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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡線・仮面の都 札幌>


調査コードネーム:魔導書  〜邪神シリーズ〜
執筆ライター  :水上雪乃
調査組織名   :界鏡線シリーズ『札幌』
募集予定人数  :1人〜4人

------<オープニング>--------------------------------------

 ふむ‥‥。
 トウ・オマの蟠龍洞ですか‥‥。
 そんなところに封印のヒントがあるとは‥‥。
 いささかタイムリーすぎる気がいたしますね。
 そもそも、三浦さまのもとに、そのような情報が入り込んだこと。罠、と考えるのが妥当かと思われますが‥‥。
 いえ、自衛隊の情報収集力を疑っているわけではございません。ただ、守備範囲の違いと申しますか‥‥。
 ええ。判っております。
 たとえ罠でもガセでも、放って置くわけには参りますまい。
 蝦夷蟠龍洞は一般公開されておりますから。
 要するに、我々が動かなければ観光客に被害を及ぼす、ということでございましょう。
 悪辣な誘い口ですが、有効であることは認めざるをえません。
 こちらに選択権を与えず、追い込むやり方。
 まさに、あのものに相応しい計略でございますね。
 ですが、その計算が足下をすくうこともございましょう。
 慢心こそ最大の敵。
 人の底力。ご覧に入れて差し上げましょうほどに。


※邪神シリーズ第5回です。
※バトルシナリオです。推理の要素はほとんどありません。
※水上雪乃の新作シナリオは、通常、毎週月曜日と木曜日にアップされます。
 受付開始は午後8時からです。

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魔導書

 成層圏まで突き抜けるような青空から、燦々と陽光が降り注ぐ。
 吹き渡る風は穏やかで、清涼感に満ちている。
 やはり、この季節の北海道は良い。
 藤村圭一郎は、心地よい大気のなかで深呼吸した。
 以前に訪れたときは厳寒期で、肺すらも凍てつくかと思ったものだ。
「ええ風や。仕事すんのバカバカしくなってまうわ」
 不埒なことを堂々と口に出す。
「仕事をしないのだとしたら、お前は何をしにきたんだ?」
 冷然たる問いかけを紡いだのは、同行者たる和泉怜である。
 蒼い髪と銀の瞳を持つ異相の美女だ。
「‥‥ただの冗談やろが」
 疲れたように反論する黒髪の占い師。
 事実、彼は疲れていた。
 羽田から新千歳まで一時間。そして札幌まで八〇分。この正論人形のような女とずっと一緒だったのだ。初対面だったことも手伝って、会話のスタンスもかみ合わず、精神的にはかなりしんどい。
「なるほど。このようなときには冗談を言うものなのだな」
 怜に悪意があるわけではない。
 心付いたことを、そのまま口にしているだけだ。
「そういうもんや」
 面倒になって、適当に相槌を打つ藤村。
 初対面の占い師と陰陽師が、どうして一緒に北海道を訪ねたかといえば、むろん事情がある。
「よう。待ったぜ、二人とも」
 乙女の像の前に立った事情が、笑いながら手を振っていた。
 巫灰滋。
 何の繋がりもない藤村と怜だが、間に赤い瞳の浄化屋を挟むことで結ぶ線ができる。
 すなわち、彼ら二人を札幌に呼んだのは、巫なのである。
「なんなんや一体。いきなり航空券なんぞ送り付けてきて」
 言いつのる藤村だったが目が笑っている。
 扱いにくい同行者を押し付けることができる、と思っていたのかもしれない。
「あるいは、西岡の件の絡みか?」
 その扱いにくい同行者が質す。
「ああ。嘘八百屋から、頼れる人材って言われたんでな。アンタらに白羽の矢を立ててみた」
 冗談めかした浄化屋の言葉。
 怜が薄く笑う。
「相変わらず、あの男のところには奇怪なものが集まるようだな」
「そういう言い方をすると、俺や藤村や怜も奇怪なものだってことになるぜ」
