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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:上海風水人形
執筆ライター  :立神勇樹
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜5人

■オープニング■
 中国の経済中心はずっと南――蘇州にあった。
 やがて蘇州など中国各地の金持ちや夢追い人は上海に集い、龍を導きそこに魔都をつくった。
 彼らはまた香港へと逃れた「龍」を追いかけ今の「香港」をつくった。
 そして流れはまた上海へ戻り、勢いのまま大陸の外へ出ようとしている。
 決して渡してはならぬ。反らしてはならぬ。
 ――風と水の流れによって作られし、見えざる「大陸の龍」を。

「護衛?」
 いつもより一オクターブ低い声で草間武彦は聞き返した。
 彼の目の前には、常に小春日和の笑顔を浮かべる警察庁の調査官――榊千尋と、白い陶磁器の肌と精巧な目鼻立ちをした人形じみた・十二才程度の少女が、一人前に榊と肩を並べちょこんとすわっていた。
 いや、ただの少女ではない。
 少女が身にまとっているのは、金糸銀糸で鳳凰が縫い込まれた純白の中国服であり、少女が物珍しげに興信所のあちこちに顔をむけるたび、大きな翡翠のイヤリングがゆらと揺れ、白檀のくすぐったいような甘い香りが室内に広がる。
 まだ幼い瞳は日本人と同じ漆黒であるにも関わらず、どこか広く高い風の流れを――大陸の空気を感じさせた。
「そう。彼女の護衛です」
「どこまで?」
 日本語がしゃべれないのか、少女――緑(リュー)と名乗った――は沈黙のまま、黒檀の瞳で草間の唇の動きを面白そうに眺めている。
「さあ? どこでしょう。リューが行きつく先まででしょうかね?」
 微苦笑のまま告げ、榊は警察官にしては繊細な指先でコーヒーカップをはじいた。
「観光の護衛か? ローマの休日じゃないんだぞ」
「わかってますよ。が、ウチからは護衛を出す訳にはいきませんし。かといって断ると外交上の問題があります」
「外交上? なんで小娘一人の護衛がそんな大事になるんだ?」
 目を見開いた草間の前に、いつもより多めの金額が書き込まれた小切手を榊はひらつかせてみせた。
「大事にもなるでしょうよ。今まで中国がその体内に囲っていた龍がソウルを得て、この東京に襲いかかろうというのですから」
「ちょっとまて、龍って?!」
「ああ。風水龍ですよ。どうも龍の流れを導く龍脈を作る基点の一つが動かされ、中国の体内を巡っていた「風水龍」が逃げだし、この東京にある「火」を象徴する塔を襲おうとしているらしいんです。で、あの国はソレをとめたい。だから龍を止められる力もつ娘……緑(リュー)を、我々に脅迫紛いの外交で押しつけた」
 何故? と聞きかけて草間は口を閉ざした。聞いた処で榊は決して答えないだろう。
「風水龍は「四神相応」の地に上手く閉じこめるとあらゆる「気」のエネルギーの恩恵を受けるといいますからね。上海しかり、香港しかり――そして日本の京都しかり。ですよ。京都は風水上有効な土地であったからこそ「世界でもっとも長く王都であった地」でいられたという説もありますし。しかしそれだけ莫大なエネルギーを持つが故に、「四神相応」の調和の檻から放たれた場合、洪水のように力――この場合は龍ですか。が、流れ出す」
「で、もし失敗して龍がその「龍脈の基点」とやらに導かれ「火」を象徴する塔を襲ったらどうなるんだ?」
「おそらく東京は経済的にも物理的にも大きな被害を被ることになるだろう――というのがあくまでも「あちら側」の言い分です。まあ、それを全部信用して正義ゆえにあの国がこの東京を気遣ってるなんて、カケラも思いませんけれどね」
 聖母のような柔らかな微笑みで、辛辣な事を言うと、横目でちらりとリューを見た。
「ともかく、今回は危険ですよ。なにせ相手は銃を使うことも辞さない――流氓達ですから」
 ぽつりとつぶやいた榊だが、その瞳は全てを裏切ろうとする堕天使のように、冷たい怒りに燃えていた。


