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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


飛べない小鳥
●オープニング
 鳥になってどこか知らない世界に飛んで行きたい。
 それが北山つぐみの幼い頃からの願いだった。
 つぐみという名は、亡くなった母が付けてくれたそうだ。ツグミのように己の翼で羽ばたき、望んだ夢にたどりつけるように、願いをこめて。
 だが結局つぐみは飛べなかった。彼女の小さく繊細な翼にとって、この世界はあまりにも厳しく冷たすぎたから。
 だからあの日の放課後、つぐみは校舎の屋上から飛び立った。十六年間苦痛だけを与え続けたこの世界に別れを告げ、母の待つ世界へ旅立つために。
 しかし……。
 目を覚ましたつぐみが見たのは、救急車で運ばれる自分の姿だった。彼女の身体を乗せた救急車が、野次馬を追い払うように激しくサイレンを鳴らして走り去っていく。
 呆然とその様子を見送りながら、つぐみはようやく悟った。自分が魂だけの存在……幽霊になったことに。
 それでも最初、つぐみは絶望しなかった。こうして魂が存在するなら本当に母に会うことが出来るかもしれない。そしてあの空の上の世界で、誰にも邪魔されず二人で……。
 だが次の瞬間、つぐみの背筋をゾクリと悪寒が走った。気づいたのだ、自分が空の上の世界に行く方法など何も知らないことに。
 試しに軽くジャンプしてみた。しかしほんの少し飛び上がるだけですぐ地面に着地してしまう。恐怖にかられて無茶苦茶に手足を動かす。それでも体は浮かない。つぐみはバランスを崩して校庭に倒れた。
 その拍子に口の中に砂利が入る。体の重さ、砂利の感触、すべてが生身の頃と同じだった。ただひとつ、砂利の味を全く感じないこと以外は。つぐみは味のない砂利を噛み締めて泣いた。
 それから三日。つぐみはただ校庭の片隅でひざを抱え続けている。
 いずれ天使か死神が迎えに来るかもしれないという淡い期待も、今はもう捨てた。
 自分はこのまま永久に地上に縛られ続けるのだろうか? 誰の目にも映らず、誰の耳にも声が届かないまま……。
 恐怖と絶望に視界が歪んだそのときだった。つぐみは誰かが自分の前に立っているのに気づいた。
 まさか自分が見えるのだろうか? いや、そんなはずない、一番仲が良い友達さえ気がついてくれなかったのに。
 しかしつぐみの困惑をよそに、その人はひざを折ってまっすぐ彼女の目を見つめた。
「もしかして……私が見えるの?」
 恐る恐るたずねるつぐみに、その人が優しく微笑んで名刺を差し出す。
 名刺にはこう記されていた。『草間興信所』と。

●記憶
 火をつけた線香から、薄い煙が立ち昇る。
 守崎啓斗(もりさき・けいと)は目を閉じて仏壇の上の遺影に手を合わせた。
 写真の中から穏やかに微笑み返す女性、それが啓斗の母親だ。生前の母はあまり写真を好まない人だったらしい。だから啓斗はほとんどこの写真でしか母を知らない。
「北斗、北斗もたまには母さんにあいさつしろよ」
 啓斗はとなりの台所で冷蔵庫を漁る双子の弟、守崎北斗(もりさき・ほくと)に声をかけた。北斗はサンドイッチを頬張ったまま、振り向きもせずに答える。
「ひーよ、めんどふさい」
「北斗!」
 啓斗に一喝され、北斗はようやくサンドイッチを飲み込んでから答え直した。
「いいよ、面倒くさい。そういうのは兄貴の役目だろ。それに俺、線香の匂いってあんま好きじゃないし」
「そういう問題じゃないだろうが。おまえちょっと薄情すぎるぞ」
「しゃーないじゃん、だって俺、おふくろのことなんて何も覚えてねえし。それに――」
 北斗はそこでいったん言葉を切ってニヤリと笑った。
「それに説教ママゴンなら、兄貴ひとりで十分だしな」
「北斗!」
 啓斗の怒鳴り声を避けるように、北斗は素早く自分の部屋に逃げ込んだ。まもなくステレオから重低音のサウンドがあふれ出す。
 啓斗は小さくため息をついた。
 母親が亡くなったのは、まだ二人に物心がつく前のことだ。元々あまり体が丈夫ではなかったらしい。だから本当のことを言えば、啓斗も北斗と同様、母の記憶と呼べるものは何ひとつ持っていなかった。
 でも、だからこそ、母とのつながりを大切にしたい。啓斗はいつからかそう思うようになっていた。特に今の仕事を始めてからは、欠かさず報告をするように努力している。自分たちが命にかかわる危険な仕事をしているという事実を、忘れないためにも。
 母さん、やっぱり母さんもどこかで俺たちを心配してるのかな?
