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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


消えた部室の謎
〜 探し物は何ですか? 〜
「探し物を手伝っていただきたいんです」
確かに、依頼主の青年・笠原和之(かさはら・かずゆき)はそう言った。
しかし、まさかその探し物の内容が「部室」だったとは……。

都内某所にある大学・東郷大学。
その片隅の部室棟に、その部室はあった。

「ビックリしないで下さいよ」
そう言って、和之は消えたはずの部室の扉を開けた。
何の問題もなく扉は開き……そして、その中には何もなかった。
比喩表現ではない。掛け値なしに「何も」ないのである。

それは一見暗闇のようにも見える。
しかし、ただの暗闇であれば、少なくとも扉の近くくらいは明るくなって、床が見えてもおかしくないはずだ。
ところが、今目の前にある「それ」は、まるでブラックホールのように光を完全に吸い込んでしまっている。
本当に、そこには「何も」ないように見えた。
あたかも、その場所だけ空間が抜け落ちたかのように。

「なんだよこりゃ」
その「何もない」を見つめて、守崎北斗(もりさき・ほくと)は呆れたように呟いた。
その隣で、北斗の兄の守崎啓斗(もりさき・けいと)が冷静に見たままを述べる。
「見た限りでは、どうやら何もないようだな」
と、その時、和之がどこからか小石を拾ってきた。
「ああ、でも、どうも何もないわけじゃないみたいなんですよ」
そう言って、彼は小石を一つその「何もない」の中に放り込んだ。
すると、少ししてから断続的に「カナヅチで釘を打ったような音」「金属バットで硬球をひっぱたいたような音」「カエルがつぶれたような音」「『痛っ』という女の人の声のような音(?)」などがいくつか聞こえてきた。
確かに、小石を投げて反応があったということは、中には「何か」があるようだが、これでは「何が」あるのかさっぱり見当もつかない。

一同が半ば唖然とし、半ばどうしたものかと考え込んでいるにも関わらず、和之はそのままの調子でこう続けた。
「皆さんには、私と一緒にここに入って、こうなった原因を取り除くのを手伝って欲しいんですけど」
「ったってなぁ、その原因がわからなきゃ取り除くもクソもねぇだろ」
そう抗議したのは綺麗な黒髪の美少女……のように見える29歳男性、スイ・マーナオである。
和之はその外見と口調とのギャップに少しきょとんとしていたが、すぐに「それなら大丈夫」と言うように胸を張って、きっぱり一言こう答えた。
「あぁ、原因は多分私の作品だと思います。
 あれは風水的にヤバイとか、これは黒魔術的にヤバイとか、いろいろ言われたのを全部無視して作品を作ってたので」
「ふーん、なるほどなぁ」
スイは納得したように数度頷くと、おもむろに和之を蹴り飛ばした。
「って、お前が原因なのかよ!!」

「ったたた……あんまり乱暴にしないで下さいよ。
 ついこの前退院したばっかりなんですから」
その和之の抗議を完全に無視しつつ、スイは憮然とした様子で和之に尋ねた。
「そもそも、ここは一体何部なんだよ?」
それを聞いて、横にいた守崎兄弟が顔を見合わせる。
「俺は、てっきり美術部だと思ってたんだけど」
「俺もだが、よく考えてみればはっきりしたことは聞いてなかったな」
三人の視線が、和之に集中する。
すると、和之は嬉しそうに笑ってこう答えた。
「ここは、前衛芸術部です」
『前衛芸術部?』
思わず聞き返す三人に、和之は嬉々として説明を始める。
「ええ。今年の春に、美術部内でちょっとした問題が起こりまして。
 その結果、私を含む四名が美術部を脱退して前衛芸術部を結成したんですよ」
その予想以上にとんでもない内容に、スイは思わず頭を抱えた。
「脱退っつーか、追い出されたんじゃねぇのかよ」
「ん〜、まぁ、そういう言い方もできますね」
苦笑しつつ答える和之に、スイはなおも質問攻めを続ける。
「だいたい、どんな作品を作ってたらこういうことになるんだ? 普通に作成してたら黒魔術も風水も関わってこねーだろ」
そこまで言って、一瞬スイは「しまった」と思った。
和之の瞳が、キラリと怪しく輝くのを見てしまったからである。
「それなら、百聞は一見に如かず、ですよ」
和之はそう言うと、いつも小脇に抱えていたスケッチブックをぱらぱらとめくり、あるページに目を留めて、やがて小さく頷くと、その絵を三人に見せた。
「まぁ、こんな感じですね」

