コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


恋彩日

<序>

『デートして欲しいんだ』

 突如電話から聞こえたその言葉に、草間は飲んでいたコーヒーを盛大に吹き出した。喜劇かかった大仰なリアクションではあったが、今の彼にはそうするより他なかったのである。
 男から「デートして欲しい」などと頼まれたとあっては。
「は……はアッッ?! おおおお前何言ってるんだっ?!」
 書類の上に散った琥珀色の液体を慌てて手近にあった雑巾で拭いながら、草間武彦は電話の向こうにいる古くからの知人、鶴来那王(つるぎ・なお)に頬を引きつらせながらやや上ずった声を投げつけた。
 前から変な奴だ変な奴だとは思っていたが。
(やっぱり……こいつは変だ)
 雑巾を片手に握り締めつつ勝手に心の中でそう決め付ける草間に、受話器の向こうからかすかに涼やかな笑い声が聞こえた。
『違う、これはれっきとした依頼なんだ』
「ならなおさらだ。うちはデートクラブじゃないぞ」
『だから……判らないか? こんな依頼をお前の所に持ち込む理由が』
 かすかに耳に届く相手のため息に、草間が眉をしかめた。
「ただのデートじゃないってことか」
『そういうことだ』
「……話、聞かせてもらおうか?」

 つい数日前のこと。
 鶴来は普通に街中を歩いていたのだが、その時ふと道路の脇にいる一人の少女を目に止めた。特別綺麗な容貌だったというわけでもなんでもない。ごくごく普通の容姿の、ごくごく普通にどこにでもいる女子高生のようだった。
 ただ、霊体だったということを除いては。

「……お前、普通に出歩いてる時くらい意識的にそういうモノから目をそらせないのか」
『少し前まではそれも可能だったんだが、最近何だか上手くいかないんだ』
 草間のツッコミに苦笑しながら答えると、鶴来は話を続けた。

 少女は自分の姿に目を止めた鶴来に気づいたらしく、道路の先に向けていた視線を彼へと転じた。目が合ってしまった以上、なんとなく放っておくわけにも行かず、彼女に近づいたのだが――…

『そしたら取り憑かれてしまったんだ』
「……お前」
 あっさりと言い放った相手に、草間は額を押さえる。
「じゃあ何か。今お前はその女の子に憑かれてる状態なのか?」
『自我で押さえ込んでいるから、彼女は表には出て来れないけれど。……今、少し彼女と意識が融合気味なんだ。このままだと完全に融合してしまうまで時間の問題かもしれない』
「で? それがなんでデートに繋がる? さっさとお祓いでも何でもしてもらえばいいじゃないか。うちのヤツ、何人か回してやろうか?」
『手荒な真似しなくても、彼女は誰かと一日遊んでもらえたらそれでいいって言っているから。気が済めば行くべきところへ行ってくれると思う』
 常より幾分柔らかい口調なのは、その少女との意識の融合のせいなのか。
 煙草を一本取り出して、フィルターを唇に当てながらため息をつく。
「ということは、お前に憑いた状態で遊ぶってことだな? つまりはお前とデートってことだな?」
『……ということになるかな。費用は俺が持つから、適当に一日相手してもらえると助かる』
「もしそれでお前から離れなければ?」
『その時は、付き合ってくれる人の判断に任せる』
「了解」
 それじゃあ、と言葉を残して鶴来が通話を切る。ふと、受話器を電話に戻そうとして、草間は首を傾げた。
「そういや男か女、どっち回そうか?」
 鶴来は男だが、中に憑いているのは少女だ。
 中にいる少女に合わせるのなら男を回すべきだが、それだと外見上、鶴来と男同士でデート、という何となく不毛な状況に陥るような気がしなくもない。
 けれど女なら、外見上はデートに見えるが、中にいる少女にとってはデートにはならない。
「……まあ、どっちでもいいか」
 話を回してみて「行く」というヤツに任せればいい。
 あっさりとそう決めると、受話器を置いた手でライターを取り、くわえた煙草の先に火をつけた。