 だが問いかけても、写真の中で母はただいつもの笑顔で微笑み返すだけだ。
「何やってんだろ、俺」
 啓斗が自嘲的に呟いたそのとき、電話が呼び出し音を鳴らした。
「はい、守崎です」
「どうした、あまり元気がなさそうだな」
 からかうような口調に、聞き覚えがあった。草間興信所の所長、草間武彦だ。
「君たち兄弟の力が必要なんだが……大丈夫か?」
「ええ、もちろん」
 啓斗は刹那に感傷的な気分を吹き飛ばし、電話口に力強くうなずいてみせた。

●すれちがう想い
「うわ、ボロっちい寺だな」
 ヘルメットを脱いだ北斗が茶化すように口笛を鳴らした。
 二人は北斗のバイクで、草間武彦に電話で指定された場所に到着した。それが都会の影でひっそりと時を止めたような、この古寺だったのだ。今は管理する者もいないのか、雑草なども伸び放題になっている。それにもかかわらず空気だけがピンと張り詰め、奇妙な緊張感をあたりに漂わせているのが不思議だった。
 啓斗は北斗にヘルメットを渡し、半ば傾いた門をくぐった。境内にはまだ人影はない。
「なんだよ兄貴、まだ誰も来てねえじゃんか」
「ああ、俺たちが一番乗りみたいだな」
 草間の話では、依頼人はある人物と共にこちらに向かっているらしい。啓斗の力で依頼人の母の霊を呼び出し、依頼人に生きる勇気を取り戻させる。それが啓斗たちが呼び出された理由だ。この場所が指定されたのも、ここが都内でも有数の霊的スポットだからだ。
「あーあ、でも辛気くさい仕事だよな。死にたいヤツは勝手に死なせとけばいいのに」
「そういう言い方はないだろ」
 北斗のあきらかにやる気がない言い方に、啓斗はムッと眉を歪めた。
「だいいち依頼人はまだ完全に死んじゃいない。望みを満たせば、肉体を離れた魂を元の場所に戻せるかもしれないんだ」
「だったらなおさら、こんなまわりくどいことする必要なんかねーじゃん。甘やかしすぎだと思うぜ」
「いい加減にしないか、北斗!」
「なんだよ、兄貴こそヘンに物わかりのいいフリしやがって!」
 今日の北斗はやけに突っかかってくる。二人の間に険悪なムードが立ちこめたそのときだった。
「やあ、二人とも」
 境内に涼やかな男の声が響いた。門の陰から長身痩躯の青年が現れる。青年の背後には陽炎のように揺らめく少女の姿もあった。
「空木栖さん……でしたよね」
 どうやら不毛な口論は避けられそうだ。啓斗の声にホッとした響きが混じる。男の名前は空木栖(うつぎ・せい)。啓斗たち兄弟は以前、朧での事件で栖と行動を共にした経験があった。
「ああ。急に呼び出してすまなかったね、啓斗君。北斗君もありがとう」
 栖が二人に親しげな笑顔を向ける。だが話を中断されたことがよほど不満だったのか、北斗は返事もせずに栖からあからさまに視線をそらした。
「あの、そちらが北山つぐみさん、ですね?」
 弟の非礼をとりつくろうように、啓斗は慌てて話を先に進めた。
 突然話の中心に引き出されて驚いたのか、少女――依頼人の北山つぐみは怯えたように後退さった。栖に促されて、ようやく前に出てペコリと頭を下げる。
「お願いします、私、どうしても母に会いたいんです」
「啓斗君、彼女の母親をここに呼び出せるかい?」
「ええ、もちろん。これだけ霊力が満ちた場所なら問題ないはずです」
「俺はお断りだね」
 不意に異議を挟んだのは北斗だった。
「なんで俺たちがそんな面倒なことしなきゃならねえんだよ。そいつの身体、まだ生きてんだろ? だったら引っ叩いてでも身体に戻してやればそれで済むじゃねえか」
