コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:残留思念 〜ひと目逢いたさ〜
執筆ライター  :紺野ふずき
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜2人(最低数は必ず1人からです)

------<オープニング>-----------------------

「これを見てください。この女性が僕の部屋に現れる幽霊です」
 少年はそう言いながら一枚の写真を学生カバンの中から取りだした。何の変哲も無いポラロイドの写真だ。草間は無言でそれに手をのばした。
 窓から指す夕陽が、どこか愛嬌のある白い丸顔を照らしている。穏和そうな雰囲気をたたえたこの少年は藤波敬吾、十八歳。都内T市にある高校の三年生だという。
 一月程前から自室に幽霊が出るようになったと今日は草間の元を訪れたのだが、なるほど写真にはその姿がハッキリと映し出されている。
「幽霊なのに綺麗でしょう?」
 敬吾はそういって苦笑した。整頓された部屋の中。影や光などの曖昧な存在ではない。実物と見間違うほどにハッキリしている。
 一見して草間の脳裏をよぎった言葉は祇園だった。舞妓や芸妓とおぼしきその立ち居には、結い上げた島田と艶やかであろう和装にだらりの帯。
 あろう、と言ったのは女性を取り巻く異質な色彩のせいだ。周囲の時間から取り残されたかのように、そこだけがくすんで見えている。モノクロに近いと言っても過言ではない。着物や帯に咲く花々は咲き誇りながら色を失っていた。
 小首を傾げこちらをジッと見つめているが、そこに悪意や敵意は全く感じられない。年は十代の終わりから、二十代。生きて動けば、綺麗だ可愛いと誰もが振り返りそうな上品な印象さえ受ける。若く寂しげな娘だった。
「いつの時代だろう。そんなに古くもなさそうだが……。一月前からと言ってましたが、何かきっかけになるような事が?」
「はい。実は五月の初め、学校の修学旅行で京都へ行ったんです。自由行動だということで、友達数人と連れだって祇園へ行きました。動機はその……、かなり不純で舞妓さんを見てみようと。でも結局会えませんでしたが」
「京都と言えば寺と祇園と新撰組か……。会えなかったのは残念だったね」
「やっぱりそう都合よく会わせてはもらえないようです」
 ハハハ、と敬吾は照れくさそうに笑った。アタリの優しさと飾りのない態度は彼の長所だろう。草間は写真の女性と、目の前の少年を見比べていた。頭の中で過去のケースと照らし合わせる。さして難しい事件ではなさそうだ。
「そのあと、駅の方へ戻って祇園とは逆へ行きました。ホテルが二条城の方だったので。ブラブラと歩いていたら、ある旧家の前でこの人を見たんです。悲しそうな顔で家を見上げていました。でも僕と目が合うと直ぐに消えてしまったんです。皆に言ったらそんな女はいなかった、って。とにかく僕だけが彼女を見たようです」
「なるほど。詳しい場所はわかるかい?」
「地図があれば」
 草間は部屋の中を見回した。至る所に積み上げられた本や書類に資料の山。確かあの辺りだろうと見当をつけて敬吾に向き直る。
「で、その時から君に?」
「はい。と言っても、帰るまではそこで見たきりでした」
「家についてから現れるようになったんだね」
「そうです。戻ったその日の夜からです。最初は何か話しかけてきていましたが、僕にはまったく聞こえません。今ではただ立っていて、朝になると消えてしまうようになりました。日に日に薄れていくし、何も危害を加えられないなら放っておけと、友達はいうんですが……」
 草間は頷き、しばし写真を見つめていた。語りかけてきそうな物悲しさの中の親しげな眼差し。何があっても彼に手出しはしないだろう。このまま何もしなくてもやがては消えてしまう、そんな儚さがそこにある。
「その人……、僕に何が言いたいんでしょう。僕に一体どうして欲しいんでしょう。どこの誰で何故僕についてきたんでしょう。何とかしてあげたい気もするんですが、その人の言っている事は僕には聞こえないんです」
「話がしたいと?」
「はい。できることがあるならしてあげたい。できれば手荒な事はしないで欲しい。彼女に納得して成仏してもらいたいんです」
「わかりました」
 草間はゆっくり立ち上がると時計をチラと見、受話器を取った。かける先を迷わずにプッシュする。四コールも鳴らせば、きっと目当ての声が応じてくれるだろう。窓の外では、薄紅の空に星が瞬き始めていた。

