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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


夏来前

<序>
 いつかは、誰かが手を差し伸べて、助けてくれるのだろうか。
 いつかは、誰かが、行くべきところを示してくれるのだろうか。
 この世界には、こんなに美味しいものがあるのに。
 ――それでも、行かなくちゃいけないのだろうか。

          *

「スイカとメロンを守ってくれ、だって〜?」
 知りあがりな口調で言いながら、片眉を下げて怪訝な表情を作った草間武彦は、テーブルを挟んだ向かいに座っている少年を見た。高校生くらいの少年は、繊細な眼差しを窓から差し込んでくる光から庇うように静かに目を伏せ、簡潔に答える。
「はい」
「はい、って……お前なぁ」
 どこか生命感が希薄な感じのする少年を前に、草間は困った顔で頭をかりかりとかく。なんだか厳しいことを言うとそのままふっと溶けて消えてしまいそうな危うさがあり、なんとも会話がしづらい。
「あー……あのなあ、うちは果物屋のガードやるようなとこじゃないんだが」
「でも、西瓜とメロンが……」
 口許に手を当て、少年が目を上げる。どうにも真剣に頼みに来たとしか思えないその表情に、やれやれと草間が肩を竦めた。
 少年の名は、七海綺(ななみ・あや)。とある村の桜の守人である彼が、一体何故、西瓜とメロンのガードなど頼みに来るのだろうか。
 大きくため息をつき、草間はソファに深く背を預けるとわずかに首を横に倒す。
「お前の保護者はどうしてるんだ?」
「那王さん、ですか?」
 緩く首を傾げて問う綺に、相槌を打つ。
 現在、彼は諸事情により草間の知人である鶴来那王(つるぎ・なお)という青年の元にいる。もしここに何らかの事情があってこの依頼を持ち込んでいるのだとすれば、保護者である彼に何も話していないはずはないと思ったのだが――…
 綺は、かすかに目を伏せた。
「那王さんは、もう現場で西瓜とメロンを抱えて待機されています」
「そんなに重要なモノなのか、それは」
「いえ、そうではなく」
 ふっと短く吐息をつくと、綺はようやく事情を話し始めた。
 話によると、都内のとある住宅街で最近、店で買ったはずの西瓜とメロンが消失するという事件が相次いでいるらしい。確かに買ったはずの品が、家に帰って包みや袋の中を見る頃には消えてなくなっているのである。
 それどころか。
「西瓜やメロンの代わりに、人の生首が入っているらしくて」
「生首?!」
 淡々と話す中から不意に出てきたその単語に、ぎょっとして草間は綺の顔を見た。その視線を受け、綺は緩くその頭を振る。
「けれどそれも数秒後にはふっと煙のように消えてしまうらしく、後に残されるのはこけしが一体。それ以外に特に何の害もないようなんですが、やはり生首が出る、というのはあまり気持ちのいいものではありませんし品物が消えるというのも……。それに、これから夏に向けて西瓜に悪い噂がつくのは」
「取り扱う店としてはかなわんだろうな。ようするに、そのスイカとメロンが生首からこけしに化ける理由を探ってくれ、ということだな?」
「そういうことです」
「他の果物とか野菜とかはどうなんだ? 南瓜とかキャベツとかりんごとかは」
「いえ、消えるのは西瓜とメロンだけです」
 そこまで聞いて、草間はその場にいた者に声をかけた。
「おい。お前、スイカとメロンは好きか? いや、好きだな? よし。ならこれはお前に任せた。土産は無事だったスイカとメロンでいいからな」
 相手の返事を聞く間もなく勝手に「好きだ」と決め付けると、草間はニヤリと笑って手をひらりと振ってみせた。