 北斗の口調は、さっきまでの言い争いをそのまま引きずるように厳しい。
「北斗! お前、さっきからどうかしてるぞ!」
「悪かったね、俺はどうせ兄貴やそこの兄ちゃんみたいにお優しくないんでね。なあ、あんた――」
 北斗はつぐみに鋭い視線を投げつけた。
「俺はあんたみたいなヤツが大嫌いなんだよ。自分だけが辛い目にあってるみたいな顔しやがって、冗談じゃねえ」
「北斗、おまえ!」
 啓斗は思わず拳を振り上げた。たしかに北斗はその言動から誤解されることも多いが、決して進んで人を傷つけるような人間ではない。少なくとも啓斗はそう信じていた。だが今の北斗はつぐみに対して敵意をむき出しにしている。
 いや、それだけではない。北斗は明らかに怒っていた。だが啓斗には北斗がなぜ、何に対して怒っているのかがわからない。そしてその事実が、北斗の怒りをさらに大きくしているようだった。
 ――クソッ、どうしちまったんだよ、北斗!?
 だが啓斗が衝突を覚悟したそのとき。
「いいんです!!」
 境内につぐみの声が響いた。先ほどのおどおどした様子からは想像できないほど、凛とした声だった。
「いいんです、その人の言うとおりですから」
 つぐみは啓斗をなだめるように穏やかな声でもう一度繰り返すと、北斗の方に正面から向き直って続けた。
「ゴメンなさい、あなたが怒るのも当然だと思います。でも、でも私、本当に自分でもどうしようもないくらい弱虫だから、だから……」
 つぐみの瞳にうっすらと涙がにじむ。それでもつぐみは、目をそらすことなく、北斗の目をまっすぐに見ながら続けた。
「甘えてるのは十分わかってます。でも、それでも私、母に会いたいんです。母に会って勇気をもらいたいんです。みっともなくても不格好でも、今度こそ自分の翼で羽ばたけるように勇気をもらいたいんです。だからお願いです、私に力を貸して下さい!」
 つぐみは一気にそう言い切ると、地面に髪が着きそうなほど深々と頭を下げた。
「北斗君、誰もが君や啓斗君のように最初から強いわけじゃない。強くなるためのきっかけを必要としてる人だっている。俺からも頼む、彼女に力を貸してやってくれないか?」
 栖がつぐみの肩に手をかけ、自らも北斗に深々と頭を下げた。
 北斗はそんな二人を、毒気を抜かれたようにポカンと見つめている。
「北斗」
 啓斗は促すように北斗の目を見つめた。
「……わかったよ、やればいいんだろ」
 北斗の中で、何かが吹っ切れたようだ。北斗は照れ隠しにクシャクシャと髪をかき混ぜながら、赤い顔で小さく、だがしっかりとうなずいてみせた。

●伝言
 みなの視線を一身に浴びながら、啓斗は胸の前で印を結んで低く呪文を唱え始めた。
 呪文の詠唱と共に、緑色の瞳が輝きを増していく。
 だが次の瞬間、啓斗は不意に印を解き、肩を落としてフッと息を吐き出した。
「ダメだ、呼びかけてもまるで反応がない」
「……反応が、ない?」
 問い返す栖に、北斗が代わりに答えた。
「要するに失敗ってことだよ。こいつの母ちゃんはもうとっくに転生しちまったか、それともよっぽどこいつに会いたくねえと思ってんのか」
 会いたくない、という言葉に反応してつぐみがビクンと肩を震わせる。
「北斗!」
「な、なんだよ兄貴、俺はただ本当のことを言っただけじゃねえか」
 今回はただの失言らしい。啓斗が厳しい視線を向けると、北斗は明らかにうわずった声で反論した。
「いや、どっちも不正解だな」
 そのとき、一人の男がいきなり会話に割り込んできた。
