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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


湯煙温泉幽霊と美女…は流石にいないかBY草間

------<オープニング>--------------------------------------

 虫の声が遠く聞こえてくる。網戸にして開け放した窓からは、僅かに湿気をはらんだ風がゆっくりと吹き込んでくる。
 夢を見ているのか現実なのか、それとも横たわっているだけでただ妄想しているのかという、まさしく「夢うつつ」の状態で、草間武彦は幸福を感じていた。
 ある日突然会社に行くのがイヤになってドアを開けられないなどの「出社拒否」は、結局誰にでも起こりうるものなのだ。勿論、これこそ己の生きる道と思い定めている草間だとて、そういうエアポケットは存在する。
 ここ半年近く、順調な非行を続けていたタケヒコ号がストンとエアポケットにハマって急降下したのは一昨日のことだ。
 朝、事務所に向かおうとしたその時、突然
「心底疲れた。俺は今猛烈に疲れている。そうだ、こういう時こそ温泉だ。ゆっくり浸かって世俗の垢を祓い落として、心機一転しなければ」
 と、突然閃いたのである。
 こうなるともう、事務所で待っている事務員や、草間の閲覧を待っている未読メール、はては飛び込み押しかけでドアを叩く「せっぱ詰まった」依頼人のことなどポーンと頭から飛んでしまうのである。
 草間はそのまま、事務所のあるJR新宿駅を素通りし、赤羽駅まで行ってからJR新幹線「やまびこ7号」に飛び乗り、新花巻駅でまた新幹線を乗り換えて。
 やってきたのである。
 ここ、遠野へ。
 といっても、別にオシラサマを見に来たりしたわけでは決してない。思いついたフレーズが「そうだ、遠野へ行こう」だったのだ。JR中央線で何年か前にポスターになっていたのだ。「そうだ」の後には「京都へ行こう」だと思わなかったのは、この草間武彦一流の「個性」であると自負している。
 そして、神社仏閣民話伝承全てを拒否し、草間が選んだのは小さな旅館であった。飛び込みの一人客でも愛想よく泊めてくれるこの古びた旅館を、草間はいたく気に入った。別館という名の二部屋しかない小さな離れに、ちょっと手狭な和風の庭。仲居から女将から、ちょっと所帯じみていて洗練されていない。部屋も「ごく普通の旅館」の中でもど真ん中ストライクのフツウ加減だ。
 床を延べに来た40がらみの仲居さんを口説いてからかいつつ、草間が横になったのがつい先頃である。
 事務所へは、眠る直前になって電話をした。事務員二人は「所長がさらわれたか殺されたかした!」とばかりに慌てふためいていたが、事情を説明するとグッタリ疲れたらしい。
「今夜は帰ります」
 と消え入りそうな声で呟いた。もう10時を回っていた。相当疲労させたようだが、それは無視することにする。草間興信所の事務員たるもの、所長が湖に大開脚して突き刺さっている姿で発見されても、のっぺらぼうになって出社してきても「まあこういうこともあります」という態度で出るのが相応しいのだ。
 そうして草間は「そのうち帰るし時給は出すから、明日から留守番よろしく」という言葉だけ投げかけて、今遠野の旅館で布団の上に寝転がっているのである。
 平穏な時間を、骨の髄まで満喫する。
 そう心に決めて床に入った草間を飛び起きさせたのは、悲鳴だった。
 しかも、若い女性の。
 草間は枕元の眼鏡を取り上げ、窓から顔を出す。どうやら離れの方だった。
 
