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<PCシナリオノベル(シングル)>


もしもあなたに逢えるなら。

 ふとしたタイミングでその話しを耳にしたのは、数日前のことだった。
 それはとても不可思議な言い伝え。
『夕日が沈むその瞬間、今はいない者に逢いたいと強く願えば、その願いは叶えられる』
 そんなことが本当にあるのだろうか、と疑念に思わなかったわけではないが、それよりもまず心に思い浮かべてた人物がいたのだ。
 ─逢いたい人……─
 窓の外を眺めながら、原咲蝶花は一瞬考え込んでしまった。
 誰か逢いたい人がいるわけではない、と何度思っても、別の誰かが心に住んでいるかのように違った答えを導き出そうとする。
「逢いたい人なんて……」
 そう口に出して、否定の言葉を乗せようとしてみるけれど、言葉はそれ以上出てこなかった。
 もう心に嘘は付けない──…
「嘘……もし本当に逢えるなら、逢ってみたい人がいます」
 いつも心にあった思いが、じわりじわりと頭を擡げて蝶花を支配していく。
 誰にも言ったことはない、蝶花の内面に長い間存在している思い。
 それが今、少しづつ顔を覗かせようとしてた。
「行ってみましょう」 
 蝶花はクローゼットから数点の服をバッグに詰め込んで急いで港へ向かうと、島へ送り届ける唯一の定期船であるフェリーに乗り込んだ。

 青く澄んだ海が、徐々に橙色の光を浴びて漆黒へと変化していく。
 此処は地図からも抹消された幻の島。名は”中ノ鳥島”と言うらしい。
 その島へ上陸しているのは、定期船で到着した数名しかいなく、まるで無人島のような印象を受ける。
 波の音しか聞こえない暗い闇。けれど見上げた先には目映い程の星の群れが光輝く中で、原咲蝶花は一人、砂浜を歩いていた足を止めた。
 闇に溶け込みそうな長い黒髪に、薔薇柄のチュールレースをあしらった黒いワンピースが、潮風に乗せてヒラヒラと裾を揺らしている。
 この島を訪れて数日。
 蝶花は日中、島内を歩き回ることはせず、旅館の一室から窓の外に広がる海を眺めていた。砂浜には蝶花と同じようにして訪れた人達が、何やら楽しそうに海水浴をする姿が見受けられたが、蝶花はその中に混ざろうとはしない。
 ──…眩しかったのだ。
 それが意味するものが、太陽の下でキラキラ光る水面(みなも)なのか、それともその下ではしゃぐ人達なのかは判らない。
 ただ判っているのは、自分には相応しくない風景と光景だということ。
 おかげで海辺に来ているというのに、蝶花の肌は白く透き通ったままだった。
「けれどそれも今日で終わり」
 蝶花は長い黒髪を指先で押さえ、何かを決意したように強い眼差しを遠くへと向ける。
 島の北方向にある切り立った崖。砂浜からは正反対にある場所だが、行けない場所ではない。
 切り立つ崖を見つめ、蝶花は心の中で深く言葉を刻んだ。
「明日の夕暮れ、貴女に逢いに参りますね」
 淡い期待と共に、蝶花はゆっくりとした足取りで踵を返し、島に建つ小さな和風旅館へと戻って行った。

