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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


塞翁が馬――負けない男

*オープニング*

 人間、誰しも好調不調の波というのがある訳で、その波の高さの差があまり無い人間の事を、運がいいとか恵まれているのだとか言うんだろう。相手の話を聞きながら、武彦はそんな事をぼんやりと考えた。
 今日の依頼者は競馬の騎手だと名乗った。武彦は競馬には興味は無いが、それでも彼の名を聞いた事があると言うのだから、その世界ではかなり有名な騎手なのであろう。そして実力もあり、実績も残しているに違いない。そんな彼が、別の騎手―――名を蓮村と言う―――について調べて欲しいと言って来たのだ。
 「蓮村は、然程有名どころではない、かと言って実績が無い訳でもない、まぁ所謂中堅どころと言う感じなのだが」
 彼は言った。その蓮村と言う騎手、とにかく負けないのだとか。そして、大事な所ではきっちりと勝利を収める。だがいつもいつも勝っている訳ではないので注目度は然程でも無い。だが手堅いと言うことで、馬主からは信頼されている。…それだけなら別段不思議な話でもない。だが彼はこう続けたのだ。「蓮村は、何かの術のようなものを使って自分の好不調をコントロールしているのだ」と。
 だがその内容までは分からない。だからそれを調べてくれと言うのだ。内心、武彦は溜め息をついていた。…どうしてこう、実際の探偵能力とは余り関係のない話ばかりが自分の所に持ち込まれて来るのだろう……でもまぁ、仕事だからしょうがないか。
 でもここで手助けの相手を探す辺りが、多少姑息だったりする。

*驕る男*

 「ケイバって何だ?」
 物凄く初歩的かもしれない質問が、レイベル・ラブの口から出て来る。まずそう来るとは思わなかった無我・司録は静かな笑みを、鍔広帽の影から唯一見えるその口許に昇らせて言った。
 「まぁ、物凄く簡単に言えば、騎手が騎乗した競走馬がその速さを競って、そしてその結果予想を賭け事の種に利用した娯楽…と言った所ですかね。発祥の地イギリスでは貴族の娯楽ですが、日本ではまさにギャンブルになってますが。尤も最近は、健全化レジャー化して来ていますのでカップルのデートや家族連れの行楽としても活用されているようですが…」
 「だが、賭け事には変わりないのだろう」
 あっさり一刀両断に斬り捨てたレイベルに、司録も頷くしかなかったが。
 「いずれにしても、その蓮村とか言う騎手が、自分の力でそう言う術なりなんなりを施しているのなら、他人が口出す領域ではないと思うがな。それも才能の一つじゃないのか」
 「才能の活用と言えばそうでしょうが、ただその才能は、彼にあるとするならばですが、騎手として必要な物ではないですから。競馬の騎手としては関係ない、それを活用するという時点で『卑怯』であると見なされるのですよ。自分にはない物を他人が持っている、これだけで充分妬みの対象になるでしょう、一般には」
 「くだらん」
 言い捨てたレイベルはどうにも不機嫌のようだ。何が気に入らないのか今ひとつ不明なのだが、敢えて言うなら…
 「…何故、草間は報酬を現金で出すなどと言うのだ。言うにしてもこっそりと囁いてくれればいい物を…お蔭で私の手に入る前から行き先が決まってしまったじゃないか、まったく……」
 そうぶつぶつ言いながら手元で何かをこねくり回している。知恵の輪でもしているのかと思いきや、それはその辺にあった鉄パイプをぐねぐねと好き勝手な方向に捻って遊んでいるだけであった。そんな様子を見ながら司録が言う。
 「それはともかく、その依頼主の騎手は、何故その事実―――蓮村さんが何らかの術を使っていると気付いたんでしょう。何かを施している、その現場を見たのでしょうかね。或いは単なる噂か…」
 「それは私も思っていた。そいつがそう思ったと言う事には必ず原因がある筈だ。それを知らない事には、その術とやらがどう言った類いの事か想像もつかない。術と言ったって幅広いんだ。そんなのをひとつひとつ当て嵌めて調べて行ったのでは、埒が明かない」
 「それでは直接本人に聞きに行ってみますか?」
 そう司録が言うので、レイベルはようやく手元の鉄パイプから視線を上げて男を見る。玩具に飽きた子供のようにぽいっと鉄パイプを背後に投げると、パイプから只の鉄の固まりになっていたそれは、ゴトン!と鈍い音をさせて床にめり込んだ。
 「そうだな。ついでにそのレースを走る馬とやらも見てみるといいんじゃないのか。実際に走るのはウマなんだからな。術が何か施されているというのが事実なら、厩舎とかに秘密があるのかも知れん」
 「その点に付いては同意します。では、一足先に彼女が訪れているようなので早速行ってみますか」
 そう言って、ゆらりと立ち上がる。そんな、大柄にも見える男が音もなく動作するのをなんとはなしに見詰めながら、レイベルも腰を上げて背伸びを一つした。

