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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


夏の存在理由
●始まり
 夏なんて来なければいいのに……

「この部屋です」
 母親に案内されて入った部屋は子供部屋だった。きちんと片づけられてはいたが、どこか騒がしい雰囲気を持った男の子の部屋。
 夏休みに入ったばかりのせいか、ランドセルは椅子に片方だけ肩掛けが引っかけられ、ぶらさがっている。その机の上にはやりかけの夏休みの課題。覗いてみると日記のようだった。
『7月21日
 夏休みに入った。休みはとても嬉しいけどイヤな事もある。
 りん海学校だ。ボクはまだ泳げない。みんななんで嬉しいんだろう?
 ああ、夏なんてなければいいのに……』
 その後には「暑い」等と言う愚痴に似た言葉がつづられていた。
「後数日で臨海学校なのに、寝覚めなくなってしまったんです……」
 母親が言うには臨海学校が近づくにつれて息子の顔が憂鬱になり、ある朝目を覚まさなくなってしまった、という事だった。
 医者に診せても原因はわからず、たまたま本屋で見かけた雑誌を頼りにアトラス編集部へと出向いた。
 相変わらずの麗香の「行ってきて取材もしてね」の一言で来る事になったメンバーは、一様に部屋の中を見回していた。
 何か手がかりになるようなものがあれば……、と母親に質問しようと見た瞬間、母親の行動が凍り付いた。
「?」
「なんだか楽しそうなメンバーだね」
「!?」
 不意に空中から声が聞こえ、そちらの方向を全員が向く。
 そこには黒髪、象牙色の肌をした少年が浮いていた。
 空中で腕組みあぐらの格好でとても嬉しそうににこにこしている。
 そしてその少年は誰何の声が聞こえるまでもなく、話を始めた。
「この子はボクが眠らせているんだよ。……理由? それはね、夏なんて、明日なんて来なければいいのに、って言ったから。ボクらの理由なんてそんなもので十分だからね」
 くすくすと笑う。
「でも、楽しそうなメンバーだからチャンスをあげる。ボク結構きまぐれだからね。そうだねぇ……夏の存在理由を教えて」
 そんなもの簡単ではないか、と思った時、少年の口から続きが紡がれる。
「季節がどう、とか。気象がどう、って言うのはなしだよ。そんなもの聞いてもつまらないだけだからね。もしボクを満足させられる理由を言えたら、この子を起こしてあげる。でも、万が一ボクを満足させられなかったら、ここにいる皆にも眠って貰うからね」
 頑張ってね、と悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

●夏の存在理由 −当日−
 いきなり『夏の存在理由』を教えてくれ、と言われて「わかりました。では」と話し出せる人間はそうそういない。
 かくゆうここに集まったメンバーも言葉につまり、思案顔。
「夏の存在理由……?」
 今までそんな事全く考え事がなかった鈴宮北斗は、困惑して首をかしげる。
 北斗も学生で今は夏休み。その間に普段から出入りしている月刊アトラス編集部でバイトをしていた。スポーツ万能体動かすの大好きな北斗には、夏も大好きな季節の一つである。
「存在理由はわからへんけど、何をしたって夏はやってくるんやし……。春も秋も冬も、ほっといたってやってくる。だから夏がどうして存在するのか、やのうて、どないして夏を過ごそうか、って考える方が前向きな考え方やと思うけど……」
「そうや! それに夏がのうなったら困るわ!」
 北斗の言葉に賛同するように獅王一葉が叫ぶ。それに興味をひかれたように少年はにこりと笑った。
 大学の長い夏休み。当然のごとくアトラスでバイト。そして編集長である碇麗香も当たり前のように一葉をこき使っている。
 いつの間にか始めたバイト。今では編集部員より幅をきかせているのかも、しれない。
 外見はどうみても男にしか見えず、しかも大阪弁を喋り、服装も男物に竹を割ったような性格の為、女性に見られる事の方が少ない。
「どうして?」
「どうしてって、そらうちが夏好きの夏娘やからや」
「夏男の間違いじゃ……」
 スパーン!
