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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


飛べない小鳥
●オープニング
 鳥になってどこか知らない世界に飛んで行きたい。
 それが北山つぐみの幼い頃からの願いだった。
 つぐみという名は、亡くなった母が付けてくれたそうだ。ツグミのように己の翼で羽ばたき、望んだ夢にたどりつけるように、願いをこめて。
 だが結局つぐみは飛べなかった。彼女の小さく繊細な翼にとって、この世界はあまりにも厳しく冷たすぎたから。
 だからあの日の放課後、つぐみは校舎の屋上から飛び立った。十六年間苦痛だけを与え続けたこの世界に別れを告げ、母の待つ世界へ旅立つために。
 しかし……。
 目を覚ましたつぐみが見たのは、救急車で運ばれる自分の姿だった。彼女の身体を乗せた救急車が、野次馬を追い払うように激しくサイレンを鳴らして走り去っていく。
 呆然とその様子を見送りながら、つぐみはようやく悟った。自分が魂だけの存在……幽霊になったことに。
 それでも最初、つぐみは絶望しなかった。こうして魂が存在するなら本当に母に会うことが出来るかもしれない。そしてあの空の上の世界で、誰にも邪魔されず二人で……。
 だが次の瞬間、つぐみの背筋をゾクリと悪寒が走った。気づいたのだ、自分が空の上の世界に行く方法など何も知らないことに。
 試しに軽くジャンプしてみた。しかしほんの少し飛び上がるだけですぐ地面に着地してしまう。恐怖にかられて無茶苦茶に手足を動かす。それでも体は浮かない。つぐみはバランスを崩して校庭に倒れた。
 その拍子に口の中に砂利が入る。体の重さ、砂利の感触、すべてが生身の頃と同じだった。ただひとつ、砂利の味を全く感じないこと以外は。つぐみは味のない砂利を噛み締めて泣いた。
 それから三日。つぐみはただ校庭の片隅でひざを抱え続けている。
 いずれ天使か死神が迎えに来るかもしれないという淡い期待も、今はもう捨てた。
 自分はこのまま永久に地上に縛られ続けるのだろうか? 誰の目にも映らず、誰の耳にも声が届かないまま……。
 恐怖と絶望に視界が歪んだそのときだった。つぐみは誰かが自分の前に立っているのに気づいた。
 まさか自分が見えるのだろうか? いや、そんなはずない、一番仲が良い友達さえ気がついてくれなかったのに。
 しかしつぐみの困惑をよそに、その人はひざを折ってまっすぐ彼女の目を見つめた。
「もしかして……私が見えるの?」
 恐る恐るたずねるつぐみに、その人が優しく微笑んで名刺を差し出す。
 名刺にはこう記されていた。『草間興信所』と。

●願い
 台所で冷蔵庫を漁っていると、となりの居間から線香の匂いが漂ってきた。
 守崎北斗(もりさき・ほくと)はわずかに眉を寄せ、ようやく見つけた獲物のサンドイッチにかじりついた。
 案の定、間髪置かずに兄の守崎啓斗(もりさき・けいと)からお呼びがかかる。
「北斗、北斗もたまには母さんにあいさつしろよ」
「ひーよ、めんどふさい」
 北斗はサンドイッチを頬張ったまま、振り向きもせずに答えた。
「北斗!」
 啓斗に一喝され、北斗は仕方なく口の中を空にしてから答え直した。
「いいよ、面倒くさい。そういうのは兄貴の役目だろ。それに俺、線香の匂いってあんま好きじゃないし」
「そういう問題じゃないだろうが。おまえちょっと薄情すぎるぞ」
「しゃーないじゃん、だって俺、おふくろのことなんて何も覚えてねえし。それに――」
 北斗はそこでいったん言葉を切ってニヤリと笑った。
「それに説教ママゴンなら、兄貴ひとりで十分だしな」
「北斗!」
