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大地を蹴る男
なんのために生まれて、なんのために死ぬのか。
――そんなことは、知らない。
◇
新宿にある、月刊アトラス編集部。
「歩道橋から飛び降りる、変な男ぉ〜？」
部下の話を聞いて、編集長の碇麗香は思いきり眉をひそめた。
「そうなんですよぉ…」
ハンカチで額の汗を拭いながら、ペコペコと頭を下げるのが、部下である三下忠雄。
事の発端は、来月号の怪談特集のために読者の投書をチェックしていた三下が、不気味なハガキを発見したことにある。
その投書とは、このようなものだった。
『毎日決まった時間に、歩道橋の上から飛び降り自殺をする男がいるらしい。
ただし、飛び降りた後に下を見ても、何の痕跡もない』
「飛び降り自殺…そして消える男、か…」
あごに手をあてて、麗香は唸った。
これは調査の必要がありそうだ。
久しぶりに『本物』のニオイを感じて、不敵な笑みを浮かべる。
「ネットで都市伝説のサイトも見てみたんですけど、実際ものすごく広まってる見たいですよ、この噂」
「わかったわ。とりあえず、確かめましょう」
麗香はポンと膝を叩くと、立ち上がった。
「興味があるから、私が行くわ。誰か『そっち方面』に強いのも連れていくし」
「へ、編集長が行くんですか！？」
自ら腰を上げるなんて珍しい、などとは死んでも言えない三下である。
「そうよ。じゃなかったら、あんたが誰か連れていってくれてもいいけど」
「うへぇ」
わけのわからない返事をして、必死に考えこむ三下。
そんな三下を見て、麗香は深々とため息をついた。
もう少し頼りがいがある部下に成長してくれる日が、いつかは来るのだろうか。
「だから私が行くって言うの。あんたは、ページレイアウトとか再来月号の特集の準備とかやってなさいね？」
「わ、わかりましたッ…それで、編集長」
あわてて口を開く三下を、麗香は無言で促す。
「その男なんですけど、必ず『あなたの存在意義とはなにか』って聞いてくるらしいんです」
「はぁ？」
麗香はまなじりをつり上げた。
変なことを聞いてくる幽霊？である。
「オッケー、頭に入れとくわ。それじゃ」
取材のために必要なもの――カメラやボイスレコーダーなどを鞄につめ、颯爽と麗香は編集部を後にした。
自ら取材に出向くのは、久しぶりだ。
腕が鳴る。
◇
月刊アトラス編集部は、オフィスビルの５階にある。
外出するためには、エレベーターを使って、一旦下らなければならない。
箱に乗り込み、『閉』ボタンを連打する。何度も押したところで扉が閉まるスピードは変わらないのだが、なんとなく押してしまう。悪い癖だ。
それから、扉の上の階数表示を見上げた。
３階。
フワリと浮くような奇妙な感覚の後、ゆっくりと扉が開いた。
「………」
ひとりの少年が、扉の前で麗香を見つめている。
麗香は１歩後ろに下がり、少年が乗りやすいようにしてやった。
少年はぺこりと会釈して、エレベーターに乗る。
そして『閉』ボタンを１度だけ押す。
（この階――子供が来るような場所があったかしら？）
たしか、この階にはわりと真面目な雑誌の編集部が入っていたはずだ。もちろん、月刊アトラスの方が売れ行きはいいが。
というよりも、それを差し引いても、なにかこの少年には惹かれるものがあった。
年の頃なら１２、３歳だろうか。
小柄ながらも意志の強そうな瞳をしており、元気のいい黒髪には、脱色でもしているのか一房だけ金色のものが混じっている。
この直感は、いわゆる『本物のニオイ』に近い。
――と、その時。
ガタンッ！
音を立てて、エレベーターが揺れた。
「おわっ」
「きゃあっ！？」
少年がバランスを崩して、麗香にぶつかるようにして倒れてくる。
とっさのことで受け止めきれず、麗香と少年は倒れ込んだ。カメラが壁にぶつかって、嫌な音を立てる。
「うわっ、ごめん…大丈夫か？」
「…私は大丈夫だけど…こっちはどうかしら…」
慌てる少年に、麗香は切実な表情を『作って』みせた。
何度かシャッターを切ってみるが、降りない。
「…どうやらお亡くなりになったみたい、よ」
「そ、そっか…まいったな」
がじがじと頭を掻く少年。麗香はその肩に手をやると、ニッコリ微笑んだ。
「大丈夫。壊れたのは仕方ないから…かわりに取材を手伝ってくれない？っていうか手伝ってくれるわよね？」
「はぁ！？」
逃げるように飛び起きて、少年はかぶりを振る。
「取材の手伝い！？なんでっ…」
