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草間武彦の冒険☆エピソード1
●メイドが萌えてやって来る
「‥‥何、ですか‥‥? アレは」
「だから、草間さんだってば」
ふ、とエルトゥール・茉莉菜は空を見上げた。
奇妙な招待状に導かれてやってきた、不気味な噂のある中ノ鳥島。
だが、空は青いし雲は白い。
どこまでも広がる海は穏やかで、でも、たまにいい波なんかも来ちゃったりして。この島で、ヴァカンスで過ごせたならば‥‥。
「‥‥ああ、そういえば‥‥サンオイルも一応、持って来てましたね。ええ」
誰かに手伝って貰ってビーチパラソル立てて、あの白砂の浜辺で肌を焼くのもいいかもしれない。
視界の隅に映るモノを意識的に排除して、茉莉菜は打ち上げられるものは自然界のものだけという今時珍しい浜辺へと思いを馳せた。
「考えてみれば、無理に怪奇現象に近づく必要はないわ。ここで優雅に夏を満喫してもいいはずよね」
「駄目だってばっ! 現実逃避しないでよっ!」
ゆさゆさと茉莉菜の体を揺らしても、反応はない。瀬名雫は最後の手段とばかりに茉莉菜の背後へと回り込むと、その頭をがしと掴んだ。
「現実を認めて下さいっ!」
茉莉菜の目を、無理矢理にそちらへと向ける。途端に、茉莉菜の口から悲痛なうめきが漏れた。
「‥‥駄目‥‥っ」
駄目だ。
茉莉菜は膝から下の力が抜けて行ったかのようによろめく。
「ご‥‥ごめんなさい、雫さん‥‥。申し訳ありませんが、アレにモザイクをかけて頂けるかしら」
「‥‥草間さんは猥褻物か何かですか?」
自分も、心の隅っこでちょっとだけ考えた‥‥なんて事はおクビにも出さず、雫はぐらぐらと茉莉菜の体を揺らし続けた。
そんな雫の懸命の呼びかけに、本能が、視神経が、心が拒否反応を起こしてしまった茉莉菜の瞳に、僅かながら光が戻る。
「雫‥‥さん?」
「茉莉菜さんっ」
ほっと、雫の表情に安堵が浮かんだ。
「雫さん‥‥アレは一体、どうしたの‥‥」
視線は、雫を通り越して。
この島で今も動き続け、一種の霊界を作り出しているという怨霊機。その影響なのだろうか‥‥。磁場が、というよりも、今、茉莉菜の視界に広がっている一帯が異様だ。普段なら、そんなに見る事もないオーラなんてものが見える。
−‥‥たまに見るオーラがどピンクって言うのは勘弁して欲しいものね‥‥。
口元を疲れた風に笑みの形に歪めて、茉莉菜の瞳は再び虚空を見上げた。混乱していた彼女自身が平静を取り戻し、ようやく、正常な思考へと戻っていく。
「‥‥別に、放っておいても面白いと思うけど‥‥」
茉莉菜の呟きに、雫はぶんぶんと首を振る。目が回るのではないかと思えるほどの勢いで。
「そうね。‥‥そうよね。アレはもう‥‥「公害」に近いわね」
「公害」。公の害と書くその単語がするりと茉莉菜の口から零れる。
草間武彦、様々な呼び名が囁かれる男のあんまりな姿は、既に彼女の中で廃ガスや廃水などの汚染物質と同等になっているらしい。
「何とかしてくれるのっ?」
見るに耐えないと、茉莉菜に全身で訴えかけていた雫の表情が一気に明るくなった。
「環境美化と、わたくしの優雅なヴァカンスの為に‥‥ね」
仕方なさそうに肩を竦めると、茉莉菜はメイド服に頭にアンテナをつけた草間の姿を見据えた。
「で、どうしてあんな事になったのか‥‥分かるかしら? 確か、あの人、思いついたみたいに「ハードでダンディな仕事しかしない」って叫んでたと思うんだげど‥‥?」
そう、それは中ノ鳥島へと向かう船の中での出来事。
このままではアイデンティティに危機が訪れるとか何とか理由をつけて、拳を握り締めていたはずだった。これが、その決意のなれの果てなのだろうか。
冷静に、茉莉菜は草間の変わり果てた姿を頭から足の先まで観察する。
「あれは‥‥」
「何か分かったのっ?」
この島にまつわる噂を書き留めて来た手帳を捲っていた雫が、その手を止めた。
「‥‥いい仕立ての服だわ」
「ああああっ! 茉莉菜さんまでおかしくなっちゃったぁぁぁっっ!?」
人聞きの悪い事を言う口を、綺麗に手入れされた指先を当てて黙らせると、茉莉菜は草間の周囲にいる怪しげに蠢くモノ達も観察する。
