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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


飛べない小鳥
●オープニング
 鳥になってどこか知らない世界に飛んで行きたい。
 それが北山つぐみの幼い頃からの願いだった。
 つぐみという名は、亡くなった母が付けてくれたそうだ。ツグミのように己の翼で羽ばたき、望んだ夢にたどりつけるように、願いをこめて。
 だが結局つぐみは飛べなかった。彼女の小さく繊細な翼にとって、この世界はあまりにも厳しく冷たすぎたから。
 だからあの日の放課後、つぐみは校舎の屋上から飛び立った。十六年間苦痛だけを与え続けたこの世界に別れを告げ、母の待つ世界へ旅立つために。
 しかし……。
 目を覚ましたつぐみが見たのは、救急車で運ばれる自分の姿だった。彼女の身体を乗せた救急車が、野次馬を追い払うように激しくサイレンを鳴らして走り去っていく。
 呆然とその様子を見送りながら、つぐみはようやく悟った。自分が魂だけの存在……幽霊になったことに。
 それでも最初、つぐみは絶望しなかった。こうして魂が存在するなら本当に母に会うことが出来るかもしれない。そしてあの空の上の世界で、誰にも邪魔されず二人で……。
 だが次の瞬間、つぐみの背筋をゾクリと悪寒が走った。気づいたのだ、自分が空の上の世界に行く方法など何も知らないことに。
 試しに軽くジャンプしてみた。しかしほんの少し飛び上がるだけですぐ地面に着地してしまう。恐怖にかられて無茶苦茶に手足を動かす。それでも体は浮かない。つぐみはバランスを崩して校庭に倒れた。
 その拍子に口の中に砂利が入る。体の重さ、砂利の感触、すべてが生身の頃と同じだった。ただひとつ、砂利の味を全く感じないこと以外は。つぐみは味のない砂利を噛み締めて泣いた。
 それから三日。つぐみはただ校庭の片隅でひざを抱え続けている。
 いずれ天使か死神が迎えに来るかもしれないという淡い期待も、今はもう捨てた。
 自分はこのまま永久に地上に縛られ続けるのだろうか? 誰の目にも映らず、誰の耳にも声が届かないまま……。
 恐怖と絶望に視界が歪んだそのときだった。つぐみは誰かが自分の前に立っているのに気づいた。
 まさか自分が見えるのだろうか? いや、そんなはずない、一番仲が良い友達さえ気がついてくれなかったのに。
 しかしつぐみの困惑をよそに、その人はひざを折ってまっすぐ彼女の目を見つめた。
「もしかして……私が見えるの?」
 恐る恐るたずねるつぐみに、その人が優しく微笑んで名刺を差し出す。
 名刺にはこう記されていた。『草間興信所』と。

●迷子の小鳥
 つぐみは怯えた目で青年と名詞を見比べた。
「興信所……。あなた、探偵さんなの?」
「正しくは、この興信所の所長の知人だけれどね」
 青年はそう答えてイタズラっぽく笑った。整いすぎて、ともすれば冷たい印象さえ与えかねない顔立ちが、笑うと思いがけずひとなつこい印象に変わる。
「俺は空木栖(うつぎ・せい)、本業は小説家です。君は?」
「私は……」
 つぐみは言葉を失った。話さなければならないことがあまりにも多すぎて、何から話していいのかわからなかったから。しかも友達や家族にさえ話せなかったことを、初対面の相手にうまく伝えられる自信はなかった。
 だが栖は決して無理に急かすことなく、ただ穏やかに微笑みながら、つぐみが自分から口を開くのを待っている。この人なら信じてもいいのかもしれない、すべてを見通すような漆黒の瞳を見つめているうちに、つぐみは不思議とそう思うようになった。
 そしてつぐみは語り始めた。
