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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:上海風水人形
執筆ライター  :立神勇樹
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜5人

■オープニング■
 中国の経済中心はずっと南――蘇州にあった。
 やがて蘇州など中国各地の金持ちや夢追い人は上海に集い、龍を導きそこに魔都をつくった。
 彼らはまた香港へと逃れた「龍」を追いかけ今の「香港」をつくった。
 そして流れはまた上海へ戻り、勢いのまま大陸の外へ出ようとしている。
 決して渡してはならぬ。反らしてはならぬ。
 ――風と水の流れによって作られし、見えざる「大陸の龍」を。

「護衛?」
 いつもより一オクターブ低い声で草間武彦は聞き返した。
 彼の目の前には、常に小春日和の笑顔を浮かべる警察庁の調査官――榊千尋と、白い陶磁器の肌と精巧な目鼻立ちをした人形じみた・十二才程度の少女が、一人前に榊と肩を並べちょこんとすわっていた。
 いや、ただの少女ではない。
 少女が身にまとっているのは、金糸銀糸で鳳凰が縫い込まれた純白の中国服であり、少女が物珍しげに興信所のあちこちに顔をむけるたび、大きな翡翠のイヤリングがゆらと揺れ、白檀のくすぐったいような甘い香りが室内に広がる。
 まだ幼い瞳は日本人と同じ漆黒であるにも関わらず、どこか広く高い風の流れを――大陸の空気を感じさせた。
「そう。彼女の護衛です」
「どこまで?」
 日本語がしゃべれないのか、少女――緑(リュー)と名乗った――は沈黙のまま、黒檀の瞳で草間の唇の動きを面白そうに眺めている。
「さあ? どこでしょう。リューが行きつく先まででしょうかね?」
 微苦笑のまま告げ、榊は警察官にしては繊細な指先でコーヒーカップをはじいた。
「観光の護衛か? ローマの休日じゃないんだぞ」
「わかってますよ。が、ウチからは護衛を出す訳にはいきませんし。かといって断ると外交上の問題があります」
「外交上? なんで小娘一人の護衛がそんな大事になるんだ?」
 目を見開いた草間の前に、いつもより多めの金額が書き込まれた小切手を榊はひらつかせてみせた。
「大事にもなるでしょうよ。今まで中国がその体内に囲っていた龍がソウルを得て、この東京に襲いかかろうというのですから」
「ちょっとまて、龍って?!」
「ああ。風水龍ですよ。どうも龍の流れを導く龍脈を作る基点の一つが動かされ、中国の体内を巡っていた「風水龍」が逃げだし、この東京にある「火」を象徴する塔を襲おうとしているらしいんです。で、あの国はソレをとめたい。だから龍を止められる力もつ娘……緑(リュー)を、我々に脅迫紛いの外交で押しつけた」
 何故? と聞きかけて草間は口を閉ざした。聞いた処で榊は決して答えないだろう。
「風水龍は「四神相応」の地に上手く閉じこめるとあらゆる「気」のエネルギーの恩恵を受けるといいますからね。上海しかり、香港しかり――そして日本の京都しかり。ですよ。京都は風水上有効な土地であったからこそ「世界でもっとも長く王都であった地」でいられたという説もありますし。しかしそれだけ莫大なエネルギーを持つが故に、「四神相応」の調和の檻から放たれた場合、洪水のように力――この場合は龍ですか。が、流れ出す」
「で、もし失敗して龍がその「龍脈の基点」とやらに導かれ「火」を象徴する塔を襲ったらどうなるんだ?」
「おそらく東京は経済的にも物理的にも大きな被害を被ることになるだろう――というのがあくまでも「あちら側」の言い分です。まあ、それを全部信用して正義ゆえにあの国がこの東京を気遣ってるなんて、カケラも思いませんけれどね」
