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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


人形師の夜

<オープニング>
「今回の依頼はこれだ。」
 草間が差し出した写真には、街灯に照らし出された路上に倒れる女性の死体が映っていた。
 その周辺は血の海に染まり近づくことさえ出来ない。
「被害者は浅川由美子24歳。犯行時刻は深夜0時〜2時と思われる。池袋の自宅へ向かう途中で殺害されたようだ。」
 よくよく目を凝らしてみれば、彼女の首は掻き切られており、不自然な方向で胴と漸く繋がっているような状態だった。こんなことが出来るのは一体どんな人間なのだろう。
「警察はもう既に犯人に目星をつけている。俺の推理も同じだ。」
 そして草間は煙草に火をつけ、いつものようにデスクに腰を掛けた。
 人形師・寂光(ジャッコウ) 新進気鋭の人形作家。和洋を織り交ぜた新しい技法でリアルすぎるほどに精巧な人形を作る。先年発表したテーマ創作「若草物語」にて表舞台に躍り出た。「若草物語」は4人の性格の違う姉妹達を書いた名作であるが、彼はその通り4体の人形でそれを見事に現した。
 殺された浅川由美子は「若草物語」の三女ベスのモデルだった。長女メグのモデルを勤めた女性も、次女ジョー役だった女性も殺されている。犯行時刻はいずれも真夜中。残るは末のエミリー役だった野々村愛のみ。
 2人目が殺された次点で彼は一度逮捕されたが、証拠がなく釈放。だがこのままで行けば必ず残りの2名も殺される。警察はそう考え、彼女らに護衛をつけた…が。
「だがそれでどうにかなったなら、俺のところに依頼なんぞ来ないさ。」
 草間は灰皿に煙草を押し付けて、ちらりと視線をソファに投げた。
「ベス役の浅川由美子は殺された。警察の目の前で…彼女自身の人形が殺しに来たと警察は言っている。警察はこれを人外の事件と位置づけた。そして残るは野々村愛だけだ。…彼女を守り、必要とあらば寂光も…。どうだ? この依頼…危険だが受けてみるか?」

<喫茶『時の間』>
 ジリジリと焼け付く太陽がアスファルトを焦がすような日。騒がしい表通りから一つ道を入った所。目立たぬ扉を開くとそこには外の暑さや喧騒などまるで嘘のようにしん…と静まった空間がある。そこに漂う珈琲の香りは気怠い午後を永遠のものにし、天窓から落ち掛かる光は古いがよく磨き上げられたダークブラウンの床に降りて僅かな埃を光の粒のように見せ、その光に手を伸ばすかのように配置された緑がやけに静かに息づいてる。
 喫茶「時の間」はそんな場所だった。
 そして店の年若いマスターは、カウンターの内側で自分用のスツールに腰を下ろし、肩肘を付いたまま深紅の瞳でぼんやりと、天窓の向こうに見える青い空を眺めては時折思い出したように手元の冷えた珈琲をズズ…とやる気なさげに啜っている。店の中には彼以外誰も居らず、唯一手伝いの少年もお使いに出て、店内はいつにも増して静まり返り、まるで本当に時間が止まっているかのような、不思議な午後だった。
 カラン…。
 扉に付けられた昔風のドアベルが、何日か振りに鳴った。その音が手伝いの少年の開け方とは違うと気付いた彼が少々驚いて紅目を上げると、そこには短い光の影を落として、一人の青年と、その腕に抱えられるように一人の少女が立っていた。
 表の騒がしさを一瞬伝え、扉は重みで彼らの後ろを閉ざす。
「すんません…こちら綾小路蘭丸(アヤノコウジ・ランマル)…はんの店ですやろか?」
 カーキのシャツに斜め掛けのバックを背負った黒髪の青年は、看板さえ目立たぬこの店に不安を覚えていたらしく、やや心許無さそうな声と聞きなれぬイントネーションで彼の名を呼んだ。
「そうだけど…誰だ、お前ら。」
 彼は整った眉を不審気に片方上げた。もしいつも客に対してこの態度だったとしたら、この喫茶店が流行らないのも無理は無いかも知れない。だが相手は彼のそんなぶっきらぼうな調子を気に留めている余裕が無い様だった。
「良かった…。あの…ホンマいきなりで悪いんですけど、話は後で、ちょっとこの子…休ませてもろてもかまいまへんか?」
 2人とも高校生くらいか、もしくはもう少し上か。
 綾小路は眉を潜めた。この子、というのは先程からぐったりとした様子のその少女のことに違いない。熱射病か日射病か。それは分らないが。
 彼は溜息をついて立ち上がり、突然の訪問者に向けて、指先で店の奥を指し示して見せた。