<銀の双眸>
 草間と綺のやりとりが、遠く感じられた。薄い膜を一枚隔てた向こうでのやりとりのように。
 彼の銀色の眼差しは、ただ一点に向けられていた。
 自分と同じ色の瞳を持つ、見たこともない青年へと。
 窓辺から入り込んでいる光で硝子のように透けている青年の、その銀色の瞳に、視線は縫いとめられていた。
 無意識に口許に手を当てていた。唇の震えを押さえるために。
 ふ、と。
 その視線の先にいた青年が、緩く一つ瞬きして視線を転じた。窓から差す光が瞳から逸れ、硝子のようだった色が、冬の海のような色へと変わる。
 銀色。
「おい」
 その視線の先にいた青年に呼びかけられて、彼――鷹科碧海は、はっと遠ざかっていた自我を取り戻した。すぐさま瞳だけに集中させていた視線を、青年の顔全体へと移しなおす。そして慌てて不躾な視線を送り続けていたことに対しての謝罪を述べようとしたが、言葉が上手く出ず、そのまま視線を伏せてしまう。
「人のことじろじろ見ておいてそれはないんじゃないか?」
 とん、と。
 額を誰かにつつかれて、碧海が目を上げた。と、その目を間近に覗き込む、銀色の瞳。
「ああ、なんだお前。俺の目の色が珍しいのかと思ってたら、お前も同じ色じゃないか」
「す……すみません……」
 逃げるように目を伏せ、碧海はかすれた声で答えた。それに青年、こと沙倉唯為は唇の端をわずかに吊り上げるようにして笑う。
「ははぁん、さてはその目の色で子供の頃にいじめられたりしたクチだな?」
 見事に図星を突かれ、碧海は言葉をなくす。恥じ入って逃げるように視線を背けると、その頭をやや乱暴に撫でられた。顔を上げると、唯為がやや下がり気味の目を細めて笑っていた。
「人の言う事なんかいちいち気にするな。綺麗な色だろ?」
 な? と言って自分の目を指し示す唯為の瞳を、まっすぐに見る。
 幾重にも重ねられた硝子のような美しい色が、そこにはある。
 しばし見つめた後、こくりと頷く碧海の頭をもう一度乱暴に撫でると、その手をひらりと振って唯為は踵を返した。
「あ、お前名前は?」
「……鷹科、碧海…です」
「碧海、な。了解。あまり俺の前でおどおどした態度取るな。いじめっ子の血が騒ぐから」
 笑いながらそう言うと、軽く肩をすくめて唯為は事務所から出て行った。その背を見送り、碧海は細く吐息を漏らす。
 ずっと、負い目のようにも感じていたこの瞳と同じ色の人と初めて出会い、驚いていたのである。
「…………」
 もう一度短く細い吐息を漏らすと、緩く頭を振る。そして意識を切り替えて、ソファに腰掛けて話し込んでいる綺と、黒髪に青い瞳の女性の方へと顔を向ける。
 生首に変わる西瓜。何となく聞いてしまったその話が気になったのである。できれば、調査に参加させてもらえないかとも思い始めていた。
 聞こえてくる、わずかな会話。と、ふとその女性が碧海の方を見やった。中性的な美貌に優しい微笑みが浮かべられる。
「スイカとメロン、好きなの?」
 遠まわしに「貴方もこの依頼に参加するの?」と問われていることを察し、碧海は小さく頷いた。この女性はさっき、綺と共に行動する、というようなことを話していたのがぼんやりとしていた碧海にも聞こえていた。ならば。
「もしよければ……俺も同行させていただいていいですか?」
 それに、女性――シュライン・エマは了承の意を伝えるように頷いた。