 聖母のような柔らかな微笑みで、辛辣な事を言うと、横目でちらりとリューを見た。
「ともかく、今回は危険ですよ。なにせ相手は銃を使うことも辞さない――流氓達ですから」
 ぽつりとつぶやいた榊だが、その瞳は全てを裏切ろうとする堕天使のように、冷たい怒りに燃えていた。


■13:00 草間興信所■

「……はぁ、いつもコレくらいの依頼料なら良いのに……予算、がんばってふんだくってよね榊さん」
 事務所の財布をにぎっているシュラインが、小切手をみながらため息をついた。
「うーん。がんばってはいるんですけれどね。まだまだ知名度が低い部署ですし」
 ほほを指先でかきながら、榊はいい、まあ、頑張りますと言って立ち上がった。
「では、私はこれで」
 榊は馬鹿丁寧にお辞儀をしてから、緑(リュー)にシュラインの方を指し示す。
「私はまだ調査が残ってますから、一旦本庁にもどります」
 こちらの返答も聞かずにきびすを返すと、部屋の隅っこでひっそりと立っていた黒髪銀瞳の少年――鷹科碧海(たかしな・あおみ)といくつか言葉を交わして、彼は草間興信所を後にした。
「東京が被害を被る? 違うだろ? 龍ってのはあちら側に利益をもたらすモノだろ? それが東京へ流出するって事はあちらさんの利益が東京に流れるって事じゃねぇの?」
 夜の闇のような漆黒の長髪をこれでもかと乱雑に掻き乱しながら、大上隆之介(おおかみ・りゅうのすけ)はようやく空席となったソファーに均整の取れた身体を投げ出し、ずり落ちないのが不思議なほどだらしない座りかたで「じゃなきゃここまで必死になって止めようとする理由がねぇよ」と毒づいてみせた。
 口調はいい加減だが、窓から差し込む光にぎらりと光る金の瞳が本心の真剣さを表していた。
 アルバイトをしながら大学に通う気楽な学生。当然の事ながら授業にはあまり出ず、バイトや合コン、デートに飲み会と気ままに遊び明け暮れている。
 本人に言わせれば「昔を知りたくて歴史を専攻してみたが、なんか「知ってる」感じがして意味をかんじねぇんだよな」らしいのだが、傍目にはタダの言い訳にしか感じない。
 最も、隆之介が周りに語らない事情というのがソレには絡んでいるのだが。
 隆之介には記憶がない。
 正確には三年より前の記憶がないのだ。
 自分が何者なのか、どこから来たのか。哲学的な意味ではなく、物理的な意味でわからず、金もなく放浪していた時に、今の居候先である下町の煙草屋のおばあちゃんに拾われたのだ。
 一体何故記憶がないのか、どうして「東京」をさまよっていたのか。調べてもわからない。
 ただ手がかりになる事といえば、時折ひらめく遠い記憶である。
 たとえば歴史の講義を聴いているとき――そう、特に日本史の講義を聴いているときに「まるでその情景を見てきた」かのように「わかる」のだ。妄想とか想像などではない。感触や音さえも伴う残像――フラッシュバックが、脳裏をよぎり、隆之介がそのしっぽを掴む前に消えていく。
 そしてトドメは銀の髪の少女の幻影である。
 雪のように白い肌、降り注ぐ月の光のように汚れなく冷たい銀の髪。
 深く暗い森のざわめき。
 それらのイメージが昼日中、雑踏に居るときに不意に目の前に現れては消えていく。
 ついに幻影をみるようになったのか、と途方に暮れていたが、ある事件がきっかけでそれが「想像」ではなく「失われた記憶」だと確信した。
 日本史の講義を受けているときに、「記憶」がよぎった。
 しかしそれは「教授」が唱える「事実」とは違っていた。だから「そうではないと思います」と反論し、ガラにもなくムキになって教授に食ってかかり、周りを呆れさせた。
 ――その一週間後。隆之介の「記憶」を裏付ける証拠が、とある城の改修工事で発見された、新設として学会で発表されたと新聞に取り上げられていたのだ。
 瞬間、確信した。
 失った記憶はまだ脳裏のどこかに隠れているのだと。