-----------------------------------------------------

残留思念 〜ひと目逢いたさ〜

─ 雑踏にマルボロ ─

 まだ空の端に陽の残る午後七時。年は四十を過ぎたばかりか。上背のある体躯で風を切り、早足で雑踏を抜ける男がいた。
やぶにらみの目に広い額と無精ひげが放つ、イライラと不機嫌そうな気が周囲に近寄りがたい印象を与えている。
 男を避ける人波と、その人波を分ける男。
 青信号の点滅する交差点を斜めに突っ切り、ガードレールをヒラリと飛び越えると、その反動で銜えタバコのマルボロから長い灰が落ちた。
 ――男、『陣内探偵事務所所長』陣内十蔵は先を急いでいた。
 腕の時計に目をやって、険しい顔を前方に据える。
 待ち合わせは『時の間』に二十二時半。時間にはまだ大分早いが、今回の協力者『綾小路蘭丸』なら早々遅々に関わらずそこにいるだろう。なぜなら『時の間』は彼自身が経営する店なのだ。打ち合わせ場所と提供するにはもってこいの喫茶店だと、若い声は言っていた。
 十蔵は蘭丸から教わった目印を忠実に辿りながら、脇目も振らずに目的地を目指した。薄暗がりの街並みに看板のネオンが輝き始める。だが、その色を発するには周囲が明るすぎるようだ。明るいとも暗いとも言えぬ光を放っていた。
 コンビニの前を通り過ぎる。フとそこにいるアルバイトの学生と依頼人が重なった。今頃はどこかの店でああして働いているのだろう。バイトが終わるのは二十二時。そこに合わせての時間指定だが、十蔵はそれよりも早く『時の間』へ辿り着きたかった。依頼人が来る前に、蘭丸にだけ話しておきたい事があったのだ。表情を厳しくさせている理由もそこにある。
 十蔵は迷っていた。
 依頼主の名は藤波敬吾。都内の高校三年生だ。修学旅行の京都から戻ってここひと月、自室に幽霊が現れるようになった。しかし、その姿が舞妓であろうと数百年の昔に生きた人間であろうと、家に幽霊が出るなどはありきたりで、草間の事務所に持ち込まれる事件としては何の目新しさもない。
 従って彼とは長いつき合いである十蔵の第一声も『ガキのお守り』と悪態をついた。決して本心ではない、性格だ。草間は気にもしないし、話を聞くうちに十蔵の考えもすぐに走り出した。
 電話の内容から怨恨の類ではないと言い切れる。手出しもしなければ、恨み言さえ呟かない。依頼主が脅威を感じない怨念などありえない。おそらく惚れていた相手に敬吾が似ていると、そんな所だろう。
 ならば成仏させてやるのも簡単だ。恋人のフリでもしてやれば満足して去っていくのではないか。話したいと言うのなら、話しをさせてやればいい。難しい事など何もないはずだ。
 だが。いや、と十蔵は自分自身に反論した。鳴り響く警鐘は女の為ではなかったのだ。それは敬吾を危惧するものだった。明らかに彼は女に特別な感情を抱き始めている。草間の話にそれが見て取れた。
「死んだ女よりも生きてる女の方がよっぽどいいもんだぜ」
 唇の端に寄せたタバコが、また長い灰を落とす。
 うつし世にいない者を想う気持ちが十蔵にはわかるのだ。それがどんなにやり切れないものか。だからこそ敬吾には、それを味あわせたくなかった。
 十蔵の脳裏にある顔が過ぎる。
 それは今なお自分に向けて、幼い手をさしのべている。
 何年、何十年といつまでも変わらない姿で、遠の昔に外れてしまった兄という肩書きと共に、十蔵の中に生きている。
 歩き、考え、反芻する。
 草間から送ってもらったファックス画像に手をかざして得た事実が、十蔵の胸に沈殿している。
「知らねえ女か……冗談じゃねえぜ」
 『力』を使った後の疲労困憊の体を駆って十蔵は急ぐ。楽しい結末などそこにありはしない。
 心が重かった。
 