 自分のこと。幼いころに亡くなった母のこと。忙しい父のこと。誤解から離れてしまった大切な友達のこと。ついに馴染めなかった学校のこと。砕け散ってしまった小さな夢のこと。先が見えずどこまでも続く不安のこと。何度もつまりながら、それでもつぐみは自分自身の言葉で懸命に語り続けた。栖も余計な口を挟むことなく、ただそっと寄り添うようにとなりに座って、静かにつぐみの言葉に耳を傾け続けた。
「だから……だから私はあの日、屋上から飛び降りたんです」
 長い長い話の結びに、つぐみは消え入りそうな声でそう付け加えた。
 どうしてこんなことになってしまったんだろう、今さらながらそう思った。改めて言葉にしてみるとよくわかる。自分はたぶん、誰かに抱きしめて欲しかっただけなのだ。ただこうして気持ちを聞いて欲しかっただけなのだ。もし母が生きていたら、きっとそうしてくれたように。
 でもその勇気を出せなかったばかりに、最悪の選択肢を選ぶことになってしまった。
 これは罰なのだ、つぐみはそう思った。これは最後まで翼を持てなかった臆病者の自分への罰なのだと。だから自分は地上に縛られ続けているのだ、唯一の願いだった母との対面も叶えられないまま、己の愚かしさを悔い続けるために、永遠に。
「いや、それは違うよ」
 つぐみの視界が涙にぼやけかけたそのとき、栖が不意に口を開いた。栖はつぐみの手を取り、彼女の目をまっすぐに見据えて言葉を続けた。
「間違いだと気づいたのなら、もう一度やり直せばいい。つぐみさんがこうしてここにいるのは、誰かがそのチャンスを与えてくれたからです。罰なんかではなくてね」
「でも、でも私にはもう……」
「すみません、実はここに来る前に少しだけ調べさせてもらいました。つぐみさんの肉体は今、とある病院に収容されているそうです。例の興信所の所長が確認してくれました」
「それじゃ、私は!?」
「危険な状態にあることは確かです。でも今ならまだ、もう一度選び直すことができるかもしれない。つぐみさんが、自分自身の意思で」
 栖はそこでいったん言葉を切り、つぐみの緊張を解くように視線を和らげた。
「それでつぐみさんはどうしたいのかな、これから?」
「私、私は……」
 つぐみは逃げるように目をそらしたが、やがて意を決したのか、栖の目をまっすぐに見つめ返して言った。
「私、やっぱり母に会いたいんです、どうしても!」

●想い
 裏路地に入ると、急に空気が変わった。表通りの華やかさとは対照的に、黒ずんだ日本家屋がひっそりと軒を並べている。初めて足を踏み入れた者は、まるで自分がタイムスリップしてしまったかのように錯覚することだろう。
「私、知りませんでした。東京にこんな場所があったなんて」
「どれだけ華やかに飾り立てようと、街が街である以上、必ずどこかに闇を隠し持っているものですよ。ここは江戸から変わらず存在する、そんな東京の闇のひとつなんです」
 不安げにあたりを見回すつぐみに、栖はなぜかなつかしむように答えた。
「さあ、もうすぐ目的の場所に着きますよ。このあたりで冥界の干渉が最も強い場所に」
「そこに行けば、本当に母に会えるんですか?」
「ええ、そのために頼もしいスペシャリストたちを呼んでありますから」
「……スペシャリスト?」
 つぐみが不思議そうに首をかしげたとき、塀の向こうから場違いに威勢のいい声が聞こえてきた。
「いい加減にしないか、北斗!」
「なんだよ、兄貴こそヘンに物わかりのいいフリしやがって!」
 どうやら誰かが言い争いをしているようだ。ただトーンは微妙にちがうものの、二人の声が、ほとんど聞き分けのつかないほどよく似ているのが奇妙だった。
「どうやらもう到着しているみたいだね」
 栖は軽く笑いを噛みころして、半ば傾いた門をくぐった。そこは管理する者がないまま放置された古寺だった。つぐみもおずおずと栖の後に続いた。