 ×
 
 若い男女が合計10人ほど、離れから飛び出してくる。一様に裸体で、女性は流石にシーツやら手やらタオルやらで美味しいところは隠している。草間はチッと指を鳴らし。
「これは?」
 呆然としている女将の肩を叩いた。
 飛び出してきた全裸の若者たちは、口々に「大きな顔の女の幽霊が出た」と叫んでいる。それも、身振りを見ると相当大きい。
「おヤカタ様が起きてしまったんです」
 女将は蒼白になって呟いた。
「あの離れには、おヤカタさまって女の人の神様がいるんですわ。ここ10年ばかり大人しかったので、放っておいたんですけど……ちょっとあなたたち! 乱交パーティでもしたっていうの!?」
 乱交パーティ。
 とんでもない単語を残し、女将はずんずんと大股で若者たちに近づいていく。
「ああ、いるいる」
 背後で上機嫌の野太い声が響き、草間は振り返った。
 浴衣姿の大男が、古くさい一眼レフカメラを構えてにやにや笑っている。
 北城透。フリーのライターで、草間とは無縁でもない男だ。
「奇遇だな」
 草間は北城に近づき、その太い二の腕を叩いた。
「いるか」
「バッチリ」
 北城のカメラは特別製だ。レンズの部分に呪符のようなものが貼り付けてある。これでは前は見えないはずだが、何故か霊体や妖怪などを見、撮影することが出来る。
 草間はああそう、と頷き、女将の側へ駆け寄った。
「ワタクシ、こういう者ですが」
 そつなく名刺を手渡す。
 携帯電話を電卓モードにし、金額を提示する。
「あの別館の、祓ってさしあげましょうか」
 女将が難色を示す。草間は自信に溢れた笑顔を向け、彼女の両肩を掴んでこちらを向かせた。
「当分幽霊に占拠されて営業不能になるのと、サクッと処理するの、どちらがよろしいですか?」
 草間は別館を見る。
 青白い鬼火が別館の回りを飛び回っている。本館の方の客も、ざわめき始めていた。
「よ、よろしくお願いしても……いいですか?」
「勿論です」
 草間はドンと胸を叩き。
 すぐさま携帯のボタンを押し始めた。


 外が喧しい。
 黒月焔は目を開き、不機嫌にううと唸り、布団の上で寝返りを打った。
 少し前まで、同行の北城透と共に地酒を酌み交わしていたのである。ほろ酔い加減をかなり越え、明日の仕事もあるので寝ようと言う話になったのがどれくらい前だろうか。
 そんなに経ってないだろう。
 焔は隣を見る。
 北城の床には人影がない。
「なんだ、ったくこれが記者根性ってヤツか」
 外の悲鳴や大声に耳をすましつつ、焔は立ち上がった。
 北城から電話を受けたのは昨日の夜だった。天気予報が外れ続け、快晴の予報のはずが夕方から湿っぽい雨が降っていた。お陰でしぶとく天気予報を信じていたらしい客は、バーに寄るどころではなかったらしい。
 殆ど客のいないカウンターを見回し、退屈さにため息が出たときだ。店の電話が鳴った。
 遠野まで取材に行くので付き合わないかという誘いだった。明日の朝東京駅で、旅券は用意してあるが実費でよければ。
 いかにもフリーライターらしいしみったれた誘いだったが、断る理由もない。丁度、新しく入ったバーテンに、一日自分で店を守るということをやらせたかったのだ。新人バーテンが焔の店で出会う、これは一種の通過儀礼である。
 バーテンに連絡を済ませ、東京駅で北城と合流した。愛用の一眼レフを入れたらしいケースの他は荷物らしい荷物も持たない北城は、相変わらず精力に溢れていた。
「すまねえな。カミさんと旅行のつもりで二枚取ったんだが、夫の仕事にのこのこついていくような女々しい真似はしたくねえって突っぱねられちまった」
 北城は頭を掻く。細君も、この男に似合う豪儀な女なのだろうか。それならば見てみたいと、少しばかり好奇心をそそられる。
「いいさ。ただ、必要経費がある程度落ちるようなら、半額くらいは持てよ」
 黒月は座席の中で親指を立てた。
「捨てるよりはマシなんだからな」

 北城が宿を取っていたのは、うらぶれた旅館だった。
 取材の内容は、このあたりにいる座敷童子を始めとした家の守り神の分布を調べるという地味なものだ。そんな退屈な仕事も受けているのかと問うと、「フリーだからな」というへりくだった様子もない答えが返ってきた。