 苦笑を浮かべて混ぜ返す。
「なるほど。そういうものか。たしかに普通の人間ではないな」
「‥‥そっち方面に納得するなよ‥‥」
「ちょい待ちや。灰滋。俺にも判るように説明してくれ」
 藤村が口を挟む。
 困惑顔であった。わけも判らぬまま北の地に呼び出されれば当然であろう。
「‥‥えーと、ダゴンって知ってるか?」
 巫が説明を始める。
 それは、怜にも聞かせるためであった。
 後で嘘八百屋の資料を確認すれば済むことではあるが、まあ、予備知識を持っておくに越したことはない。
「いや。知らへん」
「ペリシテの邪神だ。その眷属が札幌に現れたところから今回の件は始まったんだ。だが、まあ、メシでも食いながら話そうぜ」
 旅費や報酬などの金銭的な負担は自衛隊持ちだから、浄化屋は気前が良い。
「せやな。立ち話もナンやし」
「わかった。私に異存はない」
 それぞれの為人に応じた返答をする来訪者たち。
 風が、ざわざわと梢を揺らす。


 浄化屋が助っ人を迎えに出ている間、嘘八百屋では簡易作戦会議が行われていた。
 参加者は四名。
 星間信人。武神一樹。草壁さくら。そして、嘘八百屋の主人である。
 なかなか微妙な人選だった。否、骨董屋カップルと、この店の店主は問題ない。
 留意すべきは、骨董に縁のない黒髪黒瞳の青年だ。
 現在時制においての味方。
 だが、未来は‥‥。
「お茶をどうぞ」
 内心の疑念を微笑に隠し、さくらが湯呑みを渡す。
「ありがとうございます」
 受け取る星間も笑顔だった。
 穏やかな表情の裏に隠された感情は、他者に伺い知ることはできない。
 彼は、自分が仲間に疑われていることを知っていた。
 だからといって、くどくどと釈明したりしないあたりが、星間の星間たる所以である。 黒髪の図書館司書としては、べつに現在のメンバーと固い友情で結ばれたいと願っているわけではない。対立する必要がないから共闘しているだけだ。
 さしあたり目的が一致している以上、いがみ合う必要はない。
 いまのところは、それで充分なのである。
 他方、調停者の状況はいささか異なる。
 武神は、星間の心見解ほぼ正確に洞察している。むろん、全ての事情など知るべくもないが、表面に現れた事象から推理を構築することは可能なのだ。
 図書館司書が戦いに参加する目的は、おそらく、彼やさくら、巫などとは異なる。何かを守るための戦いではあるまい。
 もっとずっと積極的な意志があるはずだ。
 では、それを問いつめるのが得策かといえば、事態はそう単純なものではない。
 真理の探究者を自称する星間の知識量は味方の陣営にとって必要なものだし、たとえば彼が離反して勝手に戦いだした場合、元々少ない戦力を分けることになってしまう。
 正面に在る強大な敵に対し、こちらが分裂していては勝算など立てようがない。
「目的が一致している限りにおいては、裏切られる心配もなかろう」
 剛腹な胆力で見切っているのだ。
 これは、かつて茶色い髪の魔術師と共闘したのと同じである。
 結果も同じになるとは限らぬが、それは後々のことにしておいて問題あるまい。
 それにしても、と、思考を進める調停者。
 打算的できちんとした計算が出来る相手の方が、敵としても味方としてもありがたい。
 困るのは、感情のままに暴走するような相手や、無意味に策略を弄ぶ輩である。
 たとえば、ブラックファラオと名乗った青年のような。
 まるで、混乱させるために混乱の種を蒔いているかのようだ。
 最終的な目的は奈辺にあるのか。
 明敏な武神の頭脳をもってしても、解答は得られそうになかった。
「草間か稲積‥‥いや、せめて綾でもいればな‥‥」
 埒もないことを考える。前の二人は遠く東京の空の下だし、かつて敵だった女は入院中だ。助言などできようはずもない。
「‥‥愚痴とは、俺らしくない」
 軽く頭を振って、陰性の思考を追い払う。
 いないものを嘆いても仕方がない。
 彼が知恵を絞って、味方の勝利のための方程式を立てるしかないのだ。
「武神さま? いかがなさいました?」
