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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


夏来前

<序>
 いつかは、誰かが手を差し伸べて、助けてくれるのだろうか。
 いつかは、誰かが、行くべきところを示してくれるのだろうか。
 この世界には、こんなに美味しいものがあるのに。
 ――それでも、行かなくちゃいけないのだろうか。

          *

「スイカとメロンを守ってくれ、だって〜?」
 知りあがりな口調で言いながら、片眉を下げて怪訝な表情を作った草間武彦は、テーブルを挟んだ向かいに座っている少年を見た。高校生くらいの少年は、繊細な眼差しを窓から差し込んでくる光から庇うように静かに目を伏せ、簡潔に答える。
「はい」
「はい、って……お前なぁ」
 どこか生命感が希薄な感じのする少年を前に、草間は困った顔で頭をかりかりとかく。なんだか厳しいことを言うとそのままふっと溶けて消えてしまいそうな危うさがあり、なんとも会話がしづらい。
「あー……あのなあ、うちは果物屋のガードやるようなとこじゃないんだが」
「でも、西瓜とメロンが……」
 口許に手を当て、少年が目を上げる。どうにも真剣に頼みに来たとしか思えないその表情に、やれやれと草間が肩を竦めた。
 少年の名は、七海綺(ななみ・あや)。とある村の桜の守人である彼が、一体何故、西瓜とメロンのガードなど頼みに来るのだろうか。
 大きくため息をつき、草間はソファに深く背を預けるとわずかに首を横に倒す。
「お前の保護者はどうしてるんだ?」
「那王さん、ですか?」
 緩く首を傾げて問う綺に、相槌を打つ。
 現在、彼は諸事情により草間の知人である鶴来那王(つるぎ・なお)という青年の元にいる。もしここに何らかの事情があってこの依頼を持ち込んでいるのだとすれば、保護者である彼に何も話していないはずはないと思ったのだが――…
 綺は、かすかに目を伏せた。
「那王さんは、もう現場で西瓜とメロンを抱えて待機されています」
「そんなに重要なモノなのか、それは」
「いえ、そうではなく」
 ふっと短く吐息をつくと、綺はようやく事情を話し始めた。
 話によると、都内のとある住宅街で最近、店で買ったはずの西瓜とメロンが消失するという事件が相次いでいるらしい。確かに買ったはずの品が、家に帰って包みや袋の中を見る頃には消えてなくなっているのである。
 それどころか。
「西瓜やメロンの代わりに、人の生首が入っているらしくて」
「生首?!」
 淡々と話す中から不意に出てきたその単語に、ぎょっとして草間は綺の顔を見た。その視線を受け、綺は緩くその頭を振る。
「けれどそれも数秒後にはふっと煙のように消えてしまうらしく、後に残されるのはこけしが一体。それ以外に特に何の害もないようなんですが、やはり生首が出る、というのはあまり気持ちのいいものではありませんし品物が消えるというのも……。それに、これから夏に向けて西瓜に悪い噂がつくのは」
「取り扱う店としてはかなわんだろうな。ようするに、そのスイカとメロンが生首からこけしに化ける理由を探ってくれ、ということだな?」
「そういうことです」
「他の果物とか野菜とかはどうなんだ? 南瓜とかキャベツとかりんごとかは」
「いえ、消えるのは西瓜とメロンだけです」
 そこまで聞いて、草間はその場にいた者に声をかけた。
「おい。お前、スイカとメロンは好きか? いや、好きだな? よし。ならこれはお前に任せた。土産は無事だったスイカとメロンでいいからな」
 相手の返事を聞く間もなく勝手に「好きだ」と決め付けると、草間はニヤリと笑って手をひらりと振ってみせた。