「考えてご覧なさい? この島は忘れ去られていた島。都内でさえも、男の体型に合うメイド服を見つけるとしたら、そういう専門のお店を探さなければならないわ」
「‥‥そういう専門のお店って‥‥何ですか‥‥?」
「‥‥まっとうなデパートでない事は確かね」
メイド服だけならばまだしも。
周囲にはネコミミだのセーラー服だのがひしめきあっている。
この島のどこに、そんなマニアックな服が、素材が大量にあるというのだろうか。
「‥‥という事は‥‥」
雫が、再び手帳を捲り始めた。
「草間さんを取り巻いているのは、一部を除いて死霊だという可能性もあるわね」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
この島の、もっとも有名な「噂」。
それは、終戦間際、この島で行われていた研究に関わっていた人々が処分されたが、その霊魂は肉体が滅びた当時の姿のままで、死霊となってさ迷っていると言うものである。
「‥‥‥‥‥‥‥‥メイドでネコミミしてたの? 戦時中に?」
「‥‥さぁ、どうかしら?」
2人は、どピンクのオーラが蔓延している一帯を見つめた。だが、視線はそれを越えた、遠い場所へと向けられているようだ。
「‥‥当時の最高機密って‥‥何だったんでしょうね‥‥」
「‥‥‥」
敢えて、口にはしない。
噂では、たくさんの人々が集められたと言う。その中に、メイドでネコミミ好きがいたとしてもおかしくはないだろう。だが‥‥。
「こんなに大量に居たとは思えない。アレは、やはりこの島が処分された後に発生したのね」
「‥‥あー‥‥どうしよう」
しゃがみ込んで、雫が脱力したように手帳を持った手を投げ出した。
「見つけちゃった‥‥」
その言葉に、茉莉菜は雫の手帳を取り上げた。
「‥‥‥「萌え」を力に変える「萌え皇帝」‥‥夏期限定‥‥‥‥‥」
真夏の太陽がじりじりと肌を焼いているにも関わらず、2人の間を冷たいプリザードが吹き荒れる。
「‥‥「萌え皇帝」‥‥?」
ナニ、ソレ‥‥。
読み進めていくうちに、茉莉菜は脱力した雫の気持ちを理解する事が出来た。「萌え皇帝」とその手となり足となる「萌え者」たち‥‥。彼らは己が野望を成し遂げようと虎視眈々と狙っていたらしい。
夏のヴァカンスにやって来た女性達を、自らの「萌える」姿にするという野望を‥‥。
「‥‥‥‥‥‥馬鹿ね」
きっぱり言い捨てて、茉莉菜は手帳を閉じた。
「でも、何故、草間さんが?」
「隙は多いから。あの人」
これまた切って捨てるような言葉。
だが、それが正解を指しているであろう事も、雫には分かっていた。
「どうしよう? このままじゃ草間さんは‥‥」
怖くて最後まで言えない。
この島には「アトラス」の碇麗香も来ている。
草間の、あの姿が白日の下に晒された日には‥‥。
「「称号」が増えるわね、間違いなく」
メイド探偵とか、コスプレ探偵とか、そんなのが。
「やな「称号」ですね‥‥」
呟いた雫に同意を返して、茉莉菜は決意した。
このまま、草間を放っておいては大変な事になる。そうなる前に、何とかしなければ‥‥と。
●萌える暗黒卿、草間
「‥‥メイ‥‥ド‥‥ネコ‥‥ミ‥‥ミ‥‥」
譫言のように呟く合間に、不気味な笑みを浮かべる。
虚ろな瞳の草間武彦は頭の置くから聞こえて来る声に導かれるままに、この島に足を踏み入れた者達が水と戯れる浜辺を指さした。
「‥‥萌え‥‥を、我が手に‥‥」
彼の周囲を取り巻いていた怪しげな男達が、聞くに堪えない雄叫びを上げる。
「暗黒卿、メイドスキー草間の導くままに〜」
おー‥‥。
あまり迫力がないのはご愛嬌。
草間を中心としたセーラー服やスクール水着を着込んだ男達の壁が2つに割れたのは、彼らがそれぞれの「萌え」衣装を手に、今にも突撃を始めんとしていた‥‥まさにその時であった。
沸き起こる小さなどよめきの合間に、「メイド」という言葉が囁き交わされる。
その視線が集中するのは、1人のメイド。
黒を基調とした正当派メイド服に、白いエプロン。ツインテールのメイドは、周囲の異様な出で立ちの男達を気に留める事なく、真っ直ぐに草間の元へと歩み寄った。