そこに描かれていたのは、「なんだかよくはわからないがとにかく禍々しい何か」だった。
麻薬常用者でも描き出せないであろう狂った色彩に、どこの宗教の悪魔や邪神もとうてい及ばない邪悪さをたたえた狂った形状。
その二つが絶妙なバランスで配合された絵は、まさにそれだけで一種の精神攻撃と言っても過言ではなかった。
「なんか、脳味噌を泡立て器でかき回されてるみたいな感じがするんだけど」
呆然とした様子で、北斗が呟く。
「奇遇だな。俺も、実は頭の中でガラスを爪で引っかかれてるような感じがするんだ」
そう答える啓斗も、やはり目の焦点がすでに絵の向こう側に突き抜けてしまっていた。

そして。
「いきなり、ワケのわからねぇものを見せるんじゃねぇ!!」
スイは、頭の中で火星人がラジオ体操第一を踊っているような感覚に耐えつつ、とりあえず和之を蹴り飛ばすのだった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜 強制先行偵察作戦 〜

「あの、そろそろ部室探しの方をお願いしたいんですが」
スイの二度目のキックから何とか復活した和之の一言で、三人はようやく硬直から脱出した。
とはいえ、純真な高校生(?)であるところの守崎兄弟などは、まだ先ほど見せられたもののショックから完全には立ち直れていない様子である。
「なんか、今晩うなされそうだな」
「ああ、今のは確実に夢に出るな」
スイはその様子を見て「やれやれ」というように首を横に振ると、和之に向かってきっぱり一言言い放った。
「じゃ、まずはお前が行け」
「わ、私がですか?」
予想外のことに慌てる和之。
しかし、先ほどの一件で機嫌が著しく悪化しているスイは和之の反論を許さない。
「自分でまいた種は、自分で刈る、これが鉄則だろ」
「そ、それはそうですけど」
和之がなおも食い下がると、スイは静かに右脚を後ろに振り上げた。
「自分で入るか? それともサッカーボールみたいに蹴り込まれるか?」
「は、入ります、自分で入りますっ!」
さすがにこれ以上蹴飛ばされてはかなわないと思ったのか、和之はいやいやながらも「部室のあったところ」の入り口に近づき、おそるおそる片足を踏み込んだ。
「どうだ?」
スイが尋ねると、和之は安心したように答えた。
「とりあえず、床はあるみたいです」
「じゃ、大丈夫だな。もっと入って中を見てこい」
スイが意地悪くそう言うと、和之は渋々「部室のあったところ」の中へと歩いていった。
「暗いです、ただひたすら暗いです、何も見えません」
見通すことの出来ない真っ暗闇の中から聞こえてくるその声しか、もはや今の彼の状態を物語ってくれるものはない。
それなのに、その声が「暗い」と言うことしか語ってくれないのでは、何の参考にもなりはしない。
「これじゃ埒があかねぇな」
スイが苦々しげにそう言ったとき、ようやくショックから回復した守崎兄弟が「部室のあったところ」の入り口の方へと歩み寄った。
「ここで待っていても仕方がない。とにかく、俺達も入ってみよう」
「思い立ったら即行動」とばかりに、啓斗がずんずんと「部室のあったところ」の中へ入っていく。
そして、啓斗を追うようにして北斗の姿もまた「部室のあったところ」の中へと消える。

「これじゃ、俺だけ行かねぇ、ってワケにもいかねぇよな」
スイはそう呟くと、軽く肩をすくめて三人の後に続いた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜 暗闇の中には何がある 〜