■13:00 草間興信所前■

「では、私はこれで」
 少女をシュラインに預けながら榊は立ち上がった。
 柔らかな声の余韻が耳をくすぐる。
 優雅な、それでいて毅然とした動作は彼が警察官だからなのか、それとも生まれてから培われてきた天性のものなのか。
 空気に流れ踊る舞妓のように洗練された動きで立ち上がる榊を見て、碧海はあわてて目線で彼の動きを追った。
 と、碧海の動きに気づいたのか、榊が立ち止まりかすかに目を見張った後で微笑んだ。
 千尋さん、と言おうとして、それが出来ない自分が居た。
 唇はかすかに開くのに、何故か喉の奥から声が出ない。
 しゃべれない訳じゃない。ただ、戸惑っているだけ。
 話しかけて迷惑にならないだろうか、仕事中なのにとイヤな顔されないだろうかと、そんなつまらないことばかり考える臆病な自分が喉を締め付け声を封じ込めている。
「碧海君」
 どうすればいいのかわからずぼんやりと立ちつくしていると、榊が大人らしい優しさで微笑みかけてきた。
「久しぶりですね」
 黒水晶を紡いだような、細く透明感にあふれる髪の上に手を置き榊が小首をかしげた。
 碧海より十近くも年齢が離れているというのに、少年じみたその仕草は彼にとても良く似合っていた。
 今、誰かが自分をみたら、鉱石じみた白銀の瞳には彼――榊千尋しか映っていないのがばれてしまうだろう。
 そんな考えが頭に浮かび、知らず知らずのうちに頬が上気していくのが自分でもわかった。
 いけない、このままでは誤解されてしまう。
 自分が誤解されるのは仕方ない。けれど、千尋さんが誤解されて、草間さんにからかわれでもしたら、きっと迷惑だろう。だから、何か言わなくては。
 そう思うのだが声が出ない。声がでないから余計に申し訳なく碧海はうつむいてしまう。
 いつの頃からだろう。自分の心より人の心を考えるようになったのは。
 否。
 人の心に自分がどう写るのかが気になったのは。
 ――それはあまりにも遠すぎて思い出せない。
 銀色の瞳。ごく一般的な日本人にはあり得ない瞳を原因にいじめられた幼い頃からか。
 それとも、自分の力が怖い、と感じ始めた頃からか。
 この力で誰かを傷つけるかもしれない、というぬぐい去れない不安に取り憑かれた頃からか。
 念動の力を持ち、霊や魔物をうち倒す波動を放つ碧海ではあるが、心に取り憑いた不安だけはどうにもならない。
 傷つけ失うくらいなら、最初から他人と関わり合いにならない方が良い。
 そのほうが、きっと良い。
 ――なのに。
 榊はそれを許さない。
 何の事件だったのだろうか。ずいぶん前に榊は京都にある碧海の実家――京都の神社に現れた。
 境内に植えられた白とも薄紅ともつかない桜の古木が、何かを悲しむかのようにはらはらと舞い散る朝だった。
 要領よく逃げ出した弟の変わりに境内を竹箒で掃き集めていた時、宮司である祖母と話を追えた榊が本殿から出てきたのだ。
『綺麗な桜ですね』
『ここの神社の方ですか?』
『さっき逃げていったのはお兄さん? え、ああ。弟さん。そうですか、実は私も弟より身長が低くてよく間違われるんです』
 彼は春の陽光そのままの笑みで、少しずつ、しかし話をとぎれさせないような絶妙なリズムで、次々から次へと話しかけては、鮮やかに碧海から言葉をひきだしていったのだ。
 弟の碧にいわせれば「腐れでも警察官。だから尋問が上手いだけだろ」という処らしいのだが、榊にはどこか、人に拒絶する事を許さない何かがある。
 それは強制的で鋭い気配ではなく、むしろ外側から包み込み相手ごと取り込もうとするような迂遠で、それでいて心地よい気配だ。
 だから如何に碧海が心を閉ざし言葉を封じ込めても、無意味だったのだ。
 かまわないでください、と言うと大概の人間は「そんなことを言うな」と碧海を叱りつけ、悲しんだ。
 けれど榊は最初に出会った時のままの微笑みを浮かべ、「本当に?」と聞き返してきただけであった。
 そして肩をすくめて「そうは見えないなぁ」と笑い飛ばしてみせた。
 傷つけたくないから、失うのが怖いからと拒絶しても、そのたびに彼は笑って優しく頭をなでながら聞くのだ。
 ――本当に?
