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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


狂喜の宴〜Mad Carmine〜

Opening 『 Mad Carmine 』

「…月刊アトラスか」

男は雑誌のとある募集欄に目を止めると、クスリ、と嗤った。

『特集!ストーカーの魔の手は、すぐそこに!!/月刊アトラス編集部
  ――ストーカー特集を行います。
    過去に被害にあった方、もしくは現在被害にあって脅えている方の
    ご投稿を心よりお待ちしております。尚、必要ならばこちらにて
    ボディーガードを用意します』

「中々面白そうですね…遊ぶには退屈しなさそうだ」
椅子をくるりと回して立ち上がり、座ってた椅子に雑誌を投げるように置き捨てる。
「でも、ただ遊ぶだけではツマラナイ…何かもう少し捻りが欲しいところですね」
テーブルに置いてあったワイングラスを手にとり、全面ガラス張りの窓へと歩み寄る。
180度全面零れんばかりの夜景を見下ろしながらフム、と顎に手をかけた。
「実験、でもしてみますか…猫と犬…飼いならすのも悪くない」
男は暗闇に青い画面を映し出すパソコンのディスプレイを振り返る。

『ゴーストネット・カフェへようこそ!』

「ククク…アハハハハ…!」
クシャリと赤い髪を掻き上げ、男は声を出して笑い出した。
「そうだ…そうだ…猫と犬…アトラスとゴーストネット…! ククク、面白いですね!」


*****


――その日、碇麗香の眉間から皺が消えることはなかった。


デスクの上に山積みにされた投稿ハガキとファックス。
それを纏めて手にとり、1枚1枚丁寧に捲る。
「あ、それ、例のストーカー企画のですか?」
コピーを取りにやって来た、三下はその膨大な量の投書に目を丸くさせ、横から顔を覗かす。
「…そう。思ったより反響が大きくって少し驚いたわ」
ふぅ、と溜息を落としてコレ見てちょうだい、と三下に一通の手紙を差し出す。

『タイトル:助けて下さい PN:カーマイン
 最近、誰かに後をつけられているような気がします。見張られている感じ…。
 都内のマンションに住んでいるのですが、夜、窓から外を見ると3人の人影が
 こちらを見張ってるように見えました。
 一人暮らしで周りに友達もいません。助けて下さい。お願いします…』

「…これが何か?」
三下は首を傾げて顔を上げた。
「オカしいと思わない? この手の調査なら二流の興信所へ行けば難なく解決する内要よ?それをワザワザ、目立つような雑誌投稿へ…。他の投稿は過去の体験談か、ありもしないようなホラ吹きばかりなのに、ね。」
麗香はそう云って、机の引き出しから写真を3枚取り出した。
「これ見てちょうだい。少し気になってね、住所を頼りにマンションへ行ってきたの。で、これがそのときの写真」

手にした3枚の写真を順に三下に見せる。
1枚目はマンションの外見。高級団地と云った感じの白い建物だ。2枚目はオートロック式の玄関口。観葉植物を置いている所からして清潔感が漂ってくる。そして、3枚目は駐車場だ。
「…ん?」
ズラリと並ぶ高級車の影に何やら妖しい影が3つあるのが分かる。しかも、何か――ストーカーとか云った感じではなく、どちらかと云えば自分達によく似た人種――何かを知ろうとする…取材? 調査? そんな雰囲気が如実に伝わってくる。

「これは一体…どういうことでしょう? この投稿者<カーマイン>を…狙ってる? もしくは、カーマインさんが何かを企んで…」
三下は怪訝そうに眉を顰めて麗香を見るのと同時に、女は写真をスイ、と三下から奪い取ると
「知ってる? カーマインって…狂った紅い色のことよ。吸い込まれるような、それでいて目が覚めるような紅。私はきっとこのカーマインの裏に何かあると踏んでいるの…」
そう云って女はこちらを振り返る。
「と云うワケで、ウチの自慢の敏腕さん達。少し頼まれてくれないかしら…? まずは3人がどんな目的でカーマインに張り付いているのか…そうね、途中で私の古い知り合いも取材に協力させるから、そいつを利用してくれても結構よ」
派手に暴れても構わないから、と付け加えると麗香は穏やかに笑った。


――そして、紅い紅い狂った宴が今宵ここに開始する――


Scene-1 『 A Serious Night 』

煩く鳴り響くネオンと雑音。
眠らない…狂った紅い都、東京のこの突き放したような雑踏感と肌に感じるような孤独感が実は好きだった。こんな繁華街の中心で空を見上げても光が迫る薄闇ばかりで面白くもクソもない。ただ、この何とも云えぬ…手にした物は全て我が物となりそうな夜が非道く恋しい。
歩行者天国と化した道路の脇のガードレールに腰掛ける男は、細い煙草を一本加えると、パチン、と音をさせてライターを弾く。黒いスーツをラフに着こなし、中から覗く白いシャツは粋に肌けられ。煙を吐き出す口元はイヤに涼しく、空を睨む銀の瞳は誰のものにもならない――屈指ない――彼の魂そのもの。
足を気だるそうに組替えれば、胸元のシルバーチェーンのネックレスが僅かに光った。

(さてさて…麗香の古いお知り合いとやらにはここで待っていれば会えるのかねぇ)

大業そうに呟くとカサカサと昼間、麗香に手渡された紙切れをポケットから出し、煙草を咥えながら目を細める。男――沙倉唯為――は麗香が走り書きしたメモの一点に視線を止めた。