<優しきいじめっこ>
 夏間近の太陽の下。
 それを避けるように、住宅街の一角にある木陰で俯きがちに立ち尽くしている黒いスーツの男を見て、斎司更耶は笑みを浮かべた。
 その腕にはしっかりと、西瓜とメロンが抱えられている。
(似あわねえなー)
 なんと言うか、そのしましま模様の丸い物体が、この上もなくその男に似合わない。というか、抱えているその様そのものがなんとなく笑える。
 いや、それを言うなら。
(この間のピンクハウス姿も相当笑えたけどな)
 ふと、そんな更耶の思考を読んだかのように、男が伏せていた眼差しを持ち上げた。そして、穏やかな微笑を浮かべ、小さく会釈する。それに、手を顔の高さに持ち上げて更耶は答えた。
 別に考えを読まれたわけではなく、タイミングの問題である。あとは、人の気配を察する感覚の問題だろうか。その辺り、この男はかなり鋭いらしい。
 左右を確認して車が通っていないことを確認し、ひょいとガードレールを軽々と飛び越えて道路を渡り、男の傍らへ辿り着く。
「こんにちは」
 自分に向けてかけられる穏やかな挨拶と微笑に、更耶はにっこりと微笑んだ。
「こないだは楽しい時間をどーもありがとな、な・お」
 明るい声で言われて、男――鶴来那王は笑みを収めてわずかに眉宇をひそめた。さらににっこりと笑みに拍車をかけて、更耶はその顔を間近に覗き込む。
「ついでに、いぢめてくれてアリガトな」
 声に、わずかばかりのトゲを忍ばせて低く言い放つ。ああ、とようやく鶴来が苦笑を浮かべた。
「それはお互い様でしょう? 更耶さんが俺にしたことも大概だったと思いますが」
「似合ってたじゃん」
「そういう問題じゃないでしょう」
「俺的にはそういう問題なの。今日もあの服着てくればよかったのに。このクソ暑い中、そんな黒スーツ着てるよりはマシだったと思うけど?」
「嫌です」
 間髪入れずに返されたその言葉に、更耶は顔を伏せて笑った。神経質に鶴来が眉を寄せて自分を見ているのがわかる。
 ちょっといじめすぎているだろうか、と自問するが、答えは「否」にしかならないのが自分らしいと思う。当然、罪悪感などその胸中に微塵もありはしない。
「ま、冗談はさておき。生首に変わる西瓜だってな。また変な事件に首突っ込んでんだな」
「……そういう性分なんでしょうね」
 曖昧に笑うその鶴来の顔を一瞬だけ真顔に戻って見つめてから、また緩く笑いを浮かべる。
「メロンってさ、中赤いヤツもあるよな。西瓜もメロンも中が赤い。なーんか、マジ『頭』って感じだよな」
 言いながら、ひょいと鶴来の腕から西瓜を取り上げ小脇に抱えた。中身がよく詰まっているのか、結構な重みが腕にかかる。
「なんつーか、あんたに似合わねえんだよな、こういうの。力仕事とは無縁そうだからさ」
「そうですか?」
「こーゆうのはやっぱ、抜剣のオッサンとかが適任だよな」
「……更耶さん、言葉には気をつけたほうが……」
 わずかに視線を更耶の肩の辺りにずらせて苦笑を浮かべて鶴来が言ったその直後、更耶の頭に何かがガッと乗っかった。ぎょっとして更耶が振り返る。
「だれがオッサン、かな?」
「うわっ」
 視線の先には、がっちりとした体躯に僧衣を纏った男が一人。
 言わずと知れた、抜剣白鬼である。にっこりと白い歯を見せながら笑みを浮かべ、大きな手でわしわしと更耶の頭をかき回す。
「更耶くん。俺はまだオッサンというには少し若くないかい?」
「わわわ、ご、ごめんっ、今のナシっ、取り消し取り消しっ」
「どうせなら『白鬼お兄さま』と呼んでもらいたいね」
「……それもどうかと思いますが」
 口許に拳を当てて真剣な様子で呟く鶴来に、ブッと更耶と白鬼が同時に吹き出した。笑いながら、更耶は手に持っていた西瓜を白鬼に放り投げる。すとんと白鬼の腕の中に西瓜が落ちた。
「こないだはサンキューなっ。なんか担いでもらったみたいで」
「どういたしまして。更耶くん曰く、力仕事は適任らしいからね」
「んじゃ今回もソレ、頼むわ。なんか那王が持ってたら似合わなさすぎてかわいそうでさ」
 ちらりと白鬼が鶴来を見る。困ったように笑う鶴来の手にあるメロンを、更耶がひょいと横からまた取り上げる。
「はい、俺と抜剣サンで仲良く分担、ってな」
「まあ確かに、西瓜は似合わないね、鶴来君には」
「ふふふ、なかなか意見が合うな抜剣サン。何だかいいコンビになれそうだ」
「それじゃ、コンビ名は『スイカとメロン』かな」
「それはベタ過ぎだろ〜っ」
 スイカを肩に掲げてお茶目にウインクしてみせる白鬼の様に、更耶が明るい笑い声を立てる。
 それを見ながら、やれやれというように鶴来は苦笑を浮かべた。