 軽く決意を固めたところで、嘘八百屋が声をかけてきた。
 心配顔である。
 どうやら、暫し思索の海を漂っていたようだ。
「なんでもない‥‥」
 あまり説得力のないことを口にして、蝦夷蟠龍洞の内面図に視線を落とす。
 一般開放されている場所だけに、ちゃんと地図が存在しているのだ。
「罠を張るとすれば、まずここでしょう」
 白い手袋をはめた星間の指がテーブルの上を滑り、一点に止まる。
 最初の分岐点だ。
「‥‥なぜ、そのように思われます?」
 さくらが問う。
「理由は二つ。一つ目は、罠というものは標的が通らない場所に仕掛けても意味がないからです」
 穏やかな笑みを崩さぬままに、説明を始める図書館司書。
 分岐点をどう進むか、この点を決定することは敵にはできない。たしかに、誘導の仕方としては幾つも方法が存在するが、確実に、という方法はないのだ。であれば、一〇〇パーセント通る可能性のある場所、すなわち入り口から最初の分岐の間に罠を設置するのが最も効率的であろう。
「もう一つの理由は、彼の為人です。ブラックファラオの異称をご存じですか?」
 緑玉の瞳の美女が頭を振り、動きに合わせて金髪が踊る。
「嘲弄するもの」
 詠うような星間の声。
 武神が端然と見返した。
 嘲弄するもの。それは、這い寄る混沌という異名を持つ神の化身。
 調停者は知っている。しかし、さくらは知らない。
 当然のことである。
 普通に生きる人々にとって、否、平凡とはいえないような半生を送ってきた妖狐にとっても、異形の神など馴染みの深いものではない。
 そういうものなのだ。
 問題は、星間が知っているかということである。
 やはり、ただものではないようだな。
 内心で呟きつつ、底知れぬ深淵を抱えた青年の話に再び集中する。
「彼の性格からいって、僕たちを殲滅することに意義を見出すとは思えません」
 もっともである。
 神が人間を倒すのに姑息な罠を用いるとは考えにくい。
 であれば‥‥。
「そのダゴンの手下とやらと俺らを戦わせて、ご本人は高みの見物ちゅうわけや。ゲームを観戦するなら、面白い場面の方がええからな」
 突然、関西弁が割り込んできた。
 藤村である。
 巫も怜もいる。
 どうやら、役者は揃ったようだ。
 戸口に視線を送り、無言のまま不敵な笑みを浮かべる調停者。
 さくらと星間もつられるように笑った。
 しかし、その微笑の質は、わずかに異なっていた。


 当麻町の蝦夷蟠龍洞。
 一億五千万年の太古に形成されたという鍾乳洞である。
 龍の休む場所という意味の洞窟は、静寂のうちに長い歳月を過ごしてきた。
 あたかも、龍の眠りのように。
 だが、静寂は破られた。
 邪神を奉ずるものと、この地を守ろうとするものの手によって。
 剣と爪が絡み合い、魔力と呪術が激突する。
 武神の天叢雲が、巫の貞秀が、怜の妖が、打ち込まれる都度、インスマウスたちは数を減じてゆく。
 もちろん、他の面々も遊んでいるわけではない。
 藤村の氷が敵を永久氷壁に封じ込め、さくらの狐火は火葬の手間を省き、星間の生み出す風が魚人の頚や腕を千切る。
 人間たちは、最初から手加減するつもりはなかった。
 どうやっても共存できない相手である。
 同じ地球の間借り人どうし仲良くしよう、などという原則論を唱えるゆとりはない。
 邪神が支配する世界など想像したくもないし、間借り人だって隣人を選ぶ権利があるはずだ。
 邪神には、この惑星以外で自分の幸福を追求してもらいたい。
「‥‥所詮は数だけか‥‥」
 二、三匹のインスマウスの頚をまとめて斬り飛ばし、呼吸すら乱さぬ怜が呟く。
「あれ? 怜の剣って前に通用しなかったんじゃねえか?」
 ふと疑問に思った巫が訪ねる。西岡での一件を思い出したのだ。
「刃で斬ろうとするから斬れない。だが‥‥」
 応えながら、異相の美女の右手が浄化屋の鼻先を掠める。
 巫の後背に忍び寄っていた魚人が、脳天から股下までを両断された。
「刃先が生み出した風に触れれば、この通りだ」
「‥‥ありがとよ」
 援護するなら言ってからしろ!
