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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


山サトリ・川サトリ

「ねえ三下君。」
 月刊アトラス編集部・編集長、碇麗香はその豊満な胸元を寛げて、ぼんやりと上を向いていた。
「はひ…なんでしょうか、編集長。」
 そのすぐ傍で、彼女の部下である三下忠雄が同じように上を見上げている。その手に団扇と『月刊アトラス夏の増刊号祭り』と書かれた手ぬぐいを持って。
「なにか…面白いこと無いかしらね。こう…背筋がゾクっとくるような。」
 いつもきびきびした彼女らしからぬその物憂げな口調には、訳があった。
「そうですね…こう、体がヒヤッとするような、こわ〜いのなんかあるといいですねぇ。」
 三下忠雄は、言いながら改めて、壊れたクーラーと窓の外のじめじめした天気を見比べた。
 今日の湿度は120%…と言いたいほどの、日本の梅雨。
 しかし月刊アトラスのクーラーは、半年振りの稼動につき、壊れていた。
「はぁっ。」
突然、碇麗華が息をついた。溜息ではない。彼女が溜息をつくところなど誰が見たことがあろうか。つまり彼女はぴしりと背筋を伸ばし、フレームなしの眼鏡の端をきゅっと上げて立ち上がったのだ。「無心になんてなれやしない。もうこんなぐうたらした事をするのは意味が無いと私は判断したわ。」
「はぁ……。」
 しかし三下は、そんな碇をぼんやりと眺めているばかり。どうやら「ぼんやり」が身に染みている彼にとっては、「ぐうたら」は辛いことではなかったようだ。
「ちょっと、三下くん。」
碇の細い指先が彼の鼻先に突きつけられる。「もう意味がないと判断したことを、いつまで続けるつもり?」
「は? え…あ、は、はいっ」
 鬼上司の言葉に、彼は慌てて立ち上がり、椅子をデスクに収める。思わず敬礼でもしてしまいそうな勢いだ。
「分ったらさっさと取材班を組みなさい。そして例の噂を調べてくるのよ。」
── 例の噂…。
 S県の山奥に「サトリ」がいるという。
 人の心を読み、そして人の心を壊す。化け物。
 目にも留まらぬ速さで動き、出会った者を殺すという。
 だが、かろうじて生き延びた人間の言葉に寄れば、「彼」は草木を編んで作ったものを身に纏っており、まるで干した魚のような姿と匂いを持っているそうだ。
 S県に伝わる言い伝えによれば、サトリから逃げるためには「無心」になるしかないのだという。
 ゆえに、碇と三下もその『無心』とやらを体験しようとしたわけだが…。所詮無理であった。
 三下忠雄はクーラー無しの生活に苛立った碇に追い立てられるようにして、電話に取り付く。
── ええと…こんな時に来てくれそうなのは…。
 思い当たる番号をプッシュしながら、彼はふと思った。
── サトリ…か。人の気持ちが分っちゃうって、どんなだろう。切ないだろうな…それとも「化け物」なら何も感じないのかな…。山奥で、誰も居なくて……サトリは…サトリ自身は何を考えて生きているんだろうか…。
 電話の向こうで受話器が上がる音がした。
 三下は考えるのをやめ、電話の向こうの相手に用件を伝え始めた。