<スイカとメロンと男前>
 穏やかな平日の午後。空から降る太陽光はまったくもって容赦ない。
 そんな住宅街の一角に、妙な一団が集まっていた。
 がっちりとした体躯に僧衣を纏い、右手には錫杖・左手に西瓜を抱え、男らしい精悍な顔立ちに、けれども半眼の目がやや眠そうなのは、抜剣白鬼。
 黒いシャツにブラックジーンズ、シルバーアクセサリーをセンスよく適度に身につけているのは、茶色の髪に甘い美貌の斎司更耶。右手にはメロンが乗っけられている。
 ブランド物のジップアップTシャツにジーンズをさらりと着こなし、秀麗な容貌に赤いスクエアタイプの眼鏡をかけているのは、目にも鮮やかな赤い髪をした柚木暁臣。
 同じくブランド物ではあれどこちらは落ち着いた青系のスーツ姿。整った顔立ちにかかる長めの前髪を、今日はセンターで分けて少し後ろへ流しているのは、湖影虎之助。
 同じスーツでも、黒スーツを纏っているのは沙倉唯為。ネクタイをせず開いたシャツの襟元からはシルバーチェーンのネックレスが覗いている。垂れ目につり眉という容貌なのだが、それでも男前の部類には余裕で入り込んでいた。
 そして唯為と同じく黒スーツ姿に、きっちりとネクタイを締めて乱れのない姿勢で立っているのは、鶴来那王。
 共通点があるのかないのか判らないその一団。
 けれど明らかに、人の目――中でも特に女性の視線を集めずにはおれない集団だった。
 事実、今でも少し離れたところで下校途中だったらしい女子高生たちが黄色い声を発しながらしきりに彼らに携帯電話を向けている。……おそらくは、携帯電話についたカメラ機能で撮影中なのだろう。
「それでは、話はすでに綺から聞いていると思いますので、この件に関しての皆さんのご意見を聞きたいのですが」
 常と変わらぬペースでそう五人に向けて鶴来が落ち着いた口調で話を振る。頭上から降り注いでいる太陽熱を避けるように近所の家の塀の陰に避難している面々は、気だるげに顔を上げた。
 ふと、虎之助が鶴来の顔を見て瞬きをする。出会った瞬間にはさほど気にとめなかったが、よくよく見ると、どこかで見た顔のような気がしたのである。
「……なあ」
 声をかけられて、鶴来が視線を虎之助へと移す。
「はい?」
「なんか……どっかで会ったことないか?」
 その言葉に、鶴来の傍らに立っていた更耶がちらりと目を上げた。しばし目を眇めて虎之助の顔を見ていたが、ややして小さく鼻で笑う。
「何ソレ。そういや昔そういうセリフ流行ったよなぁ、ナンパする時に」
 言われて、虎之助がぴくりとわずかに眉を動かした。が、相手にせずにもう一度鶴来の顔をよく見る。
「……いや、まあ、東京に住んでればすれ違う人も多いから、似たような人を見たりはするだろうけど」
「湖影さん、でしたね。多分、貴方とは初対面だと思いますが」
「そうか。じゃあ気のせいってやつかな。悪い」
 緩く首を傾げて言う鶴来に、苦笑を浮かべて短く謝罪を述べる。いえ、と短く答えて、鶴来はその視線を横に流す。そこには白鬼がいて、視線を受け止めるようにふむ、と顎を撫でながら小さく頷いた。
「俺は綺くんから話を聞いた時に『岡本綺堂』の『西瓜』という話を思い出したんだけどね」
「ああ、それは俺も同じだ」
 同意を示したのは唯為だった。ゆったりと腕を組みながら後ろにある塀に背を預ける。
「生首にかわった西瓜。綺堂の話そのままだとな。ただ、こけしがな……口減らしをされた赤子、くらいしか連想できんのだが」
「子供を消すって書いて、子消しってヤツだよな、それって」
 手に持っているマスクメロンをひょいひょいと軽くもてあそぶようにしながら、更耶が口を開いた。
「間引きされたりして死んだ子供の代わりに作ったのが最初だって、聞いたことあるんだけど」
「水子供養のものとも考えられるね」
 言って、白鬼が軽く西瓜を錫杖を持つ手で叩いた。しゃらん、という澄んだ音とポン、という小気味いい音とが同時に上がる。
 ふと、虎之助が目を上げた。鶴来を見る。
「俺は、こけしには何かの呪術的要素があるとも聞いた事があるが……貴方は何か情報を掴んでいないのか?」
「そうだよ。那王、なんか見えてねえの?」
 更耶にも傍らから問いかけられ、鶴来は口許に拳を当てた。
「そうですね。子供……ということだけですね、今のところ俺が言えるのは」
「やっぱり子供なのか」
 唯為が呟く。そしてその目を、自分の斜め前に居る暁臣に向けた。さっきから静かに他の者の意見を聞いているだけで口を開こうとしないのが気になったのである。
「お前はどう思っているんだ?」
「……子供を消すと書いて『子消し』と言うので、現れる生首は子供じゃないかと……」
 控えめに答えて、その目を鶴来の方へと向ける。答えるように鶴来がわずかに瞬きをした。
「何か?」
「……西瓜やメロンが消えてしまうのは、特定の店なんですか……?」
 向けられる繊細な眼差しに、穏やかな笑みを浮かべながら鶴来は白鬼の手元にある西瓜に指を滑らせた。
「店は特定されていません。この一帯のスーパーや果物屋、八百屋、どこで買っても消えてしまうようです。西瓜などの仕入先も店によってばらついています」
「ということは岡本綺堂の話のように、仕入れ先に問題があった、というわけではないんだね」
 白鬼の言葉に、唯為もアスファルトの上に落としていた視線を持ち上げた。
「綺堂の話だと、仕入れ先の旗本屋敷にいわくがあったんだったな。確かに、仕入れ先がバラついているなら、そのすべてにいわくがあったとは考えにくいな」
「購入先も絞られていないなら、買ってから家に持ち帰る道に何かがあるのか?」
「と考えるのが自然だな」
 虎之助の言葉に更耶が同意を示す。そして空いた手を軽く腰に当て、空を見上げた。
「子供って好きだもんな。西瓜とかメロンとか」
「まあ、とりあえずはその、実際に珍妙な体験をした本人に話を聞くのが一番じゃないか?」
 言いながら、唯為は背を持たせかけていた壁から体を起こした。確かに、今はそれくらいしか打つ手はなさそうだ。
 全員が同意を示し、ゆっくりと日陰から太陽の下へと歩み出る。動き出した一団に、また遠巻きに彼らを見ていた女子高生たちがきゃあきゃあと騒ぎ出す。
 す、と。
 一団に混ざって歩き出した鶴来の肩に、暁臣が手を乗せた。
「生首の性別や年齢は……?」
 言葉少なに問いかける暁臣に、鶴来が足を止めて肩越しに振り返った。奇抜ともいえる赤い髪に反してひどく物静かな彼に、穏やかな眼差しで答える。
「生首の性別、年齢ともランダムです。ただ、西瓜の場合は大人、メロンの場合は子供が多いようです。もしかしたら、大きさにみあった首を選んでいるのかもしれません」
「……そうですか。ありがとうございました」
 ぺこりと頭を下げて答えた事に対して丁寧に挨拶をする青年に、鶴来はただ静かに微笑んだ。


