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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


狂喜の宴〜Mad Carmine〜

Opening 『 Mad Carmine 』

「…月刊アトラスか」

男は雑誌のとある募集欄に目を止めると、クスリ、と嗤った。

『特集!ストーカーの魔の手は、すぐそこに!!/月刊アトラス編集部
  ――ストーカー特集を行います。
    過去に被害にあった方、もしくは現在被害にあって脅えている方の
    ご投稿を心よりお待ちしております。尚、必要ならばこちらにて
    ボディーガードを用意します』

「中々面白そうですね…遊ぶには退屈しなさそうだ」
椅子をくるりと回して立ち上がり、座ってた椅子に雑誌を投げるように置き捨てる。
「でも、ただ遊ぶだけではツマラナイ…何かもう少し捻りが欲しいところですね」
テーブルに置いてあったワイングラスを手にとり、全面ガラス張りの窓へと歩み寄る。
180度全面零れんばかりの夜景を見下ろしながらフム、と顎に手をかけた。
「実験、でもしてみますか…猫と犬…飼いならすのも悪くない」
男は暗闇に青い画面を映し出すパソコンのディスプレイを振り返る。

『ゴーストネット・カフェへようこそ!』

「ククク…アハハハハ…!」
クシャリと赤い髪を掻き上げ、男は声を出して笑い出した。
「そうだ…そうだ…猫と犬…アトラスとゴーストネット…! ククク、面白いですね!」


*****


――その日、碇麗香の眉間から皺が消えることはなかった。


デスクの上に山積みにされた投稿ハガキとファックス。
それを纏めて手にとり、1枚1枚丁寧に捲る。
「あ、それ、例のストーカー企画のですか?」
コピーを取りにやって来た、三下はその膨大な量の投書に目を丸くさせ、横から顔を覗かす。
「…そう。思ったより反響が大きくって少し驚いたわ」
ふぅ、と溜息を落としてコレ見てちょうだい、と三下に一通の手紙を差し出す。

『タイトル:助けて下さい PN:カーマイン
 最近、誰かに後をつけられているような気がします。見張られている感じ…。
 都内のマンションに住んでいるのですが、夜、窓から外を見ると3人の人影が
 こちらを見張ってるように見えました。
 一人暮らしで周りに友達もいません。助けて下さい。お願いします…』

「…これが何か?」
三下は首を傾げて顔を上げた。
「オカしいと思わない? この手の調査なら二流の興信所へ行けば難なく解決する内要よ?それをワザワザ、目立つような雑誌投稿へ…。他の投稿は過去の体験談か、ありもしないようなホラ吹きばかりなのに、ね。」
麗香はそう云って、机の引き出しから写真を3枚取り出した。
「これ見てちょうだい。少し気になってね、住所を頼りにマンションへ行ってきたの。で、これがそのときの写真」

手にした3枚の写真を順に三下に見せる。
1枚目はマンションの外見。高級団地と云った感じの白い建物だ。2枚目はオートロック式の玄関口。観葉植物を置いている所からして清潔感が漂ってくる。そして、3枚目は駐車場だ。
「…ん?」
ズラリと並ぶ高級車の影に何やら妖しい影が3つあるのが分かる。しかも、何か――ストーカーとか云った感じではなく、どちらかと云えば自分達によく似た人種――何かを知ろうとする…取材? 調査? そんな雰囲気が如実に伝わってくる。

「これは一体…どういうことでしょう? この投稿者<カーマイン>を…狙ってる? もしくは、カーマインさんが何かを企んで…」
三下は怪訝そうに眉を顰めて麗香を見るのと同時に、女は写真をスイ、と三下から奪い取ると
「知ってる? カーマインって…狂った紅い色のことよ。吸い込まれるような、それでいて目が覚めるような紅。私はきっとこのカーマインの裏に何かあると踏んでいるの…」
そう云って女はこちらを振り返る。
「と云うワケで、ウチの自慢の敏腕さん達。少し頼まれてくれないかしら…? まずは3人がどんな目的でカーマインに張り付いているのか…そうね、途中で私の古い知り合いも取材に協力させるから、そいつを利用してくれても結構よ」
派手に暴れても構わないから、と付け加えると麗香は穏やかに笑った。


