コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


トイレの神様

その日、草間武彦のデスクの丁度目の前には、なんだかひょろりとした体格の青年がソファに座って、きょろきょろと辺りを物珍しそうに見ていた。
「…で、ご依頼の件は?」
 手元の書類を片付けて、漸くソファへ座った草間がお決まりの台詞でそう尋ねると、青年は辺りを見回すのをやめ、草間がそこに座ったことに漸く気付いたように振り返った。
 そして、言った。
「あ…えっと…。俺んちの便所に神様が出るんだけど…どうにかしてくんないかな?」
「………。」
 草間は。
 思わず苦いものを噛んでしまったかのような顔をした。
 なぜ。といつも思う。
 普通に興信所家業をやっているつもりなのに、なぜいつもこんなヘンな依頼ばかりが舞い込んでくるんだろう。…だが、これで食っているのだ。仕方があるまい。
「…どうにか、と申しますと?」
 彼は至って冷静な声を、依頼人に掛けた。
 依頼人も、まるでそれが当たり前とでも言うかのように、肩をすくめて少し笑う。
「いや、まあ。神様だって言うんだから、別に追い出そうって訳じゃないけど、…流石に便所に入ってるとき落ち着かねぇから、ちょっと出ててくれると助かるんだけど、どうにも出てってくれないんだよね。」
「すると、依頼内容は。」
草間は胸元からペンを取り出し、雑多に物が積まれたテーブルの隅から依頼書を取り出した。「説得。もしくは強制退去でいいかな?」
「強制…ってのもわりぃかなって思うけど…まあ、お手柔らかにしてやってくれる?」

 依頼人の名は市倉誠(いちくら・まこと)。
 ひょろりとした彼が、さっさと帰って行った後で、草間は依頼書を纏める。
 依頼人の言うトイレは彼が住むアパート(築古年)の一階北東隅。共同便所。
 住人は近所の大学生が主。
 だが「神様」が見えるのはどうやら彼だけであるらしい。
 草間は、はぁ…と溜息をついた。
 こんな依頼に誰が食いついてきてくれるものか。

 …彼の悩みはどうやら財政難だけではなくなりつつあるらしい。

<本文>

ACT.1
「もぉ…遅っそいわねぇ!」
 梅雨にしてはよく晴れた日。たどり着いた依頼人のアパートは木造二階建て。その焦げた茶色の色合いが、空によく映えている。
 そのアパートの前に、一人の女性が立っている。シュライン・エマ。彼女はともすれば派手になりがちな深い朱色のスーツをさりげなく着こなし、細い手首に巻いた腕時計にちらりと視線を落としてまた道の向こうに目をやった。このどこかノスタルジックなコンクリートの塀に挟まれた狭い道は、僅か数十メートル行ったところでT字路になっており、彼女が待つ人物がいつやってくるか、この場所からでは望むことが出来ない。
「レディを待たせるなんて、言語道断だわ。」
 少々苛立っているように聞こえるが、その表情には面白がっている様子が伺える。
 というのも今回の依頼は、依頼人が特に急いでいなかったこと、そして草間が事態を重く見ていなかったことから、危うく依頼書そのものがゴミ箱に入ってしまうところだったのだ。
 それを、草間興信所で時折バイト…時に事務・整理であったりお茶汲みもしてあげたり…をしていた彼女が、事務所のあまりの雑然さに堪忍袋の尾を切らせ、掃除していた折りに改めて見つけだしたのである。
 その依頼書は、時によっては幽霊作家をしている彼女のツボを久しぶりに刺激してくれた。彼女は草間の鼻先に依頼書を突きつけてこう言った。
「まったくもう…いつもキチンとしてないからこうなるのよ? 私が見つけなかったらどうなってたと思ってるの? 日付を見なさい日付を。もう二週間も前じゃないの。」
 彼女の言葉を思ったとおり誤魔化そうとした草間は、そんな依頼があっても依頼料は極少云々と呟いていたが、彼女は大変柔らかく優しい声でこう囁いた。
「…背に腹は変えられないでしょ草間さん?」
そして、次の瞬間「分ったらさっさと手伝ってくれる誰かに連絡なさ〜い!!」
 隣三軒に響くような豊かな声で、叫んだのであった。
 そして彼女はここに居る。
 依頼内容は「トイレの神様をどうにかしてくれ。」
 彼女の整った口元がにっこりと微笑む。
── なんだか、嬉しくなっちゃうじゃない? トイレに神様がいるなんて日本だけよ。
 青く切れ長の瞳に日本人離れした容貌。しかし生粋の日本育ちの彼女はキツそうな外見とは裏腹に、なかなか丸い気持ちを持った女性のようだった。
 そして。
 草間から声を掛けられた今日一緒に仕事をするはずの相手は、もう来ていてもいい筈の時間なのだが…。