<聞き込み調査>
 鶴来があらかじめ調べておいた被害者の家へ向かい、出てきた三〇代半ばくらいの女性に話を聞く。
 しかしやはり、この女性の目もさきほどの女子高生たちと同じように、今前にいる男たちの間をふわふわと泳いでいた。
 西瓜を抱えた白鬼が苦く笑う。
「なんだかまともに話が聞けそうにないな」
「そんなことないですよ、ねえ奥さん?」
 女性に優しく、を信条とする彼らしく、にっこりと艶やかな笑みを浮かべて問いかける虎之助に、こくこくと慌てたように何度も女性は頷いた。しかしその目はまたふらふらと来訪者の顔から顔へと移っていく。
 その浮ついた視線を留めるように、一つ唯為が拳を口許に当てて低く咳払いをした。どこか威圧感のあるそれに、はっと女性がわずかに肩を震わせて唯為の方へと顔を向ける。
「西瓜を買ってからこけしとご対面するまでの話を聞かせてくれないか」
「え、ええ。あれは確か五日ほど前でした。その日は親戚が来ていたから、商店街の果物屋で西瓜をまるごと一つ買って帰ったんです」
 夏の盛りのような暑い空気の中、西瓜の入ったビニール袋を提げて、いつもどおりに家へと帰り着く。そしてその西瓜を冷やすために袋から取り出そうとしたその時。
「生首に変わっていたんだね」
 白鬼の問いに、女性は「ええ」と答えた。思い出すのもおぞましいのか、両腕を自分の体に回して小さく一つ身震いする。
「思い出したいことではないだろうけど、その生首ってどんな感じだったんですか?」
 不安をなだめるように柔らかい声音で虎之助が問う。女性はゆっくりと一つ瞬きをして口を開いた。
「蒼白い顔で、目をカッと見開いていて」
 家の塀に持たれて立っていた更耶が顔をしかめる。
「悪趣味だな」
 本当に子供の仕業なのかと疑いたくなる。
 それで? と唯為が女性に先を促した。
「ええ。びっくりして悲鳴を上げたとたんに、その生首がまるで煙になって消えてしまって、その煙が消えたらそこにこけしがあったんです」
「そのこけしは……?」
 暁臣が、控えめに口を開く。ああ、と女性は眉宇をひそめながら口許に手を当てた。
「まだ置いてありますよ。捨てたりして何か変なことが起きたら困るから」
「……見せていただけますか?」
「ええ、ちょっと待ってくださいね」
 言って、女性は家に引っ込むとすぐにこけしを持って出て来た。
 暁臣がそれを受け取り、手にとって眺める。
 胴となる部分に赤い菊の花の絵が描かれた、ごく普通のこけしだった。細い眉に細い目、小さな鼻に小さな赤い唇。額と顔の横に黒で髪が描かれている。
 少し目を細めて、そのこけしの顔をじっと眺める。傍らから、鶴来以外の全員がその手元を覗き込んでいた。
 目を合わせるように、筆で描かれたこけしの細い目を見つめる。何かの意思のようなものが宿っていないか確認してみるが、呼びかけに応じるものもなく、感覚の端に引っかかってくる気配もない。
 ただのこけしだ。
 つるりとした、よく磨きこまれたその木の質感。丸い頭を指先で優しく撫でる暁臣のその手から視線を女性に戻し、唯為が問うた。
「この辺りは、過去何かがあったとか、そういったことはないのか?」
 被害が相次ぐ住宅街。店や仕入れ先に問題がないとすれば、残る原因は、買った者かこの地に、といったところなのだが……。
 女性はわずかに首を傾げた。
「どうかしら。私もまだここに越してきて二年ほどのものだから、土地柄についてはよく知らないんです」
「それなら、店で西瓜買ってからここに戻ってくるまでになにか感じなかったかな? なんでもいいんだけど」
 手に持った西瓜を軽く錫杖の先で叩いて白鬼が問いを重ねる。ううん、と短く唸って女性が頬に手を当てて宙に視線を泳がせる。
「そうねぇ……ああ、そういえば、途中でふっと荷物が軽くなったような気がしたわ。変だなとは思ったんだけど、気のせいだと思ってその場では荷物を確認したりはしなかったんだけど」
 はっと全員が顔を見合わせる。そして、ほぼ全員が同時に女性へと視線を向けた。
「それ、どの辺ですか?」
 代表するように口を開いたのは虎之助。一気に自分に集められた視線におどおどとしながら、女性はその場所を手振りを付け加えてしっかりと教えてくれた。