<相変わらずのいじめっこ脳>

 草間から連絡を受けた瞬間、大学での授業を終えて駅へと向かっていた斎司更耶は、人目も憚らずに大爆笑を起こしていた。携帯電話を耳に当てたまま、笑いすぎたお陰で目尻に浮いた涙を空いたほうの手の人差し指の関節で拭う。
 ようやく笑いを納めて、電話の向こうへ問いかけた。
「何、それってギャグじゃなくてマジな話?」
『あー、ギャグじゃないだろうよ? あの男がそんなお茶目なイタズラするとは思えんし』
 そうだろうかと更耶は首をわずかに傾げた。更耶にしてみれば、アイツならやりかねないという気がするのだが。
 そのまま歩を進め、駅の構内の改札口へと向かう。片手でポケットから定期券を取り出し、自動改札を通過、ホームへ上がる階段へと向かう。
『で、どうする? お前、確か鶴来の今までの依頼、結構受けてるよな? 今回も行くか?』
「あー行く行く。行くに決まってんじゃん。こんな面白いイベント逃してたまるか」
『面白いか? 見た目、男とデートだぞ?』
 声だけで、草間の今の顔が想像できる。きっと激しく怪訝そうな顔をしていることだろう。
 トントンと二段飛ばしで階段を上がりきる。ホーム上を少し歩いてから目線を少しもち上げてダイヤグラムを見やり、更耶は小さく肩をすくめた。
「俺なら別にかまわねえよ」
『そうか? ならお前に任せるか』
「ああ、了解」
 言って、ふと何かを思いついたような表情で更耶は口許に手を当てた。そしてニヤリと笑う。
「あーそうだ。那王から連絡あったらさ、待ち合わせ場所、今から言うとこ指定だって言っといて。時間はそっちに合わせるって」
『場所指定? ちょっと待てよ、メモメモっと……』
 しばしの沈黙が回線を占める。その間にホームにジングルとアナウンスが鳴り響き、電車が滑り込んできた。電車と共にホームに入ってきた生ぬるい風がふわっと更耶の色素の薄い褐色の髪をなぶっていく。
 電車から排出される人の波に流されないよう脇に避けながら、しばしその流れを見やり、ふと笑みをこぼした。
 微妙に女言葉の鶴来那王。
(それってかーなーりーおもしれぇんじゃねえの?)
 想像して、短い笑い声をこぼす。
 女言葉だけではなく、先ほど思いついたことも実行してやれば、さらに面白さ倍増ではなかろうか。
(っつーか、倍増決定だよなー)
 肩を密やかに揺らせて笑いをかみ殺し、更耶はホームから出て行く電車を見送る。
 周囲に満ちる人いきれと生ぬるい空気は否応なく不快感のバロメーターを上昇させるが、今はその不快さでさえもが笑いに呑まれてしまうほど、更耶は上機嫌だった。自然と笑みがこぼれてくるほどに。
 電話口に戻ってきた草間が、その更耶の「フフフフ」という奇怪な笑いを聞いてしまい、激しく不気味がった。

<合流地点>

 午前十時。
 行き交う車の流れを、更耶から指定された場所でしばし眺めていた黒スーツ姿の青年は、自分の胸――心臓の真上に右手を置きながら緩く頭を振って吐息をついた。
 その時。
 すっと、背後の店のガラス扉が開いた。
「あー悪ィ、待たせたか?」
 店内から現れた更耶に、黒スーツの青年――鶴来那王が振り返る。その顔は無表情が支配していた。
「いえ」
 以前までなら挨拶と共に優しげな微笑を浮かべたはずなのだが、今日は冷めた眼差しで更耶を見るばかりで、微笑などひとかけらも浮かべようとはしない。
(あー……やっぱこないだのアレのせいか?)
 かりかりと頭をかき、更耶は無表情のままの鶴来を見る。
 けれども自分には、あの時の言葉を撤回するつもりなど毛頭ない。アレをなかったものにしようという気もまったくない。
(まあ別にいいんだけど)
 あっさりと意識を切り替えると、更耶はニッと笑ってひょいひょいと手招きした。
「まあ中入れよ。ちょっと、してほしいことあるんだ」
「してほしいこと?」
「っつーかさ、いつまでそんな無愛想な顔してんだよアンタは。俺がデートしてやるっつってんだぜ? もうちょっとくらい嬉しそうな顔してみせろよ」
「…………」
「あーもう、それがデートする相手に見せるツラかっての」
 言って、一歩鶴来に歩み寄ると、更耶はその額に軽くデコピンを食らわせた。そして顔を間近に寄せ、目を覗き込む。
「俺様がデートしてやるって言ってんだ。ありがたく思えよ、那王?」
「…………」
「ま、とりあえず中入れって」
 言うと、半ば強引に更耶は鶴来の腕に自分の腕を絡めるようにして、店内へと引きずり込んだ。