 怒鳴りたいところだったが、素直に礼を述べる巫。
「気を付けることだ。いつも助けてやれるとは限らない」
 淡々と、だが、尊大に謝意を受け取る陰陽師。
『ふぉふぉふぉ。一本取られたの。愚孫』
 インテリジェンスソードの声が、浄化屋の精神野に木霊する。
「うるせえ。くそ義爺」
 反射的に反論してから、
「だが、確かに油断禁物だな。そろそろ本気で行くぜ。義爺さん」
『応。望むところじゃ。途中で力尽きて、あの娘を悲しませるでないぞ』
「当然だぜ!」
 霊刀を振りかざし、猫科の猛獣のような動きで敵陣に突っ込む。
 赤い瞳の男の武勇は、最接近戦(ドッグファイト)の中でこそ遺憾なく発揮されるのだ。
 白銀の剣光が閃き、魚人がまとめて壁に叩き付けられる。
 と、その横に、音もなくさくらが舞い降りてきた。
 思わず目を見開いた巫に、嫣然たる微笑を返す。
 普段の清楚さとは異なり、咲き誇る毒花のような禍々しい美しさであった。
 伸ばされた白い繊手が、次々と魚人に触れる。
 ただそれだけで、インスマウスたちが崩れ落ちてゆく。後には、肉の焦げる匂いが残った。躰の内側から焼き尽くされたのである。
 通常の炎では魚人の鱗に阻まれる。酸欠によって戦闘力を奪うことは可能だが、それでは時間がかかるのだ。
 これは、かつてダゴンと戦ったときに使った戦法だ。
 有効性は証明されている。
 魚人ていどに効かぬはずがない。
 天叢雲を携えた調停者が不敵に笑う。
 剣風でさくらを飛ばしたのは彼だ。この剣の能力は攻撃以外にも使用が可能なのだ。
 絶妙のタイミングだった。
 巫とさくらが魚人の戦列に穴を穿ち、藤村と怜がそれを広げる。
 進路は啓開されつつある。
 後は七人全員で突入し、致命的な一撃を与えるだけだ。
 勝利は、ほぼ手中にあった。
 だが、
「一樹さま!!」
 さくらの声で、全員に緊張が走る。
 金髪の美女の指さす先に、人間より二まわりほど大きな姿が現れたのだ。
 三つ。
「そんな‥‥ばかな‥‥」
 嘘八百屋が掠れた声を絞り出した。
 あれは、たしかに封印したはずだ。答えを求めて調停者に視線を送る。
「‥‥つまり、一体ではなかった、と、そういうことだな」
 暗然と呟く武神。
「なんなんや? あれは」
 珍しく緊張した声で藤村が質す。
「ダゴンですよ。個体名ではなく種族名としてのね。より正確には、ディープワンということになりますが」
 答えたのは星間だった。
 どことなく楽しそうである。
「さて。あの下等動物は僕に任せて、皆さんは先に進んでください」
「なに?」
「武神さん。貴方なら判るでしょう」
 相変わらず穏やかな口調の星間。
 そう。たしかに調停者には判っていた。
 ダゴンが出てきたにも関わらず、ブラックファラオや奈菜絵の姿がない。
 つまり、これは敵にとって前哨戦に過ぎないということだ。であれば、ダゴンたちに全力でぶつかって消耗してしまうのは望ましくない。
 ここは、誰かが囮になってダゴンを引きつけ、その隙に他のメンバーは前進すべきだろう。
 戦略家としての武神の頭脳は、すでに正解を導き出している。
 だが、囮のなったものに大きな負担を強いる作戦の実行を、彼の為人が躊躇わせた。
 あるいは、自分が残った方が‥‥。
「足手まといですよ。武神さん。あんなザコ‥‥ふふ、文字通り雑魚ですね。三匹くらい、十分で片づけて後を追います」
 調停者の思考を読んだように図書館司書が突き放す。
「‥‥わかった」
 その自信と、まだ見切れていない能力に賭けるしかあるまい。
 武神らしくない大雑把さで決意する。
 どのみち、長考している時間はないのだ。
「行くぞ! 皆!!」
 自ら先頭に立って駆け出す。
 敵と切り結ぶ回数も極端に少ない。
 ひたすらに奥を目指す。
 他の仲間も、あるいは激励の言葉を残し、あるいは無言で調停者に続く。

「‥‥さて。これで心おきなく戦えますね」
 仲間の姿が見えなくなると、黒い瞳を細めた星間がダゴンたちに向かって声をかけた。
 獲物を弄ぶ猫が舌なめずりをするような声だった。
「僕は武神さんのように優しくないですよ。覚悟はできていますか?」
 怒りの咆哮をあげる邪神たち。
 当然であろう。
 彼らは人間如きに嘲弄されることに慣れていない。
 猛り狂ったように星間に迫る。
「おやおや。せっかく逃げる機会を差し上げたのに、所詮、魚は魚だということですね」
 涼やかに宣言して小さな笛を口にあてる。
 突然、空間が割れた!
