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<PCシナリオノベル(シングル)>


最後の、手紙
●通り雨
 中ノ鳥島に雨が降る。
「人」の身勝手な理由で始まった島での悲劇は、「人」の身勝手な理由で一旦は幕を下ろした。
 全てを封じられ、忘れさられた島。
 けれど、それは終わりではなかった。島に封じ込められた哀しみは、今も終わりのないループの中で叫び続けている。己が叫びが、願いが誰かに届く時を渇望しながら‥‥。
 ゆっくりと燃え尽きるように炎の中へと消えて行った少女を見送って、草壁さくらは空を重く覆う雨雲を見上げた。
 ぽつりぽつりと空から零れ落ちた雨粒は、瞬く間に激しく踊り出す。
 彼女の顔に強かに打ち付ける雨に、一筋、温かなものが混じった‥‥。
 
●祈りを詰めた小瓶
 その小瓶をさくらが拾ったのは、波が誘った故意の偶然かもしれない。
 忘れ去られた島、中ノ鳥島を忘れる事なく、島に封じられた哀しみを癒すかのように、自然はその腕を広げて包み込んでいる。草木の緑は、かつて「人」が行った愚行の跡を覆い隠すように広がり、風は哀しみ達に語りかけ、夏の日差しに焦げ付く大地には恵みの雨が降る。
 そして、訪れる者のいない島を慰めるように、波は一時も止まる事なくうち寄せ続けている。
 人気のない浜辺に立った時、懐かしさにも似た気持ちは感じたのは、この島に溢れている自然の優しさの中に、かつて、「人」が自然と共に暮らしていた頃の面影に出会えたからだろう。
 人の手が入っていない浜辺は、この島が出来た当時から自然と一緒に変化してきたに違いない。
 永く波に洗われ、角の取れた石に波の手によって運ばれて来たであろう海草と、貝殻。
 ひとつひとつに愛しおしさを感じながら、さくらは追えば逃げる波へと一足、また一足と爪先を伸ばす。時には、慌てて巣穴へと戻っていく小さな蟹や、岩場にたゆたう小魚に出会う事もある。
「人工」の中に身を置くようになって、如何ほどになるのか‥‥。「人工」が嫌いなわけではないが、たまには自然と触れ合いたくなるものだ。
 子供のように無心に波を追い、誰の跡も残ってはいない砂浜に小さな足跡をつけていく。その足跡でさえも、やがて波に消されてしまう。
 自然の前の儚さが妙に嬉しくて、細面のさくらの顔に柔らかな微笑が浮かんだ。
 この島へとやって来た理由を忘れているわけではない。
 けれど、哀しい話ばかりを聞く島で、こんな優しさを見つけてしまったのだ。砂漠に迷った者が水を見つけた時のように、太陽に焼け付いた砂がどんよくに水を吸い込むように、心ゆくまで味わってみたかった。
 ほんの一時‥‥と、同行者達に心の中で詫びて、さくらはもう一足、波へと爪先を伸ばした。
 波頭を捕らえる寸前に、からかうように引いて行く波。濡れた砂の上に落ちたさくらの爪先に触れるか触れないかの場所に、その小瓶は埋まっていた。
 まるで、波が隠していた宝物をさくらにだけ見せてくれたような錯覚さえ起こしてしまう。
 何気なしに、さくらはその宝物を手に取った。以前は透明だったであろう硝子の表面は、砂に擦られて白く濁っていた。その中に、丸められた白い紙を見つけて、さくらの笑みが深くなった。
 いつか、誰かの手に届くようにと瓶の中に手紙を入れて流したという話はよく聞く。
 それが思いも寄らぬ出会いをもたらす事もあるという。この手紙の主は、何を願いながらこの瓶を流したのだろうか。誰もいない海岸に埋もれてしまっている事を知る由もないだろう、手紙の主は、今頃は返事が戻って来る時を楽しみにしているのだろうか‥‥。
 きつく封じられたコルクの栓を抜き、さくらは手の中に手紙を取り出した。
 癖のついてしまった紙を広げ、手紙を読み進めるさくらの表情に驚きが生まれる。今にも消えそうな青いインクで書かれた辿々しい言葉。所々、補うように走り書きされた単語はアルファベットである。全ての意味を読みとる事は出来なかった。
「‥‥恐らくは‥‥この島に連行された外国の方でしょうか‥‥」