<精霊の言葉>
 女性が教えてくれたのは、児童公園の近くだった。園内に植えられた木が、鮮やかな緑色を陽光の下に晒している。
「この辺りか」
 確認するような唯為の言葉に、ぞろぞろと一団が公園の入り口手前で足を止める。
 公園前の道は三方向に分かれていて、一つはさっきの被害者の家の方向、一つはその被害者が買い物をした商店街がある方向、そしてもう一つは、緩やかな坂が続く道だった。
 園内で駆け回っている子供を柔らかな眼差しで見ている鶴来に、傍らから更耶が問いかける。
「なんかさっきからずーっと黙りっぱなしだけど、何考えてんだ?」
「え? ああいえ、別に何も」
「もしかして、子供好きか?」
「ええ、嫌いではありません。それより、どうですか?」
 一様に周囲を見渡しているメンバーに問いかける。何らかの気配が残っていないかと意識と目を凝らしてみるが、とくに何も感じられない。
「困ったね、手がかりが途切れてる感じかな」
 ふむ、と白鬼が顎に手を当てて空を見上げる。日は、さっきまでより少し和らいできている。
 その目を、空から腕に抱えた西瓜へと移す。
 残念ながら、こちらも生首に変化しそうな様子もない。それは更耶の手にあるメロンも同じ事だった。
「打つ手なし、か」
 虎之助もため息をつく。唯為も同様だった。
 けれど、ただ一人、暁臣だけが何も言わず、澄んだ瞳で公園内に植えられた木を眺め上げていた。公園を囲んでいる柵から道のほうへとせり出した枝葉が、さらさらと風に揺れる。
 まっすぐに向けられたその視線の先に、ふわりと柔らかい光が現れた。やがてそれは掌ほどの大きさの、半透明な人の形へと変わる。あどけない子供の姿のものや、ひげをあごからたっぷりとたらした老人の姿のもの――様々な姿の者たちが暁臣の前にふわりふわりと漂っている。
 暁臣にのみ見えているそれは、この周辺にある木々や植物に宿る精霊だった。
「柚木くん?」
 白鬼が怪訝そうに声をかけた所、横から静かに鶴来が手を上げてそれを制した。そのまま人差し指を自らの唇に当てて無言を促す。
 全員が、静かに暁臣の様子を見守る。
 ゆっくりと、暁臣が口を開いた。
「……この辺りで、西瓜やメロンを持っていくような何か……もしくは、誰かに……心当たりはないかな……」
 さわさわと、風で木の枝が揺れる。まるで暁臣の言葉に答えているかのようなその涼やかな音色が、その場にいる者たちにも聞こえる。そして、その場の空気がなんだかひどく清涼なものになったような感覚に囚われる。
 姿は見えなくとも精霊が生み出す気が、感覚の鋭い彼らにはかすかではあるが確かに、感じられるようだった。
 暁臣の瞳に映る精霊たちは、口々に何かを彼に言っていた。そのうちの年老いた精霊が、まっすぐに坂へと伸びた道のほうを指差し、暁臣にのみ聞こえる言葉を紡ぐ。
 風のざわめきの中に混ざり込む言葉を余すことなくすべて耳に入れると、ゆっくりと一つ瞬きをして、穏やかに暁臣は微笑んだ。
「ありがとう……」
 ふっ、と周囲に満ちていた気が、元の生ぬるい空気へと戻る。と同時に、暁臣の瞳にも、もう精霊たちの姿は映らなくなっていた。あるべきところへ戻っていったのだろう。
「……で。何かわかったのか?」
 更耶が、ぼうっと木を見上げている暁臣に声をかけた。ふと遠ざかっていた自我を取り戻し、暁臣がひとつ頷き、坂へ続く道を指差す。
 そして、精霊に教えてもらったことを口にした。
「最近、西瓜やメロンを抱えて歩いている子供の霊を見かける。普段はよく、この坂の下にあるお堂の近くにいるようだ……と」
「ゴールが見えてきたな」
 風で少し乱された髪をゆっくりと指ですき上げて、唯為が唇の端をわずかに吊り上げるようにして笑みを浮かべる。
「西瓜とメロン。高価なものしか狙わん贅沢な子供の顔を見に行くとするか」
「できれば手荒な真似はせずに、説得できたら一番いいけどな。相手は子供なんだから」
 歩き出す際に紡がれた虎之助の言葉に、小さく暁臣も頷いた。
 どうしてこんなことをするのか理由を聞き、その魂を癒して行くべき場所に静かに送ってやれれば、それが一番いい。
「ま、説得なら抜剣サンの得意技だしな」
 メロンを肩に乗せるようにして持ち、更耶が白鬼に笑みを送る。答えるように白鬼も片目を閉じて笑い、同じように肩に西瓜を乗っけた。
「では、行くとしますか」


<辿り着く場所>
 坂へ向かって歩き出した彼らは、その時、坂の下に先客がいることに気づいた。
「あれは……」
 唯為が目を細めながら、三〇メートルほど先にいる三人組を見る。更耶がぼんやりと立っている高校生くらいの少年に目を止める。見知った顔だった。
「碧海じゃん。なんだ、あいつこの依頼、請けてたんだ」
「あ、シュラインさんもいるな」
 虎之助の言葉に、白鬼も彼らの方へと視線をやる。
「綺くんもいるね」
 暁臣も彼らの姿に目を留め、言葉なく小さく頷く。
 坂下の角にしゃがみこんでいた七海綺がふと立ち上がってこちらへと視線を向けた。吊られるように、シュライン・エマもこちらを見る。鷹科碧海だけが一人、その角にある小さなお堂のようなものから目を離そうとはしなかった。
 シュラインが小さく笑う。
「お久しぶりね、鶴来さん」
 答えるように、鶴来が軽く会釈した。