 そしてその記憶の向こうに、大切な大切な誰かがいるのだと。
 だから女の子をとっかえひっかえ遊んでるのは、白昼夢でみた銀の髪の少女のように「運命の女」――格好をつけるなら「Famme Fatal」となるのだが――を探すためにやっているのだ。
 まあ、たまに時々楽しすぎて本末転倒してしまうのは、若さ故の愛嬌とでも言うところだろうか。
 ともかく、隆之介にしてみれば、少々不満がある依頼でもあった。
 二国家間のごたごたに、こんな幼くカワイイ少女を巻き込むだなんて。
 良く磨かれた黒檀のように黒々とした緑の目をちらりとみて、手を打つ。
「女の子を護るのは男の勤めだしな。引き受けるよ」
 いうなりバネのように勢いを付けてソファーから立ち上がる。
「俺の名前は隆之介。そう、君と同じ「リュー」だ、よろしくな」
 シュラインの顔と隆之介の顔を不思議そうに交互に見つめながら、少女は金魚のように口を数度動かし小首を傾げる。
「話せないのかしら? ……それとも」
 シュラインが冬の湖のように蒼く清廉な瞳を曇らせ口ごもった。
 それとも、話せても何らかの理由で会話ができないのか。
 その辺は確認しないとわからないのだが、何分全てを知っているはずの榊が居ない。
(まったくこっちの質問も聞かずにとっとと帰っちゃうんだから)
 両手を腰にあてて天井をみる。
 そもそも、そういう重要な事を聞き逃している草間が――武彦さんが悪いのだ。
 いっそのこと、事務所の会計だけではなく、交渉も自分がやった方がいいのかもしれない。と不遜なことを考えてしまうのは、もうしょうがなかった。
 心中で一人納得して毒づいていると、その思念が伝わったかのように、ぼんやりとデスクで一服していた草間の煙草の先がぽとりとおちた。
「あちぃっ!」
 水! 水! と焼けこげたジーンズをはたきながら騒ぐ、この興信所の主を完全に意識野より排除して、シュラインは緑を見た。
「是非の合図くらいは決めとく? 会話可能なら問題ないけど……」
 シュラインのつぶやきに緑はふるふると頭をふる。そのたびに両耳にさがる翡翠の大玉で作られたイヤリングがさらさらとなった。
「しゃべれないみたいだな」
 隆之介が緑の後押しをするように、シュラインを見る。
「何にせよ目立ち過ぎね。かつらか帽子……肌もファンデーションでイメージ変えた方がいいかな。元の持ち物は何かに使うかもしれないから、ちゃんと携帯しないと」
 てきぱきと依頼を快適にこなすための計画を進めようとする。が、早々から壁にぶち当たる。
 帽子をかぶせようとすると、緑は頭をかばうように手を置きしゃがみ込み、ファンデーションをハンドバックから取り出したとたんに、隆之介の背後に回りこみシュラインから逃げようとするのだ。
「おっとっと。リュー、我慢だ。見かけを変えたら怖いお兄さん達が追っかけてこないかもしれないじゃないか」
 優しく微笑みながら緑を抱き留める。
 が、緑は隆之介のシャツをしわになるまで握りしめ、シュラインをじっと見ている。
「……脱がせるなってこと? 参ったわね」
 本当は手に負えかねてこの草間興信所にこの子を連れてきたんじゃないのかしら、と榊に対して猜疑的な考えを抱きため息をつく。
「それにしても解せないわねぇ……依頼側も敵対側も何を狙ってるのかしら」
 時計の針が2時を指し示した瞬間、電流にうたれたように一度だけ緑はびくりと身体をふるわせ、興信所の外へ向かう扉へと……まるで自動人形の動きで歩き始めた。
「ちょっと、緑ちゃん!」
「おい、まてリュー」
 あわててシュラインと隆之介が叫ぶ。その声に事態を静観していた碧海がぽつり、と漏らした。
「外」
「え?」
 先ほどまで雲一つなく晴れ渡っていた空が、徐々に薄暗くなり始めていた。
(……龍がくるって事かしら)
 龍神には雨雲と雷が付き物だ。なら風水龍もそうなのだろうか?