「だってホラ、カメラ壊れちゃったし…これ高いのよね〜、本物だから」
「ぐっ…」
握り拳を作って、少年は押し黙った。
事故とはいえ、カメラが壊れれる原因となったのは、自分に違いない。
「詳しい話は外でするから、ね？お願い！」
とどめにお願いされて、少年はうなずくしかなかった。
それを見て麗香は、心の内で舌を出す。
（なんでエレベーターが揺れたのか知らないけど…ふふふ、これも私の日頃の行いかしら♪）
『能力者』らしき少年をパートナーとしてゲットできて、麗香は一気に機嫌が良くなった。
再びスムーズに動き出したエレベーターが１階につく。
麗香は少年を伴って、駅前にある行きつけの喫茶店【アルジャーノン】へ向かった。
◇
「俺は御崎月斗。叔父さんがルポライターやってて…バイトで書類届けてきたんだ」
月斗は『麗香のおごり』であるクリームソーダに、遠慮がちに口を付けた。
「ああ、それでうちのビルに？」
なるほど、とひとりごちて、麗香もアイスティーのグラスを持ち上げる。
まったく、とんでもないことに巻き込まれてしまったものだ。
月斗は麗香に気付かれないように、小さく嘆息した。
「それで、えーと…碇さん？取材ってなんなんだ？」
一度引き受けたからには、最後までまっとうする。
それは、普段の『仕事』をこなしていく上で、一番大切なことだ。
実は月斗は、ネット上に自分のホームページを立ち上げ、そこで依頼を受けて生活費を稼いでいる。
受ける仕事の内容は、いわゆる『退魔』系――
まだ１２歳ではあるが、月斗はこれでも十二神将クラスの式神を使役する、高位の陰陽師なのだ。
「飛び降り自殺を繰り返す男の話、聞いたことない？」
ニヤリと妖艶に笑う麗香。
飛び降り自殺――そういえばネットサーフィンしていたときに、噂系サイトで見たような気がする。
麗香から詳細を聞いて、月斗は肩をすくめた。
「なるほどね」
「どう？面白そうでしょ」
瞳を輝かせる麗香に、月斗はニヒルに笑ってみせる。
「あんまり、興味本位で首突っ込まないほうが良いんじゃないの？」
陰陽師の能力を持っていてさえ、時折相手に引きずられることがある。
何の力も持たない麗香ならば、為すすべなく相手に喰われておしまいだ。
話を聞いていて、本物だと感じたからこその忠告である。
しかし麗香はテープルを叩き、
「興味本位じゃないわ、立派な探求心よ」
「そう言ってる時点で自覚してないよ、碇さんは。心配してくれる人がいるうちは、もっと自分を大切にしなきゃ」
「別にいないわよ、そんな人。しかも言われなくたって大切にしてるし？」
「だーかーらー…」
「なら聞くけど、そういう月斗くんも誰もいないわけ？いつも危ない『仕事』してるんでしょ？」
逆に切り返されて、月斗は黙るしかなかった。
自分を心配してくれる人。
それは、ふたりの弟たち、だ。
「へぇ、弟がいるんだ？」
月斗の家は、平安から続く陰陽師の家系で、彼自身は長男ということもあり、厳重な監視体制のもと育てられてきた。
だがその枷に耐えられなくなり、叔父を頼って上京してきたのである。
その際ついてきたのが、弟たちだ。
ときどきムカつくこともあるが、自分を慕ってくれる弟たちが、可愛くて仕方がない月斗である。
話を聞きながら、麗香が頬杖をついて、茶化すように笑った。
「ふ〜ん、ちゃんと笑えるんじゃない、月斗くん」
「なっ…」
指摘されて、月斗は赤面する。
どうやら弟たちの話をしながら、ニヤけてしまっていたらしい。
「なんにしても、月斗くんが危険なことをするのは、弟たちを育てていくためってことでしょ？」
「そうだよ」
「私もそれと同じなの。かけがえない『月刊アトラス』のために、頑張りたいのよ」
断言されて、再び月斗は沈黙した。
そう言われてしまっては、なにも言い返せないではないか。
飲み干され、氷だけになったグラスの中で、音を立てて氷が崩れる。
「わかったよ…ただ、危ないと思ったらすぐに逃げてくれよ。俺の力にも限界があるし」
「ありがと。そうと決まれば、さっそく行きましょ。三下の――って、私の部下なんだけど、彼の調査によれば、問題の歩道橋は文京区にあるらしいの」
伝票を手に、麗香は立ち上がった。
最後にため息を大きくひとつ、月斗もそれに従う。
◇
問題の歩道橋は、大通りにもかかわらず人通りの少ない場所に掛けられていた。
どことなく、寂しいかんじがする。
「さて、さっそくご対面といきましょうか」
意気揚々と階段を上り始める麗香に、月斗も付き従った。