 翌日の天気は、雲一つない快晴。
 照り付ける太陽も、今迄と変わりなくサンサンと降り注いでいた。
 その陽射しが西へ西へと徐々に傾いて、辺りがオレンジ色に染まり出す頃、蝶花はスタリと立ち上がり、懐中電灯を手にしながら日中過ごした部屋を出て行く。言い伝えでは夕日が沈む頃合に、その場所へ赴いていないといけない。今から出れば丁度夕刻、日が沈む頃には洞窟へ辿り着けることだろう。
 蝶花は決して早いとは思えない足取りで歩いて行く。
 そして洞窟へ向かう道すがら、着いた先で尋ねようとしていることを、ふと脳裏に浮上させた。
 しかしそれは少なからず蝶花を、暗い闇へと引き摺り込むことになる。
 というのも一族の主家である原咲家では、ある特殊な事柄が代々繰り返されてきたからだった。
 そのことについて蝶花は既に受け止めているし、別段気にして生活しているつもりもないが、それだけではない別の思いがいつも存在していた。
 ──彼女は幸せだったのか。
 ──私を恨んでいないのか。
 主家の末子に生まれた者の宿業とでもいうのか……その持って生まれた宿命の所為で、蝶花を産むと同時に息絶えた母親。
 まだ若く、今の蝶花と幾つも違わない年齢で死んだ母親の存在が、ずっと心に引っ掛かっていたのだ。
 その思いは蝶花の遅かった足取りを、早いものへと変化させた。
 ─同じ宿命を背負った者として、訊いておきたいことがあるのです…─
「いいえ、違います……私は”子”として訊いておきたいのです」
 ─貴女がどんな思いでいたのかを……─
 蝶花は太陽を左手に仰ぎながら、目指す洞窟へと急いだ。
 そして漸く目前に姿を現われた海岸の洞窟は、幾つも穴を開けて待っており、蝶花は一旦歩を休めてそれらを見渡す。一体どれが言い伝えのある洞窟なのかが、皆目検討が付かないのだ。どれも夕日が差し込むように思えるし、似たような造りをしている。
 蝶花はどれが正解なのか、暫し洞窟を前に考えた。
 けれどその間も太陽は刻一刻と角度を変え、徐々にその姿を水平線の彼方へと、消え去ろうとしている。あまり考えている時間はなさそうだ。
 とその時、今まで夕日の差し込んでいなかった洞窟内へ、光の帯がスゥーと伸びていくのが目に映る。それはまるで計算されたように一つの洞窟だけへ伸びていき、橙の色を奥へと導いていった。
 ─これに間違いない─
 直感でそう感じ取った蝶花は、岩がゴツゴツとしていて少々歩きづらい場所を、慎重に歩を進めて近づいて行く。
 徐々に近づく景色に、心臓は普段より早く鳴っている気がした。
 それが期待なのか不安なのか、蝶花には考えている余裕はなかったが、辿り着いた洞窟には既に西日が眩しいくらいに差し込んでいるのがよく判る。懐中電灯の明かりが必要ないほど、内部が明るく照らし出されていたからだ。
 蝶花は懐中電灯をその場に置くと、恐る恐る内部へと足を進めた。
 洞窟内部は岩で歩きづらいが意外と広いらしく、入り口から奥へと末広がりの形をしている。そしてそこだけ別空間のような涼しさがあり、照り付ける太陽の陽射しを避けるように訪れれば、いい納涼スポットだろう。
 しかし時間が時間だからか、少し肌寒い感のある洞窟内で蝶花は身震いしてしまう。
 けれど波の音と天井から零れ落ちてくる水滴の音が、美しいメロディーとなって心地良い気分にさせてくれたのは幸運だったに違いない。
 ─なんて綺麗な光景なんでしょう─
 蝶花は入り口を暫し眺めながら、恍惚感に襲われる。
 そして洞窟内に差し込まれる夕日と音が調和して美しい空間を作り上げた時、夕日は静かにその役目を終わろうとしていた。
 それは言い伝えを実行する合図でもある。
 徐に両手を胸の前で組んだ蝶花は、そのまま瞼を閉じて静かに語りかけた。
 ─どうかあの人に……私の母に逢わせて下さい……─
「ひと目でいいんです。どうか…」
 ポツリと洩れた言葉が、洞窟内に木霊する。
 夕日が水平線に消えたことは、閉じている目にも判った。もう夕日は沈んでしまったことだろう。
 蝶花がやはり駄目だったのね、と諦めの胸中で瞼を開けようとした時、夕日の眩しさが消えた空間に自分以外の気配を感じ取る。
