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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


血判書〜あてにならない契約
【オープニング】
 いつもと変わらず騒然としている月刊アトラス編集部。そこへ定刻どおり郵便配達が届けられた。毎日変わる事の無いいつも通りの光景。
 手紙はアルバイト編集部員の手によってそれぞれの部署や個人に配られる。その中に一通の「月刊アトラス編集部御中」とだけ宛先の書かれた、差出人不明の封書が入っていた。差出人不明の手紙はアルバイト編集部員が開封する事になっていた。
「編集長。これ」
 驚愕の声をあげ碇麗香の元へ一通の手紙を片手に走りよるアルバイト編集部員。
「なに?騒々しいこと」
 と慌てふためくアルバイトの声を尻目に平然としている麗香。
「この封筒の中身。これって」
 封筒から一通の羊皮紙を取り出し、麗香へと差し出す。
 羊皮紙を受け取った麗香は、
「なに、これって、まさか本物?」
 その羊皮紙には以下の通りかかれていた。
『契約
我が受けし全てに対し、二十年後にしかるべき償いをすることを約束する。その証としてここに署名す。今より全ての神、イエス・キリスト、マリア、天の精霊、また教会と祈りを全て否定し、加えて日に三度、悪魔に礼拝して、できる限りの悪をつくす事を約束するものである。
1982年6月30日 山崎徹』
 編集部に突然舞い込んだ一通の悪魔との契約書。差出人不明だが、署名入りの、しかも赤く染まった指紋がそこには付け加えてある。恐らく、悪魔との契約書なのだから血判なのだろうと麗香は想像した。
「これが本物なら面白い記事が書けそうね。誰か調査して記事にしてくれる」
 と編集部中に届く声でみんなに問いかけた。



◆6月30日午後4時
 レイベルは街を彷徨っていた。新たな患者を求めて。流しの闇医者なんてやっていると心が荒んでくる、と思いながらも彼女はこの国での医師免許を持ち合わせていないので仕方なく闇医者を続けている。混迷を深める現代東京では闇医者でも様々な仕事が舞い込んでくる。正当な医者を頼りたくとも頼れないような裏社会の人間。銃弾を埋め込まれて普通の医者にあたれば間違いなく警察沙汰となる。それを恐れる人間はこの街では結構いる。それに、レイベルの特殊な能力を必要とする患者もいる。噂が噂を呼び、レイベルは闇医者ながらも結構な名声をほしいままとしていた。本人はそんな事には執着はないのだが、何分、金に不自由しているため、それでも良しとしている。
 日常に満足しているわけではないが、アルバイトでやっている不思議な出来事の調査にそれなりに楽しみを見出している。そんな不思議な出来事の種が向こうからやってきた。交差点の、明滅を繰り返している歩行者用信号機にあわてて横断歩道を渡ろうとして、途中に差し掛かったところで信号機が赤に変わり車が発車してしまい、路上でおろおろしている月刊アトラス編集部員三下 忠雄が反対側の歩道を歩いているレイベルに大きな声をかける。
「レイベルさーん、助けてくださーい」
 聞こえたのだが、この人ごみの中大声をかけられ恥ずかしいので、レイベルは無視を決め込み歩き続ける。やがて、車の運転手から罵声を散々浴びせられながらレイベルのいる歩道へやってきた三下がレイベルに走りよる。
「レイベルさん。さっき聞こえてたのに無視したでしょう。あんまりですよー」
「あなたもてないだろう。少しはTPOをわきまえた方がいいぞ」
「そんな事言われても。あ、そんな事より編集長がお呼びなんです。急いで編集部に来て欲しいって言ってるんです」
「今日はそんな気分じゃない他をあたってくれ」
「そんな事言わないでくださいよ。レイベルさん連れてかないと編集長にまた怒られちゃうんですよ。お願いします。この通りです。ね、お願いします」
 人通りの激しい路上に三下は土下座を始める。
「お、おい、止めてくれ。わかった。わかったから土下座を止めてくれ」
「本当ですか。よかったー。本当に恩に切ります」
 土下座の姿勢のままレイベルに泣きつく三下。そんな恥ずかしい状況から早く離れようとレイベルは足をはやめ、その場を立ち去り、足を月刊アトラス編集部へと向けた。


**
◆同日午後6時
 碇 麗香があつらえた会議室に初対面の3人が顔をあわせた。麗香は以前、調査を依頼した事があるので面識はあったしそれぞれの特徴や特技にはよく精通していたのだが、呼び出された方は初対面同士であったし、今日呼ばれた用向きをまだ聞いていないので、各々やや厳しい面持ちをしていた。
 だが、その中でもヒスイを薄く溶かしたようなきらりと緑色に優しく光る眼をした細身で長身の男だけは穏やかそうににこやかな笑顔をしていた。逆にどこか毒を隠し持つかのような妖しく光る眼をして。麗香は男の簡単な紹介をした。男の名はジョシュア マクブライト。白磁の透明感のきめ細やかな肌をした、二十代なかばといった風情のまだ若さに満ち溢れた生気が部屋中に充満してくる。その肌を覆い隠すように大きめの漆黒の神父服がやたらと目に留まる。街中ではさぞ目を引くことだろう。
 会議卓をはさんでジョシュアの向かい正面に座った女性は緊張からなのか生来の仏頂面なのか判断しかねる厳しい顔つきをしている。みためは一般的価値観からみてとても美しく男の視線を独占する容姿なのだが、その表情から男を遠ざけるような厳しさが備わっていた。それもこれもみんな膨大に膨れ上がった多額の借金のせいだ、というのが本人の持論なのだが、それ以外にも、人の常識を覆すような長生きのおかげで、人間関係の機知などに興味を失っていたというのもある。それに黒のレザービスチェに白衣という姿にも違和感を感じさせずにはいられない。このぶっきらぼうな女性の名はレイベル ラブだと麗香は紹介した。
 ジョシュアの左側、レイベルの右側に二人にはさまれるように椅子に腰掛けているの女性もレイベルと等しく険しい顔つきをしていた。ここに呼び出された用件を想像すると身の引き締まるのを否定せずにはいられないようだ。なにせ一般常識をいとも簡単に吹き飛ばす出来事に遭遇するのは経験上、目に見えて明らかだからだ。細身の体を皮製のジャケットとパンツに包み込み、その繊細さを表に現すようなグリーンの眼が印象的で、男が近づき難い気の強そうな顔立ちをしている。麗香に宝生 ミナミだと紹介されたとき、
「よろしく」
 とだけ答えた。