(でも最近、少し千尋さんの様子がおかしいような気がする)
 出来れば榊と、千尋さんと一緒に動ければいい。
 銃なんか使われたら盾になるくらいしか出来ないのだけれど。
(それでも千尋さんの仕事が上手く行って、千尋さんが無事なら……別にそれでもいいか……)
 そんな事を考えながら、榊と草間が話すのを聞いていたのだ。
 ゆっくりと顔をあげて、自分の頭の上に手を載せたまま微笑む榊を見る。
 あの時と同じだ。
 初めて出会ったあの日も彼は自分の頭の上に手をのせ、碧海の頭に舞い降りた桜の花びらを払いながら笑っていた。
「千尋さん」
 ようやくの事で彼の名前を呼んだ瞬間、無粋な電子音がして、榊の携帯電話が鳴りだした。
 彼は苦笑しながら携帯電話を取り出すと、表示画面を見るなり口を開いた。
「ごめんなさい。部下から連絡が入りました、すぐに警察庁に戻らなければならないみたいです」
(そうだよな……)
 依頼をうけたからといって、榊と一緒に居られる訳ではない。
 少し――いや、かなり残念に思いながら碧海がため息をつくと、榊が扉の処で振り返った。
「後で合流しますよ」
「え?」
「だから心配しないでください。碧海君も、気を付けて」


■14:30 浜松町■

 東京をぐるりと巡る山の手線を浜松町でおりると、東京タワーはすぐそこだった。
 緑をさりげなく取り囲むようにして、シュライン・隆之介・碧海は駅を出る。
 同じ山手線沿線の新宿や池袋と違い、旧芝離宮庭園、浜離宮庭園、そして芝公園と駅前に多く緑もつ公園を有しているためか、町並みはずっと落ち着いている。
 駅前にある貿易センタービルを仰ぎ、増上寺の横をすり抜けるように歩いていけば目的地である東京タワーには苦なくたどり着ける。
「わからないわね」
 薄暗く曇り始めた空をみあげながら、シュラインは眉根をよせた。
「依頼側も敵対側も何を狙ってるのかしら? 止めたいってより、持ち帰りたいっつかほしい筈よね龍の力。自分たちの都合の良い流れに持って行きたいって処?」
 あごに手を当てうーん、とうなる。
「そうなんだよな」
 ポケットから流行のセルロイドフレームの薄い色つきグラスをとりだし、鼻の頭にのせながら隆之介が相づちをうつ。
 飛び出した緑は、興信所から一番ちかいJRの駅にかけこみ、にっこりと笑いながら山手線沿線の浜松町を指し示して見せたのだ。
「「火」を象徴する塔……ねぇ。……東京タワー? いや、まったくの勘だけど」
 両手をポケットにつっこみ、駅の周囲を珍しそうにきょろきょろと眺め回す異国の少女を眺める。
「日本列島に限ってみると富士山が太祖山となり、そこから発した龍脈は皇居あたりで穴を結んでる……と聞いたことがあります。その南……火を司る方向に東京タワーがあるので、多分それで間違いないと思います」
 ひっそりと、黙っていればそこに居ることすら感じさせない危うげな存在感を持った少年――碧海が、静かに、しかし自信をもって答えた。
「龍穴がある辺りは、皇居の他に政府の機関が集中しているから……龍が暴れると確かに色々と大きな被害が出てしまうかもしれません」
 実家が京都……日本最大の風水都市にある為か碧海は若干風水の知識があった。
「碧海君、物知りねぇ」
 携帯電話をチェックしながらシュラインが、感心した様子でうなづく。
 未成年二人と女だけでは荷が重いだろう、と何度か草間興信所の仕事を手伝ってくれた中島文彦と駅前で待ち合わせ中なのだ。
「そんな……ただの受け売りです」
 かすかに頬を上気させながら、うつむく。
「それに、考え込むよりも女の子と一緒にいて守ってあげる事の方が大事だとおもうし。俺があれこれ考えても緑ちゃんが行き着く場所がわかるわけでもないし」
