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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


ほろ酔いの湯

<オープニング>
「三下君、取材。」
 とファックス送信状を目の前にひらりとさせられ、三下忠雄はこれ以上無いというほどに目玉を寄せてそのタイトルを読んだ。
「神仙…の…湯…」
「最近有名になってる温泉だそうよ。ひとたび入れば疲労回復・体調良好の。」
「ぼ…僕が行ってもいいんですか!?」
 湯の良し悪しなど入って見なければ分るまい、つまりこれは休暇を貰ったも同然。
 と、考えた三下は甘かった。
 碇麗香は口の端を上げて、ふふっ…と冷たく微笑んだ。
「これを見なさい、三下君。」
細い指の先で示したデスクの上には、未整理の資料の山「来週頭までに全部片付けるの。全部。…ねえ、これを、この私に、一人でやらせようなんて思って無いわね?」
「で、でもそしたら取材は誰が…。」
「いつも手伝ってもらってる人たちに行ってもらいなさい!!!」
 碇の雷に打たれながら、三下は慌てて電話に飛びついた。
 その後姿を見ながら、碇ははっとしたように、小さく呟く。
「…あ、20歳以下は入浴禁止…って言うの忘れてた。」
だが、思いなおしたように肩を竦め「ま、いっか。」
 そして、山積みの書類に向かって軽く溜息をついた。