ACT.1
「何だって? 戻ってこない?」
 金曜日の午後、七森慎(ナナモリ・シン)が月刊アトラスから受けた電話は『依頼を頼んだ矢塚朱姫という少女が、一週間経ってもまだ戻って来ない。探してきて欲しい』というものだった。
「概要は? そうか…サトリ…。厄介だな。」
 サトリは人の心を先読みする妖怪だ。彼の微かな記憶によれば相手にするにはかなり難しい。だが既にはっきりとした被害者が出ている。それに少女とは言えアトラスが頼みにするほどの人物が行方不明になったというのは、気を引き締めるに十分な事だった。
「受けよう。」
切れ長の黒い瞳を七森慎は暗くか輝かせた。受話器の向こうからほっとしたような気配が伝わってくる。「だが、行く前に調べたい事がある。少し待ってくれ。」
 と言うと電話の向こうの相手、三下忠雄はしどろもどろに何事かを伝えてきた。
「…そうか。もう一人頼んであるなら丁度いい。…俺が行く前に片が着いているなら、それでもいいさ。」
 そして七森は電話を切り一つ頷くと、どこかへ歩き出した。。
 彼は日本に古くから伝わる陰陽一族の現当主である。そしてここは彼の所有するだだ広い屋敷の中だった。普段の彼はここで一族の当主としての勤めを果たしたり、もしくは外に出て息抜き代わりにいくつかの事件を解決していたりしているのだが、今日はどちらの仕事も無く、珍しく和装で寛いでいた所だったのだ。
 そんな折りの依頼だ。普通なら断っていたかもしれない。けれど今回の依頼には興味を引かれた。
「たしかこの中にあった筈だが。」
 数分後、七森は敷地の隅に建つ、のっそりとした蔵の重い扉を開いていた。埃と静かな空気の香りがする。天窓からの薄明かりに照らされ、雑多なものが重なったここには、古美術から使わなくなった弟妹達の遊び道具、そして代々陰陽師を生業としてきた先祖達の記録が詰まっていた。奥に一つ、古い棚が見える。彼は迷いの無い足取りでその傍に向かうとやや考えるそぶりをしてその棚から古びた木箱を取り出した。
 しゅるりと紐を解いて巻物を取り出し、長い年月の間に張り付いてしまった紙を慎重に剥がしていく。そして七森は薄明かりの中、片端から巻物を開いてはじっくりと読み始めた。


ACT.2
 七森慎(ナナモリ・シン)が蔵から外に出て来ると、日はすっかり暮れ、小雨かと思っていた雨脚も強くなり始めていた。気がかりそうにその空模様を見上げながらも出かける旨を弟妹達に話し、身支度を整えて門を出た七森慎は、そこで一瞬ぎょっと足を止めた。
 誰かが門の傍に立っている。極く薄い気配に目を凝らすとそこには、闇にけぶる雨の中にまるで溶け込んでしまいそうな佇まいの黒髪の少女が居た。
「あなたが七森慎(ナナモリ・シン)さん?」
彼女はやや高めの、しかし柔らかい声でそう言った。「私は砂山優姫(サヤマ・ユウキ)。月刊アトラスの三下さんからここを聞いて来ました。」
 七森慎は、その少女をまじまじと見詰めた。
「…すると君が、三下が言っていたもう一人の…? 先に現場に行ったと聞いていた。」
 優姫は軽く首を横に降った。
「いいえ。それは私のことではありません。三下さんは後から私にも依頼をしたの。」
「……聞いていないが。」
という七森の僅か疑わしそうな声に被さる様に、
「あなたが連れて行ってくれると三下さんは言いました。」
と、少女が言った。嘘をついているような気配は無い。とすればうっかり者の三下がまた伝え忘れたのだろうと、七森は砂山優姫と名乗った少女を見下ろして一つ溜息をついた。随分長いことここで待たせてしまったのかもしれない。尋ねてくればよかったのに…と思ったが、なぜかそうは言えなかった。
「なら、行こう。車を出してくるから待っていてくれ。」
 黒いスーツの後ろポケットから、キーを取り出して言う。彼女はこくりと頷いた。