─ 放つ『時の間』より ─

 草間からの電話は受けた後で考えさせられる事が多い。一つには、なぜ自分の元へ回してくるのだろうか、というところから始まる。しかし、その人選にはいつもほぼ抜かりがない。今回のケースも蘭丸の力が必要と判断しての事だろう。
 カウンター裏。蘭丸は小難しい顔を傾げてソーサーやグラスの並ぶ棚にもたれかかっていた。
 頭身のとれたスタイル。一つ束ねの黒髪はネコの尻尾を思わせるしなやかさ。そして、人当たりのよさそうな甘い顔、と一見して非の打ち所さえないように見えるが一つ。異彩を放つその目。
 ──紅い。
 いつの頃だったか。その光彩が人とは違うと認識したのは。周囲の眼差しや言葉、態度からそれを悟った時、自分が疎まれている事を知った。すでにそこにはいられなくなっていた。
 封じ込めた語れない時を映すその目で、蘭丸はジッと壁の時計を見上げていた。
 午後九時をまわった喫茶店『時の間』には一人の客もいない。しかしそれは今日この時間に限った事ではなかった。いつもの事なのだ。
 お手製のスペシャルブレンドに、気に入ればなめらかな会話術。問題があるとは思えないが、蘭丸の店はまるで流行っていなかった。
 しかし、草間の電話の後にはこの静けさが必要だ。何誰に邪魔される事なく、ゆっくりと考えを燻らす事ができる。
 シンと静まりかえった店内で、蘭丸は事件を巡りに巡らせていた。
 家、──家に何かがある。依頼人についてきた女は家の前に立っていた。通りや人を見ていたのではない。家を見上げていたのだ。
 恋人の家か、親兄弟か。だとしたら一体何をどうしたいのだろう。通りすがりの敬吾を選んだのは何故か。彼でなければならない理由でもあるのだろうか。
 コチコチと時計の針が進む。蘭丸の頭の中で引っかかっている疑問。考えはグルグルと巡って最後にそこへ辿り着く。なぜ家の中へ入らないのだろうか。実体の無い彼女にとって望めばそれは容易なはずだ。それをわざわざ外から見つめていたのは何故だろう。誰かを経由しなければ、伝えられない事やできない事でもあったのだろうか。
 ふと蘭丸は考えを呟きと漏らした。
「──結界? いや、まさかな。けど、やってみる価値はあるか」
 ここでくすぶっていても仕方ない。忌み嫌われた過去を持つ、紅い双眼がひと際燃える。
 ス、と揃えた二本の指で目の前の宙を小さく切り、蘭丸は微かな囁きを漏らした。
 聖なる闇の降臨。『時の間』の空気が一転して張りつめる。周囲に身を溶かすモヤは、青白い燐光と燃えさかる紅い炎を発していた。
 地に四つ足、空に双羽の二つの影が蘭丸の前でその形を露わにする。
「よし。行く場所はわかってるな? 白虎、お前は西だ。問題の家へ飛べ。朱雀、お前は依頼人の家だ。彼女を見張ってろ」
 白虎と言われた地の影は、低い微かな唸りをあげ音も無くスイと周囲にとけ込んだ。
 見届けた蘭丸の耳に大きな羽音が聞こえる。宙に揺らめいていた紅蓮の霊気が羽ばたいたのだ。バサリバサリと動くそれは、しかし一陣の風も起こさない。『時の間』の中をゆっくりと旋回した後、天井に吸い込まれるようにして見えなくなった。
「後は来客を待つだけか」
 蘭丸が時計を見上げると、すでに長針は真下をさしている。もてなす準備と言ってもアイスコーヒーが数杯なのだが、準備にはいい頃合いだろう。袖をまくりかけると、緊張の解けた『時の間』の電話がなった。
 