 神仙の湯 泉質:白濁し、多少の臭気 効能:疲労回復。
      露天:混浴1 男女別 各1
 
 アトラス編集部より:午前8時S駅現地集合。入浴後、良し悪しの所、寄稿するべし。

<本文>
S駅は多少裏寂れてはいたものの、それなりに人出もあり、小さな商店街も望めるそれなりの駅だった。そしてその土曜日の朝、駅前のロータリーに立つデジタル時計前には、月刊アトラス編集部の三下から連絡を受けた面々が、集まり…まだ集まりきっては居なかった。
「おっかしいなぁ、8時集合って言ってたよね?」
 細い手首につけた腕時計と時計台の示す時刻を見比べながらそう言ったのは、矢塚朱姫。長い黒髪に凛とした顔立ちをした少女だ。Tシャツにジーンズといったラフな格好をしている。「ですねぇ。でも私と今野さんが乗ってきた電車はもう行ってしまいましたよ。」
 と、答えたのは志神みかね。長い黒髪を後ろ頭で一つにくくり、今日は麦わら帽子の下にたくし込んでいるようだ。小柄な彼女は一生懸命時計を見上げながら、ちらりと隣に立つ青年に同意を求めるように視線を投げた。
「後3人来るはずやったね。…もぉ大分過ぎたなぁ。」
 と、彼女の視線を受けた今野篤旗はそう言って、背中に斜め掛けした温泉グッズ入り、使い捨てカメラ入りバックを背負いなおし、強い日差しに手を翳して上を見上げた。夏空が寝不足の目に痛い。
「そうだよ、遅すぎるよ。全く…5分前集合って言葉を知らないのか。」
 矢塚朱姫は憤慨したように言ったが、それを聞いた今野は苦笑して答える。
「遅すぎる〜言うたかて、矢塚さんが来はったのは一時間も前なんやろ? 早すぎや。」
「だ…だって。」
「矢塚さん、アレやろ。運動会とか遠足の前の日は、眠られんタチとちゃいますか?」
「そ、そんなこと無いぞ。ちゃんと昨日は8時に寝た。朝早く出かけるんだからな。」
「で、起きたのは何時?」
「……夜中の1時。」
 2人の会話を聞きながら、志神みかねはくすくすと笑った。綺麗な顔立ちをしているのに男の子のような話し方をする朱姫と、京都生まれのどこか柔らかな話し方をする今野とは、実は先程初めて会ったばかりなのだが、みかねの人懐こさや朱姫のさばさばした雰囲気はとっつきやすく、初めこそ女子2人に男子1人で困っていた様子だった今野も、残る3人を待つ間に段々と言葉を交わし、なかなかいい雰囲気になりつつあった。
 と、みかねは、気付かぬうちに次の列車がホームに滑り込んでいたことに気付いて目を凝らした。
「あ…あの方じゃないでしょうか?」
 構内から慌てたようにこちらへ駆けて来る、茶色い髪に、ヒールの付いたサンダル、そしてビニール地のブランドバックを持ったラフな感じの少女。高校生位…か?
「ごめんなさ〜い! お待たせして。」
その少女は3人の元にたどり着くと息を切らせて身体を二つに折った。シャギーの入った茶色い髪がさらりと流れる。「予定していた…電車に…乗り遅れちゃったのよ。」
 ちら、と悪戯気に3人を見上げる黒い瞳に悪びれた様子はさらさらない。
「もぉ昨晩は最後のお客さんが粘っちゃって粘っちゃって。ちゃんと時間に間に合うようにしようとは、思ったのよ? でもこればっかりは客商売でしょう? 今日はお店は若いコに任せてきたけど…こうして離れるとちょっと心配だわぁ。」
そう一気に話すと、息が落ち着け背筋を伸ばし、彼女はにっこりと微笑んだ。「アトラスからの依頼を受けた方たちよね? 私は黄桜川桃子。よろしくね〜。」
 その微笑につられて3人が自己紹介をしようと思った、その時。
「…っ悪い! 遅くなった!!」
辺りに響く大きな声が聞こえて、4人は驚き振り返った。こちらに大きく手を振る長身の男が一人。遠目にも彫りの深い顔立ちをし、小麦色の肌をしているのが分る。彼も桃子と同じように大急ぎでこちらに駆けて来た。「いや、間違って北口で待ってしまった。」
 この駅には南口と北口がある。無論待ち合わせはこちら南口だったのだが…彼は自分の間違いを豪快に笑って、それから少し照れたように4人を見た。
「大分待たせてしまったか? ん…? アトラスの面子だよな…俺の間違いじゃなければ。」
 彼の勢いに押されて呆然とする4人に、彼はきょとんとした顔をする。随分と気分が顔に出る性質のようだ。漸く今野が我に返り、頷くと彼は嬉しそうに頷いた。
「そうか、良かった。俺の名前は工藤卓人!よろしくな。」
 がっ、と肩を掴まれ片手を握られて、今野は思わずよろめきかけた。
 と、そこへ。
 がさがさっ! と面々の後ろの茂みが動き、何かが現れた! 思わず身構える彼らの目の前に出てきたのは…。
「漸く全員揃ったみたいだな。」
咥え煙草、しかもこの暑いのに黒スーツといういでたちの若い男。「待ちくたびれたよ。」
 男は自分を真名神慶悟と名乗り、それから身体に付いた小枝を払った。
「いつからそこに居らはったんですか?」
 驚いたように今野が言うと、真名神は何と言うことは無い、というようにふっと笑って肩をすくめた。
「始発からだ。」
「ま…負けた…。」
 がくり、と朱姫が肩を落とす。だが真名神は説明こそしなかったが、眠れないほど温泉が楽しみだったわけでは無い。ただ彼は万年金欠病の陰陽師なので…タダ風呂タダ飯タダ旅行がすごく楽しみだっただけだ。
 兎も角、そこでお互い自己紹介を終えた6人だった。…が。
「あ…でも、三下さんは? まだ三下さんがいらっしゃっていませんよ?」
 と、志神みかねが手を上げた。ホントだ、と朱姫が頷く。
「あら。三下さんは来られないそうよ。やっぱりお仕事が片付かなかったとか。」
 と、桃子。
「ホンマに? それは残念やろなぁ。」
 今野が答える。と、みかねが眉をハの字に下げた。
「どうしよう…私お父さんとお母さんに、『アトラスの人たちが一緒だから大丈夫!』って言って出てきてしまいました。」
 すると、そんなみかねの細い背中を、工藤卓人がドンと叩いた。
「け、けふっ。」
「そんな事は気にするな! 保護者なんて幾らでもいる。俺とか…俺とか……。」
と、彼は周りを見回して、ふと平均年齢が異様に若そうなことに気付く。「ちょっと待て。…端から順に年齢を言ってごらん。」
「僕は18です。」と、今野篤旗。
「俺は20歳。」と、真名神慶悟。
「私は17だぞ。」と、矢塚朱姫。
「私は15歳です。」と、志神みかね。そして最後に。
「私? 私はねぇ。………ぴっちぴちの17歳(はぁと)」
と、黄桜川桃子が言った。「ところで工藤さんはお幾つなのかしらぁ? 失礼でなければ。」
「俺は26なんだが…そうか…俺が一番年上か。」
そうと知るや否や、工藤は急に自分が引率の先生になったような気分になって来て、思わず胸の前で腕を組んだ。「むぅぅ。」
「まあ。26歳なの。とっても彫りが深くてハンサム…って良く言われたりしません? ちなみにご職業は? …年上の女性なんてどう思います?」
 すすすすっと工藤の隣に移動しつつ、桃子は彼を見上げた…が。工藤は何かを決意したように顔をがばっとあげて、皆にこう言った。
「よし分った! 俺に任せておけ! 必ず『無事に』温泉まで連れていってやる。勿論帰りも万全だからな。安心しろ。」
 そしてドンと胸元を叩いた。
「……無事に、ってどういう事やろ…。」
 ぽつり、と呟いた今野の言葉、誰が聞いていたものやら……。

