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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


湯煙温泉幽霊と美女…は流石にいないかBY草間

------<オープニング>--------------------------------------

 虫の声が遠く聞こえてくる。網戸にして開け放した窓からは、僅かに湿気をはらんだ風がゆっくりと吹き込んでくる。
 夢を見ているのか現実なのか、それとも横たわっているだけでただ妄想しているのかという、まさしく「夢うつつ」の状態で、草間武彦は幸福を感じていた。
 ある日突然会社に行くのがイヤになってドアを開けられないなどの「出社拒否」は、結局誰にでも起こりうるものなのだ。勿論、これこそ己の生きる道と思い定めている草間だとて、そういうエアポケットは存在する。
 ここ半年近く、順調な非行を続けていたタケヒコ号がストンとエアポケットにハマって急降下したのは一昨日のことだ。
 朝、事務所に向かおうとしたその時、突然
「心底疲れた。俺は今猛烈に疲れている。そうだ、こういう時こそ温泉だ。ゆっくり浸かって世俗の垢を祓い落として、心機一転しなければ」
 と、突然閃いたのである。
 こうなるともう、事務所で待っている事務員や、草間の閲覧を待っている未読メール、はては飛び込み押しかけでドアを叩く「せっぱ詰まった」依頼人のことなどポーンと頭から飛んでしまうのである。
 草間はそのまま、事務所のあるJR新宿駅を素通りし、赤羽駅まで行ってからJR新幹線「やまびこ7号」に飛び乗り、新花巻駅でまた新幹線を乗り換えて。
 やってきたのである。
 ここ、遠野へ。
 といっても、別にオシラサマを見に来たりしたわけでは決してない。思いついたフレーズが「そうだ、遠野へ行こう」だったのだ。JR中央線で何年か前にポスターになっていたのだ。「そうだ」の後には「京都へ行こう」だと思わなかったのは、この草間武彦一流の「個性」であると自負している。
 そして、神社仏閣民話伝承全てを拒否し、草間が選んだのは小さな旅館であった。飛び込みの一人客でも愛想よく泊めてくれるこの古びた旅館を、草間はいたく気に入った。別館という名の二部屋しかない小さな離れに、ちょっと手狭な和風の庭。仲居から女将から、ちょっと所帯じみていて洗練されていない。部屋も「ごく普通の旅館」の中でもど真ん中ストライクのフツウ加減だ。
 床を延べに来た40がらみの仲居さんを口説いてからかいつつ、草間が横になったのがつい先頃である。
 事務所へは、眠る直前になって電話をした。事務員二人は「所長がさらわれたか殺されたかした!」とばかりに慌てふためいていたが、事情を説明するとグッタリ疲れたらしい。
「今夜は帰ります」
 と消え入りそうな声で呟いた。もう10時を回っていた。相当疲労させたようだが、それは無視することにする。草間興信所の事務員たるもの、所長が湖に大開脚して突き刺さっている姿で発見されても、のっぺらぼうになって出社してきても「まあこういうこともあります」という態度で出るのが相応しいのだ。
 そうして草間は「そのうち帰るし時給は出すから、明日から留守番よろしく」という言葉だけ投げかけて、今遠野の旅館で布団の上に寝転がっているのである。
 平穏な時間を、骨の髄まで満喫する。
 そう心に決めて床に入った草間を飛び起きさせたのは、悲鳴だった。
 しかも、若い女性の。
 草間は枕元の眼鏡を取り上げ、窓から顔を出す。どうやら離れの方だった。
 
