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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡線・仮面の都 札幌>


調査コードネーム:黒い嘲笑  〜邪神シリーズ〜
執筆ライター  :水上雪乃
調査組織名   :界鏡線シリーズ『札幌』
募集予定人数  :1人〜6人

------<オープニング>--------------------------------------

「それで? わたしにコレをどうしろと?」
 不機嫌そうに、新山綾が言った。
 北斗学院大学心理学研究所の一角。茶色い髪の助教授の研究室である。
 眼前にたたずむのは壮年の男性。
 北海道大学宗教学部の助手たる飯田泰之だった。
 大学時代の先輩でもある。
「北斗学院で引き受けてもらいたいんだ」
 苦渋に満ちた口調。
「あのねぇ先輩。そういうのって、ちゃんと上を通してもらわないと」
 溜息混じりに綾が応える。
 正論ではあったが、裏の意味もある。
 北大には、彼女を敵視する教授がいるのだ。安易に飯田氏の要請を受け入れれば、当の先輩の立場が悪くなろう。
 下手をしたら、研究を盗んだとして訴訟沙汰にもなりかねない。
「新山君の言いたいことは判る。だが、そんな悠長なことを言っている場合じゃないんだ。もうすでに、うちの研究室では四人の発狂者が出ている」
「はぁ?」
 素っ頓狂な声を上げる綾。
 たかが本の解析で発狂する人間などいるとは思えない。
 性質の悪い冗談であろう。
 軽く決めつける。
 しかし、飯田氏は真剣そのものだった。
 渋る綾に古ぼけた革表紙の本を押し付けると、さっさと帰ってしまう。
 引き留める暇もあればこそ。
「困ったわねえ。とりあえず、理事長に相談するしかないかしら」
 呑気に呟く助教授だったが、その余裕は長命を保ち得なかった。
 飯田氏が殺害されたのだ。
 彼女の研究室を出てから、わずか一時間後のことである。
 白昼の大通りで、まるで見えない剣に切り刻まれたかのように、肉塊と化したという。
 ブラウン管が垂れ流すニュースを声もなく見つめる綾。
 そして、真の凶報はその次に訪れた。

『自衛隊真駒内基地に数十体の怪物が出現!! これは、映画ではありません!!』

 音程の狂った絶叫をあげるアナウンサー。
「‥‥いったい‥‥何が起こってるの‥‥?」
 呆然とした呟き。
 デスクの上に置かれた本が、ただ不気味に沈黙していた。



※邪神シリーズです。
※バトルシナリオと調査シナリオの二本立てです。
 研究室で本の解析。真駒内でのバトル。どちらかをお選びください。
※水上雪乃の新作シナリオは、通常、毎週月曜日と木曜日にアップされます。
 受付開始は午後8時からです。