<現れし子・導きの御手>
 坂を下り切って、鶴来と行動していた者たちにシュラインが手短に挨拶している傍らで、じっと碧海は何も言わずに何かを見ていた。その視線を追い、唯為が目を眇める。
「お前か、西瓜とメロンを盗っていたのは」
 視線の先。
 お堂の傍らに、小さな子供がしゃがみこんでいた。膝丈ほどしかなり古びて薄汚れた着物を着ている。じっと碧海と視線を合わせていたようだが、唯為の言葉に小さな顔を動かした。ばさばさの黒髪が肩の上をすべる。
 シュラインもそのお堂の傍らを見やったが、彼女の青い瞳には電信柱の根元が映るだけで、他には何も見えなかった。
 子供の視線は唯為から離れ、白鬼の方へと向かう。ぱたぱたとせわしなく目を瞬かせて、少女はにっこりと笑った。
『それ、くれるの?』
「え? ああ、やっぱりキミが盗ってたのかい?」
 西瓜を差し出してやりながら、白鬼が問いかける。小さな両手を差し出して嬉しそうに西瓜を受け取りながら、ふと少女はその隣にいる更耶へと顔を向ける。そして抱え込んだ腕の中の西瓜と、更耶の手にあるマスクメロンを見比べて、唇をへの字に曲げる。
「なんだお前。どっちもらおうか悩んでんのか?」
 子供の前にしゃがみこみ、更耶が笑う。ひょいひょいと軽く手の上で放り投げられているメロンを見、つられるように首を上下に動かす子供に、暁臣がゆっくりと口を開いた。
「どうして、西瓜とメロンを……?」
 子供に邪気がないのは見れば判る。パッと明るい笑みをこぼし、子供は大事そうに抱えた西瓜を見下ろした。
『おなか、すいてたの。うろうろしてたら、くだものいっぱいあるとこについたの。でも、こわそうなおじさんが、ずっとくだものみてたの』
 うろついていたら、たまたま果物屋に辿り着いたのだろう。怖そうなおじさん、というのはおそらく、店のオヤジか何かだ。
 表情をわずかに曇らせて、子供はぎゅっと西瓜を抱きしめた。
『でも、おなかすいてたの。そしたら、おとこのこが、かあちゃんといっしょにこれをおじさんにもらっていったの』
 もらったのではなく、おそらくそれは「買って行った」のだろう。親子連れが西瓜を購入したのを見、あわてて子供はその後を追いかけたのだと言う。
 西瓜を買ってもらった少年は、ひどく嬉しそうだった。それを見ていると、きっとそれはすごく美味しいんだろうなと思い、どうしても食べたくなったのである。
 小さな体をさらに小さくして、子供は西瓜を手で大事そうに撫でた。
『だから、ふくろからかってにもっていっちゃったの……。でもからっぽにしたままだとすぐにみつかっちゃうとおもって……』
「大きさが似ている人の生首の霊を代わりに放り込んでおいたのか」
 唯為の言葉に、びくりと子供が肩を震わせた。そして、こくりと俯いたまま頷く。
『おんなじおおきさでおもいついたの、ひとのかおしかなかったの……』
 怒られると思っているのか、子供は身を小さくしたままだった。が、ぱっと慌てて顔を上げる。
『でも、でも、これをもらうかわりに、ちゃんとおにんぎょうをおいていってあげたのよ』
 腕組みをしていた虎之助が、ああ、と声を上げた。
「あのこけしって、お礼の代わりだったのか」
 それに、子供が黒目がちの目をきらきらさせながら大きく頷く。けれども、その目はすぐに伏せられた。悲しげな色が幼い顔に浮かぶ。
『あれはね、いなくなったあたしのかわりに、かあちゃんがずっとだいじにいえにおいていたのとおなじものなの』
 いなくなったあたしのかわり――……
 一同が、わずかに表情をこわばらせた。子供の話が聞こえないシュラインに鶴来がその言葉を伝えると、彼女の顔にも同様の翳りが落ちた。
「……間引かれたのね……」
 口許に手を当てて、吐息のような声で呟く。
 間引いた子供の代わりに、こけしを我が子のように思いながら大事に家に置いていたのだろう。それを、子供の霊はずっと見ていたのだ。
『かあちゃんがだいじにしていたものだから、あたしにもだいじなものなの。だから、これをもらうかわりにあたしのだいじなものをあげたの』
 言うと、子供は足元に西瓜を置いて、白鬼に向けて手を差し出した。ふわりとその手に、さっき被害者宅で見せてもらったのとまったく同じこけしが現れる。にこりと、欠けた前歯を見せながら明るい笑みを浮かべる。
『あげる』
「……ありがとう」
 受け取って、大事に懐にしまう。胸が詰まるような思いを抱えながら、それでも白鬼は、穏やかな笑みを浮かべてその場にしゃがみこみ、子供と同じ高さに目線をあわせた。
「でも、キミはどうしてここにいるのかな。腹が減ったから目が覚めてしまったのかい?」
「……去年まではここにはいなかったんだろう……? 去年までは、ここで西瓜が消えたりはしなかったって……」