 啓斗の怒鳴り声を背中に聞きながら、北斗は素早く自分の部屋に逃げ込んだ。ドアの鍵を閉め、ステレオの電源を入れる。まもなくあふれ出した重低音が、すべての雑音をかき消してくれた。
「ったく、兄貴は真面目すぎるんだよな」
 北斗はベッドに身を投げ出して浮かない顔でつぶやいた。
 北斗は母親の顔を写真でしか知らない。北斗が物心つくころにはもう母は亡くなっていたからだ。元々あまり体が丈夫ではなかったらしい。
 もちろん北斗だって自分を生んでくれた母には感謝の念を抱いている。しかしその一方で、いきなり遺影だけを見せられてこの人が母だと言われても、正直ピンと来ないものがあるのも事実だった。
 双子の兄である啓斗にも、もちろん母の記憶はないはずだ。なのに啓斗は事あるごとにああして母の遺影に手を合わせている。
 考えすぎかもしれないが、弟の目から見れば、どうしてもそこに啓斗の生真面目で何でも背負い込んでしまう性格が表れているように見えてしまう。
 普段から少しでも兄の負担を減らしてやりたいと願う北斗としては、母自身には何の責任もないと頭では理解しながらも、自然と母から心が遠のいてしまうのだった。
 それに母の件は抜きにしても、北斗は最近の啓斗にある種の危惧を感じていた。
 依頼にのめり込みすぎるのだ。元々この仕事を始めたのは、前世の記憶に縛られる啓斗の意識を外に向けさせるためでもあった。だが啓斗は依頼を通して自分を解き放つどころか、ますます多くのものを背負い込んでいるように見える。
「頼むから、みんな兄貴をそっとしといてやってくれよ……」
 だが北斗のそんな願いが天に届く間もなく、草間からの電話が新しい依頼を告げた。

●すれちがう想い
「うわ、ボロっちい寺だな」
 北斗はヘルメットを脱ぐと、茶化すように口笛を鳴らした。
 二人は北斗のバイクで、草間武彦に電話で指定された場所に到着した。それが都会の影でひっそりと時を止めたような、この古寺だったのだ。今は管理する者もいないのか、雑草なども伸び放題になっている。それにもかかわらず空気だけがピンと張り詰め、奇妙な緊張感をあたりに漂わせているのが不思議だった。
 北斗は愛車にチェーンを巻きつけると、兄に続いて半ば傾いた門をくぐった。境内にはまだ人影はない。
「なんだよ兄貴、まだ誰も来てねえじゃんか」
「ああ、俺たちが一番乗りみたいだな」
 草間の話では、依頼人はある人物と共にこちらに向かっているらしい。啓斗の力で依頼人の母の霊を呼び出し、依頼人に生きる勇気を取り戻させる。それが二人が呼び出された理由だ。この場所が指定されたのも、ここが都内でも有数の霊的スポットだからだ。
「あーあ、でも辛気くさい仕事だよな。死にたいヤツは勝手に死なせとけばいいのに」
「そういう言い方はないだろ」
 北斗の投げやりな言葉に、啓斗がムッと眉を歪めた。
「だいいち依頼人はまだ完全に死んじゃいない。望みを満たせば、肉体を離れた魂を元の場所に戻せるかもしれないんだ」
「だったらなおさら、こんなまわりくどいことする必要なんかねーじゃん。甘やかしすぎだと思うぜ」
「いい加減にしないか、北斗!」
「なんだよ、兄貴こそヘンに物わかりのいいフリしやがって!」
 どうしてこんな言葉が次々と出てくるのか、北斗は自分でも不思議だった。
 もちろん兄をまた厄介な依頼に関わらせてしまったことへの苛立ちもある。だがそれだけでは説明できない何かが、北斗を衝き動かしていた。北斗は自分でも望まぬまま、啓斗と睨み合っていた。そして二人の間に険悪なムードが立ちこめたそのとき。
「やあ、二人とも」
 境内に涼やかな男の声が響いた。門の陰から長身痩躯の青年が現れる。青年の背後には陽炎のように揺らめく少女の姿もあった。
「空木栖さん……でしたよね」