<計画実行の時>

 白い壁に包まれた店内は、人工的な冷気に満ちていた。その空間に整然と置かれているのは、女性物の服。
 どうやらブティックらしい。
 鶴来の腕を引きながら、更耶は奥へと声をかけた。
「おい、つれて来たから頼む」
「はいはいっと」
 声に誘われるようにして店のカウンターの方から、更耶と同じ歳くらいの女性が一人、大きな紙袋を肩に下げて現れた。
 ここは、退魔を請け負っている「斎司一族」の表向きの顔である「企業体」の方でつながりのある店である。店員はここの店長の娘で、たまたま更耶と同じ大学に通っていてよく同じ講義に出ているので、今日のことを少し話しておいたのである。
 俺が持って行く服を俺が連れて行くヤツに着せてやってくれ、と。
 彼女は、鶴来を見てにっこりと微笑んだ。
「オッケー了解」
「ま、そういうことで頼むわ」
「忘れないでね、グラマシーニューヨークのチーズケーキ」
「おう。了解だ」
 契約を取り交わすと、更耶はその女性に手を差し出して紙袋を受け取り、中からがさりと白い布を取り出した。
「っつーわけだから、那王。これにお着替えプリーズ」
 唐突に自分の方へと矛先を向けられて、鶴来が瞬きをした。
 が、すぐさまその脳裏に嫌な記憶が蘇る。
 まさか。
 まさか、それは。
 頬をわずかに引きつらせる鶴来のその様に答えるように、更耶が手にした布を広げた。
 ひらひらとしたフリルのついた、丈短めの白いワンピース。
「ピンクハウス、今年の夏の新作だ」
「ちょ……っと待って下さい、またですか?」
 思わず上ずりそうになる声を無理に押さえて鶴来が更耶に抗議の眼差しを向けた。が、更耶はそれをあっさり受け流してにっこりと笑ってみせる。
「中身が女の子なんだったら、外見もそれに見合ったものにしたほうがいいだろ? それに、デートなんだから。女の子だったらやっぱ綺麗にしたいよなぁ?」
 最初にこの依頼を草間から聞いた時に思いついたのが、コレだった。
 すなわち。
『鶴来那王にピンクハウス装着計画・リターン』
 この間は一瞬しか着せられなかった。が、今回はそうはいかない。
 しっかり着せて、しっかり連れ歩く気マンマンである。そんなものを連れ歩く事で傍から自分がどう見られようが、そんなことは更耶にとってはどうでもいいことだった。
 もちろんそれを着た鶴来を見て面白がる、というためだけではなく、彼に憑いている少女のことを思ってのことでもあった。先に述べた台詞は建前でもなんでもなく、更耶の本心からのものである。
 間近に鶴来の顔を覗き込み、その整った容貌でにっこりと微笑む。
「だよな?」
 呼びかけは、鶴来の中にいる少女に向けてのもの。
「……っ」
 その更耶の問いかけに、ふと、鶴来がわずかに頬を赤く染めた。そしてそのまま目を逸らせ、片手で顔を覆う。
 思ってもいなかったその微妙な反応に、更耶が一瞬目を見開いてから怪訝そうに眉宇をひそめた。
「……おい、那王?」
「い、いえ、違うんです。すみません」
 顔をわずかに伏せるようにして、鶴来が軽く顔を近づけて様子を伺おうとする更耶を制するように片手を持ち上げた。
「その……嬉しいらしくて」
「嬉しいらしいって?」
「ですからその、中の彼女が」
 言って、手を下ろして困ったような表情のまま顔を上げる。
「聞いているでしょう、草間から。もう彼女と意識がわずかばかり融合しているんだと」
「ああ、そういやそんなこと言ってたっけ。っつーかさ」
 ニヤリと笑って、ずいと手に持っていた服を鶴来の胸に押し付ける。
「意識がつながってるアンタがそんな顔するってことは、彼女、コレ着れるって喜んでんだろ? だったら着るべきだよな、那王?」
「それとこれとは話が別です」
「別じゃないよなー? 着たいだろ? 中の彼女ー?」
「呼びかけないでください。今あなたと話をしているのは俺です」
「そんな嫌がらなくってもいいじゃねえかよ。別にこれだけ着ろってんじゃねえんだから。今日は下、パンツタイプだからさ」
「いや、だからそういう問題でも」
「那王」
 嫌そうな顔をして押し付けられたワンピースを更耶の手に押し返そうとするその手を掴み、更耶は間近に顔を寄せた。瞳を射抜くように間近に目線を合わせて、低く声を紡ぐ。
「依頼、持ってきたのはアンタだろ? 仕事請けたのは俺だ。それをどうこなすかは俺の自由だよな? アンタは俺のやり方、邪魔していいわけじゃねえよな?」
 その言葉に、鶴来がわずかに眉宇を動かした。そのまま目を伏せる。
「……それはそうですが……」
 吐息混じりに逡巡しながら言って、左手を耳の辺りに当てて何か遠い音を聞くような仕草をする。しばしそのまま沈黙してから、もう一度短く吐息をついた。
「わかった。お前がそういうなら」
 ぽつりと漏らされた言葉に、更耶が首を傾げた。鶴来が静かに目を上げる。
「彼女が着たいそうなので、お言葉に従います。彼女を楽しませてくださいと言った俺が、彼女の喜ぶ事をしないわけにはいかないので。ただ、似合うかどうかは別問題ですが」
 あきらめを色濃く映したその表情に、更耶はニッと笑い、それまで黙って待機していた店員に紙袋を放り投げてピッと親指を立てた。
「っつーわけだからスタイリスト、いっちょ頼むわ」
「了解。それではこちらへどうぞー」
 黙って事の成り行きを静観していた店員はにこにこと愛想良く笑いながら、覚悟を決めた鶴来を店の奥へ案内した。