 碧海が控えめに口を開く。それに、子供が首を少し横に倒して笑った。
『くらいところでずーっとねてたら、だれかが「おきろ」っていったのよ。だから、めがさめたの。くらかったのに、きゅうにおひさまがいっぱいでたみたいにあかるくなったのよ』
「起きろって言われた?」
 虎之助がちらりと足元にあるお堂に目を落とす。おそらくはそれが、この子供の眠りを守っていたものなのだろう。よく見ると、中に置かれている石――地蔵が掘り込まれているらしい――の位置がズレているような気がする。
 誰かが、この子供を起こすために安置されていた石をずらしたのだろう。それで眠りが妨げられたに違いない。
「一体誰に?」
『わからない』
 虎之助の問いに、子供はあっさりと答えた。そして、更耶の方へ手を差し出す。
『それも、くれる?』
 問いかけに、更耶はちらりと鶴来を見た。黙ったまま小さく頷く鶴来に促されるように、ほれ、と更耶は子供にそれを差し出した。柔らかい光を纏う手で、そっとその子供の頭を撫でる。
「それ食って、ガキはさっさと寝ろ。こんなとこうろうろしてんなよ」
『でも、どこでねたらいいのかわからないの』
 メロンを受け取り、つと顔を上げて子供はまぶしそうに目を細めた。そしてその場にいる者たちの顔をゆっくりと見渡して、ゆるく首を傾げる。
『でもあのひと、「あいつがいくところおしえてくれるからしんぱいない」っていってた』
「あの人?」
「あいつ?」
 怪訝そうに虎之助と唯為が同時に問う。それにこくりと頷き、子供はもう一度ゆるりと全員の顔を見渡して。
 その目を、つと鶴来に止めた。そして明るく笑う。
『にてるね、あのおにいちゃんに。つれてってくれるひとって、おにいちゃんのことなの?』
「…………」
「……おい、那王?」
 無言で、どこか冷めた目で子供を見下ろしている鶴来に、更耶がしゃがみこんだまま問いかける。さっき公園で子供を見ていた時とは違う、氷のような眼差しだった。
 ふと目を伏せてから、鶴来は子供がさっきやったのと同じようにその場にいる者たちをゆっくりと見渡した。そして最後に、子供に視線を戻す。さっきと変わらず、どこか冷めた表情だった。
「お前がそう望むのなら、俺が連れて行ってやってもいい」
 言いながら、その胸ポケットから静かに何かを取り出す。
 それを見、はっとシュラインがその手を掴んだ。身を乗り出し、強い眼差しで間近に鶴来を睨み上げる。
「だめよ、それは。相手は子供なんでしょう?」
 その手にあるのは、小さな瓢箪だった。それを見て白鬼も目を鋭くする。厳しい顔で鶴来を見据えた。
 それは、霊を吸い込む悪食の瓢箪。吸い込んだ後、その吸い込まれた霊がどうなるのか……鶴来以外は誰も知らない謎の瓢箪。
「この子は、諭してやりさえすれば上へ行ける。キミのそれは必要ない。それともこんなに小さな子までその瓢箪に食らわせてやりたいのかい?」
「…………」
 二人の厳しい眼差しから逃げるように視線を伏せると、鶴来は静かに吐息を漏らした。胸のポケットに瓢箪をしまう。そして子供の前に片膝を落とした。
「……連れて行ってあげるよ」
 言い、静かにその子供へ手を伸ばす。ふわりと子供の体が宙に浮く。
 鶴来の腕に抱き上げられたその子供の額に、無言でそっと静かに暁臣が手を差し伸べた。
 癒し、あるべきところへ導くために。
 さあっと少しぬるい風が通り過ぎる。緩く乱れる暁臣の赤い髪を見、子供は笑った。
『ゆうやけのすすきのはらっぱみたい。あかとんぼがとんでておいかけてたら、ごはんよっておかあさんがむかえにきてくれるのよ』
「うん……」
 小さく暁臣が頷き、かすかに微笑んだ。風はもう通り過ぎたのにゆうらりと水の中に居るように髪が空に向かってなびくのは、暁臣が癒しの力を使っているためだ。
「……お母さん、迎えに来てくれるよ、きっと……」
 碧海も、そっと子供に手を差し伸べた。唯為も、虎之助も、更耶も、そして綺も、子供に向けて手をかざす。何か力を発するわけではない。ただ、そうするだけでこの子を送ってやれそうな気がしたのだ。
 ふと、鶴来が子供を抱き上げたままシュラインに向けて顔を上げた。
「赤とんぼ、歌っていただけますか?」
「赤とんぼ? 童謡の?」
「お願いします」
 真摯にかけられた言葉に、シュラインはこくりと頷いた。声は聞こえなくとも、おそらく、それがその子供にとって今必要なものなのだろうと思い。
 胸に右手を当て、ゆっくりと左手を空気を抱くように広げて。
 シュラインは、歌った。
 子を思う母のような慈愛に満ちた気持ちを、そこに乗せて。
 完璧な、狂いのない旋律を紡ぐ。
 それは、この上もなく優しい、鎮魂歌。