 某トレーニングセンターの入り口前で、レイベルと司録は新見・千春と待ち合わせをした。その胸元にスケッチブックを抱えた千春が一足先にここを訪れたのは、陶芸の題材にと馬をスケッチしたかったかららしい。二人の姿を見つけるとこっちよ、と手を上げて左右に振った。
 「私の近所に住んでいるおじいさんなんだけど、馬が好きでね、競馬中継とかもよく見てたのよ。それで聞いてみたら実は昔ココの関係者だったって言うんで、紹介して貰ったの。普段なら関係者以外は入れないらしいんだけどね」
 先頭に立ち、二人を案内しながら千春が言った。時折、行き過ぎる馬のしなやかな身体等に目を奪われるが程無くして依頼主である騎手と待ち合わせた場所へと行き着いた。
 彼は騎手としてだけでなく、CMに出演していたりTVのバラエティ番組に登場していたりする程の人気と実力のある人物なので、三人とも一方的には面識があった。現実に目の前にいる彼は、TVなどで見るよりは小柄で平凡な至って変わった所のない普通の男に見える。少なくとも、根拠のない空想話で人を疑ったり、或いは妬みから謂れの無い怨み辛みを他人に向けたりはしないような。尤も、人間なんて見た目や印象だけでは計り知れないんだけどね、と心の中だけで千春が呟いた。
 「最初は人の噂だったんですけどね」
 彼がそう、穏やかな声で言った。
 「蓮村は四国の出身なんですが、四国には陰陽師の里と呼ばれるような、古くから陰陽道大系の呪術を今も尚受け継いで護り、実践している村があるそうですが、彼はそこの出身なんだとか親がそうだったのだとか何とか。この辺は彼に聞くと否定するんですが、それは自分が持っている能力を他人に知られたくないから誤魔化しているんだ、と皆は言うんですがね」
 「最初は…ってさっき仰いましたけど、それ以外にも何か根拠となるような事があったのかしら?」
 そう千春が聞くと、彼は小さくだが頷いた。が、苦笑い混じりで言葉を捜している辺り、余りはっきりした根拠でもなさそうだ、そう皆が思ったがまさにその通りであった。
 「これは僕だけが見た訳じゃないんだけど、皆が良く言うんだ。『蓮村は馬と会話が出来る』ってね」
 「馬と会話が?馬語が理解できるとでも言うのか?」
 レイベルがそう、驚き半分疑い半分で聞き返すと、それに対しては彼は肩を軽く竦めて笑う。
 「実際に、会話をしている所を誰か見た訳じゃないですよ。彼が、馬の耳元で何かを囁いているとか馬に向かって何かを話し掛けていた、とか言う程度の事なら目撃されているけど、でもそんなのは彼に限った事ではない。例えば、誰しもペットの犬や猫に、人間に話し掛けるのと同じように声を掛けたり、内緒話をしたりしませんか?それと一緒で、馬に向かって、人間にする時と同じように内緒話の真似をする、と言うのはあり得ないことではない。僕もした事あるしね。ただ、蓮村の場合はその頻度が多いので、そんな噂が立っただけじゃないかな」
 「さっきから聞いていると噂、噂とそればかりですね。それだけで蓮村さんが何らかの術を用いているのではと言う結論に至るのは早計なのでは?」
 司録の静かな問い掛けの声には、同意を示して頷き返しながらも、彼ははっきりと答える。
 「確かにそうです。只の噂です。蓮村が負けない騎手、いや、勿論負ける時もありますが決して大負けはしない、賞金の出る範囲の入賞にはほぼ必ずと言っていい程食い込んで来る、そして時々、重賞レースに勝つ。確実ではないが手堅い騎手であるとして皆からは高く評価を受けています。だが、手堅いと言うだけで強い訳ではない、だからいつもいつも重賞クラスのレースに出られる訳ではない。それだけなら、それが彼の騎手としての才能の限界なのだと思うだけです。ですが、一度だけですが…僕は絶対勝てると思ったレースで彼に負けた事があります。その時の事を思い出すと、彼が術か何かを使っていると言うのもあながち嘘ではないのでは、と思わざるを得ないのです」
 「どうしてそう思ったの?何かレース中に、彼があんたに対してしでかしたの?」
 千春がそう問い掛けると、彼は緩く頭を左右に振る。その否定を現わす仕種は、千春の言葉の後半部分を否定していたものだった。
 「僕にでは無いと思います。馬に、だと思います。何故なら、僕はそのレースでは勝ちたかった。絶対勝とう、勝ってやると言う強い意思を持っていながら、その時騎乗した一番人気の馬の走りを活かし切る事が出来なかった。と言うよりは、馬がそれに応えてくれなかった…と思うからです」
 彼のその言葉が、ただの自意識過剰でないとするならば。