<ピンハで現れ、少女が現れ>

 時間を持て余すように、カウンターの傍に置かれていた丸椅子に腰を下ろして、半ば目を閉じながらぼんやりと静かに流れている音楽に耳を傾けていた更耶は、かたりとかすかな音がして店員と鶴来が消えていった白いドアが開かれた音に目を上げた。
「アイツは?」
 問いかけると、ちらりと店員が自分の背後を肩越しに振り返った。
「彼が嫌がる気持ちも判るのよ私には。大体男にピンハってどうなのよ。アンタも酷な事させるわよねぇ」
 言って、場所を譲る。
 その陰から現れた鶴来を見て、更耶は目を瞬かせた。
 白いフリルとリボンのついた太ももほどの丈のワンピースと、それに重ねるようにやはり白いフリルのついたキャミソール。その上に紺色のブルゾン。そしてブルゾンと同じ色のパンツ。
 それに、肩より少し下の辺りまで不ぞろいに伸ばされていた黒髪をうなじの辺りで、白いひらひらとしたリボンで一つに結んでいる。
 まじまじと向けられるその視線に、鶴来がふと目を上げた。
「……言ったでしょう、似合うかどうかは別問題だと」
 あきらめの境地に入っているらしい鶴来は、常と変わらぬ静かな口調で言いながら左手を耳元に当てて更耶に歩み寄った。椅子に座ったままその様を見、更耶は緩く頭を振る。ぽかんと口を開いて思わず浮かべてしまったなんともいえないその表情を隠すように、顔の下半分を片手で覆った。
「いや、似合わないってこたぁねえと思うけど。っつーか思ったより似合ってて、逆に笑えねえ」
「……笑うつもりで着せたのかという質問はこの際やめておきます。そのお言葉も、褒められているとは思いませんが褒め言葉だと思っておきます。……では、後はお任せしますので」
「後はお任せって、おい?」
 目を伏せてそのまま黙り込んでしまった鶴来に、怪訝そうに更耶が声をかける。と、ふっとすぐにその眼差しを上げて、ぺこりと彼が丁寧に深々お辞儀した。
「こ、こんにちは。あの……よろしくお願いします」
 らしくもないおどおどとしたようなその言葉と礼の仕方に違和感を覚える。
 確かに姿形はピンクハウスを纏っていようと「鶴来那王」に違いないはずなのに、発される気が一瞬にして別人に入れ替わってしまったかのような――。
「……もしかして、那王に憑いてるコか?」
「は、はい」
 どうやら、彼女の意識に支配されないようにと張っていた気を、解放したらしかった。いや、意識の支配権を、自分から彼女に明け渡したと言ったほうがいいのだろうか。
 かりかりと頭をかく。
(まあ、もとより彼女とデートするっていう依頼なんだから、那王がこうすんのも当たり前っていえば当たり前か……)
 姿形は鶴来なのに、今傍らにいるのはいつもの鶴来と違う人物。それを妙に感じはするが、発される「気」を見ると、そこにいるのは「鶴来那王」ではなく「別の少女」なのだとするりと認識できる。
「ん、じゃあまあ、まずは名前聞いとくか。何て言うの? どうせならちゃんと名前で呼びたいからさ」
 気を取り直して、椅子から立ち上がりながら問いかける。
「加原奈緒子(かはら・なおこ)、です」
「奈緒子、か。……っつーかナオとナオコ。似た名前なんだな、二人して」
 ちらりと鶴来の顔を見やる。「那王」からの反応は何もない。
「ん、じゃあナオって呼ぼっか。俺のことは更耶、でいいからさ」
「更耶さんですね。判りました」
 にこりと控えめに微笑んで答えるその様は、やはりどこかいつもの鶴来とは違う。中に入っている意識が違うだけで、こんなに表情が違うものなのだろうか。
 無遠慮に向けそうになる視線を意識的にそらせながら、更耶は店員に向けてひらりと手を振った。
「悪ィ、サンキュな」
 性格が入れ替わるという事態を目の当たりにしても、店員は一向に気に留めた様子はなかった。それどころか、にっこり笑ってひらりと手を振り返し。
「いいのよ、ネズミの海のテーマパークキャラ絵つき缶入りクラシュアーモンドチョコレートなんて、別に期待してないから」
「期待してねえ割にえらく具体的だな。……っていうかなんでそこ行くつもりだってバレてんだろ」
「こないだ従兄クンと行ってたんでしょ? 同じ場所で今度は違う人とデートだっていうことは、彼には黙っといてあげるわよ」
 にーっこりと笑うその顔には、濃厚に脅しの色が塗されている。これで土産を買ってこなかった日にはどんな報復が待っているか考えるだけで寒い。
 ――女というのはやはり、強いものだと思わざるを得ない更耶だった。

<ギャー、なアトラクション>

 電車に揺られ、目的地である巨大テーマパークに辿り着いた頃にはもう昼近くになっていた。
 平日ということで休日よりは幾分人は少なかったものの、それでも大盛況だった。目をやる先には必ず人間がいる。親子連れ、友達連れ、カップルらしき二人組み。
 さまざまな組み合わせの人々がその場には溢れていた。
「さて、何から行こっか」
 ゲートを通過してくるくると回る巨大な地球儀を眺めやりながら、更耶が口許に手を当てて考え込む。そして、ちらりと隣に立つナオに視線を移した。
「どんなんがいい? ギャーってヤツかまったりなヤツか」
 あまりにも大雑把すぎるジャンル分けに、ナオが口許に手を当ててくすくすと笑う。
「そうですね、まず最初はギャーなヤツがいいです」
「ギャー希望な。そうだな、まずは景気付けに一発キッツいのから行くか」
「えっ、あまり怖すぎるのはちょっと」
「平気平気、俺がついてっだろ?」
 一瞬うろたえたナオの頭にぽんぽんと手を置いて、またひょいと手首をつかんで歩き出した。
 更耶が向かったのは、冒険家の弟子が企画した魔宮のツアー、というアトラクションだった。古いジープのような乗り物で魔宮を探検する、というものである。
「ちょ……っ、さ、更耶さん、コレって怖いんじゃあ……」
「だってナオ、ギャーがいいって言ったし」
「い、言いましたけど、ちょっと……」
「大丈夫だって。一人で行けってんじゃないんだから」
 先日従兄と訪れた時に一度経験済みの更耶は、涼しい顔をしている。さっきからずっと手首を掴まれているのは、もしかしたら逃げ出さないようにという意図もあるのではないかと思ってしまう。
 そんなナオの気持ちを読んだかのように、目を細めて更耶がぴっと空いた手の親指を立てて微笑んだ。