─ 二人の過去 ─

 古めかしい洋風の、若者には洒落てみえる外観も十蔵の心を動かすには至らない。扉にかかる閉店というプレートには目もくれず、明かりの灯る店内へと足を踏み入れた。
 十蔵の目は鋭く辺りを伺い、カウンターの奥ではさりげなく十蔵を観察する蘭丸がいる。どちらの視線も一瞬だったが、職業柄はお互い様のようだ。
「お前さんがそうかい?」
「アンタがそうだな?」
 初対面である互いの紹介はそれだけだ。同じ知り合いを持つ同業者だということがわかっていれば、それでいい。名前はすでに草間から聞いていたし、以外の事は事件の解決には必要ない。
 十蔵はカウンターの一席に無言でおさまり、近くにあった灰皿を引き寄せた。
 蘭丸が『もてなし』の用意を始める。豆をネルに入れ、たっぷりと氷を入れたグラスを下に、円を描きながら沸騰した湯を注ぐ。ほどなくして琥珀の液体がグラスに流れ落ちた。
「いい香りだな」
 香ばしい豆の匂いに鼻を一つ動かして、十蔵は言った。お世辞ではないし、お世辞を言うようなガラでもない。本心だ。それを見抜いたのか蘭丸は微笑していた。
 「それはどうも。作り置きはしないのが『時の間』のモットーでね」
 そうか、と小さく頷き十蔵は早速切り出した。事件の事だ。
「坊主は知らないと言ってたが、見つかったぜ。──接点」
「話したい事ってのはそれか? こっちもさっき分かったトコだ。百年以上も前らしいな」
「ああ。単に気に入ってついてきたワケじゃねえ。女はそれをひと目で見抜いた。あの坊主……」
「『転生』」
 頷きながら十蔵は新しいタバコに火をつけた。カラになった空き箱を、グシャリとひねって灰皿の脇へ置く。冷えたアイスコーヒーがその横に並んだ。
 蘭丸は白虎が見てきた事を十蔵に話した。十蔵はその間、黙って聞いていたが同じ事を掴んでいるのだろう。驚きも訂正もしなかった。
 依頼人、『藤波敬吾』は今より百数十年の昔についてきた女と恋仲にあった。
 幕末は京都──動乱に揺れ、多くの若者が吠えていた時代だ。そしてそんな殺伐としたさなかでも、男がいて女がいれば恋は生まれる。
 結ぶ者と散る者。依頼人の前世と女の恋は、その時代背景が故の悲しい結末を迎える事となる。元治二年、冬の寒い日の事だった。
 それまでずっと組織の一端として働いてきた彼が、突然理由不明のとん走を図る。隊規として脱走は許されまじき行為だった。捕らえられ監禁されたその場所に訪れる仲間は、彼に逃げろと訴えた。
 同胞に捕らえられ、同胞が逃げろと言う。おかしな話だ。
 しかし彼は首を縦には振らず、自ら進んで罰を受けた。結局、逃げ出した理由が口をついて出ることは、最後までなかった。迷いなき一閃で腹を割く。彼が三十三歳の時だった。
 その家の窓越しで別れの言葉を交わしたのが、依頼人の部屋にいる女だ。彼がわざわざ最後の逢瀬に呼び寄せたと言う。
 当時、彼がいた組織が利用していた場所、──つまり女が立っていた、依頼人が偶然通りかかった、あの『家』での出来事だった。
 丸顔で愛嬌のある顔立ちに温厚な性格。依頼人は前世の特徴をそのまま引き継いでいた。女が分からないはずはなかったのだ。「坊主は忘れちまったが女は生まれ変わりもせず、そこで待ち続けていたってワケか」
 十蔵は短くなったタバコを灰皿に押しつけ、未練がましそうに潰れた空き箱を眺めた。ポケットにストックはない。外へ出るまではお預けのようだ。ニコチン中毒にはキツイ状態だった。
「いや、待ってたワケじゃないみたいだぜ? 彼女は──」
 蘭丸が言いかけたところで電話が鳴った。今日はよく電話が鳴る。十蔵はチラリと腕の時計を見た。すでに十時半を回っている。考えを口に出す前に蘭丸が言った。
「そうだ、依頼人から少し遅れるって電話があった。旅行の資料を取りに戻るって言ってたぜ」
 受話器を取り上げると、数時間前に聞いた依頼人の声が名乗りをあげた。そら、と蘭丸は十蔵に目をやる。だが、どうも声の様子がおかしい。緊迫感。話を聞く目に力が入った。
 それに気づいたのか、十蔵はガタリと腰を浮かした。受話器から漏れる敬吾の声音に焦りの色が濃い。二人は目で合図した。
「お願いです、すぐに来てください! 彼女が……彼女が消えてしまったんです!」
 受話器を置いたのと、十蔵が走り出したのは同時だった。血相変えて飛び出す背中を見送りながら、蘭丸は気遣わしげに小さく呟いた。
「ああ、始まっちまった……」