「今回お願いしたい事は一番ピンとくるのはジョシュアかもしれないわね」
 と麗香が皮肉っぽくにやりとして長身の男に目を向けた。ジョシュアは皮肉を軽く受け流し、
「神のお力が必要なのですね」
 とサングラス越しの眼の妖しい輝きをいっそう増し答える。
「いろいろ言ってもしょうがないわね。これを見てもらったほうが話が早いわね」
 麗香は持ち運び可能な小さな金庫を会議室の机の上に、その重みを鈍く伝える音を机に振動として伝えて置いた。金庫の番号を慣れた手つきであわせてはってある御札をはがし中を開封した。
「これなんだけど、あなたたちならピンとくるわね」
 そこには悪魔との契約を交わした旨のかかれた契約書が現れた。一同に緊張感が走る。「これは本物?」
 レイベルが麗香にたずねると、
「そこから先はあなたたちの知識と経験を生かして確認して欲しいのよ。私達では確認のしようも、そこからどうやって面白い記事になるか予想すらつかないからね」
「つまりこの契約書の真偽を確認して」
「以前と同じく記事にすればいいのね」
 ジョシュアの後にミナミが確認をする。
「そう。これからどんな事が起こるのか、あなた達しだいよ」
 そう麗香は含みのある言い方に妖しい笑顔を残して会議室を後にした。

「さて、まずはどこからはじめましょうか」
 この中で一番の年長者であり職業柄みんなをまとめなくてはという自覚のあるジョシュアが2人にたずねる。悪魔との契約書に手を出すときに無意識のうちに首から下げたロザリオに手がいく。
「これの真偽からだろう」
 ジョシュアの持っている羊皮紙を用いて書かれた契約書に眼をこらしながら、レイベルが答える。
「でも、どうやって」
 二人の様子をかわるがわる眺めながら聞くミナミにレイベルが答える。
「あなた神父さんだろう。神父さんの仕事の1つじゃないのか」
 レイベルの目線が羊皮紙からジョシュアの視線とぶつかる。ジョシュアは不敵な笑みを口の端に浮かべその口を開いた。
「ま、そこいらの神父では話になりませんけれどもね。幸いにも、私はこういった物といろいろ関わりのある役回りでしてね」
 契約書に眼をこらしジョシュアはジーザス、と呟いた。
「どうやら悪魔と契約を交わすことに際しての必要最小限の規定はクリアーされております」
「じゃあ、本物とみて」
 ミナミがジョシュアに向かってたずねる。
「ええ。間違いないでしょう」
「一体誰が何の目的でこんなものを。それにどうしてここに送りつけてきたっていうの」 ミナミの問いかけはもっともなものだった。だが、その疑問を解決する為に自分たちは呼び出されたのだ、という事に気がついてミナミは今夜は長くなりそうだ、と確信した。
「まずは誰がこの契約をしたのか、についてだな」
 レイベルがミナミの問いかけに答えるように、2人にむかって新たな問いかけをする。本物の悪魔との契約書という言葉を聞いて、そしてそれが羊皮紙で書かれているということでレイベルは胸の鼓動が早くなるのを感じた。こんな珍しいものが私の目の前にあるなんて。300年以上という長きに渡って生き続けているレイベルでも、この21世紀の日本でこんなものとお目にかかれるなんて興奮せずにはいられない。ジョシュアから受け取った契約書を丁寧に眼でなめまわす。
「ここに書かれている『山崎 徹』というのが契約を結んだ主、とみて間違いはないのか」
 視線を契約書から移さずにジョシュアにたずねる。
「ええ、1982年6月30日に山崎 徹という人物が契約を結んだということですね」
「それ以外は何かヒントになるような事は書かれていない?」
 そう聞いたミナミだが、無意識のうちに組んだ腕に強く力をこめる。悪魔との契約書だなんて薄気味が悪いとばかりに眉をひそめる。
「これからだとこれ以外は読み取れませんね。こちらに送付されたときの封筒か何かがあるはずですが」
 辺りを見回しながらジョシュアの視線は麗香が置いていった携帯用金庫のわきに注がれた。
「これが封筒みたいだ」
 ジョシュアの視線の先に気がついたレイベルが一通の封筒を手に取る。そこには月刊アトラス編集部の住所が宛先に、送付人の欄は無記名になっていた。
「これじゃ誰が送りつけたのかわからない」
 レイベルはため息を1つつき首を左右に振る。ちょっとみせて、とミナミがレイベルから封筒を受け取る。
「消印は中野郵便局になっているわ。という事は郵送されたということは間違いなさそうね」
「ですが、どうして無記名なのでしょうね。ま、こんな不穏なものですから、名乗りを上げて、私が契約をしました、なんていう人もいないでしょうし」
 ジョシュアにレイベルが続ける。
「それにこんなものを人様に送りつけるなんてただ事じゃなさそうだ」
 レイベルの想像するものは、何か陰惨な事件の始まりを告げるベルが高らかになり始めている様だった。
「悪魔と契約、すなわち魂を奉げるということがどういうことかわかった上でこのような契約を結んだのだとしたら、私も聖職者の端くれとして説教したい事が山ほどありますね」
 などといいながら、本職は確かに聖職者でありながら、魔道のそれも悪魔召還などを時折行う自分の身は無視してジョシュアが言い放った。
「悪魔と契約してでも成し遂げたい事でもあったのか、それともそれ以外に手段がないような状況に追い込まれでもしたのかしら」
 ミナミは眼を天上に向け想像の翼を羽ばたかせる。
「だとしても、何も悪魔と契約しなくても手はあったはずさ。こんな手をつかうなんて非道だ」
 レイベルは憤慨やるかたないといった様子でこぶしに力を込めて強く言い放つ。
「あ、でもちょっと待って。この封筒に書かれた宛先の筆跡と契約書の筆跡」
 契約書と封書を何気なくみていたミナミが声を上げた。
「筆跡が違う。ということは、契約者とこれを送り付けた主は違う人間だということか」「人間とはかぎりませんよ。なにせ悪魔との契約書なんですからね」
 レイベルの声に次いでジョシュアが混ぜ返すような口調で軽口を叩いた。
「まさか、人外の罠なんてことは」
 ミナミが警戒心を表に出した口調でたずねた。だが、もう一度契約書と封書を見比べてみて、
「ちがう。これは人の書いたものよ。ほらみて、契約書の方は角ばった男の人の文字を連想させられるじゃない。でも、封書の方の文字は女性特有の丸まった文字よ。これを送りつけたのは人間だと断定していいんじゃない?」
「そうなると、山崎というのは男、それを送りつけてきたのは女ということか。問題はどうしてこれをここに送りつけてきたか、ということだ」
 2人をみまわしてレイベルは続けた。
「私の独断だが、悪魔と契約したのはいいが、いざ魂をとられるとなった時に怖くなってこの契約書を破棄しようとしたのじゃないか。ただごみ箱に捨てるのも自分の手で燃やしてしまうのも恐ろしくてためらわれた、それとこんな事人に頼めた事じゃないから匿名で契約書以外の但し書きもなしに、オカルト専門誌の編集部に送りつけてきた、違うかな。ほら、日付が今日、6月30日で契約が終了する事になっている。土壇場になって怖くなったんじゃないだろうか。」
 レイベルが頬を若干の興奮でほんのり紅く染め上げる様子を横目で眺め、やはりこういった問題は素人なのだな、とジョシュアは軽く口の端に笑みを浮かべて言った。
「いい線だと思います。ですが、残念な事に、悪魔との契約は、たとえその書面が当人の手元になくても行使されるものです。もっとも、契約者がその書面を手放そうと試みたときに悪魔が現れるでしょうね。例外のケースはいくらでもありますけどもね。例えば、契約書を手放そうとしたときに悪魔がうっかり契約者を見失ってしまったりした場合なんか考えられますね」
「そんなうっかりさんな悪魔がいるの」
 ミナミは興味をそそられジョシュアの言葉に反応を示した。ミナミのバンド『ローズマーダー』の曲の歌詞の中には悪魔を扱ったものや、退廃の象徴として悪魔を曲のモチーフに用いることが多い。バンド名にマーダーと入っている事から想像できるように殺伐とした殺人や人の死を取り扱うのだ。中には悪魔賞賛の曲もあり、ミナミ自身も知らず知らずのうちに悪魔について強い興味をかねてから抱いていた。
「ええ、悪魔も人それぞれといいますか、十人十色、っと人ではありませんね。ですから間の抜けた悪魔やら人間に出し抜かれて悔しがる悪魔もいますよ」
「今後どういった方向で調査をしていく?契約書と封書ににらめっこしているのももういいだろうし」
 話し合いが停滞しつつある事を感じたレイベルは建設的な方向へ3人の調査のベクトルを転換させようと口火を切った。
「私はちょっとその筋の専門化に意見を聞いてくる事にします。なに、確かな筋ですから報告は期待していただいて結構ですよ」
 ジョシュアは自信に満ち溢れた笑みを浮かべそう返答をする。
「私はその契約書に興味がある。もうちょっと詳しくその紙に聞いてみることにしよう」 紙に聞く、などと他人からすると不審な事を言い、レイベルは羊皮紙をその透き通るような白い手元に収めた。
「この封筒の消印は中野区よね。私、そっちからたどってみるわ。何か、きっと事件や事故がその契約を結んだ頃あると思うから図書館で調べてみる」
 封筒に厳しい目つきの視線を落としてミナミは席を立とうとした。
 その時、会議室の扉が開き、麗香が片手で精一杯に抱え込んで箱を持って入ってきた。「どう?調査のほうは」
 開口一番、麗香はそうたずねると持ち込んできた箱を机の上に置いた。
「これは?」
 不審に思ったレイベルがたずねると、
「今回の事件に何か関係があるかも、と思って持ってきたのよ。開けてみて」
 いわれるままレイベルはその箱を開けた。すると中には、腹を無残にもずたずたに切り裂かれた猫のぬいぐるみがはいっている。
「これは一体?誰がこんなことを」
 レイベルはぼろぼろになった猫のぬいぐるみを箱から取り出しながら麗香に聞いた。
「これも悪魔との契約書と同じく差出人不明なの。それも、これが初めてじゃないわ。私が編集長を務めるようになってすぐの頃から、こういったぬいぐるみや人形のお腹を切り裂いたり時にはバラバラにしたものを送りつけてくる輩がいるの。まったく理解不能で今まで放置しておいたんだけど、一緒に同封されてくる手紙がちょっと興味深いのよ」
「その手紙にはなんて書かれているのですか」
 人形に目をやりながら麗香にジョシュアがたずねる。
「まあだいたいが、意味不明なんだけど、誰だかわからない他人を激しく罵る物や悪魔に帰依するようなことが書かれていたり、悪魔を崇拝するような内容よ。みんな気味が悪いし、たちの悪いいたずらだと思って捨てちゃったんだけど。どう、今回の事件と何か関係がありそうじゃなくって」
 その時、ミナミの記憶にかすかによぎるものがあった。ぼろぼろにされた人形、添えられる不審な手紙。
「私、思い当たる事があるわ。ちょっと調べてくる」
 ミナミはそう告げると立ち上がり会議室を出て行こうとする。
「それじゃあ、これからは各自行動をとることにしましょうか。待ち合わせはまたこの会議室ということで」
 3人は会議室を後にして、各々思うところの調査を始めた。


