。
 この世に存在しない少女の涙が、床を濡らしたのだ。
「‥‥上から‥‥どうか見守ってあげてくださいね‥‥」
『‥‥うん‥‥』
「巫さま‥‥道を啓開してください‥‥導きは私が‥‥」
「‥‥わかったぜ‥‥」
 巫が頷き、祝詞を紡ぎはじめる。
 それは、ゆっくりと流れる大河のように、母なる海へと少女を誘う。
 ふわりと、さくらの髪が持ち上がった。
 風ではない。
 金色の光を放ちながら、少女を包み込む。
「美佳さまの旅が‥‥心穏やかなものになりますよう‥‥」
 光の中に少女の姿が溶けてゆく。
『ありがとう』
 最後の言葉は、四人の耳に届いた。
 霊感のないシュラインにも、なぜか聞こえたのだ。
 窓の外。
 塀の上から不思議そうにこちらを眺めていた猫が、鳴いた。
 長く長く。
 それは鎮魂の鐘のように、深夜の駐車場に響いていた。


  エピローグ

 携帯電話を手に取る。
 なんとなく、声が聞きたい。
 そういう気分のときもあるのだ。
 登録の最初の文字を押す。
 三コールで札幌と東京の距離がゼロになる。
『どうした? シュライン』
 聞き慣れた声。
 安心できる声。
「ん‥‥ちょっと声が聞きたくなっただけ‥‥」
『そう言ってくれるのは嬉しいが、なにかあったのか?』
「べつに‥‥」
『バカ。それが別にって声かよ』
「そうね‥‥帰ったら、思いっきり甘えさせてもらうわ‥‥」
『あいよ。金銭的なこと意外ならいつでもオッケーだ』
「‥‥嬉しいって言ったわよね‥‥武彦さん‥‥」
『ん? ああ。たしかに言った』
「じゃあ、その嬉しさをカタチで表して‥‥」
 シュラインらしくない我が儘。
 戸惑う気配が伝わってくる。
「冗談よ‥‥」
『‥‥そうだな‥‥シュライン。今、外か?』
「そうだけど?」
『じゃあ、空見上げてみろ』
 疑問を抱きながら言われたとおりにするシュライン。
 少しだけ欠けた月が、蒼白い光を煌々と放っている。
「‥‥月が、とっても綺麗‥‥」
『気に入ってくれたか? やるよ。プレゼントだ』
 一瞬後、青い目の美女は恋人の言葉の意味を悟った。
「‥‥馬鹿‥‥」
 起こったような呟き。
 彼も同じ空を見上げているのだろうか。
 なぜか、満天の空がにじんで見えた。
 初夏の風が優しく黒髪をなぶってゆく。


                     終わり


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0188/ 斎木・廉     /女  / 24 / 刑事
  (さいき・れん)
0086/ シュライン・エマ /女  / 26 / 翻訳家 興信所事務員
  (しゅらいん・えま)
0134/ 草壁・さくら   /女  /999 / 骨董屋『櫻月堂』店員
  (くさかべ・さくら)
0143/ 巫・灰慈     /男  / 26 / フリーライター 浄化屋
  (かんなぎ・はいじ)

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

お待たせいたしました。
「少女」お届けいたします。
ちょっと暗い話だったかもしれません。
楽しんでいただければ幸いです。

それでは、またお会いできることを祈って。