『彼と会う時は、彼がOKを出すまでどんな質問にも沈黙を守らなければいけない』

(…沈黙、か。それにしてもどうでもいい事だが、麗香、一体今いくつだ?)
唯為は煙を燻らせながら素朴な疑問を胸に留めた。『古い』知り合いってことは、相当の腐れ縁じゃないと使わないのでは?もちろん、どんなヤツかは聞いていないのでこうして待つしかないわけなのだが…丁度いい、今回の調査の使いッパシリにしてやろうという気満々であった。
「ん?」
そうこう考えていると、隣に立て掛けてある淡い藤色の袋に包まれた忌まわしい我が身の分身とも云える日本刀『緋櫻』が無言のメッセージを主に伝える。
「…何だ? 何か――」
唯為は微妙に変わった分身の気に些か眉を顰めてそれを見た。が――

「1、雇い主の名は?」

底走る殺気だった。キャバクラの勧誘もカラオケから漏れる轟音もゲーセンから聞こえる歓声も、全て一瞬にして消え去るかのような恐ろしく冷たい…圧力。男の頬に冷たいものが走った。

「2、映画『スケアクロウ』にてジーン・ハックマンと競演していた主演俳優の名は?」

振り返れなかった。緋櫻を抜き、振り向きざまに後ろにいる相手を斬りつければ、互角に打ち倒せれたかも知れない。でも、確実に殺れる、という確信は持てない。別に殺る必要はない。だが、殺らなければコチラが殺られるという挑発した殺気を後ろから放ってくる。

「3、戦後、すぐの総理大臣の名は? 吉田茂ではないことだけは教えてやろう」

幣原喜重郎だ…! 思わず男はそう云って立ち上がりそうになった。しかし、先ほど見た麗香の注意書きが脳裏を過ぎる。『彼と会う時は、彼がOKを出すまでどんな質問にも沈黙を守らなければいけない』、と。

「4、から揚げ弁当と幕の内、私が好きなのはどっち?」

知るか、ボケェ…唯為はそう呟いて沈黙を守る。だんだん、殺気が薄れていくのが分かった。

「…………」
「…Ya。なるほど、麗香の使いか」
声の主は低く云ってクッと喉の奥で嗤った。途端、先ほどまで消えていた雑音が唯為の耳に入るようになる。何時の間にか手元まで灰が伸びた煙草をピンと弾き、靴で押し潰すと、唯為はふてぶてしそうに些か嘲笑を称えてようやく振り返った。
「誰が、麗香の使いだと? イキナリ、ヒトを脅かしてんじゃネェぞ、コラ」
「中々、賢そうなツラだな。因みに3の答えは幣原喜重郎じゃなく東久邇宮稔彦だ」
相手はニッと嗤った。然程身長は高くなかったが、派手な白いコートに暗いサングラス。
「アンタが麗香の古い知り合いか?」
「まぁ、ここだと何かと話しづらい。場所を移動しよう」
そう云って、彼はその場を後にする。少しどころか大いに釈然としないものの、仕方がないので唯為は軽く肩を竦め、その後を追うことにした。



Scene-2 『 Two Men 』

「で、私から何を訊きたい?」
連れて来られたのは、通りから一本入った薄暗い路地。山積みにされているビールケースにトン、と背を預ける。
「まずはアンタの名前からだな。それと何であんな呼び止め方したのか…話はそれからだ」
唯為は傲慢そうに云うと、ドッカリとビールケースに腰を降ろし、足を組んだ。先ほどのことが、余程頭にキているらしかった。
「…名は云えない。職業は掃除屋。恨みやら何やらで会いたがる雑魚が多いので、あのような形を取る。全て答えられれば草間の使い、沈黙を守れば麗香の使い――そのように一応は決めてある」
彼はそう云うと、「煙草はないか?」と人差し指と中指を指して唯為に尋ねた。男はスーツの内ポケットから愛用のシガーケースを取り出すと、ヒョイ、と彼に投げる。
「掃除屋、と云ったな。情報網は確かか」
シルバーのライターを弾いて、暗闇に一つの灯りが点る。それに顔を寄せて、掃除屋が火を点けると唯為も一本取り出して煙草をふかした。
「カーマイン、という名は聞いたことないか」
一筋。煙をスッと整った口元から吐き出すと、男は真剣な眼差しを掃除屋に向けた。
「歳は…よく分からんが若いとは思う。高級団地に一人暮らし、一体何してる奴なんだかって所だ」
ふぅっと煙を吐き出すと、彼は何処か遠い目をして唯為の向こう側の壁を見つめた。
「カーマイン…か。懐かしい名だな」
「…知っているのか?!」
唯為は些か驚いて、視線を掃除屋に戻す。彼は動かずそのままだった。
「同一人物かどうかは分からないが…かつて、『Mad Carmine<マッド・カーマイン>』というコードネームを訊いたことがある。紳士を装った赤毛の愉快犯。特殊な能力を持つが故に同業者からも一線を画したヤツだったな」
掃除屋はそう云うと、煙草を咥えて深く吸った。
「特殊な能力?」
「…実際、対峙したことがないので大したことは分からないのだが、『記憶コレクター』だとか何とか」
「記憶コレクター? …何だそれは」
形のよい眉を顰めて男は煙草の灰をポトリ、と下に落とした。ジジジ…と何処かでネオンが焼ける音がする。
「さぁ? そこはよく分からない」
掃除屋は首を左右に振った。

「…………」
暫く、口元に手を当てて思案していた唯為は顔を上げて、思いついたようにつと、口を開く。
「掃除屋。お前、実は今、暇じゃないか?」
脈絡もへったくれもないイキナリの科白だった。だがそこには確実に男のゴーイングマイウェイさが含まれている。
「は?」
我が耳を疑うかのように、彼が顔を上げて唯為を見るのと同時に、
「今回の調査、手伝え。扱き使ってやるから、いいな?」
タレ目ガチで男特有の大胆不敵な笑みを向ける。この笑みを向けられた者は例え誰であっても彼に逆らうことは出来ないのであった。