「あ〜!! 怖いよ〜!!」
 と叫ぶ志神みかねの足元には、深い深い谷間があった。彼女を間に挟んで、一行は今正に地上百数十メートルのつり橋を渡っている。
「下を見るな! 前を向いて歩くんだ!」
 そして先程の言葉どおり、彼女の真後ろに工藤が立って励ましている。手を貸さないのはそう、子を崖に突き落とす獅子の心境。
「うわ。絶景だね。」
 先頭に立ち余裕で辺りを見回しているのは矢塚朱姫。後ろの今野に笑ってみせる余裕さえある。話しかけられた今野は、後ろのみかねが可哀想に思えて時々後ろを振り返るが、工藤の熱血教師ぶりに、ちょっと近寄りがたく傍観するのみ。
 そして間を飛ばして工藤の後ろには黄桜桃子。慣れない山歩きに息を切らせているが、そのヒールサンダルで良くも上手に渡っているものだ。しかも
「工藤さん? デザイン…工房の…オーナーって本当? はぁ…『インフィニティ』って言ったら…っかなり有名な工房よねぇ? コンテストでも優勝したり…とか。」
 志神みかねの育成に夢中の工藤の背中に、必死で話しかけている。
 そしてその更に後ろ。
 なにやら大きな袋を抱え、咥え煙草で悠々と付いて来る真名神慶悟は、一見落ち着いた瞳で団体を見渡していたが、実はある一つの欲求に駆られており、それを抑えるのに一苦労していた。すなわち…
── 思いっきりこの釣り橋揺らしてみてぇ!!
 である。だがクールビューティな彼にそんな子供じみた悪戯など出来はしない。ゆえにただ黙々と後を付いていくのみ…。
 そして一行はその調子で野を越え崖を下り川を遡り…太陽が中天に差し掛かる頃、漸く「神仙の湯」へとたどり着いたのだった。


『20歳未満の入浴を禁止します。』
 神仙の湯は、どうやら野外に沸いた温泉を板塀で囲み、申し訳程度の目隠しをした風な、完全に自然派露天風呂であったようだ。そしてその板塀の切れ間…多分ここから入るのだろうと思われる入り口には、そう書かれた立て札が立っていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ、そんなの聞いてないぞ!!」
 矢塚朱姫は思わず握りこぶしを作って叫んだ。その隣で志神みかねと今野篤旗も呆然とした様子。
「まさか年齢制限があったとは…どないしよ…って言うても、僕もここで帰りたないな。」
「は…入れないんですか…?」
 今までの苦労は一体なんだったんだ、とサバイバルロードを抜けてきた3人はそう思った。
「ぜ…絶対入って帰るぞっ! 20歳以下入浴禁止だろうが男女混浴だろうが、その気になった私を止められるものなら止めてみろ!」
 と、朱姫はその板塀に飛びついた。
「こらちょっと、おやめなさ〜い☆」
 焦ったように黄桜川桃子が彼女の服裾を掴んで引きずり下ろそうとする。ふと気付けば彼女も20未満のはずなのに、どういうわけか動揺した様子が無い。
「嫌だぁ! 入るんだー! うー温泉、入りたいぃぃ。ちゃんとレポートするからぁぁ。」
 だが朱姫の腰は工藤に掴まれ、ベリリとばかりに板塀から剥がされた。そのすぐ傍で、真名神が何事かを呟いている。…耳を澄ませて聞いてみよう。
「…温泉に来て温泉に入らないことは四象八卦の流れ、摂理に背くも同じ…。」
 何を言っているのかは、陰陽を修めるか酷く分っている人間でなければ理解不能だろうが、要するに彼は「ギリギリ20だが入らせろ」と言っているのである。
 と…その時だった。
「お客さんかね?」
という皺枯れた声がして、皆は一瞬静まりかえって振り向いた。そこには白い髭を蓄えた老人が、白い着物を着て立っていた。「こりゃ『神仙の湯』へはるばるようこそ。疲れたじゃろ、まぁ中にお入り…ん?」
 その目が工藤を除く5人に注がれる。眉がピクリと上に上がる。
「済まんがウチの湯は20歳以下の方はご遠慮願っておるんじゃが…。」
 と、老人が言いかけたとき。
「やだもう! 私の何処が20歳以下に見えるの?」
と、進み出たのは黄桜川桃子「これ見て。ここの所…ちゃんと生年月日書いてあるでしょ?」
 どうやら彼女は免許証を持参していたらしい。
「ほほぅ、…○○年…つーと、27歳じゃな。人は見かけによらんのぅ。」
「そこまで声に出さなくってもいいじゃあないの。」
 2人のやり取りを聞いて驚いたのは、無論老人だけではなかった。
「桃子さん、だってさっきジュウナナ…ムグ!!」
 言いかけたみかねの口を、桃子がむんずと抑える。
「というわけで、この子達も私のお店…『イエローチェリー』の子たち。勿論皆成人してるわよ〜。ねっ??」
 有無を言わさぬ調子で彼女は、呆気に取られているみかね、今野、朱姫を見た。真名神は問題なし、という顔をしている。
「してるしてる!」
 いち早く状況を飲み込み、コクコクと頷く朱姫。それに習う今野。そして老人は最後まで疑わしそうな目をして15歳のみかねを見ていたが、工藤の
「温泉はみんなで楽しんでこその温泉だ。」
 という言葉に押し切られ、とうとう全員に入浴を許可したのであった。