─ 最後の逢瀬 ─

 敬吾の家はすぐにわかった。
 暗い閑静な住宅街の一角。古くはないが新しくもない、どこにでもある2階建ての一軒家だ。
 そこで草間の話にも聞いた敬吾の丸顔が、こちらに向かって手を振っていた。ろくに挨拶もせず問題の部屋へとあがろうとして、十蔵が上を見上げて眉根を寄せた。
「ありゃあ、お前のか」
「ん? ああ」
 屋根の上に鳳凰のごとき紅い影がこちらをジッと見下ろしている。遠くからではボンヤリとしていてはっきりしなかったが、ここまでくると鮮明に見て取れた。だがそれも蘭丸や十蔵のように特殊な力を持てばこそのようだ。依頼人には見えないらしく、そんな十蔵を振り返って怪訝な顔で見つめていた。早く、とでも言いたげな目だ。
 蘭丸がサッサと玄関の奥に消えるのを眺めて、十蔵はやれやれと首を横に振った。
「汚ねえな。飛び道具かよ……」
「何やってんだ、早く来いって!」
「ああ、わかってる!」
 玄関に三つの靴が脱ぎ捨てられた家の中には、敬吾の他に誰もいないらしい。男三人が階段を駆け上がるけたたましい音や振動は、階下の静けさに受け止められて消えた。依頼人の部屋は二階にあった。戸を開き、ドッと足を踏み入れ素早く周囲を見回す。
 机、本棚、タンス、ベッド。何もおかしな所はない。ただ、微かな違和感があるだけで、女の姿はすでに無かった。
「……微弱だな。ここか……」
 十蔵が戸の横、部屋の一角を指さした。家具がないデッドスペースになっている。敬吾は悲しげな顔を二人に向けた。
「教えてください。彼女は僕についてきた。その理由は何ですか? 彼女の事を怖いと思った事はないんだ。それどころか懐かしい気がする。彼女が何を言っているのか、それだけでも知りたい。彼女は一体僕にどうして欲しいんですか?」
 短い沈黙が流れた。
 蘭丸が二人の前にツイと出、その沈黙を破る。下がっていろと手で合図して、部屋の明かりを消した。
 一角でボンヤリと光る橙の灯が、かろうじて女の居場所を教えている。暖かく優しい気配だった。敬吾が恐れなかった理由が、この残光からわかる。ここに残っているのは、敬吾に対する愛しさのみだ。蘭丸は神妙な顔をしていた。
「この力に逆らいたくねぇけどな……仕方ねぇか」
「? ──この力?」
 十蔵の問いに答えず、蘭丸は目を閉じた。右の二本指を摺り合わせ、肩と水平にあげる。空気の流れが一瞬にして変わり、蘭丸が呟いた。
「出よ」
 まずは紅。十蔵達の目の前、突如として現れた冷たい炎が蘭丸の腕に静かに舞い降りた。いななきをあげるように首を振りあげ、大きな羽根を広げたそれは、十蔵が屋根に見たものだ。もう姿を隠そうとはしていなかった。
「来やがったな」
「わ……」
 絶句して一歩身を引く敬吾のわきを、別の何かが触れながら通り過ぎる。ギクリとして見下ろす視界に、ゆっくりと青白い炎が通り過ぎた。
 左右に揺れ動くしなやかな長い尾。悠々と構えた四肢から発する気は神々しい。
 ──白い、虎。凛としたその立ち居は、微かに唸りながら蘭丸の横についた。
「やっぱり汚ねえぜ……」