Scene-3 『 Concord 』

「…何だ、訊いていたのか」
路地裏から抜ける細い一本道の通路に、赤い舌を出して主人を守る蛇が一匹。もちろん、その先には艶やかな長い髪と妖しい微笑を称える女性――巳主神冴那<みすがみさえな>が壁に背を預けて立っていた。
「まぁ、ね。その子に貴方の香水の匂いを追いかけて貰ってたの」
赤紫のルージュに指を添えて、クスクスと女は嗤った。その様子に、やれやれ、と男は肩を竦めて溜息を吐く。
「じゃあ話す手間は省けたな。…お前はどう思う?」
「人に聞かなくても、貴方はもう分かっている筈じゃなくて?」
女はそう云うとくるり、と男に背を向けた。
「カーマイン…赤は血の色…人の業が露わにする色…」
「…………」
「私はマンションで張ってみることにするわ。貴方は、朱姫と共に足固めをお願いね」
肩越しに振り返り女は妖艶な空気を一筋残した後、颯爽とハイヒールを鳴らして、暗闇へと吸い込まれていく。

それを無表情という表情を貼り付けて見送った後、男はクシャリ、と右手で前髪を掻き上げた。目を閉じると…赤い…赤い炎が瞼に宿る。ぴりっとこめかみに小さな雷のような稲妻が走り眉を顰めた。忌まわしき我分身・日本刀『緋櫻』が呼応する。
男はそれを振り切るかのように、瞳を開き冷たく無機質なコンクリートの壁を力いっぱい躯を預けるかのように殴った。赤い――血が壁を伝って流れ落ち、その様を見ると唯為は淋しそうに一つ微笑みを作った。
瞳の色は――神々しいまでに澄んだ銀色であることだけは間違いなかった。


Scene-4 『 Complicated 』

シュイーン。
軽快な機会音と共に開いた自動ドアを黒スーツの男と白コートの男が颯爽と潜る。
冷房が程よく効いたここ――ゴーストネットOFF。暖色の絨毯が敷き詰められ、個々のテーブルにパソコンが物静かに陳列している。
「別に私がお前と共にここに来る必要はないのでは?」
サングラスを取りながら、些か不機嫌そうに掃除屋は口を歪める。
「文句を云うな、掃除屋。知り合いがゴーストネットで妙なネタを仕入れたらしい。見ておく価値はアリ、だと思うが?」
いつものように口元を軽く吊り上げて余裕の笑みを称えると、男は店内を軽く見渡した。
そこで――
「もしやと思うが…貴方達も、何か"調査"をしているのか?」
不意に後ろから物静かな声が二人を捕らえた。振り返るとそこにはスラリと背の高い青年が一人。
「そうだが…お前は?」
「失礼。私は宮小路皇騎<みやこうじこうき>。先ほどのお二方の会話を少し聞いてしまい…もしや、こちらの事件とも関わりがあるのでは?と、思ってな」
科白の端々から礼儀正しさと計算高さが伝わってくる青年――皇騎に、唯為はその銀色の眼で調べるかのように全身を見渡し、
「まぁ、取り合えずそっちの話を訊くことにするか」
と、軽く肩を竦めて、皇騎の傍をすり抜けた。

「で? ゴーストネットでは何が起きている?」
ドッカリと椅子に腰掛けた男は仰々しそうに足を組んだ。その横に皇騎が座り、パソコンを起動させる。その後ろから、気だるそうに掃除屋がディスプレイを覗いていた。
ウィーン…と本体が唸り、黄緑色のランプがチカチカと点滅する。平日というせいもあってか、ビジネスマンが一人二人いる程度で店内は実に空いていた。
「俺の知り合いは『人を追いながら自分も追われる』とか訳の分からん事を言っていたか。もしかして…」
「そうだ…今回のコチラの事件の発端は『占い師』。先日の書き込みは知っているだろう?あの書き込みから普通でない――こう何かその裏に隠れる血生臭いものを感じ取った」
皇騎はそう云いながら、立ち上がったパソコンのマウスを操作して、InternetExplorerを起動させる。
「だから、私はネットから情報収集を徹底的に行い、占い師の元まで辿り着けたら、と思っていたのだが……」
云いしな青年はカチカチっとクリックし、とあるページに入ると一瞬にして膨大な文字列がディスプレイを埋めた。何やら見慣れぬ文字に唯為と皇騎は眉を顰める。
「何だ、これは」
「…フランス…いや違う、ドイツ語、だな…コレは」
二人がディスプレイに向って唸ると、不意に後ろから声が聞こえた。

「『狂喜の宴へようこそ。私は今回の宴が実に楽しくて仕方がない。さぁて、貴方方は私に辿り着くことが出来ますか?私はワイン片手に貴方方が真実を見出すことを心待ちにしてますよ』」

その声に唯為と皇騎はハッと後ろを振り返った。
そこには紅い瞳に青い画面を映し出した――掃除屋がいた。唯為が最初に出会ったときのように…底知れぬ殺気を放っている。
「おい…掃除屋。お前、何か知っているのか」
「それに…これはただ翻訳すればいいってものじゃない。何文字ものダミーの羅列によって綴られる一種の暗号だ…」
視線を向けられた男はスッと何事もなかったようにサングラスをかけた。
「さぁ? 取り合えず読めたから読んでみただけだ。…私には他にも仕事がある。夜にでも差し入れしてやるから、後は自分達で程よく頑張れ」
そう云うと男はコートを翻して出口へと向う。その後姿を見ながら、唯為はこの調査と掃除屋と――もちろん自分自身に不穏な影が確実に近づいているのを感じずにはいられなかった。


