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蛍狩り夜話
------<オープニング>--------------------------------------
草間興信所のバイトの女性は、プリンターがはき出した紙を取った。
最近流行りのポップスを口ずさみながら冷蔵庫へ行く。
冷蔵庫は出入りする人間がよく使う。故に掲示板の役割も担っている。
女性はA4の紙を冷蔵庫の真中にマグネットで貼った。
+蛍狩りのご案内+
拝啓 時下ますますご清栄のことと存じます。
つきましては、草間興信所で蛍狩りを開催いたします。
夏シーズンに向けて英気を養ってください。
参加費は無料です。
車をお持ちの方はご協力ください。
開催地は多摩青海の今昔川です。
美しい水流のため、天然の蛍を見ることができます。
開催日は○月×日です。
ご参加希望の方は、草間武彦もしくは事務員・アルバイトへご連絡ください。
皆様のご参加をお待ちしております。 草々
その下には、手書きの文字で。
+飲食物か、面白い話を各自一個持参のこと。
と赤で書かれていた。
「よし」
几帳面にぴしっと貼り付けると、アルバイトは冷蔵庫から離れた。
「スキップ坊やだぜ?! スキップ坊や!!」
湖影虎之助のワゴン車に、森崎北斗の声が響く。若さに溢れた元気な声だ。
しかし、誰も答えない。車内に流れる空気には、『なんだそれ?』という字が書いてある。
「知らないのかよ、スキップ坊や!」
ぱちん! と北斗は自分の額を叩いた。
「けったいな名前を連呼するな」
虎之助が呟く。むっとした北斗は、前に座っていた虎之助の髪を後ろから引っ張った。
「スキップ坊やってのは真夜中に超早く走ってる子供のことだよ」
がフォローを入れてやる。これは北斗お気に入りの話なのだ。バイクでスキップ坊やとレースをしたのが、それほど楽しかったのだろう。啓斗は弟のこのネタを、耳がタコになるほど聞いていた。
「北斗のネタはローカルすぎるんだ」
「そんなことない」
虎之助の横に座っている神崎美桜は口に手を当て、笑みを抑えた。
線の細い体に、藍色の浴衣。年のわりに豊かな胸のふくらみが、帯によって強調されている。蛍狩りに合わせたのか、藍色の浴衣の袖や裾には、蛍の輝きが描かれている。
「やっと笑った」
美桜の顔を虎之助が覗き込む。
「え……」
「ずっと喋れなかったから」
「ごめんなさい、私……」
「気にしなくていいよ。今笑ってくれたんだから」
虎之助は、相手がつられてしまうほど魅力的な笑顔を浮かべた。恥ずかしくなって視線を逸らしてしまう。
「着いたぞ」
運転をしていた草間が、後ろを振り返った。助手席のシュライン・エマは既に降りる準備をしている。
「着替えようぜ、兄貴」
「男の着替えも浴衣も見たくない」
「あんたに言ってない!」
どうやら虎之助はからかうのが気に入ったらしい。全員は順に車を降りた。
「真っ暗……」
美桜は思わず言った。都会ではちょっとお目にかかれない深い闇だ。車は細い道路に止まっていたが、外灯は遥かかなたに一本立っているだけ。ワゴンのライトが消えたら、足元もおぼつかないだろう。右手のほうから川のせせらぎが聞こえた。
「こっちに階段がある。気をつけろよ」
よく来るのだろう。草間は懐中電灯を振りながら、全員を招いた。土だけの階段を下りると、道路から一段低い場所に川が流れていた。細く小さな川だった。川の周りには背の高い葦やらすすきやらが生えている。足元の感触が砂利のそれに変わる。
「蛍だ!」
草の間に光る、小さな緑の輝き。北斗は指を差した。
「本当……」
蛍の輝きは自然の輝きだ。水が豊かで美しく、自然に溢れていなければ蛍は生きてゆけない。美桜は壊れやすい光が胸一杯に満たされる感覚を覚えた。
「蛍もいいけど、まずは手伝ってちょうだい」
シュラインが全員に声をかける。協力してワゴンからアウトドア用のテーブルやチェアを運び出す。それぞれはプラスチック製のテーブルの上に、持ち寄った食べ物を乗せた。テーブルの隅に草間は懐中電灯を置く。
「うわー旨そう」