 裂け目から巨大な翼が現れる。
 黒くグロテスクな昆虫。
 そう表現するしかないようなモノが完全に姿を現すまで、三秒とは要さなかった。
 一体、二体、三体、四体。
 キーキーと喧しい鳴き声が洞窟に木霊した。
 ビヤーキーという。
 つい先日、ブラックファラオの前で召喚しようとしたものである。あの時は敵の力が強大だったため未発に終わったが。
「下等動物相手に大盤振る舞いしすぎですか?」
 ブラックファラオすら鼻白むような嘲笑。
 仮にも邪神としての称号を持つ相手を、下等動物扱いだ。
 もっとも、星間に言わせれば、ダゴンの主神格すら、
「グレイと・オールド・ワンズの一柱に数える価値もない下等な神」
 ということになる。
 たかがダゴン程度に遠慮する必要などないのだ。
「我が神の眷属の手にかかって死ねるのです。感謝にうち震えながら滅びなさい」
 右手があがる。
 二体のダゴンに四体ビヤーキーが襲いかかる。
 本来なら、個体の能力差でいえば、ダゴンとビヤーキーでは前者に軍配が上がる。
 しかし、星間は召喚する位置にに意を用いたのだ。
 ダゴンたちを包囲する形で。
 これならば、左右両側の邪神は二対一の劣勢に追い込むことができる。
 凄まじいまでの戦略眼であった。
 中央のダゴンが呆然と立ち竦む間に、相次いで左右の邪神が地に倒される。
 すでにして兵力差は四対一。
 勝敗の帰趨は明らかだった。
 このように、圧倒的な兵力差をもって戦いに望めば、勝算は極めて高い。しかも、味方の損害をほとんど計算に入れる必要はないのだ。
「この程度の策も読めないとは。所詮は魚並の頭ということですか」
 倒れ伏す邪神と、勝利の声をあげるビヤーキー。
 酔漢の悪夢のような光景を眺め、なお言葉を繋ぐ。
「さて。まさかこれで終わりということはないでしょう。出てきたら如何です?」
 闇に向けた問いかけ。
 やがて、浅黒い肌の青年が姿を現す。
「残念ながら、ここでの仕掛けはおしまいだよ」
「べつに残念だとは思いませんよ。こうしてお会いできたのですから」
「ふふ。策士だね。一人で残ったのは、こういう局面を作る為だったわけだ」
「最初から判っていたことでしょうに」
 軽く答えながらも、背筋を氷塊が滑り落ちる。
 やはり単独での対面は巨大な重圧だった。
「で? なにか話があったんじゃないのかい?」
「単刀直入に言います。我が主(こちら)につきませんか?」
「ふふ。答えを聞きたいかい?」
「いいえ。判っておりますから。ただ、理由をお聞かせ願えれば幸いですが」
「判るだろう? 今の段階でアイツを助けても面白くないからね。ゲームは接戦の方が面白いよ」
「なるほど。あの下等神より我が主が上だと認めてくださるわけですか。当然のことなのでお礼は申しません」
「奈菜絵くんが聞いたら、目を三角にして怒りそうな台詞だね」
「魚の下僕ごときがどう思おうと、知ったことではありませんね」
「そう言うと思ったよ。じゃ、そろそろ行くよ。せっかくのショーを見逃すわけにはいかないからね」
 踵を返し歩き出す青年。
 無防備にも見える後ろ姿。だが、星間は動けなかった。
 代わりに、キーキーとビヤーキーたちが威嚇する。