 庭園とも呼べない小さな庭には、宿泊客がごった返していた。殆どが旅館の浴衣姿で、別館の方向を眺めてしきりに指さしたりしている。
 鬼火が、別館を包んでいた。
 青白い鬼火が無数に別館の回りを飛び回っている。別館自体が青白く燃え上がっている。怒りに満ちた声も遠く小さく聞こえる。
 なんだ、こいつは。
 焔は別館を見上げた。二階建ての小さなものだ。本館の判を押したような退屈な和風旅館という風体よりは、幾分オリジナリティが感じられる。昔はこの別館だけで営業をしていたのだろうと思わせる雰囲気があった。
 人混みの中に北城の姿を見つける。周囲より頭一つ分は飛び抜けて大きい。こうしてみると、やはり大きな男だった。
 北城の隣に、妙な男が居た。この旅館の浴衣こそ着ているが、あれは。
「なんで草間がいるんだ」
 焔は北城に近づくとそう呟いた。
「お、起きたか」
「この騒ぎに起きないでいられるか」
 焔の声に、草間が振り返る。なにやら電話をしていたらしい。
 そして焔を指さし
「しまったっ」
 と叫んだ。
「奇遇じゃねえか」
 焔が声を掛けると、草間は肩をすくめた。
「北城と一緒だったのか? 失敗したな、今丁度除霊の依頼を受けたんだが、まさか黒月がいるとは思わなかった」
 人の手配をした後に出てくるなよ、と草間が呟く。
「悪かったな。大体なんで多忙なお前がこんなところにいる?」
「これだけの面子がいりゃ、幽霊も出ないワケにゃいかねえんじゃねえのか」
 北城がにやにや笑う。その顔は、ついでにもう一つネタが出来たという喜びが見て取れた。
「おっと。もう一人いたみたいだな」
 草間が手を挙げる。
 焔の背後に、華奢な少年が一人いた。背が低い。旅館の浴衣の前を大きくはだけ、青白い肌を露出している。
 それさえなければ少女だと思っただろう。洗いざらしの髪に浴衣という雑な装いにも関わらず、その少年の美しさは際だっていた。
「奇遇だな」
 少年は草間だけを見て、頷く。それから隣の焔たちに気づいたようだ。
「北城じゃねえか」
 少年がぞんざいな口調で言い放つ。北城は「よう」と返した。
「何の騒ぎだ」
 焔は少年と北城を交互に見る。
 説明をしたのは草間だった。
「ここに前から住み着いてるおヤカタ様とかいう幽霊が、あの別館で暴れてるんだ。除霊を頼まれた。まあ、守り神だから手荒にゃ出来ないが。ウチのエージェントを手配しておいた」
 女将の方をちらりと見、草間はにやっと笑った。
 これは相当ぼったくったな、と焔は気づく。何をしに来ているのか知らないが、ここでも営業活動に余念がないとは熱心なことだ。
「幽霊か。簡単なネタなら俺がなんとかしてやってもいいぞ。で、この男は知り合いか?」
 少年が焔に顎をしゃくる。
 草間が浴衣の胸をがりがりと掻いた。
「こっちは黒月焔。俺とは仕事のつながりがあってな。こっちは北城透」
「知ってる」
 少年は頷く。
「なら話が早い。こちら、スイ・マーナオ。神田で古書店をやってる」
 北城がカメラを構え、別館を撮影した。
「謝礼は出せねえが、ちょいと張り付き取材させてもらっていいかな」
「好きにしていい。で、黒月、スイ、手伝って貰えると嬉しいんだが」
 黒月は別館を見上げ、ふぅとため息をついた。
「ツレも乗り気だし、受けてやるぜ。その代わり報酬は出せよ」
「旅費は出さないぞ」
 草間の言葉に、黒月はちっと舌打ちした。
「まったく、ケチばかりで困るぜ……おい」
 焔は旅館の門を指さした。
 一人の老婆が、よたよたとこちらに歩み寄ってくる。大分急いでいるらしく、じたばたと空中を泳いでいるようにも見える。
 女将が老婆に気づき、血相を変えて飛んでいった。
「婆様」
 と叫んでいる。老婆は駆け寄ってきた女将の太腿を、手にした杖でばしっと叩いた。
「この馬鹿者。守り神であるおヤカタ様をこんなにも怒らせるとは、女将失格じゃ!」
 老婆はつばを飛ばしてまくし立てる。
「糸口発見」
 草間が呟き、ずんずんと老婆に向かって歩いてゆく。
 行動力のある男だ。
 これで、もう少し太っ腹ならもっといいんだが、と焔は内心で呟いた。
 