 らちもないことを考えながら、シュラインはあわてて机の上のハンドバッグを取り上げ、電話番と称し居残る草間を振り返る。
「流氓達かぁ。……興信所に遺恨が残るのは嫌なんだけど……はぁ。……取りあえず、いってくるわ武彦さん」
「ああ、気を付けてな……傘がいるかもしれん」
 シュラインの悩みに気づいていないのか、あえて知らないふりをする事に決めたのか、草間は点で的はずれな言葉を返す。剛胆なのかぼんやりしてるのか。どちらにしても大物であることには違いない。
「いってきます」
 三者三様の声色で同じ言葉を言うと、シュライン、隆之介、碧海は外へとかけだしていった緑を追いかけ始めたのだった。


■14:30 浜松町■

 東京をぐるりと巡る山の手線を浜松町でおりると、東京タワーはすぐそこだった。
 緑をさりげなく取り囲むようにして、シュライン・隆之介・碧海は駅を出る。
 同じ山手線沿線の新宿や池袋と違い、旧芝離宮庭園、浜離宮庭園、そして芝公園と駅前に多く緑もつ公園を有しているためか、町並みはずっと落ち着いている。
 駅前にある貿易センタービルを仰ぎ、増上寺の横をすり抜けるように歩いていけば目的地である東京タワーには苦なくたどり着ける。
「わからないわね」
 薄暗く曇り始めた空をみあげながら、シュラインは眉根をよせた。
「依頼側も敵対側も何を狙ってるのかしら? 止めたいってより、持ち帰りたいっつかほしい筈よね龍の力。自分たちの都合の良い流れに持って行きたいって処?」
 あごに手を当てうーん、とうなる。
「そうなんだよな」
 ポケットから流行のセルロイドフレームの薄い色つきグラスをとりだし、鼻の頭にのせながら隆之介が相づちをうつ。
 飛び出した緑は、興信所から一番ちかいJRの駅にかけこみ、にっこりと笑いながら山手線沿線の浜松町を指し示して見せたのだ。
「「火」を象徴する塔……ねぇ。……東京タワー? いや、まったくの勘だけど」
 両手をポケットにつっこみ、駅の周囲を珍しそうにきょろきょろと眺め回す異国の少女を眺める。
「日本列島に限ってみると富士山が太祖山となり、そこから発した龍脈は皇居あたりで穴を結んでる……と聞いたことがあります。その南……火を司る方向に東京タワーがあるので、多分それで間違いないと思います」
 ひっそりと、黙っていればそこに居ることすら感じさせない危うげな存在感を持った少年――碧海が、静かに、しかし自信をもって答えた。
「龍穴がある辺りは、皇居の他に政府の機関が集中しているから……龍が暴れると確かに色々と大きな被害が出てしまうかもしれません」
 実家が京都……日本最大の風水都市にある為か碧海は若干風水の知識があった。
「碧海君、物知りねぇ」
 携帯電話をチェックしながらシュラインが、感心した様子でうなづく。
 未成年二人と女だけでは荷が重いだろう、と何度か草間興信所の仕事を手伝ってくれた中島文彦と駅前で待ち合わせ中なのだ。
「そんな……ただの受け売りです」
 かすかに頬を上気させながら、うつむく。
「それに、考え込むよりも女の子と一緒にいて守ってあげる事の方が大事だとおもうし。俺があれこれ考えても緑ちゃんが行き着く場所がわかるわけでもないし」
 あわててつけくわえる。と、隆之介はにやりと笑いながら碧海の背中をたたいた。
「そのとおり。何はともあれ緑の行きたい所につれてってやればいいんだろ?」
 何かのキャンペーンなのか、銀色に輝く素材で作られた魚の形の風船を配っているピエロを、物珍しげにみる緑と碧海を交互にみたあと、ウィンクをしてみせる。
「せっかく東京に来たんだ。観光もどきも少しはあったほうが緑もうれしいだろうよ」
 言うなり、風を切る獣……まるで狼のようなしなやかな動きで車の行き交う道路を横切り、ピエロから風船をひとつひったくり、緑の手首に風船をつなぎ止める糸を結びつけてやる。
 緑は驚いたように眼を見開いたあと、初めて蝶が飛び立つのをみた子供のように無邪気にわらった。
「さあ、何か食べたいものがあるか? バイト代はいったばっかりだから今日の俺は気前がいいぞ」
 ふわり、と緑を抱き上げる。
 刹那、違和感があった。
 先ほどまで柔らかかった筈の緑の身体がかすかに固く感じられたのだ。
 そう、有機物ではなく、無機物のように。
(――え?)
 驚きにあわてて緑を地面におろし、自分の手をじっと見つめる。
(どういうことだ?)