 懐中電灯の明かりを付け……そして恐る恐る瞼を開けて、その存在を確かめた。
「蝶花……」
 そう自分の名を呼び、目の前に立っていたのは、蝶花と同じ容姿をした美しい女性。今の蝶花から、何年か後の姿と言ってもいいだろう。正に瓜二つの顔が並んでいたのだ。
「お……母様……?」
 震えそうになる唇を必死に動かし、蝶花は目の前の女性に声を掛けた。
「大きくなったのね」
「はい…もう19歳になります」
「そう……それより、何か言いたいことが、あったんじゃないの?その為に此処へ来たのでしょう?」
 母親の言葉に、蝶花は訪れた目的を思い出す。
 ずっと思っていたことだが、それを口にするとなると、思うように口が動いてくれなかった。
 それにまさか本当に逢えるとは、思ってもみなかったのだ。気持ちだけが焦ってしまい、体の機能が付いていけないらしい。
 蝶花は深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、真っ直ぐな視線を母親へと向ける。
 気持ちはもう決まっていた。
「貴女は私を産んで、後悔してませんか?」
 やっと言葉にした問いに対し、相手は頭を垂れて俯いたかと思うと、クックック…と肩を震わせ低い笑い声を響き渡らせる。
 ─何か変なことでも、訊いたかしら?…─
 母親の態度に蝶花は小首を傾げ、物言いたそうに口を半分開きかけてやめた。
 何故ならそこに居る母親の眼が、ギラリとこちらを捕らえて離さないのだ。その眼はもう、初めに見た時とは違う、輝きを失っているとしか思えない虚ろな眼。
 洞窟内で反響しながら、声は徐々に甲高いものへと変化を遂げた。
「後悔ですって?していないとでも思っているの?」
「…………えっ?」
「愛した人と暮らせると思っていたのに……貴女を身籠ったことで全て消えたわ。夢も希望も全て貴女に奪われたの。それなのに、のこのこやって来て言う科白が、”後悔してませんか?”ですって?笑わせるのも大概にして」
 母親の形相が、般若面のように口角を上がる。
 それを見て、遣り切れない思いが生まれた。同じ運命を背負っていた女性は、子を目の前にして恨み言を口にする。自分を生んだことで命を奪われたことは、例え自身の子でも乗り越えられるものじゃないらしい。
 否、自身の子だからこそ、怨みも増幅されているのだ。
 蝶花はその事に気づいて、言葉なく呆然とその場に立ち尽くした。光を失いかけた瞳と共に、力なく垂れ下がる両腕。
 結果、相手の不穏な空気に気づくのが、一歩遅れた形になる。
「だから……ね。貴女も私の処へいらっしゃい。どうせ貴女も己の子供に、憎しみしか持てないに決まっているのだから……ねェ!!!」
「!!!」
 気づいた先には白衣に身を包み、白目だけしかない眼に舌をダラリと伸び落とした、青白い顔をした別の人間が立っていた。勿論そこには母親がいたはずで、こんな形相の人間は存在していなかった。
 そもそもこの目の前の存在は、人間なのだろうか……?
 襲い来る相手をすんでの所で、後方へジャンプして避けた蝶花は、右手を広げて意識を集中させる。
 するとそこに透明な日本刀が創り出され、着地と同時に相手目掛けて斬り掛かった。
 が、生憎相手は、それを反らして回避する。舞う花弁が蝶花の視界を掠めて、ハラハラと消えていった。
 ─これは一体……─
 何がどうしたというのか判断しきれないまま、蝶花は襲ってくる相手と対峙した。
「己ェ〜!小癪な娘だ!さっさと死んで、我らと同じ死霊兵へと成り下がるがいい!!」
「死霊兵?それでは……貴女は私の…」
「母親だと本気で思っていたのか?滑稽なことだ」
「そんな……」
 ─ではあの言い伝えは嘘?─
「それじゃ……私は……」
 ──…何の為に此処まで来たのだろう。
 ──…自分は一体、此処で何をしているのだろう。
 死霊兵の言葉に動揺を隠せないでいる蝶花は、自身の命を狙う相手の攻撃を受け止めるだけで手一杯になってしまう。
 そして此処は慣れた陸地ではなく、あくまでも洞窟内。お世辞にも足場がいいとは言えない場所である。
