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エンドレス・ワルツ
武彦から渡された資料に目を通しながら、シュライン・エマはこめかみを揉んだ。
草間興信所唯一の常駐事務員である自分が、遅めの昼食を摂りに行った隙に、新しい依頼人が来たらしい。
当然所長である草間武彦が一人で応対したらしいのだが、その任務がそのままシュラインに回ってきてしまったのだ。
ランチ時間ギリギリでお気に入りのパスタ店に飛び込み、ゆっくりとペペロンチーノを味わって戻ってきたシュラインを迎えたのは、分厚い紙の束だった。
武彦は依頼人を帰した後、ことのあらましを全て文書化してシュラインを待ちかまえていたのだ。
「シュライン向きの依頼だと思って」
と言って浮かべた笑顔の裏側が、シュラインには判る。
どうせ、時間のない依頼なのだろう。
だから、手っ取り早いシュラインに回したのだ。
持ち込まれた依頼は、矛盾しようが不可能に思えようが受けるのが草間興信所のモットーである。依頼を蹴飛ばしていいのは、提示された報酬が内容に見合わなかった場合のみだ。これも、支払われる可能性が少しでもあれば受ける。
武彦は、金勘定にはちょっとうるさい男だった。しかしそれも、実入りはいいが出費も大きいというこの興信所の台所を知っていれば頷ける。
だからシュラインは資料の束を受け取ったのだ。
そして、後悔した。
依頼人の名前は元木裕次郎。48歳。会社員。役無しの経理事務というから、よほど使えなかったのだろう。もしくは、何らかの事情があるか。
依頼人はもう10回以上も、本日「6月20日」を繰り返して経験しているという。全て定まった6月20日の中を、ぐるりぐるりと巡っているということらしい。今夜眠って、目が覚めたらまた6月20日の朝だということだ。
朝、必ず6時48分に目が覚める。出社してからのタイムテーブルがかなり細かく書き込まれている。そして、9時には就寝。
依頼人・元木氏はこのループに気づいてから、抜け出すためにかなり努力をしたらしい。眠らないようにしてみる。会社へ行かずに家にいてみる。出かけてみる。
その一貫として、草間興信所にも三回訪れている。そしてシュラインは自分の勘違いに気づいた。
エージェントはシュライン・エマと書かれているのだ。
向こうが指名してきたらしい。「紹介して頂く方はシュラインさんとおっしゃる方ですね」と言われ、事実そうしようと思っていた武彦は驚き――
懲りずにまた、シュラインを選択したようだ。
といっても、懲りようにも武彦や自分にとっては一度目の依頼である。言い当てられたからと言って、他のエージェントを呼ぶ暇もなかったのだろう。
「あ、依頼人。あと30分くらいで戻ってくるから、そうしたら任務開始してくれ」
シュラインの考えを見透かしたように、武彦がデスクから声をかける。
「今日中に何とかして欲しいって言われたんでしょう」
「ああ」
武彦が素直に頷く。
「今この瞬間にもループの輪を断ち切りたいらしい。明日出直すのでは一緒だから――まあ、彼の言葉を信用すればもっともなんだが――4時に戻ってくると言っていた」
「はいはい」
シュラインは肩をすくめる。
「オシリ叩かれてるカンジね。高くつくわよ」
「ウチの経済状況を考えて言ってくれ。お前のバイト代が出なくなるぞ」
「そうねえ、じゃあ何か奢ってちょうだい。報酬の他に」
「オレのポケットマネーを狙って来たな……。仕方ない。とっておきのデートコースを用意してやる。だから仕事、きっちりな」
「はいはい」
シュラインは読み終わった書類の束を、机の端でとんとんとそろえた。
デスクで煙草を吸っている武彦に渡し、灰皿を取り上げる。昼前に替えたばかりだというのに、すでに吸い殻でいっぱいなのはどういう事なのか。
新しい灰皿を置いてやった時、ドアがこんこんと控えめにノックされた。
×
依頼人のループする一日が自宅から始まると聞き、シュラインは彼の家まで行くことにした。