 店の奥には休憩室ともただの物置とも取れる小さな部屋があった。隅にはソファが置かれており、砂山優姫(サヤマ・ユウキ)はそこに横たわるように言われて、綾小路が持ってきた冷たいタオルを頭と、それから首筋に乗せていた。
「…と、言うわけなんです。」
 彼女の連れ、今野篤旗(イマノ・アツキ)の声が遠く聞こえた。彼は外の暑さに具合を悪くした彼女を気遣って、ここを尋ねてきたその訳を、一人で綾小路に話し終えたところだ。
「ふぅん。」
聞き終えた綾小路は軽く頷いて言った。「つまり草間は俺を攻撃力として選んだってのか。」
 彼の後ろ頭で結んだ髪が、その動きに合わせてさらりと揺れる。身体は細身だし面立ちも優しいのに、どこか人を圧するオーラを纏った男だ。
「そうです。僕と優姫ちゃんは野々村さんの守りに回ろ思てますから。」
 草間興信所で直接依頼を聞いたのは優姫と今野、そしてもう一人居たが彼女は依頼を聞くだけで帰ってしまった。とはいえそれでも2人居るのだから一人が攻撃、一人が守りに回ればいいのに…と優姫は思ったが、今野は頑としてそれを譲らなかった。
『ええか、優姫ちゃん。今度の事件は殺人なんや。従姉妹はんも同意見らしいけど、勿論僕も優姫ちゃんをそんな危ない場所には行かせられんと思とる反対派や。でも優姫ちゃんは言っても止めへん頑固者やし…だから、…分るやろ?』
 そんな言葉に優姫が困ったような無表情をして見せている間に、顔を赤らめた今野はさっさと草間に誰か他に人手は無いかと尋ね、そしてここまでやって来たのだ。
「そういう事なら確かに依頼を受ける筋合いはある。」
言って物騒な微笑を浮かべた。「俺を選んで来るあたり、草間も捨てたもんじゃねぇな。」
 手指をボキリと鳴らして、不穏な赤い瞳を輝かせる綾小路は、確かにどうやら攻撃向きの人間のようだ…と、額に乗せたタオルの隙間から彼の表情をのぞき見て、優姫はそう思いながら身体を起こした。
「では、受けてもらえるのですね?」
 調子は大分良くなっている。二人の青年はちょっと吃驚したように彼女を振り返った。
「もぉ大丈夫なんか?」
「ええ、平気です。ご迷惑をおかけしてしまいました。」
 ソファの上で姿勢を正し、彼女は2人に向かって深々と頭を下げた。漆黒のまっすぐな髪が膝元まで付くほどに。今野はそんな優姫の傍に寄って、彼女の顔を上げさせる。
「ええって。それより綾小路はんも仲間に入ってくれた事やし、これからどうするか考えよ。」
 だが、今野の言葉に意外にも反応してきたのは綾小路の方だった。
「なんだ、お前らそういう関係?」
向かいのソファから立ち上がりながら、彼は言った。「女なんかどこがいいのかねぇ。直ぐ泣くし怒るし…。」そこで、ふ、と笑う。「倒れたりするしな。」
「なっ…。」
 今野は思わず彼を追って立ち上がり、優姫を莫迦にしたようなその言葉を撤回させようと口を開きかけたが。
「違います!」
優姫の思わぬ大声に振り返った。「私と今野さんはあなたが思うような関係ではありません。誤解、なさらないで下さい。」
 綾小路は少し驚いた様子で2人の顔を見比べた。そして一つ溜息をつくと
「…これだから女は好きじゃないんだ。」
 もう一度同じような意味の事を繰り返した。女ってのは素直じゃなくて、その癖物腰一つで色々と語る。だから綾小路は、優姫の言葉にショックを受けているらしい今野を振り返り部屋の隅を指差した。
「そこにネットがある。調べたい事があるなら二人だけでやってくれよ。俺が手を貸すのはその人形師とやらのところへ行く時だけだ。それまでは勝手にするんだな。」
だが、複雑そうな、すがる様な顔をしてじっと自分を見詰めてくる2人の表情に、彼は一つ溜息をつき、小声で一言だけ付け加えた。「俺はこれでもここの店主なんだから…閉店するまでは手伝えねぇ…ってことだ。」
 客一人来ない喫茶店のマスターは、そう言うとドアの向こうへ姿を消した。