 あわててつけくわえる。と、隆之介はにやりと笑いながら碧海の背中をたたいた。
「そのとおり。何はともあれ緑の行きたい所につれてってやればいいんだろ?」
 何かのキャンペーンなのか、銀色に輝く素材で作られた魚の形の風船を配っているピエロを、物珍しげにみる緑と碧海を交互にみたあと、ウィンクをしてみせる。
「せっかく東京に来たんだ。観光もどきも少しはあったほうが緑もうれしいだろうよ」
 言うなり、風を切る獣……まるで狼のようなしなやかな動きで車の行き交う道路を横切り、ピエロから風船をひとつひったくり、緑の手首に風船をつなぎ止める糸を結びつけてやる。
 緑は驚いたように眼を見開いたあと、初めて蝶が飛び立つのをみた子供のように無邪気にわらった。
「さあ、何か食べたいものがあるか? バイト代はいったばっかりだから今日の俺は気前がいいぞ」
 ふわり、と緑を抱き上げる。
 刹那、違和感があった。
 先ほどまで柔らかかった筈の緑の身体がかすかに固く感じられたのだ。
 そう、有機物ではなく、無機物のように。
(――え?)
 驚きにあわてて緑を地面におろし、自分の手をじっと見つめる。
(どういうことだ?)
「どういうこと?!」
 自分の気持ちを代弁したかのようなシュラインの叫びに、身体をびくつかせ、隆之介は振り返る。
 それと同時に唐突に緑が空を見上げ、一言高く叫んだ。
 リュー…………。
 高く、切ない声が駅前のざわめきを貫き辺りに響く。
 驚きに周囲の人間が振り返った瞬間、大粒の雨が地面を叩き始め、遠雷がうなり始める。
「何が……」
 碧海が狼狽をそのままに隆之介をみた。
 雷光が光る。
 紫がかった閃光が空一面を覆う厚い雲に陰影を刻みつける。
 それはまるで天空を走る「龍」の叫びに見えた。
「おい、緑が!!」
 突然の気象の変化に驚いているうちに、中国の少女は三人の眼をはなれ、道路向こうを人と思えない早さで駆け出し始めていた。
 「火」を象徴する、東京タワーへと。


 ■17:00 東京タワー展望室■

 まるで重さを感じさせない動きだった。
 妖精のように、あるいは彼女だけ重力の支配から逃れているのだといわんばかりに、かろやかにつま先がアスファルトを蹴り、風をないでは着地する。
 彼女よりずっと体力的に上であり、人より優れた身体能力をもつはずの隆之介ですら、近づくことはできても、彼女に触れることはできなかった。
 心臓が肋骨という檻をうち破って、身体の外にでてしまうのではないかと恐ろしくなるほど鼓動がたかまっていた。
 なのに何かに引き寄せられるかのように、足を止めることが出来ない。
 否、止めればきっと良くないことが起きてしまう。そういう不安が絶えずまとわりつく。
 シュラインは雨に濡れた髪が頬に張り付く不快感に顔をしかめながらも、前を走る緑を追いかけ続けた。
「シュライン!」
 聞き慣れた知己の声が唐突に鼓膜を震わせた。彼だ。
 中島文彦――もとい張暁文は東京タワー前の道路でタクシーを降りた所だった。
 そして降りるや否や状況を把握し、シュラインや隆之介、そして碧海と共に緑を追いかけ始める。
 本来なら彼の持つ特殊能力、テレポートを使いたいところだが、いかんせん人目がありすぎた。
 人混みをすり抜け、かけ続ける美しい中国的美少女は嫌が応にも目立つ。
 彼女をテレポートで捕まえれば、きっと目立つ以上の大騒ぎになってしまうだろう。
「チッ」
 舌打ちをして地面を蹴る。
「来たぞ! 捕まえろ!!」
 東京タワーの入り口に居た男達が緑の姿をみて、色めきだつ。
 かすかに揺れる声のイントネーションから、彼らが日本人ではなく上海人……流氓達であることを察知する。
(どうする?)