×

 翌日昼前に旅館に到着したシュライン・エマは、女子高生を連れていた。
 シュラインは草間興信所唯一の常駐事務員である。依頼も時々は受けているという話は聞いていたが、彼女が今回の正式なエージェントなのか。
 焔は煙草をふかしながら、待合室のソファに座っていた。
 隣には北城、スイ。スイは普段から好んでいるのか、着流しを身につけている。そうでなければ、それこそ傾国の美少女といっても過言ではない。だが、その胸に一切の膨らみはなく、おまけに小鳥のように痩せているというのは少し焔の好みから外れている。
 シュラインが連れてきた少女を、草間は渋い顔で見つめている。
 一言二言話してから、ソファに二人を連れて戻ってきた。
「あら、黒月さんじゃない」
 シュラインは焔を見て驚いたように言う。まあ驚くのも無理はない、と焔は思う。奇遇に奇縁と偶然を掛け合わせたような状況なのだ。
 草間はシュラインと女子高生を座らせ、一同をぐるりと見回した。
「これはウチの事務員のシュライン・エマ。今回は口寄せ関係ってことで、働いて貰う。面倒だから全員紹介するぞ。左から、北城。フリーライターでカメラマンもつとめる。今回は彼の撮影も兼ねてる。それから、黒月焔。ウチの優秀なエージェントの一人だ。それからスイ・マーナオ。神田の「歌代堂」の店主だ。このオマケは月見里千里。女子高生。一応エージェントの一人だ。現在除名を考えてるけどな」
「ちょっとぉ。草間さん!」
 千里と紹介された女子高生が不服そうに頬をふくらませた。
「除名なんて話、聞いてないよぉ?」
「極秘文書資料満載の事務所に忍び込むような活動員はいらん」
 草間はびしっと言い放つ。焔は苦笑した。
「で、だ。ザッと作戦会議といこう」