「まずは寂光氏と人形の線を辿っていくのが一番やと思うけど。」
 今野の長い指先が軽やかにボードの上を滑る。キーワードは「人形 寂光 若草物語」。そして彼等はものの数分もしないうちにそのページに行き着く事が出来た。
「三津丸ビル…彼は最近人形展を開いたみたいですね。若草物語も出展されたようです。」
 ブラウザを後ろから覗き込んでいた優姫が答える。
「三津丸ゆうたら、かなりレベルの高い芸術家しか展覧を許されてへん筈の高級デパートや。開催期間は6月24日から7月24日…もう終わってしもてるけど。」
「殺人があった日付とは、重なっています。」
 2人は顔を見合わせた。
「その時、寂光氏のアリバイは完璧やったて草間はんは言うとった。…なぁ優姫ちゃん。僕は実のところ人形本体の方が怪しい、と思うとるんや。」
「今野さんも…ですか?」
優姫は少し驚いたような顔をして、それから細い指先で画面を指差す。「ここを見てくださいますか?」
 そこには操り人形師としての寂光の経歴が書かれており、過去作品と書かれたリンクを辿って見つけた彼の昔の人形は、柔らかく温かな雰囲気を醸し出していた。
「こんな人形を作れるならばきっと、お優しい方でしょうに…。」
 珍しく積極的に話し、じっと彼を見詰める黒目がちの大きな瞳。今野は納得したように頷いた。「よし…ならもっと調べたるよ。きっとネットだけでももっと色々と分るはずや。」

「人形は今、寂光氏のアトリエにあるそうです。」
『女は苦手。』と面と向かって言われたにも関わらず、優姫は出されたアイスコーヒーを前に、いつも通りの口調で言った。「寂光氏も警察から釈放された後そちらへ戻っているそうですから私達はそこへ行くのが良いと思います。」
 ふぅん、とカウンターの向こうから綾小路は気の無い返事を返す。
「この店は何時までの営業やろか?」
と今野が尋ねた。「寂光氏本人に聞いてみたいことも沢山あるし、それに何らかのアクションを起こせば、人形にしろ彼本人にしろ反応を返してくるんやないかと思うとるんです。今までの事件は全て真夜中に起きとりましたから、カマかけるなら今のうちで、真夜中を待とう、いう事になったんですけど。」
「だから、そろそろ移動しなければいけません。野々村さんには一緒に行って欲しい旨を伝えてあります。彼女にも聞きたいことがありますし、守るなら傍に居て欲しいですから。」
 ふぅん、とまた綾小路は返事を返す。
「綾小路はん、聞いてはりますか?」
 先刻の事もあり、ちょっとむっとした様子で今野が口調を強めると、グラスを拭いていた綾小路は肩を竦めて振り返った。
「聞いてるって。だけど先刻言っただろ? 俺がどうこうするのは最後。頼まれたのは攻撃。」
ずっと着けていた紺色のエプロンを外してカウンターの一部を持ち上げ、綾小路はフロアに出る。「だからグダグダ言ってねぇで、行こうって言えばいいんだよ。…ほら、急ぐぞ。」
「もぉ…何なんや、この人。」
 今野は髪を掻き回す。全くやる気があるのか無いのか、良く分からない人だ。
「綾小路さん? お店は…。」
 優姫の問いかけに綾小路はあっさりと答えた。
「ああ…? ああ。ここは俺の店なんだから。いつ閉めたって誰にも文句は言わせねぇよ。」
 不定休・不規則開店、それもどうやらこの店が流行らない一つの原因であるらしい。