 第三者の登場で緊張が解けたのか、啓斗がホッとしたような笑顔を浮かべた。男の名前は空木栖(うつぎ・せい)。北斗たち兄弟は以前、朧での事件で栖と行動を共にした経験があった。
「ああ。急に呼び出してすまなかったね、啓斗君。北斗君もありがとう」
 栖が北斗にも親しげな笑顔を向けてくる。だが今の北斗はそれを素直に受け止められる気分ではなかった。北斗は返事もせずに栖から視線をそらした。
「あの、そちらが北山つぐみさん、ですね?」
 弟の非礼をとりつくろうように、啓斗が慌てて話を先に進める。
 突然話の中心に引き出されて驚いたのか、少女――依頼人の北山つぐみは怯えたように後退さった。栖に促されて、ようやく前に出てペコリと頭を下げる。
「お願いします、私、どうしても母に会いたいんです」
「啓斗君、彼女の母親をここに呼び出せるかい?」
「ええ、もちろん。これだけ霊力が満ちた場所なら問題ないはずです」
「俺はお断りだね」
 気がついたときには、勝手に口が動いていた。北斗は衝動が命じるまま言葉を続けた。
「なんで俺たちがそんな面倒なことしなきゃならねえんだよ。そいつの身体、まだ生きてんだろ? だったら引っ叩いてでも身体に戻してやればそれで済むじゃねえか」
「北斗! お前、さっきからどうかしてるぞ!」
「悪かったね、俺はどうせ兄貴やそこの兄ちゃんみたいにお優しくないんでね。なあ、あんた――」
 北斗はつぐみに鋭い視線を投げつけた。
「俺はあんたみたいなヤツが大っ嫌いなんだよ。自分だけが辛い目にあってるみたいな顔しやがって、冗談じゃねえ」
 そうだ、冗談じゃない。そのときになって北斗はようやく気づいた。自分が怒っていたことに。自分のためにではなく、啓斗のために怒っていたことに。
 北斗はいつも一番側で見てきたのだ。前世の記憶という重荷を背負いながら、それでも辛いそぶりひとつ見せずに他人のために働き続ける兄の姿を。軽々しく命を投げ出す行為は、そんな啓斗の生き方を侮辱するもののように北斗には思えた。
 だから北斗は怒っていた。ただ純粋に啓斗のためだけに怒っていた。
 だがもちろん当の啓斗には、そんな北斗の想いはわからない。啓斗は今もまた、つぐみのために己の拳を震わせているのだ。その事実が、北斗にはたまらなく悲しかった。
「北斗、おまえ!」
 啓斗がとうとう拳を振り上げる。
 北斗はやり切れない想いに目を閉じた。だが次の瞬間、北斗の頬を打ったのは啓斗の拳ではなく、少女の叫びだった。
「いいんです!!」
 つぐみだった。さっきまでのおどおどした様子からは想像できないほど凛としたその声に、北斗はハッと目を見開いた。
「いいんです、その人の言うとおりですから」
 つぐみは啓斗をなだめるように穏やかな声でもう一度繰り返すと、正面から北斗を見つめた。
「ゴメンなさい、あなたが怒るのも当然だと思います。でも、でも私、本当に自分でもどうしようもないくらい弱虫だから、だから……」
 つぐみの瞳にうっすらと涙がにじむ。小さな肩は極度の緊張で震えているようだ。だがそれでもつぐみは、目をそらすことなく、北斗の目をまっすぐに見ながら続けた。
「甘えてるのは十分わかってます。でも、それでも私、母に会いたいんです。母に会って勇気をもらいたいんです。みっともなくても不格好でも、今度こそ自分の翼で羽ばたけるように勇気をもらいたいんです。だからお願いです、私に力を貸して下さい!」
 つぐみは一気にそう言い切ると、地面に髪が着きそうなほど深々と頭を下げた。
「北斗君、誰もが君や啓斗君のように最初から強いわけじゃない。強くなるためのきっかけを必要としてる人だっている。俺からも頼む、彼女に力を貸してやってくれないか?」
 続いて栖までが北斗に頭を下げる。
 北斗はそんな二人を、毒気を抜かれたようにポカンと見つめていた。
 さっきまで胸の中で激しく渦巻いていた怒りが、今は嘘のように消し飛んでいた。