 ボソリと呟いた北斗の後頭部に一葉のハリセンが命中した。
「……春は桜の下ので花見をして、秋は月の下で月見する。冬は炬燵に入って丸まり、夏は暑い日差しの下で元気に遊ぶ。どの季節にもそれぞれの楽しみ方があって、それぞれの時期にしか出来へん事があるやろ」
「そうね、暑かったり寒かったり。それによる様々な影響など、色々メリハリあった方が感受性は豊かになるわよね。野菜や果物も太陽の光をいっぱい浴びて美味しくなるし」
 考えるように上目遣いでシュライン・エマは一葉の後を続ける。
 体の線がはっきりわかるような服の胸元は大きく開かれ、男性の目を釘付けにさせそうだ。
 少しきつめの顔立ちをしているがとても面倒見がいいのだ。
 それが証拠に実際は草間興信所のバイトなのに、事件の資料を届けに来てそのまま現場に連れて行かれ、あまつさえレポートにまとめさせられてしまう。そのうち過労で倒れるんじゃないか、と常々思っている。
 少年は眠っている男の子のベッドの端に腰をおろし、ビー玉のような紫の瞳で見上げるように6人を見ていた。
「うちなりの見解ですけど……」
 当麻鈴は、自分がちゃんと思っている事を言わないと説得力がない、と思い素直な感想を語る事にした。
 相変わらずの着物姿。しかし暑そうに見えない。骨董屋の主人である鈴のいでたちはどこかレトロチックで、風情があった。
 実は疫病神のとの間に生まれ、300年以上もの時を生きてるのだがわざわざ人に語る事ではない。
 この目の前で楽しげな表情をしている少年の正体が気にならない訳ではなかったが、今は眠っている男の子を無事に起こすのが先決だと思った。
「暗くなる時間が遅くなるから、門限が延びますでしょ。それから、冷やした料理の美味しさを味わい易くなる事かしら。夕涼みも気持ちいいわね。昼間暑かった後、夕方涼しくなって風鈴の音に耳を傾けながら縁側で花火を見るもの素敵ね……そう、風鈴。透明で澄んだ音を響かせる風鈴は夏の風物詩ですよ。それに風鈴に限らず、夏という季節があるおかげで作る事が出来たり、存在の意味を成す物はいくらでもありますよ」
 艶やかに鈴はほほえむ。
「お姉さん、面白いね。お姉さんくらい生きてると色々楽しみを見つけられるのかな?」
「……そうね」
 ニヤニヤと笑う少年に、鈴は笑い返し、着物の襟を軽く直した。
「貴方……」
 ふと声を出した寒河江深雪に少年は視線を向けて含みのある笑みを浮かべる。
 本来の深雪の仕事はテレビのお天気お姉さん。夏の気象予報はお手のものだ。
 やんわりとクーラーのかかった部屋の為、ばててはいないが実は雪女の末裔であるが故に暑さに弱い。夏にはクーラーがないといられないが、冬は暖房がなくても生きられる。むしろある方が生きられない。
 抜けるような白い肌におっとりとした雰囲気。近所のお姉さん的笑顔はお茶の間に人気の秘密だ。
「そっちのお姉さんは夏、嫌いなんじゃない?」
 言われて深雪はどきっとなったが、すぐに首を左右にふった。
(この子は眠りの砂の妖精? それとも夢魔かしら……? 私の事わかったみたいだし……)
 心の疑問を口に出す事はせず、深雪は再び口を開いた。
「……そうね、正直言うと私、夏は嫌いだった。今でも一番冬が好きだけど……肌がピン、と張り詰めるような凍てついた空気。この世に二つとない雪の結晶……それでも夏がこの世に不要だなんて思わない」
 こんな話知ってる? と深雪は『北風と太陽』の話を持ち出した。
 それに少年は正解がわかった生徒のように笑い、頷いた。
「知ってるよ」
「この話は太陽が生物に欠かせない存在という事を何より示す証拠なの。太陽の光は地面と空気を温め、そして緑の植物を健やかに育む。動物は太陽と、植物を食む事により明日を生きてゆく。夏は太陽が地上の生物に一番の恩恵を与える季節なの」
「春も秋も、冬だって植物は育つよ」
 混ぜ返すように言うと、深雪はその反論も予想済み、とばかりに口を開く。