 屋根のない車の速度は約二〇キロくらいのものだと思われる。普通の遊園地のジェットコースターなどに比べれば、低速も低速。遅すぎてスリルもなにもない。
 が。
「や……っ、ちょ……っ」
 言葉にならない声を紡ぎながら、左端の席に座ったナオははらはらと周囲を見渡している。普段その体を支配している「鶴来那王」だったら絶対に見せないような焦りと怯えをその顔に滲ませまくっていた。
 周囲は薄暗く、突然何が起きるかわからないという仕組みになっていた。不気味な骸骨や車に向かって発されるビーム、ヘッドライトに照らし出される無数の虫など、速度とは違う所でドキドキ感をあおられる。さっきは吹き矢による衝撃を受けた。
 ぎゅっと左腕を掴まれて、更耶は視線を自分の腕に落とす。小刻みにその手が震えていることから、本気で怖がっているんだなーなどとまるっきり他人事のように思いながらも、そっとその手の上に自分の手を乗せてやった。
「大丈夫だからちゃんと前見てろ」
「は、はい、すみま……」
 言って、顔を正面に向けたところ。
 巨大な岩が眼前に迫って来た!
「きゃあっ?!」
 上げられた男声の可愛らしい悲鳴に、思わず吹き出しそうになるのをこらえる。とりあえず、今隣にいるのは鶴来那王ではなく女の子なのだからと自分に言い聞かせ、なんとか笑いをやりすごした。
 その間にもナオは落ち着かなさげにきょろきょろと視線をせわしなく動かしている。
 そうこうする内に車は地下通路に入って岩を回避し、事なきをえた。

「はい、写真」
 片手で口許を覆って、更耶は出口で係員から受け取った写真をナオに差し出した。不思議そうにナオがそれを受け取り、視線を落とす。
「……っ、これっ」
 かあっと一気に頬を赤らめてナオが更耶を見た。途端、はじけたように更耶が笑い出す。
 それはあの、岩が転がってきた時にナオが悲鳴を上げた瞬間をとらえた写真だった。怯えきった顔で写っているそれは確かに鶴来の顔なのだが、そういう表情を浮かべていたのが自分だと思うとナオは恥ずかしくてならなかった。それがまたさらに更耶に笑いを起こさせる。
 あの場で写真を撮られるということを、前にも一度あのアトラクションを経験している更耶は当然知っていたわけで。
「更耶さんっ、知ってて……!」
「まあまあ、これも記念の一つってことだ。ギャーな気分だっただろ? 写真見てさらにギャーな気分だろ?」
「そ、それは確かに、そうですけど……」
「つまりナオの希望通りだったってことだよな。さてと、次はどこいこっかー? もういっちょギャーなヤツにするか?」
 悪びれもせずに言って、また更耶はひょいとナオの手首を掴んで歩き出す。それに苦笑を浮かべながら、ナオも歩き出した。