 ちらほらと見えていた住宅も西に向かうにつれて少なくなっていく。綾小路がハンドルを握る車に乗って、段々と夕闇に染まる中、一行は人形師・寂光のアトリエに向かっていた。
「あの…。」
 なぜかしん…としたままの車内で漸く口を開いたのは、野々村愛。聞けば今は大学の夏休みだというが、突然の呼び出しに大人しく家を出てきた。白い肌に茶色く染めた髪、どこか我侭そうに見える上向きの低い鼻は確かにどこか四女エミリーを思わせる。
 運転中の綾小路、助手席に座る今野、そして後部座席に居る優姫の顔を見渡して、彼女は話掛ける相手を優姫に決めたようだ。
「これから寂光さんのアトリエに行くって言ったけど…私は一体何をしたらいいの?」
「何もしなくていいさ。」
答えたのは、だが優姫ではなくて綾小路。「あんたはただこの2人に守られてりゃいい。どうせ何もできねぇだろ?」
 そのそっけない言い様に、今野はその横顔に声を掛けた。
「あのなぁ綾小路はん。そないな言い方しとったら、ホンマに人間関係壊れますよ。」
 だが綾小路は知らん振りをして答えない。
 その時、優姫は俯いた野々宮の手が微かに震えていることに気付いて、静かに尋ねた。
「怖いの?」
 野々村愛が弾かれた様に優姫の顔を見る。だがしばらく考え込んだ後、強く首を横に振った。
「うぅん、寂光さんのことを怖いと思ったことは一度もない。」
「あんたを殺そうとしてるかもしれない男だぜ?」
 綾小路はバックミラー越しに言った。その脅すような口調に、今野がもう一度彼を諌めようと口を開きかけたとき。
「寂光さんはそんな人じゃない。怖いのは人形だけよ。皆…皆あいつらに殺されたんだから!」
 声高になった野々村の手を、優姫は思わず捕まえる。
「どうしてだよ?」
と、そこに冷静な声が飛んだ。綾小路の声である。野々村愛は驚いたように彼を見る。「どうして人形があんた達を殺すんだ? そこにどんな理由があるってんだ。そこが一番の問題だろ?」
「それは…分らないけど…。」
 野々村愛は口篭もり、綾小路は笑って言った。
「寂光は案外、あんた等より自分の作った人形のほうが優れてるって…不出来な人間の方は目障りだ…なんて思ったのかもしれないぜ?」
「兎に角寂光さんは違う。だって人形ができてからだもの。寂光さんが…おかしくなったのは。」
「おかしくってどうおかしなったん?」
 今野の問いに野々村は言った。
「あいつらが出来上がってから寂光さんはアトリエに篭もって、誰も中に入れなくなった。」
「じゃ、人形が完成してから寂光はんには4人のうち誰も会うてへんかった、ちゅうこと?」
「多分。」
「多分?」
「だって私達、人形が出来上がった頃から段々会わなくなっちゃってたから…。誰かが行っていても分らなかったと思う。
「…怪しいなぁ。凄く。」
 綾小路がぽつりと呟く。
「人形に憑かれたか…それともやはり彼が犯人なのか…。」
 優姫は微かに眉をゆがめて、呟いた。
「ここでグダグダ言ったってはじまらねぇさ。」
 綾小路が言い、2人は頷き、野々村愛は不安気な表情を隠しきれぬまま、ただ黙っていた。

<アトリエ2>
 野々村愛と草間興信所の面々の乗った車が、寂光のアトリエに到着したのは、既に夕日が落ちた後だった。人家が途切れ、それからまた山に入ってしばらく。通りが細くなりとうとう砂利敷きの細い小道に変わったところで、綾小路蘭丸(アヤノコウジ・ランマル)がとうとう車を止めた。
「降りよう。この先は歩きじゃねぇと無理だ。」
 もうUターンすることさえままならぬ小道の両脇には、先程から竹林が広がっており、その葉の隙間からはとっぷりと暮れた夜空に浮かぶ月が見えた。
 そしてその先に見える人形師・寂光のアトリエは、竹林の中の空き地に建てられていた。古めかしい別荘だったが大きく取られた窓から中の様子が伺える。明かりのついている部屋は一つだけで、その他は暗闇。
「随分静かなところですね。」
 砂山優姫(サヤマ・ユウキ)は野々村愛に手を貸しながら車を降り、辺りを見回した。風に揺れる葉の音があまりにも大きくて、まるで川の流れのように聞こえる。
「向こうから誰か来る。」
今野篤旗(イマノ・アツキ)の鋭い声に行く先を見た一行の目に、長身の男の姿が映る。「あれが寂光?」
「うぅん。違う…誰?」
 野々村愛が首を振る。その間に相手はどんどんと一行の方へ歩いて来ていた。月光に光る長い銀の髪と金の瞳。スーツを着込み、細いノンフレームの眼鏡を掛けている。
「誰だ?」
 綾小路が先に立って尋ねる。その後ろで今野と優姫が背中に野々村愛を庇う。だが相手の口から出た言葉は、意外なものだった。
「…お前たちが草間興信所の人間か…?」