「北斗」
 啓斗が促すように北斗の目を見つめる。
 もとよりつぐみ個人に恨みがあったわけではない。これ以上意地を張り続ける理由は、もうどこにもなかった。
「……わかったよ、やればいいんだろ」
 北斗は照れ隠しにクシャクシャと髪をかき混ぜながら、赤い顔で小さく、だがしっかりとうなずいた。

●伝言
 みなが緊張の面持ちで見守る中、啓斗は胸の前で印を結んで低く呪文を唱え始めた。
 呪文の詠唱と共に、啓斗の緑色の瞳が輝きを増していく。
 だが次の瞬間、啓斗は不意に印を解き、肩を落としてフッと息を吐き出した。
「ダメだ、呼びかけてもまるで反応がない」
「……反応が、ない?」
 問い返す栖に、北斗は代わりに答えた。
「要するに失敗ってことだよ。こいつの母ちゃんはもうとっくに転生しちまったか、それともよっぽどこいつに会いたくねえと思ってんのか」
 言った瞬間、自分でもしまったと思った。チラリと横目で見ると、つぐみはやはり「会いたくない」という言葉にショックを受けているようだ。
「北斗!」
「な、なんだよ兄貴、俺はただ本当のことを言っただけじゃねえか」
「いや、どっちも不正解だな」
 北斗がしどろもどろに反論したそのとき、誰かがいきなり会話に割り込んできた。
 全員がハッと声の主を振り向く。
「……おっさん、テメェ何者だ?」
「ったく、ガキが慌てるんじゃねえよ」
 いつでも飛びかかれるように短刀に手をかけた北斗を無視して、男は栖の前に立った。おそらく数々の修羅場で鍛えられてきたのだろう、鋼のように揺るぎない空気をまとった男だった。
「俺は陣内十蔵(じんない・じゅうぞう)。草間の小僧におまえらのことを聞かされてな」
「あなたが、あの……。でも、どうしてここに?」
「俺も嬢ちゃんの件で依頼を受けたのさ、おまえらとは別口だがな。今も病院で嬢ちゃんの身体と対面してきたところだ」
 その名前なら、北斗もたしかにウワサで聞いたことがあった。……中にはろくでもないウワサもいくつか混じってはいたが。
「さっきの言葉、どういう意味ですか?」
 啓斗がまだ少し警戒を残しながら、十蔵に問いかける。
「そのままだ。つぐみの母親を召還できなかったのは、転生しちまったからでも、つぐみに会いたくないからでもねえ。魂が最初から別の場所にいたからだ」
「別の……場所?」
「ああ、こいつの中にな」
 十蔵はそう言ってポケットから何かを取り出した。
 それは髪留めだった。小鳥をかたどった銀細工の髪留めだ。
 つぐみがハッと息を飲む。
「こいつはつぐみの父親から預かったもんだ。つぐみの母親はこの中にいる。死んでから今日まで、ずっとな」
「まさか、そんなことが!?」
「強い想いが魂をこの世に留めることは、別に珍しくなんかねえ。つぐみの母親は娘の側で成長を見守ることを望み、そして願いは叶えられた」
「もしかして、つぐみさんがこうしてここにいるのは……」
 栖の問いかけに、十蔵は重々しくうなずいてみせた。
「ああ、母親が必死で魂をつなぎとめようとしてるからかもしれねえな」
 しばしの間、誰もが言葉を失っていた。
 つぐみの反応からも、十蔵の言葉に嘘があるとは思えなかった。色を待たない霊体であるはずのつぐみの顔が、今は明らかに青ざめて見える。
「なあ、嬢ちゃん」
 十蔵は真正面からつぐみを見つめた。鋭い視線がつぐみの不安げな瞳を射抜く。
「自殺ってのは、この世から逃げ出すことだ。だがな、どこまで逃げ続けても天国になんか永久にたどりつけねえぞ。そいつは自分の世界で歯を食いしばってがんばった奴だけが行ける場所だからだ。ましてやそこで母親と二人で暮らすなんて甘ったれた夢、叶うはずがねえ」
 十蔵はそこで言葉を切り、銀の髪留めをつぐみの目の前に突き出した。