Scene-4 『 Action 』

結局、ゴーストネットへ行って得た情報は一つ。
カーマインサンとやらが途轍もなくウサンクサイ人間だと云うこと、だ。
黒いジャケットの裾を髪と共に靡かせ、男は左手に手にしている日本刀・緋櫻に視線を落とす。
(『真実』だと? …上等だ)
ぐっと、握る手に力を込めた。吹き抜ける風と行き交う街の人々が、一瞬にして消え去ったかのように――唯為にはその存在が感じられなかった。チリリ、と紅い炎が誘うかのように瞼を掠める。そして目の前には暗雲を引き連れた居城――カーマインのマンション。唯為はその姿を脳裏に叩きつけると、颯爽と駆け出した。


予想はしていたが、オートロック式の入り口を前に唯為はチッと軽く舌打ちを漏らした。
先日、麗香に見せられた写真からすると、例の駐車場は地下駐車場だ。恐らく…このマンションの真下、にあるのだろう。¥何とかしてマンションの中に進入しなければ駐車場へは辿り着けない。空調設備の穴から入っても良かったが…それでは自慢のスーツが汚れてしまう。
少し、思案すると男は不意に上から向けられる無機質な視線に気がついた。ステンレスとガラスで出来た重厚な入り口・左上に設置されている防犯カメラだ。
(あんまり長居すると厄介だな…)
唯為はそう思うと、視線をマンションの中に向けた。ガラス製である。暖色の高級感溢れる大理石の玄関がそこに映っていた。そして、その右脇の観葉植物から、チラリと赤い舌を覗かせる蝮<まむし>が一匹。
「!」
先に潜入した冴那が操る蛇だった。蝮はスルスルと木を伝い壁を巡って器用に番号を押し、ロックを解除した。
「ナイス」
唯為は不敵に嗤った。シュイーンと高性能な機会音と共にそのドアが左右に開くと同時に、男は堂々とそれを潜り、入って赤い舌を覗かせ、こちらを見ている蝮に、
「…冴那は地下か?」
と問う。しかし、スルリと壁から降りてきた蛇は何処か性急に躯を反応させた。どうやら…何かに呼応しているらしい。忙しなく躯をくねらせ、蝮は唯為の傍をすり抜け一目散に何処かを目指して走り始めた。
――冴那に何かがあったのか?
男はその後姿を見送る。すると脇からゾロゾロと蝮が出てきては合流し、壁と云わず天井と云わず…その身を滑らせていく。蝮達を追おうと、唯為は踵を返したが――ふと視界を横切った人影に気づき、慌てて身を壁に貼り付けた。息を止める。落ち着いた所で、男は隙のない視線で先ほど映った人影を追った。
「ん?」
水色のスカートの裾が角から覗いている。長い艶のある黒髪も――

「朱姫?」
華奢な腕に細い躯…見覚えのあるそのセーラー服。唯為は非常階段入り口の前にいる少女を呼んだ。少女――矢塚朱姫<やつかあけひ>は一瞬ビクっと躯を震わせたが、そろーりと後ろを振り返る。
「さ、沙倉さん?!」
少女は思わず大きな声でその男の名を呼んだ。
「シー。声がデカイ」
唯為は朱姫の口に手をあてて、少女を抱えるかのようにドアを開けて、一先ず非常口へと入った。廊下は嫌でも声が響く。入ってきた、もしくは出かける人間に不審に思われると厄介だ。
「さ…モガモガ…沙倉さ…モガ…」
思わぬ力が入ってしまったのであろう、少女は男の手から逃れようと暗い非常階段の踊り場で必死にもがいた。何日も開けられない倉庫のような匂いが充満している。
「あ、悪い」
男は苦笑い交じりで少女を解放すると、朱姫が背に背負っている弓矢に視線を止めた。
「それにしてもエラク大荷物だな」
「…腕自慢、という訳ではないけど、この話を聞いてとても嫌な感じがしたんです。だから杞憂かも知れませんが、念の為」
そう云って、朱姫は背を男に向けて弓矢を見せた。
「それより、沙倉さん、どうやって入ったんですか?」
その問いに、ああ、と唯為は思い出したかのように、
「冴那の蛇に入れてもらった。アイツは夕刻からコッチに来てるからな」
「あ、沙倉さん、知ってたんですか…」
朱姫はそう云うと少し俯いた。何故かこのマンションに入ってから嫌な胸騒ぎがしてならない。
――もしかして冴那さんの身に何か…
その気配を感じ取ったのか、男はニッと笑って、朱姫の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「な、なんですか?! いきなり!」
「イヤイヤ、今時イー子だなぁ、と思ってな」
「…バカにしてるんですか」
「そうじゃない」
クック、と唯為は笑うと、
「さてさて、お喋りはこのくらいにして駐車場へと向うか。掃除屋が幕の内弁当を持って来る筈だからな」
黒いジャケットの裾を翻して軽快に階段を降りて行く男に、朱姫は一つ溜息を落とすと…その後を追った。


Scene-5 『 A Cat and Dog ―― Encounter 』

ガチャリ。
鉄製の重いドアを唯為が押しやると、そこは高級車がズラリと並ぶ地下駐車場だった。入ってすぐ下の床に黄色のペンキでべったりと「B1」と書かれている。男は誰もいないことを素早く視線を走らせて確認した後、「いくぞ」と後ろに控えている朱姫に声を掛けた。それにコクンと頷いて返事を返した少女はキッと表情を引き締める。