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黒い嘲笑   死闘編

 どこまでも広がる蒼穹に、黒煙が吸い込まれてゆく。
 到着したばかりの北の拠点都市には、来訪者たちを歓迎する余裕などなかった。
 駅構内に響く避難勧告と、押し寄せる人の波。
「あ!」
 突き飛ばされる格好になった草壁さくらが、小さな悲鳴をあげて壁に手を付く。
 普段の彼女ならば、そもそもぶつかる事もなかったであろうが。
「大丈夫か? さくら?」
 すぐに武神一樹が手を差しのべる。
 が、調停者の顔もわずかに青ざめている。
 圧倒的な威圧感が、霊感の強い二人を苛んでいるのだ。
 邪神の気配。
 慣れることもなく、快感に転ずることもない。
「ダメ。三浦さんも嘘八百屋も捕まらない」
 頭を振りながら、シュライン・エマが近づいてくる。
 左手に携帯電話が握られていた。
「そうか‥‥巫はどうだ?」
「灰滋のも圏外ね。いったい、何をやってるのかしら? って、二人とも大丈夫?」
 心配そうに問いかける。
 霊感のない彼女には、骨董屋コンビの不調の理由が判らない。
「‥‥大丈夫だ。それよりシュライン。綾に連絡を取るんだ」
「綾さん?」
 調停者と魔術師は、必ずしも仲の良い方ではない。
 そう思って聞き返そうとした青い目の美女だったが、結局、一つ頷いてメモリを探った。
 現状を正しく認識していれば、スタンスの違いなどは問題にならない。
 この件に関わる人間たちに連絡が取れないなら、次善の策を採るしかあるまい。
 それに、茶色い髪の助教授なら、恋人から何か聞いている可能性もある。
 不測の事態のなかにあっても、調停者の胆力は相変わらず健在だった。
 そして、幸いなことに綾には簡単に連絡がついた。
 同時に幾つかの事情が明らかになる。
「なるほど、な。壮大な陽動作戦というわけか」
 ごく限られた情報から、武神が正確に敵の思惑を読み取る。
 主力を切り離し、その隙に本拠地を襲う。この場合の主力とは兵の数のことではない。特殊能力者たち。それ以上に、三浦陸将補のことを指している。実戦指揮を執るものがいなくては、軍隊など烏合の衆と同じだ。数を力に変換することなど出来るわけがない。
 だが、敵にとっての誤算もある。
 調停者たちが遅れて札幌に入ったことだ。
 しかも、指揮能力を持つものが二人もいる。
「さくら」
 静かな声で恋人に呼びかける。
「はい。判っています。三浦さま方が戻るまで保たせれば良いのですね」
「頼む」
「ち、ちょっと待ってよ、一樹さん。さくらだけ真駒内に行かせるつもりなの!?」
 やや慌てて、シュラインが口を挟んだ。
 現在、真駒内駐屯地は激戦の渦中だ。そんな危険な場所に、女性を送り出すなど。
「大丈夫ですよシュラインさま。それに、これしか方法はないんです」
 反論は、当のさくらから出た。
 今のところ、彼らが急行すべきポイントは二ヶ所である。
 一つは、いうまでもなく真駒内。もう一つは、北斗学院大学の新山研究室。後者では、魔導書の解析が行われるはずだ。あるいは、人間たちにとっての切り札となるかもしれない研究である。敵が見逃してくれるとは考えにくい。事実、綾のもとに魔導書を持ち込んだ人間が殺害されている。
 したがって、どちらかに戦力を集中するのではなく、双方を堅守しなくてはならない。
 では、何故さくらが真駒内を担当するかといえば、複数の理由がある。
 戦闘力を持たないシュラインは、当然のことながら研究室行きが決定だ。彼女の語学力と冷静さは、大いに綾を助けるだろう。
 となれば、武神とさくらのうち、一方が真駒内に向かい他方が綾とシュラインをガードすることになるのだ。そして、こと戦闘能力に関していえば、金髪の美女の方が遙かに勝っている。せめて、いつも借りている天叢雲でもあれば別だが、嘘八百屋が札幌にいないのでは、どうにもならない。
「でも‥‥」
 説明に頷きつつも、なお納得いかない声を出すシュライン。
「大丈夫です」
 さくらが繰り返し、
「それに」
 と、シュラインの耳に唇を寄せた。
 囁き。
 興信所事務員の頬が染まってゆく。
「‥‥判ったわよ‥‥そんな風に言われたら引き留められないじゃない」
 照れたように、怒ったように、そっぽを向く。
 友人の様子を見ながら、紅唇を綻ばすさくら。
「さくら。気を付けろよ。それから、無理をするな」
 武神が声をかけた。
 ぶっきらぼうな口調の中に、優しさが見え隠れしている。
「はい。それでは行って参ります」
 聖母のような微笑を浮かべ、さくらが応えた。
 それから、おもむろに踵を返して走り出す。
「‥‥死んじゃダメよ‥‥」
 小さくなってゆく背に向かって、シュラインの心が呟いていた。
「ところでシュライン」
 無理に話題を変えるように、武神が友に向き直る。
「なに?」
「さっき、さくらに何を言われたんだ?」
「‥‥知りたい? 本当に知りたい? 一樹さん」
「い、いや‥‥そこまで知りたいと思っているわけではないが‥‥」
「恥ずかしさに身悶えて、一生を後悔の中で過ごすことになっても知りたい?」
「‥‥知りたくない‥‥」
「賢明な判断よ。一樹さん。じゃあ、私たちも急ぎましょうか」
 言って、シュラインが歩き出す。
 やや遅れて、武神がそれに続いた。