 シュラインたちが到着するまでに草間が調べてきた情報によると、こうである。
 おヤカタ様と呼ばれる守り神は、この福寿荘が別館だけだった頃からいる神なのだ。本館を建て、別館にはおヤカタ様が好む若い夫婦やカップルだけを泊まらせるようになって久しいという。
 戦後は来訪した地位ある外国人が隠れ家的な宿として使用したなど、小さくはあるがそれなりに歴史のある旅館なのだそうだ。
 おヤカタ様は、胴体とほぼ同じ大きさの顔を持つ女性の守り神で、実際のところはこの旅館が作られた当時の親類縁者の妻であった女性らしい。乱暴者だった夫の暴力によく耐え、子供を立派に育て、この福寿荘建設の仕事が来たときに生け贄になって自殺したらしい。別館の大黒柱は、隣の山の立派な椚の木を切り出したものだそうだ。霊木と呼ばれた木の寂しさを紛らわせるために、誰かが死ななければならないと言うような状態だったらしい。そして名乗り出たのが、おヤカタ様になる女性だった。
 以来別館を守り続けるおヤカタ様だが、女性に乱暴をはたらく男が居たりすると怒って今回のように別館から客を閉め出してしまうと言うことが過去何度かあったようだ。その度に呼ばれていた霊能力者の老婆はすでになく、霊と会話する特殊な声を持ち合わせていたという。
「で、これが最後のビデオだ。10年前、地方局の取材を受けたらしい。この声で、おヤカタ様が耳を貸すまで必死に説得を続ければ、今回の仕事は無事終了というわけだ。ただ、彼女は怒っている。攻撃してくる可能性十分と女将も断言したし、それまでシュラインを守る役目は今回はスイと黒月に頼みたい」
 スイと呼ばれた美少女――否、美少年が頷く。神田「歌代堂」という古書専門店に草間が出入りしているのは知っていたが、店主がこんなに綺麗な人間だとは知らなかった。着流しの前を大きくはだけ、長煙管を持っているという格好でなければ、少女だと思っただろう。
 草間は先ほどから、千里を無視する形で話を進めている。
「一つ聞いてもいいかしら。なんでおヤカタ様は怒ったの? 今回泊まってたのは、若いラブラブなカップル数組なんでしょう?」
 草間が沈黙する。こほんと咳払いをした。
 言いづらそうな彼を見て、口を開いたのは筋骨逞しい大男だ。脇に一眼レフカメラがおいてある。フリーライターの北城透だった。今回のシュラインの除霊現場を撮影するという話だ。霊体が撮影出来るのかどうかは、よくわからない。
「カップルっつーより、セックスフレンドの集まりだったみたいでな。男女合計10人でヤル事は一つだ。そのうち、偶然なんだが二人の娘さんが月のモノの最中だったのにコトに及んだワケだな。で、不浄な血に拒絶反応を示したか、ふしだらな若者が頭に来たのか、もしくは娘さんが強姦でもされてるんじゃないかと思って怒った――というののどれかだろうと予想してるわけだ」
「うわ」
 千里が顔をしかめる。シュラインも同感だった。
 理由はどれにしろ、女性としておヤカタ様の判断の方に気持ちは近い。
「彼らを叱るのは女将に任せた方がいい。ま、仕事の後どうしてもムカつくっつーなら俺は止める権限がないから好きにして構わないけどな」
 草間はにやりと笑う。
「声の練習、よろしく。30分で見てくれ」
 シュラインの胸に、ビデオの先端をぐいと押しつけた。


×

 別館は、青白い鬼火に包まれていた。
 陽光の下で多少見えづらくはなっているものの、勢いが弱まっている様子は全くない。自縛霊かツクモガミか知らないが、守り神と呼ばれるだけの力は持っているということかもしれなかった。
 元凶である若者たちグループに危害をくわえこそしなかったが、別館全体が今は侵入者を拒んでいる。入り口の引き戸は固く閉ざされ、小さな鬼火がそのあたりを浮遊している。
「ここからじゃ声は届きそうにないわね。それじゃ、武闘派グループ強行突破をお願い」
 シュラインが腕を組み、そう言う。
 足手まといになるし、所長がエージェントの仕事に混ざるのは不本意だという理由で、草間は一歩退いた位置にいる。彼自身も凡人というわけではないのだろうが、仕事に加わる気はなさそうだ。
 所長としての境界線をきっちり引いているのか――それとも
 自分の分の給料は出ないからなのか。
「渡りに船って態度じゃなくて、自分もボランティアするつもりはないのか?」
 浴衣姿で長煙管を手にしたスイが呟く。シュラインが首を振った。
「ダメよ。武彦さんそういうタイプじゃないもの。動く人が十分な人数いる限り、絶対動かないんだから」
「所長っぽいな、そういうところだけ」
「一言余計だ、黒月」
 草間が素早く叱咤の声を上げる。
「それから、働きが悪かった者は報酬下げるからな」
「あ、それってもしかしなくてもあたしを想定してたりして?」
 草間の小声にすかさず千里が反応する。
「自覚はあるんだな」
「心外だなぁ。あたし的には、今回一番の好カードのつもりなのにー」
「武彦さん。若い子いじめはみっともないから辞めて」
「うるさい。いいから行くぜ」
 スイがぴしゃりと言い捨てる。
 すっと入り口に近づく。
 煙管の口を軽く吸う。煙を吐き出した。
 長煙管がくるりと回転する。
 小さな鬼火がスイの前に立ち塞がった。しかし、スイは気にした様子もなく煙管を振り下ろす。
 火花が飛び散る。
 別館の引き戸が、ゆっくりと両脇に開いていった。
 