「…一つ聞いてもいいかな。」
 雨がウインドウに激しく当たる。ワイパーの速度を一番早くして車を走らせながら七森慎は助手席に座った少女に声を掛けた。高速に乗ってから小一時間。彼女は一言も声を発しない。 七森自身もさほど口数が多い方ではなかったが、彼は4人兄弟の長男である上、妹と同じ年頃の人間を見ると放っておけなくなるらしい。ただ、そのことに彼が気付いているかどうかは疑問である。
「なんですか?」
 姿勢良く前を見詰めていた優姫は僅かに首をかしげて振り返った。薄暗い車内でよくは判らないが整った顔立ちをしている。特にその大きな黒い瞳は加減によっては紫に光って見えた。
「正直言って今回の依頼は危険だと思う。君も聞いているだろうが一般市民にも被害が…死人が出ているようだ。俺にはだから、なぜ三下が君に依頼をしたのか判らないんだが。」
「ああ…。」
優姫はその言葉に納得したように頷いた。そして、僅かに目を伏せる。「…それは、私がテレパス能力を持っているからでしょう…。」
言った途端に、七森が一瞬驚いたのがまるで針で身体を刺すように伝わってきた。優姫は七森から視線を逸らして前を見る。「気にしないでください。普段はコントロールが効きますし。…あなたの思考を読んだりはしませんから。」
 抑えた口調。だが七森には彼女がその能力の為に傷ついて来たのだろう事が、すぐに判った。
 やるせない感情が湧き上る。
 普段コントロールが効く、ということは制御できないこともあるのだろう。それはつまり望まずとも相手の思考を読んでしまうことがある、ということだ。一体どんな事気分になるのか、七森にはそれを想像することは出来たが、しかしそれ以上の事は出来ない。彼女と同じ能力を持つものはそういないだろう。ならばどれほどの孤独を、寂しさを感じることだろう。
 そうと知ったとき、七森には彼女が呼ばれた理由がはっきりと判った。
「いいさ…。」
気付くと、ハンドルを切りながら七森はぽつりと呟いていた。「俺の心を読んでも構わない。…どうせ大した事も無い。」
 だが、七森慎には触れてはいけない傷があった。両親の死である。陰陽の一族として怨霊を調伏することを生業としていた彼らは、依頼遂行中に命を落とした。悪霊に取り付かれた母と、陰陽師の父が刺し違える形で。…しかも慎はそれを目の前で目撃したのだ。
 死んでいく二人。だが七森は何も出来なかった。そして彼はずっと自分を責め続けている。
「…………!」
砂山優姫は、七森の言葉に黒目がちの大きな瞳を更に大きく見開いた。信じられなくて七森の横顔を見るが、彼の瞳はまっすぐ前を向いて、微動だにしない。だから興味本位で彼がそう言ったのではないことは分る。その声に嘘もなかった。…だが。
「……やめておきます。」
 彼女はややあって静かに言った。拒もうというのではない。
「そうか。…無理を言ってすまなかった。」
 優姫の答えを聞いた七森は、そうそっと答えた。
「いいえ…。」
 優姫は軽く首を振る。だがそう悪い気分ではなかった。そして七森にも優姫がそう感じていることは、伝わっているようだった。
「そうだな…。俺達には『言葉』というものがある。心など読まなくても、話せばいい。」
 と、七森が呟くように言ったのを聞いて、優姫は思わず微かに笑みを漏らした。
「じゃあ…私も聞いてもいいですか?」
 うん? という仕種で七森が首をかしげる。
「その車のキーホルダー、あなたの趣味なんですか?」
 と、指で指し示した七森慎のキーには、なぜか可愛らしいクマのぬいぐるみがくっついていた。

ACT.3
「サトリは本当に一人なのでしょうか…。」
 珈琲の缶を片手にぽつりと呟かれた砂山優姫の一言に、七森慎は不思議そうな目をして振り返った。深夜のサービスエリア。外では雨はまだ降り続いているが、雨足は弱まりつつある。二人は人気の無いカウンターに身体を預けるように一休みしていたが、優姫は横顔に七森の視線を感じ、僅かに困惑した風に微笑んだ。
「ただ、少しそう思っただけです。分かり合える誰かが居ないなんて、寂しすぎるなって…そう思っただけ。」
 それがある意味自分のことを言っているのだろう、と七森は黙ってその言葉を聞いていた。
「七森さんは、サトリを見つけたらどうしますか?」
「そうだな…。」
七森は優姫の質問に少し考え込んだが「俺は陰陽師だ。だからサトリが人に仇為す存在であれば調伏するしかない。」
 テレパス能力を持った少女を目の前にして、七森慎ははっきりと言い切った。すると思った通り優姫の瞳が憂いに曇る。七森はそんな彼女を見ながら、一言付け加えた。
「ただ…なぜサトリが出会った人を殺すのか、それを確かめてからでなければ。」
「身を、守るため…ではないでしょうか?」
ぽつりと、優姫はそう言った。「七森さんは、なぜと考えてくださいました。でもそれは、七森さんに自分の身を守る自信があるから。サトリのことを考える余裕があるからです。でも普通の人はそうは行かない。サトリの怖い噂を聞いて、サトリに出会ったら…きっと逃げようとするかもしくは…。」
「殺そうとする。」
優姫が言いよどんだ言葉を、七森は低く呟いた。「サトリが人を襲うのは、人がサトリを追い詰めたからか。」
 優姫は重く頷いた。…彼女の能力はテレパスだけではない。軽い透視、予知、霊感知。だが彼女はその力を制御し切れておらず、いつ暴走するか分らない。そしてそんな時、必ず多くのものや…時には人を破壊する。だから、彼女は人と関わるのが苦手だ。いつか傷つけてしまうかもしれないから。そしてその時、自分を見る目がどう変わるかが怖いから。
 けれど彼女は、時に危うくはあっても、その持つ力と同等の心の強さも持っている。
 思いつめたような優姫の様子に気付かない様子で、七森は何かを考え続けていた。そして。
「もう一つ、サトリの噂が立ったのはこのほんの数ヶ月前からだ。俺はその理由がなんなのかずっと気にかかっていた…だが、君の言葉で分ったよ。」
「え…?」
「サトリが人に出会うようになった理由だ。サトリはきっと…仲間を探しているんだ。」
七森は、やや声を高めて語りだした。「実はさっきまで、俺は先祖の記録を調べていた。長い家系だからな。サトリの名もどこかで聞いたことがあったし、何か引っかかるものがあったからだ。そして俺は見たんだ。『川サトリ・山サトリ』という一文を。ただ、他は虫に食われて判らなくなってしまっていたんだが。」
「川サトリ…山サトリ…。じゃあもしかして。」
── 兄さん…。
 彼女は心の中で小さく呟いた。兄は…自分と同じ強い超能力を持つ唯一の人。かけがえの無い大切な人。本当は彼さえ居れば他には誰も要らない、そう思える人。…そしてその力の暴走ゆえに行方知れずの…。
── でもきっとどこかで生きていると、私は信じています。
 優姫は七森を見上げた。漆黒の瞳が紫がかったように輝く。
「探しましょう。サトリの仲間を。そして一緒にしてあげましょう?」
 もしサトリの仲間が見つかるなら。
 優姫は、自分の兄もまた見つかると、そう思える気がした。
 七森はこくりと頷いて、だが冷静にこういった。
「だがまだはっきりそうとは言い切れない。…サトリの仲間探しは後だ。まずは捕まえる事と、先に行った二人の無事を確かめよう。」
 そして二人は車に乗り込み。一時間後。
 一応は無事に山から下りて来た二人…矢塚朱姫(ヤツカ・アケヒ)とウォレス・グランブラッドと合流することになったのだった。