「あれは地下室に続く階段がある部屋だ。」
 と 綺羅(キラ)アレフと自らを名乗ったその若い男は、明かりのついた窓を指差してそう言った。 後から興信所の依頼を人づてに聞いてやってきたのだと言う。初めは警戒していた一行だったが、やがて本当に彼が草間興信所がらみの人間であると知り、一旦お互いの情報を交換する為時間をとる事にした。
「人形は地下にある。寂光はまだ地下にいるのかもしれない。」。
 月明りに照らされる竹林の中、5人は各々好きな場所に佇んだ。綾小路は辺りを警戒しながらも半分ドアを開けた運転席に、今野と優姫は小道の脇で間に野々村愛を庇いながら、そしてアレフは車のボンネットに腰を軽く掛けるように。
「人形は確かに意思を持っている。そしてそれは寂光の意思には反しているようだ。」
 彼は、私に怯えつつもこの身を逃がそうとした。と、アレフは言った。
 アレフは事件そのものについて寂光に尋ねると言う事はしなかったものの、人形の様子を見、そして寂光が若草物語とそのモデルを選んだ理由は聞き出してきたのだという。
「だが寂光には止められぬ。…あれは…私が背後に感じた気配は、かなりの強さだった。それ故一旦引いた。」
 と呟いてアレフは心の中で付け加えた。
── 寂光を含め、全てを一息に消すのなら簡単なのだがな…あの様子なら寂光は生かさねば。
 アトリエで起きた出来事を一通り聞き終えると、彼らは溜息をついた。…真夜中になればきっと何かが起こるだろう…アレフが火付け役になったようなものだ。
「僕達が寂光はんに会うんはもう無理ですやろか?」
今野は夜が更けるにつれて強まって来た風から目を庇いつつアレフに問いかけた。「人形が勝手にやっとる事と分ったからには、少しでも情報が欲しいところや。…弱点とかあれば聞き出しときたい。」
「少なくとも私はもう近づけないな。救うつもりが逆に怯えさせてしまった。」
アレフは肩を竦めてそう言った。「会いに行くのは構わぬと思うが…私は外で待とう。」
「…俺も。」
綾小路が軽く手を上げ、キーを抜いて車を降りた。「面倒なことはいやだからな。戦うか、否か。そのどちらかだけだ。ただここで待つのは不利だと思う。」
 ここは身動きが取りにくく、攻撃には適さない。彼はアトリエの前庭までは行くつもりでいた。
「真夜中になる前に寂光はんを人形から引き離さんと…。動き出した奴らに盾されでもしたら敵わん。」
「攻めにくいしな。」と、綾小路。
「私が行きます。会って話してみたいですし、寂光さんにも守りは必要だと思いますから。」
 手を上げたのは優姫。
「せやったら僕も…」
と言いかけて、今野は後ろにいる野々村を振り返った。彼女をここに置いておく訳には行かない。
「真夜中まではもう幾らも無いぞ。…行くなら急げ。」
 アレフが優姫に向かって低く呟いた。
「…っ…気をつけてな。」
 今野は優姫の細い背中を心配げに見送った。

 優姫は迷い無く短い階段を昇り玄関のチャイムを鳴らした。が、答えは無い。背中に仲間の視線を感じながら、彼女はゆっくりとドアノブを捻ると…開いている。
 アレフを追い出した時に、鍵を掛けることを忘れたのだろうか。優姫はゆっくりと扉を開け、最後にちらりと後ろを振り返るとアトリエに入った。
 アトリエの中の空気は、ねっとりと身体に絡みつくように温く、呼吸をすることも辛い。アレフはアトリエに魔の気配は無かったとそう言っていたが、少なくとも今はそう思えなかった。
 ソファと暖炉しか無い部屋に入って優姫は辺りを見回す。すると部屋の隅に螺旋を描いて地下に通じる洒落た階段があった。彼女は微かに喉を鳴らして手摺に手を掛ける。
 十中八九、寂光も人形達もこの下にいる。そして、これは彼女だけの考えではあったが…
── 人形たちにどんな理由があったのかはまだ分らない。が、直ぐにもモデルである4人を殺したかったであろう一つ一つの殺人は酷く間をおいて行われていった。それはつまり、人形の勝手を止めていたのは、寂光で、彼が人形を抑え切れなかったときだけ、殺人が行われたのではないか…。
 だからこそ、彼女は寂光本人にそれを確認したかった。人形を止めていたのはあなたではないのか?と。
 そして彼女は見た。薄暗い地下で一人、人形の前に傅く様に寂光その人が顔を伏せ、口の中で延々と何かを呟いている光景を。
「…私は確かにお前達を、あの4人になぞらえて作ったよ。いつまでも仲良くして欲しいと願いを込めて。…だが人はそのままではいないものなんだ。人間は人間。お前達はお前達…。」
 だが、人形達は既に動き出していた。微かに、4体の視線はお互いを見つめ、口元がにっこりと微笑みあう。とても、仲の良い4人姉妹。
「諦めてこのままここに居てくれ。もうあの子を狙わないでくれ。人を殺すなど…」
だが人形達の腕は徐々に上がり、台座から立ち上がる。寂光の声は段々と悲鳴に近くなり、そして彼は頭を抱えて突っ伏した。「駄目だ…抑えられない…。」
「寂光さん!」
 優姫は思わず彼に駆け寄った。寂光は見慣れぬ少女が突然現われたことに驚いて、彼女の顔をまじまじと見詰める。
「君は…?」
「私は…。」
 優姫が答えようとした、その時。人形のうち一体が彼女へと飛び掛ってきた!
「危ないっ!」
 寂光の腕が彼女を突き飛ばす。そして人形の腕が彼の背中を強打し。「う…。」
 寂光はその場に倒れこんだ。人形は、うつろな瞳で彼のことをじっと見詰めていたが…
「あなたたちの相手は私。」
優姫の声に、ぐるりと振り返った。「寂光さんはあなたたちの生みの親でしょう?」
 今日の彼女に、力のセーブをする気はさらさら無かった。