<美女と美少年と>
 頭上から光を振りまいている太陽から逃げるように目の上に手でひさしを作ってシュラインはふっと短く吐息を漏らした。
 それに気づいたように、傍らに居た綺が目を上げる。
「暑いわね。もう夏って感じだわ」
 汗でぬれた首筋にくっついた数本の黒髪を指で払い、目を細める。色素の薄い青色の瞳には、日中の強い日差しは眩しすぎる。
「大丈夫ですか?」
「私は平気。綺くんは?」
「平気です」
 綺の白いシャツに反射する光から逃げるように目を、少し後ろを歩いていた碧海へと向ける。碧海のその黒い半袖のシャツから覗く白い腕に、なんとなく目を傷められてそうでまた目を細める。
「鷹科くんは?」
「……え?」
 何かを考え込んでいたのか、どこかぼんやりしたように目を上げた碧海も、やはりその色素の薄い銀色の瞳のせいか、まぶしげに一瞬目を細めた。シュラインの黒いパンツスーツ姿が、周囲の光の中に埋もれて見える。
「大丈夫?」
 目に飛び込んできた光の量に眩暈を起こしたように緩く頭を振るそのさまを心配げに見、シュラインは周囲を見渡した。近くに休めそうな場所はないかと思ったのだが、あるとすれば公園くらいのものか。
「大丈夫です」
 ふと、シュラインは先日、別の依頼で会った長身の少年のことを思い出した。そういえば、確かその名前は……。
「鷹科くんって、もしかして兄弟とかいる? お兄さんとか」
「え? ああ……弟が一人、います」
「じゃああれって弟さんなのかしら。碧くんって子なんだけど」
 ぴくりと、わずかに碧海の眉宇が動いた。ゆっくりと口許に手を当てて、こくりと頷く。
「弟です」
 なんというか。
 シュラインはその頭で先日あったあの明るく元気な少年とこのおとなしくて表情のほとんどない少年を比べ、首を傾げる。
 あまりにも、印象が違いすぎる兄弟である。むしろ碧海は、今ここにいる綺に、印象という点では近いような気がする。
 人にもそれぞれ内包する熱量というものがあるのなら、あまりにもその熱が、綺と碧海では低すぎる気がするのである。それが、存在感の希薄さにつながるのかもしれない。
 かといって、ならば自分の熱量がどれくらいなのかといわれれば答えに窮してしまうだろう。けれども少なくとも、ここにいるこの少年二人よりは、感情の起伏がある分、熱は高いはずである。
 その熱の低い少年の一人である綺は、どこかの家の塀からちらりと頭を覗かせている緑の葉の生い茂った木を微笑みながら見上げていた。きっと、それは桜の木だろう。桜の守人であるが故に、彼にとって桜は友達のようなものなのである。
 今、三人は、生首に化けた西瓜が買われたスーパーの近くにいた。道路を挟んだ向かいに、そのスーパーがある。
 午後二時を少し回ったこの時刻。スーパーには近所の主婦などが買い物に寄り、ひどくにぎわっているようだった。この暑さをものともせず、店先で井戸端会議に花を咲かせている主婦もいる。時折笑い声が上がるが、それもすぐに道路を走る車によってかき消されてしまう。
 周囲はなんの変哲もない普通の住宅街だ。ここから歩いて五分程度のところに被害者の住まいはあると、綺は言った。あらかじめ調べておいたらしい。
「とりあえず、被害にあわれた方に話を聞いてみましょうか」
 言ったシュラインに、二人の少年がこくりと同時に頷く。ふと、綺が顔を上げた。
「お二人はこけしのこと、どう思っていますか?」
「そうねえ。昔は間引きした子供を忘れないために置いていて、それが『子消し』つまり『こけし』の由来になったって聞いた事があるけど」
 頬に片手を当てて、シュラインが答える。そしてちらりと碧海の方へ目を向けると、碧海もこくりと小さく頷いた。
「口減らしをした子供の代わりに家に置いていた、というのは俺も聞いた事があります。だから、口減らしされた子供が西瓜とメロンをとっているのかな、と思ったんですが……」
「私も、貧しい時代に死んだ子供の霊か、空腹で亡くなった霊かなって思ってたのよ。戦時中とかなら、かなり高価だし、食べたくても食べられなかったはずだから」
 促すように二人の背に手を当てて歩き出しながら、シュラインは続ける。
「だから生首が出てくるのは、それを食べてるとこかなー、なんて思ってたんだけど……無理があるかな」
 自分の言葉に小さく笑ったシュラインに、綺が微笑む。
「西瓜が頭に変わってしまうこと自体、無理があることだから」
 確かに、その通りである。考えてみたら、西瓜を盗んでこけしを置いておきたいのなら、一度生首になどする必要はないし、西瓜を生首にして驚かせたいだけなら、こけしを置いておく必要はないのだ。
 一体何のためにそんなことをしているのだろう、とシュラインが考え込んだところに、
「あの……」
 控えめに碧海が口を開いた。シュラインが緩く首を傾げて先を促す。
「西瓜が生首に変わるという話は『岡本綺堂』の怪談にあったと思うんですが……もしそれをなぞらえているなら、愉快犯かと思ったんですが……」
 けれど、こけしを置く必要性に疑問が残る。
 シュラインと綺の視線から逃げるように静かに目を伏せて、碧海はわずかにうつむいた。
「……やっぱり、つながらないですね、こけしと生首……」
「でも、岡本綺堂か。その話を知っている子供がやっている、と考えれば、こけしにもつながってくるわよ?」
 横断歩道の手前で足を止めて後を歩いている二人の少年の前に制止を促すように手を差し出すと、シュラインは肩越しに碧海を振り返る。束ねられた黒髪が緩く肩の上で揺れた。
「ま、つながりはこれからわかってくるんじゃないかしら? でも、もし子供だとしたら、あまり手荒なことはしたくないわね」
「……そうですね……。優しく行くべきところを教えて上げられるといいけれど……」
 口許に手を当てて視線を斜め下に落としながら、碧海は吐息を漏らした。出来れば自分の持つ力で強引に消し去るような真似だけはしたくなかった。
「そうだ」
 ふっと車が行き過ぎたのを見計らって歩き出したシュラインがもう一度振り返った。
「鷹科くんは、霊とか見えるのかしら?」
「え? ……あ、はい、少しは」
「そう、よかった。私、そういうの見えないから、もし真犯人に出くわしても見逃しちゃうかもしれないからどうしようかと思ってたのよ」
「……そちらの……」
 ちらりと自分を見た碧海の視線に、綺が緩く首を振る。
「俺には桜にまつわる霊しか見ることしかできません。一般の霊に関してはシュラインさんと同じです」
「……そうですか」
「というわけだから、頼りにしてるわよ、鷹科くん」
 優しい微笑とともに、シュラインにポンと軽く肩を叩かれ、碧海は困ったような顔でわずかに目を伏せた。