――そして、紅い紅い狂った宴が今宵ここに開始する――


Scene-1 『 The Scarlet Moon 』

貴方は知っていらっしゃる?
西の空から現れて間もない月は、空高く上る月よりも大きく紅いことを。
その月を不吉な物とするか、宴の開始とするかは千差万別ではあるけれど。
私はその大きな月を眺めながら、可愛いこの子達と一杯飲むのがとても好き。

ガラス張りの窓を遠く眺めながら、女は優雅にグラスを傾けた。肩に乗るのは大きな白大蛇、テーブルの上でこちらの様子を伺うのは小さく可愛いアオダイショウ。赤い舌をチロチロと覗かせるそれに、女は人差し指でくすぐってやる。
「ねぇ、お前。赤い色は好きかしら?」
クスクスと笑みを零しながら女はグラスに口をつけた。この込み上げる感情にざわざわと血が騒ぐ。
「久しぶりに…楽しめそうじゃなくて?」
そう云うと、右手の人差し指で空に小さく円を描く。それに反応してテーブルの上にいたアオダイショウは首をひょこひょこと前後に動かした後、スルッと落ちてドアの隙間から部屋を出て行った。
「伊達男をちゃんと追ってちょうだいね」
呟いたその声は、無音の部屋に吸い込まれるように響く。
女――巳主神冴那の宴はここに開始した。


「で、私から何を訊きたい?」
狭い路地裏から聞こえてくる声は――今回の一件の調査に携わる一人、伊達男・沙倉唯為<さくらゆい>と訊きなれない中性的な声。察するに…麗香の知り合い、と云った所だろうか。
「まずはアンタの名前からだな。それと何であんな呼び止め方したのか…話はそれからだ」
唯為は傲慢そうに云うと、ドッカリとビールケースに腰を降ろし、足を組んだ。
「…名は云えない。職業は掃除屋…恨みやら何やらで会いたがる雑魚が多いので、あのような形を取る。全て答えられれば草間の使い、沈黙を守れば麗香の使い――そのように一応は決めてある」
その男はそう云うと、「煙草はないか?」と人差し指と中指を指して唯為に尋ねた。唯為はスーツの内ポケットから愛用のシガーケースを取り出すと、ヒョイ、と彼に投げる。
「掃除屋、と云ったな。情報網は確かか」
シルバーのライターを弾いて、暗闇に一つの灯りが点る。それに顔を寄せて、彼が火を点けると唯為も一本取り出して煙草をふかした。
「カーマイン、という名は聞いたことないか」
一筋。煙をスッと整った口元から吐き出すと、男は真剣な眼差しを掃除屋に向けた。
「歳は…よく分からんが若いとは思う。高級団地に一人暮らし、一体何してる奴なんだかって所だ」
ふぅっと煙を吐き出すと、掃除屋は何処か遠い目をして唯為の向こう側の壁を見つめた。
「カーマイン…か。懐かしい名だな」
「…知っているのか?!」
唯為は些か驚いて、視線を掃除屋に戻す。彼は動かずそのままだった。
「同一人物かどうかは分からないが…かつて、『Mad Carmine<マッド・カーマイン>』というコードネームを訊いたことがある。紳士を装った赤毛の愉快犯。特殊な能力を持つが故に同業者からも一線を画したヤツだったな」
彼はそう云うと、煙草を咥えて深く吸った。
「特殊な能力?」
「…実際、対峙したことがないので大したことは分からないのだが、『記憶コレクター』だとか何とか」
「記憶コレクター? …何だそれは」
形のよい眉を顰めて男は煙草の灰をポトリ、と下に落とした。ジジジ…と何処かでネオンが焼ける音がする。
「さぁ? そこはよく分からない」
掃除屋は首を左右に振った。


「…何だ、訊いていたのか」
路地裏から抜ける細い一本道の通路をカツカツと靴音をさせて歩いてきた唯為は漸く冴那の存在に気づき、視線をこちらに向けた。
男の足元には、赤い舌を出して主人を守る蛇が一匹。もちろん、その先には艶やかな長い髪と妖しい微笑を称える女が壁に背を預けて立っている。
「まぁ、ね。その子に貴方の香水の匂いを追いかけて貰ってたの」
赤紫のルージュに指を添えて、クスクスと女は嗤った。その様子に、やれやれ、と男は肩を竦めて溜息を吐く。
「じゃあ話す手間は省けたな。…お前はどう思う?」
「人に聞かなくても、貴方はもう分かっている筈じゃなくて?」
女はそう云うとくるり、と男に背を向けた。
「カーマイン…赤は血の色…人の業が露わにする色…」
「…………」
「私はマンションで張ってみることにするわ。貴方は、朱姫と共に足固めをお願いね」
肩越しに振り返り女は妖艶な空気を一筋残した後、颯爽とハイヒールを鳴らして、暗闇へと吸い込まれていく。その言葉の意味する所は――他の誰よりも冴那と唯為が一番よく理解しているのは確かだった。