<戦闘>
「皆さん! 避けてください!」
 肩に気を失った人形師・寂光の身体を抱えながら、優姫は思い切り叫んだ。
 地下から逃げつつも人形を攻撃したのはいいが、その力はセーブしきれずに壁に穴を開け、人形ともども一行のほうへ吹き飛んで行ったのだ。
 だが。その時
「行け! 白虎!」
綾小路の自信たっぷりの声が響いたかと思うと。ほの白く光る塊が彼の前に姿を現した。と次の瞬間には飛んできた人形にぶつかって弾き飛ばす。彼は地面に叩きつけられ動かなくなった人形を目の前に、ニヤリと笑った。「どうだ? 俺の四神の味は。」
 綾小路の傍らに立つのは白い虎…その姿は勇猛、その気は強。そして彼は振り返って今野とアレフを見た。
 アレフは地面から飛び出してきた内の一体を相手に戦っていた。長女メグの姿をしたその人形は優雅な物腰を持つと思いきや、思いのほか力強く、振り下ろされてきた腕を剣で受け止めたアレフは一瞬眉根を寄せた。だが戦いとは力だけでするものではない。彼女は半身を捩ってひらりとその腕を受け流す。
「…ふ。この程度か? お前達の『想い』とは。」
 アレフの剣は美しく弧を描き、メグの首筋を狙った。だが人形はカクリと首を傾げるようにそれをかわした。そして腕が真横から飛んでくる。
「っ…。」
 アレフは一瞬目を見開いた。思わぬスピードにスーツの胸元が切られ、首から提げていた銀の十字架が闇夜に光り、白い肌が見える。
「苦戦してるのか? 手伝ってやろうか!?」
 ご機嫌な様子で綾小路がアレフの背中に声を掛ける。だが。
「相手を良く見ろ。…まだお前の敵は倒れてはいないぞ。」
 アレフはメグの一撃をなぎ払い、返す刀で彼女の腕を切り落としつつ、冷静に辺りを観察していた。綾小路の相手・次女ジョーの人形は微かに震えながらもむくりと身体を起こしつつある。
「やれやれ…しぶてぇなぁ。」
綾小路は背後の気配に苦笑する。「幾ら向かってきても…。」
 そして、大きく腕を上げた。傍らでたくましい四肢を踏みしめる白虎とはまた別の赤い影が空に浮かび上がる。
「俺に敵う訳ねぇんだって! 行くんだ…朱雀!!」
 彼の瞳と同じ紅の翼を輝かせ朱雀が舞った。炎の尾を引きながら人形に踊りかかって牽制する。
 そしてそんな中、野々村愛は信じられないものを見ているかのように、今野の背中に庇われながら目を見張り、震える足で漸く立っていた。
「何…何が起きてるの…。」
「野々村はん…気をしっかり持ってな。…必ず、守ったるから。」
 その言葉の通りだった。残り二体の人形は明らかに野々村愛を狙って動いている。特にウェーヴの掛かった金髪をした4女エイミーの人形から感じる殺意の冷気は、今野の身体を凍らせてしまいそうなほどに低い。
 今野は動きの早いエイミーと、妙なリズムで打ちかかって来るベス、二体の人形に挟み込まれそうになるたび、彼は右と左手に熱気と冷気を作り上げ、二つの渦の間に作ったカマイタチで寄ってきた人形の手を切り裂く。だが、人形に痛みなど有るはずもなく、怯まぬ。
 野々村愛は、とうとうその場に腰を落としてしまった。
 今野は軽く舌打つと、アトリエの玄関先に蹲っている寂光と優姫の姿を確認し、隙を見て野々村愛の傍に肩膝を付いてたずねた。
「野々村はん、あそこまで…寂光はんのところまで、走れるか!?」
「だ…駄目…無理…。」
 野々村愛は力なく首を振る。今野は綾小路とアレフを振り仰ぎ。
「アレフはん、綾小路はん! 援護頼みます!!」
叫ぶと同時に野々村の肩を抱いて殆ど引きずるように走り出した。
「よし。」
 アレフが片腕を無くしたメグの鈍くなった動きを見越し、彼らを追うベスに追いすがる。そして綾小路が憤慨したように叫ぶ。
「守りは苦手だって言っただろ!?」
だから彼はエイミーを指差して白虎に指示を飛ばした。「行け!あいつを食いちぎれ。」
 そして優姫は。走り出した今野の背に追いすがる人形達の姿を見て、寂光の体から手を離し、立ち上がった。
「やめて! あなた達が寂光さんの人形なら、そんなことしてはいけない!!」
 彼女の心は今、憤りで一杯だった。人形は人に作られる。愛情や、その想いを籠められて。そして寂光が籠めたのは、4人がいつまでも仲良く慈しみ合っていけるようにという、そんな想い。
 だが今、狂気に取り付かれた人形達の間には何のつながりも見えはしない。
「人間には、流れる時間があるの。いつまでも一つの場所にとどまることなんて無いの。」
優姫は手のひらをゆっくりと重ね合わせ、丸く形作った。その中に淡い光が灯る。「無くして行く記憶…新しい出会い。人は…成長していくものなのよ!」