**
◆同日午後7時半
 編集部を飛び出したのはいいが、別に編集部で調べてもかまわないか、と思いレイベルは編集部に舞い戻った。編集部の会議室に他の二人の姿は当然なく、静まり返っていた。
 さてと、と呟くとレイベルは悪魔との契約書を取り出した。まずどこから始めようか、この時レイベルの頭の中には2つの選択肢があった。1つはこの興味深い羊皮紙をメスで切ってみて、本物かどうかもう一度調べようというもの。もう1つは契約書には血判が押されているので、この血液を頼りに古の祈祷術を用いてこの契約者の身元まで案内してもらおうというもだった。まずは、この契約書の真偽からか、と思い、メスを取り出す。
 メスを片手に羊皮紙の中心に丁寧に切り込みを入れようと試みる。すると容易に切る事ができる。このまま半分にしてしまおうか、と思った矢先の事だった。
 羊皮紙が光り輝き始め、あたりに黄金色の明かりを放射しはじめた。何が起こったのか、レイベルにも判断つきかねた。その時である。
「どこの不埒ものでやんすか。厳正なる契約書を切ろうとする輩は」
 光の中心に影が浮かび上がる。その影は人の形をしているのだが、大きさがレイベルにくらべてだいぶ小さい。影の口がパクパクと動いている。この影がしゃべっているようだ。
「何者だ。お前は。もしかして悪魔か」
 最初ぎょっとしたものの、こういった不思議な事には慣れているレイベルはすぐに体制を立て直して、その不思議な影に対峙した。
「悪魔なんてもんじゃありやせん。あたしはこの契約を司る契約の妖精でやんす」
 精霊や妖精のたぐいなら見飽きるぐらい見てきたレイベルは、悪魔かと思った時の緊張を解いて話はじめた。
「契約の妖精か。不思議なものがいるんだな」
「契約の時にお呼びいただければいくらでもお邪魔いたしやすよ」
「すると契約をする時にあなたはいたんだな」
「おっしゃるとおり。契約の一部始終をこの大きな目でちゃんとみておりやしたから」
 そうならば話は早い。この妖精は契約をした山崎なる人物を知っているはずだ。それに彼の行方も。
「ならば聞きたい事がある。この契約をした人間の方は今どこにいるんだ。それとこれを送りつけたのは誰なんだ。さあ、答えてくれ」
 影の姿をした妖精は、困り果てたといわんばかりに肩をすくめて答えた。
「それが、あたしも困ってるんでやんすよ。契約した男は消えちまうわ、女が勝手に契約書を送りつけてしまって、こんな所にあたしゃぽいっとされちまう。そのうえ契約書を切り刻もうなんて輩まであらわれるしまつで。まったく困ったもんですな」
「すると、契約の妖精ともあろうものが契約した人間を見失ったという事だな。そのうえ、送りつけたのは女なのだな」
 しまった、というふうに口を押さえるしぐさを妖精はしたが後の祭りだった。
「えー、私は今しゃべった事はナイショですよ。契約の妖精は契約についての一切を他人に明かしてはならないって王との約束でやんすからね。くれぐれも、くれぐれもよろしくお願いしやす」
 レイベルはこの妖精とのやり取りの交渉権を完全に取ったようだ。
「安心しろ。誰にも内緒だ。それに私がなんとかその契約者を見つけてやろう」
「本当でやんすか。ならば、話は早い。契約の妖精の決まりで、契約を守るのに加担した人間には宝のありかをおおしえする約束になってるんで」
 宝、という言葉を聞いて、レイベルの心の温度は一気に上昇した。
「宝、といったな。本当に宝なのか。いったい、いくらぐらいするものなんだ。さぁ、はけ」
「まった、ちょっとおまちください。ええ、確かに宝といいました。それが現在どれくらいの価値なのか世情に疎い私にはわかりかねますが、たいそうな宝であることは間違いありませんです。では間違いなく見つけてくださいね。お願いいたしやす」
 というと、契約の妖精の姿は消えてしまった。さっきまで光を放っていた契約書も今は、もとどうり普通の羊皮紙に戻っている。
 よし、お宝にありつける。妖精の宝といえば、なんだろうか、まあ、借金返済にはかなり貢献してくれるだろう、と希望に胸を膨らませレイベルは契約書の切った部分を元通りに修繕しはじめた。