東京都三鷹市。世田谷区のすぐ隣にある市である。武蔵野の呼び名が持つ印象通り、どこか田舎臭い雰囲気を残している。緑が多かった。
JR中央線三鷹駅で下車、徒歩15分ほど。一戸建ての間に挟まれたかたちの小さなアパートが、元木裕次郎氏の住居だった。
二階建てで、部屋は六部屋と少ない。およそ、東京都に存在するとは思えないほど古びているアパートであった。日当たりも抜群に悪い。
「なんだか、懐かしい感じね。古い日本映画の舞台みたい」
「そう言ってくれるとありがたいですね。ボロアパートの一言で片づけられることばかりだから」
元木氏が苦笑した。
依頼人は、資料で読んだとおりの印象の持ち主だった。くたびれた中年男性というイメージを全身で体現したかのような印象だ。ワイシャツのみならず、ネクタイから上着までしわが寄っている。
うだつが上がらない。冴えない。くたびれた。
「中年男性」の上につける形容詞としては使用頻度の高いものが、全て似合ってしまう。これでは役無しというのも頷ける。
いかにも仕事は任せられないと言った、弱々しく自信のなさそうな雰囲気を全身から醸し出しているのである。
「一階の、右端の部屋ですよ」
元木氏は一人で頷き、とことこと部屋に向かう。
シュラインはぐるりとあたりを見回し、それから彼の後に続いた。
男性の一人暮らしにしては片づいている部屋だった。
ゴミも無ければろくすっぽ家具もないのである。ミニキッチンの方を除いてしまえば、布団一式にテレビ、ちゃぶ台だけという有様だ。
「質素な暮らしをなさってるんですね」
これでは、人に恨まれることもなさそうだ。
「何年も前に、女房に捨てられましてね。家から追い出されました。子供も家も、ぜーんぶ取り上げられてしまいました。会社もね。今いるところは、一昨年潜り込んだんです。小さな会社で給料も良くないが」
元木氏はうんうんとまた一人で頷いて、コンロにやかんを置く。
おかまいなく、とシュラインは小声で言った。
「まいにち、数字とにらめっこしていればいい。年金が入る年まで……そう思って、いたんですがね。まさか、今日で足止めを食ってしまうとは」
「昨日――6月19日の記憶は、ありますか」
辛気くさい話題にピリオドを打つために、シュラインは仕事の話にはいる。
「ええ。ただ、20日をかれこれ10回以上も過ごしていますから、半月近く前のことのようですけど」
「じゃあ、繰り返した今日の記憶はあるんですね」
「あります。それでも、気づくのに結構かかっているかもしれません。今言ったとおり、毎日をただ過ごすことしか考えていませんでしたから」
「……重傷ですね」
「そうですね。勿体ないことをしていたと、思います」
元木氏は目をしょぼしょぼさせる。
湯飲みにつがれた緑茶を、ごこちなくシュラインの前に置いた。
「いや、若い女性がねえ。私の部屋にいるなんてね。なんだか緊張してしまいます」
「しないでください」
シュラインはきっぱりと言い放つ。
「それで、19日に何か特別な事がありませんでしたか」
「ありません」
元木氏は素直に首を振る。
「必死に何度も思い出したんですけれど、やっぱり、なんですか。次元の裂け目に入ってしまったとか、宇宙人にさらわれたとか、催眠術をかけられたとか、そういう事は全く」
「いえ、そんなもの凄く特別な事ではなくてもいいんです」
シュラインは呆れて首を振った。
「そうなんですか? 私も、自分が何故同じ日を繰り返すか、これでも一生懸命考えたんですよ。ムーとかいう雑誌を買ってみたり。いや、ああいうのってどきどきわくわくしますねえ。お金は使っても先に進みたいですからね。霊能力者や修験者、イタコにも会いましたねえ。占いもいっぱいしてもらいました。本もいっぱい読みました。でも、私は宇宙人にさらわれたことなんて」
「いえ、宇宙人はいいんです」
シュラインは首を振る。
「なんでこだわるんですか」
「占いに出たんですよ。あなた、18日の夜に宇宙人にさらわれたんです。これは夢なんですってね」
「どんな占いですか」
シュラインは呆れて唸る。