 全員がハッと男の方を振り向く。
「……おっさん、テメェ何者だ?」
「ったく、ガキが慌てるんじゃねえよ」
 今にも飛びかかりそうな北斗を無視して、男は栖の前に立った。おそらく数々の修羅場で鍛えられてきたのだろう、鋼のように揺るぎない空気をまとった男だった。
「俺は陣内十蔵(じんない・じゅうぞう)。草間の小僧におまえらのことを聞かされてな」
「あなたが、あの……。でも、どうしてここに?」
「俺も嬢ちゃんの件で依頼を受けたのさ、おまえらとは別口だがな。今も病院で嬢ちゃんの身体と対面してきたところだ」
 その名前には、啓斗もたしかに聞き覚えがあった。草間興信所に出入りする者の中に、元刑事の私立探偵がいると。
「さっきの言葉、どういう意味ですか?」
 啓斗はまだ少し警戒を残しながら、十蔵に問いかけた。
「そのままだ。つぐみの母親を召還できなかったのは、転生しちまったからでも、つぐみに会いたくないからでもねえ。魂が最初から別の場所にいたからだ」
「別の……場所?」
「ああ、こいつの中にな」
 十蔵はそう言ってポケットから何かを取り出した。
 それは髪留めだった。小鳥をかたどった銀細工の髪留めだ。
 つぐみがハッと息を飲む。
「こいつはつぐみの父親から預かったもんだ。つぐみの母親はこの中にいる。死んでから今日まで、ずっとな」
「まさか、そんなことが!?」
「強い想いが魂をこの世に留めることは、別に珍しくなんかねえ。つぐみの母親は娘の側で成長を見守ることを望み、そして願いは叶えられた」
「もしかして、つぐみさんがこうしてここにいるのは……」
 栖の問いかけに、十蔵は重々しくうなずいてみせた。
「ああ、母親が必死で魂をつなぎとめようとしてるからかもしれねえな」
 しばしの間、誰もが言葉を失っていた。
 つぐみの反応からも、十蔵の言葉に嘘があるとは思えなかった。色を待たない霊体であるはずのつぐみの顔が、今は明らかに青ざめて見える。
「なあ、嬢ちゃん」
 十蔵は真正面からつぐみを見つめた。鋭い視線がつぐみの不安げな瞳を射抜く。
「自殺ってのは、この世から逃げ出すことだ。だがな、どこまで逃げ続けても天国になんか永久にたどりつけねえぞ。そいつは自分の世界で歯を食いしばってがんばった奴だけが行ける場所だからだ。ましてやそこで母親と二人で暮らすなんて甘ったれた夢、叶うはずがねえ」
 十蔵はそこで言葉を切り、銀の髪留めをつぐみの目の前に突き出した。
「おまえがこの世で幸せになる、それがおまえの母親の唯一の願いだからだ。そいつを伝えるために、俺はここに来た」
「お母さん。お母さんが、この中に……」
 つぐみが震える手を髪留めに伸ばす。
 だがつぐみの手が髪留めに届きかけたそのとき、にわかに現れた暗雲が陽を覆い隠し、黒い風がザッと境内を吹き抜けた。つぐみの背後の空間が裂け、闇が無数の触手となってあふれ出す。
「いけないっ!」
 とっさに反応したのは栖だった。振るった右腕の動きに合わせて、紅蓮の炎が闇を薙いだ。炎に包まれた触手が、異臭を放ちながらボトボトと焼け落ちる。
 しかしそれでも闇の勢いは衰えない。すぐに新しい触手を伸ばし、つぐみの霊体に次々と絡みつく。
「離しやがれっ!!」
「待つんだ、彼女の魂まで傷つける!」
 短刀を抜き放った北斗の前に、栖が立ちはだかる。
 そのわずかな隙に、闇はつぐみを空間の裂け目に一気に引きずり込んだ。次の瞬間にはもう、つぐみのかすかな悲鳴だけを残して、空間の裂け目は跡形もなく消え去ってしまっていた。