Scene-2 『 The White Moon 』

女は先刻の様子を思い起こしながら、足元に忍び寄ったアオダイショウを掬い取り、ギシっと音をさせて背もたれにしている貨物に体重を預けた。
警報装置の赤いランプだけが点るこの一室。
都内某所にある高級マンション――もちろん、噂のカーマインが住むと云われる――の屋上にある、こじんまりとした貨物倉庫である。冴那はここに居城を構え、カーマインは勿論、マンションに出入りする人間を僕たちを使って監視するつもりだった。あわよくば、カーマインの本当の目的をも探りたい、との考えである。
「さて、と」
女は薄闇の中で、人差し指で円を描き合図を送る。それにピクリ、と反応を起こしたのは足元に無数に散らばった――蝮達だった。
「今回はお前達に頼むことにするわ。そうね…相手の部屋に忍び込むものと玄関口、駐車場を監視するものとに分かれて行ってちょうだい」
静かに低く命令すると、蝮達はまるで返事をするかのように、揃って細く短い舌を覗かせた。ニッと冴那は愉快そうに微笑む。
「いい子達ね…でも、くれぐれも気をつけなさい。何が起こるか分からないから…」
女の声を背に、蝮達はスルスルと思い思いに散っていく。配管を伝って行くもの、壁の隙間から内壁に潜り込もうとするもの――様々であった。

その姿を見送りながら、冴那はふと胸のうちに過ぎった、何とも云えぬざわついた感情に眉を顰める。
「何か…起こるとでも云うの? こんな胸騒ぎ…」
小さな長方形の天窓から見える高く上った月を女は仰いだ。
その白く赤い月は何かを知っているのだろうか? 見るだけで吸い込まれそうなほど美しく妖しいものであった。


Scene-3 『 Concord 』

パチリ。
カタカタ。

冴那が妙な音に気がついたのは、それから2時間ほど経過した頃だった。
底知れぬ狂喜――そうかつて、まだ生まれて間もないあの頃――室町の頃に感じた欲望と激動の匂い。先ほどの胸騒ぎはこれだったのか?軽く夢現状態に陥っていた冴那は、キッと表情を引き締め辺りを見渡した。
すると――

『ククク…猫と犬…想像以上によく動いてくれますね。これは思ったより楽しめそうだ』

手元に残した1匹の蝮が――喋りだした。
女はハッとそれを凝視する。

『それにしても、実にナンセンスだ。目的を掴む? 私の素性? 楽しむべきことは「今」この瞬間なのに…』

(…この声…カーマイン?)
木箱の上を這った蝮は先ほど冴那が命令して散らばせた蝮から何らかの念を受けて喋っているらしかった。
そして、

『何で…どうして、番号まで…? もしかして冴那さん、もう既にカーマインの部屋にまで蛇たちを…』

もう一方から再び声が。
(朱姫…単独で来たの? 唯為はどうしたっていうの…)

『ククク…猫が一匹進入しましたか…いや、「もう一匹」進入したと云った方が正確か』


今回の調査に携わる――矢塚朱姫<やつかあけひ>――が冴那が放った蝮によりオートロックを解除してマンションの内部に進入した。そして、男は防犯カメラにてそれを一部始終、ワイングラス片手に眺めていたのだった。喉の奥で楽しそうに嗤い、赤い髪を無造作に垂らしてソファに身を沈めている。
それを一房とって、軽く口付けると、
「ではまず…コチラからお相手しましょうか」
そう云うとテーブルに置いてあった分厚い辞書のような本を手に立ち上がる。
男は聞き取れない…何か呪文を唱えると、天井と云わず壁と云わず、ポトリポトリと蝮が落ちてくる。

『訊いているんでしょう? 今から貴方を迎えに行きます』

冴那は大きく眉を顰めた。
ヤツが…来る――?