<女湯>
 ほのかに香るのはどうやら檜であるらしい。脱衣所の裏側に流れるせせらぎの音が聞こえてくる。こちらにいるのは勿論、黄桜川桃子、志神みかね、矢塚朱姫。
 湯煙りの向こうにはかなりの広さの露天風呂。軽く空にかけられた簾と表に見える緑が大層素晴らしい。しかもお客は今のところこの3人だけのようだ…勿論、あの道のりを考えれば当然と言えば当然だったのかもしれないが。
「温泉はいいわねぇ。」
ほう、と頬を正に桃色に染めて、黄桜川桃子は汗を拭った。先程までは高校生とばかり思っていたが、こうして改めて見てみると、確かに大人の女性のオーラが。「日ごろの疲れ、ストレス…もうみんなお湯に溶けていくわ〜。」
「桃子さんはストレスが溜まってるんですか?」
 みかねが遠慮なく聞くと、桃子はまたほぅ、と溜息をついた。
「お店が忙しいのよ〜。今日は若い子たちに任せてきたんだけれど、それもやっぱりちょっとは心配よねぇ。」
「なんのお店なんだ?『イエローちぇりー』って?」
 興味を惹かれ、朱姫がにじり寄って来る。
「バーなのよぉ。銀座にあるんだけれどね、なかなか流行っているのよ。あなたたちもあと4.5年経ったらいらっしゃいね。」
「へー、うん! 行くよ!!」
「私もー!」
「お店で働くのでもいいわよ〜、なんちゃってね☆」
 悪戯気に笑う様子は、しかしやはり27には見えない。
「でも本当に、入らせて貰えてよかったです。これも桃子さんのおかげです。」
 とペコリと頭を下げるみかね。続くように朱姫は拳を握りこう言った。
「ホントだよ! …けどなんであんな意地悪するんだろ。」
「そうねぇ…確かにいいお湯だけど…。」
と、桃子は白濁した湯をかき混ぜてみる。「特に20歳以上にすることは無いと思うわぁ。」
「うーん…」
 考え込んでしまった3人。しかしふとみかねがあるものを見つけて指差した。
「あれ、見てください。階段がありますよ。」
 それはどうやら沢へ下るための階段らしい。しかもよくよく見てみれば、『→露天風呂(混浴)』と書かれている。
「そういえばもう一つ露天があるって言ってたわねぇ。混浴らしいけど、行ってみる?」
湯船の縁から背を伸ばして沢を覗き込むと、今は誰の姿も無い。「男性陣の姿も無いし。」
「行って…みましょうか?」
 みかねは、あるものなら全部試してみたい気質だった。そして朱姫は考えるより本能が先。
「うん、行こう!」
 そして3人は風呂から上がって階段を下り始めた。その露天風呂、ぐるりと∩時に岩場を回って、同じように男湯とつながっているとも知らず。