<海底会話>

 遊びまわっていると、時間というものは何故かひどく過ぎて行くのがはやい。
 ここへ訪れた時には頂点間近にあった太陽は、やや傾きかけている。それでも肌にからみつく熱気は相変わらずだった。
 初っ端から、更耶の言うところの「ギャー系」のアトラクションを回っていた二人は、今は「まったり系」アトラクションめぐりをしていた。
 今は、水中の世界を楽しむ事が出来るというアトラクション待ちである。すでに五〇分も列に並んで待っているのだが、その間に、ワゴンショップで買った、ホットドッグならぬギョーザドッグなるものを食べていた。
 一応、店に入ってゆっくり食事するかと問いかけた更耶に、ナオは首を振ってワゴンショップで買って歩きながら食べたいと答えたのだ。
(だからってギョーザドック……)
 色気もへったくれもないなと思いながらも、更耶はそれをあっさり三口くらいで片付けた。ナオもそれを食べ終えた頃に、ちょうど順番が回ってくる。螺旋階段を下りて、乗り場へと向かう。
 このアトラクションは、小型潜水艇で海底探検をするという設定で、六人乗りのライダーに乗る。正面・左舷・右舷とそれぞれ窓があり、その前に二名ずつが座れるようになっている。
「お、ラッキーだな、一番窓がデカい正面だ」
 更耶が先に席につき、ナオを傍らに座らせた。他の二席にも見知らぬカップルが着く。そのいずれもがちらちらと更耶とナオの方を見ていた。
 整った容貌の青年とピンクハウスを纏った青年というコンビは傍から見るとすさまじく珍妙に見えるのだろう。けれど、アトラクションが始まるとそんな興味本位な視線は消え去り、搭乗している全員が窓の外へと顔を向けていた。
 このアトラクションも、すでに一度経験している更耶にとってはやや退屈なものであった。あくびをかみ殺すようにしながら、窓の外を注視しているナオの横顔を眺める。
 窓の外には、海底世界が広がっていた。光景は神秘的。神殿があったり、海底農園があったりする。ときおり起きるハプニングも、悲鳴を上げたりするような類いのものではなかった。
 ふと、外の世界をじっと黙り込んで眺めていたナオが、視線を更耶の方へと転じた。そして、小声で言った。
「この間はすみませんでした」
「……あ?」
 紡がれた言葉が咄嗟に理解できず、更耶は眉宇を寄せた。けれど、それがナオの台詞ではなく、鶴来の台詞だとすぐに察する。
「って、ナオは? あ、いや、アンタじゃない方の」
「見えませんか」
「あ?」
 怪訝そうに目をわずかに細める。と、鶴来の姿にダブるように、セーラー服姿の少女が窓の外を好奇心に満ち溢れた眼差しで見ているのが見えた。
「ちゃんとナオ、楽しんではいるんだな?」
「ええ。その間に少し時間をもらったんです」
「別にいいのに。俺は全然気にしてねえしさ」
「俺が気にするんです」
 少し気だるげに言って、鶴来は目を窓の外へと向けた。その横顔には、濃い疲れが浮いているように見える。
 少し身を乗り出し、鶴来の顔を覗き込んだ。
「那王、お前具合悪いんじゃないのか?」
「二つの意識を身の内に抱えるというのは、思ったより疲れるようです」
 青暗い世界を瞳でしばしとらえ、もう一度更耶へと視線を戻す。
「少し、弟の気分を知りたかったんです。自分の中にもう一つの意識があるという状態がどういうものなのか。だから、俺は彼女を受け入れた」
 かすかに、更耶が目を見開く。
「まさかお前、自分からナオを憑かせたのか?」
「ええ」
 ごくあっさりと答え、鶴来はいつもと変わらない、優美な微笑を浮かべた。思えば、今日彼自身が笑みを浮かべたのはこれが始めてだったかもしれない。
「利用したんです、彼女を。自分の実験のために」
「…………」
「それでもまだ、あなたはこちら側に首を突っ込むと言いますか」
 目を伏せながら、言葉を紡ぐ。ふと更耶がわずかに目を上げた。鶴来の少し上の辺りで、少女がじっと心配そうな眼差しで鶴来を見下ろしている。
 その眼差しには、利用された者の怒りなどは見て取れない。むしろ、その身を案じるような色がある。
 今も、意識の融合は続いているのだろう。その彼女がそういう表情をするということは、つまり……。
 唇を歪めて、更耶は笑った。
「バカだな、ホント。どーしようもないバカ」
「……どういう意味ですか」
「言葉のままだよ。そんなんだからほっとけねえっつーんだよ。わかんねえかなぁ?」
 微笑を消して怪訝そうな顔になる鶴来の目を、嘲るような笑みを浮かべながら更耶は見据えた。
「利用するだけなら、アンタの持ってる瓢箪で吸い取っちまえば済む話だろ。なのに、そうしないでこんな回りくどいことして彼女を送ってやろうとしてる」
 ぴくりと鶴来の眉宇がわずかに動いたのを見、低く笑って更耶はその額を指先でつついた。
「悪ぶっててもそういう辺りの矛盾が自分でちゃんと判ってねえようじゃあ、やっぱバカって言うしかねえだろ?」
「…………」
「それにさ、勝手に俺が首突っ込んでくだけだから、アンタが気にする必要ねえんだよ。それで痛い目にあったとしても、自業自得ってだけなんだからさ」
「それだけですまないから首を突っ込むなと言っているんです」
 神経質に眉宇を寄せたまま、鶴来が低く声を紡ぐ。
「弟は、俺を狙うのに邪魔だと判断したら、おそらくは俺の周りにいる者に容赦なく力を揮う。もちろん、あなたにもです」
「そんなのにあっさり負けるほどヤワなつもりはねえけどな。びしりと反撃くらいはしてやるさ」
 鼻で笑って窓の方へ顔を向けながら言う更耶のその横顔を見て、鶴来は苦く笑って目を伏せた。
「……やっぱり、俺が何を言ってもあなたは聞いてくださらないんですね」
「ワガママだからな、俺は。アンタと違って自分に正直に生きてんだよ」
「…………」
 更耶の言葉に、ふっとあきらめたような短く吐息をついて、鶴来は左手を耳元に当てて俯く。次に目を上げた時にはもう、そこには少女の意思が宿っていた。話を聞いていたせいか、困ったような顔で更耶から視線を逃がす。
「……話の途中で逃げてんじゃねえよ、バカ」
 思わず呟いた途端、ガタン、と音がして更耶は振り返った。
 どうやら、話し込んでいる間にアトラクションは終わってしまったようだった。楽しませるはずがなんだか逆効果だったのではないかと思い、ため息をついて更耶は座席から腰を上げた。

