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地下鉄
**オープニング**
早朝。地下鉄のホーム。
一人佇む、スーツ姿の若い女性。
どこにでもある、平凡な通勤風景。
彼女の立っているホームが、終着駅へ続く一つ前の駅でなかったら。
怪談や都市伝説を扱う、あるHPの掲示板に書かれた内容。
来訪者の興味は恐怖をかき立てられる物に集まり、その書き込みに返事が付く事もない。
まして場所は東京ではなく、名古屋。
それに興味を抱く者がいるのかどうか。
依頼主なども存在しない、単なる悪戯とも思える内容に。
書き込んだのが、誰の仕業かは分からない。
彼女がホームに立っているという事実以外は……。
探偵・龍堂玲於奈(りゅうどう れおな)は、あくまでも愛想よく微笑んだ。
「依頼を破棄したいと」
「ああ」
頷く若い男性。
喫茶店内のBGMに掻き消されるくらいの声。
「必要経費と報酬は、予定通り払う」
「彼女の事は、どうするんです」
書き置きを残し消えた恋人を探すというのが、彼からの依頼。
男性は首を振り、茶封筒を玲於奈の方へと滑らせた。
「地名だけ書いてあったから、俺は勝手に地下鉄の終着駅と思い込んだだけだ。でもそこは、よく考えたらあいつの会社がある場所だった」
「全ては勘違い。自殺したという様子もない。捨てた女の事に、これ以上構っていられないと」
鋭さを増す、玲於奈の赤みを帯びた瞳。
男性は視線を逸らし、無言でそれに耐えた。
「分かった。契約は破棄だ。後は、あたしの好きにやらせてもらう」
「おい。人の話を」
「物事っていうのは、最後までやり遂げるから大事なんだよ」
力強く言い切る玲於奈。
男はレシートを手にして、ため息混じりに立ち上がった。
「俺は、そこまでは強くない」
短い呟きを、BGMの中に消して……。
女性の幽霊が出るという、地下鉄のホーム。
及び腰で、そろそろと歩く玲於奈。
「ゆ、幽霊なんて。そんな、この21世紀の世の中に」
手は腕輪へと触れられ、そこを離れようとはしない。
不安を打ち消す、唯一の拠り所とでも言わんばかりに。
「わっ」
突然の叫び声。
数歩下がり、今度は慌ててホームの端から飛び退く。
彼女を転落させかけたのは、大きな柱の反対側に佇んでいた女性。
青いキャミソールを着た、儚げな雰囲気の。
「あ、あたしは骨っぽくて、美味しくないから」
「え」
怪訝そうな顔。
玲於奈は激しく手を振り、床を指差した。
「ちょ、ちょっと噂を聞いてね」
「その噂の半分は、多分私です」
「え」
「みんなが見かけたのはきっと、私の姉ですから」
ファミレスの一角。
向かい合う玲於奈と女性。
時間にして1時間あまり。
お互いに安心したのか、ようやく会話が進み出す。
「あの人の依頼で」
「破棄されたけどね」
「彼の気持ちも分かります。姉をそっとしておいて欲しいんでしょう」
「でもあんたは違うんだろ」
手の中で回るスプーン。
女性は曖昧に微笑み、小さくなった氷をストローで突いた。
「姉は企業の陸上部に所属していて。実家に帰ってくると、帰りは会社まで走って帰るんです。宣伝も兼ねて」
「そう」
「私も姉と同じ会社に勤めていて。出勤する時に、ホームで見たんです。あの駅で」
淡々とした。
そうしようと、無理をしているような口調。
「後で姉に会った時、つい言ってしまったんです。最後まで走れないなら、走る意味なんて無いって」
「ああ」
「姉はその後体調を崩して、陸上部も会社も辞めさせられて。彼に書き置きを残したのは、最後まで走りたいという決意だったのかも知れません。でも私は……」
途切れる言葉。
周りの会話と笑い声は、すぐに沈黙を埋める。
「昔から姉は勉強もスポーツも優秀でした。それに綺麗で、性格もよくて」
「それで、つい反発したくなったと」