 モウスグ、コワイガ来ル‥‥。
 その言葉で始まる手紙。
 居たたまれない思いに、胸の中、小さな針で刺された痛みが走る。
 消えてしまったのか、インクが切れそうなペンで書いたのか、差出人の名前を記した箇所はMaとだけ残されてしまっていた。走り書きの単語がどこの国のものかも分からない為、読み解く事も不可能だ。
「一樹様ならば、読めるかもしれませんね‥‥。でも‥‥」
 自分が居候をしている骨董屋の主人を思い浮かべながら、さくらは手元の手紙へと視線を戻した。
「でも、これは‥‥」
 読み解ける部分だけを拾い出してみると、差出人は誰かに会いたいと書いてある。そして、自分は森で待っていると‥‥。
 小さな島である。森と呼べる原生林はいくつかあるが、この海岸にほど近い場所には1つだけ。そして、その森から清水が海へと流れ込む川と呼ぶにはささやかな流れがある。
 もし、森からこの小瓶を流れに乗せたとするなら、波に押し返されてこの砂浜に辿りつく可能性は高い。森が違うのであれば、他の森を探せばいい。
「‥‥もし、この方が死霊となってもずっと誰かを待っておられるのであれば‥‥」
 救ってやりたい。
 一樹が出会った港の少女のような哀しい魂を。
 きゅっと唇を噛んで、さくらは決意の籠もった眼差しを森へと向けた。
 見つからないならばそれでもいい。ただ、今は、自分に出来る事をするまでだ。
 さくらは、爪先を森へと向けた。
 
●送り火
 長らく放棄されていた島の、しかも原生林にちゃんとした道などあるはずもない。
 けれども、さくらは迷いなく、足下が覚束無い森へと分け入った。
 葉が揺れる度に、葉陰で涼んでいた虫達が飛び立つ。鬱蒼とした木々の枝を避け、長く伸びた蔦や草を掻き分けて森の奥へ向かってどれほどの時間が過ぎたのだろうか。
 突然に、さくらの目の前の空間が開けた。
 それまで、湿度とまとわりつく葉と虫とに気温以上に暑く感じていた空気が、急激に下がった心地がした。岩場の間を流れていく清水のせせらぎが涼しさを感じさせるのかもしれない。
 一息つこうと清水へと近づいたさくらの視界の隅を過ぎる大樹の剥きだしになった根。いくつもの根が岩を抱き込むように絡み合っているその上に、金色の光がある。
 その光が、木漏れ日に反射する蜂蜜色の髪だと気付くまで、ほんの数瞬だった。
「貴女は‥‥」
 透けるほどに青白い肌をした少女。どこか虚ろな視線はさくらを素通りし、止まる事のない川の流れを見つめていた。海へと、外の世界へと続く流れを。
「‥‥この手紙は‥‥貴女が?」
 よく見えるようにと掲げた小瓶と手紙に、少女の瞳に微かな光が戻って来る。
−‥‥テ‥‥ガミ‥‥
「ええ、手紙です。どなたかに会いたいと書かれております」
 ゆっくり、ゆっくりと、少女の首が動く。さくらとその手の中にある物へと視線を向けた少女の溜息に似た呟きが漏れたのは、森を吹き抜ける風がいくつも通り過ぎた後の事。長くて短い、空白の時間が過ぎて少女は手で顔を覆った。
−‥‥Mutti‥‥
「‥‥むってぃ?」
 どこかで聞いた事がある単語だった。そう、あれはいつだったか‥‥。外国の子供が、母親に向かって呼びかけていた言葉だ。
「‥‥お母様の事ですか?」
 さくらの言葉に返る肯定の頷き。
−愚かな‥‥。
 その頷きに、さくらが心中で呟いたのは、目の前にいる少女に対してのものではない。
 こんなに幼い、まだ母を恋しがる年頃の少女を愚行の犠牲にした「人」に対するものである。「人」でなくとも、過ちを犯す事はある。だが、それが権力と結びつき、正当な事として罷り通った場合、どれほどの人々に「哀しみ」を与えてしまうのか‥‥。
 辛そうに顔を歪めて、さくらは少女へと歩み寄った。苔で滑る根に注意深く足を置き、少女の隣へと腰かける。少女は、怯える素振りを見せなかった。
 その、空気が形を持ったような質感の小さな手に、さくらは手紙を握らせた。
「‥‥貴女の名前でしょうか?」
 消えかけていた文字を指すと、再び肯定が返る。