●覚悟
「彼女は長時間、霊体でいすぎたんだ。生を呪う亡者共に目をつけられ、道連れに連れ去られた」
 栖は無念さを押し殺すように唇をかみしめた。
「なんだよ、こんな終わり方ってありなのかよ!」
 北斗がやり場を失った拳を地面に叩きつける。
「いや、まだだ」
 重苦しい沈黙を破ったのは十蔵だった。
「嬢ちゃんの魂が完全に冥界に飲み込まれちまったら、もう手の出しようはねえ。だがその前に魂をこっちに連れ戻すことができれば、あるいは……」
「でも、どうやって?」
「おい小僧、たしかおまえは魂をむこうに送ることができるんだよな」
 地面にひざをついてうつむいたままの北斗に、十蔵は言った。北斗がハッと十蔵の顔を見返す。
「おっさん、あんたまさか!?」
「ああ、そのまさかだ。嬢ちゃんがひとりで戻れねえなら、誰かが迎えに行ってやればいい」
「ムチャだ、生きた人間の魂をむこうに送るなんて聞いたことがない! 第一どうやって戻る気なんですか!」
 すぐさま反論する啓斗に、十蔵がニヤリと笑みを返す。
「だからおまえの力が必要なんだろうが。俺が嬢ちゃんの魂を奪い返したら、すぐに俺たちを呼び戻すんだ。いいな?」
「それなら俺が代わりに行きます」
「いや、おまえはここに残って啓斗の手助けをしてやってくれ。俺はそういうのはどうも苦手でな」
 栖の申し出に、十蔵は頭をかいてみせた。
 それから再び北斗に視線を戻す。
「どうする小僧、あとはおまえ次第だ。それともビビっちまったか?」
「ヘッ、おっさんこそどうなっても後悔すんなよ」
 北斗は不敵な笑みで十蔵に答えた。

●祈り
 北斗の瞳が青い輝きを放った。
 その輝きを真正面から受け止めた十蔵の身体が、グラリと傾く。前のめりに倒れる十蔵の身体を栖が抱き止め、草の上にそっと寝かせた。
「どうやら、うまくいったようだね」
 栖の言葉に、啓斗は緊張した面持ちでうなずいた。
 そのとき、何でもない軽い調子で北斗の声が響いた。
「じゃあ兄貴、後は頼んだぜ」
 啓斗が振り向いたとき、北斗は髪型でも直すように手鏡を構えていた。その本当の意味に啓斗が気づいたのは、すべてが実行に移されたその後だった。
 青い輝きが鏡に反射して、北斗自身の瞳を射抜く。次の瞬間、北斗の身体は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「北斗!」
 啓斗は弾かれたように北斗に駆け寄った。
「北斗、北斗! 戻ってくるんだ、北斗っ!」
 両手で胸倉をつかみ、力任せにガクガクと揺する。だが北斗の身体からは、もう何の反応も感じられなかった。
「落ち着くんだ、啓斗君」
「落ち着けるわけないだろっ!」
 止めに入った栖の手を、啓斗は乱暴に振り払った。火の出そうな激しい眼差しを栖にぶつける。だが栖は何も言わず、無言で啓斗の視線を受け止め続けていた。
「……すみません、怒鳴ったりして」
 啓斗は唇を噛んで目を伏せた。
「いいんだよ。残される側の気持ちは、俺もよく知ってるつもりだから」
「空木さん?」
 栖の言葉に、どこか寂しげな響きが混じる。
 栖はしばし目を閉じると、自分自身に言い聞かせるように言った。
「とにかく今は落ち着いて二人からの連絡を待つんだ。大丈夫、あの二人なら必ずやりとげてくれるさ。それに――」
 栖は口をつぐみ、それ以上はもう何も言わなかった。ただ栖が何か相当な覚悟を固めたらしいことだけは、啓斗にもなんとなく理解できた。