ACT.2
「電車に乗ったのなんて、久しぶりすぎて…。」
 ぐったりと口元を押さえて肩にもたれかかってくる青年を、引きずるようにして歩く、これまた青年が一人。
「大丈夫か、七森。」
 彼は電車に酔った相方を気遣うように、尋ねた。相手は彼より少々年上だが、敬語を使うような気配はまるで無い。
「…済まん、真名神…。」
 そして七森と呼ばれた青年は、ゆっくりと顔を上げて気怠けに呟いた。それだけでまた吐きそうになっているのが気の毒だ。
「あんたって人はいつだってマイカー出勤て話だからな。たまには世間の荒波に揉まれないとな?」
「…済まん。」
 真名神のちょっとした軽口に、本気で謝る七森を見て、彼は思わず苦笑する。 左肩に担いだ、自分より少々年上のこの男…七森慎は、実のところ日本屈指の陰陽一族の当主なのだが、クールで物事に動じない反面、酷く真面目だったりする。そしてちょっと天然ボケが入っているようなところが、また彼の妹…真名神と仲のいい七森の末っ子…とそっくりなのだ。
 いや、彼が兄なのだから、妹が兄に似ていると言ったほうがいいのか…などと考えている真名神自身も、実は陰陽の技を使う男である。
 だが、真名神は同じ陰陽道でもアウトロー的な位置に立っており、すること成すこと目立っている。精神集中といって煙草をふかし、意気高揚が為と酒を飲む。魔を嚇し気を引く為と称して派手な服を纏い、金に髪色を抜く。そして方々出歩いてばかりの彼を見つけるならば、何処よりもまず夜の街を探すのが一番手っ取り早いとまで言われていた。
 …ただし、腕は確か。
 今日も一件仕事を片付けて草間興信所に寄って来たところだ。
 そこで今回の依頼に七森慎が参加すると聞き、面白がって追いかけてきたという訳だ。…まさか当の七森が、こんな風になってしまうとは思いもよらなかったが。
 そして駅から15分ほど歩いた所、狭い小路の突き当りを曲がる。そこに真名神慶悟は一人の女性が立っているのを見つけて、ちょっと吃驚した顔をした。彼の良く知った顔だったからだ。
── 腐れ縁って、やつかなぁ。
 彼女とは色々な依頼で良く顔を付き合わせるのだが、遊びで付いてきた仕事でまでこうして会ってしまうというのは、不思議なものだ。
 右手を上げると、相手も一瞬驚いたような顔をしたものの、軽く手を振り返してくる。
「着いたよ、七森さん? …おい、大丈夫か?」
「……大丈夫だ…。それより先方に遅れた事を謝らなければ…。」
 何処までも真面目一辺倒な今回の相方に、真名神慶悟は思わず肩をすくめた。