ACT.4
 夜が明けた。朝一番、もの寂しい町の中で漸く開いた駅前のファーストフード店。七森の携帯で朱姫は家に連絡を取り、また朱姫の無事を知った三下は、ほっとしたあまりに電話の向こうでおいおい泣き出したが、彼らがこのままサトリを追跡すると聞いて驚いていたようだった。
 そして、七森と優姫はウォレスと朱姫の、朱姫とウォレスは優姫と七森の話を聞き、お互いに情報交換をし終えたところだ。年齢も外見もバラバラな4人が一緒にいるのは奇妙な風景らしく、他の客の視線を集めている。だが4人はそれと気付かぬ様子で話し込んでいた。
「…助かったよ。これであの子を殺さずに済む。」
6日間のほぼ断食を終えた朱姫がしんみりと言った。「…仲間、いるといいね。」
 全員がその言葉に同意するように頷く。
「兎に角捕まえないことには。ミス朱姫の話を聞けば放っておいてあげたい所ですが、七森さんや優姫さんの話を聞くと、このままではきっとまた被害が出るだけでしょう。…サトリですが、私の感覚からは思うに素早いとはいえ追いつけないほどではありませんでした。ですが無傷で捕獲するには、少々難でしょうかね。」
 と、ウォレスが言った。すると、七森が口を開く。
「なら、俺が禁縛して動きを止めよう。ウォレス、あなたと2人がかりなら大丈夫だろう。」
「ですね。」
 そうして頷き合う。2人の口調が親しいとまでは行かずとも信頼を含んでいるのは、過去に同じ依頼で顔を合わせた事があり、幾度か相手の技量を見る機会があったからだ。とは言え、2人とも特にそれを口に出す気性では無いようだった。
「でも、サトリは人の心を読むのでしょう?」
と言ったのは砂山優姫。「なら私がやることは決まっていますね…テレパスで妨害、もしくはあなた達二人のガード。」
 優姫は力の暴走という不安を抱えながらも、はっきりと宣言する。と、手を上げかねない勢いで矢塚朱姫が言った。
「私も行くよ、勿論!」
2人、という言葉に反応してのことだった。「私には攻撃能力なんて無いけど…でも一緒に行きたいんだ。」
 ウォレスはそんな朱姫に深く優しく頷いてみせ…その時だった。
 店内がざわっとどよめいた。
「…! あれ、見てください!」
 優姫が窓越しに外を指差した。寂れた駅のロータリーにいた出勤前の人々が、何かを叫びながらこちらに走ってくる。そしてその後ろに見えるのは。
「サトリ!!」
蓑もどきを纏ったその姿。そして小脇に長い黒髪の女性を抱えている。明るい日差しの中で見ると、それは明らかに異形のものだった。「どうしてこんなところに…。」
「あなたを、追ってきたのかもしれません。」
 朱姫の黒髪に視線を走らせ、ウォレスが冷静に言った。
「行こう。」
 七森が立ち上がる。そして他の三人も慌てたように店を飛び出して行った。