 十蔵は顔をしかめたが、蘭丸には聞こえなかったようだ。
 ピシと天井が鳴り、二つの異なった燐光を放つモノ達から凄まじい気が放たれた。火花を散らし折り交ざり、部屋の隅にかろうじて留まっている淡い光を包み込む。
 より強い力を──。念を送る蘭丸に答えるかのように二体が咆哮した。佇んでいた薄い気配が、二神の力に支えられながら徐々に形になり始める。
「じ、陣内さん、アレは?」
「坊主、お前怖くないのか? ありゃ四神だ。名前ぐらい聞いた事はあるだろう?」
「し、四神?」
 敬吾はキョトンとした顔で十蔵の顔を見つめている。どうやらその存在も名前もわからないらしい。無理もねえか、と肩をすくめて視線を戻すと、光だった異質な存在は人型に変わっていた。
 草間からもらったファックスの画像は不鮮明に潰れていたが、間違いない。ポラロイドの女だ。蘭丸が下がり、呆然としている敬吾の背を押した。
「……」
 ソッと開いた目に涙を浮かべ、女は何かを囁いた。だがやはり、その声は敬吾に届かない。
 十蔵が蘭丸に視線で問う。これ以上は、と蘭丸は静かに首を振った。
 女の像は、時々電波障害でも起こしたように乱れ滲む。それを嫌った白虎が、刃向かうように唸り声をあげた。
「もっと、何とかならねぇのか?」
「何とかも何もアンタには聞こえるだろ?」
「聞こえるさ。だが、だから何だ! 坊主に聞こえねぇと意味がねえ!」
 イライラと乱暴な言葉を吐き捨て、十蔵は敬吾の肩を荒っぽく掴んだ。振り返ったその顔が、情けないくらい歪んでいる。今にも泣きそうな敬吾に、十蔵は舌打ちした。
「どうしてだろう。彼女を思い出さなくちゃいけない気がする……」
「坊主、痛い目を見る覚悟はあるか?」
「それで彼女と話せるなら」
 十蔵は頷くと挑むような目で敬吾を見つめた。その後ろで蘭丸達が念を送り続けている。時間がない。動くしかなかった。
「よし、細かい話は後だ。これから坊主の中の消えちまった過去を俺が見る。それをお前にも見せてやる。いいか、よく聞け。肝心なのはここからだ。何故やどうしては必要ねえ。念じろ、考えるんだ。お前が一体どこのどいつで、この女をどう思っていたのかを思い出せ!」
「は、はい」
「上手くいくといいが……」
 ポロリと本音を呟き、十蔵は敬吾の額に手をかざした。
 皮膚を、肉を、骨を、血を、細胞を、記憶を、過去を、思い出を。すべてのレベルを超えて、時間を逆行する。
 ジットリと滲み初めたイヤな汗が額に浮かぶ。十蔵は苦痛に目を細めた。襲ってくる痛みは、行き場の無い想いや時間の中に閉じこめられた聞こえぬ叫びを見聞きする代償だ。
 眉を寄せ歯を食いしばってそれに堪えながら、敬吾の心に訴えかける。思い出せ、思い出せと。
 突然、怒りの咆哮があがる。白虎が吼えたのだ。女の映像が大きく乱れ、朱雀が宙でバランスを崩した。蘭丸が怒鳴る。
「まずい、引く力の方が強い! 急げ!」
「な、なんだと? てめぇ、四神使いだろうっ? これくらいの時間稼ぎができねぇで」
「デカすぎるんだ!」
「あぁっ?」