  辺りに漂う芳醇な香りと、源泉からの流れに乗って白濁した湯に浮かぶ白い花のような粕。
「この匂いって…まさかと思うけど…お酒?」
黄桜川桃子は流石に驚いた顔をして桃子が鼻をうごめかせた。まさかと思ってちらりと舐めてみるが確かに…。「うわぁ。そのものじゃないの。」
 どうやらこの露天風呂、本物の酒が入っている様子だ。しかも濁酒(ドブロク)。
「えっ。お酒なんですか?」
みかねがびっくりしたように言って、桃子に尋ねる「入っても大丈夫なんでしょうか?」
 すると桃子はにっこりとあでやかに微笑んだ。
「勿論大丈夫よ〜。お酒はねぇお肌にいいのよ。つるっつるのすっべすべになるわよ〜。」
「それってホントか? やったぁ!」
「早速入りましょう!」
 朱姫もみかねも、普段化粧っ気など無いが、一応お肌には気をつけていたりする。
「でもこの程度で20歳未満禁止なんて、やりすぎよねぇ。」
 無論酒に強い桃子はそう呟いたが、当の20未満の2人はきゃっきゃと笑いながらもう足を湯につけている。
 そして、事が起きたのはそれからまたしばらく経ってからのことだった。


<男湯>
 ほのかに香るのはどうやら檜であるらしい。脱衣所の裏側に流れるせせらぎの音が聞こえてくる。こちらにいるのは勿論、今野篤旗、工藤卓人、真名神慶悟。
 湯煙りの向こうにはかなりの広さの露天風呂。ところどころに配置された大きな岩が男湯らしく、外との目隠しにもなり腰掛にもなり。しかもお客は今のところこの3人だけのようだ…勿論、あの道のりを考えれば当然と言えば当然だったのかもしれないが。そして…
「ぬぅ! 負けるか!!」
「なんの。まだまだ!」
「…もぉ止しまへんか……?」
 こちら側では既に、真名神慶悟が持ち込んだ日本酒の、飲みッ比べが始まっていた。現在、一升瓶3本目中盤戦。既に温泉のせいだけではなく酷く頬を赤らめた今野が、岩にぐったりと寄りかかり始めている。
「す…隙っ腹に…。」
 そう、山道を抜けて数時間、まだ昼も食べぬうちに風呂に入って迎え酒とは、地獄のレポート3提出明けの身体をわざわざイジメているようなものだ。…癒されに来たはずだというのに。
 だが人のいい今野は、勢い良く猪口を出されるとつい受け取ってしまう。受け取ってしまったらもう口をつけずに返すこは許されない、それがここでの男のルール。このテンポに乗せられて、今野はつい最近のことを思い出していた。それは弓道部の新歓コンパでのこと。あの時も確か無理やり呑まされて前後不覚に陥ったが…ここは湯の中煙の中、きっとあの時よりずっと早く酔ってしまうに違いない…。と、彼がつらつら考えている隙に、いつの間にか残す2人の男の勝負は別のものになりつつあった。
「見てくれ。これは飛騨の山奥で迷子になった時に崖から滑り落ちて出来た傷だ。」
と、初めこそ設備や湯加減の良し悪しをキチンと確かめていた工藤が言えば。
「俺の背中にあるのは、つい3日前に封印した土蜘蛛のつけた傷だぜ…?」
と、真名神が不敵に笑う。
「なんの。こっちは仕事で単身渡った地でバッファローに襲われたときの傷だぞ!」
「それがどうした。これなぞ高知の海で鯨(の怨霊)と戦ったときの傷だ…手ごわかった。」
 なぜそんな経験をしているのか、そもそも何処までが本当なのか謎だが、兎も角2人とも極端に酒に強いに違いない。酷く上機嫌ではあるが酌をする手も話し口調もしっかりとしている。少々そして話のネタが近所の猫に引っかかれた所まで行った所で、ふと彼らは自分の入っている湯が急激に冷たくなっていくのに気付いて目を見張った。
「なんだ? やっぱり何かあるのかこの湯は!?」
工藤が叫び、耳につけていたピアスを外す。彼の技はこうした装飾品にそれらを封ずる事である。「怨霊の類か?」
「いや…どうやら違うようだ。俺の式神は何も言って来ていない。」
風呂に入って酒を飲む前にと彼は式神を放っていたが、やはりタダ風呂タダ旅行には裏があったか…と真名神慶悟は油断無く辺りを見回した。が。
 その時、うなだれていた今野がゆっくりと身体を起こし、呟いた。
「…熱い……。」
「は?」
「熱いんや…。水…水風呂…。」
「なんだって?」
「でも酒は、燗。」
 そう言って今野は工藤が持っていた徳利を手に取った。そして眉根を寄せてその徳利に集中する。するとその徳利からほんわりと立ち昇ってくる燗のかほり…。
「まさかとは思うが…。」
 と、真名神がグロッキー状態の今野から徳利を受け取ると、工藤の杯に注ぐ。それをぐっと飲み干し、工藤は今野の背中をぱぁんと叩く。
「絶妙っ!」
「痛ぁっ!」
 今野の背中に見事な紅葉が。そして真名神が呟く。
「なんて便利な男だ…。だがこの湯はちょっと冷たすぎるぞ。」
「かといってこの状態じゃ温度を上げて…は呉れないよなぁ、はははは…!」
 工藤はあっけらかんと笑い、当の今野は自分で冷やしておきながら、とうとうそこにも居られなくなったのか、湯船から上がり、『→露天風呂(混浴)』と書かれた沢の方へどんどん突き進んで行ってしまう。
「お…おい、大丈夫か?」
 流石に心配になったらしく、真名神が声を掛けるが今野には聞こえていないらしい。
「涼みにでも行くのか? 俺も行こう!」
 工藤は面白がって付いて行く。そして真名神もそれを見て、猪口を持ったまま呟いた。
「…どちらにせよ、こっちの風呂にはもう入っていられないからな…俺も行こう。」
 そして3人は風呂から上がって階段を下り始めた。その露天風呂、ぐるりと∩時に岩場を回って、同じように女湯を繋がっているとも知らずに。