 いざというときに――東京が破壊されるまえに「緑」を、――あの風水人形を殺せ。
 王老人と富春の真意が脳裏に浮かんでは消える。
 しかし「中国」は東京の破壊を望んでいる。
 ――どちらを、選ぶ?
「くそったれ!!」
 叫びしな、緑に手を伸ばしてきた男を殴り飛ばす。
「勝手な都合で人を動かそうとしやがって! ガキの使いじゃねぇんだぞ?!」
 懐から銃を取り出そうとしたアロハシャツの男の鳩尾に鋭い蹴りをたたき込む。
「シュラインさん! あれ!」
 碧海が悲鳴の様な声をあげる。
 と、緑は従業員と流氓の腕をすりぬけ、大展望室へと向かう階段を上り始めていた。
 白い中国服の裾が翻る。
 緑色の翡翠のイヤリングが雷鳴をうけて鮮やかに光る。
 閃光と轟音が同時に鳴り響き、辺りを白に染め上げる。
「リュー!!」
 シュラインが叫ぶ。しかし少女の耳には届かない。
 緑を追いかけて階段を上ってくる流氓の一人を、隆之介と暁文が同時に蹴り飛ばす。
 と、男はバランスを崩し、深紅に塗り込められた鉄の階段を仲間を巻き込みながら、転がり落ちていく。
「どういうこと!」
 階段を上りきったところで、聞き慣れた声がした。
 沖縄で同じ「依頼」をこなした湖影華那と黒月焔。そして二人の背後にひっそりと立つ優雅な男――沙倉唯為が、驚きもあらわにシュライン達を見ていた。
 事件に引き寄せられた7人にかまうことなく、緑は大展望台1Fに転がり込み、辺りを見渡す。
 瞬間、大展望台にあるカフェに銃声が響いた。
「やれやれ、王老人も眼が衰えたか。ここまで来るまでに始末してくれるかとおもっていたんですがね」
 黒髪をオールバックになでつけた、金縁眼鏡の男が中島文彦こと張暁文をにらんだ。
 彼の握る銃から放たれた弾丸から寸でのところで逃れた緑は、赤い鉄骨に寄りかかりながら、タワーの天井を黒檀のようなその瞳でにらんでいた。
「アンタ、誰よ」
「威 富春(ウェイ・フーチュン)、とだけ言っておきますよ。レディに名を名乗らないのは失礼ですから」
 酷薄な笑みを浮かべて言う。
「タダのちんぴらの親玉だろ」
「同感だ、先に銃をはなっておいて、今更紳士ぶるのはいただけないな」
 焔と唯為が嘲るように言う。
 と、富春は結構、と一声吐き捨てると芝居がかった動作で指を鳴らした。
 とたんにそれまでカフェに居た背広の男達が、客の仮面をかなぐり捨てて銃を取り出し、緑の方へ差し向けた。
「させるか!」
 焔が叫ぶ。
 とたんに顔に、否、全身に彫り込まれた「龍」が熱をはなちだす。
 黒い墨で書かれた線の一本一本が焔の身体から立ち上る熱と相乗し、ほのかな光を放ち出す。
 そして、龍と焔、双方の瞳が血よりも鮮やかに、錆びた月よりも眩く深紅に煌めいた。
「地獄に、堕ちろ」
 つぶやいた瞬間、焔をみた流氓たちが頭を抱えて悲鳴をあげ、銃を取り落とす。
「蛇が! 蛇が! 蛇がぁああ!!!」
 訳のわからない言葉を男達は繰り返す。おそらく彼らの脳裏をのぞき見れば、無数の蛇が己の身体をおおいつくし、毒牙を突き立てるというおぞましい光景が見られたことだろう。
 それこそが焔のもつ「龍眼」の見せる、悪意ある幻影、人の神経をさいなむ催眠の術であった。