**
◆同日午後8時半
 ミナミが編集部の会議室の扉にたどり着いたときは、部屋から明かりが漏れていた。恐らく、他の2人のどちらかはもう会議室へもどっているのだろう。扉を開け会議室へ入ると、ジョシュアとレイベルの視線がミナミに注がれた。
「何か手がかりはありましたか」
 ジョシュアが穏やかに尋ねる。
「私の方は面白い結果になったぞ。まあ、早く席について」
 楽しいことがあったのか、とても嬉しそうにしているレイベルの勢いに気おされそうになりながら、ミナミは席についた。
「私のほうは現在、調査を依頼して、結果を待っているところです。悪魔についての情報はまず確実に手に入ることでしょう」
 ジョシュアは自身の調査報告に自信ありげに答える。
「次は私だな」
 体を前のめりにさせて興奮を抑えきれない様子のレイベルが話し始めた。
「私は件の契約書を詳しく調べさせてもらった。詳しい調査方法はここでは省かせてもらうが、結果から話そう。契約者については今まで以上は詳しい情報を得られなかった。だが、山崎 徹が契約を結び、他人がその契約書をこちらに送りつけた事は確定した。山崎は男で、送りつけたのは女だと断定できる証拠を得る事ができた」
「どうやって」
 自身の調査報告と重なる部分のあるミナミは興味深げにたずねる。
「それがな、なんと、契約書にあることをすると、契約書から契約の妖精が姿を現したんだ」
「契約の妖精?」
「なんですか、それは一体」
 ミナミとジョシュアが同時に驚きと疑問の声を上げた。
「この世の中のありとあらゆるものには魂が宿っている。ものによってはその地方では神とあがめられるものが宿っている事もある。だが、この契約書には契約を見守る妖精が宿っていたんだ」
「契約を見守る妖精ですか。邪なるものにたばかられたんじゃないでしょうね」
 ジョシュアが不審そうにレイベルにたずねる。
「そう悪い奴じゃないさ。私の経験から照らし合わせてみると一般的な妖精の一種だ。だが、その妖精は契約を見守る事はするのだが、その契約者についての詳しい事は話してくれなくってな。なんとか、契約を交わしたのが男で、契約の妖精の宿る契約書を郵送したのが女だということだけは聞き出すことができた。それ以外に思わぬ収穫があったんだ」「思わぬ収穫とは」
 ジョシュアが興奮してしゃべっているレイベルを楽しそうに眺め、話を促す。
「その契約の妖精がいうにはな、契約を結んだ山崎 徹を契約の妖精も見失ってしまったらしいんだ。そこで、山崎を無事見つけ出して契約の完了に手伝ったら宝のありかを教えてくれるっていうんだよ」
「宝のありか、ですか。確かに古来のケルトの民話などからわかるように、妖精は地中の宝のありかに詳しく、親切にすると宝のありかを教えてくれる事になってますが。ですが、それはあくまでお話の世界の話です」
 冷静に、平然とレイベルの話を切って捨てるように否定するジョシュアにめげずにレイベルは続ける。
「いや、あの話は本当だ。絶対に山崎を見つけ出しそう」
「どうしてそこまで宝に固執するの」
 沈黙を守っていたミナミがレイベルを問い詰める。
「いや、その、あ、なんだ、宝探しなんて、ろ、浪漫あふれるじゃないか。だから、な、その」
 多額の負債があるなんてそう簡単に人様に喋るわけにはいかず、頑固なプライドのあるレイベルはなんとかその場を取り繕うとがんばっていると、
「それじゃ、私の報告ね」
 と、ミナミは話を進めてしまう。レイベルにとっては渡りに舟だった。
「そうそう。そっちはどうだったのさ」
 ミナミはレイベルの持っている契約書を、貸して、とレイベルに頼み、机の上に編集部に送りつけられた契約書を置き、そのとなりに自分のバッグから2通の封書をとりだし、見比べている。
「やっぱり。間違いないわ」
 ミナミが口を開くと
「何が間違いないんですか。何か重要な事がわかったとでも」
 ジョシュアが先を促す。
「うん。これ見て。私のところに送られてきた手紙。送り主の名前が山崎 徹。それともう1通。これは、匿名で私のところに送られてきたの。一緒に切り裂かれた人形とともにね。それと、今回編集部に送られてきた悪魔との契約書。この3通の筆跡を良く見て」
 あ、とレイベルは声をあげた。
「そう。3通とも筆跡や字の癖、それから筆圧まで同じ。これでほぼ、これらは同一人物のものとみて間違いないでしょ」
 興味深げに机の上に並べられた3通の手紙を眺めながらジョシュアはたずねる。
「そうですね。確かに不思議な事に一致しますね。でも、あなたの元へ山崎から手紙が届いたからといって・・・」
「それだけじゃないのよ。私のところへ来た山崎の手紙には住所が記されているの」
 感嘆の声をあげ、と同時にジョシュアとレイベルは驚愕の表情を浮かべる。
「この住所の家にいけば山崎に会える可能性が大きいわ」
 ミナミは冷静な表情だが、内心興奮を抑えるのに苦労していた。
「だが、契約の妖精は山崎を見失ったといっている。山崎が家にいる可能性は低いんじゃないか」
 表情を一変させ落ち着いた顔つきになったレイベルは、冷静な視点からたずねる。そのレイベルを制するようにジョシュアが話をまとめようと発言した。
「確かに。ですが、住所が特定されただけでもたいした収穫です。ヒントが他に無い以上、今はその住所を確認するのが先決かもしれませんね」
「もうだいぶ夜も更けたけど、逆に家にいる可能性が高いわ。今から行ってみましょう」 よし決まりですね、とジョシュアは立ち上がり、レイベルも他に意見がなかったので従う事にした。あっ、とミナミが呟いて
「みんなの事なんて呼んだらいいかな。私はミナミでいいわ」
「私はレイベルで結構だ」
「私の事はジョシュアとお呼びください」
 オッケーとミナミは言うと、部屋を飛び出した。