ACT.3
「来るのは2人って聞いてたんだけど…。」
 ガタついたベニヤの部屋のドアを開け、ひょろりとした背を屈めて出てきた依頼主、市倉誠はついさっきまで寝ていたものと思われ、頭に見事な寝癖をつけていた。
「彼は真名神慶悟。俺の妹の友人なんだ。手伝ってくれるそうでね。」
七森慎は、後ろについて来た真名神慶悟を指し示し、吐き気をこらえながらそう言った。真名神が軽く片手を上げる。「それからこちらは草間興信所のシュライン・エマ。聞いていると思うが、今回は取材で来たそうだ。」
「よろしくね。」
 と、七森の後ろからひょいと顔を出したシュラインの姿を見て、市倉は慌てた様子でずり下がったハーフパンツを上げ、そして髪を整える。シュラインはそれを見て苦笑し、市倉はますます頬を赤らめる。きっと、彼女がこのアパートに上がる時、すぅっと足先で廊下の汚れを確かめた…などとは思っても見ないだろう。
「それから、俺が七森慎。一応今回の指揮を取らせて…うぅっ…。」
 こみ上げる吐き気に、一瞬口元を押さえる。
 市倉誠はそんな七森にぎょっとした表情をしたものの、元々それほど物事にこだわるタイプではないらしく、入って、というように部屋のドアを大きく開けた。
 彼の後に付いて入ったその部屋は、5畳半の狭い部屋だった。畳はすっかり日に焼けてささくれ立っている。敷きっぱなしの布団や、干したままの洗濯物がいかにもで、今時こんな生活をまだしている学生もいるのだなと、七森は思う。そして市倉は一枚だけあった座布団を彼らに薦めて(勿論シュラインに向けてである)、自分は布団を慌てたように畳んでその前に座り込んだ。
 七森は、物珍しそう…というかどこかビクビクした様子で辺りを見回すシュマと、小さな折りたたみテーブルの上にある茶碗と急須とを勝手に持ち出した真名神を他所に、早速話を切り出した。
「早速なんだが、そのトイレの神様とやらに会わせてくれるか?」
 聞くところによれば、害はなさそうである。そして電車酔いしているとはいえ、自分も既に式神を放ちアパート全体の探索は終わらせてある。不浄な気配は今のところ感じない。後ろにいる真名神がリラックスしきっているのもその証拠の一つだ。
 ただ、悪い気配をこそ感じはしないが…神気と言うほどのものも無いのだ。
 だがしかし、依頼人が『神様』と言うならば、
「本物の神様であればそれなりに接しなければ。」
 と、一応七森はそう言って、後ろの二人にちらりと視線を走らせ、同意を求めた。
「そうそう。神様には敬意を払わないと。」
そこでは真名神がいつの間にか、見つけ出した灰皿に煙草の灰を落としている。「呪いよりも祟りのほうが怖いって…な。」
 ふ…、と低く笑う姿はどこか意地悪気だ。
 その視線を受けて、七森はピンと閃いた。
── なるほどね…。
 その時だった。
 扉の向こうに不穏な気配を感じて、七森、そして真名神が肩膝を立て、はっと振り返った。
 シュラインだけが、こ汚い座布団に座ったままきょとんとした顔をしている。
 次の瞬間。
「うわぁああ!!」
 扉が鎹から外れ、人がなだれ込んできた。
「…っ?」
 構えた七森と真名神がきょとんとした顔をする。
「な、なんだよお前ら?」
 市倉が素っ頓狂な声を上げた。崩れた人垣は、アパートの住人である学生達だったのだ。
「てて…。だってお前の部屋に凄い美人が来たって言うから…。」
「あらっ?それって私のことかしら? いやね。もうvv」
 まんざらでもなさそうに、シュラインが微笑んで、隣にいた真名神の脇腹を肘で突く。
「ぐっ。」
 その思わぬ勢いに真名神が悶絶するのを無視し、シュラインの微笑みにつられるように学生達が騒ぎ始める。
「お姉さん、コイツのところになんかいないで、僕らのところに遊びに来ませんか〜?」
「こんな所にいてもつまらないよ!?」
「ささ、こちらにどうぞ…。」
「えっ…でも…ちょっと…。」
 だがシュラインは、学生達に脇を固められ、立ち上がらせられ…あれよあれよという間に引きずられていく。
「だ、駄目よ。私はトイレの取材に…。」
「お姉さんトイレ会社の人なの?珍しいね〜?」
「奇遇ですね。ボクも興味があるんです。トイレ考について語り合いましょう。じっくりと。」
 そんな学生達の勢いに釣られ…そして彼女はいなくなった。
「…いいのか?」
 真名神慶悟が、おどけたように丸くした目を七森に向けた。
「…いいんじゃないかな…。多分…他の取材が出来ると思うが…。」
「他の取材…。」
「…社会勉強…だな。」
 そして、さて…といった様子で立ち上がる。
 市倉だけが、訳も分からずその場に座り込んでいた。
「一緒に来ますか?市倉さん。トイレの神様に話をつけに行きましょう。」
 そう、七森は言って、そしてまたうぅっと口元を押さえた。