テーブルの上で震える拳。
伏せられる顔。
玲於奈はただ、彼女を見つめる。
「済みません。変な話をしてしまって」
「いや。あたしも、軽率だった。興味本位みたいな気持で、この件に関わろうとして。ごめん」
頭を下げる玲於奈。
女性は虚を突かれたようになり、呆然として首を振った。
「……あの、いいですか」
姿勢を正し、表情を改める女性。
玲於奈も小さく頷き、彼女と向き合う。
「私も、走ってみようと思うんです。姉が走ったコースを」
「付き合うよ」
女性の言葉を最後まで待たず、軽く受け合う玲於奈。
彼女の言う通り、意味や理由は分からない。
でも、走りたいという気持に意味はある。
玲於奈は女性の手を握り、力強く頷いた。
ようやく沈む夕陽。
幹線道路に面した、総合病院駅前。
Tシャツにスパッツ姿の、妙齢の女性が二人。
「夜でも暑いね」
「昼間に走るよりはまだいいと思って」
「あたしも、炎天下だったら断ってるよ」
女性のストレッチを手伝う玲於奈。
それだけですでに汗が浮き、彼女の息は少し早くなる。
「駄目ですね。全然体が動かなくて」
「走るっていう気持だけで十分じゃないの。私は、歩く気でいるし」
「でも、初めくらいは」
踏み出される一歩。
まとわりつくような湿気と蝉時雨の中。
二人の背中は、夜の道に消えていく。
公園の前にしゃがみ込む二人。
日付は翌日となり、車はともかく歩いているのは彼女達くらい。
時折のヘッドライトが、静寂感を呼び起こす。
「時間が決まってる訳でもないし、ゆっくり行こうよ」
「日が昇ったら、もっと辛くなりますから」
「そうだけどね」
スニーカーの上に置かれた素足。
かかとと足先にはバンテージが巻かれ、うっすらと血が滲んでいる。
「消毒は」
「いえ。大丈夫です」
頑なな、拒絶にも似た口調。
玲於奈は軽く頷き、彼女の首筋に冷えたペットボトルを押し当てた。
「少しは楽だろ」
「……済みません」
「いいよ。好きでやってるんだから」
明るく、力強い笑顔。
ようやく口元を緩め、青いリストバンドをはめ直す。
長い旅。
更けていく、都会の夜。
暑さと、温かさと共に。
白み始める空。
ゆっくりと、重い足取りで歩く女性。
玲於奈はやや後ろから付いていく。
信号で止まる二人。
位置的には地下鉄の終末駅まで、半分を切っている。
ただしこれからの日射しや疲労を考えると、きついのはむしろこの先だろう。
「少し休もう」
帰ってこない返事を待たず、コンビニへ入る玲於奈。
女性は車止めに腰を下ろし、俯いたまま動かなくなった。
勢いおにぎりを頬張る玲於奈とは対照的に、女性は義務感ともいうべき動きで少しずつ口にする。
「行こうか」
促され、ようやく動き出す女性。
疲労や寝不足よりも、足や膝の痛みが苦しいのかも知れない。
「本当に、意味が……」
「え」
「いえ、何でもないです」
乾いた返事。
逃げるように歩き出す女性。
玲於奈は口元に手を当て、その背中を見つめた。
不安と励ましを込めた眼差しで。
止まる足。
早い息。
汗は絶え間なく流れ、シャツの色を変える。
ただ歩くだけなら、ここまでにはならないだろう。
刺すような日射しと、まとわりつく湿気。
真夏の、体力だけでなく気力をも奪う熱気。
「どうしたの」
静かに、淡々と問い掛ける玲於奈。
「まだ、着いてないよ」
返事はない。
微かに首が横へ動くだけで。
「止めるの」
もう一度動く首。
曖昧に。
「じゃあ、歩いたら」
突かれる背中。
よろめくように、前へ出る女性。
玲於奈は構わず、背中を突く。
意外な程の早さで振り向いた女性は、厳しい顔付きで玲於奈を睨み付けた。
「なんだよ」
不敵な笑み。
かき上げられる前髪。
汗が散り、地面に消える。
「やり遂げる意味なんて知らない。でも、決めたんだろ」
変わらない静かな口調。