<マシンガントーク>
 被害者の家は、ごく普通のこじんまりとした一軒家だった。黒く背の低い柵状の門扉越しに話に応じてくれたのは、四〇代半ばくらいの婦人だった。片手を門扉の上に乗せ、もう一方の手で頬を押さえ、小首をかしげるようにして口を開く。
「西瓜はその先のスーパーで買ったのよ。いつも買い物はそこでしてるから。でもこんなことになったのは初めてなのよ。去年も一昨年もそこで西瓜買ったけど、こんなことにはならなかったもの」
 尋ねてきたのが、どこかぼんやりした美少年二人と、きりっとした中性的な美貌を持つ異国の女性という、なんとも不思議な三人組だったのに、あまり気にする様子もなく婦人はぺらぺらと喋り続けた。まるで誰かに話したくて話したくてたまらなかったとでも言うような様である。
「それでねぇ、他の奥さんにも話聞いてみたら、西瓜だけじゃなくてメロンも生首になっちゃったって言うじゃないの。もう驚いて、私たち皆でスーパーに文句つけにいったのよ、何かいわくありげなものを売り物にしてるんじゃないのかって」
「はぁ……」
 マシンガンのように立て続けに打ち出される言葉。一体どこに口を挟んでいいものかと考えながら、シュラインが適当に相槌を打つ。少年二人はその後ろでぼんやりと夢見る少女のような眼差しで婦人と、シュラインの後姿を見ている。
 ……碧海と綺。この二人はあまりこの場面ではお役に立てそうにはなかった。シュラインでさえ口を挟みかねているのに、この寡黙な二人がそれをやってのけられるわけがない。
「でも別にいわくありげなものを仕入れているわけじゃないらしいのよ。この辺り一帯のお店で売ってる西瓜やメロンがそんなふうになってるらしくて」
「はぁ」
「どこの店もここの店も同じような苦情が相次いでるらしくてねえ。本当にいわくありげなとこから仕入れてるんじゃないかって心配になった店長さんたちが自分の所の仕入れ先調べてみたら、店によってばらばらで、まるで共通点がなかったって話だし」
 ふと、シュラインが瞬きをした。婦人がさらに口を開く前に、するりと問いを滑り込ませる。
「仕入れ先、ばらばらなんですか?」
「そうらしいわよ。今はハウス栽培なんかもあるから、どこでも取れるものなのね、西瓜もメロンも」
 すっとシュラインが肩越しに碧海を振り返る。
「確か岡本綺堂の話だと、西瓜の出所に問題があったわよね」
「はい」
 碧海が返答と共に小さく頷く。
 西瓜を卸したのは市場ではなく、とある旗本屋敷から買ったものだったというのだ。その旗本屋敷には妙な噂があり、そこから取れた野菜などでごく稀に、妙なものが出る、という――岡本綺堂の「西瓜」はそういう話だったはずだ。
「じゃあやっぱりその話は関係ないのかしら」
 答えあぐねて緩く首を傾げた碧海を見、シュラインが不思議そうにしている婦人へと視線を戻す。
「その西瓜を買ってこちらへ戻られるまでに、何か妙に感じられたことはありませんでした?」
「妙な事……ああ、そういえば途中から急に荷物が軽くなったような気がしたわ」
「軽くなった? あの、それは一体どのあたりでですか?」
「そうね、あれは確か――……」
 目には見えない「記憶」という名の地図を見るために視線を宙へと固定させた婦人の顔を、シュラインと碧海、そして綺は、それぞれ違う色の瞳でじっと見つめていた。