「なーんか鼻摘まれてもわかんねーくらい真っ暗だよな」
後ろから、北斗の声が聞こえる。
声の大きさから判断する限りでは相当近くにいるはずなのだが、その北斗の姿すら啓斗の目には全く見えない。
恐らく、北斗にもすぐ前にいる啓斗の姿は全く見えていないであろう。
「本当、真っ暗で何も見えないな。一体どんな物作ったらこんな風になるんだか」
自分の位置を知らせる意味も込めて、啓斗が答える。
その言葉に、今度は遥か後ろにいたスイが反応した。
「まぁ、さっきのをでっかくしたようなヤツだろ、多分?
 だとしたら、それこそ見えないことを幸せに思った方がいいかもな」
それを聞いて、啓斗は先ほどの絵を思い出してげんなりとした。
(ひょっとしたら、見つけない方が幸せなんじゃないだろうか)
彼がそんな風に考えながら歩みを進めていると、突然「何か」につまずいた。
「うわっ!?」
とっさにバランスを立て直すのは難しいと判断し、「床があるはずの辺り」に手をついて顔から落ちることだけは何とか免れる。
「ど、どうした兄貴っ!?」
後ろから聞こえた北斗の声に、とりあえず答える。
「心配するな、ちょっとつまずいただけだ」
それから、啓斗は自分がつまずいた「何か」を手さぐりで探すと、それが何であるかを判別すべくそれを軽くなで回した。

その結果、啓斗の得た答えは、意外といえば意外なものであった。
「招き猫?」
耳があって、小判らしきものがあって、手があって……ほぼ間違いない。
「どうして床に招き猫が置いてあるんだ?」
少し不機嫌そうに、前にいるはずの和之に向かって問いかける。
すると、和之は困惑したようにこう答えた。
「え? 招き猫なんか、部室にあるはずないんですけど」

「兄貴、それ本当に招き猫なのか?」
二人のやりとりを聞いていた北斗が、もっともと言えばもっともな疑問を呈する。
確かに、普通に考えれば、招き猫を置いている部室などあるはずがない。
とはいえ、この「前衛芸術部」が普通でないのはすでに先ほどの絵で明らかである。
そう考えれば、ここに招き猫があってもおかしくはないだろう。
啓斗がそんなことを考えていると、再び北斗の声が聞こえてきた。
「ちょっと俺にも貸してくれよ。今そっちに行くから」
そして、その直後。
何かが倒れる音と、「いてっ!」という北斗の声が響いた。
「北斗? どうした?」
そう言いながら啓斗が声のした方に一歩踏み出したとき、明らかに床とは違った「何か」を踏んづけたような感触があった。
それを不審に思う間もなく、足下から北斗の声がする。
「いてててて! 兄貴! 俺踏んでる踏んでる!」
「あ、悪い」
一言謝って、啓斗は慌てて足を退けた。

と、その時。
「あの、なんか、ドアノブみたいな感触があるんですけど」
暗闇の遥か先の方から、和之の声が聞こえてきた。
「ドアノブ? ドアがあるのか?」
声の聞こえてきた方に向かって啓斗が問い返す。
しかし、返ってきた返事は何ともとんちんかんなものだった。
「あ、じゃ、ちょっと開けてみますね〜」
その言葉に何か不吉な予感を感じたのか、後ろでスイが大声で叫ぶ。
「わっ、待てっ! なんでもかんでもムヤミにいじるんじゃねぇっ!!」
だが、その言葉は和之には届かなかったようだった。

次の瞬間、ドアの開く音とともに、突然光が戻ってきた。
そして、光と一緒に、鉄砲水までやってきた。

「な、なんだ、一体っ!?」
ワケも分からないまま、流されないように必死に泳ぐ啓斗。
息継ぎのついでに隣を見ると、北斗が同じように必死の形相で泳いでいる。
「なんか、変なところに、放り出された、みたいだぜ」
確かに、辺りを見ると、鉄砲水というより台風で増水した川といった感じである。
「とにかく、岸まで、泳ぐぞ!」
そう言うと、啓斗は力を振り絞って岸の方へと向かった。
もともと運動神経がよく、特に水泳には絶対と言ってもいいほどの自信のある啓斗だったが、このときばかりは岸がとても遠く感じた。