 顔をしかめたまま、十蔵は蘭丸に目をやった。白虎と朱雀がジリジリと後ずさる。女のいた場所に光が凝縮し始めていた。どこからともなく沸き出でる微粒子が吸い込まれては消えていく。
 光度が上がり、蘭丸の顔が歪んだ。バチバチと気が鳴り、部屋のあちこちで閃光が走る。二神の発していた炎が光に飲み込まれていく。十蔵は唸った。
「引く力ってのは一体なんだっ?」
「彼女は──、彼女はどこかで生まれ変わろうとしてるんだ! 新しい命として!」
「な?」
 十蔵の体が、突然すごい勢いで跳ね飛ばされた。蘭丸にぶつかり、そのまま二人してもんどり打って倒れ込む。
 辺りを真っ白な閃光が包み、その中で膝を折る敬吾の姿を眩む目が微かにとらえた。溢れる光に取り込まれて二つの獣神が消え、蘭丸と十蔵は折り重なったまま顔を背けた。
「ダメか?」
「だから、逆らっちゃまずい力だって言っただろ!」
 薄目で様子を探る。やがて鋭かった光が和らぎ始め、徐々に視界もハッキリとしてきた。白から乳白色へ。柔らかな光へと変わりつつゆっくりと引いていく。
 一歩も動いていない放心の敬吾の背中と、そして──
「なんてこった……」
 光が完全に消滅した時、部屋の隅で奇跡が起こっていた。影や光などではない。まるで生身の人間が一人増えたような存在感で、女がそこに佇んでいた。
 くすんで見えたあの写真の色彩は今や完全に蘇り、裾や帯に咲く白い桃の花からは、甘い香りさえ漂ってきそうだ。前締めの帯は花に寄り添う大きな蝶のように見える。銀の簪が揺れるたびに、キラキラと光をこぼした。
 女は止めどない涙を拭いもせず、朱を乗せた唇に柔らかな微笑を浮かべていた。
 敬吾の両の手がソッと前に伸びる。微かに震えるその腕が、奇跡を起こした理由だった。
「……サト」
 切なさに押しつぶされた喉からかろうじて吐く名前。呼ばれた女は泣きながら敬吾に歩み寄り、広げた腕の間で静かに膝を折った。
 寂しげに笑いかけたその目から涙が溢れ落ち、それは女から離れると同時に消えて無くなった。
「思い出してくれはったんどすなぁ」
「すまない……すまない、もっと早く──」
「謝らんといてください。最後に──声が聞けた。もう、十分どす」
 再会を期してから、どれだけそれを待ちわびたのだろう。女は声も無く泣いていた。
 敬吾の回した手が実像なき姿を抱き、女は敬吾の肩に顎を乗せる。すり抜けてしまわぬよう感情を殺した抱擁を、蘭丸と十蔵は言葉もなく見守っていた。
 満足そうに目を閉じた女の唇が敬吾の昔の名を囁く。優しい穏やかな声だった。ギュッと覆い被さるように丸めた敬吾の背中。抱きしめた腕が震えた。別れは近い。
「綾小路はん、陣内はん」
 女は敬吾に抱かれたままコクリと頭を下げた。
 戻ってきた二神が蘭丸の後ろに控えている。もうする事も、できる事も無かった。
 女は静かに涙をこぼしながら最後にもう一度彼の名を囁き、空気と消えて見えなくなった。
 対象を失った敬吾の腕が女を捜し、やがてそれが求めるのを止めた時、全ては終わった。
 静まりかえった部屋に、敬吾の嗚咽だけが響いていた。