Scene-4 『 Party 』

指先から感じられる小さなシグナルに女は眉を顰めた。カーマインの部屋へと放った筈の蝮達の気配が一切感じられない。
「…………」
冴那は手を口に添えて暫し思案した後、漆黒の髪が揺れて普段は隠れている右目――金色の蛇の目をギラリと剥いた。そして、しなやかに身をくねらせ…その身を蛇体へと変化させる。
女は、600年という年月を長くも短く生きた蛇――蝮――の化身である。その神々しい霊体が女に宿り、この悠久の時代<とき>を生きてきた。彼女は『生』や『正』に対しては非道く興味がなく…否、むしろ重要なのは退屈をしない時の流れに身を任せることである。
(来るの…? なら私から出向いて差し上げるわ)
蛇体に変化した――戻った――ときの冴那は、実に好戦的であるかのように思える。赤い舌を僅かに覗かせると、爬虫類特有の一筋の瞳をギラつかせ、貨物倉庫を出る。その頃、駐車場や玄関口にいた筈の蝮は主の異変を感じたのか、まるで呼ばれたかのように一斉に主の下へと向い始めた。


(そこが、カーマインの部屋ね…)

冴那は屋上から階下へ降りて、最上階にあるカーマインの部屋の前に来ると一度人間の姿に戻った。
(気配が…ない?)
そこは実に奇妙な空間だった。
このフロア全体が…ポカリと切り離されたような…息が詰まりそうな圧迫感を覚える。
(結界? いえ、違うわ…何かに呼応して…)

「こんばんは」

それは突然だった。
冴那の後ろ――真後ろ――から非道く愉快そうな、そして物静かな声が女を捕らえる。

「迎えに行くと云いましたのに…貴方からわざわざ来て下さるなんて…光栄だ」

冴那は勢いよく身を翻し、その場を飛んで声の主から間合いを取った。
乱れた髪を掻き上げる。そこに見えたのは――赤毛の男。
「…カーマイン――?」

名を呼ばれた男は、恍惚とした表情を浮かべ女に微笑む。
長い――腰まである――赤毛を後ろで一つに束ね、暗いグレイのトレンチコートを羽織り。
その下にはキッチリと黒いネクタイを締め上げ、右手にはシルバーの杖を、左手には分厚いビリジアンの辞書のような本を抱えている。
180cm近くあるのか? 細身の長身、一言で云うなれば――モデルのような、それでいて学者のような知的さが漂ってくる…。

「巳主神冴那。爬虫類関係を多く集めた店『水月堂』の店主…。そして、暇潰しに猫広場の手伝いもしている」

全てを見透かしたような紅い瞳を女に向けた。その視線に、冴那の背筋には嫌な冷たいものが走る。
だが、
「よく…調べたと褒めて差し上げればよくって? 生憎、私はこれ以上あなたを相手しているほど暇じゃなくてよ」
そう云って、女は左人差し指で、横八文字――無限――を描いた。すると、先ほど主の変化に気づいて下から上ってきた蝮達が一斉に冴那の元に終結する。
「血の赤はやがてくすんだ茶色に…茶は朽ちゆく色…終わりゆく色。赤が辿る色…蝮の咬み跡の様に…腐り行く色…」
主が呟くと蝮達がその本性を剥きだしたかのように、牙を向け、男に襲い掛かる――
しかし、くねくねと男の足元に忍び寄り、噛み付こうとしたその瞬間!
牙を剥いた蝮達は聞き取れない叫びをあげて次々に萎えて死んでいった…

「な…?!」

驚きを隠せない冴那を他所に、男はニッと不敵に嗤う。そして、何時の間にか手にしていた本を開いてペラリと一枚、音をさせて捲った。
「知ってますか。あらゆる生命は本能と経験したことのある『記憶』によって動く」
蝮達が冴那の目の前で痙攣を起こしながら最期の悲鳴を上げている…。男は恍惚とした表情を浮かべ、ヒクつく蝮の尻尾を摘み上げて一匹拾い上げた。
「それらを全て奪ってしまえば…蛇など、死ぬのも当然でしょう。…まぁ、蝮程度の『記憶』など、私は興味ないので後で破棄してしまいますが」
そう付け加えると、男はポイ、と近くにあった観葉植物に向けてその蝮を放り投げた。
「カーマイン…」
冴那は怒りに打ち震えていた。否、底知れぬ怒気が腹の底から湧き出るような…。その様子に、クスリ、と男は微笑むと一足飛びで間合いを詰めて、冴那の眼前までやってくる。女は慌てて後ろに下がろうと、体制を変えるが、その前に男が女の腕を掴んだ――!