 響くクラクション。
 避難する人波。
 溢れる野次馬。
 真駒内へと続く道は、連休の高速道路のような混雑ぶりだ。
 タクシーでの侵入を諦め徒歩となったさくらは、もはや指呼の間にある基地を暗然と眺めた。
 炎と黒煙の中で暴れ回るダゴンどもの姿が見える。
 視認できるだけでも、その数は二〇体を超えよう。
 まさか、これほどの戦力を隠し持っていたとは。
 でも、もう好きにはさせません。
 軽く宣戦を布告し、駆け出す。
 和服の袖が風邪に翻り、一瞬の後、緑玉の瞳の美女の姿は戦装束に包まれていた。
 一陣の風が金色の髪をなびかせる。
 まるで、天照大神が出陣するようであった。
 変化の術である。
 この場合、視覚的効果によって自衛隊員たちを鼓舞するのが最大の目的だ。
 やがて戦場に到着した彼女は、獅子奮迅の戦いを始める。
 破壊と殺戮を欲しいままにしていた邪神どもが、数体まとめて消し炭と化した。
 狐火。
 それが、さくらの力だ。
 ただし、外からの攻撃ではダゴンの硬い鱗に弾かれるため、必ず接敵する必要がある。
 危険を伴う攻撃法だが、長々と続けるつもりはない。
 数の差がありすぎるからだ。
 彼女の目的は、崩壊しつつある戦線を支え、味方の来援を待つことなのである。
 最初に全力を出して邪神を屠ったのは、戦果によって隊員たちを勇気づけるためだ。
 事実、初めての戦果に、基地の隊員が歓声をあげる。
 と、邪神の群が乱れた。
 まるで、見えない敵と戦うかのように、虚空へと水流を迸られる。
 だが、むろん、岩すら砕く危険な水は、虚しく宙を薙いだだけであった。
 さくらが笑う。
 もう一つの技、幻術である。
 邪神に天敵の姿を見せいてるのだ。
「今です!!」
 戦の女神のように、隊員に指示を下す。
 勢いづいた人間たちの反撃が始まった。
 突撃銃が火を噴き、戦車砲が唸りをあげ、戦闘ヘリが宙を駆ける。
 たちまちのうちに、数体のダゴンが倒れ伏した。
 そう。
 巨大な力を持つ神にも、人の力は通用するのだ。
「奴等とて生き物。血も流せば死にもしましょう。恐れるな! 日ノ本の防人たちよ!!」
 さくらの凛とした声が戦場に響き渡る。
 狂風に髪をなびかせ、美々しい戦装束で佇立する。
『うおおおおおお!!!』
 隊員たちが、一斉に鬨の声を上げた。
 凄まじいまでに士気が高揚している。
「ニケイヤが俺たちのために降臨してくれたと思った」
 とは、この戦いに参加した自衛隊員の一人が後に語ったことである。
 不本意な壊走と無秩序な反撃は、統一された意思のもと、効果的な陣形に再編されて怪物どもを追い詰めてゆく。
 しかし、さくらは前方を睨みつけたまま、表情を緩めなかった。
 ダゴンたちも、一時の混乱から立ち直りつつあったのだ。
「出てきましたね‥‥あの娘が‥‥」
 声に出さない呟き。
 邪神の動きに秩序が出た理由を、彼女は正確に洞察していた。
 奈菜絵が本格的に指揮を執り始めたのである。
 失敗ばかりしているようなイメージがあるが、油断ならざる敵であった。
 しかも、さくらが指揮する自衛隊と奈菜絵が率いるダゴンどもでは、そもそも質が違いすぎる。これまで以上に苦しい戦いが予想されるだろう。
 でも、と、さくらは思う。
 あの娘が真駒内に現れたということは、敵の主力部隊がここに集結している証明でもある。したがって、北斗学院への襲撃は、それほど深刻なものではあるまい。
「よかった‥‥どうかご無事で‥‥一樹さま」
 自分の方が危険な場所にいるくせに、そんな事を考えるさくらであった。
 本当の戦いは、まだ始まったばかりである。