── 忘れてしまうことは、怖くは無いか?
 優姫の脳に、人形の声が響いた。
── それは、お前も誰かに忘れられてしまうという事だぞ。

『人形になれ。…仲間になれ。…私達と一緒になれ!!』

「怖いわ。」
目の前まで迫ってきた人形の言葉に、優姫はひっそりと囁いた。「怖い…とても。」
 自分が忘れてしまうことも、人に忘れられてしまうことも。
「でも…記憶だけが全てじゃない。人には心があるの。人には想いがあるのよ。そしてそれはあなたたちにも与えられた筈だったのに。」
手のひらの中に出来た淡い光を、優姫は容赦なく解き放つ。「あなたたちは、それをゆがめ、元の想いを忘れてしまったの。」
 光は彼女の制御を離れ、まっすぐに人形へとぶつかって行った…。

<エンディング>
 寂光のやせ細った身体をアトリエのベッドに運ぶと、一行は無言でお互いを見、そして一息ついた。野々村愛がその傍らで心配げに彼の様子を見ている。先程までは真っ青な顔をしていたが、今は気を取り戻しているようだ。
「…結局あの人形達は、私達4人がそれぞれの道を進んで…離れていくことが許せなかった。って事か。」
ぽつりと呟いて、彼女は4人を見上げた。「私達がモデルをしていた頃、確かに寂光さんは言ってた。いつまでも仲良くしてくれって。僕の望みはそれなんだ。って。」
だが彼女等とていつまでもそのままではいない。一人一人が年を取り、自分の道を見つけて歩き出す。「私達は、別に忘れた訳じゃなかったのに。」
 寂光は暴走を始めた人形に気付き、それを全力で止めていた。やせ細った彼の頬を見詰めながら、野々村愛の目からほろり…と涙が一筋こぼれた。思い出しているのだろう。殺された3人と共に寂光の操り人形を見て喜びの声を上げ、あとを追いかけて遊びまわったあの頃のことを。
「仇だけはとってやったけどな。」
 綾小路がポツリと言った。
「だが戻らぬものは戻らぬわ。」
 アレフの静かな声が、響いた。
「…く…。」
その時、気を失っていた寂光の眉がピクリと動き、目を覚ました。「君達は…。」そして辺りを見回し、訪ねた。「…人形は。」
「…もう、いません。」
 優姫が答える。
「………そうか。」
 長い沈黙の後、呟いた寂光の声には、疲れと安堵とそして、やるせない後悔の念が漂っていた。
「私が壊すべきだった。一人目が殺されたとき、私には分っていたのだから。」
「なんでやらへんかったんや。」
 今野の言葉に、寂光はこけた頬に影を落として、微かに自嘲の笑みを漏らした。
「あの頃私がモデルだった子供達に感じていたのは愛情だけではない。彼女らの自由さや未知なる将来への希望のまなざしが、逆に操り人形師としての限界を感じていた私へ不安や焦りをもたらしていた。だがあの人形を作り上げたとき、私の中から『変わることへの妬ましさ』や『変われぬ自分への憤り』…そんな気持ちが抜け落ちて彼女たちに宿ってしまった。」
「そんな。寂光さんはそんな人じゃない。」
 野々村愛が彼の手を握る。だが寂光は力なく首を振った。
「知らないだろうが、私はそういう人間なんだよ。」
心は軽くなり、そして彼は新しい人形作家として、生まれ変わった。「そして私は…人形を壊せばその淀んだ心が戻ってきてしまうのはないかと…戻ればもう、今までのような作品が作れなくなってしまうのではないかと…毎夜、人形と対峙しながらその心を抑えきれずに…。」
 彼は頭を抱えてうつむいた。野々村愛がそっとその背に手を添え、4人を見上げて、微かに首を振る。
「変わらなければ良かった。ずっと操り人形だけを作っていればよかった。…私が殺した。」
 そっとアトリエを出て行く4人の背中に、寂光の呟きだけが聞こえた。