「どういうこと?!」
 自分の気持ちを代弁したかのようなシュラインの叫びに、身体をびくつかせ、隆之介は振り返る。
 それと同時に唐突に緑が空を見上げ、一言高く叫んだ。
 リュー…………。
 高く、切ない声が駅前のざわめきを貫き辺りに響く。
 驚きに周囲の人間が振り返った瞬間、大粒の雨が地面を叩き始め、遠雷がうなり始める。
「何が……」
 碧海が狼狽をそのままに隆之介をみた。
 雷光が光る。
 紫がかった閃光が空一面を覆う厚い雲に陰影を刻みつける。
 それはまるで天空を走る「龍」の叫びに見えた。
「おい、緑が!!」
 突然の気象の変化に驚いているうちに、中国の少女は三人の眼をはなれ、道路向こうを人と思えない早さで駆け出し始めていた。
 「火」を象徴する、東京タワーへと。


■17:00 東京タワー展望室■

 まるで重さを感じさせない動きだった。
 妖精のように、あるいは彼女だけ重力の支配から逃れているのだといわんばかりに、かろやかにつま先がアスファルトを蹴り、風をないでは着地する。
 彼女よりずっと体力的に上であり、人より優れた身体能力をもつはずの隆之介ですら、近づくことはできても、彼女に触れることはできなかった。
 心臓が肋骨という檻をうち破って、身体の外にでてしまうのではないかと恐ろしくなるほど鼓動がたかまっていた。
 なのに何かに引き寄せられるかのように、足を止めることが出来ない。
 否、止めればきっと良くないことが起きてしまう。そういう不安が絶えずまとわりつく。
 シュラインは雨に濡れた髪が頬に張り付く不快感に顔をしかめながらも、前を走る緑を追いかけ続けた。
「シュライン!」
 聞き慣れた知己の声が唐突に鼓膜を震わせた。彼だ。
 中島文彦――もとい張暁文は東京タワー前の道路でタクシーを降りた所だった。
 そして降りるや否や状況を把握し、シュラインや隆之介、そして碧海と共に緑を追いかけ始める。
 本来なら彼の持つ特殊能力、テレポートを使いたいところだが、いかんせん人目がありすぎた。
 人混みをすり抜け、かけ続ける美しい中国的美少女は嫌が応にも目立つ。
 彼女をテレポートで捕まえれば、きっと目立つ以上の大騒ぎになってしまうだろう。
「チッ」
 舌打ちをして地面を蹴る。
「来たぞ! 捕まえろ!!」
 東京タワーの入り口に居た男達が緑の姿をみて、色めきだつ。
 かすかに揺れる声のイントネーションから、彼らが日本人ではなく上海人……流氓達であることを察知する。
(どうする?)
 いざというときに――東京が破壊されるまえに「緑」を、――あの風水人形を殺せ。
 王老人と富春の真意が脳裏に浮かんでは消える。
 しかし「中国」は東京の破壊を望んでいる。
 ――どちらを、選ぶ?
「くそったれ!!」
 叫びしな、緑に手を伸ばしてきた男を殴り飛ばす。
「勝手な都合で人を動かそうとしやがって! ガキの使いじゃねぇんだぞ?!」
 懐から銃を取り出そうとしたアロハシャツの男の鳩尾に鋭い蹴りをたたき込む。
「シュラインさん! あれ!」
 碧海が悲鳴の様な声をあげる。
 と、緑は従業員と流氓の腕をすりぬけ、大展望室へと向かう階段を上り始めていた。
 白い中国服の裾が翻る。
 緑色の翡翠のイヤリングが雷鳴をうけて鮮やかに光る。
 閃光と轟音が同時に鳴り響き、辺りを白に染め上げる。
「リュー!!」
 シュラインが叫ぶ。しかし少女の耳には届かない。
 緑を追いかけて階段を上ってくる流氓の一人を、隆之介と暁文が同時に蹴り飛ばす。
 と、男はバランスを崩し、深紅に塗り込められた鉄の階段を仲間を巻き込みながら、転がり落ちていく。
「どういうこと!」
 階段を上りきったところで、聞き慣れた声がした。
 沖縄で同じ「依頼」をこなした湖影華那と黒月焔。そして二人の背後にひっそりと立つ優雅な男――沙倉唯為が、驚きもあらわにシュライン達を見ていた。
 事件に引き寄せられた7人にかまうことなく、緑は大展望台1Fに転がり込み、辺りを見渡す。
 瞬間、大展望台にあるカフェに銃声が響いた。