「気温差がなければ育たない、実をつけない植物もあるわ。植物が動物が人が、何より一番『生』を実感し謳歌するための季節、それが『夏』だと私は思うわ」
「へぇ、お姉ちゃんは……でも夏が好きなんだ。意外だな」
 茶化すような言葉。しかし深雪が『雪女』の末裔である事をきっぱり言わない辺り、完全に悪い子ではないのかもしれない。
「そうだ、夏ってのは命や心が良くも悪くも一番栄える時だ。四季は、命の流れを示す。春に生まれ冬に死ぬ。しかしまた生まれる。そして栄える。これが限られていながらも決して変わらぬ全ての【流れ】だ」
 部屋の隅で壁にもたれるようにして目をつむっていた真名神慶悟は、深雪が話を終わったのを見計らって言葉を紡ぎ出した。
 慶悟の本職は陰陽師。自分の老後を担ってくれる子供を助けるため、慶悟は付き添ってきた。
 アトラスには結構顔を出している。そこから仕事につながる事が多いからだ。
 淡い金色の髪にくわえ煙草。一見すると陰陽師、なんて大それた肩書きの職業には見えない。強いて言えばバンドのボーカルとかギタリスト、という感じだ。しかし話す事には重みがあった。
「一時この少年はぼやいたかもしれないが……それとて夏の出来事の一つに過ぎない。夏の日差しは草木やガキどものみならず、全てを天に向かって伸び栄えさせる。良きも悪くも全てを包括してだ。嫌な思い出も良い思い出に変わる時が来る。特に皆で過ごした夏の思い出ってのは特別だ。だが、今こんな所で寝ていては、何も得る事が出来ないだろう? 語らう事も、遊ぶ事も、まして泳ぎを練習する事だって出来ない」
 慶悟の口調はぞんざいだが、暖かみがあった。
「泳ぎ……練習したいのかな? 泳げるようになっていい事ある? この子本当に泳げるようになりたいと思う?」
 眠る男の子の頭を撫でながら少年は言う。
「水泳やったら俺が教えたる。そうや! 夏は苦手なモンを克服して新しい自分になるための季節なんや。きっとそうや! 寝とる場合やないで! はよ起きなあかんで!」
「よっしゃ、うちも教えたるわ! ちゃんと水泳が楽し、いっぱい泳ぎたなる、ってくらい教えたるわ」
 ドン、と胸をたたいた北斗の横で一葉も賛同。
「今しかでけへん事、沢山やった方がええよ。大人になったらようけできんこともある。大人になってしか出来ん事もあるけど。蝉の声に向日葵、抜けるような青空にゆっくりと現れる入道雲。風に揺れて心地よい……せや、当麻はんが言うとった風鈴に、軒先で口から煙を燻らせる蚊取り豚。それから真っ赤な西瓜に甲子園球児に冷えたビール……って夏にしか見られへん、やれへん事がいっぱいある。夏嫌いな者には嫌な面ばかりがめにつくかもしれへんけど、一歩引いて違うとこ見れば違ったもんが見えるはずやで? せやからこないに色々楽しめる夏を心待ちにしとる者が居る、それだけで夏の存在理由が成り立つはずや」
 シュラインは一葉の後について語り出す。
「夏がないと困るわね。アイスクリームは冬炬燵に入って食べるのもいけるけど、かき氷はやっぱり夏じゃないと雰囲気でないし、入道雲を秋に見るなんて味気ない。花火だって夏の夜に浴衣で情緒たっぷりに楽しみたいし。何より暑い! って感覚があるからこそ、また他のそれぞれの季節の特徴を楽しめるんだと思う」
 そう。風鈴の音も綺麗だし、と女性陣は皆同じ考えのようだ。
「夏がなかったら6〜8月生まれの人、夏生まれとは言えなくなるのね。何だかつまわないわね、それって」
 この辺は独り言のようだ。
「……深い意味はないけど。虫除け系の薬品会社も困るでしょうし。夏じゃないと困るって事結構あるのねぇ」
 完全独り言のようになり始めたシュラインの後を、今度は慶悟が続けた。
「うむ。もう一度言う。全てには流れある。寝た者は、必ず起きる。起きて大切な事を学ぶ。冬には寝、春には目覚めるとするならば、夏はこいつが……良くも悪くも……懸命に過ごす時だ。そしてそれは、今、だ」
 途中から少年は聞き入るように目をつむっていた。そして話を終わった後しばらくしてから目を開く。