「長い年月の間に、読めなくなってしまったようですね‥‥。教えて頂けますか?」
−‥‥‥‥Margarete‥‥
 戸惑いの後の呟きに、さくらは何度かその名を繰り返した。久しぶりに呼ばれる自分の名に、少女は肩を震わせた。
「‥‥マルガレーテ‥‥。貴女はお母様が来て下さる日を、ずっと待っていたのですね‥‥」
 薄くなった文面を指先でなぞると、さくらは静かに尋ねる。そうと確信していたけれど、彼女自身の口から聞きたいと、そう思ったのだ。
−‥‥ア‥‥イタイ‥‥Mutti‥‥
 ぐしゃりと、少女の顔が歪む。死した時そのままに、母を待ち続けていた死霊の少女が、生きている者と何ら変わる事のない感情を顕わにする。
 感情の全てが爆発したかのように、しゃくり上げて泣き出したマルガレーテの実体感の感じられない体を抱き寄せるさくらの胸の内に、押さえきれない怒りが沸き上がった。
 こんな幼い少女を母の元から引き離した愚か者達への怒り。
 母と引き離された時、彼女はどれほど心細かったのだろうか。見知らぬ異国で、たった1人でどれほどに辛かっただろうか‥‥。死の、その直前まで、どれほど‥‥。
 そして、彼女の母も、連れ去られた娘の身を案じ、無事に戻って来る事を祈り続けたのであろうか。
「‥‥マルガレーテ‥‥」
 彼女の魂を母の元に返す為には、あの忌まわしい怨霊機を封じなければならない。さくらは、その為にこの島へとやって来た。今も、その気持ちに変わりはない。
 だが、それまでの間、マルガレーテは、またここで1人きりになってしまうのか。
 少女の体に回したさくらの手に力が籠もる。
「私を信じてくださいますか?」
 蜂蜜色に縁取られた少女の頬を両手で包んで、さくらは尋ねた。
 怪訝そうに見上げる青い瞳が、さくらの瞳と出会う。
 しばしの沈黙の後、マルガレーテははっきりと肯定の頷きをさくらへと返した。
「ありがとうございます‥‥」
 もう一度、幼い少女を抱き締める。
 出会って間もない相手を、素性の分からない自分を信じるという少女の髪に頬を寄せると、さくらは瞳を上げた。
 夏の青空を、雲が瞬く間に灰色へと塗り替えていく。夕立でも来るのであろうか。
−‥‥降ってください‥‥。
 この島に残る哀しい心に、僅かでも潤いを‥‥。
 そう祈りながら、さくらは空へと左の手のひらを向けた。
 手のひらに燃え上がる暖かな色をした炎。
「大丈夫。‥‥マルガレーテ‥‥炎の中に、誰の姿が見えますか?」
 一瞬だけ怯えた少女を宥めるよう、優しく背を擦るさくらの手に促されるままに、マルガレーテはさくらの手から僅かに宙へと浮いた炎を見つめた。
 その中、浮かび上がるのは‥‥‥
−‥‥Mutti‥‥‥
「ええ、あなたのお母様です」
 炎へ手を伸ばそうとする少女へ、さくらは穏やかな笑みを浮かべて言葉を続ける。
「マルガレーテ、貴女をこの島から解放してあげられる時まで、ゆっくりとお休みなさい‥‥。貴女は、もう泣かなくてもいいのですよ」
 それは、まるで子守歌のように、低く柔らかく死霊となった少女へと届く。
「怖いものは、私が貴女の近くへ近づけさせませんから、貴女は‥‥」
 炎を抱くように、マルガレーテの手が伸びた。同時に、怨霊機の力で魂が具現化させられた‥‥偽りの体が燃え上がる。
「どうか‥‥柔らかな夢の中で‥‥お眠り下さい‥‥」
 狐火に包まれた少女がさくらを振り返った。
−ア‥‥‥‥リガト‥ウ‥‥
 泣いているようにも笑っているようにも見える、はにかんだ笑顔が心へと焼き付く。
 そして、島に魂を縛られた少女は、彼女にだけ見える母の懐に抱かれてしばしの眠りについた‥‥。
−‥‥怨霊機の力から解放されたなら、きっと‥‥本当のお母様に会えますから‥‥。
 静寂の戻った森の中、風が一際強く木々を揺らした。
 ぽつり、ぽつりと天から落ちる雨粒がその葉に当たって音を立て始める。
「‥‥その日は、そう遠くありませんから‥‥」
 哀しい少女が最後に見せた笑顔を思い返しながら、さくらは静かに目を閉じた。