 ×
 
 若い男女が合計10人ほど、離れから飛び出してくる。一様に裸体で、女性は流石にシーツやら手やらタオルやらで美味しいところは隠している。草間はチッと指を鳴らし。
「これは?」
 呆然としている女将の肩を叩いた。
 飛び出してきた全裸の若者たちは、口々に「大きな顔の女の幽霊が出た」と叫んでいる。それも、身振りを見ると相当大きい。
「おヤカタ様が起きてしまったんです」
 女将は蒼白になって呟いた。
「あの離れには、おヤカタさまって女の人の神様がいるんですわ。ここ10年ばかり大人しかったので、放っておいたんですけど……ちょっとあなたたち! 乱交パーティでもしたっていうの!?」
 乱交パーティ。
 とんでもない単語を残し、女将はずんずんと大股で若者たちに近づいていく。
「ああ、いるいる」
 背後で上機嫌の野太い声が響き、草間は振り返った。
 浴衣姿の大男が、古くさい一眼レフカメラを構えてにやにや笑っている。
 北城透。フリーのライターで、草間とは無縁でもない男だ。
「奇遇だな」
 草間は北城に近づき、その太い二の腕を叩いた。
「いるか」
「バッチリ」
 北城のカメラは特別製だ。レンズの部分に呪符のようなものが貼り付けてある。これでは前は見えないはずだが、何故か霊体や妖怪などを見、撮影することが出来る。
 草間はああそう、と頷き、女将の側へ駆け寄った。
「ワタクシ、こういう者ですが」
 そつなく名刺を手渡す。
 携帯電話を電卓モードにし、金額を提示する。
「あの別館の、祓ってさしあげましょうか」
 女将が難色を示す。草間は自信に溢れた笑顔を向け、彼女の両肩を掴んでこちらを向かせた。
「当分幽霊に占拠されて営業不能になるのと、サクッと処理するの、どちらがよろしいですか?」
 草間は別館を見る。
 青白い鬼火が別館の回りを飛び回っている。本館の方の客も、ざわめき始めていた。
「よ、よろしくお願いしても……いいですか?」
「勿論です」
 草間はドンと胸を叩き。
 すぐさま携帯のボタンを押し始めた。


 事務所においてあった携帯用歯ブラシのケースを最後に旅行鞄に投げ込む。
 体重を掛け、バタンと閉じた。
 シュライン・エマは腰に手を当て、ふぅと大きくため息をついた。
 時刻は午前4時。これから、JR新宿駅まで歩き、東京駅まで出てから新幹線で遠野へ向かわなくてはならないのだ。
 草間から、二度目の電話がかかってきたのは、自分の部屋についてすぐだった。時刻は12時を回っていた。
「新しい仕事取れたから、除霊出来そうなエージェント連れて明日の朝そっち出てくれ。あ、いや攻撃性は少なそうだから感応率が高ければ……。あと、事務所に不法侵入者一人。月見里千里だ」
 連絡事項だけさっさと済ますと、草間は電話を切ってしまった。所在を告げる電話といい、指示の電話といい、こちらの話を一切聞くつもりはないらしい。
 怒られるの、怖いのかしら。
 シュラインは感応力が高く霊感もある、そして何より一番早く動けるという理由で、今回の仕事を受けることにした。
 車や鍵を預けるからと、草間興信所から徒歩20分くらいのところに住んでいる野田桃子を呼び出し、旅行の支度をして事務所へやって来たのである。
 シュラインの車が事務所に横付けされた時には、桃子はもう事務所の前に突っ立っていた。昨日10時まで、不安の中残業に付き合わせてしまった時には流石にぶちぶち言っていたが、いざ仕事となると笑顔でこうして出てきてくれる。
 シュラインは車の鍵と事務所の鍵などを預け、必要なものをかき集めた。これでようやく出発出来る。
「それじゃ、後はよろしく。一泊で帰ってこれると思うけど」
「いいですよー。折角だから、泊まって来ちゃったらいいじゃないですか。所長と一緒に。動いてる仕事も遠野のだけだし、半休業状態っていうので、多分二・三日は平気だと思いますから」
 桃子はにっこり微笑む。ちょいちょいと肘でシュラインを小突いた。
「そうしたら、関係がどーんと進んじゃうかも」
「進まないわよ、もう。桃子ちゃんたら……。まあいいわ、武彦さんのお金でどっさりおみやげ買ってきてあげるから」
「楽しみにしてますよ」
 桃子が笑顔を浮かべた瞬間、仮眠室のドアが開いた。
 仮眠室という名前になっているが、基本的には依頼人などを匿ったりエージェントが負傷して戻ってきた場合に使う休憩室である。ベッドが一つと小さな洗面台がある部屋だ。
 ひょこっと顔を出したのは、月見里千里だった。
「千里ちゃん!? まだいたの!?」
 シュラインは声を荒げる。千里は寝起きのような顔で、えへっと笑った。
「だって電車出てないから、寝ちゃおうと思って。旅行でも行くんですか?」
 千里は髪をくしゃくしゃやりながら仮眠室から出てくる。
 草間から聞いた話だと、まだいるかと思って事務所にかけたら彼女が出たというのだ。友達と盛り上がりすぎて終電を逃したので、仮眠室を使おうと思って鍵を造り、勝手に入ったらしい。
「千里ちゃん。所長に帰れって言われたでしょう? 事務所はあなたの私物じゃないの」
「でも、近かったから」
 千里はへらへら笑い、それからようやく目が覚めたらしい。
「草間さんが言ってた遠野の事件に行くの? アタシも行くーーーー!」
 突然、じたばたと暴れ始めた。
 