いざとなれば麗香の前に割って入れるように、一歩半の距離をあけて。
「ねぇ、月斗くんはさぁ…」
「…なに？」
「もし『存在意義は何だ』って聞かれたら、なんて答える？」
存在する理由。
生き続ける意味。
突然聞かれて戸惑ったが、すでに答えは決まっている。
「弟たちが幸せであること」
そのためになら、どんなことだってやってやるさ。
ニヤリと不敵に笑みを浮かべる月斗に、麗香も笑みを返した。
階段を上りきったところで、橋の中ほどに青年が立っているのが目に入った。
「碇さんは下がってて。すぐに祓うから」
「でも」
「あれは地縛霊だ。成仏できないことで、さらに恨みを強くしてる」
月斗の真剣な口調に、麗香はうなずいて、後ろに下がった。
（俺は何のために生まれたんだ――なんで死んだんだ――わからない、教えてくれよぉ…）
霊の声がビリビリ伝わってくる。
月斗はきゅっと唇を結ぶと、懐から商売道具の札を取り出した。
「バン・ウン・タラク・キリク・アク…」
陰陽道の真言（タントラ）を唱え、札を頭上にかざす。
「式招来ッ、十二神将！」
気合いの声と共に、札を投げつけ――月斗の喚びかけに応じた十二体の式神たちが、地縛霊を取り囲む。
（なぁ、教えてくれよぉ…）
霊の哀しい声を断ち切るように、月斗は式神に命じた。
「連れて逝け」
何のために生まれたのか？そしてなぜ死ぬのか？
そんなことはどうだっていい。
わかっているのは、ただ大切な人のために生きたいということだけだ。
「終わった、の…？」
唖然としている麗香の声に、月斗は無言でうなずいた。
これで、巷を騒がせていた噂のひとつが終わる。
またすぐに似たようなものが現れるかもしれないけれど、その時はまた祓えばいい。
すべては、弟たちのために。
◇
「はぁ！？壊れてなかったぁ！？」
「えへへ、ごめーん♪でも言うでしょ、嘘も方便って」
麗香の告白を聞いて、月斗は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
てっきり自分のせいで壊れてしまったと思っていたカメラが、元気も元気、ピンピンしていると聞いては、いったい自分の苦労は何だったのだろうか、と思わざるを得ない。
「でもさっき、シャッター…」
シャッターを押しても降りなかったのは、いったいどういうことか。
麗香はケラケラと笑い、
「あれはね、間違って押すのを防止するために、ストッパーがついてるの。それ解除しないと、いくら押してもシャッターが切れないってわけ」
「はぁ…」
もはや、呆れてため息しか出ない月斗である。
その月斗の肩を叩き、麗香は言った。
「ま、今度、弟くんたちを連れて編集部に遊びに来なさいよ。ジュースとお菓子ぐらいは出してあげるから」
月斗くんのおかげで良い記事が書けそうだわぁ〜、と、軽いステップで階段を下っていく。
最後に、今日一番大きくて深いため息をつくと、月斗もそれに続いた。
そしてこの日を境に、飛び降り自殺する幽霊は、プッツリと目撃されなくなった。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
【0778／御崎月斗（みさき・つきと）／男／12歳／陰陽師】
【0767／浅田幸弘（あさだ・ゆきひろ）／男／19歳／大学生】
【0829／西園寺嵩杞（さいおんじ・しゅうき）／男／33歳／医師】
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■ ライター通信 ■
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お待たせいたしました。
『大地を蹴る男』をお届けにあがりました。
まずは、私に発注していただいたこと、とても嬉しく思います。
どうもありがとうございました。
数ある依頼の中から選んでいただけて、本当に光栄です。
可愛いけれどしっかりしたお兄ちゃんとして描写できていればいいのですが…
いかがでしょうか？
少しでも気に入っていただけたならば幸いです。
ご意見・ご感想は、遠慮なくテラコンよりお送り下さいませ。
今後も御縁があったときのための、参考にさせていただきますので。
それでは、今後のご活躍をお祈りしつつ、今日のところはこの辺で失礼いたします。
いつかまた、別の依頼でお目にかかれることを願って。
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