「‥‥およしなさい‥‥無駄に死ぬだけです。ご苦労さまでした‥‥」
 疲れたように押しとどめ、図書館司書が再び笛を吹く。
 空間が割れ、風の眷属たちは虚空へと還っていった。


 さて、洞窟の最深部では、奈菜絵が人間たちに追い詰められていた。
 もはや、身辺を守る魚人もいない。
「もう逃がさねえぜ。覚悟は完了したか?」
 油断なく貞秀を構えた巫が、じりじりと迫る。
 降服勧告などという愚かな行為をいまさらしようとするものはいなかった。
 武神、藤村、さくら、怜、嘘八百屋を含めた包囲の鉄環が狭まってゆく。
 と、突然、奈菜絵が哄笑した。
 恐怖のあまり気が触れたのだろうか。
 然らず。
 それは、追い詰められた者の笑いではなかった。
「逃げられないのは貴方たちの方です!」
 無造作に、足下の岩を蹴り転がす。
 そこに落ちていた何かと一緒に。
「なんや? 本?」
 目前に落ちてきたそれを、藤村が拾い上げた。
 攻撃としてはおかしすぎる。
「‥‥えらいベタベタしとるなぁ。蜘蛛の巣だらけや」
 何気ない呟き。
 それは、小さな棘のように調停者の精神に不快な刺激を与えた。
 洞窟‥‥蜘蛛の巣‥‥本‥‥封印‥‥。
 このフラグメントが示すものは‥‥。
「いかん! 皆、この場から離れろ!!」
 理解は恐怖を呼び、警告の叫びを掠れさせる。
「気が付きましたね。さすがは調停者‥‥」
 奈菜絵の声。
「だけど、少し遅かったね。アイツの封印は、今、解かれたよ」
 ブレザー姿の女子高生の背後に突如として出現した男が、穏やかに口調で人間たちを嘲弄した。
「てめえ!」
 巫がいきり立つ。
 が、その肩を怜が掴んだ。
 意外な膂力にたたらを踏む浄化屋。
「やめておけ」
 静かな声で押しとどめる。
「‥‥なにか、きます‥‥」
 さくらの声も、わずかにうわずっていた。
「ふふ。さすがに女性陣は鋭いね。女の勘ってヤツかな? それとも、人間にはない特殊能力ってやつ?」
 思い切り揶揄するように言って唇を歪める浅黒い肌の青年。
 彼と、彼に抱かれた奈菜絵の姿は闇と同化しつつあった。
「ふふ。もし君たちがこのゲームに勝てたら、その魔導書をあげるよ。じゃ、がんばってね‥‥」
 語尾に、大音響が重なった。
 行き止まりだったはずの洞窟の壁が割れたのだ。
 否、割れたのは壁面ではない。
 空間だ。
 剛毛に覆われた前足が現れる。
 息を呑んで見守る人間たち。
 安物の特撮映画でも見ているような非現実感だった。
 やがて、それが全身を人目に晒す。
 全体としては蜘蛛に似ている。
 だが、人間より大きな蜘蛛など存在しないし、人間の頭部を持った蜘蛛も存在しないだろう。
「なんなんや!? こいつ!!」
「アトラック・ナチャ。旧支配者。封印された邪神の一柱だ」
 藤村の問いかけに答える武神は、落ち着いていた。
 復活を遂げた以上、もはや逃れる術はなかろう。
 戦って勝つことに活路を見出すしかあるまい。
 卓抜した胆力によって、すでに心定めている。
 とはいえ、相手はまがりなりにも神だ。並々ならぬ覚悟が必要であろう。
 その思いは、一瞬で仲間たちに伝播したようだった。
 座して死を待つほど悟りきったものはいないのだ!