 辺りに漂う芳醇な香りと、源泉からの流れに乗って白濁した湯に浮かぶ白い花のような粕。
「信じられん。…だが、本物だ。」
真名神慶悟はその湯をひと舐めして呟くように言った。「これが…神仙の湯(20歳未満入浴禁止)の正体なのか。」
「…うぅ…。しかも濁酒(ドブロク)…? どうなっとるんや。」
涼むつもりが泣き面に蜂、の今野が、なんとも言えない声を絞り出すように呻いた。「酒風呂ちゅうのは聞いたことあるけど、100%の酒が滾滾となんて…そんなんあり得へんやろ。」
「だが見ろ! あるものは、ある!」
と、工藤は目を輝かせ、嬉し悲しくも今野の肩を引っ掴んだ。「いざ行かん、神仙の湯!」
 そして入るや否や、ぐったりとした今野を連れ、浸かる間もなく湯とそして酒の湧き出す岩間にざばざばと歩み寄って行く。
「ふ…第二ラウンド開始か?」
 真名神がにやりと笑った、その時。
「きゃぁあぁあ!!」
 今野と工藤が歩いていくその方向から、とんでもない音量の女性の叫び声が聞こえて、真名神はとっさに走り出した。


<混浴>
 そしてその叫び声を聞いて∩字型の岩風呂第一コーナーに差し掛かった真名神が見たものは。
 洗い桶の底だった。それは岩陰でとっさに足を止めた真名神の目の前と、その隣で酔拳状態の今野の頬を掠め、スコーン! と小気味良い音を立て、一番先を走っていた工藤の額へ…
「命中ゥ!」
「だめよぉ、こっちには若いお嬢さんたちが居るんだからぁ。…あ、私も若いけど。」
 ガッツポーズを決めた朱姫としんなりと首をかしげた桃子がそこに立って居る。とは言え、男性陣の居る場所からは、大岩が邪魔して見えないのだが。
「悲鳴が聞こえたから来たのに、一体どういうことだ!?」
額を押さえて工藤が叫ぶ。「大体見たからってどうなんだ?」
「あらあら、無茶を言う人ねぇ。」
と、桃子。「ちなみにあれはみかねちゃんが転んだ声よぉ。」
「みかねはぁ、酔っ払っちゃったんだよぉ!」と、呂律の回らない口調で朱姫。
「なんだ。もしかしてもうこれ、呑んでみたのか? どうだ、味は?」と、岩の陰から真名神。
「なんてお人らや…。」今野は蹲った工藤の身体をよろめきながらも岩陰に引き込む。
「そうよ〜。でもみかねちゃんは匂いで酔っちゃったのよぉ。私は飲ませてないわよ〜☆」
「私は呑んだぞ。だってもう、大人だからな!」
 その言葉一つで、桃子がどう朱姫に酒を薦めたのかが分かると言うものだ。
「うふ…うふふふ〜♪」
不気味な笑いが聞こえて来るが、つまりはみかねが昏倒しかけて持ち直した声だ。「ふわふわします〜。お日様と雲がぐるぐる回ってます〜。地球は…地球は丸かったんですね〜。」
「と、言うわけで私達はみかねちゃんを連れて一旦上がるわねぇ。」
と、桃子が言った。そして「ところでちょっと提案があるんだけれど、存分に飲んだらちょっと皆でお出かけしません?」