「やれやれ、王老人も眼が衰えたか。ここまで来るまでに始末してくれるかとおもっていたんですがね」
 黒髪をオールバックになでつけた、金縁眼鏡の男が中島文彦こと張暁文をにらんだ。
 彼の握る銃から放たれた弾丸から寸でのところで逃れた緑は、赤い鉄骨に寄りかかりながら、タワーの天井を黒檀のようなその瞳でにらんでいた。
「アンタ、誰よ」
「威 富春(ウェイ・フーチュン)、とだけ言っておきますよ。レディに名を名乗らないのは失礼ですから」
 酷薄な笑みを浮かべて言う。
「タダのちんぴらの親玉だろ」
「同感だ、先に銃をはなっておいて、今更紳士ぶるのはいただけないな」
 焔と唯為が嘲るように言う。
 と、富春は結構、と一声吐き捨てると芝居がかった動作で指を鳴らした。
 とたんにそれまでカフェに居た背広の男達が、客の仮面をかなぐり捨てて銃を取り出し、緑の方へ差し向けた。
「させるか!」
 焔が叫ぶ。
 とたんに顔に、否、全身に彫り込まれた「龍」が熱をはなちだす。
 黒い墨で書かれた線の一本一本が焔の身体から立ち上る熱と相乗し、ほのかな光を放ち出す。
 そして、龍と焔、双方の瞳が血よりも鮮やかに、錆びた月よりも眩く深紅に煌めいた。
「地獄に、堕ちろ」
 つぶやいた瞬間、焔をみた流氓たちが頭を抱えて悲鳴をあげ、銃を取り落とす。
「蛇が! 蛇が! 蛇がぁああ!!!」
 訳のわからない言葉を男達は繰り返す。おそらく彼らの脳裏をのぞき見れば、無数の蛇が己の身体をおおいつくし、毒牙を突き立てるというおぞましい光景が見られたことだろう。
 それこそが焔のもつ「龍眼」の見せる、悪意ある幻影、人の神経をさいなむ催眠の術であった。
 多くの流氓達が焔の見せる「龍眼」の幻のに苦痛を訴えるなか、富春の側に控えていた深紅の中国服の女性だけは落ち着いてハンドバッグから何らかの紙を取り出していた。
「符呪!」
 流氓であり、大陸の文化に知悉している暁文が女の次の行動を察知して叫ぶ。
 しかし一瞬遅く、女の唇がうごめいた。
「吾以日洗身・以月錬真・仙人輔我・日月佐形・二十八宿・與吾合并・千邪萬穢・逐水而清・急急如律令!」
 そう唱えたかとおもうと、朱色の丹砂で呪が書かれた紙が裂け、透明に透けるミミズのような長いぬめぬめとした生物が現れる。
「三巳虫か!」
 オカルト全般に精通する焔が忌々しげにつぶやく。みるだけで吐き気を催すぶよぶよとした白い虫は、人に取り憑き死をささやき続ける、中国の呪虫「三巳虫」であった。
 三巳虫はぬめり動きながら、まっすぐに焔と華那、そして唯為の居る方向へと恐るべき勢いで床をはい回り近づいてくる。
 大の男でさえ恐れをなし、逃げ出したくなる光景に、沙倉唯為は、まるで場違いな柔らかい余裕の笑みを浮かべた。
「櫻唯威の名の元に、汝、緋櫻の戒めを解き放つ……」
 歌うように豊かな抑揚で言い、水の中をひらめく魚のようにその腕が空に捧げられる。
 と、あわやかな桜色の光が唯為の周囲に灯ったかとおもうと、その手に集い「刀」の姿を作り出す。
 平安時代から代々「妖」の者を狩ってきた「櫻」の総本家当主だけが使うことを許される「緋櫻(ひおう)」の一降りであった。
 束をつかみ、流れるような動作で腰をおとすと、唯為は居合いの構えそのままに刀を抜き放ち、三方向からそれぞれ襲いかかってくる、三位一体の呪虫・三巳虫を一刀の元に切り捨てる。
 光のような白刃がぬめった皮膚を切り裂いた刹那、血の変わりに無数の花びらが吹き出し、周囲に降り積もる。
 それは季節はずれの桜の乱舞であった。
 そして三巳虫がうち倒された瞬間、術師である女が顔を歪め、喉をかきむしりばったりと倒れる。
「人を呪わば穴二つ。中国にはありませんか?」
 冷たく笑いながら唯為が聞く。
「形成逆転だな、おい」
 焔が聞いた瞬間、富春は暁文をちらりとみて高らかに笑い出した。
「お前達は騙されてる! 緑は龍に力を与える存在。この東京タワーを、火の塔の力を増幅し、龍を暴走させるために作られた風水人形。――暴走されてはこまるのは私もこの東京にすまうあなた方も同じだろうよ。それに我々はまだこの国から、この東京から全ての富を搾り取っては居ない。この国はまだまだ金になる遊び場だ」