「これだけ色々な人がいると、話も面白いね。皆にとって夏は大変なものだけど、なくてはならないものだってわかったよ」
「それじゃ、この子を起こしてくれるのね?」
「起こしてもいいけど……」
「いいけど?」
 ぴょん、とベッドから飛び降り、立ったままの姿勢で空に浮く少年に鈴が問いかける。
「まだちょっと納得いかないんだよねー。だから、もう一個条件☆」
「条件?」
 今度はシュラインが問い返す。
「そ。この子起こしてあげるから、今日一日でこの子に「夏は楽しい」って思わせてよ。駄目だったらまた寝かしちゃうよ」
「何勝手な事ぼざいてんだ」
「あははは。勝手なのは性分だから仕方ないよ。そうそうお兄さん、怖い鬼さん使ってボクを何とかしようとしたら、この子起こしてあげないからね」
 にっこり笑われて慶悟は閉口した。
 実際何かあれば、と式神を呼び出す準備はしていた。しかし見抜かれていた為、とにかく少年の身が大事だ、と慶悟は重く頷いた。
「しゃーないな。その条件飲むさかい、はよ起こしや」
 まずは泳ぎを叩き込んでやる、と北斗が呟く。
「OK。物わかりがいい人って好きだな」
 パチン、と少年が指を鳴らすと、ベッドで寝ていた男の子がゆっくりと目を覚ました。
「そういえば聞きたい事あったのよね」
「何?」
「貴方の名前」
 シュラインに言われて少年は目をパチクリさせる。
「あの、そういう事はあまり聞かない方が……」
 困ったような顔で深雪がシュラインを見る。
 もし少年が悪魔関係あった場合、名を知られるのは嫌がる。名は身を縛るもの。故に自身の名を発した者がそれ相応の力を持っていなかった場合、殺される危険性もあるのだ。
「名前? そうだねぇ……」
 面白そうにニヤニヤする少年に、深雪は心配そうな顔。それでも万が一ここにいるメンバーに危害が及びそうな時はなんとかしなくちゃ、と心の中で思っていた。
「好きに呼んでいいなら勝手にするけど」
「うん、いいよ。なんて呼ばれても構わないよ。それがボクを呼んでいるものだとわかれば」
「そう。じゃポチ」
「ポ、ポチ……」
 さすがに面食らったらしい。初めて悪戯っ子のような笑みが消え、キョトンとしたような顔になった。
「そりゃええわ。ポチ、よろしゅうな」
 有無を言わせぬ早さで一葉が呼び、鈴もころころと笑う。
「ポチなんて可愛い名前ねぇ。確か店の裏の家の犬もポチだった気がするわ」
 全然フォローになっていない。というかフォローではないと思うが。
「……な、何?」
 起きた途端、大勢の大人に囲まれ、その上知らない男の子が自分の家にいて、母親は動かない。
 起きあがった男の子は目を丸くして自分の部屋だという事を確認する。
 その様子を見た鈴が手短に現状を説明した。
「夏がどんだけ楽しいものか教えてやる。さっさと準備して来い」
「え、ええ!?」
 慶悟の有無を言わせぬ口調に男の子は叫ぶ。
「犬に噛まれたと思って諦めや。……ところであんた名前は?」
「……阿須賀修二(あすか・しゅうじ)」
「……? 一人っ子だったわよね?」
 確か編集部での母親の話ではこの子一人だったはず。しかし名前を聞くと2番目、という感覚を覚えた深雪が訪ねると、修二は表情を曇らせてうつむいた。
「……兄貴がいたんだ、去年の夏まで……」
 話を聞くと去年の夏、交通事故で亡くなってしまった、という事だった。
「……」
 それを聞いて鈴はちらっと魔性を装っている少年を見る。
 しかし少年はまたニヤニヤとした笑いを浮かべているだけだった。
「なら、その兄ちゃんの分まで夏を楽しまなあかんで! さっさと水着用意しや。俺がばっちり泳ぎ教えたる」
「え、いいよ……」
 断りかけた修二の口が開いたまま止まった。
 明るく言った北斗の口調とは裏腹に、表情はどことなく寂しげだったからだ。家族を早くに亡くしている北斗。同じ状況ではないとは言え、修二の思いを理解出来た。それ故の明るさだろう。
「せや、泳ぎは覚えれば楽しいもんや。食わず嫌いせんといっぺんちゃんと覚えてみ?」
「一葉さん、食わず嫌いちゃうと……」
 スパン!