 そして。小一時間後。
 後頭部にたんこぶを作った志神みかねを囲んだ一行は、元の服装に戻って森の中を歩いていた。足元に流れる小川はあの露天風呂に続く、源泉からの流れである。
「♪らんらんらん、たっのしいな! ハイキング♪」
 朱姫は歌を歌いつつ、一行の先頭で、拾った小枝を振り回しながら歩いている。座った目をして、隣を歩く真名神に時折絡んでいる様子だが、きっと酔いがさめたらすっかり忘れているに違いない。
「らららんらん、たのしいな〜ハイキング〜♪」
 よろめきながら付いていくみかねも、テンポがずれているが、同じ歌を歌っているらしい。
「志神さん、大丈夫か? 見せてみぃ。」
今野は心配そうにみかねの顔を覗き込んだ。…と、思ったら。「はい、口開けてや。ん〜、A〜A〜…B〜…。お、虫歯発見。甘いもんばかり食ぅとるんやろ〜。」
 どうやら彼女のたんこぶは彼の専門外らしい。と、それを聞きつけた桃子の視線が鋭くなる。
「まぁ!まぁまぁまぁまぁ…もしかして今野君は歯医者さんの卵なのかしら? いやだぁ。早く言ってくれないと!」
良く考えたらこの二人、今の今まで一言も、一対一では言葉を交わしていなかった。桃子はみかねの口の中を覗いていた今野の頬をぐいと掴み、自分の方に向けさせる。「あらやだ。ちゃんと見たら結構整ってるじゃあないのぉ。私的にはあと3.4年で熟成って感じ?」
 近距離で見詰められ、目を白黒させる今野。
「や、やめて下さい。…そ、そうや真名神さんとかは…?」
 すると、桃子はにっこりと微笑み、今野の鼻先で指をちちちと振った。
「うふふ。私が男に求めるのはね、『容姿』『性格』そして『懐の暖かさ』よ☆」
「なら『一つだけ』足りなかったな。…高校生にはこんなに好かれているんだが。」
 真名神が、えいえい、と彼を小枝で叩いてくる朱姫の小枝を手のひらで受けながらしれっと言った、その時。
「おっ? あれじゃないか?」
 工藤が声を上げて前方を指差した。彼の指差す方向には小さな社と鳥居、そして岩間に立てられた2本の棒に跨る様に括り付けられた注連縄。そう、彼らは不思議な温泉のその源が一体どうなっているのかを見に来たのである。そしてどうやら湯はその社の傍から沸いているらしく、ぼんやりと湯気が立っていた。だが、ならば…と近づこうとした一行の目の前で、あることが起き始めたのは正にその時だった。
「…なんだ、あれ?」
 朱姫が呟いたのも無理は無い。小さな社から、小さな人がわらわらと出てくる。皆白い着物を着て、白い髭を生やしている。
「入り口で会った管理人のおじいさんにそっくりです〜。」
 と、みかね。そして小人達は小さな杖を手にもって源泉の中をなにやらかき混ぜ始めた。
『♪ほぅ、酒は〜ぁあぁ、ほぅ、混ぜ混ぜつくぅるぅう〜ほ〜おぅ♪』
 ゆっくりと源泉の湯が溜まっているらしき場所の周りを回りながら、彼らは歌を歌い始める。途端に、足元の小川の酒の香りが一段と強く香る。…つまりこの酒は彼らが作っているのだ。それに気付いた一行が呆気に取られて見ていると、やがて小人の一人が屈めていた腰を辛そうに伸ばして言った。
『全く、温泉の経営など言い出したのは誰じゃったかなぁ。』
すると、他の小人も手を休めて、それに相槌を打ち始めた。
『もう少し儲かると思ったが〜。あんまり街から遠すぎて、誰も来ん。だが湯はいつもこうして準備せにゃならんし。はぁ、一苦労じゃ。』
 小人たちは口々に文句を言い始めたが、やがて一人がこう言った。
『大丈夫じゃ。ワシがこの間『月刊あとらす』とか言う雑誌に『とうこう』しておいた。もう直ぐこの温泉もお客で一杯になるに違いない。』
『酒が湧くなど信じてもらえるかのぅ。』
『濁酒でなく清酒の方がいいかのぅ。』
『しかし巷では色の付いた湯の方が喜ばれるらしいからのぅ。』
 小人達は、一息ついてまた作業に戻る。
「か、可愛い〜〜!!」
 朱姫は思わず微笑む口元を抑えて、小声で叫んだ。
「馬鹿されているんじゃないか? あれが狸だったら俺は泣くぞ。」
 たらふく酒を飲んだ工藤は、だが面白そうにそう言った。真名神が首を横に振る。
「いや…確かに微かだが、神気を感じる。多分…あれは実体のない気の塊が形を取っているもの…精霊か仙の類だろう。」
 ところが、その時みかねが酔っ払ったまま恐ろしいことを呟いた。
「お土産はあれがいいです〜。お父さんもお母さんもきっと喜んでくれます〜。」…と。
 その時、OVER20組(真名神含む)の目が鋭く光った。
「みかねちゃん? 今なんて言ったのかしらぁ? もう一度言ってみて。」
 桃子は微笑んでいる。彼女の店は、バーである。
「そうか…その手があったか…。1…2…丁度6人。」
 真名神は一枚の符を懐から取り出し、構える。
「精霊だって言ったな。…よし。この指輪の中でいいかな…。」
 工藤は親指に嵌めたリングを取って、じりじりと社に近づき始めた。
「な…何を考えてはるんですか!? …まさか、とは思いますけど捕まえたろなんて…。」
漸く我に返りかけている今野だけが今ここで一番素面に近くマトモな部類に入る、唯一の人間。「止めて下さい! あきまへんって!! …2人とも、見とらんと止めるんや!」
 だがUNDER20の残り2名は。
「触りた〜い!」
「電池式かな? それとも充電かなぁ?」
 この通り、全く役に立ちそうに無く彼らの後を付いて行ってしまう。
「もぉ…アカン言うとるやろ〜!」
 今野がとうとう叫んだ、その時だった。