×

 草間が滞在中の旅館「福寿荘」は、本当に小さな旅館だった。
 何より建物自体が小さい。敷地自体はそれなりで、和風庭園もよく手が行き届いていて小綺麗だが、人数を泊める設備はなさそうだ。
 また武彦さんも、隠れ家っぽいところ見つけちゃって。
 シュラインはトランクを引っ張って門を潜る。一泊旅行のつもりにしては大きな荷物だが、勿論一泊で帰るつもりなどない。何か新しい仕事でも入らなければ。
 急ぎではない翻訳の仕事が一つ来ている。シュラインの名前は表に出ない仕事だが、内容は面白い。数年前映画化して、耽美なトム・クルーズに全ての女性が息をのんだヴァンパイア物のシリーズ最新刊である。
 ヴァンパイアに対する記述がかなり真実に近く、注目していたシリーズでもある。ゆっくりと資料に目を通す時間があれば理想的だと思って持ってきたのだ。
 女将に迎えられ、シュラインはロビーに通された。庭園の中に作られた池が見える、豪華な和風客間にも見えるこぢんまりとしたロビーだった。
 シュラインは草間の姿を見つけ、手を挙げる。
 草間が苦い顔で近寄ってきた。
「シュラインはともかく、あのおまけはなんだ」
 指さした先には、上機嫌の千里が居る。旅費は事務所のカードで出した。
「エージェントよ」
 シュラインは微笑む。
「私は今回、彼女を連れてきただけだから」
「おい、心臓に悪い冗談を言うな」
 草間がぶるぶると首を振る。
「偶然だが、黒月とそれから、フリーライターの北城が居合わせたんだ。ほら、この前の新宿携帯鬼騒動、覚えてるか? あの記事を書いた男だよ。あと、スイ。神田の『歌代堂』の店主もいた。だから戦闘班は間に合ってる……シュラインだけでよかったんだが」
 なんという偶然だろう。シュラインは肩をすくめた。戦闘的で有能な黒月焔がいるなら、シュラインが来る必要さえなかったではないか。
「いいじゃないの。どうせ今回の仕事、経費は全部武彦さんのポケットマネーなんだし」
「なに?」
「桃子ちゃんと決めたの。今回は、経費は全額武彦さんに持ってもらって、利益はきっちり事務所に納めてもらって、私たちは残業代がっぽり貰いましょうね、って」
 シュラインは目を細める。
 冷ややかな笑みを浮かべ、草間の鼻先をぽんぽんと叩いた。