「宇宙人にさらわれたいんですか?」
「金属片を埋め込まれるのは、コワイですねえ」
「……埋め込まれたいような口ぶりですこと」
「金属片を埋め込まれたら、年金なんてアテにしなくても生きていけるんじゃないかと、こう思ったんですよ」
「そう……」
シュラインは頭痛に襲われる。
もしかしたら、この依頼人は、ただ自分の妄想の中にいるだけなのではないだろうか。
だとしたら、一発ぴしゃりとやって目を覚まさせれば任務完了というわけだ。
シュラインはちゃぶ台の下でかるく握り拳を作る。
「ええと、話を戻しますよ。じゃあ、ループしているのは、今日という日であるというたった一点なんですね」
「ええ……そうなりますね」
ぱちくりと瞬きし、何秒か遅れて元木氏は頷いた。
「じゃ、今日のことを予言してもらえますか」
「そうですね。どうしましょうか」
シュラインはテレビを指さした。
「そろそろ八時のニュースですね。今日、起こる一番大きなニュースはなんでしょうか」
「今日は、鈴木尻男さんが、逮捕される日ですね」
「ごめんなさい。それ昨日あたりからずっと言ってますから私も知ってます」
「ああ……あ。ワールドカップ。日本はトルコに負けますね」
「それは18日の話です」
うーん、と元木氏は頭をひねった。
「今日は、なにがある日でしたっけね?」
「だから、それを私が聞いてるんだってば!」
シュラインは思わず声を荒げる。
ひぃっと小さな悲鳴を上げ、元木氏は膝を抱えて丸くなる。
弱い。ひどく弱っちい。
シュラインは頭を振り、
「なにか突発的な事故とかない?」
と言い直した。
「予想がつかないような事、ですか」
「そう」
ううん、と元木氏は唸り、
すすっと近寄ってシュラインの手を握った。
「私とシュラインさんが、恋に……落ちるとか」
「落ちません」
シュラインは元木氏の手をぱしんと叩く。
「私が、シュラインさんを……れれれ、レイプしてしまうとか」
「明日どころか、今日で終わらせてあげるわ!」
シュラインががしゃんとちゃぶ台をひっくり返す。
手つかずの湯飲みがひっくり返り、それを足に浴びた元木氏が悲鳴を上げる。
「そんなバカなコトを言ったらこうなるって判らないの!?」
「わわわっ。私は、私は予知能力者じゃないんです。毎日を繰り返しているだけなんですーっ」
「あのね、予知能力者じゃなくても想像すれば判ることでしょうが!」
ばんっと元木氏にちゃぶ台をぶつけ、シュラインは部屋の中央に仁王立ちした。
「まったくもう。依頼しに来たって言うのに、元木さん。あなた、本当に明日に進みたいっていうカンジが全くしないわ!」
「明日に行きたいですよ。もう、もう一度シュラインさんにお茶かけられるのはイヤですから」
ぼき、とシュラインは指の骨を鳴らした。
といっても彼女には男をたたきのめせるほどの腕力はない。これは脅しである。
「ひぃーっ、ごめんなさいごめんなさい」
元木氏は蛙のようにカーペットの上に這いつくばり、へこへこと頭を下げる。
「冗談です、冗談」
「度が過ぎる冗談はお仕置きの対象になるのよ」
パンッと自分の掌を叩く。
シュラインはそこで満足し、もう一度カーペットの上に座り直した。
「ほら、もう九時だわ」
「ね、眠くなってきましたよ」
元木氏が大きく欠伸をする。
「二回ほど、徹夜のつもりで起きていようとしたんですが、気づいたときには眠っていたんですよ。それで、いつも通りの朝が来て」
説明しながらも、元木氏は欠伸を繰り返している。
眼もとろんとしている。相当眠いようだ。
「ああ、ダメです。眠たい眠たい……シュラインさんも、一緒に寝ませんか」
「ちょっと! 寝たらダメですよ、元木さん!!」
「ううー……ああ、ダメです。裸のシュラインさんが、笛を吹きながら私を迎えに……眠りの国へと……」
「変な妄想しないで下さい! 元木さん!」
ごてんと倒れてしまった元木氏を、シュラインは揺さぶる。
頬を張り飛ばす。
しかし、元木氏はごーごーと鼾をかいてしまっている。
シュラインは途方に暮れた。
×