「正直…興味があるんですよね…アナタの『記憶』に」

その科白にギラリ、と女は男に視線をぶつけると腕を振り切り、右足で男を蹴り飛ばそうと身を低く沈めた。男は余裕の笑みを顔に貼り付けながら、その右足を軽く避け、逆に乱暴に女の肩を掴んで壁に押し付ける。
「ッ!」
冴那の背中が激痛に悲鳴を上げた。

「中々手ごわい方だ…だから、私を楽しませてくれるのですが」

クッと喉の奥で男は嗤った。
冴那は背中から襲う痛みに眉を大きく顰めながら視線を下に落とした。今、男の手には本がない。男の肩越しに床を見ると、先ほどの冴那の攻撃で落としたのか。例の本とシルバーの杖が無造作に転がっているのが映った。

「『Mad Carmine』…」

冴那は眉を顰めながら、唯為と掃除屋が話していたあのコードネームを口にする。その名に、男はピクリと眉を動かした。

「『紳士を装った赤毛の愉快犯』そして『記憶コレクター』」
「…………」
「今更…こんなことをするなんて、相当のヒマ人ね」

女の科白に男の紅い瞳は無機質に何も反応しなかった。否、僅かに怒りを孕んでいるのか?チリリ、と二人がいるフロアの空気が軋んむような気がした。
「…………」
両手を壁に押さえつけられてしまった冴那は一度頭の中を冷却し、次の反撃を考えていた。蝮達は全滅。己もこの状態から抜け出るのは至難の業だ。マンションに進入しているであろう、朱姫に屋上に置いてきたアオダイショウを使って助けを求めるか? …いや、それは危険すぎる。ここは云わば『カーマインのテリトリー』。一人が二人になった所で何か変わる筈もない。それにもし万が一、『記憶』を取られることにでもなったら、自分と比べて僅かしか生きていないあの子が耐えられる可能性は無に等しい。
――どんなに考えても、今からすべき、否、出来得る行動はたった一つだった。

「あまり…女をこうして押さえつけるものじゃなくてよ?」
冴那はそう云うと、ギラリと金色の右目を剥いて、男の首筋に噛み付こうと牙を向けた!
今、男の手元には一切の武器はない。寧ろ、自分を両手を使って押さえつけているのだから、男も手が開かない状態だ。
だが、男は向ってくる女に僅かばかり目を見開いただけで――動かず、そのまま首筋を女に捧げた…。
(な…?)
逆に驚いたのは冴那の方だった。己の毒は噛めば数分のうちに全身へと回り、死に至らしめる。
(この男…)
糸を引きながら冴那は首からゆっくりと牙を抜く。そして、訝しげに男の表情を仰いだ。
男は穏やかに笑っていた。痛みを感じてないのか? それすらも分からない、穏やかな表情だった。

「何を考えてるの…猛毒よ?」
「心配して下さっているのですか? …アナタと会えた記念に受け取っておくことにしましたのでご安心を」
クスリ、と男は笑うと、あっけに取られている冴那の両手を外し、背を向けて床に落ちた本と杖を拾った。
「どうやら、客人はアナタだけではなさそうだ。申し訳ありませんが今宵はこの辺にて失礼を…」
そう云うと、スタスタとエレベーターの方へ向って歩いていく。

「また、お会い出来る事を願って」

エレベーターに乗り込む前に、振り向きざまに男は云った。
何故、女は後を追えなかったのか、それすらも分からない…頭の中は膨張して考えが収まらなかった。


Epilogue 『 The End of Beginning 』

冴那は月刊アトラス編集部の前の廊下に佇んでいた。一夜明けた今日も…考えがあまり納まっていなかった。
すると、手前のエレベーターがチン、と音を鳴らしドアが左右に開く。そこから降りてきたのは、朱姫だった。
朱姫も今回の事件の結果報告をする為に、麗香を訪ねてやって来たらしかった。
「冴那さん!」
少女は冴那の姿を見つけるとぱぁっと表情を明るくさせて、女の元に駆け寄る。
「大丈夫ですか? 体…あんまり無茶はしない方が…」
心配そうな表情で、少女は少しばかり背の高い女を仰いだ。
「心配しなくても、大したことはなくてよ。それより、貴方にも唯為にも怪我がなくて良かったわ」
冴那はそう云うと、トン、と光が差し込む出窓の角に背を預けた。少女にはああ云ったものの、掴まれた肩と二の腕がまだ熱を持ったかのように痛かった。――それに、無残に死んでいった蝮達のことを思うと…やりきれない。