「ごちゃごちゃ五月蠅いわ」
「……すんません……」
 くすくす笑っていた深雪がふと母親に目をとめる。
「お母さんはどうするんですか?」
「そうだね、ボク達の事は一旦忘れて貰って普通に生活していて貰うよ」
 少年がそう言うと、母親は夢から覚めたような表情になり、そこに人がいないかのようにスタスタと部屋を出て行ってしまった。
 呆然とその後ろ姿を見送ってしばらく、掃除機の音が聞こえ始めた。
「それじゃ行くか」
 さっさと慶悟が部屋を出て行ったのを皮切りに、修二は荷物を慌ててまとめ、皆も部屋を後にした。

●プールで特訓☆ −当日−
「なんやて、水に顔もつけられへん!?」
 一葉の叫びが室内プールに響き渡る。
 深雪の紹介で来た会員制のプール。さすが芸能人は違うなぁ、とひとしきり感心した後、中に入るとガランとしていた。
 そしてこれ幸いに、と練習を始めた訳だが……。
 水着に着替えているの一葉・北斗・慶悟の男三人……もとい男二人に女一人。
 深雪は涼しげな格好に着替えただけ。鈴は相変わらずの着物姿でにこやかに微笑んでいる。シュラインは先ほどまでと同じ格好だ。
「それじゃ、顔付けから始めるか」
 言っていきなり修二に息を吸い込め、と慶悟は言い顔をプールに入れる。
「ぶ、ぶぶぶぶぶ……」
「いきとるかー?」
 おーい、とプールの縁から北斗が呼びかける。しかしどことなく暢気な響きだ。
「……ぷはー! いきなり何すんだよ!」
「災難てのはいきなりやってくるもんだ」
 しれっと慶悟に言われて修二は顔をしかめた。
 そうこうしている間に顔をつける事がなんとかできるようになった。
 そして泳ぎの基本は、という話になる。
「クロールだ」「平泳ぎや!」「バタフライや!」
 セリフの順番は慶悟・北斗・一葉。
「普通はクロールか平泳ぎよね……」
 にこやかに、しかし鋭く深雪がつっこみを入れる。
「そうか? うちはバタフライが一番得意やねんけど……」
「バタフライは呼吸が難しいと思うわよ」
 鈴にまで言われて一葉は黙った。
「ボク……平泳ぎがいいな……」
 修二の一言で決まった。
 夕方まで平泳ぎをびっちりしこまれ、ついでにクロールも、と結局やらされるはめになったが、おかげで全く泳げなかった修二だが、25mを泳ぎ切るまでになった。
 フォームの事はさておいて。
「ついでだからバタフライと背泳ぎもやっておくか? 個人メドレーが出来るぞ」
「……遠慮しときます」
「どや? ちったぁ水泳楽しくなったか?」
 笑顔の一葉に問われて修二は小さく頷いた。
「まだちょっと怖いけど、でも、楽しくなった。これなら臨海学校怖くないや」
「そか、良かったな」
 自分の事にように嬉しそうに北斗は修二の頭を撫でた。
「ふぅん、結構泳げるようになるもんだね。感心したよ」
 ふわふわと水の上に浮いて少年が小さく笑う。
「ポチ、これで満足?」
 シュラインに問われて少年は苦笑い。そして小さくかぶりをふった。
「まだまだ。水泳が出来るようになっただけで夏を満喫出来るのかな?」
「それだったら夕涼みね。うちの家に来てみんなでやりましょ。花火も沢山買って」
 鈴の提案で今度は夕涼みをする事になった。

●夕涼み −当日・夜−
 今度は浴衣を持ち寄り鈴の家の縁側で夕涼み。
 さすが骨董屋、と言おうか。とても風情のあるたたずまいだ。
 調度品も古さを感じさせない配置で、どことなく暖かみがあった。
「西瓜切って来ましたよ」
 奥から浴衣姿で出てきた鈴は、さすが着物を着慣れている為か色っぽく、艶やかである。
「……孫にも衣装」
 スパーン!