「行くぜ! 怜!」
「承知」
 浄化屋と陰陽師が突進する。
 ともに積極攻撃型に属する二人である。
 神だろうが悪魔だろうが、怖じ気づくものではない。
 と、二人の位置が突然変わった。
 単純なフェイントだ。
 たいして効果があるとは思えないが、やって損になることではない。
 案の定、人蜘蛛の紅い瞳が正確に二人をトレースする。
 だが、このフェイント自体が囮なのだ。
 アトラック・ナチャの注意が逸れた瞬間、藤村が生み出した数十の雹が機関銃の弾丸のように、剛毛に包まれた怪物を襲う!
 しかし、
「あちゃ。やっぱ効かんのかいな」
 さして残念そうでもない藤村の声。
 元々、この程度でどうにかなるような相手だとは思っていない。
『波!!!』
 声まで揃えて、巫と怜が斬りかかる。
 たとえ一瞬でも、占い師が作ってくれた隙に乗じるのだ。
 もちろん胴体へ直接攻撃は不可能である。
 まずは足の二、三本も斬り落とし、動きを鈍らせねば。
 左右からの強烈な斬撃!
 足が二本千切れ飛び、激しく身をよじる人蜘蛛。
 いける!
 誰もがそう思った。神とはいえ、人間の攻撃は効果があるのだ。
 が、振り回された足の一本が、怜を捉える!
 異相の美女の華奢な身体は、数メートルも吹き飛ばされ、壁に叩き付けられた。
「大丈夫ですか!?」
 駆け寄るさくら。
「問題ない」
 何事もなかったかのように身を起こす怜。
 と、その身体が傾ぐ。
「‥‥どうやら、左足の腱が切れたらしいな。仕方あるまい。援護に徹するから前線に戻れ」
 痛みに顔をしかめる、という行為すらせずに淡々と告げる。
 とっさに支えたさくらが、心配顔をした。
「心配ない。じきに自然修復する」
 安心させるように伝える陰陽師。
 これは、彼女の成長であるかもしれない。
 以前なら、このような気遣いとは無縁だったであろう。
 むろん、このときも前線では苛烈な戦いが続いているが、接近戦を行うものが減ったため、戦況は芳しくなかった。
 氷の防壁ごと藤村が吹き飛ばされる。
 強力な能力者である彼だが、なにしろ武器を持っていないので、接近戦の不利は否めない。
 なんとかフォローしようと、武神、巫、嘘八百屋の三人がアトラック・ナチャと斬り結ぶ。とはいえ、調停者と浄化屋はともかくとして嘘八百屋の武器は短刀だ。牽制にすらなっていないのが現状であった。
 だが、これこそが藤村の待っていた瞬間であったのだ。
 人蜘蛛の注意は周囲を跳びまわる人間どもに集中している。
「今や!!!」
 叫びとともに、猛烈な勢いでアトラック・ナチャの足が凍結してゆく。
 地面に縫いつけられるように。
 同時に、天井に氷塊が出現をはじめていた。
 下を向いた円錐形。
 つららだ!
 一抱えはありそうなそれが直撃すれば、如何に邪神とはいえ只は済むまい。
 足を止めてから出現させるあたり、占い師の芸の細かさである。
 咆哮とともに頭上を見上げる人蜘蛛。
 無事な足を伸ばし、つららを破壊しようとする。
 そして、それは完全に成功した。
 粉々になる氷槍。
 このとき、アトラック・ナチャは気が付いただろうか。
 自身に降り注ぐ氷の破片が極端に少ないことに。
 あたかも、中が空洞だったように。
「残念やったな! こっちが本命や!!」
 藤村の声!
 邪神を包み込むように氷が成長する!
 頭上のつららは、最初から囮だったのだ。
 否、そもそも、防御氷壁を打ち砕かれたことすら、彼の計算である。
 たった今、彼が作った氷柱は、大きさといい厚さといい、能力の全てをあげなくては形成できないものだった。失敗すれば後が続かない。
 したがって、二重三重に罠を仕掛ける必要があった。
「俺はこう見えても小心者なんで、あんまりストレートなことはできへんのや」
 不敵な軽口も、大仕事を終えた後なればこそだ。
「‥‥せやけど、もう限界や。飴玉ほどの氷もつくれんで」
 尻餅をつく。
 さすがに疲れた。できれば、このまま手足を伸ばして眠ってしまいたいところだ。
 しかし、占い師の安心は早計に過ぎた。
 ぴしりと鈍い音をたてて、氷柱に亀裂が生まれる。
「嘘‥‥やろ‥‥」
 絶望の呻き。
 もう、打てる手など残っていない。
 然らず!