◆同日午後9時半
 月刊アトラス編集部よりタクシーで30分たったところに山崎の家はあった。都内中野区に位置し、駅からおよそ徒歩10分といった距離にある線路沿いのアパート街の中にあった。
 タクシーを降り、一行はローズマーダーに宛てられたファンレターの示す住所を探しだし、あるアパートの一角に差し掛かった。
「ここが山崎の部屋か」
 レイベルがささやき部屋の様子をうかがう。アパートの通路に面した部屋の窓からは人のいる気配が感じられず、いっぺんの光も漏らしていなかった。
「誰もいないようですね。それとも悪魔を恐れて居留守でもつかっているんでしょうかね」
 そうジョシュアが冗談めかして言うとミナミは部屋のドアに耳をつけ中の様子をうかがう。
「本当に誰もいないみたい。物音一つしないわ」
「よし、そういうことなら話は早い」
 手に持っていた重そうな荷物をアパートの廊下に重々しく置くと、レイベルは荷物の中身を暗闇の中手探りを始める。
 なにを始める気だろう、とジョシュアとミナミがうかがっていると、レイベルは荷物の中から細長い金属製の棒を取り出し、こう言った。
「医者を長年やっているとなかなか手先がよくなってね。こう言ったこともできるんだ、私は」
 レイベルは取り出した棒をドアの鍵穴に差込み、小声でいろいろとうめきながら、手元を小刻みに震わせたり、時折力をこめて左右に振ったりしている。
「ピッキングですか。道徳上あまり感心しませんね。普段からこう言った行為を繰り返していらっしゃるんですか」
 ジョシュアが悪戦苦闘しているレイベルにささやきかけると、レイベルはうっとうしそうに、
「うるさい。今、難しいところなんだ。この鍵の種類はやったことがないな。くそっ」
 鍵穴と格闘する事10分は経ったであろうか。レイベルは鍵穴に差し込んだ棒を操る手を今まで以上に力強く動かすと同じくして、反対の手をドアノブにかけ力を込めた。
「難しいな。ええい。こんなわずらわしい事をどうしてやらせるんだ」
 と自分から始めた行為を責任転換するような事を言い出し、両腕に力を余計に込める。
 するとその時、ドアノブにかけた腕により力を込める。金属の疲弊する鈍い音がしたかと思うと、次いで金属のこすれる音がし、ドアが開いた。
「やっと開いたぞ」
 誇らしげに語るレイベルの左手にはドアから永久にはぐれたドアノブが握られている。「ちょっと、今、力任せに開けたでしょ」
 ミナミがとがめると、レイベルは不服そうに
「ドアが開けばそれでいいんだ」
 と開き直った。

「こんばんわ」
 と一応断りを入れて3人は部屋に入る。明かりは灯されておらず、窓から差し込む街灯の灯火がかろうじて部屋の様子を映し出す。ジョシュアが手探りで部屋の明かりのスイッチを探し出し、明かりを灯す。
 すると、3人は異様な光景を目の当たりにする。3人の目の前には部屋中にちらばった人形やぬいぐるみの姿が眼に映った。その一つ一つは原型を留めておらず、月刊アトラスに送りつけられたものと同様に引き裂かれたり、切り刻まれていた。
「間違いなさそうね。ここが山崎の部屋に」
 ミナミは嫌悪感を表に出しそう呟いた。
「私はちょっと調査報告を聞きに言ってきます。おふたりはこの部屋の中から山崎に関することを探し出してもらえますか」
 まるで空き巣に入ったような現状を受け入れがたいといった風情でジョシュアが告げると部屋を後にした。


 30分は部屋にいただろうか。ミナミとレイベルの探し出した成果は、山崎には恋人がいるということを、山崎に宛てられた熱い愛情を示す内容の手紙を見つけたことで、わかったくらいだ。そのほか、珍しいくらい山崎の家族を示すものや生活に関するものは発見できなかった。異様な量のオカルト雑誌やオカルトグッズ、そして月刊アトラスが毎月買われていることと、この3ヶ月はアトラスを買っていないことくらいだ。
「ひょっとして、3ヶ月はこの部屋にもどってないんじゃないか」
 そうレイベルがミナミにたずねると、ミナミも首を縦に振った。
「そう考えるより、他に手がかりはなさそうね」
 その時、ジョシュアが部屋に戻ってきた。
「なにかわかりましたか。私のほうは一応の結果がでました」
 といいながら部屋へ入ってくるとジョシュアは続けた
「山崎が契約した悪魔は確かにいました。地獄の侯爵ピュセルの下っ端の悪魔のようです。山崎が契約に際してピュセルを媒体に召還したようですね。名前はナゼルというそうです。そのナゼルの方でも山崎を見失っているようですね。今、契約の20年が近づいているためあわてて世界中を探しまわっているそうですよ」
「私達の方は山崎が頼りそうな恋人の名前と住所、それに電話番号をみつけたわ。それ以外、手がかりなし」
 ミナミがため息をつきながらそう告げる。ジョシュアは満足そうに
「それだけ見つけられれば十分ですよ」
 と言った。