「一言余計や!」
 普段は男にしか間違えられない一葉も、浴衣を着るときちんと女性に見える。後頭部を殴られた北斗は、左手に持った西瓜は決して放さずうずくまった。
「あー、夏生ちゃんがいれば……」
 榊杜夏生の顔を思い浮かべる。
「これだけの綺麗所に囲まれて不満なんて贅沢ね」
 シュラインの着物姿は艶やか、というよりゴージャス、という感じがする。その後ろでは深雪が襟元を直している。こちらも異様に着物が似合う。
「おら、バケツに水汲んできたぞ」
 どかっと地面にバケツを置いた慶悟は甚平姿。くわえ煙草がやけに合っている。
「花火花火♪」
 大きなビニール袋いっぱいに入れられた花火を北斗があさる。
 それを真似て修二も顔を突っ込んだ。
「やっぱ打ち上げ花火やな。これなんか7段階に色が変わるて!」
「すごいよ北斗兄ちゃん、こっちは3mも吹き上がるって!」
「……どっちも子供やなぁ」
「……3mのやめてちょうだいね。家を火事にしたくないから」
 ほのぼのとした笑顔の一葉の横で、鈴が困ったように笑った。
「でも、なんか心が温かくなる光景ですよね」
 縁側に座り、うちわで仰ぎながら深雪は笑う。
 しかしその瞳は遠く誰かを見ているようだった。
 色とりどりの花火。
 火薬の臭いがツンと鼻につくが、嫌な感じはない。
 片隅にたかれた蚊取り豚。
 夜空を見ると星が輝いて、月が見下ろしている。
 頬を撫でる風は涼やかで、じんわりとふきだす汗をさらっていく。
 日本の夏だなぁ、と実感出来るひととき。
 世界中を探しても四季がきちんと存在する国は少ない。
 様々な変化を見せてくれる四季を体験できる事は、普段当たり前になっているがとても貴重な事なのだ。
 修二に夏の存在理由を教える為だったが、いつのまにか自分たちが改めて実感させられていた。
 その時、少年がすいっと修二に近づいた。そして修二にしか聞こえない声で訪ねる。
「どうだ? 夏が好きになったか?」
「……!? うん。ありがとう、健一兄ちゃん」
 しっかりと少年の顔を見た修二は驚いて目を見開いたが、声を上げる事はしなかった。そしてしっかりと頷く。
「そうか。元気でな。母さんをよろしく」
 にっこりと笑った少年の姿は、修二を少し大きくした感じになっていた。
 それが本来の姿だったのかもしれない。
 少年は頭上に開いた光の穴へと吸い込まれて消えた。

●それぞれの夏
「そろそろ仕事も終わりやねぇ」
 日が長くなって来たため外はまだ明るいが、時計の針は就業時間をとっくに過ぎた時間をさしていた。
「そうね。どうしたの感慨深げに?」
 麗香に問われて一葉は曖昧な笑みを浮かべながら大きく伸びをした。
「今日終わったら飲みに行きまへん? 三下はんも」
「え、僕もですか?」
「せや。たまにはええやろ。なぁ麗香はん」
 振り返った一葉に、麗香は意味ありげに笑う。
「珍しいわね、一葉のおごりなんて」
「……そら殺生やわ。せめて割り勘で」
「そうねぇ……まぁいいわ。飲み代だけならおごってあげる」
 読んでいた資料をパタンと閉じて麗香は脇に置いてあったバッグを手に取った。
「……飲み代だけ、ゆうんがとっても麗香はんらしいわ」
 一葉は苦笑しつつ荷物整理を始めた。

「もしもし夏生ちゃん?」
 道路の片隅で北斗は携帯電話をなぜか人から隠すように持ち、電話をかけていた。
 別に何が悪い、という訳ではない。ただ恥ずかしいだけなのだ。
 電話の向こうの明るい声。それに自然北斗の顔に笑みが浮かぶ。
「今度夏祭りがあるんやけど……」
 いつも前向きな男の子でも恋には奥手。なかなか切り出せない一言。一緒に行こう。
『夏祭り? 楽しそう☆ 行こうよ! 北斗くん誘ってくれるんで電話くれたんでしょ?』
「……うん」
 屈託無い声に、北斗はただ頷くしかなかった。
 その返事の声が、どこか涙ぐんでいるようだった事は、誰も知らない。

 ふと立ち寄ったレコード店。
 店のおすすめの棚には夏向きの曲が所狭しと置かれている。
 慶悟はそこから1枚の試聴用のCDを手に取った。
 おおそよ慶悟の外見からは結びつかないアイドルのCD。
 それを試聴用ウォークマンにセットして聞く。
「……」
 どこか破戒的な印象を与える男性が聞き入っているCD、とすれば洋楽などを思い浮かべながら通り過ぎる女性が多かろう。
 しかし流れているのは少し甘めのベビーボイス。ポップなノリのアイドル曲。きちんと歌えば伸びのいい声だ、という事を知っている。曲に合わせて声を作っている事はわかった。