「何とか、助かったみたいだな」
なんとか岸にたどり着くと、啓斗は安堵と後悔の入り交じったため息をついた。
しかし、少なくとも安堵の方は、遅れて岸に上がってきた北斗の次の一言で吹き飛んだ。
「俺達は、助かった、みたいだ、けど、残りの、二人が、見当たら、ないぜ」
啓斗ほどには泳ぎが得意でない北斗は、多少水を飲んでしまったようである。
とはいえ、北斗も運動神経はかなりいい部類に入る。
その北斗でさえこの有様では、普通の人間が泳ぎ切れるとはとうてい思えない。
「流された、と考えるしかないか」
二人は顔を見合わせてもう一度ため息をつくと、川沿いを下流に向かって歩き出した。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜 一難キャンセルまた一難 〜

啓斗と北斗の二人は、先ほどの激流に流されたと思われるスイと和之の捜索のため、川沿いを下流の方に向かって歩いていた。
しかし、行けども行けども川が続いているばかりで、人っ子一人見つかる気配はない。
「だいぶ遠くまで流されたみたいだな」
川の流れていく先を見つめて、啓斗がぽつりと呟く。
ひょっとしたら、という不吉な想像が一瞬頭をよぎる。
啓斗はそれを振り払うと、再び前に向かって歩き出した。





しばらく行くと、川は池のような所に流れ込んでいた。
どう考えてもこんな小さな池にあれだけの水が収まりきるはずがない、と言うような小さな池だったが、川は確かにそこで終わっており、他の何処にも水が流れていっている気配はない。
(ひょっとすると、二人はこの池の中に?)
そう考えて、二人は池の中をのぞき込み、そして絶句した。

最初に見た瞬間、この池の水は黒いのかと思った。
だが、よく見てみるとそうではなかった。
池の水が黒く見えるほどの密度で、大量のオタマジャクシがひしめき合っているのである。
「なんだよこりゃ」
横で、北斗が呆れたような声を出す。
すると、その声に反応したのか、突然オタマジャクシの動きが止まった。
「な、なんだ?」
とてつもなく不吉な予感に襲われる啓斗。
(今すぐダッシュで逃げた方がいいかも知れない)
彼は一瞬本気でそう思ったが、「スイや和之がこの池の中にいるのではないか」という考えと、そしてほんのわずかの「怖いものみたさ」が、彼の足を止めた。
隣で見ていた北斗も同じような葛藤があったのか、一瞬身体をびくりと震わせたものの、結局は黙って池の中を見つめている。
その二人の見守る中で、オタマジャクシたちに劇的な変化が起こった。





オタマジャクシは、やがて手が出て、足が出て、尻尾がなくなって、そしてカエルになる。
そんなことは、守崎兄弟とて当然わかっている。
しかし、その様子を目の前で、それもビデオを早回ししているかのように一瞬でやり遂げられると、さすがに何とも言えない違和感があった。
その上、このオタマジャクシの変態は、普通のカエルのそれと比べてやることが一つ多かった。
手が出て、足が出て、尻尾がなくなった後、このカエルは突然脱皮するのである。
そして、出てきたカエルは、背中にトンボのような羽根を持ち、全身に和之の絵とどこか通じるところのある狂った色彩の派手な模様を持つ、明らかな悪夢の産物と化していた。
その悪夢の産物が、大挙して二人に飛びかかってきたのである。
「うわあああああっ!!」
これには、さすがの守崎兄弟も逃げるより他なかった。
カエルは無限とも思えるほどに次々わいて出てきていたし、なによりカエルたちには敵意のようなものはほとんどなかったからだ。
「懐くな! 懐くなっナマモノのくせに!」
走りながら、北斗が懸命にまとわりついてくるカエルを振り払う。
しかし、振り払う端から新たなカエルにまとわりつかれており、それは全く功を奏していないように啓斗には思われた。