 ミナミとレイベルの発見した山崎の恋人、町田 友香の電話番号に電話をしてみる事にした。ミナミの携帯電話から電話をかけてみる。数回のコール音の後、電話口に女の声がした。
「はい。町田です」
「夜分に恐れ入ります。町田 友香さんですよね」
 ミナミが恐縮してたずねる。
「はい。町田ですけれども、失礼ですがどちら様でしょうか」
「私は山崎 徹さんの行方を捜しているものです。お会いできないでしょうか」
 電話の向こう側は、絶句して何も言えずにいる様子がうかがえる。すると、電話は軽い電子音を立てて切れてしまった。
「電話きられたわ」
「これではっきりしました。町田 友香さんは山崎の行方を知っていて、それを誰にも明かそうとしないということが」
 ジョシュアが自信ありげに断定する。ミナミもレイベルもその意見には同調した。

 町田 友香の住所は山崎と同じ区内を記している。山崎の家からタクシーでおよそ15分の所であった。タクシーを降り、町田 友香の家を探していると、レイベルがそのアパートを早々に発見した。
「部屋は201号室か。あの部屋だな」
 レイベルが指差した先の部屋はこうこうと光を放っている。
「部屋にいるようですね。しばらく待ってみますか」
 ジョシュアがそう二人に告げるとすぐに部屋の明かりが消え、ドアが開き、人影が現れた。
「あれが町田 友香じゃない」
 ミナミが呟くと、その人影は路上にでてすぐにタクシーを止め、走り去ろうとする。
「山崎の所へいくんじゃないか。さっきミナミが電話をしたから不審に思って山崎の身に不安を感じて。あわてている様子だし」
「そうなると後を追ったほうが良さそうですね。急ぎましょう」
 レイベルの危惧に追従する形でジョシュアが告げ、ミナミは路上に出てタクシーを止める。
 先ほどの人影の乗ったタクシーの後を追ってもらうように指示し、タクシーに乗り込む。
「こんな時間にあわてて出て行くなんておかしい。山崎の所へ行くのは間違いなさそうだな」
 その後タクシーは高速に乗り、都内を離れる。1時間は乗った頃、友香らしき人物を乗せたタクシーは人里はなれた病院の前に止まった。
「やっと着いたようですね。それにしても随分と遠くまで来たものです」
 やれやれとジョシュアが呟くとミナミはタクシーを降り、自分たちの5mくらい前にいる人影に声をかける。
「町田 友香さんですよな」
 人影は暗がりの中、ビクッと反応を示す。ミナミは街灯に照らし出された人影に近づく。
「怪しいものじゃありません」
 ミナミはそう言いながら人影に近づく。
 その時、人影から思わぬ言葉をミナミは聞いた。
「宝生 ミナミさんですか?ローズマーダーの」
 私の事を知っている?逆に不審に思ったミナミだったが、そうだと答える。
「宝生さんがどうしてここに。それに私の名前を知っている?ひょっとして先ほどお電話されましたか」
「ああ、先ほどお電話させてもらいました。山崎さんの行方を御存知じゃありませんか」 少々気圧されたミナミはそう告げると友香に近づく。お互い手の届く範囲になるとミナミの後を追ってジョシュアとレイベルがやってきた。
「私達は山崎さんの行方を心配しているものです。ひょっとして悪魔から追われているのを恐れているんじゃありませんか」
 ミナミの後ろからジョシュアがたずねた。
「徹のこと御存知なんですか。でも、どうして」
「詳しい事は山崎さんの安全を確保してからでも十分ですよ。我々にお任せください」
 深夜の病院の前で神父の格好をした背の高い男がそういう台詞をはくとなかなか不思議な絵になる。友香はミナミがいる事で安心した様子で、3人を導いて病院の中へ入って行った。

◆同日午後11時
 こちらです、と友香が案内したのは外観以上に古びた内装の病院の2階の一室だった。個室らしく、扉わきの入院患者の名札には「山崎 徹」の名前しかなかった。古ぼけた扉が激しく音を立てて開け放たれ、深海のように静まりかえった夜中の病院中に響き渡る。
 扉の向こうには、体中に管を取り付けられた男の姿があった。
「これは」
 ジョシュアとレイベルが共に声を上げる。
「そういうことでしたか」
 最後に部屋に入ったミナミは、まだ部屋の様子をうかがう事ができず、二人の言葉の意味する所がわかりかねていた。
「なにがあったの」
 2人にたずねながら部屋に入ったミナミの眼に、普通の病室とはあまりにも異なる情景が飛び込み、絶句した。そのミナミに説明するようにジョシュアが口を開いた。
「結界を張っていたとは。なるほど、これで悪魔の目をすりぬけていたわけですね」
 3人と友香は山崎のそばに近寄り、様子をうかがう。呼吸は自分でしているようだが、意識は無いようだ。
「いったい何が起きたの。山崎さんはどうなっちゃったの」
 ミナミは疑問を友香にぶつける。
「説明は後にしましょう。時間がありません。まず悪魔との契約書の問題を解決しましょう」
 バイブルを右手に持ち、左手を胸のロザリオに置き、持っていた悪魔との契約書をレイベルに預け、ジョシュアが一歩前に歩み出た。結界の中へ入るジョシュア。その結界は悪魔や邪まなるものの進入を阻むようだが、ジョシュアはなんなく入り込むことができた。
「天にまします我らが父よ」
 ジョシュアが祈りを始めた。するとレイベルの持っていた悪魔との契約書が突然まばゆい光を放ち始める。
「願わくは御名の尊まれんことを」
 ジョシュアは祈りを続ける。左手のロザリオをつかんでいた手を離し、聖水を持ち出す。祈りを続けながら聖水を山崎の体にふりかける。
 光を放つ契約書から二つの影が現れる。一方の影は猫の爪と尻尾、人間の胴体、それにヒキガエルの頭の形を作っている。その影から苦悶の声が響き渡る。もう一方の影は人の形をしているがレイベルの膝くらいの大きさしかない。
「オレを祓おうとしているのは誰だ。一体何が起きている。契約の妖精よ。契約はどうなっておるのだ」
 ヒキガエル頭の影が強く言いつける。
「ナゼル様。あいにく契約したものが未だみつかりません」
「いや、誰かが私を祓おうとしておるのだ。契約を結んだものがどこかにいるはずだ。早々に探し出せ。そして、20年目の今日魂をいただくのだ」
 二つの影は山崎の契約したナゼルと、契約書にいる契約の妖精のようだ。目の前に山崎がいるにもかかわらず、結界のせいで彼らには見えないようだ。
 結界の中からジョシュアが契約書から現れた影に語りかける。
「これからそなたをこの世から祓おう。覚悟するがよい邪まなる者よ」
「誰だ、私を祓おうというのは。姿をあらわすがよい」
 結界から外にでたジョシュアは、ロザリオの十字架を片手にナゼルに対峙する。
「おまえか。このなまくら神父め。私は契約通り男の魂をいただいていくだけだ。お前には関係がないことだ」
 悪魔の恫喝に一歩も譲らずジョシュアが答える。
「お前の行った行為は契約に反している。消えうせるがよい、邪まなる者よ」
「オレは奴の言う通りにしてやった。奴が世の主になりたいなどというから、奴の内なる世界の主にしてやったまでのこと」
「お前はそんな力を持ち合わせていないことをいいことに、契約者を内なる世界に閉じ込めただけではないか。その上魂まで所望するなど言語道断。今すぐ、消え去るがよい」
 ジョシュアは強気な態度を変えなかった。悪魔に付け入る隙を与えない為に。
「そして、お前は主の命によりこの世から立ち去るがよい」
 十字架を影に強く押し付け、ジョシュアは語気を荒げた。
「いやだ。いやだ。俺はこいつの魂をいただいて帰るんだ」
 十字架と聖水、それにジョシュアの祈りによってかなり弱体化した影の姿のナゼルは弱々しく続けた。
「オレは20年もまったのだ。それがどうしてお前なんかに祓われなくてはいけないんだ」
「お前が契約を忠実に守らなかったからだ。契約の妖精とやら。この契約は、ナゼルが契約違反を犯した事で、かの者の契約は守られなかった。よって、かの者が契約どおり魂を持ち去らずとも契約は完了するな」
 人の形をした小さな影はやや動じた様子で答えた。
「は、はい。あっしはナゼル様が最初から契約を守らなかった事を不審に思っておりやした。ここはナゼル様に非がありやす。よってこの契約は反故になりやす」
 ジョシュアに逆らうとここは分が悪そうだと判断したのか、契約の妖精は下手に出てジョシュアの言う事にしたがった。
「だそうだ。お前はもうこの世に留まる用はあらず。立ち去れい」
 ジョシュアが叫び、聖水を契約書にかける。
「くそ。おぼえていやがれ、なまくら神父め」
 とナゼルの影が断末魔の叫びをあげると、その影は徐々に薄くなり、やがて消え去ってしまった。
「これで完了ですね」
 いままでのこわばった表情を一変させ、穏やかな顔にもどったジョシュアはみんなに向かって明るく声をかけた。