<鮮やかな送り火>

 それから、巨大嵐を消滅させるミッションに参加するアトラクションや地底走行車で火山に入り込むアトラクションなど、とにかくテーマパーク内の全アトラクションを制覇すべく園内を駆け回り、同じく園内のイタリアンレストランで夕食を済ませた頃には、もう空は闇が支配していた。
 ライトアップされる景色を眺めながら、ナオは両手を組み合わせ、掌を空に向けるようにして腕を伸ばした。その顔には憂いは微塵もなく満面の笑みが浮かんでいる。
「こんなに遊んだの、初めてかもしれないです」
「そうなのか?」
「私、家がどっちかっていうと厳しいほうだったから、こんなに暗くなるまで外で遊んだ事ってなかったんです」
 晴れやかな顔で言って、くるりと振り返る。ひらりと白いリボンが揺れた。
「すごく楽しかったです。ゴンドラに乗ったのも初めてだったし。素敵だったなぁ」
「あー、そういやなんか願い事かけてたよな。どんなお願いしたんだ?」
 ゴンドラが八つ目の橋の下を通る時に願い事をすれば叶うと言われていると教えてやったら、ナオは両手を組み合わせて何事かを熱心に願っていたようだった。ガイド役の陽気なゴンドリエは奇妙な取り合わせの二人を見て明るい笑い声を上げながら、何かを祝福するかのように見事な美声を響かせて「サンタルチア」を歌ってくれた。
 思い出し、ふふ、と短くナオは笑った。そして優しい表情で目を伏せ、自分の胸にそっと手を当てる。
「彼が、幸せになれますようにって」
「彼? ……那王のことか?」
「はい」
 目を上げ、更耶の顔を見てわずかに肩をすくめるようにして微笑む。
「海底を見るアトラクションの時、鶴来さんは自分の実験のために私を憑かせたんだって言ってましたよね」
「ああ」
「でもそのお陰で私はあの場所から……鶴来さんが私を見つけてくれた場所からこうして動く事ができたんです。もうずっと、何年もあの場所から動けずにいたから」
 聞いて、更耶は彼女が自縛霊だったことをすぐに理解した。自縛された霊は、何者かの手を借りるなりなんなりしなければその場からは動く事が出来ない。たとえ、自分がそこから動きたくとも。
「だから、私は鶴来さんが実験として私を受け入れてくださったんだとしても……それでも、嬉しかったんです。入っていいよって、優しく声をかけてくださったことが」
 誰にも顧みられる事もなく、ずっとあの場に立ち、時の流れをただ見ていることしかできないと思っていたから。
 そんな日々が、この先もずっと続いて行くと思っていたから。
「私を見つけて受け入れてくださったから、私はこうして更耶さんと会うこともできました。感謝をすることはあっても、実験だったのかって恨んだりする気はありません」
 言い切るナオの言葉に、更耶は小さく頷いて笑った。
「那王が見つけたのがアンタでよかったって思うよ。本当に」
 その言葉に、ナオが一瞬目を見開いてから、嬉しそうに微笑んだ。
「私も、鶴来さんに見つけてもらえたこと、感謝してます。そうでなければ更耶さんにも会えませんでしたから。……でも」
 言葉をつなぎながら、口許に手を当てて緩く頭を振ってナオは笑う。
「もう、時間ですね。これ以上鶴来さんに憑いているわけにはいかないです。それに、十分楽しんだのでもう思い残すこともありませんし。行くべきところも、もうちゃんとわかってますし」
「……そっか」
 泣きそうなのをこらえるように懸命に微笑を浮かべようとしているそのナオの様に、更耶も苦笑をこぼした。
 その時。
 ふっと、流れていた音楽が消えた。
 その次の瞬間、パッと一瞬、周囲の闇が明るく照らされた。はっとナオが顔を光が発した所――空へと向ける。
 星の光すらかき消すほどの煌びやかな光が、空一面を飾り立てていた。
 それはものすごい数の花火だった。
 止まっていた音楽は、このテーマパークのテーマソングへと切り替わっている。光と音楽がまるで洪水のように夜空を彩る。
 思わず空へ視線を縫いとめられたナオの腕を掴んで軽く自分の方へと引き寄せ、更耶がその体を抱きしめた。突然のことに驚いてナオが一瞬身を硬くする。
「さ……更耶さん?」
 問いかけられるが、答えない。
 光と影が交差する。あまりにも幻想的なその光景の中、夏の夜の不快な熱気すら忘れて、更耶は目を閉ざしてその体を強く抱きしめていた。
 どれくらいそうしていただろう。
 ふっと、唐突に腕の中にある体から発される気配が変わる。少し目を上げると、光が渦巻く夜空へと、ナオ――奈緒子の霊体が飛び去っていくのが見えた。ひらりと更耶を見下ろして手を振るその顔には、満面の笑みが浮かんでいる。
(……もう迷うなよな)
 心の中で声をかける。それだけできっと、彼女には伝わるはず。
 根拠はない。けれど、なんとなく、そう思った。