ACT.4

「問題なのは。便所の神様、使ってるときしか出てきてくれないって事ですね。」
 と、依頼人は言った。
「使ってる…っていうとつまり…。」
 真名神と七森の視線が交錯する。そして真名神はぽん、と七森の肩に手を置いた。
「俺、手伝いに来ただけだから。」
 そう、今日の真名神は無報酬なのである。一介の学生に陰陽師を二人も雇える余裕などありはしない。ただ面白そうだからついて来ただけなのに、どこの神様とも言えないものに、使用中の場面を見せるほど彼はお人よしではない。
 七森は苦虫を噛み潰したような顔をしたが、真名神はそのまま手をひらひらと振って外へ出てきてしまった。
 勿論、目的あっての事である。
 彼はそのままアパートの裏手に回る。アパートと壁の狭い隙間に細身の身体を滑り込ませて、丁度トイレがある場所までやってくる。
 中から、会話が聞こえた。
「……あんまりじろじろ見られると落ち着かないんだが。」
 七森の声。
「いや、しかし暇じゃからのぅ〜。そんなに意固地の悪いこと言わんでもええじゃないか。」
 答えているのはしわがれた老人の声だ。真名神はそれを聞いて思わず腹を抱えて蹲った。勿論笑いを堪えているのである。
 だがまあ、依頼人にしか見えないという「神様」も七森の目にはハッキリと映っているらしいし、彼にも七森にも、既に『神様』の正体が分っていた。
 真名神はくっくと笑いながら、片手を軽く上げる。
── ここは木気が強いな…。まずは…『木』。
 五芒の一辺をさす。
── そして、梅雨の『水』初夏の『火』一握の『土』。
 しなやかな指先が、空を切る。
── 後は『金気』だが…。
 彼は懐を探ってライターを取り出し、シュ…と空擦りした。火は出ず、金気だけが飛ぶ。その『気』を救い上げるように、彼は最後の印を切り。
「…疾く、散れ。」
 命じた、瞬間。彼の周りに小さな身体を持った黒い影達がふぃと浮かび、次の瞬間には、残像を残して消えていた。
 その姿を満足そうに見送ると、彼はもののついでと言わんばかりに煙草に火をつけ美味そうに一口吸って、一枚の札をトイレの壁に貼り付けた。


ACT.5

 正直トイレは猛烈に汚かった。大抵のことには物怖じしない七森慎が、一瞬踏み入れるのをためらったくらいだ。
 だが、入らなければ説得の仕様も無い。
 しかも、電車に揺られ揺られて、実際もう限界である。
 で、彼は…使ったわけである。すると…
「夕べ飲みすぎたかね?」
 出てきた『神様』は開口一番面白げにそう言った。
「俺は酒に酔ったことは残念ながら無い。」
「ほ? ワシの言葉が聞こえるのか? そりゃ珍しい。」
 『神様』は全くソレらしい姿をしていた。白い豊かな髭を持ち、曲がりくねった杖を持ち。だが七森は彼に向かって冷たく言った。
「悪いがちょっと放っておいてくれないか…あんまりじろじろ見られると落ち付かない。」
 七森慎は、ぐったりとした様子でそう言った。外で真名神慶悟が腹を抱えて笑っているとも知らずに。
「いや、しかし暇じゃからの〜。そんなに意固地の悪いことを言わんでもええじゃないか。」
「暇なら別のところに行っていてくれ。」
「まあまあ、お前も一人で便所にいても詰らんだろう?」
 その言葉に、七森はふと笑って
「こういう所は一人でいるのが普通だと思うが。」
 と言って、顔を上げた。
「どこであろうと一人でいるのは寂しいぞ。世の中楽しくてナンボじゃ〜。」
 宙に浮かんだ老人は、肩をすくめてわざと頓狂な仕種をして見せる。
 七森は、訪ねた。
「神様と聞いたんだが? 名前を教えてくれないか?」
「おう。ワシか? ワシの名は鳥枢沙魔明王(ウスサマミョウオウ)じゃ。日本古来からの便所に取り付く便所の神様。つれなくするとバチが当たるぞよ。」
 大仰な仕種で、老人はそう言った。
 だが、七森慎はその様子に思わずくっと笑いをこぼす。
「なんじゃ?何がおかしいのじゃ?」
 自称トイレの神様。七森の反応にきょとんとした顔をした。
「…もう、それくらいにしておいたらどうだ?」
「どういう意味じゃ?」
「鳥枢沙魔明の教えとしては、トイレは一人黙行をする場所のひとつだ。そこで会話を楽しもう…なんて、本物の鳥枢沙魔明が言うはずが無いと思うがな。」
 七森の言葉に、老人がぐっと詰った。
「お前、別物だろう。」
「そ…そんなことはないぞ。ワシはれっきとした便所の神様…。」
 途端に慌てだす自称トイレの神様。だが七森は落ち着いて声を掛けた。
「お前の正体は分っているが、依頼人は、だからといってお前を滅せと言ってきた訳じゃない。どうだ?少し住処をずらしてみないか?」
「し…しかしワシは…。」
 老人の姿をしたその何か、が言い淀んだ、その時だった。
 トイレの扉が、容赦なく大きく開けられたのは。