誰が持ってきたのか、立派な四段の重箱があった。蒔絵もすばらしい物だ。もちろん、中身も負けず劣らず華やかである。栄養よりは見栄えと味を追求した弁当だった。北斗が豆の煮しめに箸を伸ばす。
「おっと。お前にはこれだ」
サランラップにくるまれたおにぎり。それをぽんっと虎之助が投げる。
「このお弁当、お前が作ったの?」
「ああ」
「食べなくて良かった……」
「何だとコラ」
二人が睨み合う。
「虫除けスプレー使った?」
間にシュラインがやってきて、真っ白いガスをしゅーっとやった。二人ともむせる。まるで犬の喧嘩の止め方だ。
「蚊とか虻とか一杯よ」
虎之助は−−−顔面にスプレーを食らったのも気にせず−−−笑顔でシュラインからスプレーを受け取る。体は売り物だ、虫刺されを作るわけにはいかない。
「なんだか、子供がいっぺんに出来た感じだわ」
シュラインは呆れながら言った。
河原まで降りる。闇を閉じ込めたような小川が、静かに流れていた。啓斗は水に触る。綺麗な水だった。
周りを見て、ちょうどいいサイズの石を見つける。そこへ腰をかけ、川に足を入れた。入れてから、慌てて裾をまくる。濡れてしまうからだ。
水は冷たくて、ぎゅっとつかまれる感じがする。まだ泳ぐような温度ではないが、この刺すような冷たさが心地良い。
虫の声や蛙の鳴き声。それぞれはまったく別の音色なのに、まるで一つの計算されたオーケストラのように音楽を織り成す。川の音や風の音を縦糸に、歌声を横糸に。美しい織物が出来上がる。
外国人は日本の虫に驚くという。蝉やこおろぎ、とにかく鳴きまくる、五月蝿い、と思うらしい。自然界に溢れる音も、日本人は言語として受け止める。外国人にはただの音、それも雑音だそうだ。
勿体無い。
啓斗は持っていた包みを開こうとした。中には、今朝作ったわらび餅が入っている。半分ほどはテーブルに置いてきたが、ゆっくり食べる分は確保していた。
手を止める。
自分がわらび餅を作っていたとき、隣にいた弟を思い出したのだ。わらび粉を水にといているとき、早く食べたい、と言っていた弟を。
あいつが来るまで待とう。
来るかこないかは問題ではない。絶対自分のいる場所にあいつは来る、という確信があった。昔からそうだったからだ。
修行で覚えた方法で、自分の気配をかき消す。今まで息を潜めていた、すぐ側の蛙や虫も動き始めた。こうしていると、自分も何か−−−上手く言えないが、命の流れの一部になった気がする。
どれぐらいそうしていただろう。自分まで岩だと思われたのか、蛍たちがよってくる。ふわふわと頼りない光を背負って。
あれは源氏蛍、あっちは平家。心の中で啓斗は呟いた。
と、後ろから草を踏み分ける音がした。振り返らなくても、足音の主はわかる。
「綺麗だな」
「兄貴」
すすき原の間から、北斗が姿を現した。
「綺麗って何が……」
啓斗に近づこうと、もう一歩踏み出した。
ぱっと光が散った。
集まっていた蛍が、北斗に驚いていっせいに逃げ出していく。空へ光のひとひらひとひらが昇って行くようだ。
「うわぁ……」
口を開けたまま、北斗は空を見上げた。どこまでが蛍でどこまでが星明りが曖昧になる。
「兄貴、ちょっと犬預かっててよ。エサ貰ってくるから」
抱いていた動物を押し付け、弟はワゴンへ走っていった。
「犬……?」
弟の残した生き物を抱き、首を傾げた。膝の上に乗せ、頭を撫でてやる。二本の前足を手で持って、上げ下げしてみる。
「化かされてるのか、あいつ」
動物は明らかに狸だった。狸も不思議そうに、啓斗の匂いを嗅いでいた。
「良かったな。いいやつに見つかって」
鼻先を叩いてやる。
「あいつ、探すの上手いから」
どんな場所にいても必ずばれて、追いかけてきた。小さいときから。あれはなんでだろう。
「犬には飯、兄貴のはこれ」
北斗はあっと言う間に戻ってきた。そしてタオルケットを投げる。翼のように白いタオルケットは広がり、ちょうど良く啓斗の頭の上に落ちた。
「寒いだろ?」
「寒いってほどじゃないけど……暑くもないな」
言いながらタオルケットに包まる。犬もがつがつと重箱に顔を突っ込んで食べている。
「おい、これ犬じゃないぞ」
「どこが。尻尾生えてるし、猫に見えないし」
「狸だよ」
食事中の狸の尻尾を、北斗は掴んだ。
「マジで? 初めて見た」