 戦況は、一進一退を続けている。
 数で圧倒する自衛隊。質で上回る邪神ども。
 こう表現すると互角に思えるが、本当のところは、さくらの指揮能力によってかろうじて戦線を支えているのが現実だ。
 指揮を執りつつ、狐火や幻術を駆使して敵の混乱を誘い、孤立した味方は自ら赴いて救出し、必死に仲間を励ます。
 いつ戦線が崩壊してもおかしくなかった。
 さくらは本物の指揮官ではないのだ。部隊ごとの特性も知らないし、近代兵器を用いた戦いにも慣れていない。
 その認識は、真綿で首を絞められるように、じりじりと彼女の神経を灼いている。
 邪神どもの残りは二〇体弱。
 自衛隊の残存兵力は六割を切っている。
 損耗比率を考えれば、先に全滅するのは自衛隊だ。
 屹っと前方を見据えるさくらの白い頬にも、赤い筋が描かれていた。
 激戦の渦中にあって、無傷でなどいられない。
 傷付き血を流しながらも、金髪の美女は巍然と佇立している。
 その姿を見、隊員たちは再び士気を高めたが、士気の高さだけではどうにもならなくなる瞬間が、刻一刻と迫っていた。
「‥‥ダメでしょうか‥‥?」
 ごく僅かな怯懦が内心に沸き上がったとき、戦況に劇的な変化が訪れた。
 激戦の靄を切り裂くように突っ込んできたランドクルーザーが、一体の邪神に体当たりをかける。
 三トン近い重量で押し潰そうと、エンジンが咆哮をあげる。
 だが、敵も然る者、バンパーに腕をかけ車体を持ち上げた。
 と、そのとき、人影が車から飛び降りる。
 二つ。
 藤村と三浦陸将補だ!
 間に合ったのだ!
「待たせたな」
「俺らの獲物、まだおるか?」
 クールな笑いを浮かべる二人。
「‥‥よかった‥‥」
 安心したのか、さくらが地面に膝を付いた。
 それほど苦戦し力闘してきたのである。気が抜けたところで、責めるものはいまい。
 無視された格好になった、ダゴンが怒りの声と共に、ランドクルーザーを持ち上げた。
「感動の再会を邪魔するとは無粋なやっちゃ」
 藤村が嘲笑する。
 こんなものを投げつけられでもしたら、洒落では済まないのだが‥‥。
「アデュー 俺の新車」
 哀しげに呟き、三浦が拳銃を引き抜いた。
 速射。
 八発の弾丸がランドクルーザーの燃料タンクに吸い込まれてゆく。
 そして、大爆発!!
 跡形残らず吹き飛ぶダゴンと自動車!
 周囲にも破片が降り注ぐ。
 ダゴンの鱗は拳銃の弾丸程度では傷付かない。もっと強力で爆発的な攻撃力が必要なのだ。
「無茶しよるな〜」
「自動車保険には入ってる」
「おりるんかいな?」
「さあな。だが今は、俺の保険問題より」
「こっちが先やな」
 軽く言ってのけ、黒髪の占い師が敵に向き直った。
 彼の右手に細剣が握られているのに、この時やっと気が付いた者もいる。
 秘剣グラム。
 かつて、ファファニールドラゴンを倒したとされる名剣である。
「借りモンのレプリカやが、どんなもんや!」
 言葉と共に、みるみる刀身が厚くなってゆく。
 氷結の力だ。
 だが、
「こいつは‥‥」
 当の藤村が最も驚いていた。
 白く輝く刀身から霧が立ちのぼっている。
 気化現象。個体が液体を経ずに気体になることをいう。普通の氷がこのような現象を起こすことはない。むろん、藤村が作る氷も普通の氷である。
「ドライアイスっちゅうわけやな‥‥オッチャンの言ってた剣の力‥‥使わせてもらうで!!」
 氷の魔剣を手に敵陣へと斬り込む。
 悪友である巫のような戦い方だ。
 もっとも、占い師は浄化屋ほど素直ではない。
 邪神の足元を氷結させて転ばせたり、喉元を凍らせて窒息させたり、まあ、要するに隙を作った上でとどめを刺すのだ。
 たちまちのうちに、二、三体のダゴンが倒された。
 その活躍に、圧され気味だった自衛隊が活力を取り戻す。
 むろん、指揮官たる三浦陸将補が前線に復帰したという理由もあるだろう。
 重火器を抱えた隊員が前進を開始する。
 ただ、これは藤村にとって迷惑だった。
 なまじ援護射撃などをされても、動きが取れなくなってしまうのだ。
「ま、しゃーないやろ。俺も、ドッグファイトが好きいうわけでもなし、遠距離戦に徹しよか」
 ごく簡単に言って、グラムを一振りする。
 すると、刀身が外れて飛んでいった。否、刀身ではない。張り付いていたドライアイスが飛んだのだ。
 何気ない動作から繰り出された何気ない攻撃。
 射線上にいたダゴンは見向きもしなかった。
 無理もない。
 こんな貧相な氷の矢など、命中したところでダメージなどゼロに等しかろう。
「普通の氷やったらな」
 藤村の嘲笑を、そのダゴンは聞くことが出来ただろうか。
 魔剣と超能力によって生み出された氷は、触れた瞬間、邪神を純白の彫像に変えた。
「神の愕然。なかなかええタイトルやけど、作品が名前負けしとるな。消えや」
 拳大の雹が一つ、邪神の身体に当たる。
 ただそれだけで、ダゴンの躰は砕け散り幾億の細片と化した。
「砕けるときだけはキレイやったな。どや? もっかい見たいヤツおらへんか?」
 氷よりなお冷たく言い放ち、挑発する藤村。
 邪神どもが怒りの咆哮をあげた。