 いうなり、緑に駆け寄りその腕を掴み上げる。が、すぐに華那の鞭により動きを縛され、富春は歯ぎしりしながら怒りのままに全員を見た。
「東京を破壊する?! どういうことだ!」
 隆之介が叫ぶ。
「そのままの意味ですよ」
 エレベータが開き、依頼主である男――榊千尋が微笑みを浮かべながら言った。
「困った方たちだ。ここまで騒ぎを大きくしてしまうとは」
 いつも通りの穏やかな微笑み、いつも通りののんびりとした口調。
 いつもと違うのは、右手に握られた黒い銃。
「ち、ひろ……さん」
 あまりの違和感に、碧海がつぶやく。
「納得がいかないわ」
 シュラインが蒼い瞳に静かな怒りを浮かべながら、つぶやく。
「あちらにも色々欲の張った方々がいらっしゃいましてね。龍を連れ戻すだけではなく、いっそのこと龍の力を使い日本に壊滅的打撃をうけ、その機に乗じ日本を侵略し、龍のちからもろとも日本を手に入れるべきだなんて、妄想じみた策略を巡らせてる人々がいるということです」
「じゃあ、なぜ、それを手助けするような真似をアンタはしたんだ!」
 隆之介が問う。すると榊はふっと息をもらした。
「本音と建て前という奴ですか、政府としては表だってあちらの意向を無視する事はできません」
 はっ、とシュラインが息をのんだ。
 だからなのだ。
 これだけの騒ぎなのに、榊以外の警察が出てこないこと。
 緑がここにつれてくるのをわかっていながら、それをわざわざ興信所に依頼したこと。
 それらはすべて「日本はあなたの国のために最大限努力しましたよ」と見せつけるパフォーマンスでしかなかったのだ。もちろん、緑を殺そうとする流氓達を放置していたのも。その一環に過ぎない。
 依頼の内容が矛盾していたのも、風水の理を考えれば理解その意図は理解できる。
 封じ込めるなら「木」を象徴する「緑」の風水人形ではなく、「水」を象徴する風水人形――封印の形代で無ければならなかったはずだ。
 そうでないということは、中国の意図は二つあったという事ではないか。
 龍を連れ戻したいと考える者と、龍を使って東京を破壊したいと考える者の二つが。
 窓の外で雷鳴が鳴り続けている。
 そんなはずはないのに、鉄骨がぎしぎしときしんでいるように感じられる。
 雷鳴が遠く、近くなる度、緑が展望窓の方へと近づいていく。
 赤い珊瑚のような無機質の唇がゆっくりと開く。
 ――――リュー…………。
 高く、細い声が見えない風水の龍を呼んでいる。
 雷鳴が冷気を帯びた光に変わり、東京タワーに巻き付くように落雷した。
 轟音。
 震える窓硝子、音の衝撃で倒れたカフェの椅子。
 急激な電圧の変化に、割れる電灯。
 辺りを包む闇。
 そして雷光が遠くでひらめくたびに、その微笑みに深い陰影を落とす榊。
「なかなか、物事は予定通りに進んでくれませんね。困りました」
 ゆっくりと銃の照準を緑に逢わせる。
「ですが、こんな事で東京を、この国を滅ぼさせる訳にはいかないんです」
 にっこりと、優しい聖母のような笑みを浮かべながら、榊は淡々という。
 純粋で無垢で残酷な、少年のような微笑み。
「まて! 榊!」
「千尋さんまって!」
 暁文と碧海が同時に叫ぶ。しかし無情にもそれをうち消すように雷鳴がなりひびき、塔を揺るがした。
 再度の落雷。
 全てをうち消す、冷徹な銃声。
 最後に――高く細い、龍をよぶ緑の――風水人形の悲鳴。
 小さく薄い少女の胸に、黒いちっぽけな空洞ができている。
 それは弾丸の貫いた痕であったが、不思議と血は流れでず、変わりに若木の香りのする緑色の――そう、リューの耳を飾る翡翠のイヤリングと同じ煙が、次々と空中にあふれ出しては周囲に拡散してきえる。
 そのたびに緑の瞳から生気がきえ、指先や、足から柔らかさが……有機的な要素がかき消えていく。
 最後にぴしり、と陶器にひびが入るような音がし、緑の全身が砕け散った!