<終――その腕に抱きしものは>

 彼女の姿が幻のようにふうっと消えたのを見て軽く吐息を漏らした時、とん、と背中に手が触れた。鶴来の手だ。
 けれど、抱きしめる手を緩めもせず、そのまま更耶は耳元に囁くように言った。
「前ここに来た時にさ、俺も同じことされたんだ。俺が何よりも大事に思うヤツに。その時、こうされて……俺は嬉しかったんだ、すごく」
「…………」
「だから、そういう気持ちをあんたにも教えてやりたかったんだ。あんたが俺と同じように喜んでくれるかどうかはわかんねえけど……俺相手じゃ喜べねえかもしんねえけど」
 殺意だけでなく、もっと、他の感情で心を動かせるということを教えてやりたかった。その命を、その存在を、大切に思う者がいるのだということを教えてやりたかった。
「……俺の勝手だけどな」
 軽くぽんぽんと鶴来の後頭部を叩く。
 鶴来は、その間ずっとおとなしくされるがままにしていた。あまりにも反応がなさ過ぎて、また怒らせてしまったかと思いながらわずかに更耶が体を離して顔を覗き込み――。
 目を見開いた。
「ちょ……っ、おい那王、お前……」
 空に絶え間なく打ち上げられる花火が、その顔を様々な色の光で照らす。
 その頬は、黒い瞳から零れ落ちた一雫で濡れていた。無表情のまま涙を落とす鶴来を、更耶は驚愕したように見つめている。
 伏目がちなまま、鶴来がゆっくりと唇を開いた。
「泣いているのは俺じゃない。彼女が残していったものです」
 瞬きすると、はらりとまた一つ頬に雫が零れる。
「……俺は、あなたを頼ってもいいんですか」
「……え?」
 唐突な言葉に、更耶も瞬きをする。
「あなたを、本当に巻き込んでもいいんですか」
 ゆっくりと、その眼差しが上げられる。まっすぐに見据えられ、更耶は言葉を呑む。
 けれども、それも一瞬。
 すぐにいつものように強気な笑みをこぼした。そしてこつんとその頭を小突く。
「だから、前からそう言ってるだろ。バカ」
 その言葉に、那王が穏やかに微笑んだ。
「ならば俺は、あなただけは」
 ドンッ、と空でひときわ大きな音が上がる。流れている音楽とその音とで、鶴来の言葉は途中でかき消された。動く唇だけでは何を言っているのかわからない。
「何、聞こえないっ」
 響き渡るあらゆる音に負けないように眉を寄せて大声を上げる。けれど、鶴来はこの上もなく優しく笑って緩く頭を振っただけだった。
 相手が今何を言ったのかわからない、ということが背中のあたりをもぞもぞとさせるが、まあ、今日はそれでもいいかと更耶は思う。いや、そう思うことにした。
 今聞かなくても、きっとその言葉が何だったのかわかる時が来る。そんな気がしたのだ。
 緩く頭を振ってから、もう一度、腕を伸ばしてその胸に鶴来を抱きしめる。
 目を上げると、鶴来の肩越しに月が見える。
 鶴来はきっと、上がり続けている花火を自分の肩越しに見ているのだろう。
 現実を忘れてしまいそうになるほどに美しい、その光のシャワーを――夢と現実の狭間に放り出されたかのようなこの時間を、感じているに違いない。
 他の誰でもない、この自分の腕の中で。

 重い湿度と熱気とを祓うように、花火は夏の闇を切り裂き続ける。
 その鮮明な光が、願わくば彼の上に付きまとう運命と言う名の暗雲すら、照らし、蹴散らしてくれんことを。

 きっと奈緒子がゴンドラの上で祈ったのと同種の思いを、更耶は今、抱きながら静かに目を閉じた。


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0226/斎司・更耶(斎司・更耶)/男/20/大学生】

【0065/抜剣・白鬼(ぬぼこ・びゃっき)/男/30/僧侶(退魔僧)】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0689/湖影・虎之助(こかげ・とらのすけ)/男/21/大学生(副業にモデル)】
【0807/東斎院・神音(とうざいいん・かのん)/女/14/中学生】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。
 少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?

 斎司更耶さん。再びお会いできてとてもうれしいです。
 なんというか…来ましたね。ピンクハウス再び(笑)。プレイング見た瞬間、笑いが止まりませんでした。更耶くん、そんなに鶴来にピンハ着せるの好きですか?(笑)
 そして。
 ラスト……本当に、彼のことを気にかけてくださってありがとうございました。抱きしめて語ってくださったことが、きっと、彼の心にもなんらかの影響をもたらしていると思います。
 そして彼が最後に言って、けれどもかき消されてしまった言葉は……この先またお会いする機会があればきちんと語られる日もくるかと思います。

 さて、今回はオープニングサンプル掲載時にも告知しておりましたとおり、完全個別で書かせていただいています。
 よろしければ、お手隙の時にでもこの作品についての感想などいただけるととても嬉しいです。
 それでは、また会えることを祈りつつ。
 今回はシナリオお買い上げ、本当にありがとうございました。