コツンコツン…
タッタッタ…

二人だけの足音が篭った地下に響き、唯為は周囲を伺った。
「冴那さん…いませんね」
朱姫が半歩遅れて唯為の後を追う形で歩いていた。あまり車に興味のない朱姫でも分かるような、ベンツ・ポルシェといった車が所狭しと陳列している。
そこでふいに唯為が足を止めた。脇に視線を取られていた朱姫は、それに気づくのに些か送れ、男の背中にボスンと激突する。
「…沙倉さん?」
鼻頭を押さえながら、少女は男を仰ぎ見た。しかし、男の銀の瞳は前方、見据えている。
「?」

「お前は……」
ふと、カーマインの部屋番号と思われる駐車スペースにいる人間を唯為は見つけた。そして、それが自分がよく見知っている人間なだけに些か呆れ調に眉を顰めて、問う。
「何、やってんだお前」
相手の着物に身を包んだ綺麗な男――十桐朔羅<つづぎりさくら>は、まるで苦虫を噛み潰したような嫌な表情を見せ、フン、と視線をこちらから――否、唯為から外す。
「そっちこそ、何をしてる?」
妙に険悪な雰囲気だったが…唯為はそれを楽しんでいるかのようだった。そこで、後ろにいた朱姫は
「沙倉さん、お知り合いですか…?」
と、唯為の傍から顔を覗かす。
「ん? まぁな。俺の可愛い遊び相手」
唯為はニタリと微笑んで、その笑みを朔羅に向けた。勿論、朔羅の溜息も同時に返って来る。
「遊び相手?」と不思議そうに朔羅の顔を覗き込んだのは、人懐っこそうな笑顔が似合う細身の男――御堂譲<みどうゆずる>だ。朱姫もその問いに思いっきり頷きたいところだった。『遊び相手』というにしては、何やら微妙な空気がこの二人には流れている。しかし、二人の後ろにいた一人の青年――宮小路皇騎<みやこうじこうき>の「それよりだ…」という静かな声が、駐車場に響き、朱姫の詮索はそこで終了した。

「実は私たち…アトラスの人間です。今回妙な投稿があって、このマンションに調査を」
少女はそう云って、何やら不穏な空気が流れている場に、切り返すように説明を始めた。もちろん、麗香から聞いていた『駐車場にいる3人』の話も加えて。
「だろうな。そこの男とは、昼間にも会ったからな」
皇騎は視線を唯為に向け、そしてコチラに向って云った。そこで、唯為のふぅ、という何処ともなくヤル気のない溜息を漏らした。
「なるほど…読めたな。結局、俺たちがある意味最初に目をつけた『3人』はお前達…ゴーストネットの人間だった、ってわけか。…とすると、例の書き込みの占い師も…?」
唯為は顎に手を掛け、得意そうにふふん、と鼻をならした。視線はどうやら朔羅に向っている。
「……そのようだな」
逆に視線を向けられた朔羅は、ふっと視線を外し止められている車の方へと向けた。それをまるで補うかのように、譲が真剣な面持ちで唯為を見る。
「実は僕達は個々に調査をしてたんです。そしてその占い師を尾行してきたところなんですが……」
そして、
「私…三人に接触することでカーマインの手がかりを探ろうって考えてここに一人で乗り込んで来た。でも、先に冴那さんが来てて…ここにいると思ったのに、いないんです。何かあったのじゃないかって、胸騒ぎがしてならない」
黒髪を揺らし、心底心配した面持ちで少女は俯いた。

「私の調査では、占い師と称する男、占いをする前に必ず過去の出来事を、勝手に占うらしい。生年月日も名前も訊かず、ましてや手相を見るわけじゃない。それなのに言い当てるらしいな」
胡散臭い奴だ、と朔羅が小さく舌打ちを漏らした。その科白に、
「占い師…何も聞かずに云い当てる、だと? そんな話があるか」
唯為は朔羅の科白に乱暴に答えると、ふと…あの掃除屋との会話を思い出し、

「『Mad Carmine』…」

そう呟いた。『記憶コレクター』と称するヤツが…もし、仮にその『占い師』とやらと同一人物だったら…そう考えると、妙にクリアに頭の中が整理できた。
「……それは本当です。僕は占い師という男と接触しましたけど、確かに僕を見ただけで過去を言い当てられました。あれは過去を読まれている、という感じの方がしっくりきます。そればかりか、僕の持つ竜胆の力も、薄々気づいているようでした」
穏やかな口調とは裏腹に、チリリ、と何処か怒りを孕んだ険しい表情で譲が加える。続いて皇騎も、
「私がゴーストネットの書き込みに精神干渉した際、そこには底知れぬ高揚感と幸福感、そして嘲笑う気配が感じ取れた。それに…ざくろ石というハンドルネーム。ガーネットという宝石の意味に、『勝利』という言葉があるのも少し気になるな」

「あの…単純に考えたんですけど、あなた達も占い師を追ってここに来たワケでしょう?もしかして、さっき沙倉さんが云った何とかってヤツと同一人物なんじゃあ…」
朱姫は誰もが大なり小なり感じていたその内容をサラリと云ってのけた。ココまで来て妙な勘ぐりは無用の長物に思えたからだ。
「だろうな。唯為が言っていた『カーマイン』も、こちらの書き込みに利用された『ざくろ石』も、同じ深い紅を現す言葉だ。同じ場所に集まること自体、同一人物としか考えられないだろう」
目線だけで唯為の存在を確認し、朔羅は朱姫の言葉に同意した。それに譲も頷き、皇騎も「やはりそれしか考えられまい」と朔羅に向って言葉を発した。