 人形師に心を残しながらも、一行は夏虫の鳴く庭に出た。そこには先程の戦闘の名残が残っていたが、あの得体の知れない雰囲気は跡形もなく消え、ただ月の明るい良い晩になっていた。
「まあ…これで解決ということか。人形はもう居らぬ。野々村愛も無事だ。」
 アレフが静かに言い、そして3人は頷いた。
「俺が一体、お前が一体。」
綾小路が指を折り、数えた。「アレフが一体、…優姫が一体。」
 漸く優姫の名を呼んで、彼は今野と優姫を見た。
「引き分けだな。結構見直した。」
「賭けはチャラやな。」
 今野の言葉に、優姫が不思議そうな顔をした。だがそこに。
「賭けというものは。」
と、アレフは真面目に言った。「誰も勝てぬ時の報酬は親の総取りと決まっているな。」
「「な。」」
 綾小路と今野の口が、真ん丸く広がった。
「バカ言うな。」
 と、綾小路。
「なんでそんな…。」
 と、今野。
「珈琲とチョコパフェ一年分。優姫、有難く馳走になることとしような。」
 しれっと言い切ったアレフ。
 訳が分らぬ様子の優姫。
 そして、男2人の声にならない叫び。

 後日、綾小路の経営する喫茶店「時の間」には、ほんの僅かの客が増えたとかなんとか。
 まだ少し、暑い夏は続きそうだ。そして秋が来て、冬が来て…。
 季節が巡るたび、人は少しずつ変わっていく。
 人は、時の流れの中で生きるものだから。 

<終わり>
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0527/今野篤旗(イマノ・アツキ)/男/18/大学生】
【0495/砂山優姫(サヤマ・ユウキ)/女/17/高校生】
【0640/綾小路蘭丸(アヤノコウジ・ランマル)/男/27/喫茶店『時の間』のマスター】
【0815/綺羅アレフ(キラ・アレフ)/女/20/長生者】
※申し込み順に並べさせていただきました。
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■         ライター通信          ■
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人形師の夜これにておしまいです。お待たせしてしまいました。
 今野さん、砂山さん、いつも参加してくださって有難う御座います。
 綾小路さん、綺羅さん、初めまして。ライターの蒼太です。今回は沢山のライターさんの中から選んでくださって有難う御座います。(PC名にて失礼致します)
 皆さん、今回は色々と事件の裏を探る方法を考えて下さいまして、私自身も色々と考えさせられました。時間というのは、一体どんなものなんでしょうね。PCさんたちは季節を感じても年は取りませんが。
 実は蒼太はシリアス・戦闘シナリオというのが『大好き』です。PCさんの性格も設定も沢山使えるからです。そんな理由で長くなってしまいましたが、本当に、お付き合いいただきまして有難う御座います。皆さんが思うPCさんに、少しでも近ければいいのですが。
 それから、いつもいつもの定型文のようになってしまい申し訳ないのですが、もしもプレイングの隅っこが余りましたら、心の中で密かに思っているPCさんの設定を色々教えてくださると嬉しいです。癖や嫌いなもの好きなもの…知ることが出来ると、なかなか面白いものです。
 では、この物語を通して、皆さんの交流が深まることを願って。
 またご縁がありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。
蒼太より