「リューーーー!」
 シュラインが声の限りに叫ぶ。
 フロアには、ただ、白い陶器のカケラだけが残されていた。


■17:45 大展望台・事件後■

 覚えていろよ、という三流のセリフを残して富春たち流氓が非常階段から撤退していく。
 しかし、榊はそれを止めない。
 落雷の影響で周囲一帯が停電しているためか、眼を凝らしてもおぼろな影しか見えない。
「これで興信所に何かあったら、私、あんたを許さないわ」
 「さん」付けではなく、「あんた」と言い切った所に、シュラインの怒りが現れていた。
「許してください、とは言いませんよ。私が考え得る中で最善であろう方法を取ったまでですから」
 榊は微笑みをくずさず、さらりと言い捨てた。
「結果が思わしくなくても、それで後悔はしたくありません。――責めたければ、どうぞご自由に」
 言われて、シュラインは唇を噛んだ。
 わかっている。
 警察官の榊が……日本の治安を守るべき役目を担う榊が、たかだか「人形」と引き替えに日本に危険を呼ぶ真似などするはずがないのだと。
 しかしそれでも、行き場のない怒りが心の奥底から沸々と沸き立ち、ゆっくりと暗いどこかへ沈んでいく。
 風船をほしがった緑。帽子が嫌で逃げた緑。
(あれが作られたものですって?)
 だとすれば、どうして?
 何故ああまで人間に似せる必要があったのだ。
 ただの擬態なら、風水の基点と悟られないようにする手段だったとしたら……あまりにも悪辣過ぎる。
「俺は忘れないぜ」
 ぽつり、とシュラインの背後に立っていた隆之介が言った。
「「緑」は……たしかに「女の子」だった。たとえ人間じゃなく「人形」でも、俺のしる女の子とちっともかわらなかった」
 淡々と言いつつ、暗い床の上にちらばる白い人形の……緑だった陶器の破片を握りしめた。
 手のひらが切れて、ぽたり、とフロアに落ちる。
 だが、隆之介はそんなことを気にした風もなく、挑発的に榊に笑いかけていた。
 まるで手のひらに付けられた「痛み」が、心にもついているのだと。そして「痛みの記憶」として忘れないのだと、暗い中にあって燦然と輝く金の瞳で宣告していた。
「――ところで榊さん、あんた俺と以前会った事ないか?」
 血に濡れた陶器のカケラを大切そうにハンカチにくるみ、ポケットに入れながら隆之介は尋ねた。
「いいえ、すくなくとも「私」は会ったことはありませんよ」
 妙に「私」を強調しながら、いうと、榊はきびすを返した。
 遠いところで、最後の雷鳴が何かを嘆くように鳴り響いていた。
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 /草間興信所事務員&翻訳家&幽霊作家】
【0213 / 張・暁文(チャン・シャオウェン) / 男 / 24 / サラリーマン(自称)】
【0490 / 湖影・華那(こかげ・かな)/ 女 / 23 / S○クラブの女王】
【0365 / 大上隆之介(おおかみ・りゅうのすけ)/ 男 / 300 / 大学生 】
【0599 / 黒月・焔(くろつき・ほむら) / 男 / 27 / バーのマスター】
【0308 / 鷹科・碧海(たかしな・あおみ)/ 男 / 17 / 高校生】
【0733 / 沙倉・唯為(さくら・ゆい)/ 男 / 27 / 妖狩り】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは立神勇樹です。
 お待たせしてしまって申し訳ありません。
 今回は依頼完遂率70%というところでしょうか(汗)
 成功までにはおしい、たりない。という所ですね(汗)
 ちょっと難しかったかもしれません。
 「緑」あるいは「龍」を封じる方法にもう少し踏み込まれた方がいらっしゃったらまた別の結果になっていたかもしれません。
 では、再び不可思議な事件でお会い出来ることをお祈りしつつ。