×

 ひんやりとした空気が漂っている。東北の初夏とはいえ、これは寒い。柱の奥深くまでしみ通ったおヤカタ様の気が、気温を下げているのだろう。
「系統から考えて、襲ってくるのは鬼火だけじゃねえかな。ただ、量は多いかもしれねえぜ」
 あちこちを一眼レフで撮影しながら、北城が言う。焔も同感だった。家の守り神である以上、小鬼や魑魅魍魎を使役しているということはないだろう。
 青白い鬼火が、焔の鼻先に現れる。一同は足を止めた。
 おおん、と唸り声が響く。
 明るさががくんと下がったように感じる。
 青白い鬼火が、焔たちの周囲に出現した。
 鬼火の壁だ。無数の鬼火が焔たちを取り囲み、揺れている。
 熱さは感じない。
 廊下の向こうに、女性の霊体が出現した。
 地味な柄の着物を着ている。顔が大きく、身長の半分ほどが顔という状態だ。胴体は酷く小さかった。
 じっと、こちらを見ている。
「あなたが、おヤカタ様?」
 シュラインが、奇妙に甲高い不思議な声で話しかける。だが、彼女の口は動いていない。金縛りにあったように硬直している。
 相手の場に引っ張り込まれてるな。
 焔はサングラスを外した。
「何があって、泊まっていた人たちを追い出したの?」
 おヤカタ様は、その夜あったことを話し始めた。女の子数人が眠ろうとしていた部屋に、男が何人も押しかけてきて、襲っているようだったと。血を流している女の子もいたので、なんとかしなければいけないと思ったと。
「ありがとうございます。でも、あの行為は、その、合意の上だったそうなんです。彼女たちは怪我もしてないし、犯されてもいなくて。だから、大丈夫なんです」
――嘘。
 声が冷ややかなものに変わる。
「ちっ……」
 焔は舌打ちをした。
 周囲の鬼火の温度が上がる。焔の頬を掠め、鬼火が飛んでいった。
 千里が悲鳴を上げる。北城のフラッシュが瞬く。
 ひときわ大きな鬼火が、シュラインに向かって殺到する。
 焔は鬼火に意識を集中する。砕けた。
 そのすぐ隣まで近寄ってきていたもう一つの鬼火が、スイの長煙管に叩き落とされる。
 シュラインを庇うように、焔とスイは位置をずらした。
「そおおおおっれっ!」
 ゴウッという音がした。風が巻き起こる。
 振り返ると、千里が掃除機のような者を手にして発っている。掃除機は鬼火をぐいぐいと吸い込んで行く。
 焔は顔をしかめた。なんだ、ありゃ。
「怒らせたらダメだってば、千里ちゃん!
……もう、何て言ったらいいの!? 今のコって大胆なんだって」
「はっきりそう言えよ」
 叫んだシュラインに返したのはスイだった。
「時代が変わって、暴力的な行為を好むヤツらもいるってことを」
「あんたの善意は間違ってない、あっちがチャランポランなだけだと付け加えとてくれ」
 笑い声で言ったのは北城だ。
「黒月、ちゃんとシュラインちゃんを守ってやってくれよ。いい画が撮れそうだ」
「任せろ」
 焔は北城に向かって親指を立てる。
「無償じゃないけどな」
 にやりと笑う。
 シュラインが一歩前に踏み出した。
 ひときわ大きな鬼火の固まりが、シュラインに向かって突進してくる。
「話を聞いて、落ち着いて!」
 シュラインは叫んだ。
「あなたはさっきの女の子たちと、旅館の女将さんたち、どっちの味方をしたいの!」