「こう来ると恐竜とかが出てきてももう驚かないぞ……俺は」
大量のカエルにまとわりつかれながら、啓斗はぽつりとそう呟いた。

そしてその時、彼の言葉に応えるかのように、二人の周囲の空間が歪んだ。





気がつくと、啓斗と北斗はどこかの空中にいた。
事態を把握する暇もなく、まとわりついている大量のカエルごと下に落ち、水面、というよりは湯面に叩きつけられた。
さらに、このお湯の深さがさほどでもなかったため、二人は底に腰を打ちつけてしまう。
「今度は一体なんだ?」
そう言いながら、啓斗は立ち上がって辺りを見回した。
「見たところ、温泉みたいだけど」
啓斗に少し遅れて立ち上がった北斗が言う。
なるほど、言われてみれば確かにだだっ広い温泉のように見えないこともない。
しかし、いくら湯煙で視界が悪くなっているとはいえ、どこに端があるのかさっぱりわからないというのは、さすがに少し広すぎる感じであった。
「ともあれ、早いところ二人を見つけた方が良さそうだな」
と、啓斗がそう言った時。
目の前の湯煙の向こうに、人影のようなものが浮かび上がった。
「他に手がかりもないし、行ってみるか」
そう言うと、二人はその人影の方に向かって歩き出した。





その人影の主の姿が見えたとき、啓斗は思わず一瞬硬直した。
そう、人影の主の正体は、若い長髪の女だったのである。
もちろん、温泉の中と言うことで、彼女は何も身に纏ってはいない。
幸か不幸か、この温泉のお湯はかなり濁っているため、へそから下に関してはほとんど何も見えなかったが、逆に言うとそれより上は何一つ覆い隠すもののない状態になっているのである。
純真な男子高校生(?)であるところの守崎兄弟にとっては、この光景は先ほど見せられた和之の絵とはまた違った意味でショックが強すぎた。
「ほ、北斗、どうする?」
ここが女湯であるという可能性に気づかなかった自分の迂闊さを呪いつつ、啓斗は慌てて隣にいる北斗に尋ねた。
「どどど、どうするったって、兄貴、ここはちゃんと事情を話して納得してもらうしか!」
そう言う北斗の声も、見事に裏返っていたが、少なくとも言っていること自体は間違っていない。
そう思って啓斗が彼女に事情を説明しようとしたとき、彼女はおもむろに空の徳利が数本乗っているお盆を引き寄せて、きっぱり一言こう言った。
「言い訳なら聞きたくないね」
その目が、思いっきり据わっているのが啓斗にもよくわかった。
そして、頬に赤みが差しているのが、湯に浸かっていたからでも、羞恥のためでもなく、酒が回っているからだと言うことも。
「とりあえず、逃げた方がいいかも」
その様子から説得の通じる相手ではないと考えたのか、北斗が新たな提案をする。
「俺も、そっちに賛成だな」
啓斗はそう答えると、一目散に彼女とは反対の方向に向かって走りだした。

その時。
「逃がしゃしないよ!」
背後で先ほどの女の声が聞こえ、ついで何かが空気を切り裂く音が啓斗の耳に飛び込んできた。
次の瞬間、啓斗は後頭部に強い衝撃を受け、そのままお湯の中に前のめりに倒れた。





「兄貴! 兄貴! 大丈夫かよ、おいっ!!」
北斗の叫び声で、啓斗は目を覚ました。
「ここは?」
身体を起こして、辺りを見回す。
いつの間にか温泉は跡形もなく消え去っており、辺りは鬱蒼としたジャングルになっていた。
「あの温泉から逃げてたら、いつの間にかこんな所に出ちまったんだ」
北斗の言葉で、啓斗は気絶する前にあったことを思い出す。
「あの時、なんだか後頭部を鈍器で強打された様な気がしたが」
首を傾げる啓斗に、北斗が先ほどの出来事を説明する。
「あのねぇちゃんがお盆を投げたんだよ。木で出来たごっついヤツを」
それを聞いて、啓斗はやり場のない怒りが沸々と沸き上がってくるのを感じた。
(なんで、俺がこんな目に)
(招き猫と言い、鉄砲水と言い、不気味なカエルと言い、さっきのお盆と言い)
(それもこれも、皆空間をねじ曲げている作品とやらが悪いんだ)
そして、啓斗の頭の中で何かが切れた。