*疑う男*

 一方その頃。
 仕事の関係で立ち寄った草間興信所で先程の蓮村騎手疑惑の一連の話を聞き齧った竹内・徹は興味を引かれながらも思わず鼻でせせら笑った。術?何を非現実的な事を。物事には全て原因と結果があり、その原因に科学や学問で説明し切れない何かを当て嵌める事自体、間違っている、と。勿論、職業柄、そう言ったモノが存在する事も理解はしていたが、だが徹はまずはそう言った超常現象的な事には疑いを持つ事にしていた。それでいて、その疑いを払拭するぐらいの能力を持った相手なら、『被験者』としての素質充分であると己自身でも認められるからだ。
 徹が取り敢えずの居場所を求めて、通り掛かった『Moon-Garden』と言う喫茶店に入る。店内のカウンター内に居た柔和そうな若い店主らしき人物にコーヒーを注文し、窓際奥のソファー席に腰を降ろした。さっそく傍らのアタッシュケースの中からノートパソコンを取り出し、『組織』のサーバからインターネットにアクセスする。まずは一般的な蓮村騎手の評判や戦績などから調べてみようと思ったのだ。
 それに寄れば蓮村と言う騎手は、どこも突出した所のない、平凡と言う評価が騎手と言う職業に対してあるとするならば、まさにそれに当て嵌まるような人物だった。騎手学校時代から成績は中庸、決して目立たず、だが大多数に埋もれている訳でもなく、他人の認識度は高いがただそれだけ、と言う感じだ。百人のうち、九割方の人物が彼を知ってはいるが、では何故知っているのかと問われれば、首を傾げてしまう、と言った風な。認知度に比べて評価そのものは低い。だが、低過ぎる訳ではない。彼の成績等から言えば正しい評価なのだろうが、徹は何故か、成績が元で評価があると言うよりは、望む評価に見合うだけの成績を残している、と言うイメージを受けた。
 何時の間にやら自分の前に置かれていたコーヒーのカップを手にして、視線だけは画面に向けたままでカップを口に運んでいた徹だが、その時、店主と他にも居た客が交わしている会話の中に『蓮村騎手』と言う単語があるのを聞きつけて、キーボードを叩いていた指がぴたりと止まった。
 「ナニ、とうとうマスターも競馬に興味を持ち始めたの?」
 そう、嬉しそうに語るカウンターに腰掛けた初老の男性に、マスターと呼ばれた店主、神無月・征司郎はにこやかに微笑み返した。
 「興味って言うかね、最近良くお客さんの話の中にも登場するんですよ。その、蓮村さんとか言う騎手の話が。聞いてるとなんか面白そうな話なんでいろいろ聞き齧っているんですけどね、玄さんなら競馬に詳しいし、何か御存知じゃないのかな、って思って」
 征司郎がそう言うと、玄さんと呼ばれた男性はそりゃもう!と意気込んだ。スツールに座ったズボンの尻ポケットに、丸めた競馬新聞が突っ込んである辺りを見ると、余程好きらしい。好きな話をふられた玄さん、特に詳しいなんて誉められたりしたものだから、喜び勇んで、椅子に座り直すと身を軽く乗り出した。
 「蓮村は、まぁ言ってみれば、無難って感じかね。重賞レースにもたびたび騎乗するが、そんなにイイ馬に乗せて貰える訳ではないから注目度はあまりないと言っても過言じゃねぇけど、例えば複勝とかワイドとか三連複とか言った馬券を買う場合は、蓮村を入れておくと損する確率が低い、とかは言うな。それは、優勝する確率はそう高くはないが、三位までに入って来る可能性が高いからなんだが」
 「蓮村さんは、以前からそんな風な騎手さんなんですか?…例えば、ある時期からいきなりそう言う勝ち方をするようになった、とか……そう言うことはないんですか?」
 カウンターに肘を突いて、熱心に玄さんの話を聞いていた征司郎が聞いた。んー、と考えてから玄さんが答える。
 「いや、そう言うことはないな。つうか、蓮村の名が聞こえるようになったきっかけっつうのが大体、そう言う確実なレースをするってんで俺達の間で噂になった事がたしか最初だった筈だからよ」
 「へぇ…んじゃあ例えば、蓮村さんが勝ったレースってのはなんか共通点があるとか?…いえ、それが分かると、馬券を買うのにも迷わなくて済むかなぁ。と」
 言葉の後半部分は付け足したような感じだったが、玄さんはそれに気付かなかったようだ。わははは!と豪快に笑いながらアイスコーヒーをグラスに直に口をつけて飲んだ。
 「マスター、それが出来りゃ誰も苦労しねぇよ!…まぁ、傾向と言うか、蓮村が勝つレースってのは賞金額もそれなりに高い、重賞が多いがな。尤も、G1とかG2のような大レースではまず勝たない。勿論、負けもしないがな。大体が、G3クラスのレースが多いかなぁ…」
 「ふぅん。…分を弁えてるって事なのかな」
 そうぽつりと呟いた征司郎の言葉を、玄さんは聞き流したようだが聞き耳を立てている徹は聞き逃さなかった。