「やあ、二人とも」
 栖の声に、境内で睨み合っていた二人の少年が振り向く。つぐみは思わず息を飲んだ。二人の少年は、まるで鏡を見るようにそっくり同じ顔をしていたのだ。ただひとつ、瞳の色だけがちがうことを除けば。
「空木栖さん……でしたよね」
 口論は本意ではなかったのだろう。緑色の瞳の少年――兄の守崎啓斗(もりさき・けいと)は仲裁者の登場に少しホッとしたような笑みを浮かべた。栖は以前、朧での事件で彼ら双子の兄弟と行動を共にしたことがあったのだ。
「ああ。急に呼び出してすまなかったね、啓斗君。北斗君もありがとう」
 だが青い瞳の少年――弟の守崎北斗(もりさき・ほくと)は、話を中断されたのがよほど不満だったのか、返事もせずに栖からあからさまに視線をそらした。
「あの、そちらが北山つぐみさん、ですね?」
 弟の非礼をとりつくろうように、啓斗は慌てて話を先に進めた。仲介を頼んだ興信所の所長・草間武彦からの電話であらかたの事情は聞かされているのだろう。
 突然話の中心に引き出され、つぐみは怯えたように後退さった。栖に促されて、やっとのことで前に出てペコリと頭を下げる。
「お願いします、私、どうしても母に会いたいんです」
「啓斗君、彼女の母親をここに呼び出せるかい?」
「ええ、もちろん。これだけ霊力が満ちた場所なら問題ないはずです」
「俺はお断りだね」
 不意に異議を挟んだのは、それまで黙って話を聞いていた北斗だった。
「なんで俺たちがそんな面倒なことしなきゃならねえんだよ。そいつの身体、まだ生きてんだろ? だったら引っ叩いてでも身体に戻してやればそれで済むじゃねえか」
「北斗! お前、さっきからどうかしてるぞ!」
「悪かったね、俺はどうせ兄貴やそこの兄ちゃんみたいにお優しくないんでね。なあ、あんた――」
 北斗はつぐみに鋭い視線を投げつけた。
「俺はあんたみたいなヤツが大嫌いなんだよ。自分だけが辛い目にあってるみたいな顔しやがって、冗談じゃねえ」
「北斗、お前!」
「いいんです!!」
 再び険悪な雰囲気になりかけた二人の間に割って入ったのは、意外にもつぐみだった。
「いいんです、その人の言うとおりですから」
 つぐみは啓斗をなだめるように穏やかな声でそう繰り返すと、北斗の方に正面から向き直って続けた。
「ゴメンなさい、あなたが怒るのも当然だと思います。でも、でも私、本当に自分でもどうしようもないくらい弱虫だから、だから……」
 つぐみの瞳にうっすらと涙がにじむ。それでもつぐみは、目をそらすことなく、北斗の目をまっすぐに見ながら続けた。
「甘えてるのは十分わかってます。でも、それでも私、母に会いたいんです。母に会って勇気をもらいたいんです。みっともなくても不格好でも、今度こそ自分の翼で羽ばたけるように勇気をもらいたいんです。だからお願いです、私に力を貸して下さい!」
 つぐみは一気にそう言い切ると、地面に髪が着きそうなほど深々と頭を下げた。
「北斗君、誰もが君や啓斗君のように最初から強いわけじゃない。強くなるためのきっかけを必要としてる人だっている。俺からも頼む、彼女に力を貸してやってくれないか?」
 栖はつぐみの肩に手をかけ、自らも北斗に深々と頭を下げた。
「北斗」
 啓斗が促すように北斗の目を見つめる。
「……わかったよ、やればいいんだろ」
 どうやら決着がついたようだ。北斗は照れ隠しにクシャクシャと髪をかき混ぜながら、赤い顔で小さくうなずいた。

●伝言
 みなが緊張の面持ちで見守る中、啓斗は胸の前で印を結んで低く呪文を唱え始めた。
 呪文の詠唱と共に、啓斗の緑色の瞳が輝きを増していく。
 つぐみは祈るように両手を組み合わせてその様子を見守った。
 だが、次の瞬間。
 啓斗はなぜか不意に印を解くと、肩を落としてフッと息を吐き出した。