 多くの流氓達が焔の見せる「龍眼」の幻のに苦痛を訴えるなか、富春の側に控えていた深紅の中国服の女性だけは落ち着いてハンドバッグから何らかの紙を取り出していた。
「符呪!」
 流氓であり、大陸の文化に知悉している暁文が女の次の行動を察知して叫ぶ。
 しかし一瞬遅く、女の唇がうごめいた。
「吾以日洗身・以月錬真・仙人輔我・日月佐形・二十八宿・與吾合并・千邪萬穢・逐水而清・急急如律令!」
 そう唱えたかとおもうと、朱色の丹砂で呪が書かれた紙が裂け、透明に透けるミミズのような長いぬめぬめとした生物が現れる。
「三巳虫か!」
 オカルト全般に精通する焔が忌々しげにつぶやく。みるだけで吐き気を催すぶよぶよとした白い虫は、人に取り憑き死をささやき続ける、中国の呪虫「三巳虫」であった。
 三巳虫はぬめり動きながら、まっすぐに焔と華那、そして唯為の居る方向へと恐るべき勢いで床をはい回り近づいてくる。
 大の男でさえ恐れをなし、逃げ出したくなる光景に、沙倉唯為は、まるで場違いな柔らかい余裕の笑みを浮かべた。
「櫻唯威の名の元に、汝、緋櫻の戒めを解き放つ……」
 歌うように豊かな抑揚で言い、水の中をひらめく魚のようにその腕が空に捧げられる。
 と、あわやかな桜色の光が唯為の周囲に灯ったかとおもうと、その手に集い「刀」の姿を作り出す。
 平安時代から代々「妖」の者を狩ってきた「櫻」の総本家当主だけが使うことを許される「緋櫻(ひおう)」の一降りであった。
 束をつかみ、流れるような動作で腰をおとすと、唯為は居合いの構えそのままに刀を抜き放ち、三方向からそれぞれ襲いかかってくる、三位一体の呪虫・三巳虫を一刀の元に切り捨てる。
 光のような白刃がぬめった皮膚を切り裂いた刹那、血の変わりに無数の花びらが吹き出し、周囲に降り積もる。
 それは季節はずれの桜の乱舞であった。
 そして三巳虫がうち倒された瞬間、術師である女が顔を歪め、喉をかきむしりばったりと倒れる。
「人を呪わば穴二つ。中国にはありませんか?」
 冷たく笑いながら唯為が聞く。
「形成逆転だな、おい」
 焔が聞いた瞬間、富春は暁文をちらりとみて高らかに笑い出した。
「お前達は騙されてる! 緑は龍に力を与える存在。この東京タワーを、火の塔の力を増幅し、龍を暴走させるために作られた風水人形。――暴走されてはこまるのは私もこの東京にすまうあなた方も同じだろうよ。それに我々はまだこの国から、この東京から全ての富を搾り取っては居ない。この国はまだまだ金になる遊び場だ」
 いうなり、緑に駆け寄りその腕を掴み上げる。が、すぐに華那の鞭により動きを縛され、富春は歯ぎしりしながら怒りのままに全員を見た。
「東京を破壊する?! どういうことだ!」
 隆之介が叫ぶ。
「そのままの意味ですよ」
 エレベータが開き、依頼主である男――榊千尋が微笑みを浮かべながら言った。
「困った方たちだ。ここまで騒ぎを大きくしてしまうとは」
 いつも通りの穏やかな微笑み、いつも通りののんびりとした口調。
 いつもと違うのは、右手に握られた黒い銃。
「ち、ひろ……さん」
 あまりの違和感に、碧海がつぶやく。
「納得がいかないわ」
 シュラインが蒼い瞳に静かな怒りを浮かべながら、つぶやく。