<辿り着く場所>
 つい数分前に歩いた道を逆に辿る。
 そして途中にある坂を下り切った所で、ふとシュラインが足を止めた。その、シュラインが足を止めて視線を落としているところを、碧海と綺が隣に並んで同様に見る。
 そこには、高さ五〇センチくらいの小さなお堂があった。前には小さな花を活けるための筒が置かれている。しゃがみこんで中を覗くと、そこには何かの絵が刻まれた石が据えられていた。
「きっと、これが鍵なのね。今回の西瓜盗難事件の」
「そうだと思います」
 シュラインの言葉に、綺が頷く。静かにしゃがんで、そっと指を伸ばしてその石の表面を撫でる。刻まれてからかなりの時が経過しているのか、その形は判然としない。
「なにが描いてあるんでしょう?」
「……絵じゃなくて、お地蔵様じゃない? ほら」
 言って、シュラインが絵の輪郭をなぞる。確かに、言われてみると何とか頭と体の形がわかる。
「…………」
 ふと、碧海がわずかに目を細めた。そのお堂の傍らに、かすかな何者かの気配を感じ、目を向ける。
 邪気はない。ただ、ひんやりとしたその感覚が、その場にいるものが霊であると告げていた。
 その時、綺がすっと立ち上がって坂の上を見上げた。碧海の視線が向けられている先に気づかず、シュラインも綺に吊られるように立ち上がり、そちらを見やる。
 こちらに向けて歩いてくる背の高い人影が、六つ。
 その中の一つに目を止め、シュラインが、目を細めながら小さく笑った。
「お久しぶりね、鶴来さん」
 答えるように、影の一つが会釈した。
 現れたのは鶴来那王と、そして彼と共に行動していた面々――抜剣白鬼、斎司更耶、沙倉唯為、柚木暁臣、湖影虎之助、だった。