 玄さんが帰った後、店の中は征司郎と徹の二人だけになる。暫くは沈黙を守って静かに店内を流れるBGMだけが二人の間を漂っていたが、かちゃりと征司郎がカップ同士が触れ合う音を立てた瞬間にその均衡が崩れた。どちらからともなく、視線があって交わされる。にこり、と征司郎が笑い掛けた。
 「蓮村騎手って、興味を引きますよね。本当に術を使って勝ち負けをコントロールしているんでしょうかねぇ?」
 そう世間話の続きのように話し掛けた征司郎に、徹も同じような調子で返した。
 「…何故その話を?」
 「だって、草間興信所に見えたでしょう?竹内さん」
 そう言われてしまうと今更誤魔化すのも馬鹿らしい気がする。徹は広げたノートパソコンごとカウンター席へと移動した。
 「ヒトツ、気になるデータがあるんだが」
 そう言って徹が示したのは、蓮村が優勝しているレースのデータである。数字の羅列だけでは何がなんだか分からない征司郎が、問い掛けるように視線を徹に送ると、徹は一瞬だけその視線をあわせるがすぐに外してモニターへと戻した。
 「どんなレースにも歴代の平均タイム、最高タイムと言うのが存在するが、蓮村が勝っているレースの時のタイムと言うのが、例年よりも遅い場合が多い。まぁ、話題に昇るほど遅い訳ではないが」
 「それは、蓮村さんが勝った時のレースってのが、その時出場したみんなの調子が悪かった…とかそう言う事なんでしょうか」
 「そうとも言えるだろう。皆の調子が悪い中で、例えば蓮村の乗った馬の調子だけがいつも通りとするならば勝てる。但し、元々勝てる要素の薄い馬であったとするならば、自然タイムは遅くなる。…そう言うことなのかも知れん」
 そう、呟きながら徹がカタカタとキーボードを叩く。それを覗き込みはしなかったが、征司郎はじっとカウンターの内側から見守っていた。
 「…私は、蓮村が何かの術を使ったとは考えてない。何らかの薬物を用いて自分の騎乗する競走馬の調子を上げる、若しくは逆にライバルとなる競走馬の調子を下げる、そのどちらかだと思っているが」
 「ですが、レースの前には必ず獣医師に寄る立ち入り検査がありますよ。すぐにバレちゃうんじゃないですか?」
 「現代の一般的な医学・薬学にでも引っ掛からない薬物なんて、幾らでもあるさ」
 『一般的な』の部分を強調して徹が言う。あるべき所にはある、と言う事だろうか。
 「…とは言え、蓮村の近辺でそれらしき事を出来る人物の気配はなし、と…とすればやはり呪術の類いなのか……?」
 どこぞのデータベースにアクセスしながら徹がぶつぶつと思案している。その間に何故か征司郎は店の看板をしまって扉に鍵をかい、『臨時休業』の札を出す。火の元を確かめてから徹に行きましょう、と唐突に声を掛けた。さすがに徹も、目を瞬いて何処に、と聞き返す。
 「トレーニングセンターですよ。やっぱり、核心は本人に直接聞いて見るのが一番だと思いませんか?」
 そう、にこやかに言うと征司郎は先に立って店を出て行こうとする。慌ててその後を追いながら徹が本気か!?と聞くと
 「…やっぱダメですかねぇ」
 ぺろりと舌を出して征司郎が誤魔化した。