×

 服を脱ぎ捨てた北城を見て、焔はぽかんと口を開けた。
 戦争にでも行ってきたか、それとも私刑にでも遭ったのか。
 北城の身体は、大小様々な古傷に覆われていた。
 福寿荘別館の脱衣所である。客が逃げてしまったとかで、焔たちの貸し切りにしてもらったのだ。部屋も、別館の方へ移っている。
 全身に刺青を施している焔は、本来ならば温泉には入れない。草間提案のこの移動と貸し切りは、温泉宿に泊まっているのに温泉に入れないと言う焔の苛立ちにはからってくれたのか。
 北城が温泉に行きたがらないのは、自分の刺青を気遣ってかと思っていたが。
 確かに、これでは北城自身も温泉には入れまい。
「どうしたんだ、その傷」
「あ? ああ。昔、ちょっと本気で死にかけたことがあってな。その時の傷だ」
 北城は自分の胸をトントンと叩き、にやりと笑った。
 タオルを肩にかけ、どすどすと浴室へ向かう。
 焔はジーンズをかごに放り込み、後に続いた。
 
 元々は一つだった露天風呂を二つに区切ったらしく、右手には竹の柵がつけられている。何段にも重ねられた石の浴槽の中に、焔は身体を沈めた。
 少しぬるいが、適温といえる。
 北城と隣り合わせで座り、二人は空を見上げた。
 昼過ぎである。
 シュラインの鼻先で鬼火は停止し、おヤカタ様は鎮まった。シュラインの声が届いたのか、気が変わったのかは問題ではない。おまけの仕事が片づいて、北城には持ち込みのネタが出来た。これで往復の電車代程度の報酬が草間から来れば、今回の遠野旅行はまずまずといったところだ。
「ま、旅費が出なかったらお前に身体で返してもらうさ」
「おいおい、この華麗な肉体を前に、どんな不埒なコト考えてるってんだ?」
 北城が力こぶを作る。ついでに胸筋を誇示するようにガッツポーズをとる。
「そうだな」
 焔は北城に危険な流し目を送る。逞しい胸を撫でた。
 北城の顔からスッと血の気が引く。
「おいおい、そういうキレーな顔してその手の冗談はシャレにならねえぜ」
「ん? どの手の冗談だ?」
「いやいやいや、おいおい、足に触るなくっつくな近づくなー!
オレは男には興味がねーんだって!」
 北城が身を引く前に、焔は彼から離れる。
 けらけらと笑った。
「ウチの店で酒でも運んで貰おうかと思ったんじゃないか。何勘違いしてるんだ」
「……お前、オレをからかってるだろ」
「からかわれるのがイヤなら、本気でやるぜ」
「げげっ、勘弁してくれよなぁ……」
 北城はぶるぶると首を振る。
 焔は微笑み、空を見上げた。
 冗談を繰り返していけば、ものの弾みで……。
 それは、愉快な想像だった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 0821 / スイ・マーナオ / 男性 / 29 / 古書店「歌代堂」店主代理
 0165 / 月見里・千里 / 女性 / 16 / 女子高校生
 0599 / 黒月・焔 / 男性 / 27 / バーのマスター
 0086 /  シュライン・エマ  / 女性 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
 
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■         ライター通信          ■
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「湯煙温泉(長いので以下略)」をお届け致しました。
今回は仕事内容の難易度が非常に低かったので、それぞれ温泉シーンや合流前などに力を入れさせて頂きましたが、如何でしたでしょうか。
各PC様ごとに、少しずつ表現や台詞などが違っていますので、是非他の方のシナリオにも目を通してみて下さいませ。


黒月様
毎度毎度ご参加ありがとうございます。
今回は北城のあれこれを少し暴露しつつ、黒月さんに若干迫って頂きましたが如何でしたでしょうか。ご期待に添えるものになっていれば光栄です。
気になるのは北城の場合は黒月さんって上? 下?(苦笑)
ご意見ご感想、ご注意ご要望などありましたら、メールもしくはテラコンでお気軽にお願い致します。お待ちしております。