外から眩しい光が差し込んできたのはその時だった。
シュラインは立ち上がり、窓から外を見る。
小さな駐車場の向こう、細い路地の方から光は差し込んでいる。
車がハイビームにでもしているのだろうか。迷惑な。
光が、すっすっとジグザグに動いた。
「え!?」
シュラインは口元を掌で覆う。
向かいの家の上空に、光は飛んでゆく。
更に眩しい光が降り注いだ。
「きゃっ」
シュラインは眼をつむり、顔を背ける。
光が少し静まる。
眼を開き、そっと外を覗く。
外は昼間以上に明るい。上空に、きらきらとまばゆく光を放つ巨大な球体があった。
顎が外れそうなほど口を開き、シュラインは球体を見つめた。
「ゆ……UFO……?」
呆然と呟く。
球体から一筋の光が伸び、シュラインが外を覗いている窓のすぐ側に当たる。
光が消えた後、緑色の肌をした子供が二人、外に立っていた。
全裸である。人間の子供と見た目は殆ど変わらない。グレイと呼ばれる宇宙人のように眼が巨大なわけでも、手足が細いわけでもなく、ごく普通に人間の姿をしている。
子供の片方が手を伸ばし、窓を開けた。
からからとサッシが開く。
子供二人が、部屋の中に侵入した。
シュラインは突き飛ばされて尻餅をつく。
子供が、元木氏の頭と足を抱き、持ち上げようとしていた。
「ちょ、ちょっと! 何するの!」
シュラインが立ち上がり、二人の前に立ち塞がる。
肌と同じように緑色の瞳が二対、シュラインを見上げた。
「この男が、願ったことだ」
「叶えてやっているのだ」
子供二人が同時に口を開く。
聞こえてきた音は、今までシュラインが耳にしてきたどんな言葉とも異なっていた。近いものを挙げるとすれば、シャワーが流れるザーッという音だろうか。
だが、意味だけは頭に入ってくるのだ。
「これは契約だ。邪魔をすることは許されない」
「この男は今朝へ戻るのだ。死なない安泰な未来へと」
子供達は窓の外へと元木氏を放り投げる。
元木氏の身体が光に包まれる。
「お前には何もしない」
「この男のことは放っておいてやれ」
子供の瞳がシュラインを見つめる。
シュラインの視界が緑で満たされた。
×
一部始終の報告を受けた武彦は、ぷっと吹き出した。
「ちょっと、笑わないでよ」
「いや、それは面白い。ネタになりそうじゃないか?」
けらけらと笑い、デスクを叩く。
「やめてよ。そんな三流小説みたいな展開、書けるわけないじゃない」
シュラインは仏頂面で、所長デスクの正面にあるソファに座った。
「いいじゃないか。ムーあたりに投稿してみたら」
「やめて。その名前は今日は聞きたくないわ」
首を振る。
武彦は暫く笑っていたが、ふぅとため息をついて真顔に戻る。
「報酬は?」
「無しに決まってるだろう。相談料しか貰ってないぞ」
「えーーーっ」
シュラインは唇を尖らせる。
武彦はかりかりと頭を掻いた。
「仕方ない。宇宙人と遭遇した美人作家を、今夜は接待してやるとしよう」
デスクの上に肘を突き、にっこりと笑った。
「少し早めに帰してやるから、可愛い服に着替えてきてくれよ」
「武彦さんもね。煙草の臭いがしみついたスーツでなんて、許さないから」
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、和泉基浦です。
依頼・エンドレスワルツをお届けします。
今回はループ物ということで、ループをどう断ち切るかがポイントでした。
つかみ所のない依頼だったのか皆様悩んだプレイングが目立ちました〔笑〕
それぞれのプレイングを踏まえてこうしたらラストとなりました。
いかがでしたでしょうか。
要望・苦情等がございましたらお気軽にテラコンよりご連絡ください。
シュライン様こんにちは。ご参加ありがとうございます。
シュライン様のノベルは他の方とは一風違った感じに仕上がっています。よろしければ、他の方のもご一読ください。
またご一緒できることを楽しみにしております。 基浦。
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