「あちらにも色々欲の張った方々がいらっしゃいましてね。龍を連れ戻すだけではなく、いっそのこと龍の力を使い日本に壊滅的打撃をうけ、その機に乗じ日本を侵略し、龍のちからもろとも日本を手に入れるべきだなんて、妄想じみた策略を巡らせてる人々がいるということです」
「じゃあ、なぜ、それを手助けするような真似をアンタはしたんだ!」
 隆之介が問う。すると榊はふっと息をもらした。
「本音と建て前という奴ですか、政府としては表だってあちらの意向を無視する事はできません」
 はっ、とシュラインが息をのんだ。
 だからなのだ。
 これだけの騒ぎなのに、榊以外の警察が出てこないこと。
 緑がここにつれてくるのをわかっていながら、それをわざわざ興信所に依頼したこと。
 それらはすべて「日本はあなたの国のために最大限努力しましたよ」と見せつけるパフォーマンスでしかなかったのだ。もちろん、緑を殺そうとする流氓達を放置していたのも。その一環に過ぎない。
 依頼の内容が矛盾していたのも、風水の理を考えれば理解その意図は理解できる。
 封じ込めるなら「木」を象徴する「緑」の風水人形ではなく、「水」を象徴する風水人形――封印の形代で無ければならなかったはずだ。
 そうでないということは、中国の意図は二つあったという事ではないか。
 龍を連れ戻したいと考える者と、龍を使って東京を破壊したいと考える者の二つが。
 窓の外で雷鳴が鳴り続けている。
 そんなはずはないのに、鉄骨がぎしぎしときしんでいるように感じられる。
 雷鳴が遠く、近くなる度、緑が展望窓の方へと近づいていく。
 赤い珊瑚のような無機質の唇がゆっくりと開く。
 ――――リュー…………。
 高く、細い声が見えない風水の龍を呼んでいる。
 雷鳴が冷気を帯びた光に変わり、東京タワーに巻き付くように落雷した。
 轟音。
 震える窓硝子、音の衝撃で倒れたカフェの椅子。
 急激な電圧の変化に、割れる電灯。
 辺りを包む闇。
 そして雷光が遠くでひらめくたびに、その微笑みに深い陰影を落とす榊。
「なかなか、物事は予定通りに進んでくれませんね。困りました」
 ゆっくりと銃の照準を緑に逢わせる。
「ですが、こんな事で東京を、この国を滅ぼさせる訳にはいかないんです」
 にっこりと、優しい聖母のような笑みを浮かべながら、榊は淡々という。
 純粋で無垢で残酷な、少年のような微笑み。
「まて! 榊!」
「千尋さんまって!」
 暁文と碧海が同時に叫ぶ。しかし無情にもそれをうち消すように雷鳴がなりひびき、塔を揺るがした。
 再度の落雷。
 全てをうち消す、冷徹な銃声。
 最後に――高く細い、龍をよぶ緑の――風水人形の悲鳴。
 小さく薄い少女の胸に、黒いちっぽけな空洞ができている。
 それは弾丸の貫いた痕であったが、不思議と血は流れでず、変わりに若木の香りのする緑色の――そう、リューの耳を飾る翡翠のイヤリングと同じ煙が、次々と空中にあふれ出しては周囲に拡散してきえる。
 そのたびに緑の瞳から生気がきえ、指先や、足から柔らかさが……有機的な要素がかき消えていく。
 最後にぴしり、と陶器にひびが入るような音がし、緑の全身が砕け散った!