「ダメだ、呼びかけてもまるで反応がない」
「……反応が、ない?」
 問い返す栖に、代わりに北斗が答えた。
「要するに失敗ってことだよ。こいつの母ちゃんはもうとっくに転生しちまったか、それともよっぽどこいつに会いたくねえと思ってんのか」
 会いたくない、という言葉に反応してつぐみがビクンと肩を震わせる。
「北斗!」
「な、なんだよ兄貴、俺はただ本当のことを言っただけじゃねえか」
 今回はただの失言らしい。厳しい視線を向ける啓斗に、北斗は明らかにうわずった声で反論した。
「いや、どっちも不正解だな」
 そのとき、一人の男がいきなり会話に割り込んできた。
 全員がハッと男の方を振り向く。
「……おっさん、テメェ何者だ?」
「ったく、ガキが慌てるんじゃねえよ」
 今にも飛びかかりそうな北斗を無視して、男は栖の前に立った。おそらく数々の修羅場で鍛えられてきたのだろう、鋼のように揺るぎない空気をまとった男だった。
「俺は陣内十蔵(じんない・じゅうぞう)。草間の小僧におまえらのことを聞かされてな」
「あなたが、あの……。でも、どうしてここに?」
「俺も嬢ちゃんの件で依頼を受けたのさ、おまえらとは別口だがな。今も病院で嬢ちゃんの身体と対面してきたところだ」
 栖は確かにその名前に聞き覚えがあった。草間興信所に出入りする者の中に、元刑事の私立探偵がいると。栖はつぐみをかばうように広げた腕を下ろし、十蔵をまじまじと見つめた。
「さっきの言葉、どういう意味ですか?」
 啓斗がまだ少し警戒を残しながら問いかける。
「そのままだ。つぐみの母親を召還できなかったのは、転生しちまったからでも、つぐみに会いたくないからでもねえ。魂が最初から別の場所にいたからだ」
「別の……場所?」
「ああ、こいつの中にな」
 十蔵はそう言ってポケットから何かを取り出した。
 それは髪留めだった。小鳥をかたどった銀細工の髪留めだ。
 つぐみがハッと息を飲む。
「こいつはつぐみの父親から預かったもんだ。つぐみの母親はこの中にいる。死んでから今日まで、ずっとな」
「まさか、そんなことが!?」
「強い想いが魂をこの世に留めることは、別に珍しくなんかねえ。つぐみの母親は娘の側で成長を見守ることを望み、そして願いは叶えられた」
「もしかして、つぐみさんがこうしてここにいるのは……」
 栖の問いかけに、十蔵は重々しくうなずいた。
「ああ、母親が必死で魂をつなぎとめようとしてるからかもしれねえな」
 しばしの間、誰もが言葉を失っていた。
 つぐみの反応からも、十蔵の言葉に嘘があるとは思えなかった。色を待たない霊体であるはずのつぐみの顔が、今は明らかに青ざめて見える。
「なあ、嬢ちゃん」
 十蔵は真正面からつぐみを見つめた。鋭い視線がつぐみの不安げな瞳を射抜く。
「自殺ってのは、この世から逃げ出すことだ。だがな、どこまで逃げ続けても天国になんか永久にたどりつけねえぞ。そいつは自分の世界で歯を食いしばってがんばった奴だけが行ける場所だからだ。ましてやそこで母親と二人で暮らすなんて甘ったれた夢、叶うはずがねえ」
 十蔵はそこで言葉を切り、銀の髪留めをつぐみの目の前に突き出した。
「おまえがこの世で幸せになる、それがおまえの母親の唯一の願いだからだ。そいつを伝えるために、俺はここに来た」
「お母さん。お母さんが、この中に……」
 つぐみが震える手を髪留めに伸ばす。
 だがつぐみの手が髪留めに届きかけたそのとき、にわかに現れた暗雲が陽を覆い隠し、黒い風がザッと境内を吹き抜けた。つぐみの背後の空間が裂け、闇が無数の触手となってあふれ出す。
「いけないっ!」
 栖はとっさに反応して右腕を振るった。その動きにシンクロするように、紅蓮の炎が現れて闇を薙ぐ。炎に包まれた触手が、異臭を放ちながらボトボトと焼け落ちていく。