ACT.6

「ふ…ふふふ…。」
 そこには、不穏な笑顔を湛えた女性が一人、胸元に何処からか出してきたエプロン、ゴム手袋にバケツと雑巾、そしてモップを肩に、更には背中にハタキを差して立っていた。
「何処…?何処にいるのアレは…? もう、こんなところ一秒たりともいられないわ…。いいえ、地上にこんなところが存在するからアレが出るのよ…」
 それは、シュライン・エマだった。
 彼女の後ろには、同じような格好をしたこのアパートの住人達が、憔悴したような顔をしてずらりと並んでいる。
 そして彼女が言うアレとは…黒くて、ツヤツヤしていて、すばしっこくて、時によっては空を飛ぶ、アレのことである。
 市倉誠の部屋で彼女がそわそわしていたのは、いつ何時アレに会うかとそう考えていたからであり、そして連れて行かれた先の部屋が依頼人の部屋に負けず劣らずの汚さであったこと、そこで昼間っから多少の(彼女にとっては、である)お酒を嗜んだところで、ちょっとキレてしまったようである。
「出て行きなさい、ここが最後よ。」
 びしり、と七森を指差し、彼女はそう宣言した。
 白い肌に、ほんのり朱が走っている。
 そして、七森は訳の分らぬまま自称神様の説得を中断させられ追い出され…。
 符の代わりに雑巾を持たされた真名神慶悟と鼻を突き合わすハメに陥った。

 そして…数分後。
 彼女の奇跡的な行いにより、依頼人のアパートは往年の輝きを──正に光り輝いていた──取り戻した。
「ふう…終わったわ。」
 彼女は「やり遂げた」顔をして、額の汗を爽やかにぬぐった。
 そして、ふと思い出したように振り返り、同行の二人に尋ねた。
「そういえば、トイレの神様はどうしたの? 説得できた?」
 それに答えたのは、電車酔いはすっかり覚めたものの、今日一日でどこかやつれた顔つきになってしまった七森慎。
「きっと、考え中だろうな。」
「ふぅん。それならやっぱり悪い神様ってわけでもなかったのね。」
 少し、嬉しそうに彼女はそういった。
「だが。」
と、真名神慶悟。「どうしても出て行かないというなら、その時はその時だ。一応準備はしてある。」
 外に貼った符と、そして同じく符を持って散らした式神のことを指してそう言った。
 するとその言葉を聞き、シュライン・エマは不思議そうな顔をした。
「あら…悪いコじゃないなら、別に出て行かせなくってもいいじゃないの。」
「?」
 不思議そうな顔をする二人を無視して、シュラインは彼女の下僕と貸したアパートの住人達を呼んだ。
「あんた達、ちょっと。」
「は、はい?」
 集まって来た学生達になにやら耳打ちする。そして彼女の言葉を受けててんでに駆け出して行った学生達の後姿を見送って、彼女にっこりと微笑んだ。
 それから、しばらく。
 彼らが手に持って戻ってきたものは釘と、板と、それから先程まで酌み交わしていた酒。小さなお猪口。
「姿が見えるから落ち着かないんでしょ? ならここに入って居てもらえばいいじゃないの。」
 そう言って彼女は。
 トイレの中に神棚…自称トイレの神様の家を作る、という提案をしたのであった。