「おまえがこの世で幸せになる、それがおまえの母親の唯一の願いだからだ。そいつを伝えるために、俺はここに来た」
「お母さん。お母さんが、この中に……」
 つぐみが震える手を髪留めに伸ばす。
 だがつぐみの手が髪留めに届きかけたそのとき、にわかに現れた暗雲が陽を覆い隠し、黒い風がザッと境内を吹き抜けた。つぐみの背後の空間が裂け、闇が無数の触手となってあふれ出す。
「いけないっ!」
 とっさに反応したのは栖だった。振るった右腕の動きに合わせて、紅蓮の炎が闇を薙いだ。炎に包まれた触手が、異臭を放ちながらボトボトと焼け落ちる。
 しかしそれでも闇の勢いは衰えない。すぐに新しい触手を伸ばし、つぐみの霊体に次々と絡みつく。
「離しやがれっ!!」
「待つんだ、彼女の魂まで傷つける!」
 北斗は愛用の短刀を抜き放った。だがその前に栖が立ちはだかる。
 そのわずかな隙に、闇はつぐみを空間の裂け目に一気に引きずり込んだ。次の瞬間にはもう、つぐみのかすかな悲鳴だけを残して、空間の裂け目は跡形もなく消え去ってしまっていた。

●覚悟
「彼女は長時間、霊体でいすぎたんだ。生を呪う亡者共に目をつけられ、道連れに連れ去られた」
 栖が無念さを押し殺すように唇をかみしめる。
「なんだよ、こんな終わり方ってありなのかよ!」
 北斗はやり場を失った拳を地面に叩きつけた。
「いや、まだだ」
 重苦しい沈黙を破ったのは十蔵だった。
「嬢ちゃんの魂が完全に冥界に飲み込まれちまったら、もう手の出しようはねえ。だがその前に魂をこっちに連れ戻すことができれば、あるいは……」
「でも、どうやって?」
「おい小僧、たしかおまえは魂をむこうに送ることができるんだよな」
 地面にひざをついてうつむく北斗に、十蔵が問いかける。北斗はハッと十蔵の顔を見返した。
「おっさん、あんたまさか!?」
「ああ、そのまさかだ。嬢ちゃんがひとりで戻れねえなら、誰かが迎えに行ってやればいい」
「ムチャだ、生きた人間の魂をむこうに送るなんて聞いたことがない! 第一どうやって戻る気なんですか!」
 すぐさま反論する啓斗に、十蔵はニヤリと笑みを返した。
「だからおまえの力が必要なんだろうが。俺が嬢ちゃんの魂を奪い返したら、すぐに俺たちを呼び戻すんだ。いいな?」
「それなら俺が代わりに行きます」
「いや、おまえはここに残って啓斗の手助けをしてやってくれ。俺はそういうのはどうも苦手でな」
 栖の申し出に、十蔵は頭をかいてみせた。
 それから再び北斗に視線を戻す。
「どうする小僧、あとはおまえ次第だ。それともビビっちまったか?」
「ヘッ、おっさんこそどうなっても後悔すんなよ」
 北斗は不敵な笑みで十蔵に答えた。

●光
 北斗は十蔵の目を正面から見つめて意識を集中した。
 次の瞬間、十蔵の身体がグラリと傾く。前のめりに倒れる十蔵の身体を栖が抱き止め、草の上にそっと寝かせた。
「どうやら、うまくいったようだね」
 栖の言葉に、啓斗が緊張した面持ちでうなずく。
 二人の意識が十蔵に集中している間に、北斗はポケットから手鏡を取り出した。まるで髪型でも整えるように手鏡を正面に構える。
「じゃあ兄貴、後は頼んだぜ」
 北斗はごく軽い口調でそう言い残すと、手鏡に意識を集中した。
 鏡に映った自分の右目が青い輝きを放つ。
 酒にでも酔わされるような、奇妙な浮遊感。次の瞬間、北斗は跳んだ。
 そこは明け方の悪夢をそのまま具現化したような世界だった。たしかなものは何ひとつなく、すべてが不気味に脈動し、ぐにゃぐにゃと輪郭を崩壊させていく。
「うわ、寒っ」
 北斗は思わず身を丸くして自分の肩を抱いた。肌に触れる空気が凍えそうに冷たかったのだ。
 その声に反応して、誰かがギョッとした顔で振り向く。