 そして永遠とも思える五分間が流れた。啓斗はいつでも二人を呼び戻せるように、右手に北斗の手を、左手に十蔵の手を、それぞれしっかりと握りしめていた。
「どうだい、まだ北斗君からは何も?」
「ええ、まだ――」
 そう首を振りかけたとき、啓斗はかすかに北斗の声を聞いた気がした。
「すまねえ、兄貴」と。
 それと同時に、猛烈な痛みと吐き気が全身を襲う。
「啓斗君、北斗君が何か!?」
「わかりません、かすかに北斗の声が聞こえたと思ったら、急に……」
 啓斗は苦痛に身をよじった。まるで精神に直接爪を立てられるようだ。
「いけない、二人を早く呼び戻すんだ!」
「さっきからやってます。でも、鉛を引っ張ってるみたいで……」
 手ごたえは、かすかにある。だがそれ以上に強い力で引き返される。まるで何者かが、北斗たちに群がって冥界から這い上がろうとしているかのように。
「うわああぁっ!」
 魂を引きちぎられそうな感覚に、啓斗は思わず悲鳴を漏らした。その間にも北斗の気配はどんどん弱く、どんどん遠くなっていく。栖が何かを叫んだような気もしたが、啓斗の耳にはもう何も届きはしなかった。
 ――俺は、俺はまた大切なものを守れないのか!?
 飛びかけた意識の中で、不意に前世の苦い記憶が甦る。
 いや、ちがう! いつか北斗も言ってたじゃないか。俺たちが再び生を得たのは、辛いことも悲しいこともすべて忘れてやり直すためだと。今度こそこの手に幸せをつかむためだと。だから、だから俺は……!!
 祈りにも似た想いが頂点に達したとき、啓斗はフッと身体が軽くなるのを感じた。すべての苦痛が嘘のように消え去り、不思議な力が全身に満ちていく。自分の身体が、自分のものではなくなるような感覚。まるで、誰かが優しく支えてくれているような……。
 気がつくと、啓斗の全身は温かな光に包まれていた。啓斗はその光に導かれるままに、そっと北斗の手を引いた。土気色だった北斗の顔にサッと赤みが戻る。
「かあ……さん……」
 かすかなつぶやきと共に、北斗の頬を一筋の涙がすべり落ちていく。
 その声をどこか遠くの方に聞きながら、啓斗は意識を失った。

●青空
 心地よい風が頬を撫でていく。
「ううん」
 何かを探すようなかすかなうめき声に、啓斗はハッと飛び起きた。
 慌てて周囲を見回す。そこはあの古寺だった。すぐにそうと気づかなかったのは、降り注ぐ陽光が、先ほどまでの重苦しい雰囲気を嘘のように洗い流していたからだ。
 北斗は、啓斗のすぐ側で気持ち良さそうに寝息を立てていた。さっきの声はどうやらただの寝言のようだ。啓斗はホッと口元を緩め、起こさないように注意しながら、北斗の頭を軽く小突いてやった。
「よう、気がついたか」
「十蔵さん! 無事だったんですね?」
 声の主は十蔵だった。十蔵は苦笑しながら答えた。
「ああ、どうやらまた死に損なっちまったらしい」
「他の人たちは?」
 啓斗はそうたずねて境内を見回した。ここには自分たちと十蔵しかいないようだ。
「空木には、ちと遣いを頼ませてもらった。嬢ちゃんも今ごろは病院のベッドで目を覚ましてるだろうよ。さて、と」
 十蔵はタバコの煙をくゆらせながら立ち上がった。
「それじゃ俺もそろそろ退散させてもらうぜ。啓斗、世話になったな。そっちの小僧にもよくやったと――いや、これは伝えない方がよさそうだな」
 十蔵は苦笑して言葉を飲み込んだ。最初は強面な印象しかなかったが、こうして改めて見ると、案外情に厚い男なのかもしれない。
「お元気で」
 啓斗の言葉に軽く手を上げて応え、十蔵は去って行った。