 雨上がり特有の朝靄が、薄く辺りを包んでいる。その中でサトリは恐怖に駆られてもがく女性を小脇に抱えたまま、背を丸めて立ちすくんでいた。
『うぅ…うわぁ…。』
 なんとも言えない呻き声が、喉から漏れている。
「サトリ!」
朱姫の澄んだ声が、辺りに響いた。「それは私じゃない。私はこっちだ。ここに居る!」
 サトリがゆっくりと振り返り、頭部に被った葉の影から朱姫の姿を認める。と、腕の中の女性を朱姫を見比べ、彼女を突き飛ばすように離した、その時。朱姫がはっと目を見開いたその僅かな間に。彼女の目の前にサトリが移動し、その細腰を掴み寄せていた。
── しまった!
 その場に居た誰もが一瞬立ちすくむ。だが、次の瞬間。
 七森は懐から禁符を投げ。
 ウォレスはそのまま逃げようとするサトリに追いすがる。
 そして優姫はその二人の意識をサトリに読まれないように、シールドを張った。
『動・禁!』
 七森の投げた符が、サトリの身体に触れた瞬間、金色の光が走った。その光と同じ速さでウォレスがサトリを後ろから羽交い絞めにし、その耳元に囁く。
「お嬢さんを離しなさい。…それがあなたの為ですよ。」
『サトリ、私を放してくれ。お願いだ。お前を助けたいんだ。』
 朱姫の訴えがサトリの口から漏れる。だがサトリはウォレスと七森に動きを止められながらも朱姫を放さず、もがき続ける。まるで赤ん坊が嫌々をするように。
「…七森さんっ。」
禁縛の印を結ぶ七森の隣、黒紫に輝く視線でサトリを凝視しながら、砂山優姫が訴えるように叫んだ「サトリは……あれは…『魚』です。」
シールドを張った優姫の心に滑り込んでくる、サトリの意識。優姫の額に汗が浮かぶ。「うぅん、魚…よりはもっと人間に近いけど…殆ど中身が空っぽ…あるのは、本能…?…あぅ!いけない!」
優姫の思考に、突然サトリの意識の塊がぶつかる。ウォレスと七森のガードに全てを注いでいた優姫はその直撃を受けて頭に鋭い痛みさえ感じた。だが、押さえ込んで叫ぶ。「…それは駄目、駄目です! …朱姫さんにもシールドを…駄目、出来ない…ウォレスさん、朱姫さんを早く助けて!! 今すぐ!!」
「と、言われましても…。」
 ウォレスでなかったらとうの昔に振り払われていただろう、サトリの怪力。その時だった。
『朱羽…のこと…』
サトリの歯の無い唇から鬱蒼とした声が漏れ出し始めた。『好き…だけど、駄目…なんだ。』
 朱羽…それは朱姫の兄の名だった。朱姫の金色の瞳が驚愕に見開かれる。
「ウォレスさん、七森さん、早く! サトリは…朱姫さんの心の深層を読んで、壊そうとしてます!」
「何だって!?」
「朱姫さんがずっと自分の傍に居るように、気持ちを変えようとしているんです。…嘘、こんな能力のあるモノがこの世に居るの?」
『いつだって護りたい…よ。大好き…だ。でも…気持ちは…受け入れられない…ゴメン…。』
 優姫は得体の知れない能力を持つサトリとの対峙という恐怖と戦っていた。と同時にサトリを通じて朱姫の心も同時に流れ込んでくる。彼女の傷──実の兄に求愛され、乱暴されかかった過去。だがそれでも兄を思う純粋な気持ち。
── なんて子なんだろう。
 彼女とは同じ位の年頃。そして自分にも誰より大事に思う兄がいる。けれど彼に対する気持ちは決して『恋愛』とは重ならない。
 心に流れ込んでくる、朱姫の混乱と憤り。助けてあげたい、とそう思った…その時。
── これは…誰?
 朱姫の心の隅にあった人影が、大きく、大きく膨れ上がり始めた。そしてその姿は朱姫の兄の姿を打ち消し、彼女の心を満たした。
『…探してるんだ。ずっと。』
サトリの、口からぽつりと言葉が漏れた。『いつか会えるって…この世のどこかに居るはずだって信じてる。』
「?…なんの事ですか…?」
 サトリの力が緩むのを感じて、ウォレスは驚いたように呟いた。
『次に生まれ変わって出会たら今度は、必ず一緒に幸せになるって…決めたから。』
 サトリの腕が、だらりと落ちた。
「……禁呪…了。」
 七森が静かに囁き。倒れこんできたサトリの身体を、ウォレスがしっかりと受け止めた。