唯為は顎に手を掛けて4人が話す会話を膨張と…何処か遠くで聞いていた。
掃除屋が云っていた科白が気になったからだ。
「俺達が思っている以上に…ヤツは危険かも知れないな」
左手に携えている日本刀・緋櫻に視線を落とした後、唯為は顔を上げた。
「ここで団子になってても仕方ない。こうなった以上手分けしてマッドな紅ヤローをどうにかしないと、な」
朱姫は男の科白にコクンと頷いた。とにもかくにも、ココまで来たら行動あるのみ。その場にいる全員が無言の合図のように目配せして頷いた。

「それじゃ、僕達は正面から行きましょう」

手にした日本刀・竜胆を一度鞘から抜いて、その刃を数秒見やった譲が静かに…そして低く云う。そして、その足は既にエントランスへと向かい、歩み出していた。
譲の姿を後方で見ていた二人も、無言のまま足を動かし出す。それは譲と同じエントランス方向だった。それぞれの靴音と共に…朱姫と唯為から三人が離れて行く。

「朔羅ッ」

不意に低く何処か…縋るような声が朔羅を呼び止めた。唯為だった。
「…気をつけろよ」
振り返った朔羅に唯為は銀色の眼を向けた。そこには普段の余裕綽々とした男からは感じられない何かが宿っているようで、一瞬朔羅は息を…詰まらせた。
「十桐家の大事な跡取だ。間違っても無茶するなよ」
唯為はふと淋しげに笑う。
自分でも何を根拠にこんな複雑な心境になっているのかよく分からなかった。カーマインがイカれてるヤツだからか? 朔羅にもしものことがあったら十桐家が断絶に陥るからか? 分からない――分からないがここで何かを云わないと、後悔の念で押し潰されそうな…そんな予感が胸のうちに広がっていた。

朔羅は呼び止められ、その向こうで顔を歪ませて笑っている唯為に、何を言えばいいのか瞬時には対応出来ないでいた。ただ普段自分をからかう時には、絶対に見せないだろう表情だったのは、不意打ちとしか云いようが無かった。
彼は歩く足を止め、唯為に向き直ってふふ…と小さく笑みを浮かべる。
「その言葉。そっくり返そう。無茶はするなよ…大事な本家の当主なのだからな」
云うや否や二人に背を向け、朔羅は少し足早に、譲と皇騎の後ろを追った。
「沙倉さん…」
二人のやり取りを後ろで見ていた朱姫は、何故か自分までもが切ない気分になった。どうしてだろう? 調査を共にしてから唯為がこんな表情を見せるのは初めてだったからか。
朱姫は何とも云えぬ表情で男を仰いだ。すると、その視線に気づいた唯為がふっといつもの笑みを少女に向けて、頭をワシワシと掻いた。
「ほら、俺達はエレベーターから行くぞ。冴那が上で待ってるだろうからな」
あっという間に切り替えてしまった男に、逆に少女は毒素を抜かれてしまった。
「それにしても、掃除屋…遅いな」
唯為が思い出したかのように、呟くと…まるでそれが合図になったかのように、ウィーンと…エレベーターの方でドアが開く音がした。

「!」
唯為と朱姫は、音のしたエレベーターの方へ向って一目散に駆けた。
(来る――!)
空気がピリリと痙攣したかのような緊張感を帯びる。間違いない、ヤツだ…!
「朱姫、いいか…お前は間合いの外からヤツを狙え。迂闊に近寄るなよ!」
男の緊迫した声に朱姫はコクンと頷く。走りながら、手にしていた弓と背にしていた矢筒を整え臨戦態勢に入る。

――それは実に静かな始まりだった。


Scene-6 『 Confrontation 』

「こんばんは」

開口一番ヤツが云った科白は実に穏やかで…愉悦を含んでいた。
長い――腰まである――赤毛を後ろで一つに束ね、暗いグレイのトレンチコートを羽織り。
その下にはキッチリと黒いネクタイを締め上げ、右手にはシルバーの杖を、左手には分厚いビリジアンの辞書のような本を抱えている。180cm近くあるのか? 細身の長身…モデルのような、それでいて学者のような知的さが漂ってくる。

「――カーマイン…」

名を呼ばれた男は、恍惚とした表情を浮かべ二人に微笑む。
「おやおや、今日は千客万来ですね。上の彼女のお仲間、と云った所でしょうか…?」
全てを見透かしたような赤い瞳に朱姫はぶるっと背筋を振るわせた。
「冴那はどうした…」
唯為は低く男に問う。しかし、赤毛の男は愉快そうに本をさするだけで、何も答えなかった。代わりに、
「沙倉唯為。櫻家当主…表向きは能のとある流派の本家筋。しかし、裏ではその手にする日本刀・『緋櫻』を受け継ぐ妖狩り…」
ペラリ、と一枚ページを捲り、クスクスと声を立てて嗤った。
「そして後ろのお嬢さん。矢塚朱姫…弓道が好きな女子高生…。ん? 興味深いのは貴方の前世の方か」
もう一枚、ページを捲る。
唯為と朱姫は男の科白に大きく眉を顰めた。まさに、さきほど聞いた『占い師』と同じだ。
――何を…何を元にこの男は『記憶』を読んでいる…?
「まぁいい…訊きたいことは腐るほどあるが、取り合えずお前をブチ倒してからということにしようか…」
唯為はそう云うと、手にしていた藤色の布に包まれた一振りの刀を横一文字に目の高さまで掲げる。

『櫻・唯威の名の元に、汝、緋櫻の戒めを解き放つ』

低く静かに唱えると、人差し指で『櫻・唯威』の文字を素早く書き記し、その文字が金色に――そしてそれが刀全体を覆うように光りだす…! 一瞬ににして円状の霊気がその刀から噴出したかのように駆け抜け、布が吹き飛び、男の前髪を大きく揺らした。
シュゥゥゥゥ…
まるで、その『緋櫻』自身が息づいてるかのように、白い霊気が刀身から立ち上る。
「カーマインサンとやら。アンタとはいいオトモダチになれそうな気がするな」
唯為はニッと笑みを顔に貼り付けると、タンッ!と床を蹴って男に挑みこんだ――!