×

 シュラインたちが到着するまでに草間が調べてきた情報によると、こうである。
 おヤカタ様と呼ばれる守り神は、この福寿荘が別館だけだった頃からいる神なのだ。本館を建て、別館にはおヤカタ様が好む若い夫婦やカップルだけを泊まらせるようになって久しいという。
 戦後は来訪した地位ある外国人が隠れ家的な宿として使用したなど、小さくはあるがそれなりに歴史のある旅館なのだそうだ。
 おヤカタ様は、胴体とほぼ同じ大きさの顔を持つ女性の守り神で、実際のところはこの旅館が作られた当時の親類縁者の妻であった女性らしい。乱暴者だった夫の暴力によく耐え、子供を立派に育て、この福寿荘建設の仕事が来たときに生け贄になって自殺したらしい。別館の大黒柱は、隣の山の立派な椚の木を切り出したものだそうだ。霊木と呼ばれた木の寂しさを紛らわせるために、誰かが死ななければならないと言うような状態だったらしい。そして名乗り出たのが、おヤカタ様になる女性だった。
 以来別館を守り続けるおヤカタ様だが、女性に乱暴をはたらく男が居たりすると怒って今回のように別館から客を閉め出してしまうと言うことが過去何度かあったようだ。その度に呼ばれていた霊能力者の老婆はすでになく、霊と会話する特殊な声を持ち合わせていたという。
「で、これが最後のビデオだ。10年前、地方局の取材を受けたらしい。この声で、おヤカタ様が耳を貸すまで必死に説得を続ければ、今回の仕事は無事終了というわけだ。ただ、彼女は怒っている。攻撃してくる可能性十分と女将も断言したし、それまでシュラインを守る役目は今回はスイと黒月に頼みたい」
 スイと呼ばれた美少女――否、美少年が頷く。神田「歌代堂」という古書専門店に草間が出入りしているのは知っていたが、店主がこんなに綺麗な人間だとは知らなかった。着流しの前を大きくはだけ、長煙管を持っているという格好でなければ、少女だと思っただろう。
 草間は先ほどから、千里を無視する形で話を進めている。
「一つ聞いてもいいかしら。なんでおヤカタ様は怒ったの? 今回泊まってたのは、若いラブラブなカップル数組なんでしょう?」
 草間が沈黙する。こほんと咳払いをした。
 言いづらそうな彼を見て、口を開いたのは筋骨逞しい大男だ。脇に一眼レフカメラがおいてある。フリーライターの北城透だった。今回のシュラインの除霊現場を撮影するという話だ。霊体が撮影出来るのかどうかは、よくわからない。
「カップルっつーより、セックスフレンドの集まりだったみたいでな。男女合計10人でヤル事は一つだ。そのうち、偶然なんだが二人の娘さんが月のモノの最中だったのにコトに及んだワケだな。で、不浄な血に拒絶反応を示したか、ふしだらな若者が頭に来たのか、もしくは娘さんが強姦でもされてるんじゃないかと思って怒った――というののどれかだろうと予想してるわけだ」
「うわ」
 千里が顔をしかめる。シュラインも同感だった。
 理由はどれにしろ、女性としておヤカタ様の判断の方に気持ちは近い。
「彼らを叱るのは女将に任せた方がいい。ま、仕事の後どうしてもムカつくっつーなら俺は止める権限がないから好きにして構わないけどな」
 草間はにやりと笑う。
「声の練習、よろしく。30分で見てくれ」
 シュラインの胸に、ビデオの先端をぐいと押しつけた。

×

 別館は、青白い鬼火に守られていた。
 入り口に、スイ・マーナオと紹介された美少年が近づく。鬼火が彼に殺到する。
 長煙管を振るう。
 鬼火が砕け、別館の入り口が開いた。
「拒否かな」
 草間が呟く。おヤカタ様がどういう理由で暴れたのかがわからなければ、鎮めるのも容易ではない。
「とりあえず、所長はここで帰りを待ってるから。いってこーい!」
 シュラインは肩をすくめた。
 私だって、ただの事務員のはずだったんだけどね。
 