 このとき、じっと邪神の氷付けを見つめていた武神には、一つの思惑があった。
 それは、凄まじいとしか表現のしようのない作戦だった。
「さくら! ありったけの焔を!」
 有無を言わさぬ指令。
 せっかく、つくった氷を溶かしてしまうつもりなのか?
 疑問を抱きながら、金髪の美女が炎を生み出す。
 その瞬間、浄化屋の頭脳にも天啓が奔った。
「俺もやるぜ!」
 叫んだ巫の右手から、数条の火線が氷に伸びる。
 物理魔法だ!
 同時に、さくらの狐火も氷柱に激突した!
 巨大な爆発!!
 これこそ、武神の目論見だった。
 極高温の火焔と極低温の氷が接吻したとき、何事が生じるか。
 その答えがこれである。
 曰く、水蒸気爆発という。
 もちろん、爆心地にいるアトラック・ナチャが、無事で済むはずがない。
 爆発が収まった後に残っていたのは、体組織の八割強を消失した哀れな邪神だった。
 それでも、なお蠢いている。
 たいした生命力といえよう。
 むしろ憐れむように、調停者が歩み寄る。
「‥‥人の知恵が神の力を越えることもある。この地を貴様らの自由にはさせん。絶対にだ。永久に瞑れ‥‥邪神アトラック・ナチャ」
 白く輝く両手。
 やがて邪神は身体は、砂の城ようにさらさらと崩れてゆく。
「‥‥終わったな」
 貞秀を鞘に収めた巫が歩み寄ってきた。
「‥‥そうだな」
 応える武神は、一瞬の沈黙を先立たせた。
 なにも終わってはいない。
 ブラックファラオと奈菜絵が、まんまと姿を消したからだ。
 それでも、陰性の思考に身を委ねたくないときもある。
「そうだな。とりあえず、大物を倒したのは事実だ。過剰な期待は禁物だが、奴等への牽制になるかもしれん。これで、やっと東京に戻れるな」
 笑みをたたえる。
「そうですね。蘭花さまも、きっと寂しがっておりますよ」
 微笑を返すさくら。
「では、我々の仕事も終わりだな」
 もう歩けるほどに回復している怜が近づきつつ言う。
「ちょい待ち。その前に、あのスカした餓鬼が置いてった本。これ、いったい何なんや?」
 ようやく身を起こした藤村。
 むろん、その解答を持ち合わせているものはいないはずなのだが‥‥。
「ネクロノミコン。キタブ・アル=アジフ(野獣の咆哮の書)と呼ばれる魔導書ですよ」
 突然の声に全員が振り向く。
 視線の集中砲火を浴びて、白い手袋をはめた図書館司書が立っていた。
 いつものアルカイックスマイルを浮かべながら。
 洞窟の中に、何故か微風がそよぐ。


                     終わり
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0377/ 星間・信人    /男  / 32 / 図書館司書
  (ほしま・のぶひと)
0173/ 武神・一樹    /男  / 30 / 骨董屋『櫻月堂』店主
  (たけがみ・かずき)
0146/ 藤村・圭一郎   /男  / 27 / 占い師
  (ふじむら・けいいちろう)
0143/ 巫・灰慈     /男  / 26 / フリーライター 浄化屋
  (かんなぎ・はいじ)
0134/ 草壁・さくら   /女  /999 / 骨董屋『櫻月堂』店員
  (くさかべ・さくら)
0427/ 和泉・怜     /女  / 95 / 陰陽師
  (いずみ・れい)

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■         ライター通信          ■
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お待たせいたしました。
「魔導書」お届けいたします。
ちょっと長いお話になった上に、微妙に続き物っぽい終わり方です。
楽しんでいただければ幸いです。
それでは、またお会いできることを祈って。

☆お知らせ☆
6月13日(木)の「界鏡線」新作シナリオは、都合によりお休みいたします。