<現れし子・導きの御手>
 坂を下り切って、鶴来と行動していた者たちにシュラインが手短に挨拶している傍らで、じっと碧海は何も言わずに何かを見ていた。その視線を追い、唯為が目を眇める。
「お前か、西瓜とメロンを盗っていたのは」
 視線の先。
 お堂の傍らに、小さな子供がしゃがみこんでいた。膝丈ほどしかなり古びて薄汚れた着物を着ている。じっと碧海と視線を合わせていたようだが、唯為の言葉に小さな顔を動かした。ばさばさの黒髪が肩の上をすべる。
 シュラインもそのお堂の傍らを見やったが、彼女の青い瞳には電信柱の根元が映るだけで、他には何も見えなかった。
 子供の視線は唯為から離れ、白鬼の方へと向かう。ぱたぱたとせわしなく目を瞬かせて、少女はにっこりと笑った。
『それ、くれるの?』
「え? ああ、やっぱりキミが盗ってたのかい?」
 西瓜を差し出してやりながら、白鬼が問いかける。小さな両手を差し出して嬉しそうに西瓜を受け取りながら、ふと少女はその隣にいる更耶へと顔を向ける。そして抱え込んだ腕の中の西瓜と、更耶の手にあるマスクメロンを見比べて、唇をへの字に曲げる。
「なんだお前。どっちもらおうか悩んでんのか?」
 子供の前にしゃがみこみ、更耶が笑う。ひょいひょいと軽く手の上で放り投げられているメロンを見、つられるように首を上下に動かす子供に、暁臣がゆっくりと口を開いた。
「どうして、西瓜とメロンを……?」
 子供に邪気がないのは見れば判る。パッと明るい笑みをこぼし、子供は大事そうに抱えた西瓜を見下ろした。
『おなか、すいてたの。うろうろしてたら、くだものいっぱいあるとこについたの。でも、こわそうなおじさんが、ずっとくだものみてたの』
 うろついていたら、たまたま果物屋に辿り着いたのだろう。怖そうなおじさん、というのはおそらく、店のオヤジか何かだ。
 表情をわずかに曇らせて、子供はぎゅっと西瓜を抱きしめた。
『でも、おなかすいてたの。そしたら、おとこのこが、かあちゃんといっしょにこれをおじさんにもらっていったの』
 もらったのではなく、おそらくそれは「買って行った」のだろう。親子連れが西瓜を購入したのを見、あわてて子供はその後を追いかけたのだと言う。
 西瓜を買ってもらった少年は、ひどく嬉しそうだった。それを見ていると、きっとそれはすごく美味しいんだろうなと思い、どうしても食べたくなったのである。
 小さな体をさらに小さくして、子供は西瓜を手で大事そうに撫でた。
『だから、ふくろからかってにもっていっちゃったの……。でもからっぽにしたままだとすぐにみつかっちゃうとおもって……』
「大きさが似ている人の生首の霊を代わりに放り込んでおいたのか」
 唯為の言葉に、びくりと子供が肩を震わせた。そして、こくりと俯いたまま頷く。
『おんなじおおきさでおもいついたの、ひとのかおしかなかったの……』
 怒られると思っているのか、子供は身を小さくしたままだった。が、ぱっと慌てて顔を上げる。
『でも、でも、これをもらうかわりに、ちゃんとおにんぎょうをおいていってあげたのよ』
 腕組みをしていた虎之助が、ああ、と声を上げた。
「あのこけしって、お礼の代わりだったのか」
 それに、子供が黒目がちの目をきらきらさせながら大きく頷く。けれども、その目はすぐに伏せられた。悲しげな色が幼い顔に浮かぶ。
『あれはね、いなくなったあたしのかわりに、かあちゃんがずっとだいじにいえにおいていたのとおなじものなの』
 いなくなったあたしのかわり――……
 一同が、わずかに表情をこわばらせた。子供の話が聞こえないシュラインに鶴来がその言葉を伝えると、彼女の顔にも同様の翳りが落ちた。
「……間引かれたのね……」
 口許に手を当てて、吐息のような声で呟く。
 間引いた子供の代わりに、こけしを我が子のように思いながら大事に家に置いていたのだろう。それを、子供の霊はずっと見ていたのだ。
『かあちゃんがだいじにしていたものだから、あたしにもだいじなものなの。だから、これをもらうかわりにあたしのだいじなものをあげたの』
 言うと、子供は足元に西瓜を置いて、白鬼に向けて手を差し出した。ふわりとその手に、さっき被害者宅で見せてもらったのとまったく同じこけしが現れる。にこりと、欠けた前歯を見せながら明るい笑みを浮かべる。
『あげる』
「……ありがとう」
 受け取って、大事に懐にしまう。胸が詰まるような思いを抱えながら、それでも白鬼は、穏やかな笑みを浮かべてその場にしゃがみこみ、子供と同じ高さに目線をあわせた。
「でも、キミはどうしてここにいるのかな。腹が減ったから目が覚めてしまったのかい?」
「……去年まではここにはいなかったんだろう……? 去年までは、ここで西瓜が消えたりはしなかったって……」