両手を柄に掛け、男の肩口へとブチ込もうと唯為は力を込める。しかし、男はクス、と一つ微笑みを零し、一足飛びでその場を退いた。そして、スラリと杖から――細身のサーベルを抜いた。仕込み杖だ。
「いい刀だ。しかし…私に着いて来れますか?」
鞘となっていた杖を床に無造作に放り投げ、男は再び本を脇に抱える。
それを見た唯為は、
「俺を片手で相手しようだと…? 死ぬぞ、貴様」
「片手で足りなくなったらそのときは考えますよ」
それに、この本はとても大事でね、と男は付け加える。

唯為の中に虫唾が走った。気絶程度に留めておいて後でイビってやろうと最初は考えていた。が、何やらこの男に対して制御し切れない感情が沸々と湧いてくる。こちらを挑発するようなあの口調、嗤い、そしてあの――燃えるような赤い髪。
手を額にあてる。瞳を一瞬閉じて、ゆっくりと開いた時…彼の瞳の色は何色か。
そのとき。

「沙倉さん、伏せてッ!」

後方からキリキリと弦を撓らせて、こちらへ矢を向ける――朱姫だ。唯為はハッと我を取り戻し、身を翻して矢道を開ける。
ビュンと一筋の矢が唯為の脇を駆け抜け、男に向って走る――! しかし、男は愉快そうな笑みを口元に作ったまま動かなかった。逆に、
「飛び道具は危険だ…命取りになりかねませんよ? お嬢さん」
男の科白の通りだった。
矢は男の傍まで――厳密に云えばコートに触れるその直前に白い光を放ってぶつかった、と思うと軌道を先程とは反対に――少女に向って破魔の矢が勢いを増して一直線に弾かれたのだ。

「朱姫ッ、避けろッ!」

唯為の声が篭った暗い駐車場に響く。少女は何よりも、自分の矢が弾かれたことにショックを受けていた。
――足が竦む。
唯為は舌打ちと漏らし、床を蹴って朱姫の元へと届く前に矢を斬ってしまおうと踵を返す。が、ここからは有に数メートルはある。とても間に合いそうになかった――。


Scene-7 『 See you 』

「……ッ!」

少女が身じろいて、もうダメだとぎゅっと目を瞑ったその瞬間。フッと躯が浮かびあがる感触を覚えた。
数秒経って、痛くない――むしろ右から聞こえる整った心音に朱姫はそろりと目を開く。
「掃除屋…」
唯為が驚きと共にホッとした声で名を呼んだ。少女が仰ぐと、自分を横に抱き上げてあの場所から逃げてくれた――男の蒼い髪が目に映った。白いコートに紅い瞳が涼しく光っている。
「折角の幕の内弁当がこれでは台無しだ」
つと、掃除屋は口を開くと、指に辛うじて引っ掛けていた三人前の幕の内弁当が入った袋を手に溜息をついた。
「あ、あの…」
「ん? ああ、すまない」
少女が言葉を紡ぐ前に、掃除屋は彼女をストン、と床に降ろした。細い――背も朱姫と同じくらいの華奢な男だった。
「来るのが遅い。弁当もお前も、だ」
唯為は溜息を吐くと、掃除屋に視線を向けた。しかも、何てタイミングだ、と付け加える。掃除屋はさて? と肩を竦めると、弁当が入った袋を唯為に手渡した。
「ちゃんと食えよ」

「…クラインか…?」

三人から間を置いた、男からふいに言葉が発せられる。
「懐かしいな…五年ぶりか…」
一瞬和んだ空気もまたすぐに緊迫した物へと変わる。そして、男の科白に唯為とクラインと呼ばれた――掃除屋は振り返った。
「相変わらずくだらないことを仕出かしてるな…凝りもなく」
掃除屋は溜息を一つ落とした。その科白に唯為は掃除屋に視線を向けた。
「…知り合いか?」
「愛人です」
間髪入れず、男から返事が返って来る。朱姫は目を見開くだけだった。
「ギャグのセンスも相変わらず悪い…コイツはタダの商売敵だ」
また溜息を一つ零す。何処までが本当で何処からが嘘なのか唯為や朱姫には図りかねた。
「知っていたなら、何故云わなかった」
「云っただろう? 親切に。しかもタダで。…それに、まさか本気でコイツにお前達が接触を試みるとは思っていなかった」
「ヤツの能力については…」
「私だってまともには対峙したことがない。ハッキリ云ってアイツが嫌いだからだ。だから会わないようにここ五年も雲隠れしたと云うのに」
「記憶…私達の記憶が取られて…いえ、読まれてしまうんだ」
朱姫は少し眉を顰めて、掃除屋に云った。どんな能力を使っているのか、それがどういう仕組みなのか、皆目分からなかった。
「アイツはすぐ逃げる。殺るなら今だぞ。じゃないと、コピーされるだけならまだしも記憶を『完全に奪われたら』……『経験が少ない』と死ぬぞ」
低く云って、掃除屋は朱姫と唯為に向って云った。
「お前は?」
「私を雇うには前払いが必要だ」
「いくら必要なんだ」
「百万単位」
朱姫の問いと掃除屋の答えに唯為は絶句した。そして、そんなモン払えるか、と緋櫻をチャキリ、と鳴らして男の方を振り返った。
「掃除屋さんはアテにならんようなんでな…こっちで第2ラウンド、始めるか」
「同感」
コクン、と唯為と朱姫は頷いて同意すると男の方を振り返った。