エピローグ
「私には過去世の記憶があるんだ。細かいところはあんまりよく覚えてないけど。」
 ここはS県の南に位置するH村。4人は若い緑の葦原の中に立っていた。目の前にはサトリが消えていった川が、滔々と水を湛えて流れている。
 今朝の電話で、七森は他にサトリが出没する場所が無いか確かめるよう三下に伝えていた。そして三下がここを見つけ出したのだ。あとは優姫の能力であのサトリと同じ波動を感じる場所を探し出しただけ。
 川辺にしゃがみ込み訥々と話す朱姫の声を、他の三人は思い思いの格好で黙って聞いていた。
「ただ、約束したのは覚えてる。また会おうってあの人は言ってた。だから私はずっと探してたんだ。」
 悲恋に終わった、過去の恋人を。だから不思議な事件が集まってくるアトラスの依頼を受け続けていたのだ。そして、それは行方不明の兄を探す優姫も同じこと。
「…サトリは本能で仲間を探していました。」
朱姫とシンクロしていた僅かな間、優姫の心にはサトリの意識も流れ込んできていた。「どうやらつい最近、最後の仲間に死なれたようです。でもあのサトリは若くて、どこに他の仲間が居るのかも、人間とサトリの違いも判っていなかった。それで姿かたちが多少似ている人間の住む町の傍まで来ていたのですね。」
 優姫の言葉に、ウォレスが納得したように頷いた。
「そうして仲間を求めていたからこそ、朱姫の気持ちを理解したのだね。」
「うん…きっとそうだと思う。」
 葦の穂が露を乗せて陽光を受けている。雨上がりの風が爽やかに4人の佇む川辺を抜ける。
「さあ、…帰ろうか。」
七森がぽつりと呟き、ちいさなクマのついたキーを取り出した。「途中までなら送ろう。」
 その言葉に、ウォレスが嬉しそうな顔をした。
「それは助かりますね七森さん! なにせ私はしがない英会話講師。雀の涙の給料で新幹線は辛いのです。」
 おどけたウォレスのそぶりに、少女達は微笑み、七森は苦笑した。

 戻りたい場所、もしくは仮初めの宿。どちらにしても彼らには帰る場所がある。
 そこには自分を待っている誰かがいるから。

<終わり>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0550/矢塚朱姫(ヤツカ・アケヒ)/女/17/高校生】
【0565/七森慎(ナナモリ・シン)/男/27/陰陽師】
【0526/ウォレス・グランブラッド/男/150/自称・英会話学校講師】
【0495/砂山優姫(サヤマ・ユウキ)/女/17/高校生】
※申し込み順に掲載させていただきました。
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■         ライター通信          ■
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七森さん、ウォレスさんいつも有難うございます。そして矢塚朱姫さん、砂山優姫さん初めまして。沢山のライターさんの中から選んでいただけて光栄です。蒼太と申します(PC名で失礼致します)
さて今回の皆さんのプレイング、面白いと感じたのはやはり裏設定といいますか、普通にキャラデータを読むだけではわからない部分を読ませていただけたことです。どれも魅力たっぷりだったので、あれもこれも使いたい、生かしたいと欲張ってみた結果がこんな物語、結末と相成りました。いかがでしたでしょうか?
しかし、まるで計ったようにいいメンバーで依頼が入ってくるのは不思議なことですね。
この幸運にだらけないように、もっと頑張って行きたいと思っています。
では、またもご縁がありましたらどうぞ、お付き合いください!