 碧海が控えめに口を開く。それに、子供が首を少し横に倒して笑った。
『くらいところでずーっとねてたら、だれかが「おきろ」っていったのよ。だから、めがさめたの。くらかったのに、きゅうにおひさまがいっぱいでたみたいにあかるくなったのよ』
「起きろって言われた?」
 虎之助がちらりと足元にあるお堂に目を落とす。おそらくはそれが、この子供の眠りを守っていたものなのだろう。よく見ると、中に置かれている石――地蔵が掘り込まれているらしい――の位置がズレているような気がする。
 誰かが、この子供を起こすために安置されていた石をずらしたのだろう。それで眠りが妨げられたに違いない。
「一体誰に?」
『わからない』
 虎之助の問いに、子供はあっさりと答えた。そして、更耶の方へ手を差し出す。
『それも、くれる?』
 問いかけに、更耶はちらりと鶴来を見た。黙ったまま小さく頷く鶴来に促されるように、ほれ、と更耶は子供にそれを差し出した。柔らかい光を纏う手で、そっとその子供の頭を撫でる。
「それ食って、ガキはさっさと寝ろ。こんなとこうろうろしてんなよ」
『でも、どこでねたらいいのかわからないの』
 メロンを受け取り、つと顔を上げて子供はまぶしそうに目を細めた。そしてその場にいる者たちの顔をゆっくりと見渡して、ゆるく首を傾げる。
『でもあのひと、「あいつがいくところおしえてくれるからしんぱいない」っていってた』
「あの人?」
「あいつ?」
 怪訝そうに虎之助と唯為が同時に問う。それにこくりと頷き、子供はもう一度ゆるりと全員の顔を見渡して。
 その目を、つと鶴来に止めた。そして明るく笑う。
『にてるね、あのおにいちゃんに。つれてってくれるひとって、おにいちゃんのことなの?』
「…………」
「……おい、那王?」
 無言で、どこか冷めた目で子供を見下ろしている鶴来に、更耶がしゃがみこんだまま問いかける。さっき公園で子供を見ていた時とは違う、氷のような眼差しだった。
 ふと目を伏せてから、鶴来は子供がさっきやったのと同じようにその場にいる者たちをゆっくりと見渡した。そして最後に、子供に視線を戻す。さっきと変わらず、どこか冷めた表情だった。
「お前がそう望むのなら、俺が連れて行ってやってもいい」
 言いながら、その胸ポケットから静かに何かを取り出す。
 それを見、はっとシュラインがその手を掴んだ。身を乗り出し、強い眼差しで間近に鶴来を睨み上げる。
「だめよ、それは。相手は子供なんでしょう?」
 その手にあるのは、小さな瓢箪だった。それを見て白鬼も目を鋭くする。厳しい顔で鶴来を見据えた。
 それは、霊を吸い込む悪食の瓢箪。吸い込んだ後、その吸い込まれた霊がどうなるのか……鶴来以外は誰も知らない謎の瓢箪。
「この子は、諭してやりさえすれば上へ行ける。キミのそれは必要ない。それともこんなに小さな子までその瓢箪に食らわせてやりたいのかい?」
「…………」
 二人の厳しい眼差しから逃げるように視線を伏せると、鶴来は静かに吐息を漏らした。胸のポケットに瓢箪をしまう。そして子供の前に片膝を落とした。
「……連れて行ってあげるよ」
 言い、静かにその子供へ手を伸ばす。ふわりと子供の体が宙に浮く。
 鶴来の腕に抱き上げられたその子供の額に、無言でそっと静かに暁臣が手を差し伸べた。
 癒し、あるべきところへ導くために。
 さあっと少しぬるい風が通り過ぎる。緩く乱れる暁臣の赤い髪を見、子供は笑った。
『ゆうやけのすすきのはらっぱみたい。あかとんぼがとんでておいかけてたら、ごはんよっておかあさんがむかえにきてくれるのよ』
「うん……」
 小さく暁臣が頷き、かすかに微笑んだ。風はもう通り過ぎたのにゆうらりと水の中に居るように髪が空に向かってなびくのは、暁臣が癒しの力を使っているためだ。
「……お母さん、迎えに来てくれるよ、きっと……」
 碧海も、そっと子供に手を差し伸べた。唯為も、虎之助も、更耶も、そして綺も、子供に向けて手をかざす。何か力を発するわけではない。ただ、そうするだけでこの子を送ってやれそうな気がしたのだ。
 ふと、鶴来が子供を抱き上げたままシュラインに向けて顔を上げた。
「赤とんぼ、歌っていただけますか?」
「赤とんぼ? 童謡の?」
「お願いします」
 真摯にかけられた言葉に、シュラインはこくりと頷いた。声は聞こえなくとも、おそらく、それがその子供にとって今必要なものなのだろうと思い。
 胸に右手を当て、ゆっくりと左手を空気を抱くように広げて。
 シュラインは、歌った。
 子を思う母のような慈愛に満ちた気持ちを、そこに乗せて。
 完璧な、狂いのない旋律を紡ぐ。
 それは、この上もなく優しい、鎮魂歌。