「馬鹿な‥‥あれほどの使い手がいるとは‥‥」
 魚人どもに守られつつ戦況を見守っていた奈菜絵が呟いた。
 ブレザーの上に羽織ったマントが風に揺れている。
 こちらが完全に不利になったわけではないが、損害の大きさは無視できない。
「あとわずかで北海道の司令部機能を破壊できるというのに‥‥」
「それが判らないんですよ。なぜ陸自の動きを封じようとするんですか?」
 突然、背後から声がかかった。
 慌てて振り向く奈菜絵の左右で、数匹の魚人がまとめて切り裂かれる。
「貴様‥‥!」
 怒りに瞳を燃やす少女。
 彼女がこれほど憎む相手とは、
「やれやれ。サカナの下僕は、挨拶の言葉すら知りませんか。目上の人に会ったら、ちゃんと挨拶をするものですよ」
 飄々とのたまう星間であった。
 自分を目上と言い切るあたり、なかなか強者であるが、べつにジョークを飛ばしているつもりはない。魚の下僕より目下のものなどミジンコくらいだ。
「どうしてここにいるのです!?」
 もろん、奈菜絵には他の言い分があるだろう。
「耳目を他所に引きつけ、その間に本拠地を急襲する。陽動の基本です。あなた達も使ったでしょう? まあ、サカナの記憶力では忘れていますか。やっぱり」
 侮蔑の色も隠さずに星間が説明する。
 水の邪神の一派は、陽動作戦の帰結として真駒内駐屯地を攻撃した。
 星間は、藤村の活躍を奇貨として敵本陣に潜入した。
 最初から予定の行動である。自分が取った行動を相手も取る可能性。策士になればなるほど、この部分を失念するものだ。
「それで、貴様はわざわさ我々に降伏するために現れた、と、こういうわけですか」
 奈菜絵は挑発に乗らなかった。
 それどころか、陰惨な瞳で星間を見つめつつ、逆に嘲弄するほどである。
「面白い解釈です。少し面白すぎるのが難点ですが」
 言いながら、図書館司書は改めて間合いを取り始めた。
 油断ならざる相手であることは承知している。
「面白いことを言ったつもりはありません。我が主は、貴様の腐れ神などとは比較にならぬ高貴な御方。慈悲に縋りたくなるのも無理はなかろうというもの」
 奈菜絵もまた、有利な間合いを求めて体制を整えつつある。
「サカナが高貴ですか。新しい辞書が必要になりますね」
「その辞書の中で、貴様たちはゴミクズにも劣る存在として描かれるでしょう。老後の楽しみが出来て結構なことです」
 互いに理解している。
 星間と奈菜絵の間に、譲歩や妥協が成立する余地はない。
 あるのは相手の死、のみである。
「勝手に他人の老後を決めないで欲しいですね。もっとも、あなたは老後を心配する必要はありませんが」
「他人の言葉を受け入れられぬとは偏狭なこと。まあ、腐れ神の家畜では無理もありません‥‥」
「戯言は聞き飽きました。消えなさい!」
「それは重畳!」
 同時に二人が技を放った。
 すべてを切り裂く颶風とすべてを呑み込む奔流が正面から激突し相殺される。
 弾け飛ぶように後方に跳んだ二人は、すぐさま新しい技を仕掛けた。
 星間の手から生まれた魔風が奈菜絵のマントを裂き、繊維を腐らせる。
 奈菜絵の手から生まれた水槍が星間のスーツを貫き、脇腹に傷を残す。
 ほぼ互角の戦いだった。
 戦士としての技量。主への忠誠。相手への軽蔑。
 星間は男性であり、女性の奈菜絵より体力がある。
 奈菜絵は若く、年長の星間より持久力に勝る。
 無限に続くかという戦い。
 もはや二人の瞳には、互いの姿しか映ってなかった。
 風と水が接吻し、非友好的な火花を撒き散らす。
 余波を被った草木が腐り、大地が侵蝕される。
 このままでは決着がつかない。
 眷属を呼ぶか?
 二人は期せずして同じことを考えていた。
 だが、そのプランは実現することなく終わる。
 突然、星間の至近に影が出現したからであった。
 あ、と思う間もなく、ジーンズに包まれた足が、図書館司書の腹部にめり込む。
「ぐ‥‥」
 たまらず身を折る星間。
「困るなぁ。僕のラマンに乱暴しちゃあ。怒っちゃうよ」
 怒るというより、嘲弄するような口調。
「ブラック‥‥ファラオ‥‥」
 苦痛に顔を歪めつつ、掠れた声を絞り出す。
「奈菜絵クンもダメだよ。勝手にこんなのと戦っちゃ。怪我でもしたらどうするんだい?」
「すみません‥‥」
「いつも助けてあげられるとは限らないんだからね」
「はい‥‥」
 地面に這いつくばった星間を無視したまま悠然と会話を楽しむ浅黒い肌の青年。
 目のくらむような屈辱感の中、ようやく図書館司書が身を起こした。
 サカナの下僕の眼前で地に這わされるとは。
「‥‥やってくれましたね‥‥」
「ああ。星間クン、まだいたんだ? もう帰って良いよ。今日のところは生かしといてあげるから」
「腐れ神の家畜など、殺してしまえばよろしいのに」
「まあまあ。弱いものイジメをしてもつまらないから‥‥」
 言葉の後半から、青年と少女の姿は空気に溶けはじめていた。
 黙然と見送る星間。
 やがて、彼は地面に向け血の混じった唾を吐き、踵を返して歩き出した。
 勝利に沸きかえる基地へと向かって。
 無言のまま。
 内心に去来する思いは、彼自身にしか判らない。
 背後では、風が烈しさを増していた。
 まるで荒ぶる神のように。