*勝たない男*

 征司郎と、未だ納得し切れていない表情の徹がトレーニングセンターに到着すると、依頼主との話を終えたレイベル、千春、無我の三人が丁度こちらへと戻ってくる所だった。征司郎の姿を認めて、さっきのように千春が手を上げて大きく振る。それに手を振り返して征司郎は徹と共に皆に合流した。
 「なにか分かりましたか、そちらの方は」
 そう征司郎が聞くと、千春が肩を竦めて苦笑いをした。
 「分かったような、分からないような…そんな微妙な感じかしらね」
 「分からないと言うよりは意味不明だ」
 そう、ぶっきらぼうにレイベルは答えるが、その態度にも皆馴れたのかあまり気にしなかった。当然、レイベル自身も。千春が、後から来て先程までの自分達の調査に付いては知らない徹と征司郎の方を見ながら言った。
 「依頼主の騎手さんが言うには、蓮村さんと一緒の時に、自分が騎乗した馬はその力を十二分に発揮できなかった、だから何らかの術を掛けられているのかもしれない…って言うのよね」
 「そんなのは、その依頼主の思い込みかもしれない。大体、そこまで自分に自信があるのなら何故勝てなかったのかを自分に問うべきだろう」
 そう徹が言うと、司録が尤もだと頷きつつも、
 「それは尤もな話なのですが、その後私達は厩舎の厩務員や調教師の方々にもお話しを伺ったのですが…」
 蓮村が勝利を収めた時の、ライバルであった馬達に何らかの変化は無かったか。そう聞いてはみたが、誰一人として、馬達に異変があったとは言わなかったのだ。いつも通りだった、試合前も試合後も、全く変わりなく、寧ろ好調であったと。それでいてレースに勝てなかったのだから仕方がない、レースは所詮時の運だからね。そう、誰しもが言ったのだ。
 「だが逆に、それは私は疑問に思う。所属する全ての人物に聞いて回ったわけではないが、かなりな数の人物に話を聞いたと思う。それなのに、全ての人が同じ事を答えるのだ。『何も変わりはない、不思議な点は何も無い』とな。…皆が皆、同じレースに出場していた訳じゃないのだから、それでいて同じ評価になるのはおかしい」
 「それはそうですね…正反対の評価が出るとは限りませんが、多少人とは違った事を考えたり感じたりする人が一人や二人居てもおかしくはないですよね?」
 レイベルの言葉に同意して征司郎が頷くと、得たりとレイベルも頷き返した。
 「私も、不思議な気がしたわ。さっきの依頼主さんに話を聞いた時もそう思ったけど、蓮村さんはイロイロ謎の多い人物なのに、決して依頼主さん始め他の人達は蓮村さんの事を嫌ったり疎ましく思ったりしてない感じなのよね」
 「ああ、そうでしたね。彼が草間興信所に調査を依頼したのだって、何か妬んで陰謀を暴こうとしたと言うよりは何となく面白そうだから調べて貰いたかった、もし本当にそうなら僕も教えて貰おうかな?みたいな気軽さで依頼しただけだと言ってましたね。決して悪意があるようには思いませんでした」
 「すると何か?その蓮村と言う騎手は『誰にでも好かれる人気者』だとでも?」
 徹の疑問に、レイベルが指を頬に当てて軽く首を傾げる。
 「『誰にでも好かれる人気者』と言うよりは、『誰にも嫌われていない人気者』と言った感じだったな」
 「そう、どちらかと言うと、自分の分を弁えてそれなりな評価で満足している、そう言った感じを受けます」
 レイベルの言葉を受けて司録がそう言うと、現実主義な徹が肩を竦める。
 「平凡で何ら特徴のない人間なら、大多数に埋没して没個性になるのはよくある話だ。誰にも嫌われていないと言うが、結局は注目されていないと言うだけでは無いのか?」
 「うん、そうかもしれないわね。でも、馬には人気があるみたいよ?」
 千春が、蓮村が馬と会話が出来ると言うさっき聞いた噂を告げると、笑い飛ばすかと思いきや徹は顎に手を当ててんー、と考え込んだ。
 「それはあれだろうか…馬の顔面の筋肉の動きや呼吸、脈拍などからその時の気分や体調、状態を分析して、膨大なデータベースを蓄積して判断しているのだろうか」
 「いやぁ、案外本当に馬と会話しているのかも知れませんよ?」
 分析を試みる徹の隣りで、にっこりと微笑んで征司郎が言った。皆の視線に、言葉を付け加える。
 「会話、と言うと誤解を招くんでしょうが、言葉を介さないで意思を疎通させたりとか、そう言う事なら可能かも知れませんよ。一般的に言う、言語を要すると考えると不可能だと思いがちですけど」
 「確かに、意識と意識で語り合う事が出来るとするならば、それも可能かもしれません。どんな生物でも、感情や感覚は持っているのですから、そう言った抽象的とも言える対話を、蓮村さんが出来るとするならば」