 別館の中に一歩踏み込むと、あたりが闇に包まれた。
 シュラインは悲鳴を上げそうになる口を押さえる。おヤカタ様を刺激してはいけない。
 真っ暗な闇の向こうに、ぼんやりと光る女性の姿があった。
 かちり、とシャッターが切られる音がする。しかし、シュラインには女性以外は何も見えなかった。フラッシュの光も。
「危害を加える気は今のところないみたいだが、油断は禁物か」
 黒月が低く呟くのが聞こえる。
 シュラインは女性に向かって、一歩を踏み出した。
 顔の大きな女性だった。確かに、全身の半分は顔である。歪んだ鏡に写り込んだようだとシュラインは思った。
 ゆっくりと息を吸う。ほんの数分前まで、食い入るように見ていたテレビの画面を思い出す。小柄な老婆が唱えていた、高く澄んだ、不思議な声。
「あなたが、おヤカタ様?」
 女性の身体がぐらりと揺らぐ。
――おはるちゃん?
 大人しい声が聞こえる。シュラインは首を振った。
 岸本はる。幼い頃からおヤカタ様の話し相手を務めていた老婆は、昨年亡くなったという。
「私はシュライン。はるさんの代わりに、お話をしに来ました。何があって、泊まっていた人たちを追い出したの?」
 おヤカタ様は、その夜あったことを話し始めた。女の子数人が眠ろうとしていた部屋に、男が何人も押しかけてきて、襲っているようだったと。血を流している女の子もいたので、なんとかしなければいけないと思ったと。
「ありがとうございます。でも、あの行為は、その、合意の上だったそうなんです。彼女たちは怪我もしてないし、犯されてもいなくて。だから、大丈夫なんです」
――嘘。
 声が冷ややかなものに変わる。
 闇が遠のいてゆく。青白い鬼火がシュラインを囲む。
――私を騙して、大人しくさせようっていうのかい? あの子たちは大丈夫なの!?
 おヤカタ様の声が響き渡る。頬を鬼火があぶる。熱い。
 青黒い光と長い棒のような物が、シュラインの両脇で閃く。
 黒月がサングラスを外している。少年が煙管を突きだし、シュラインを庇う位置に立っている。
「そおおおおっれっ!」
 ゴウッという音がした。風が巻き起こる。
 振り返ると、千里が掃除機のような者を手にして発っている。掃除機は鬼火をぐいぐいと吸い込んで行く。
 何あれ。ゴーストバスターズ?
 シュラインはくらりとめまいを感じた。
「怒らせたらダメだってば、千里ちゃん!
……もう、何て言ったらいいの!? 今のコって大胆なんだって」
「はっきりそう言えよ」
 シュラインの声に答えたのは美少年、スイ・マーナオだった。
「時代が変わって、暴力的な行為を好むヤツらもいるってことを」
「あんたの善意は間違ってない、あっちがチャランポランなだけだと付け加えとてくれ」
 笑い声で言ったのは北城だ。
「黒月、ちゃんとシュラインちゃんを守ってやってくれよ。いい画が撮れそうだ」
「任せろ」
 黒月が北城に向かって親指を立てる。
「無償じゃないけどな」
 シュラインは一歩前に踏み出す。
 ひときわ大きな鬼火の固まりが、シュラインに向かって突進してくる。
「話を聞いて、落ち着いて!」
 シュラインは叫んだ。
「あなたはさっきの女の子たちと、旅館の女将さんたち、どっちの味方をしたいの!」