 しかしそれでも闇の勢いは衰えない。すぐに新しい触手を伸ばし、つぐみの霊体に次々と絡みつく。
「離しやがれっ!!」
「待つんだ、彼女の魂まで傷つける!」
 短刀を抜き放った北斗の前に、栖は立ちはだかった。今攻撃すれば、つぐみへのダメージも避けられない。
 だがそんな栖の躊躇をあざ笑うように、闇はつぐみを空間の裂け目に一気に引きずり込んだ。次の瞬間にはもう、つぐみのかすかな悲鳴だけを残して、空間の裂け目は跡形もなく消え去ってしまっていた。

●覚悟
「彼女は長時間、霊体でいすぎたんだ。生を呪う亡者共に目をつけられ、道連れに連れ去られた」
 自分のせいだ。栖は無念さに唇を噛んだ。北斗の言うように、無理にでもつぐみを肉体に戻していれば、最悪の事態だけは避けられたかもしれないのだ。それなのに自分の甘さが、結果的につぐみからすべてのチャンスを奪ってしまった。
「なんだよ、こんな終わり方ってありなのかよ!」
 北斗がやり場を失った拳を地面に叩きつける。
「いや、まだだ」
 重苦しい沈黙を破ったのは十蔵だった。
「嬢ちゃんの魂が完全に冥界に飲み込まれちまったら、もう手の出しようはねえ。だがその前に魂をこっちに連れ戻すことができれば、あるいは……」
「でも、どうやって?」
「おい小僧、たしかおまえは魂をむこうに送ることができるんだよな」
 地面にひざをついてうつむいたままの北斗に、十蔵が言った。北斗がハッと十蔵の顔を見返す。
「おっさん、あんたまさか!?」
「ああ、そのまさかだ。嬢ちゃんがひとりで戻れねえなら、誰かが迎えに行ってやればいい」
「ムチャだ、生きた人間の魂をむこうに送るなんて聞いたことがない! 第一どうやって戻る気なんですか!」
 すぐさま反論する啓斗に、十蔵はニヤリと笑みを返した。
「だからおまえの力が必要なんだろうが。俺が嬢ちゃんの魂を奪い返したら、すぐに俺たちを呼び戻すんだ。いいな?」
「それなら俺が代わりに行きます」
 栖は十蔵に申し出た。自分の手でつぐみを救い出すことが、せめてもの責任だと思ったのだ。
 だが十蔵は居心地悪そうに頭をかいてこう答えた。
「いや、おまえはここに残って啓斗の手助けをしてやってくれ。俺はそういうのはどうも苦手でな」
 たしかに啓斗をサポートするのは自分が適任かもしれない。……もしもの場合、あの術を使うためにも。栖は冷静にそう判断してうなずいた。
「どうする小僧、あとはおまえ次第だ。それともビビっちまったか?」
 十蔵が挑発するような視線を北斗に向ける。
「ヘッ、おっさんこそどうなっても後悔すんなよ」
 北斗は不敵な笑みでそれに答えた。

●禁呪
 北斗の瞳が青い輝きを放った。
 その輝きを真正面から受け止めた十蔵の身体が、グラリと傾く。栖は前のめりに倒れる十蔵の身体を抱き止め、草の上に寝かせた。
「どうやら、うまくいったようだね」
 栖の言葉に、啓斗が緊張した面持ちでうなずく。
 そのとき、何でもない軽い調子で北斗の声が響いた。
「じゃあ兄貴、後は頼んだぜ」
 栖たちが振り向いたとき、北斗は髪型でも直すように手鏡を構えていた。二人がその本当の意味に気づいたときには、もうすべてが実行に移されていた。
 青い輝きが鏡に反射して、北斗自身の瞳を射抜く。次の瞬間、北斗の身体は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「北斗!」
 啓斗は弾かれたように北斗に駆け寄った。
「北斗、北斗! 戻ってくるんだ、北斗っ!」
 両手で胸倉をつかみ、反応のない北斗の身体をガクガクと揺すり続ける。
「落ち着くんだ、啓斗君」
「落ち着けるわけないだろっ!」
 止めに入った栖の手を、啓斗が乱暴に振り払った。火の出そうな激しい眼差しを栖にぶつけてくる。栖はただ無言でその視線を受け止め続けた。