 「それじゃ何か?蓮村はウマと意識下で対話して、今日の試合は手を抜いてくれ、勝たないでくれと頼んでいるとでも?」
 「でもそれじゃ、試合前に出場する全ての馬に会って話をしないといけないんじゃないかしら。少なくとも、その時の有力馬には。でも、さっき話を聞いたんだけど、試合前には騎手は身柄や行動を厳しくチェックされているの。それに寄ると、自分が騎乗する以外の馬と接触したと言う記録は残っていないわ」
 そこまで来て、うーん、と皆が微かに唸る。ふと、征司郎が言った。
 「もしかしたら、レースの最中にライバルの馬達と話をしているのかも知れませんよ?ほら、競馬ってかなりな接近戦でしょう?自分のすぐ横を他の馬がぎりぎりで走るじゃないですか。その時にこっそり馬の耳に…」
 「それじゃ他の騎手にバレるだろう」
 レイベルのツッコミに、やっぱり?と征司郎が笑う。だが徹は、それを否定しなかった。
 「直接馬の耳に囁く事はしなくとも、何か暗号のような物を使っているのかもしれないな」
 「暗号?」
 千春がそう聞き返す。徹が答えようとする前に司録が更に深く聞き返した。
 「例えば、この暗号を送った時にはこう言うレースをしてくれ…と前もって打ち合わせてある、そんな感じですか?」
 「そんな事が出来るのか?確かに馬は賢い動物だが、そこまで融通が聞くとも思えん。人間なら、欲に絡んでそう言った駆け引きも出来るだろうがな」
 そう、レイベルが言った瞬間に、レイベルも含めて他の皆も同じ事を思い付いたようだ。互いの顔を見渡して、小さな声で誰かが言った。
 もしかして、催眠…?
 「催眠術?馬にか?馬は催眠術に掛かるのか?」
 「掛かるかどうかは私達には分かりませんが…後催眠と言う類いのものですね?」
 「ああ、催眠から覚めた状態で予め決められたキーワードや動作によって、暗示の効果を再現する、ですね」
 「煙草の好きな人間に、催眠術を掛け、催眠から覚めた後、誰かから肩を叩かれると煙草が嫌いになる、と言う催眠術を掛ける。そうして実際に覚めた後でそいつが一服している所で、誰かが肩をぽんと叩く。するとそいつは、途端に煙草が嫌いになって我慢できなくなり、慌てて煙草を投げ棄てる…と言ったものだな。確かに、予め接触した馬に後催眠を掛けておいてレース中に何か簡単な仕種か何かでそれが効果を出すようにしておけば不可能ではない」
 「でも、その仕種と言うのが誰にも疑いを持たれないものであるとするながら、他の誰かがつい偶然やってしまった、とかそう言う事はないんでしょうかね」
 「その後催眠の条件の一つに、『蓮村さん自身が行なう』と言うのを付け加えれば、たとえ他の人が同じ仕種をしたとしても効果は現れないんじゃないかしら」
 それなら話の辻褄はあう。だが。
 「…証拠、は何もありませんがね」
 「そうだ。証拠がない。相手が人間なら、更に強い催眠術で、蓮村に催眠を掛けられた時の記憶を探る事もできるが、如何せん相手が馬では…」
 「同じように馬と心で対話が出来る誰か、しかも催眠術の心得のある人が居ない限りは無理よねぇ」
 そう千春が言うと、皆が黙って頷く。レイベルが、厩舎の方を振り返りながら言った。
 「いずれにしてもそれは蓮村が自分の才能を活かしているだけだろう。それで催眠を掛けられた馬が何らかの傷害などを被っているのならともかく、そうでないのなら何も無理矢理止めさせる必要も無い気がするのだが」
 「そうですね、それに何より、蓮村さんは生き方を心得てますよ。目立たず埋もれず。処世術と言えば聞こえはいいが、ただ単に狡猾なだけかもしれませんが」
 「真実を知っているのは蓮村さんだけだし、本人に聞いたとしても答えてはくれないでしょうしね。…その前に、そんな話を信じてくれる人がいるかどうかも疑問なんだけど」
 征司郎がそう言うと、くくっと喉でレイベルが笑った。
 「構わないだろう。依頼主だって、本気で蓮村が術者であると信じてはいない風だった。そう言う事実は無い、と報告すれば、ああそうですか、で納得してしまうのではないか?」
 「納得して貰えないとすれば…それは草間さんだけじゃないかしら?」
 確かに。千春の言葉に皆は頷くが、武彦とてそう言った類いの話にまったく免疫が無い訳でなし、ああまたか、で頭を抱えて済むだけだろう。
 「…しかし、それだけの能力か。なんの役にも立たんな」
 報告する価値も無い。そう、ぼそりと呟いた徹の言葉は、誰も聞き返さなかった。