 十蔵だった。全身がホタルのように青い光を帯びているので、薄闇の中でも北斗は簡単に十蔵の顔を見分けることが出来た。よく見ると北斗自身の体も同じように光を帯びている。
「おまえ、どうしてここに?」
「鏡を使って自分に術をかけてみたんだよ。やればできるもんだな」
 信じられないものでも見るような顔の十蔵に、北斗は自慢げに答えた。
「そんなこと聞いてるんじゃねえ! 今すぐ啓斗に戻させるんだ!!」
「嫌だね」
 鬼の形相で怒鳴りつける十蔵相手に、北斗はキッパリと言い放った。
「ただ待ってるだけなんて性に合わないんでね。第一おっさんこそ一人でどうするつもりなんだよ? こっちから啓斗に連絡できるとしたら、そいつは俺だけだ」
 それに北斗には他にも譲れない理由があった。本意ではなかったとはいえ、自分はつぐみに散々罵声を浴びせてしまった。罪滅ぼしというわけでもないが、つぐみを自分自身の手で救い出さなければどうしても気がすまなかったのだ。
 お互いに譲らないまま、しばし無言の睨み合いが続く。
 沈黙を破ったのは、つぐみの悲鳴だった。
「なあ、今はこんなことしてる場合じゃねえだろうが!」
「……バカが、勝手にしろ」
 結局、十蔵が折れたようだ。十蔵はフンと鼻を鳴らすと、つぐみの悲鳴がした方向に飛んだ。北斗もすぐさまその後に続く。
 だがまもなく、二人の前に無数の亡者たちが立ち塞がった。半ば人の形を失い怨念のみの存在と化した亡者たちが、二人の放つ生の輝きに群がるように次々と襲いかかってくる。
「おっさん、あそこ!」
 すがりつく亡者を短刀で薙ぎ払いながら、北斗は叫んだ。
 巨大な渦を描いて蠢く闇の中心、そこにつぐみの姿を見つけたのだ。亡者たちが幾重にも覆いかぶさり、今にも彼女を闇に押し沈めようとしている。
「まずい、あいつは冥界の入口だ。あそこに引きずり込まれたらお終いだぞ!」
「いけ、おっさん!」
 北斗は気合と共に短刀を振るった。刀身から生じた凄まじい炎が亡者たちをまとめて焼き尽くし、つぐみまで一直線に通じる道を作り出す。
 だが亡者たちのしぶとさは、北斗の予想をはるかに超えていた。十蔵がつぐみの元にたどり着くよりも早く、焼け残った亡者たちが十蔵の無防備な背中めがけて襲いかかる。北斗はとっさに身を投げ出して十蔵をかばった。
 その隙に、十蔵が間一髪でつぐみを闇の中から引きずり上げる。
「……どうだおっさん、俺もけっこう役に立つだろうが」
「ああ、よくやった小僧! 早く啓斗に――」
 だが北斗を振り仰いだ十蔵は、そこで言葉を失った。
 今の自分はよほどひどい格好をしているのだろう。北斗は十蔵の表情から判断した。ただ残念ながらそれを確認する方法がなかった。今の北斗は、己の意志では指先ひとつ満足に動かすことができなかったからだ。
 無数の亡者たちがヘドロのように醜く溶け合い、北斗の全身を覆い隠していた。不気味に泡立ちながら皮膚の上をはいずり、すべての力を奪い取っていく。
 あれだけ兄貴に文句を言っておきながら、自分がこの有様とは……。
「すまない、兄貴」
 北斗は唇の動きだけでそうつぶやくと、亡者たちと共に渦の真上に落下した。
 その後のことはあまりよく覚えていない。すべての感覚が驚くほど希薄だった。全身を襲う痛みや苦しみさえもが次第に遠くなっていく。これが死というものなのか、渦の底にズブズブと沈んで行きながら、北斗はただぼんやりとそんなことを考えていた。
 光を見たのは、その直後だ。
 気がつくと北斗は、赤子のように丸くなって、不思議な光の中に浮かんでいた。亡者たちの姿はもうどこにもなく、奪われた力が再び全身に満ちていく。
 最初は啓斗だと思った。啓斗が闇から自分を救い出してくれたのだと。
 だがすぐにそうでないことに気づく。たしかに啓斗の力にも似ているが、もっと大きくて温かい、抱きしめるように優しく包み込んでくれるこの光は……。