「……すみません、怒鳴ったりして」
 やがて少し冷静になったのか、啓斗は唇を噛んで目を伏せた。
「いいんだよ。残される側の気持ちは、俺もよく知ってるつもりだから」
「空木さん?」
 栖の言葉に何かを感じ取ったのだろうか。啓斗が不思議そうに栖を見つめる。
 栖はしばし目を閉じて気持ちを切り替えると、啓斗だけではなく、自分自身にも言い聞かせるように言った。
「とにかく今は落ち着いて二人からの連絡を待つんだ。大丈夫、あの二人なら必ずやりとげてくれるさ。それに――」
 それにもしもの場合は、自分の命と引き換えにしてでもつぐみたちを守ってみせる。栖はそう覚悟を決めていた。栖の一族には、術者の命を死者に与える禁呪が代々受けつがれていた。はたして自分の命だけで三人を救うことができるのかどうかはわからない。だがそれでも、いざというときになれば栖は迷うことなく術を使うつもりだった。
 そして永遠とも思える五分間が流れた。啓斗はいつでも二人を呼び戻せるように、右手に北斗の手を、左手に十蔵の手をそれぞれ握りしめている。
「どうだい、まだ北斗君からは何も?」
「ええ、まだ――」
 そう首を振りかけた啓斗が、不意に痛みに耐えるように歯を食いしばった。
「啓斗君、北斗君が何か!?」
「わかりません、かすかに北斗の声が聞こえたと思ったら、急に……」
 啓斗の額に大粒の汗が浮かぶ。あるいは北斗と一時的に感覚を共有しているのかもしれない。だとしたら、北斗の身に何かが……。
「いけない、二人を早く呼び戻すんだ!」
「さっきからやってます。でも、鉛を引っ張ってるみたいで……」
 啓斗の顔が激しい苦痛に歪む。栖は啓斗の肩に手をかけ、啓斗の身体にありったけの霊力を注ぎ込んだ。だが啓斗の顔色は回復するどころか、ますます土気色に青ざめていく。
「うわああぁっ!」
 啓斗の口から抑え切れなくなった悲鳴が漏れた。もはや啓斗は明らかに限界を超えているようだ。このままでは啓斗までが冥界に引きずり込まれる危険もあった。
 ――すみません、紅緒さん。
 栖が禁呪を唱えかけた、まさにそのときだった。
 啓斗の身体が、不思議な輝きに包まれたのだ。
 啓斗君の潜在能力が開放されたのか? いや、ちがう、これは……。
 栖は思わず息を飲んだ。輝きから感じる力は、たしかに啓斗の力と質が似ている。だが明らかに別人のものだった。しかもそれだけではない。その向こう側には、さらに複数の強い力が――。
 栖が呆然と見守る前で、啓斗を包む輝きは、さらに強く、さらに大きく成長していく。輝きはついに臨海まで達し、そして弾けた。目のくらむような閃光が周囲を満たす。
 次の瞬間、啓斗が北斗に覆いかぶさるように倒れた。
「啓斗君!」
 栖は我に返って啓斗を抱き起こした。どうやら気を失っているだけのようだ。啓斗の肉体からは、魂の存在が力強く感じられる。北斗と十蔵も同様だ。このぶんなら、おそらくはつぐみも……。
 栖は思わず安堵のため息を漏らした。その耳元に、不意に誰かがそっとささやく。
「ありがとう、娘を助けてくれて」
 栖は声の主を求めてハッと振り向いた。だがあたりに人の気配はなく、ただそこには澄み切った青空が広がっているだけだった。

●翼
「よかったわね、来週には退院できるそうよ」
 包帯を取り替えに来た看護婦が、にこやかにそう告げる。つぐみは病室を出て行く看護婦の背中を、ぎこちない笑顔で見送った。
 意識を取り戻してから、もう三日。奇跡的に外傷が軽かったこともあり、身体は順調すぎるほどの回復をとげている。だが心は依然小さな雨雲を宿したままだった。
 もちろん助かったことは後悔していない。もう一度やり直す機会を得たことを、今は素直に感謝している。そうではなくて、気持ちが完全に晴れないのは、頭の中に残された断片的な記憶のせいだった。