「こりゃぁ!! そこで何しとるか!!」
 辺りに響く大声が聞こえ、小人をふん捕まえる寸前だった3名と、それを取り囲む3名は、ギクリと動きを止め…ゆっくり、ゆっくりとそちらを振り返った。

そして…

※レポート:神仙の湯について。〜志神みかね(帰宅後一日経過)
 とってもいい天気でした。少し汗ばむくらいでしたけれど。ええと…。確か駅から3時間くらい歩いたと思います。途中の釣り橋が怖かったけど、皆さんが励ましてくださったので、どうにか渡れました。温泉は…温泉については……女湯は凄く気持ちよかったです。混浴については……あんまり良く覚えていないんです。ごめんなさい。
 覚えているのは、その後桃子さんのお誘いで全員集まって源泉を見に行ったことです。小人さんのぬいぐるみが沢山あって動いていました。お土産にしようと思ったら、管理人さんがそれは売り物じゃないと言ったので、残念ですが、諦めました。その後、お風呂に入ったお礼にお掃除しましたが、その時のこともあまり覚えていません。
 帰りは工藤さんが私を背負って来て下さいました。大変だったと思います。
 あと、なんだか頭が痛いので、今日が日曜日で良かったです。

<終わり>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0550/矢塚朱姫(ヤツカ・アケヒ)/女/17/高校生】
【0249/志神みかね(シガミ・ミカネ)/女/15/学生】
【0389/真名神慶悟(マナガミ・ケイゴ)/男/20/陰陽師】
【0825/工藤卓人(クドウ・タクト)/男/26/ジュエリーデザイナー】
【0527/今野篤旗(イマノ・アツキ)/男/18/大学生】
【0814/黄桜川桃子(キザクラカワ・モモコ)/女/27/バー経営】
※申し込み順に並べさせていただきました。
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■         ライター通信          ■
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矢塚さん、志神さん、真名神さん、今回も依頼を有難う御座いました。工藤さん、黄桜川さん初めまして。ライターの蒼太です。この度は沢山のライターさんの中から選んでいただけて光栄です。(PC名で失礼致します)
さて。今回「ほろ酔いの湯」でしたが、タイトルからこんなオチです。見え見えですな。
皆さんのプレイングは「酔ったらこうなるのかこのPCさんは」と微笑しつつ読ませていただきました。そのプレイングが十分生かせていたらいいのですが。
蒼太は、PCさん達にどんどん泣いたり、笑ったりと忙しく動き回って欲しいと思っています。ですからPLさん達も欲張って色々書いてみて下さい。全てをこなすことは難しい事ですが、精一杯頑張らせていただきます。そして、何度もしつこいようですが、プレイングの隅に隙間がありましたら、PCの癖や面白話など、ちらりと書いてくださると嬉しいです。
では、また! 次回ご縁がありましたら。その時はどうぞよろしくお願いいたします。
蒼太より