─ 消えし想い達 ─

「そういや……俺に話しておきたい事があるって言ってだろ?」
 すっかり人の途絶えた深夜の住宅街を歩きながら、蘭丸は首を鳴らした。月は東でようやく細い顔を出し、弱い明かりを灯している。
「ああ。いや……済んじまった事だ。坊主が生まれ変わりだってのを知ってな、それを坊主に告げるべきかどうか迷ったんだ」
 十蔵はポケットに手をやって、タバコを切らしていたことを思い出した。顔をしかめて見るともなしに辺りを探る。今の気分にあれは欠かせない。しかし、自販機らしき姿はどこにも見あたらなかった。
「下手に触発して思い出させてもしょうがねえ。知らない方が幸せな事もある。知った所で……思い出した所でどうにもならん。なら、知らないまま女が消えるのを待つって手もあるだろう。俺達が黙ってさえいりゃあ、この依頼は自然消滅だってあり得たんだからな」
 唖然とした表情で蘭丸は十蔵へと目をやった。いかつい顔に似合わず十蔵は優しい言葉を吐く。
 過去に傷ある者達の弱点は、時として他人に甘くなりすぎる事だろう。蘭丸はフと月を見上げた。その目が微かに笑っていた。
「けど、アンタ……あの電話で真っ先に走り出したぜ?」
 十蔵は「ああ」と苦笑する。蘭丸の険も嫌味もない投げかけは、自分でもどうにもならない性格を鋭く突いた。頭で割り切れる程に、心は簡単ではない。考えた事のみを行動できるとしたら、この事件も起こってはいないだろう。頭ではなく、心。思念が揺り動いた結果なのだ。
「どちらにしても同じだった。坊主の記憶も女も消えた」
「彼女がそれを望んだんだ、仕方なかったのさ。でも、消えるまでの時間をあの場所で過ごそうとしたのも、そこで依頼人に出会ったのも偶然じゃない。だったら……きっとまた逢えるだろ。二度も逢えたんだ」
 すべて終わったあとの敬吾の顔を二人は思い出していた。
 何も覚えていない若い依頼人は、助っ人の到着を待たずして彼女が消えたと信じている。残念そうに礼を言い頭を下げると、彼女が存た場所を見つめていた。
 何故──、自分が泣いたのか。それを二人に尋ねながら、照れくさそうに笑っていた。
「三度目の正直……か。お前さん、タバコは?」
「悪ぃ。嫌いなんだ」
 十蔵は眉をひそめながら蘭丸の肩を叩くと、一時の片腕に背を向けた。
 十字路の右手、夜にのまれていく後ろ姿が軽く手をあげる。それを見送って蘭丸もまた飛び出してきた元の巣に向かって歩き始めた。
 細い三日月が労いの灯を落とす。
 東京の闇に紛れていく二人の男と、遠くどこかで生まれ変わった安らかな寝息の上に……。








□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 / 好物】

0640 / 綾小路・蘭丸 様 / 男 / 27
       喫茶店『時の間』のマスター / チョコパ
0044 / 陣内・十蔵 様 / 男 / 42
       陣内探偵事務所所長 / マルボロ・酒

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

大変お待たせ致しましたが、綾小路様、陣内様。
初めまして、紺野ふずきと申します。
この度は当依頼をお受け下さり誠にありがとうございました。
今回が初執筆ということで、色々と勉強をさせて頂いたところが多く
でも、とても楽しめました。
綾小路様、陣内様はいかがでしたでしょうか。
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
また、初ということで好きなジャンルを絡めてみようと
このお話は史実をベースにしてみました。
名前の明言は避けていますが、もしまだご存じでなくて
これで興味を持たれましたらぜひ本屋さんの一角、
おいてある本をチラリとかじってみてくださいませ。
関連書籍のタイトルは『新撰組』。
必ず中に一項目は彼と彼女のお話が載っているはずですが
決して深く追わないでください。
このお話は長くなりますので、この辺で……。

綾小路様、四神のおかげで事がスムーズに運びました。
陣内様、ズバリのご洞察、素晴らしかったです。
お二人に助けられながらのお届けです。
ありがとうございました。
それでは今後、ますますのご活躍を祈りながら……

                     紺野ふずき