  ――夕焼けこやけの 赤とんぼ
       おわれてみたのは いつの日か――

 白鬼が静かに両手の指を内側に絡め合わせ、双方の中指をまっすぐに立てた印を結ぶ。地蔵菩薩の印を。
「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」
 子供の姿が、徐々に薄れ、やがて消えて行く。
 最後に。
『ありがと。おやすみ』
 夏の向日葵のような明るい笑顔を、残して。

 日光に晒されたアスファルトの上に、西瓜とメロンが転がる。
 坂の上にある公園から、はしゃぐ子供たちの笑い声が青い空の下に響いていた。


<終――踏み込む理由>
 鶴来と何事かを話しては、その場にいる者たちが一人、また一人と去っていくのを、更耶は建物の影の中にある縁石に腰掛けて、少し離れたところからじっと眺めていた。
 友人である碧海とも、一言二言交わし、彼の弟への伝言も頼んでみたりした。
「碧に伝えといてくれ。怪獣ミドリンによろしくって」
 と。
「……怪獣ミドリン、ですか。…………」
 呟いて、碧海は怪訝そうな顔をしていたが、まあ、彼のことだ。きっちり弟・碧にその言葉をそのまま伝えてくれるだろう。ついでに携帯電話についた撮影機能でこれみよがしに碧海と仲良さげな図を撮っておいたので、後で碧に送りつけて遊んでやろうとも思っている。
 ブラコンなあの弟がどういう反応をするか、想像するだけで笑えた。
「あ」
 最後まで残っていた白鬼が去り際、ひらりとこちらに手を振る。それに手を上げて応え、彼が去っていく背をしばし眺めてからゆっくりと立ち上がる。そして、鶴来の方へと移動した。
 つと目を上げて、鶴来がゆるく首を傾げる。
「待っておられたようですが、何か俺に話でも?」
「おう。大アリだ」
 笑いを消し、整った容貌に意識的に無表情を宿し、更耶は鶴来の目をまっすぐに見た。今から告げる言葉で、彼が見せるであろうその表情のわずかな揺らぎをも、見逃さないように。
「俺、こないだ真王に会った」
 鶴来の目がわずかに見開かれる。そこには明らかに驚愕が宿されていた。
「アンタの弟だよな? 真王って。そいつにアンタの依頼人に『七』がつく理由も聞いた」
 弟の後を追うため、という理由を。
「嘘ついたんだな、那王。理由なんて判らないって」
 責めるような言葉に、鶴来は逃げるように視線を伏せた。
「……本当のことを言う必要はないと思ったんです」
「まあ、聞いたところで俺は別に他人の家庭の事情にまで首突っ込む気はねえけどさ」
 更耶は視線をそらせている鶴来の顔の前に手を伸ばし、その前髪を指先でかき上げた。手を払いのけもせず、鶴来が目を上げる。
「だったら、それ以上余計な詮索はしないでください」
「ところがどっこい。真王が那王を殺すとか言ってるの、聞いちまってるからな」
 指先に絡む黒髪をそのままに、露になった額をべしりと軽く掌で叩く。わずかに顔をしかめる鶴来に、ニッと更耶は笑った。
「他人のことならほっとくけど、あんたのことだしな。ちょっと首突っ込んでみようかな、とか思ったりしてる」
 ふっと鶴来との距離を縮めて、更耶はその目を覗き込み。
「俺、あんたのこと、個人的に好きだからさ」
 一瞬。
 鶴来が瞠目する。
「……好きって」
「あ? いや、何となくな」
 赤くなるとか青くなる、ではなくただストレートに驚いているらしいその反応に、笑いながら更耶は答える。
 上手く言葉の意味を呑み込めてないで悩んでいるのか、しばし思案するような顔をし、やがて鶴来は短く吐息をついた。
 話の軸を戻す。
「……やめたほうがいいですよ、首を突っ込むのは」
 額に当てられた更耶の手をそっと取って離させながら、目を伏せて苦く笑う。更耶がじろりと目を上げた。けれども鶴来は視線を伏せたまま、目を合わせようとはしない。
 それに、低く問いかける。
「アンタ、弟のことキライなのか?」
 さっきまでここにいた子供の霊が、弟のことを話した瞬間に彼が態度を一転させたことを思い出したのだ。氷のような酷薄な眼差しは、前に自分が脅し掛けられた時と同種の物のよう思えた。いや、さっきのは、あの時の比ではなかった。
 鶴来が、乱れのない立ち姿で微笑む。風がさらりと彼の髪を揺らせた。
「嫌いではありません」
 ですが、と付け足して、鶴来はやや険しい顔で自分を見ている更耶を黒い瞳で見る。
 真摯な表情の前に、嘘をつく気が融解してしまう。
「好きでもありません。ただ、哀れだとは思っています」
「哀れ? 二つの人格があることをか? それとも、ああいう能力を持ってしまったことを?」
「俺と同じ血の元に生まれてしまったことを」
 微笑を消し、鶴来はまた目を伏せる。そして、ひとりごちた。
「……いや、俺が生まれてこなければよかったのか」
 呟きは、けれども確かに更耶の耳に届く。自分に嫌悪を抱いているかのようなその顔は、今紡がれた言葉が彼の本心からのものであることを告げていた。
 思わず、更耶はその鶴来の腕を捕まえていた。そして間近に顔を見、叩きつけるように言う。
「言ったろ、俺はアンタが好きだって。生まれてこなければよかったなんて……そんなふうに言うなよ」
 生まれてこなければよかった。
 それは幼い頃、自分が何度も思ったことだ。けれども、あの従兄が傍にいてくれるからそんな自己嫌悪の檻から抜け出す事ができた。
 だが、鶴来は誰にも支えられることがなかったのだろう。誰にも寄りかからずに凛然と立つ姿は、なんだか痛ましさすら覚える。
 ふと、鶴来が目を上げて、かすかに笑った。
「大丈夫ですよ。感傷に浸って無駄に死を考えるほど、自分が可愛いわけでははありませんから」
 紡がれる辛辣な言葉に、更耶が目を眇める。
 捨て鉢ではないだけに、なおいっそうタチが悪い。
「那王」
「真王との事は、ただの兄弟喧嘩です。こんな瑣末事に貴方が首を突っ込む必要はありません。草間の所へ回している依頼をこなしていただけるだけで、俺は十分助かっていますから」
 笑ってはいるが、そこには明らかな拒絶がある。
「…………」
 掴んだ手を離し、更耶は踵を返した。
 言いようもない苛立ちが胸に渦巻く。気分が悪い。
「アンタがイヤだっつーなら別にいいけどさ。俺、誰かに命令とかされんの嫌いなんだよ」
 鋭い眼差しで空を切るように、肩越しに鶴来を振り返り。
「だからアンタが嫌がっても、俺は俺の気が向くまま勝手に首突っ込ませてもらう」
「……更耶さん……」
「っつーわけでお疲れ。またな」
 不機嫌を隠そうともせず去っていくその背に、鶴来は静かに頭を下げた。
「お疲れ様でした」
 律儀に紡がれるその言葉に、いつものような労いの意志が含まれていない事は更耶にも感じられた。
 ただ事務的なだけの、感情のない言葉。
 感情を閉ざさせたのが自分だとしたら。
(しくったかな……)
 一瞬思うが、それでも、先の言葉を翻す気にはならなかった。
 ……なんだかひどく。
(似てるんだよ……アンタと俺は)
 だから放っておけないのだ。好きだとか嫌いだとかいう以前に。
 苦く笑い、更耶は目を細めた。

 吹いてくる、夏の気配を含んだ風がひどく、目に痛かった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0065/抜剣・白鬼(ぬぼこ・びゃっき)/男/30/僧侶(退魔僧)】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0226/斎司・更耶(ときつかさ・さらや)/男/20/大学生】
【0308/鷹科・碧海(たかしな・あおみ)/男/17/高校生】
【0380/柚木・暁臣(ゆずき・あきおみ)/男/19/専門学校生・鷲見探偵事務所バイト】
【0689/湖影・虎之助(こかげ・とらのすけ)/男/21/大学生(副業にモデル)】
【0733/沙倉・唯為(さくら・ゆい)/男/27/妖狩り】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?

 斎司更耶さん。またまたお会いすることができてとてもうれしいです。
 毎回面白いプレイングをどうもありがとうございます(笑)。ここまで鶴来に対してアクション起こしてくださるというのが、もう本当に嬉しくてたまりません(笑)。
 でも、ポイントもしっかり押さえられていました。
 せっかく「好き」と言っていただいたのに反応しつつも微妙に話をすり替えて無視した鶴来を、広い心で許してやってくださいね(笑)。

 よろしければ、お手隙の時にでもこの作品についての感想などいただけるととても嬉しいです。
 それでは、また会えることを祈りつつ。
 今回はシナリオお買い上げ、本当にありがとうございました。