「…アノ男…カーマイン。また会おう、って云っていた…これで終わりじゃないんでしょうか?」
朱姫のその科白に女は何処か遠い目をして、
「さぁ、どうかしらね…イカれたヤツだから、考えもつかないわ…」
と呟く。
結局、ゴーストネットの人間達も、あの男に逃げられた所か惨敗に帰した。あんなに余裕顔をしているのに、まるで…隙がなかった。
しかし、目の前で口元に手をあてて思案している少女に対しては、クスリ、と笑って頭を撫でる。
「今から考えたって、何も始まらないわ。考えるのは、『次』が起きてからにしなくて?」
冴那は微笑む。その科白は自分にも云い聞かせる為でもあった。
「そうだな…そうですね」
朱姫も俯いていた顔を上げて、ニッと笑う。例え…それが気休めだと分かっていても、少女も女もこの心のうちにズシンと残る不安と怒りが払拭できなくても、今から考えた所でどうしようもないことは明白だった。
「あ、そうだ。この近くに美味しいパフェのお店、見つけたんだ! 麗香さんへの報告は後回しにして、先に食べに行きませんか?!」
猫のような屈託のない笑顔で朱姫は云う。
「まぁ、いいわね。貴方の奢り?」
「…学生からお金取る気……?」
嘘よ、私の奢りで行きましょう、と冴那が返すと、二人はエレベーターに向って歩いていった。

――そして、女は振り返る。

「…宴が終わるまで…ずっと追い続けるわ…蛇だから」

そう呟いた。


<都内某所>

「今回は実に…楽しめましたね…」
クス、と嗤ってワイングラスを傾ける赤毛の男。
「記憶は帰してしまいましたが…あれを是非ともコンプリートしたい…」
恍惚とした表情で、全面ガラス張りの窓から、狂った都――東京を見下ろす。その口元からは愉悦と湧き上がる残忍な嘲笑が消えることはなかった――


Fin or To be Continued...?


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0733 / 沙倉・唯為 / 男 / 27 / 妖狩り】
【0376 / 巳主神・冴那 / 女 / 600 / ペットショップオーナー】
【0550 / 矢塚・朱姫 / 女 / 17 / 高校生】

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■         ライター通信          ■
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* 初めまして、本依頼担当ライターの相馬冬果(そうまとうか)と申します。
 この度は、東京怪談・月刊アトラス編集部からの依頼を受けて頂きありがとうございました。
* 今回の依頼は東京怪談・ゴーストネットOFFから同時にオープンしました、佐和美峰ライターの
 『狂気の宴〜ゴーストネットバスターズ〜』とのリンクシナリオとなっております。
* 時間の経過とカーマインとの接触が今回のメインテーマになっておりますので、
 他の参加者の方は勿論、佐和ライターが執筆されたゴーストネットの参加者の方の
 ノベルにも目を通して頂くと、より一層楽しんで頂けると思います。
* 犯人である『カーマイン』も含めて、今回の依頼は両ライターが練りに練って生み出した
 作品ですので、皆さまのご期待に添えられることを願っております。
* 注:『カーマイン』は佐和ライターと相馬の共通NPCとなっておりますが、
 それぞれのライターの世界に居住し、パラレル構造を持っておりますのでご了承下さいませ。


≪巳主神 冴那 様≫
 お久しぶりです。またのご参加、とても嬉しかったです。
 今回は、プレイング採用80%と云った所でしょうか…蛇との語らいとカーマインとの
 バトルをメインに書いてみました。
 私的には久々に巳主神さんの神々しさと色っぽさを冒頭に書けて、とても楽しかったです。
 カーマインとのやり取りも…気に入っているのですが、如何でしょうか?(笑)
 それでは、またの依頼でお会い出来ますことを願って…。
 

 相馬