――が、そこに男の姿はなかった。
「!」
「さっきまで、そこにいた筈なのに――!?」
唯為は緋櫻を片手に、先程まで男が笑みを浮かべて立っていた場所に走り寄った。
――馬鹿な、後ろは壁で何処かに行こうものなら、俺達の傍を抜けるしかない筈だ…!
集中してみると、あの特有な空気の緊迫感がない。
朱姫は後ろを振り返った。
「掃除屋サンッ! カーマインは何処へ?!」
掃除屋は溜息を吐いて肩を竦めた。
「…だから云っただろう? アイツはすぐ逃げる、と」

「失礼な。逃げるんじゃありませんよ…まだ犬が表で騒いでおりますので、そのお相手を」

三人に強烈な白色のライトがあてられた。車のヘッドライトだ。明かりが点いていたと云ってもそこは駐車場。暗いことには違いない。そこにイキナリ光をあてられれば――眩しい所の話ではなった。
「カーマインッ!」
手を翳しながら唯為が叫ぶ。

「また、お会いしましょう」

相変わらずの愉悦を含んだその声で、男はこちらに向って言葉を投げると、アクセルを吹かした。朱姫と掃除屋の傍を乱暴に駆け抜ける――ルーフCTRだ。
シルバーグリーンのボディの中に、赤毛の男が座っているのがチラリと確認できる。
「くッ!」
少女は手にしていた弓で通り過ぎた車に向って矢を放とうとしたが、遠く小さくなる車に、その矢は放たれることはなかった――


Epilogue 『 The End of Beginning 』

唯為は気だるそうに一つの溜息と共にソファに身を沈めた。月刊アトラス編集部に設けられているフレッシュルームの一角だ。一晩明けた今日になっても、スッキリせず――寧ろ性質の悪い風邪のような纏わりつく気配に気分が晴れなかった。
「随分と…ご機嫌ナナメのようだ」
コトリ。
目の前に白く湯気の立ち上るコーヒーが置かれる。鼻をくすぐる香ばしい――といってもインスタント製の紙コップのコーヒーなのだが――薫りに唯為は瞼を上げた。視界に白いコートの裾が映る。
「…当たり前だ。結局、ゴーストネットの奴等も惨敗。カーマインは愛車でGo、だ」
「ま、被害が最小限で良かったと思えばいいじゃないか」
向かい側に座った彼はそう云って、自分も手にしていた紙コップに口付けた。唯為はその様子にヤレヤレ、と些か自嘲気味に首を左右に振り、置かれたカップを手に取る。
「それに…あまりアノ男に執着しないことだ。気に入られたらかなり厄介だ」
「それこそストーカーか?」
特有の含み笑いを零しながら唯為は背をソファに預ける。
「欲しいものを手に入れるには手段を選ばない。今度それらしい調査があったら、迷わず深入りしないことだ」
掃除屋は目を伏せながらつと、零す。
しかし、それに対して、

「冗談」

唯為は云う。
ここで引き下がったら男が下がる。
脇に立てかけておいた緋櫻を見つめ、そうだろう? と不敵な笑みを口元に浮かべた。


<都内某所>

「今回は実に…楽しめましたね…」
クス、と嗤ってワイングラスを傾ける赤毛の男。
「記憶は帰してしまいましたが…あれを是非ともコンプリートしたい…」
恍惚とした表情で、全面ガラス張りの窓から、狂った都――東京を見下ろす。その口元からは愉悦と湧き上がる残忍な嘲笑が消えることはなかった――


Fin or To be Continued...?


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0733 / 沙倉・唯為 / 男 / 27 / 妖狩り】
【0376 / 巳主神・冴那 / 女 / 600 / ペットショップオーナー】
【0550 / 矢塚・朱姫 / 女 / 17 / 高校生】

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■         ライター通信          ■
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* 初めまして、本依頼担当ライターの相馬冬果(そうまとうか)と申します。
 この度は、東京怪談・月刊アトラス編集部からの依頼を受けて頂きありがとうございました。
* 今回の依頼は東京怪談・ゴーストネットOFFから同時にオープンしました、佐和美峰ライターの
 『狂気の宴〜ゴーストネットバスターズ〜』とのリンクシナリオとなっております。
* 時間の経過とカーマインとの接触が今回のメインテーマになっておりますので、
 他の参加者の方は勿論、佐和ライターが執筆されたゴーストネットの参加者の方の
 ノベルにも目を通して頂くと、より一層楽しんで頂けると思います。
* 犯人である『カーマイン』も含めて、今回の依頼は両ライターが練りに練って生み出した
 作品ですので、皆さまのご期待に添えられることを願っております。
* 注:『カーマイン』は佐和ライターと相馬の共通NPCとなっておりますが、
 それぞれのライターの世界に居住し、パラレル構造を持っておりますのでご了承下さいませ。


≪沙倉 唯為 様≫
 初のご参加、ありがとうございます。
 設定を拝見し、ノリに乗って書かせて頂きました(笑)。
 プレイングもきっちりポイントを押させていらっしゃったので、
 メインストーリーに一番多く登場していらっしゃいます。
 沙倉さんの何とも云えぬゴーイングマイウェイさがちゃんと出せたかは
 不安ですが…如何でしたでしょうか?
 それでは、またの依頼でお会い出来ますことを願って…
 

 相馬