エピローグ

 夕方。真名神慶悟と七森慎が四苦八苦、もしくはなかなか手際よく作業を進め、神棚は出来上がった。あまり上手ではなかったけれど、自称トイレの神様は、酷く感動したようだった。
「声は、相変わらず聞こえるけど…まあ、じっくり見られてるよりずっといいよ。」
 依頼人、市倉誠も嬉し気にそう言った。彼としてもやはり、力ずくで追い出すことにならずに良かったと、ほっとしていたようである。
 そして今、三人と依頼人はここもまたすっかり綺麗になった市倉誠の部屋で、シュラインの作った酒の肴をつまみつつ、学生からせしめたお酒をほんのちょっぴり…のつもりで飲んでいた。
「でも…まさかあの神様の正体がお稲荷さんだったとはねぇ。」
 と、ほんのりと朱に染まった頬を崩して、シュラインが笑って言った。
「細い小路なんかの壁に、鳥居と『小便するな』と書いた紙を貼る…なんてこと、昔はよくあったみたいだけどな。」
 真名神慶悟は、機嫌よくそう言って残り少なくなった酒瓶を七森のコップに傾ける。
「まあ、気のいい奴でよかった。稲荷といってもなかなか力もありそうだったから。」
 七森はそう言って、最後に神棚に上げたいなり寿司の残りをつまんだ。これもシュラインの作。彼女はなかなか家事に長けている。そして逆に真名神は苦笑いしてみせた。
「折角俺が、縁の下の力持ちをやってやろうと思ったのにな。」
「悪目立ちの真名神にしては珍しいことを言う。」
 勿論それは姿形のことを指しただけで、真名神が実地を重んじる人間であることは七森も良くしっていたから、冗談だ。だがその切り返しに、そばで聞いていたシュラインと市倉が楽しげに笑った。
「でも…。まさかあの神様が、俺の寝ションベンを治す為にいたとはねぇ。」と、市倉どこか暢気に、それでいて嬉しげに言った。「なら、俺にとってはやっぱり、トイレの神様に違いない。」
 なぜ、稲荷がこのアパートのこのトイレから離れなかったのか、その原因は彼の母親にあったのだ。彼女が、小さい頃どうしても夜尿が直らなかった彼のことを、稲荷に一生懸命頼んだ為。彼が引っ越すたびに稲荷も彼女との約束を守り、こうして引越しを重ねていたわけだ。
 つまり、トイレを離れることは、彼女と稲荷の約束が果たせなくなることであったから、自称トイレの神様は困ってしまったわけである。
「お母さんにお礼を言っておいた方がいいわね。」
シュラインは、からかうように言った。「年を取ってからまた感謝するハメになるわよ。」
「嫌なこと言わないで下さいよ。」
 市倉が困ったような顔をする。
「だが、君のお母さんも、無意識だろうがかなりの力を持っていたんだろうな。」
 という七森の言葉を、真名神が継ぐ。
「稲荷を一生くっつかせるくらいの…な。」
「それも、嬉しいような困るような、ですね。」
 市倉誠は頬を軽く掻いて、くしゃりと笑った。
「だから君はずっと守ってもらえる。…だが、きちんと大事にすることだ。キツネは祟るからな。」
 七森は最後の一言だけ、戒めるように言った。
 それに対し、市倉誠はしっかりと頷き、そしてポツリとこう言った。
「…ええ。大事にします。だって…母親の形見みたいなもんですからね…。」

 そして三人は、そのまま一升瓶の底が付くまで、市倉誠の部屋に居り、そして三々五々、自分の住む町に帰って行った。

 梅雨の中の晴れ間。
 なかなかに、良い月の晩だった。

<終わり>

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0565/七森慎(ナナモリ・シン)/男/27/陰陽師】
【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0389/真名神慶悟(マナガミ・ケイゴ)/男/20/陰陽師】
※申し込み順に並べさせていただきました。
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
七森慎さん、シュライン・エマさん。いつも有難うございます。真名神慶悟さん、初めまして。ライターの蒼太と申します。(PC名で失礼します)
さて、トイレの神様。あまりのタイトルにどういう反応が返ってくるか楽しみな作品でありました。場合によっては戦闘もあるかと思いましたが、ほのぼのと、ほんの少しコメディも混じって纏まりましたね。皆さん『神様』に対して優しいプレイングを書いてくださったことが、とても嬉しかったです。最後の神様の扱いについては、私もなるほどと唸ってしまいました。
今回は人物の技などを使うより、性格やポジション取りを重視させていただきました。この依頼のなかで自分がどんな立場にいるか、皆さんしっかりと書いて下さったのがその原因です。普段クールなPCさんたちですが、ちょっと崩させていただきました。シリアスシナリオになったら、この分もっともっと格好よく書かせていただきたいものです。
さて次回も、ご縁がありましたら一緒に楽しいお話を作って行きましょう。