「ふ……ふふふふふふ」
啓斗の口から自然と笑いが漏れる。
「良い度胸だよな……単なる作品の癖して……」
その様子の変化に気づいたのか、北斗が慌てて数歩後ずさり、怯えたような声で尋ねる。
「あ、兄貴……?」
しかし、もはや何人たりとも啓斗の怒りを止めることは出来なかった。
「よーく分かった!」
啓斗はそう叫ぶと、必ず「作品」に対して復讐することを心に誓ったのであった。
(その作品とやらに墨汁か油性マジックで『へのへのもへじ』でも大きく書いてやらないと、もうこの怒りはおさまらないな……特大サイズの作品だろうが知ったこっちゃない……)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜 ざ・ふぁいなるばとる 〜

「これだな」
目の前に現れた神殿のような建物を見て、啓斗が一言呟いた。
その人の神経を逆撫でする狂った色彩。人の常識をあざ笑う狂った形状。
確かに、それは最初に彼らが見せられた和之の絵とどこかが似ていた。
「この中に、この空間を作った元凶がある」
そう言い切ると、啓斗はずんずん神殿の中へ入っていく。
「あ、ちょっと待ってくれよ兄貴!」
北斗はそう叫んだが、啓斗は歩みを止める様子はない。
(はぁ、暴走する猪と切れた兄貴だけはかかわり合いになりたくないんだけどなぁ)
北斗は心の中でそうため息をつくと、急いで啓斗の後を追った。

神殿の中は、「失われた」部室の面影が色濃く残るつくりになっていた。
あちらこちらに置かれた、多少ワケが分からなくはあるが別に精神を破壊するほどではないオブジェや絵画は、きっと和之以外の前衛芸術部員が描いたものであろう。
その中には、素人の北斗が見てもなんとなく「芸術」と思えるようなものもいくつかあった。
その一つを指して、北斗が啓斗に言った。
「この絵なんか、なかなかいいんじゃないか?」
先ほどの事件以来、どうも殺気立っている啓斗を少しでも落ち着かせようとしての行動であったが、今の状態の啓斗がその程度で落ち着くはずもなく、北斗の予想していたような成果は上げられなかった。
しかし、その代わりに、北斗の全く予期していなかった方向から返事が聞こえてきた。
「嬉しいですねぇ。それ、私が描いたんですよぉ」
二人がその声の方を見てみると、そこには二人の浴衣姿の美少女がいた。
よくよく見てみると、そのうちの一人はどこかで見たような顔である。
「ひょっとして、スイか?」
北斗がおそるおそるその少女に尋ねると、少女は無言で頷いた。
その様子を見て、もう一人の少女が北斗に話しかけてくる。
「あの、スイさんのお知り合いですか?」
「ん、知り合いってーか、一緒に仕事を頼まれた仲間、かな?」
北斗がそう答えると、彼女はにっこり笑って自己紹介した。
「私、東郷大学前衛芸術部の桐生香苗(きりゅう・かなえ)って言います」
「香苗さんか。俺は守崎北斗、よろしく」
そうして三人が立ち話をしていると、突然先の方から啓斗の叫び声が聞こえてきた。
「あったぞ! これに間違いない!!」
その言葉を聞いて、三人は顔を見合わせると、急いで啓斗の声のした方へ向かった。





啓斗のいた部屋は、神殿の中央部にあった。
部屋の真ん中には祭壇のようなものがあり、その上には明らかに元凶とわかる想像を絶するような物体――恐らく、和之の「作品」があった。
その「作品」はまさに「名状しがたき」と形容する他はなく、精神力の弱い人間であればそれだけで発狂の危険すらあるのではないかと思えるほどに強烈なシロモノだった。
「こりゃ、空間がねじ曲がるわけもわかる気がするな」
なるべく見ないようにしながら、北斗はそう呟いた。
すると、その言葉に香苗が反応した。
「ええ。私にも先輩の作品はあんまり理解できないんですが、すごいエネルギーを秘めていることは間違いないですよね」
「まぁ、確かにすごいエネルギーはある様な気はするけど」
どう考えても負のエネルギーだよな、という後半部分を、北斗は何とか飲み込んだ。