 後には啓斗と北斗の二人だけが残された。本当はすぐに北斗を叩き起こしてもよかったのだが、幸せそうな寝顔を見ていると、そんな気も失せてしまう。
 啓斗は北斗を起こす代わりに、意識を失う直前に聞いた、北斗のあの言葉について考えてみた。あれは啓斗の聞き間違いだったのだろうか? それとも――。
「……あれ、兄貴?」
 思考の海に沈みかけた啓斗の耳に、北斗の妙に間延びした声が響いた。ようやくお目覚めらしい。ただ寝ボケているのか、自分がどこにいるのかよくわかっていないようだ。
「北斗!」
 啓斗は北斗の目の前で拳を振り上げた。殴られると思ったのか、北斗が反射的に両手で顔をかばう。啓斗はクスリと笑みを漏らし、北斗の鼻を指先でピンと弾いた。
「痛っ! いきなり何すんだよ?」
「心配かけた罰だ」
 鼻を押さえて涙目で抗議する北斗に、啓斗はすました声で答えた。
「さあ、帰るぞ」
 北斗の手を引いて起き上がらせ、先に立って歩き出す。
 北斗はその後について来ながらも、まだ小声でブツブツと文句を言っている。
 いつもどおりのやりとり、いつもどおりの二人だった。それが今の啓斗には、何よりも嬉しく感じられた。
「なあ北斗、おまえ――」
 啓斗はバイクの前まで来たとき、初めて北斗を振り向いた。でもその顔を見ているうちに何も言えなくなってしまう。今ここに、こうして二人そろっていられる。それ以上に何かを望むのはワガママのような気がしたのだ。
 啓斗は結局、無言で北斗にヘルメットを投げ渡した。
 だが。北斗はヘルメットを抱えたまま黙り込むと、不意に真顔でこう言った。
「なあ兄貴。今度の休み、おふくろの墓参りに行こうか?」
 啓斗はポカンと北斗の顔を見つめ――それからプッと吹き出した。
「な、なんだよ、俺が言うとそんなにヘンなのかよ!?」
 北斗が真っ赤になって口を尖らせる。
「悪い悪い、そうじゃなくて、ただ……」
 ただ何なのか、自分でも本当はよくわからない。わからないが、それでも啓斗はひどく満ち足りた気分だった。必死に笑い声を噛み殺しながら、澄み切った青空を見上げる。
 啓斗はまぶしい陽光の中に、たしかになつかしい笑顔を見たような気がした。

Fin
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0554/守崎・啓斗/男/17/高校生
0568/守崎・北斗/男/17/高校生
0723/空木・栖/男/999/小説家
0044/陣内・十蔵/男/42/私立探偵


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■         ライター通信          ■
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はじめまして、ライターの今宮和己と申します。
今回は『飛べない小鳥』へのご参加、ありがとうございました。
最初はわりと簡単なシナリオを予定してたんですが、みなさまのプレイング内容とPCの能力を検討した結果、思いがけず危険で長大なシナリオになってしまいました(汗)。
また他PCとの兼ね合いで思い通りに行動できなかった方もいらっしゃると思いますが、そのぶんせめて各キャラに愛情をたっぷり注いで描かせて頂いたつもりです。
少しでも気に入ってもらえれば本当に幸いです。

ではまた。どこかでお会いできることを祈りつつ。
ありがとうございました。