「‥‥‥‥メ‥‥イ‥‥ド‥‥‥‥」
自らも可愛いメイド服に身を包んだ草間の呟きに、メイドは全てを包み込むような聖母の如き笑顔を見せた。
「はい、旦那様」
その一言に、その笑顔に、くらくら来ない者に「萌え」を語る資格なし。
異様な興奮と賞賛と気合いと‥‥複雑に混じり合った反応を見せる男達。暗黒卿と化した草間も、その例外ではなかった。
「お‥‥前は‥‥」
「旦那様、お茶のご用意が出来ました。どうぞ、お部屋へお戻り下さい」
羨望の声を浴びながら、草間は鷹揚に頷く。頭の中に響く声が、それは「萌え」の求道者として正しい事だと告げている。
メイドが示したホテルの部屋に、悠然と歩き始めた草間に、メイドはしずしずと従った。ドアを開ける時には自らが先に立ち、彼が過ぎるまでドアを押さえる。甲斐甲斐しく主人に尽くす模範的、理想的なメイドに、草間の中に歓喜の声がいくつも巻き起こる。
それが自分の声なのか、それとも別の者の意志なのか‥‥もはや、彼自身にも分からなかった。
「旦那様、どうぞ‥‥」
メイドが開いたドアの向こう。
何の変哲もない、ホテルの1室にそれは準備されていた。
潮の香が混じる風が翻す白いレースのカーテンが、そこが無機質に閉じられた部屋ではない事を物語る。開け放たれたテラスには、アフタヌーンティーの準備が整えられたテーブルがあった。
「お‥‥おお‥‥」
「どうぞお座り下さい、旦那様。今すぐ、お茶をお持ち致します」
何の邪気もない真っ白な笑顔で言われて、誰が拒めるであろうか。
大人しく引かれた椅子に腰を下ろした草間に、メイドはにっこり微笑んだ。
「少々、お待ち下さいませ」
うむと頷くのが先だったのか、それとも体にロープが巻き付くのが先だったのか、瞬間の判断が付かなかった。
気付いた時には、草間は椅子にしっかりと縛り上げられていたのだ。
その手並みは鮮やかとしか言いようがない。
可憐な微笑みを浮かべ、あっさりと彼の自由を奪ったメイドが、呆然とする草間を見下ろしていた。
「ここで、大人しくしていて下さいね? 旦那様」
語尾が跳ね上がったのは、草間の気のせいではないようだ。
頭の中に響く声が危機を伝える。
猛然と暴れ出し、縛られた椅子のまま、外へ飛び出そうとした草間の肩にぽんと、軽く置かれる手。
「‥‥‥ここは、ホテルの最上階ですわ。いくら何でも、ここから飛び降りたら‥‥死にますわよ?」
軽く置かれただけの手が重い。
椅子人間と化した草間へ、メイドは笑みを湛えてテーブルへ戻る事を促した。
「あら、可愛い角ですわね。後でおリボンでも飾って差し上げますわ、旦那様」
そして‥‥‥。
●ヴァカンスが始まる
「で、結局、どうなったの?」
尋ねた雫に、茉莉菜はさぁねと笑う。
萌え皇帝の野望は、キーとなる暗黒卿、メイドスキー草間の存在を欠いた事で脆く崩れ去った。
元々、萌え度だけで己を保っていた萌え者達である。指導者を失って、団体は自己崩壊してしまったようだ。今頃、島のどこかでセーラーや魔法少女の姿で自分達の萌えを追求しているであろう。
「草間さんは?」
ふて腐れたように、頬杖をついてそっぽを向いた草間武彦は、既にメイド姿ではない。暗黒卿、メイドスキー草間は消え去ったようだ。
何がどうしてそうなったのかは、茉莉菜の秘密めいた微笑みの中に隠されてしまった。恐らく、この後も、それは明るみに出る事はないだろう。
萌え皇帝と萌え者達、そして暗黒卿は、夏の幻として僅かな者達の記憶の中に深く埋められるのだ。そう一部を除いて。
「とりあえず一件落着よ。ね? 草間さん?」
ちらりと見せた使い捨てカメラに、草間が凍り付く。
そこに何が納められているのか、雫には知る由がなかった。多分、‥‥知らない方が幸せだろう。
茉莉菜の笑みと、顔色を無くした草間とを見比べて、そう結論づける。
「ああ‥‥本当に気持ち良さそうね。私たちも折角だから泳いで来ましょうか、雫さん。‥‥草間さん、浜辺にビーチパラソルを立てて下さい。今すぐ、ね」
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