 何度か攻撃をかわしていた蝶花だったが、下がった場所で足を取られ、思わず刀を握り締めながら転倒してしまった。
「しまっ……」
「死ね〜〜!!!!」
 腕を伸ばして蝶花を仕留めようと、死霊兵の顔が近づいてくる。その指先は真っ直ぐに、蝶花の喉元へと向かっていた。
 もう体制を立て直して、迎撃する時間も距離もあるはずがない。
 ─此処で死ぬのかしら……ね─
 そう心で納得してしまうと、何故か落ち着いた気持ちのまま、蝶花はゆるりとした動作で、迫り来る相手を視界から消していった。 
 ところが何時まで経っても、相手の攻撃が蝶花に襲ってくる気配がない。突き刺さるような痛みも、喉を掻き切られるような苦しさも襲ってこない。
 それを訝しげに思った蝶花は、そっと瞼を開けてみた。
「えっ…」
 思わず蝶花は絶句した。
 そこには──…居るはずのないヒトが、自分へ背を向けて立ち塞がっている。
 まるで自分を庇うかのように……。
 ─誰?─
「くっ!貴様……邪魔だ、どけ〜!!」
 そう疑問視しているところへ、更なる憎悪を滾らせた死霊兵の攻撃が繰り出された。
 もう蝶花に迷っている暇はない。
 崩した体制を反転して立て直し、手にした刀を両手で握り直した。そしてそのまま立ち塞がっているヒトの脇をすり抜け前線に体を置くと、上から下へと大きく刀を振り下ろす。なんともいえない感触が手に伝わり、舞い散る花弁がスローモーションのように映し出された。
 そこにはもう死霊兵の姿はない。
 断末魔さえ叫ぶことなく、相手は滅殺されたらしい。
 そして──…
 蝶花は振り返った先で見た光景に、刀を静かに消し去った。
 そこには長い黒髪を揺らす、蝶花と瓜二つの美しい顔。此処に蝶花が二人いる錯覚すら覚えるくらい、二人の容姿は似ていたのだ。
「貴女は……」
 紛れもない母親。
 身を挺してまで庇う瓜二つの顔など、それ以外考え付かないだろう。
 しかしまたさっきの死霊兵が、化けた姿かもしれない、という疑念は拭いきれなかった。
 だから蝶花は一定の距離を保ちつつ、その女性と視線を交差させる。
 触れ合える距離ではなく、手を伸ばしても届かない距離を保ちながら──…。
「貴女は私の……」
 そう音にしてみせるが、言葉が続かなかった。自分でも唇が震えているのが判る。普段は落ち着いた、物怖じしない性格も、この時はそんな殻が剥がれ落ちてしまうようだ。
 なのに目の前の女性は、何一つ言葉を掛けることなく蝶花を見つめる。しかしその目は、死霊兵が化けていた時とは、明らかに違った意味を含んでいた。
 だからか、蝶花は徐に先ほどと同じ言葉を口にした。
「……貴女は私を産んで、後悔してませんか?」
 それに女性はただ笑みを零す。柔らかい、春の陽射しのような暖かい笑みだった。
 言葉なぞなくても、伝わってくる思いがある。
 蝶花はそれを見ただけで、クルリと女性に背を向けた。
 とその時、ポンッと背中を押されたような気がして、蝶花は二歩、三歩と前につんのめる。何?、と蝶花が振り返ってみれば、そこには母親の優しい笑み。
 ”もうお帰りなさい……”
 その笑みが、そう言っているような気がした。
「はい。もう帰りますね」
 後押しされた形で、蝶花は一歩、また一歩と洞窟の外へと歩き出す。
 ──瞬く星がとても綺麗に輝いていた。

 翌日。
 島にフェリーが到着すると、島を離れる人で港は賑わっていた。この島で自分とは違う不思議な体験をした人が、それを別の人に話す声が聞こえてくる。
 そんな中でバッグ片手に港へ現われた蝶花は、フェリーに乗り込む前に一度、洞窟がある方向へと顔を向ける。
 結局言葉で明確な答えを、聞かせてもらえたわけではなかった。あの女性が本当に自分の母親かも定かではない。
 けれど何故か蝶花は満足していた。自然と頬が綻ぶのが判るくらいにだ。
 ─この島に来て、良かったです…─
 遠く離れた場所で起こった、不思議な出来事。
 それを胸に、蝶花はフェリーに乗り込んで帰路に着いた。
 
 そこで見た光景を、蝶花は一生忘れないだろう──…
 あの橙に染まった幻想的な場所と、そこで見た綺麗な星空を──…

 了。