×

 湯気に包まれた温泉は、思ったよりもずっと小さな造りだった。
 どうやら以前一つだった露天風呂を二つに区切ったらしい。左手側に、青い竹の柵があった。
 福寿荘別館にだけある、小さな露天風呂を貸し切りにしてもらったのだ。
 シュラインは石を重ねた縁に頭を載せ、湯船の中で身体を伸ばした。
「ああ、気持ちいい。楽な仕事で助かったわ」
 ざぶざぶと湯で顔を流す。
 鬼火はシュラインの前髪数本を焦がしたところで静止した。そして、おヤカタ様は大人しくなってしまったのである。
 先ほど、おヤカタ様のお部屋とされている小さな神棚を見せて貰ってきた。その中には、少し中央が膨らんだ、歪な銅鏡が一つ納められていた。おヤカタ様が生前した唯一の贅沢が、市場に出たこの錆びきった古い鏡だったという。骨董品でもなく歴史的価値もなく、今で言うならば少し上等のワンピースの方がまだ高い。そういう程度のものが、彼女の一生に一度の贅沢だったのだそうだ。
「たまには磨いてあげて下さい」
 シュラインは鏡を取り、女将に手渡した。
 お礼のついでにと、今日一日この温泉は草間たちの貸し切りになった。部屋も、離れの広めの部屋に移動させてくれるらしい。なにしろこの温泉は、別館専用なのだ。
 これなら、ゆっくりと構想を練ることが出来そうだった。
――シュライン?
 目を閉じて湯に身を任せていたシュラインの耳に、男湯からの呟きが聞こえてくる。
 草間だ。
「あら、いたの」
 シュラインは湯船の中に座り、膝を抱える。
 竹の柵の向こうに、草間がいる。
「ああ。丁度出てくのが見えたからな。風呂だろうと思って」
 ざばざばと身体を流す音がする。
「あーーーーーー………
その、なんだ。怒ってるか? 桃子とか」
「何のこと?」
 シュラインはとぼける。
「だから、今回のコトだよ。連絡しなかったコトとか」
「怒ってるんじゃないの?」
 シュラインは人ごとのように言う。コレでますます、草間は居心地が悪くなったコトだろう。
「……すまん」
 小さな声で呟く。シュラインはくすっと笑った。
「ね、武彦さん。あと何日くらいここにいるつもりなの?
 私、こっちで少しだけ仕事したいのよ、ね」
 ふぅ、と草間のため息が聞こえた。
「判った。宿泊費用は出すから、あと一泊な」
「あら、ケチね」
「……あと、桃子に土産」
「それは、当然でしょう」
「…………あと二泊」
「うふ、ありがとう」
 シュラインは微笑む。
「明日から同じ部屋にするか」
「バカ! もう、調子に乗らないの!」
 シュラインはカーッと赤くなる。
 ばしゃりと湯船に顔を付けた。
「残念」
 草間がくすくす笑う声が、夜空に吸い込まれていった。
 
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 0821 / スイ・マーナオ / 男性 / 29 / 古書店「歌代堂」店主代理
 0165 / 月見里・千里 / 女性 / 16 / 女子高校生
 0599 / 黒月・焔 / 男性 / 27 / バーのマスター
 0086 /  シュライン・エマ  / 女性 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
 
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■         ライター通信          ■
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「湯煙温泉(長いので以下略)」をお届け致しました。
今回は仕事内容の難易度が非常に低かったので、それぞれ温泉シーンや合流前などに力を入れさせて頂きましたが、如何でしたでしょうか。
各PC様ごとに、少しずつ表現や台詞などが違っていますので、是非他の方のシナリオにも目を通してみて下さいませ。
 
 シュラインさん。
 毎度毎度ご参加ありがとうございます。今回ようやく「声」を使わせて頂きました。如何でしたでしょうか。
 草間との関係が大進展しそうでしない雰囲気です。ご依頼とあらばエロくらいという意気込みではございますが、今回はこのヘンで寸止めしておきました。楽しんで頂けたなら光栄です。