*観察する男と女*

 次の日の休日、依頼主の計らいに寄り、馬主席で重賞レースを見学する事が可能となった五人は、ガラス越しの観覧席から各自目を皿のようにして、蓮村騎手の一挙手一投足を見守った。その日のレースは平均よりも多少遅いペースで蓮村が優勝したので、恐らく後催眠の効果を利用していたのだろうが、そのキーワードが何であったかは、結局は分からずじまいであった。それとも、実のところは蓮村騎手の成績と評価は、呪術などに頼らない、純粋に運と実力だけのものなのかもしれないが。


おわり。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 0606 / レイベル・ラブ / 女 / 395歳 / ストリートドクター 】
【 0489 / 神無月・征司郎 / 男 / 26歳 / 自営業 】
【 0802 / 竹内・徹 / 男 / 36歳 / 研究員 】
【 0700 / 新見・千春 / 女 / 24歳 / 陶芸家 】
【 0441 / 無我・司録 / 男 / 50歳 / 自称・探偵 】

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■         ライター通信          ■
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 皆様、長らくお待たせして申し訳ありませんでした。毎回毎回この台詞を言っているような気がする怠け者?の、ライターの碧川です。
 レイベル・ラブ様、初めまして!ご参加、ありがとうございます。
 今回は、全ての方に同じ内容のものをお送りしています。話の中での組み合わせは、プレイングの内容的に似通った部分のあった方同士を組み合わせています。
 術を掛けられているとするならば人間ではなく馬に、それも好調を誘うものではなく低調を誘うものかも、と言う点では皆様の読みはほぼ当たっていましたね。自分で書いた物とは言え、何となく嬉しかったり(笑) まぁ実際馬房には、お札とか貼られていたりするものですが勿論呪術とは関係ないし(当たり前)
 兎にも角にも、参加してくださった皆様が少しでも楽しんで頂けたのならば幸いです。またお会いできる事をお祈りしつつ…。
 全然関係ありませんが、私も馬術をしますが、良く馬とは話をしています(笑) 勿論、一方的にですが。