 それが仕事なのだから、慶悟には心地よく聞こえた。
 しばらく耳を傾けた後、レジにそのCDを運んだかどうかはわからない。

「残業はしないから。今日こそはしないから」
 書類の山を持って現れた草間に、シュラインは先に切って捨てる。
「……」
 寂しそうに回れ右をしてしまった草間の姿を見て笑う。
「明日するから置いておいて」
 そう言ってしまう辺りやはり人がいい。それを聞いた草間は嬉しそうに笑ってどかっと遠慮無くシュラインのデスクの上に書類の山を置いた。
「今日は飲みに連れて行って貰うわよ」
「……誰に?」
「武彦さんにきまってるでしょ? ほら、早く支度して」
 背中をぱん、とたたく。
「は?」
「何鳩が豆鉄砲くらったような顔してるのよ。ビアガーデンいいところ見つけたの。安くて美味しいとこ」
「あ、ああ……」
 シュラインの勢いに飲まれるように草間は帰り支度を始めた。

「ん〜、いい風……」
 鈴は縁側に座って目を細めた。
「やっぱりこうやって夕涼みしながら熱いお茶を飲むのがいいのよねぇ」
 きっちりと合わされた着物の襟。
 見ているだけで暑くなりそうな格好だが、鈴の場合はどこか涼しげに見えた。
「今年の夏も暑くなるのかしら……」
 300回以上経験してきた夏。
 同じようで、しかしどこか違う。
 毎年毎年違う顔を見せてくれる季節に、鈴は飽きる事はなかった。
 そして今日も静かに日が暮れる。

 花火大会。
 深雪は浴衣に着替えて息せき切って走ってきた。
 今日に限って撮影が押してしまって約束の時間に30分も遅刻してしまったのだ。
 恋する女のは強くて弱い。
 帰っちゃったらどうしよう、怒っていたらどうしよう、と頭の中はぐるぐる。
 人混みの中、待ってくれている長身の男性を見つけて顔が紅潮する。
 嬉しい。反面怖い。心臓が口から飛び出してしまいそうなくらいバクバクしている。
 声をなかなかかけられなくて、じっと姿を見ていると、相手の方が気がついた。
「こんばんは」
 いつもの優しい笑みで挨拶され、深雪はホッと胸をなで下ろす。
「こんばんは……すみません、遅くなってしまって」
「大丈夫ですよ。女性の遅刻30分は許容範囲内ですし、お仕事でしょう? そんなに気にしないでください」
「ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げて謝ってから、ハタと自分の格好を思い出す。
 急いで走ってきたため、髪型は崩れていないか、化粧はおかしくなっていないか。
 周りの暑さなんて気にならないくらい、深雪は動揺する。
 それに気がついたのか無意識なのか、九尾桐伯はにこりを笑う。
「すごく似合ってますよ。……そろそろ行きましょうか?」
「は、はい」
 前を歩く。前後に振られる手を見て、一瞬自分の手をのばしかけて、止める。その手を胸の前でぎゅっと握りしめた。
「どうしたんですか? ……もしよろしければ、はぐれないように手をつなぎましょうか?」
「……はい」
 遠くで花火が上がる音が聞こえ始めた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家+時々草間興信所でバイト】
【0115/獅王一葉/女/20/大学生/しおう・かずは】
【0174/寒河江深雪/女/22/アナウンサー(お天気レポート担当)/さがえ・みゆき】
【0262/鈴宮北斗/男/18/高校生/すずみや・ほくと】
【0319/当麻鈴/女/364/骨董屋/たいま・すず】
【0389/真名神慶悟/男/20/陰陽師/まながみ・けいご】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、夜来です☆
 今回は私の依頼にご参加下さりまして、誠にありがとうございます。
 深雪さん、北斗くん、鈴さん、慶悟さんお久しぶりです(^^ゞ
 シュラインさんと一葉さん再びお目にかかれて光栄です(*^_^*)
 今回のテーマは夏。それぞれ夏の存在理由を教えて貰いました。
 私のシナリオに良くありがちな、プレイングで内容が変わる、という事で今回もやはり少々変わっております。
 最後の方は日付を限定していません。だいたい8月半ば、とは想定して書きました。
 それではまたの機会にお目にかかれる事を楽しみしております。
 暑い日が続きますが、体調には十分お気をつけ下さい。