「いつも明るくって優しい徹さんが変わったのはちょうど20年前の事です」
 未だ意識の戻らない山崎をジョシュア、レイベル、ミナミそして、友香が囲うと友香は口を開いた。
「ある日を境に徹さんは家に閉じこもるようになりました。最初は具合でも悪いのかと心配をしました。それで私、徹さんの家に通うようになりました。それ以前からお付き合いをしていたのですが、あまり徹さんの家に行った事はありませんでした。徹さんを訪ねるうちに徐々に彼は独りでいる事を望むようになりました。やがて、私を疎んじるようになっていきました。ある日、訪ねても彼は家に上げてくれないようになりました。目つきが怖くなり何かに取り憑かれたように、眼の色まで変わってきました。私は合鍵を持っていたので、彼がいない時を見計らって彼の部屋に上がりました。すると、部屋中にぼろぼろにされた人形が散乱していました。さすがにこれはおかしい思い、病院へ行くように勧めましたが、私とそのうち口もきいてくれないようになりました。私はそれでも彼の元を訪ねる事はやめませんでした。できるだけ、外にでるようにしました。最初は引きこもっている彼でしたが、音楽が昔から好きだったので、よくライブなどには一緒に行ってくれました。その時、ローズマーダー、宝生 ミナミさんのライブに行くようになりました。彼も気に入った様子でよく通いました。ですが、そんな日もいつしか終わりになりました」 眼に涙を浮かべ、時折山崎の姿を見ながら一気に友香は語った。今まで誰にも話せなかったのだろう。話せる事で彼女は何かを癒しているかのようだった。
「それで、どうしたんだ。山崎はどうしてこんな姿になってしまったんだ」
 レイベルが友香をせかすようにたずねる。彼女は契約の妖精の約束の事が気になっているようで、事の真相を速く聞きだしたいようだ。
「はい。それまでおかしいながらも体調は問題なかったのですが、徐々に体が動かなくなっていきました。そして、やがて昏睡状態におちいりました。今から3ヶ月ほど前だったと思います。緊急入院をしたのですが、昏睡状態だけはなおりません。私は気になって彼の家を訪ねました。部屋中を探し回りました。彼がおかしくなった原因を探り当てる事ができるかも、と思って。そして、彼の日記と、悪魔との契約書を見つけました。最初はまさかそんなものが関係しているとは思いもしませんでした。でも、日記を読むにつれ段々わかってきました。彼は悪魔と契約をかわした、と」
 ふん、と鼻で笑ったジョシュアがたずねる。
「でも、わかりませんね。普通だった山崎さんが急に悪魔との契約をするなんて。なにか心当たりがありますか」
「私はしりませんでした。日記に書かれていたんです。彼は子供の頃、両親から虐待を受けていたと。それが深い心の傷になり、彼は、世の中を恨んでいたようです。私にはそんな顔は1つもみせなかったのに」
 涙が友香の頬をつたう。
「彼は本当はいけにえや虐待の対象に動物を使おうとした、と書かれていました。でも、できなかった、と。彼の優しさが本当の動物への虐待を留まらせたようです。それで、代わりに人形やぬいぐるみに憎しみをこめていたんです」
 ミナミが辛そうに友香の姿を見つめている。友香の気持ちがわかるのかのように、時折まぶたをぬぐっている。
「悪魔が原因して倒れたのだと、思いました。それでなるべく彼の部屋から遠い病院へ転院しました。悪魔との契約書、これが全ての事の始まりだと思い、一緒に置かれていた雑誌社へ送りました。きっとそこならどうにかしてくれるだろうと思って。そして、私の家はお寺なので、結界のやり方を親に聞き、彼を結界で守る事にしました」
「それが功を奏して悪魔にも、契約の妖精からも姿を消す事ができた、ということか」
 魔術や祈祷術に長けているレイベルは納得したようだ。レイベル自身もなんども結界をつかって身を守ったり、人を助けたりした事があるからだ。
「つまり、昏睡状態に陥らせたのは悪魔のしわざだったのです。世の主にして欲しいと頼んだ山崎 徹さんの心の闇に付け入り、彼自身の中の主にさせられてしまった。昏睡状態すなわち彼の中では今、彼自身の世界の王となっているのです。ですが、じき目覚めるでしょう。悪魔は祓いましたし、契約も破棄になったということですし」