 闇の中に引きずり込まれたとき、つぐみは正直これで終わりだと思った。行き先が地獄なのか、それとももっと別の場所なのかはわからない。ただ自分が再び地上に戻ることは決してないのだと、そう悟った。
 だがすべてをあきらめかけたそのとき、つぐみの元に一条の光が届いたのだ。闇を消し去り、まるで抱きしめるように温かく包み込んでくれた光。あれは、きっと――。
 ただ、確証がなかった。それどころかあの日体験したすべてが、つぐみの生み出した夢だったとしたら……。
 つぐみが小さくため息を漏らしたそのとき、病室にかすかなノックの音が響いた。しかもノックはドアからではなく、すぐ側の窓から聞こえてきた。
「……空木さん!?」
 つぐみはハッと息を飲んだ。足場がないはずの四階の窓の外に、栖が立っていたのだ。つぐみは混乱しながらもすぐに窓を開けた。
「すみません。表からだと看護婦さんがうるさそうなんでね」
 栖は窓から病室に入ると、そう言って笑った。そして何かをつぐみに差し出す。
「陣内さんに頼まれたんです。これをあなたに返すように」
 それは髪留めだった。あの、小鳥をかたどった銀の髪留めだ。
 つぐみは何度も髪留めと栖の顔を見比てから、おずおずと手を伸ばした。感触をたしかめるように、胸の前で髪留めをギュッとギュッと握りしめる。
 夢じゃなかった。夢じゃなかったんだ。あれはやっぱり……。
 胸の奥からじんわりと温かいものが湧き出し、全身を満たしていく。
 どれぐらいそうしていただろうか、カタンという物音でつぐみは我に返った。窓の方を振り向くと、栖が今にも出て行こうとしているところだった。
「あの、空木さん!」
 つぐみはその背中を呼び止めた。
「最後にひとつだけ教えて下さい。母は、母はまだこの中にいるんですか?」
 つぐみの問いかけに、栖はゆるゆると首を振った。
「いや、お母さんはおそらくもうむこうの世界に……。寂しいですか?」
「いいえ、ホッとしました」
 つぐみは笑顔でそう答えた。
「いつまでも心配かけるわけにはいきませんから。私、もう大丈夫です。みなさんが与えてくれたチャンスを無駄にしないよう、精一杯幸せになってみせます。いつか、胸を張って母に会うためにも」
 微笑んだつぐみの頬を、一粒の涙がすべり落ちていく。
 その瞬間、栖はたしかに見たような気がした。つぐみの背中で、小さな翼が羽ばたき始めたのを。

Fin
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0723/空木・栖/男/999/小説家
0554/守崎・啓斗/男/17/高校生
0568/守崎・北斗/男/17/高校生
0044/陣内・十蔵/男/42/私立探偵


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■         ライター通信          ■
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はじめまして、ライターの今宮和己と申します。
今回は『飛べない小鳥』へのご参加、ありがとうございました。
最初はわりと簡単なシナリオを予定してたんですが、みなさまのプレイング内容とPCの能力を検討した結果、思いがけず危険で長大なシナリオになってしまいました(汗)。
また他PCとの兼ね合いで思い通りに行動できなかった方もいらっしゃると思いますが、そのぶんせめて各キャラに愛情をたっぷり注いで描かせて頂いたつもりです。
少しでも気に入ってもらえれば本当に幸いです。

ではまた。どこかでお会いできることを祈りつつ。
ありがとうございました。