その時、スイが北斗の肩を叩いた。
北斗が振り返ると、スイは黙って部屋の中央の方を指した。
言われるままにその方向を見てみると、そこにはどこからか取り出した墨汁入りのバケツを隣に置いて、大きな筆を振りかぶっている啓斗の姿があった。
「あ、兄貴!?」
北斗はそう叫んだが、すでに啓斗の耳には届かない。
そのまま、啓斗は祭壇上の「作品」に向かって斬りつけるように筆を振るい、いくつもの線を描き加えた。

そして、啓斗が何本めかの線を書き終えたとき。
突然、祭壇上の「作品」が怪しく輝いた。
「なんか、明らかにヤバイ予感がするんだけど」
北斗がそう呟いたとき、突然「作品」の周りの空間が歪み、あちこちに空間の裂け目のようなものができ、そしてその裂け目から次々とワケの分からないモノが飛び出してきた。
「あ、あのっ! さっきから、どんどん事態が悪化してませんか!?」
その想像を絶する光景に、香苗が悲鳴にも似た叫び声をあげる。
「兄貴っ! 兄貴っ! 頼むから、頼むからもうやめてくれっ!!」
北斗も、啓斗に届くようにと必死で叫ぶ。
すると、その思いが通じたのか、ようやく啓斗が筆を下ろした。
「兄貴っ!!」
その声に答えるように、啓斗の顔が北斗たちの方を向き、そして遅ればせながら周囲で起こっている出来事に気づいたのか、驚愕の表情を浮かべる。
「これは一体!?」
そのあまりといえばあまりな言葉に、思わずスイが声を荒げる。
「お前のせいだろうがよっ!」
そうこうしている間にも、辺りの状況は混沌の度合いを増していく。
(ひょっとしたら、このままここから出られないんじゃないだろうか)
そんな不吉な考えが、ちらりと北斗の頭をよぎった時。
突然、部屋の向こう側から来た強力なエネルギーのような何かが、周囲の空間の歪みをうち消した。

(一体、何が起こったんだ?)
おそるおそる北斗がそちらの方向を見てみると、そこにはスケッチブックを持った和之の姿があった。
彼は、北斗たちにも気づかない様子で一心不乱に何かを描き続けている。
そして、その彼の描いた絵からも空間の歪みが生まれ、それが「作品」の引き起こしている空間の歪みとぶつかり、互いに相殺していた。
ことここに至って、北斗たちは「事態はすでに自分たちの理解を大幅に超越してしまっている」ということを改めて痛感した。
四人がただ呆然と見守る中で、いくつもの空間の裂け目が一瞬開いては閉じ、そのわずかな瞬間だけ、どことも知れぬ世界の情景や、何とも説明の付かないようなものが空中に姿を現す様は、まさに幻想の世界か、でなければ悪夢の世界に相違なかった。

それから、どれくらい経っただろうか。
和之と「作品」との戦いは、いつ果てるともなく続いていた。
それを見ている北斗たちにも、そして恐らく戦っている和之本人にも、すでに時間の感覚はなくなりつつある。
「いったい、いつになったらもとの世界に帰れるんだろうな」
北斗が、誰にともなくぽつりと呟く。
と、その一言が引き金となったのか、スイが突然大声を上げた。
「ええい! こんなのやってられっか!!」
そう叫ぶと、スイはズカズカと部屋の中央の方に向かっていく。
「あ、そっちは危険ですよ!!」
香苗が慌てて制止しようとするが、スイはその言葉には全く耳を貸さず、強大なエネルギーのぶつかり合っている部屋の中央部へと踏み込んだ。
彼にとって幸いだったのは、和之と「作品」の力量がほぼ同じで、ほとんどの力が相殺されていたことであろう。
スイは無傷のまま部屋の中央部にある「作品」の横にたどり着くと、おもむろにその「作品」に回し蹴りを一発喰らわせた。
それによって彼我の力のバランスが崩れ、次の瞬間、和之の力によって「作品」は空間の裂け目へと押し込まれていった。
「やった!」
和之がそう叫んだとき、「作品」を飲み込んだ空間の裂け目が口を閉じ――そして、この空間を作りだしていた「元凶」である「作品」の消滅によって、神殿と、神殿を含む空間が一気に崩壊した。