 頭の中に、唐突にある単語が浮かび上がる。北斗は急速に薄れ行く意識の中で、小さくその単語をつぶやいていた。
「母さん……」

●思い出
 夢を見ていた。気が遠くなるくらい昔の夢だ。
 夢の中で北斗はよちよち歩きの赤子に戻っていた。となりにはやはり赤子に戻った啓斗がいる。
 パンパン、優しい目をした女の人が二人を呼んで手を鳴らす。
 よたよたとおぼつかない足取りで、啓斗が先に女の人のところにたどりつく。女の人は満面の笑顔で啓斗を迎えてギュッと抱きしめる。
 夢の中の北斗はまだ、女の人を呼び表す言葉さえ知らない。それでも女の人の笑顔が見たくて、自分も啓斗のように抱きしめて欲しくて、一生懸命歩き続ける。
 パンパン、女の人が励ますようにまた手を鳴らす。
 あともう少し。北斗は女の人に両手を伸ばす。そして――。
 伸ばした手が届きかけたそのとき、女の人が揺らいで、よく見知った顔に変わった。
「……あれ、兄貴?」
 北斗は大きくゆっくりとまばたきを繰り返した。
 ぼやけた視界一面に鮮やかな青が広がり、それをバックに啓斗が自分を見つめている。
 自分が地面に寝転んで空を見上げているのだと気がつくまでに、ずいぶんと長い時間がかかった。
 あれ、ここってあの古寺だよな? 俺はたしか……。
「北斗!」
 ぼんやり記憶を整理していると、啓斗が不意に目の前で拳を振り上げた。
 殴られる、北斗はなぜかそう思って反射的に両手で顔をかばった。だがいつまで待っても拳は飛んでこない。その代わりに啓斗の指先が北斗の鼻をピンと弾いた。
「痛っ! いきなり何すんだよ?」
「心配かけた罰だ」
 鼻を押さえて涙目で抗議する北斗に、啓斗がすました声で答える。
「さあ、帰るぞ」
 啓斗は北斗の手を引いて起き上がらせると、先に立ってスタスタと歩き出した。
 どうやら北斗が目覚める前に、依頼はすべて問題なく解決していたようだ。
 北斗は小声でブツブツ文句を言いながら、仕方なくその後に続いた。
「なあ北斗、おまえ――」
 バイクの前まで来たところで啓斗が不意に振り返った。だがその先が続かない。啓斗は結局、言葉の代わりにヘルメットを北斗に投げてよこした。
 もしかしたら兄貴も、自分と同じことを考えていたのかもしれない。啓斗の表情を見ているうちに、北斗にはなぜだか強くそう思った。
 北斗は少し迷った後、ひとつ深呼吸してから思い切って啓斗に言った。
「なあ兄貴。今度の休み、おふくろの墓参りに行こうか?」

Fin
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0568/守崎・北斗/男/17/高校生
0554/守崎・啓斗/男/17/高校生
0044/陣内・十蔵/男/42/私立探偵
0723/空木・栖/男/999/小説家


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■         ライター通信          ■
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はじめまして、ライターの今宮和己と申します。
今回は『飛べない小鳥』へのご参加、ありがとうございました。
最初はわりと簡単なシナリオを予定してたんですが、みなさまのプレイング内容とPCの能力を検討した結果、思いがけず危険で長大なシナリオになってしまいました(汗)。
また他PCとの兼ね合いで思い通りに行動できなかった方もいらっしゃると思いますが、そのぶんせめて各キャラに愛情をたっぷり注いで描かせて頂いたつもりです。
少しでも気に入ってもらえれば本当に幸いです。

ではまた。どこかでお会いできることを祈りつつ。
ありがとうございました。