  ――夕焼けこやけの 赤とんぼ
       おわれてみたのは いつの日か――

 白鬼が静かに両手の指を内側に絡め合わせ、双方の中指をまっすぐに立てた印を結ぶ。地蔵菩薩の印を。
「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」
 子供の姿が、徐々に薄れ、やがて消えて行く。
 最後に。
『ありがと。おやすみ』
 夏の向日葵のような明るい笑顔を、残して。

 日光に晒されたアスファルトの上に、西瓜とメロンが転がる。
 坂の上にある公園から、はしゃぐ子供たちの笑い声が青い空の下に響いていた。


<終――帰るべき、処>
 帰りの電車を待つ、東京駅。
 流れる人波。行き交う人々。
 絶えることなく紡ぎ出される人いきれが、たまらなくつらかった。胸に手を当てながら目を伏せ、碧海は人の姿を目に入れないようにする。
 電車は、東京一七時二〇分発ののぞみ。京都に帰り着くのは一九時三〇分過ぎになる。そこからさらに乗り換えて1時間程度電車に揺られる事になる。
 少し長いその旅に、億劫そうに短く吐息を漏らした時だった。
 いきなり、肩に勢いよく何かがぶつかった。ぼんやりとしていた碧海は、ふらりと後ろへ倒れそうになる。運動神経がいい者ならばなんとかバランスを取れたかもしれないが、彼の運動神経にはそんなことができるほどの能力がなかった。
 はっきり言ってしまえば、彼は見目の麗しさを見事に裏切って、極度の運動音痴なのである。
 勢いに流されるように、体が後ろへ傾ぐ。このままこけたら頭を打つかもしれないと、妙に冷静なまま被害を被りかけている頭自身が考えていた。
 と、その時。
 ふっと背後から誰かに体を支えられた。
 その目の前を、ぶつかった男が無言のままじろりと碧海を睨みつけて去っていく。悪意を叩きつけられたようで、怯えが体に浸透する。
 その背後から。
「大丈夫ですか?」
 声をかけられて、はっと碧海は自我を取り戻した。体を支えてもらっていたことを思い出し、慌てて体勢を立て直し、くるりと体の向きを変えて相手に向き直り、ぺこりと頭を下げた。
「す、すみません……」
「ああ、貴方は」
 そこに居たのは、鶴来那王だった。穏やかに微笑みながら、鶴来は小さく会釈した。
「先ほどはお疲れ様でした」
「あ、いえ……。あの、あまりお役に立てなくて……」
 目を伏せながら緩く頭を振る。小さく、鶴来は笑ったようだった。
「そんなことはありませんよ。依頼は無事にこなしていただきましたし」
 それは自分の力によるものではなく、他の方たちの力があったお陰だ。
 と言いかけたその時、ポケットから微妙な振動が伝わってきた。どうやら携帯電話が鳴っているらしい。
 すみません、と断って慌ててポケットから取り出す。いえ、と一言だけ言い置いて、鶴来は会釈して人波の中に消えていく。
 まともに別れの挨拶もできなかったが、とりあえず仕方ないとあきらめて通話ボタンを押し、耳に押し当てる。
「もしもし……?」
 途端、スピーカーから聞きなれた声が紡がれてきた。
 相手は、弟の碧だった。
 どこにいるんだいつ帰るんだ大丈夫なのか怪我はしてないか、云々。一気に問いかけられるそれに、碧海は律儀に答えてやる。
 どれほど自分のことを心配してくれていたか、ちゃんとわかっているから。
「うん……今から帰るから。今? 東京駅。……大丈夫だよ」
 ああそうだ、と碧海は腕の時計に視線を落としながら言った。
「今日、斎司さんに会った」
『何っ、王子様に会ったのか!』
「……王子様?」
『さらちゃんのことだよっ。斎司サンのことっ』
「ええと……お前宛に伝言預かってるけど……。怪獣ミドリンによろしくって」
 言って、碧海は眉宇をひそめた。
「怪獣ミドリンって、何? お前のこと?」
 電話の向こうで弟の碧が、まさしく怪獣のような奇怪な叫び声を上げている。だからネーミングセンスねえんだよアンタは、などとこちらに向かって叫ばれてもどうしようもないのに、と思いながら碧海はわずかに電話を耳から話した。
 ひとしきり叫んで相手の気が治まったのを見計らって、碧海は苦笑をこぼす。
「それじゃ、今から電車に乗るから、切るけど……」
 それに、お疲れ様、と労いの言葉が返ってくる。相手には見えないけれど、わずかに微笑んでありがとうと答え、通話を切る。
 わずかに視線を上げると、まだ青いままの空が見える。
 ふと、あの子供のことが脳裏によぎった。
(……お母さんに、無事に会えただろうか)
 行くべきところへ帰れば、会えるのだろうか。
 ……自分も、いつかは再び、幼い頃に亡くした母や父と会えるのだろうか。
 目の前に、ふっと血のように赤い色が流れる。
 けれど、それも一瞬。
 流れかけた意識を留めるように、ホームにジングルが鳴る。続いて、アナウンスの声。
「……帰ろう」
 目を伏せて、碧海は自分に言い聞かせるように呟いた。
 そうだ。帰ろう。
 自分にはまだ、帰るべき場所があるから。
 帰ろう。

 誰よりも自分を大切に思ってくれている、弟の元へ。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0065/抜剣・白鬼(ぬぼこ・びゃっき)/男/30/僧侶(退魔僧)】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0226/斎司・更耶(ときつかさ・さらや)/男/20/大学生】
【0308/鷹科・碧海(たかしな・あおみ)/男/17/高校生】
【0380/柚木・暁臣(ゆずき・あきおみ)/男/19/専門学校生・鷲見探偵事務所バイト】
【0689/湖影・虎之助(こかげ・とらのすけ)/男/21/大学生(副業にモデル)】
【0733/沙倉・唯為(さくら・ゆい)/男/27/妖狩り】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、はじめまして。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?

 さて、今回登場しました「鶴来那王」「七海綺」は言うまでもなくNPCです。これからも逢咲からの依頼ではちょこちょこと顔を出すと思いますので、またどこかでお会いすることがあるかもしれません。
 もしよろしければ、感想などをお気軽にクリエイターズルームからいただけると嬉しいです。今後の参考にさせていただきますので。
 それでは、今回はシナリオお買い上げありがとうございました。
 また再会できることを祈りつつ、失礼します。