気がつくと、北斗たちは西日の射す部屋の中にいた。
壁には、先ほどの神殿の中で見たような絵がいくつかと、大量の画材の入った棚がある。
そして、扉の外に見える景色は、間違いなく最初に「何もない」の中に踏み込む前に見た景色であった。
「俺たちは、戻ってきたのか?」
窓から外を見て、ぽつりと啓斗が呟く。
それに続いて、部屋の細部を見て回っていた香苗が嬉しそうに言った。
「間違いありません。前衛芸術部の部室です!」
その言葉で、部屋中の全員が安心したようにため息をついた。
部屋の中の誰の顔にも、安堵感と達成感のようなものが見える。
それを代表するようにして、和之がにこやかに笑ってこう宣言した。
「探し物も見つかりましたし、全員無事で帰って来られましたし、めでたしめでたし、ですね」

もちろん、次の瞬間彼がスイに蹴っ飛ばされたのは言うまでもない。
「そもそもの元凶のお前が言うなっ!!」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜 その後 〜

その日の晩、啓斗は窓の外を見ながら今日あったことを思い出していた。

どう理由を付けても、どう言い訳を考えても、とにかく「延々とひどい目にあった」ということは、やはり否定しようのない事実であった。
しかし、すでにそれらが全て過去のこととなり、一歩退いた「当事者ではない立場」から事件のことを回想してみると、これはこれである意味非常に貴重な体験であったようにも啓斗には思えた。

「まだまだ、世の中には不思議なことがあるもんだな」
軽く苦笑して、啓斗がそう呟いたとき。
目の前の窓から、何かが張り付いたような音が聞こえた。
啓斗は反射的に目を上げて、そして、我が目を疑った。

そこには、あの悪夢の産物としか呼びようのない羽根つきガエルの姿があったのである。

「!!」
啓斗は驚いて一度目をこすり、そしてもう一度窓の方を見た。
すると、すでに羽根つきガエルの姿は消えていた。
だが、窓に残ったカエルの形の輪郭は、明らかにそこに「何か」がいたことを示していた。

「普通のカエルだ、見間違いだ。きっとそうに違いない」
啓斗は自分に言い聞かせるようにそう言うと、電気を消して眠りについた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0568/守崎・北斗/男性/17/高校生
0554/守崎・啓斗/男性/17/高校生
0821/スイ・マーナオ/男性/29/古書店「歌代堂」店主代理

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■         ライター通信          ■
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撓場秀武と申します。
今回は私の依頼に参加下さいまして誠にありがとうございました。
さて、今回こそは早期作成を狙ったのですが、結局終わってみるといつも通りのタイムリミットぎりぎりの納品となってしまいました。
その分クオリティ面ではそれなりに納得にいくものになったと思っているのですが、次回こそはもう少し早く完成させたいな、と思っております。

・このノベルの構成について
このノベルは全部で六つのパートで構成されており、うち三つ目、四つ目、そして六つ目のパートについては複数パターンがございますので、もしよろしければ他の方の分のノベルにも目を通していただければ幸いです。

・個別通信(守崎啓斗様)
二度目のご参加の方誠にありがとうございました。
今回は北斗さんと啓斗さんがずーっと一緒に行動していたせいもあって、ちょっと二人のかき分けが出来ているかどうか個人的に気になっていたりするのですが、いかがでしょうか?
もし何かありましたら、遠慮なくツッコミいただけると幸いです。