狸というと、うどん屋の入り口にいる置物しか思いつかない。こんなに犬に似ているとは思わなかった。
「化かされてるかと思った」
少し恥ずかしくなって、北斗は返事が出来なかった。
「兄貴、うれしい?」
「なんで」
「蛍見たいって言ってただろ」
「……忘れてた」
さらっと啓斗は答えた。
本当に忘れていたのだ。言ったことをではなく、弟が自分のことを大切に思ってくれているということを。何を置いても優先してくれることを。
「なんだよーもー!」
北斗は川の水を啓斗に蹴った。ばしゃん、とはねて頭まで濡れる。むっとした啓斗が、カラになった重箱に川の水を汲み、頭からぶっ掛けた。
「冷てっ!」
水音に驚いたのか、狸は川原の草地へと逃げていった。
「そろそろ戻ろう。着替えなきゃ風邪を引く」
「兄貴がやったんだろ……」
啓斗は水がはねた程度。北斗はびっしょりだ。
「ほら」
手を差し出される。差し出されると−−−。
「ん……」
握り返すしかない。
二人は水を零しながら、ワゴンへと戻っていった。
「わらび餅食べないとな」
「お前のせいで濡れた。食べれない」
「嘘!?」
「嘘」
そっくりな仲のよい双子の背を、狸は茂みからいつまでも見ていた。
花火大会も終わり、シュラインの指示で川原のごみ拾いをした。来年も蛍が見れるようにだ。
帰りの運転は虎之助の役目だった。カーブの多い山道を下っていく。全員が心地よい疲れからくる眠気で、静かになっていた。そして、左カーブにハンドルを切った瞬間。
「なんだ!?」
叫んだ。
はねられたように一気に目がさめる面々。
「どうしたの?」
緊張した面持ちでシュラインが問う。
「後ろ……」
振り向く。
暗い夜道に、少年がいた。青白く生気のない肌をしているのに、目だけが血走り、らんらんと輝いている。そしてものすごい勢いでスキップをしていた。ワゴン車に張り付くようにだ。
「スキップ坊や?!」
美桜がシュラインの腕を掴む。
後部座席の北斗が運転席に身を乗り出した。
「アクセル!!」
「こんな山道でスピード出せるか!」
「負けるぞ!」
はっと虎之助は北斗の顔を見る。北斗は一度だけ頷いた。そう、虎之助も負けるのは好きじゃない。
思い切りアクセルを踏み込んだ。
「やめてよ、危ないじゃない」
北斗を後ろに戻し、シュラインが抗議の声を上げる。美桜も同意する。
助手席に座っていた武彦が、窓を開けて火のついた煙草を投げた。いい具合に煙草がスキップ坊やの額にぶち当たる。
「あ。怒った」
冷静に後ろを見ていた啓斗。スキップ坊やが泣きそうな、やりばのない怒りが体中を暴れるような、悔しそうな顔をしたのだ。そして、スターン! スターン!! とスキップを繰り返す。
呆れたような武彦に、シュラインは天井を仰いだ。
スキップ坊やのスキップ追跡は草間興信所まで続いた。らしい。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0689 / 湖影・虎之助 / 男性 / 21 / 大学生(副業にモデル)
0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
0554 / 守崎・啓斗 / 男性 / 17 / 高校生
0568 / 守崎・北斗 / 男性 / 17 / 高校生
0413 / 神崎・美桜 / 女性 / 17 / 高校生
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、和泉基浦です。
今回は完璧な休暇でしたが、いかがでしょうか。楽しんでいただけたら幸いです。
皆様それぞれの別のシーンがありあす。よろしければそちらもご覧ください。
和泉は季節物が大好きなので、機会があればまた、こういう休暇オンリーのノベルを書いてみたいです。
啓斗様、初のご参加ありがとうございました。
わらび餅を食べるシーンは書けませんでしたが、この後お二人でゆっくり食べました。ご安心(?)を。
要望・苦情等ありましたら、お気軽にテラコンよりメールしてくださいませ。
またお会いできることを祈って。 基浦。
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