「ふう。なんとか凌ぎきったな」
 地面に腰をおろした藤村。
「なんとかな。だが、再建の苦労が思いやられるな。これは」
 指揮ジープのボンネットに座った三浦。
「せめて、私がもう少し早く到着すれは良かったのですが‥‥」
 和服姿に戻ったさくら。
「いや、草壁さんのお陰で、被害が少なくて済んだ。心から礼を言う」
 三浦の言葉は社交辞令ではない。
 実際、さくらがいち早く指揮を執ったことで、一〇〇人単位で死傷者が減っているのだ。
「三浦はーん。俺に礼は?」
 冗談めかして、占い師が催促する。
 暗くなりかけた雰囲気が霧消した。
「わかってる。北海シマエビと積丹のウニがシーズンだからな。腹張り裂けるまで食わせてやるさ。しかし、お前も鬼だな。新車なくしたばかりなんだぞ。俺」
 苦笑しながら三浦が応える。
「それは知ったこっちゃないで」
 突き放しながら藤村が笑い、
「では、私もご馳走になろうかしら」
 と、さきらも、つられて微笑した。
 煙を燻らす真駒内基地。一〇〇〇名に上る死傷者。
 せめて日常的な笑いでも出さねば、心が潰れてしまう。
 澄み切った空が、戦士たちの休息のため涼やかな風を送り込んでいた。


                     終わり


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0173/ 武神・一樹    /男  / 30 / 骨董屋『櫻月堂』店主
  (たけがみ・かずき)
0134/ 草壁・さくら   /女  /999 / 骨董屋『櫻月堂』店員
  (くさかべ・さくら)
0377/ 星間・信人    /男  / 32 / 図書館司書
  (ほしま・のぶひと)
0146/ 藤村・圭一郎   /男  / 27 / 占い師
  (ふじむら・けいいちろう)
0143/ 巫・灰慈     /男  / 26 / フリーライター 浄化屋
  (かんなぎ・はいじ)
0086/ シュライン・エマ /女  / 26 / 翻訳家 興信所事務員
  (しゅらいん・えま)

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■         ライター通信          ■
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お待たせしました。
「黒い嘲笑」お届けいたします。
今回は二部構成となっており、話が錯綜しています。
技量の及ばないことをすると混乱する、という証左ですね(倒)
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

それでは、またお会いできることを祈って。