「リューーーー!」
 シュラインが声の限りに叫ぶ。
 フロアには、ただ、白い陶器のカケラだけが残されていた。


■17:50 東京タワー・非常階段■

 落雷のため、東京タワーの一帯が停電したのか、辺りはやたらと暗かった。
 そこだけがブラックホールの様に、夜のイルミネーションから取り残されていた。
 雨が降り込んでいるためか、非常階段はすべりやすく、どうかすると足をくじきそうだった。
 しかしそれでも碧海は、目の前から去っていこうとする彼を――榊千尋を追いかけずにはいられなかった。
「千尋さん!」
 振り向いてくれないのではないかという恐怖をふりきり、叫んで手を伸ばす。
 と、数段降りた後榊はゆっくりと――どこかぎこちなく振り向いた。
 辺りが暗すぎるために、どんな顔をしているのか見えない。
 それが余計に不安を煽る。
 ――役に立てればいいと思っていた。
 千尋さんを守れればいい、この身を呈しても。と。
 なのに、それが幼い思い上がりであることを、嫌という程叩きつけられ、打ちのめされた。
 結局自分に何ができた?
 緑を守りきることも、国を守るために緑を殺すことも出来ず。
 榊の仕事が上手く行って、榊が無事ならそれでいいというけなげな思いは打ち砕かれた。
(何も、できない)
 おそらくこれは罰だ。他人と関わり合いをもち傷つけないようにと動いていることに対する。
 人を傷つけないということは、それと同時に人を助けることができないのだ、と他の誰でもない榊千尋から言われているような気がして、碧海はそれ以上何も言えなかった。
「――気にしないでください」
 真意を感じさせない、いつも通りの柔らかい声。
「事情を説明を出来なかった私にも、非はありますから」
「でも――これでよかったのか」
 わからない、と言いかけたとたん、不意に手首をとられ、抱き寄せられた。
 バランスを崩した為か、あえてそうなるように仕組んだのか、碧海の耳が榊の心臓の真上にあたった。
 驚きに言葉をうしなっていると、頭の上から声が降り注いできた。
「聞こえますか?」
「え?」
「心臓の音」
 うろたえ、とてつもない早さで脈動し続ける自分のモノとは別に、落ち着いたリズムが耳をとおして身体へとひろがっていく。
「聞こえ、ます」
「そうですか。私にも、碧海君の鼓動がわかりますよ」
 そういって、ゆっくりと手を離す。
 あまりの出来事に、碧海は非常階段の手すりに寄りかからなければ倒れてしまいそうだった。
「それ以上に良いことがありますか?」
 遠いどこかのビルの光のなかで、ぼんやりと黒い影が浮かんでいる。
 この人は――ずるい。
 結局はこうやって、微笑みの中に全てを隠して消えていってしまう。
 なのにどうして自分は――と、碧海はうつむいた。
「また、近いうちに会いましょう」
 くすり、と鼻の奥でかすかに笑うと、榊は碧海に背をむけ非常階段を下りていった。
 足音が遠く消えていく。
 なのに碧海は――追いかけることができなかった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 /草間興信所事務員&翻訳家&幽霊作家】
【0213 / 張・暁文(チャン・シャオウェン) / 男 / 24 / サラリーマン(自称)】
【0490 / 湖影・華那(こかげ・かな)/ 女 / 23 / S○クラブの女王】
【0365 / 大上隆之介(おおかみ・りゅうのすけ)/ 男 / 300 / 大学生 】
【0599 / 黒月・焔(くろつき・ほむら) / 男 / 27 / バーのマスター】
【0308 / 鷹科・碧海(たかしな・あおみ)/ 男 / 17 / 高校生】
【0733 / 沙倉・唯為(さくら・ゆい)/ 男 / 27 / 妖狩り】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは立神勇樹です。
 お待たせしてしまって申し訳ありません。
 今回は依頼完遂率70%というところでしょうか(汗)
 成功までにはおしい、たりない。という所ですね(汗)
 ちょっと難しかったかもしれません。
 「緑」あるいは「龍」を封じる方法にもう少し踏み込まれた方がいらっしゃったらまた別の結果になっていたかもしれません。
 では、再び不可思議な事件でお会い出来ることをお祈りしつつ。