 ジョシュアの言葉通り彼はそれから1時間ほどして目覚めた。そして、彼の最初の台詞は一同を唖然とさせた。
「友香、ここはどこだ。俺は何をやっているんだ」
「徹は倒れたのよ。それで病院へ」
「いや、俺は元気だよ。あれ、今日は何曜日だ。学校へ行かなくちゃ」
「学校なんてとっくに卒業したじゃない」
「何言ってんだよ、もうすぐ大学受験じゃないか」
 山崎はこの20年の記憶がごっそりと抜け落ちていた。
「契約したときのショックでしょう。悪魔が彼の心に悪さをした時から彼の記憶がなくなってしまったようです」
 えてしてよくあるケースだ。ジョシュアは心の中でアーメンと呟く。あせった様子で友香は山崎にミナミを紹介する。
「この方御存知でしょう。ローズマーダーのボーカリストじゃない。よくライブ一緒に行ったじゃない」
「え?いや、わからない」
「無理も無いだろう。記憶がなくなっているのでは。私は医者が本業だが、職業柄記憶喪失にはよくたちあった。ショック療法が一番効果的なんだが」
 その時、ミナミは思いたった。私達のライブに来てくれているなら。それならある程度心にショックを与えられるはずだと。
 ミナミは、私に任せて、というと友香に山崎はどんな曲が好きだったのか聞く。そして、ミナミは、山崎が好きだったと言われた曲をアカペラで歌いだした。
 同じ曲を何度も歌い続ける。ミナミの額に汗がにじんでくる。その時だった。山崎は頭を押さえて苦しがったかと思うと、瞳に生気がよみがえってくる。
 山崎はこの20年の長きにわたる記憶を取り戻し、涙を流して友香に詫びた。何度も何度も泣きながら友香に謝り続ける。友香も今までの苦しみから解放されたのと、山崎が以前の優しい山崎の戻ったうれしさで顔中をくしゃくしゃにしながら泣いて喜んだ。


◆7月1日午前4時半
 病院をでるともう朝日が東の空にうっすらと幕を張っていた。
「やれやれ、結局説教をするのを忘れてしまいました」
 眠そうに目元をなでるとあくびを1つしてジョシュアは言った。
「でも、よかったじゃない。悪魔との契約者を見つけるだけじゃなく、救う事ができて。さすが神父様よね」
 冗談めかしてミナミがジョシュアを覗き込んで言う。ジョシュアもまんざらじゃなさそうに笑っている。
「あ、大事な事忘れてた」
 レイベルが突然大声を出した。
「なに?もう事件は無事解決じゃない」
 ミナミが不審そうにレイベルを見やると
「そうじゃない。契約の妖精が言っていた、宝のありかを聞き出してない。宝が、私の宝が」
 そういい契約書を取り出し、じっとレイベルは契約書を見つめる。
「もう一度でてこい契約の妖精。ちゃんと契約者をみつけだしたんだ。宝のありかを教えてくれ」
 すると薄っすらとした朝日を背景に人影が浮かび上がる。
「へえ。確かに、ありがとうございやした。これで契約は無事完了いたしやした。これも皆様のおかげです。では、お約束どおり」
「かならず見つけ出すぞ。お宝」
 レイベルが呟くと、ミナミとジョシュアはやれやれと呟いた。
(了)


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 0800 /宝生・ミナミ      /女性/23歳 /ミュージシャン
 0363 /ジョシュア・マクブライト/男性/25歳 /神父
 0606 /レイベル・ラブ     /女性/395歳/ストリートドクター
 

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■         ライター通信          ■
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 不良神父(失礼)、ミュージシャン、闇医者、というとても個性あふれるキャラクター達の冒険譚を見守る事ができて、とても楽しかったです。
 さて、今回のお話はいかがでしたでしょうか?若干、キャラクターが思惑通り動いてくれずおたおたする事も多々ありましたがなんとか、物語の終わりまでたどり着けました。
 今回のキャラクター達はみなさん個性が強く、どの方もクールなのですが、若干、感情表現を思い切って描写をしてみました。
 今回現れた契約の妖精の「宝探し」なんて話も飛び出しましたが、今回はそのイベントは描ききれませんでした。いづれ、外伝という形になるのでしょうか、書きたいと思っております。
 悪魔の登場するお話でしたが、皆さんの特技をいかして悪魔を退ける事ができたと思っております。なにより、人間智慧が一番大切なのじゃないでしょうか、という意味を含めまして。そういう意味ではとても充実した逸材ばかりの登場したお話となりました。
 ジョシュア・マクブライトではありませんが、悪魔を意のまま操れるようにお話を進める事ができれば、と切に思った物です。クールでニヒルなにくいあんちきしょうめ、と思いながらいろいろな事をさせてしまいました。いかに「粋」な神父を描くか、それも悪魔と手をつないで世渡りをする神父様なので、頭の中で勝手に暴走を始めてしまいおもしろおかしく描きました。
 レイベル・ラブはかなり暴走気味に描いてしまいました・・・。でも、やはり金です、という作者の強い願望が表に出て描いてしまいました。医者としての側面をもうちょっと掘り下げて表現したかったのですが、技量不足の為、また今回の依頼ではあまり医者レイベルを登場させる事ができませんでした。病院まで登場させておきながら医者いらずとは、というちょっと変なお話ですね。
 宝生・ミナミはミュージシャンという職業柄、感受性が一番敏感だという表現をいたしました。また今回、NPCに心を揺り動かされて思わず涙してしまうという理性的なキャラクターとしては異例の表現をさせました。書いていると自然とここはミナミだと思わずもらい泣きをしてしまうんじゃなかろうか、と手が勝手に描いてしまった結果です。文章表現をしていると不思議とキャラクター達が勝手に動き出してしまうという事がえてしてあります。御不満を感じられるかもしれませんが、作者としてはこれはこれでよし、と思っております(お客様の大切なキャラクターである、という事は間違いなく事実ですが)。
 各キャラクターの独自のシーン(overture及び、内偵調査編)があります。お時間がありましたら、他PCの調査報告もご覧いただけるとより楽しめると思います。

 約2週間にわたって皆様のキャラクターと生活を共にしてとても幸福でした。
 またどこかでお会いできる日を心待ちにしております。
 では、今後とも楽しいプレイングをされる事をお祈りいたします。