赤い瞳だけに、力がこもる。
「大体行くって決めたのは、あんた自身のため?」
「私は」
「お姉さんのためじゃないの。これはあんたの意思でどうこうする物じゃないんだよ」
手首を掴み、前へ引っ張る玲於奈。
女性はすぐにそれを振り解き、彼女の脇を通り過ぎて歩き出した。
頼りなく、遅い足取りで。
一歩ずつ、確実に。
先に進んでいく……。
交差点の手前。
赤信号で停まる二人。
その先に見えるのは、地下鉄の入り口。
彼女達が目指した、駅の名前が書かれてある。
「一番暑い時に着いたね」
感慨深げに呟く玲於奈。
女性は何も答えず、汗を地面に滴らす。
変わる信号。
流れ出す車の列。
玲於奈は女性の後ろから、その動きを見守りつつ付いていく。
歩行者用信号はまだ青。
しばらくの余裕はある。
彼女達は。
しかしドライバーにとっては、どうだったのか。
かなりの速度で、2トントラックが左折を開始する。
明らかに、彼女達へ意識を払っていない走行。
俯き、足を動かすのに精一杯な女性は気付いていない。
近付く両者の距離。
加速するトラック。
そこでようやく、ドライバーが気付く。
すでに、限界を越えた距離で。
地面に落ちる腕輪。
女性の横に立ちはだかり、腰を落として両手を突き出す玲於奈。
甲高い音ときな臭い香りが、タイヤから上がる。
玲於奈のスニーカーからも。
トラックの勢いに押されて後ずさった彼女は、さらに腰を落とし肩口から体当たりした。
くぼむフロント、飛び散るガラス、。
さすがに気付いたらしく、必死の形相で横断歩道を渡る女性。
しかしその光景にじれたのか、スクーターがトラックの横からすり抜けてくる。
よろめきながら歩く、彼女の元へと。
玲於奈の助けも励ましも届かず、自分の力も使い果たし。
彼女にはもう、何も無い。
避ける動作か、横へ動く左腕。
それがトラックのサイドミラーへ触れ、腕が固定される。
そこを軸に回転する、彼女の体。
スクーターはつい今まで女性がいた場所を通り過ぎ、あっという間に逃げ去った。
公園のベンチに並んで座る二人。
女性はリストバンドを外し、玲於奈へ見せた。
「切れてる」
「私の体重を支えられる程、丈夫だとは思えません。大体、あのサイドミラーにこれが掛かる場所なんて無かったのに」
玲於奈は鼻の辺りを掻き、青く染まった夏の空を見上げた。
「お姉さんが助けてくれた。それでいいんじゃない?」
「私を?」
「姉妹っていうのは、そういうのだと思うけど。姉は妹をかばい、妹は姉を慕うっていう」
「だと、いいんですけどね」
胸元に抱かれる、姉から譲り受けたリストバンド。
伏せられる顔。
膝に滴る、幾つもの水滴。
「さてと。お昼だし、何食べようか」
「私が払います。すごいのも見せてもらいましたし」
「相当食べるからね。知らないよ、また泣いても」
「泣いてません」
強く、明るく返す女性。
その肩を抱く玲於奈。
焼け付くような夏の日射し。
夏にしては澄み切った空。
無意味な行為、それとも自己満足。
でも、それを成し遂げようとする人がいる。
その気持ちは、無意味ではない。
その気持ちを、大切にしたいと思う気持ちも……。
了
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0669/龍堂・玲於奈/ 女 / 26 / 探偵
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■ ライター通信 ■
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ご依頼頂き、ありがとうございました。
またの機会がありましたらよろしくお願いします。
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