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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


記憶の蝶

執筆ライター  :織人文
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜5人

------<オープニング>--------------------------------------

 「記憶を探してほしいのです」
小谷和也と名乗った男は言った。一見して、50代半ばぐらいだろうか。風采の上がらない男で、身なりにも構わないのか、白髪混じりの髪は、ぼさぼさだった。
 事務所のソファに、背を丸めるようにして座り、話す。
「ああ、記憶といっても、私のじゃありませんよ。私の、最愛の女性――妻の瑠璃子の記憶です。一番幸せだったころの、妻の記憶を結晶化させたもので、瑠璃色の蝶の姿をしています。まるで、夢のようにきれいなものですよ」
小谷は、その姿を脳裏に思い描くように、目を細める。
「それなのに、夢中になって眺めていて、うっかり逃がしてしまってね。……ああ、そうそう、もしも見つけたら、捕えてこれへ入れて下さい」
言って、彼は傍に置いてあった、小さな丸い虫かごを手に取り、草間の方へと掲げて見せた。銀細工の、繊細な作りのもので、その中に瑠璃色の蝶がいるところは、さぞや絵になるだろうと思わせる。
「これには、特殊な魔法が掛かっていましてね。記憶の蝶は、この虫かごでないと、捕えておくことができないのです」
 言うだけ言うと、小谷は「お願いします」と草間に頭を下げ、銀細工の虫かごを置いて、立ち去って行った。







 やわらかな風が吹き渡る森の中に、無我司録は立っていた。
 8月だというのに、がっしりとした体には黒のロングコートをまとい、更には、寒風の中を歩く時のように、衿まで立てている。頭には、黒いつば広の帽子を目深にかぶっていた。もっとも、森の中は、他よりはかなり涼しい。
 森に入った時には鳴いていた煩いほどの蝉の声も今はなく、照りつける陽射しも、頭上に生い茂る木々に遮られ、ただあたりには、風にざわめく梢の音がするだけだ。
 草間興信所の事務所のソファで、依頼主の小谷和也と向き合って、無我は能力を使い、小谷の内にある妻、瑠璃子の記憶を読み取った。そして、この場所を突き止めたのだ。
 そこは、東京から車で小一時間ほどの、山の中腹に広がる森の中だった。
 小谷の記憶の中で、瑠璃子は、この森の、今、無我がいる場所に立っていた。ほっそりした肢体と、白い肌、長い黒髪を持つ、日本風の美女だった。とても、あの貧相な小谷の妻とは思えない。
(不躾な真似かもしれませんが……これも小谷氏の為ですし……他言は致しません)
胸の中で自嘲気味に笑って謝りつつ、彼は、ここにやって来たのだった。
 ここに来れば、かならず記憶の蝶が見つかるという確証はない。だが。
(籠の蝶は、いささか退屈であったかもしれませんね……ですがまあ、蝶……奥方の記憶にとって、旦那さんとの記憶が大事な『花』であるならば、いずれは戻るか……それとも……)
それとも、その記憶の元となった場所へ行くか。ただ風に流されただけだとしても、なにしろ元が記憶なのだ。その可能性はあり得ると考えた。
 ふと、風が止んだ。何かの気配に、無我はふり返る。
 そこに、瑠璃色の蝶の姿があった。普通の蝶ではない。さほど周囲が暗いわけではないのに、ぼんやりと内側から発光しているような、不思議な輝きを持つ蝶だ。大きさは、アゲハ蝶程度か。
「小谷……瑠璃子さん?」
無我は、まるで人間に問うように声をかけた。蝶は、うなずくように、ひらひらと二、三度羽根を動かした後、彼のさしのべた指先に、つと止まった。無我は、その蝶を自らの目の高さにまで指先ごと持ち上げ、視線を合わせた。
 周囲の森も、梢のざわめきも、彼の意識から消え、全ては闇に飲み込まれた。その闇の中に、小谷の記憶にあった、あの女性――瑠璃子と、無我が会ったのよりもずっと若く身なりもきっちりとした、しかし明らかに小谷の面影のある男の笑い会う姿が、映画のワンシーンのように浮かぶ。何かを話している瑠璃子、はにかむ瑠璃子、笑う瑠璃子。そして、それに答える若いころの小谷。それらが、ビデオの早送りのように次々に現れては消えて行き……そして。最後に、それらの映像の底から浮かび上がって来るように、瑠璃子の全身像が闇の中に浮かび上がった。
『面白いことができるのね。この私と話すことができるなんて』
クスリと笑って、瑠璃子は言った。
『あなたは……結晶化させられた記憶の底に沈んだ、もう一つの記憶……ですか』
『さあ、なんなのかしら。自分でもよくわからないわ。でも、そうね。あの人に気付いてほしかったわ。あの人が、一番幸せだったと信じている記憶を、飽かず眺めている時、私はいつも呼びかけていたような気がする。記憶の底にあるもの、この蝶の、小さな目の中にあるものを見てって。でも、あの人は気付かなかった……』
小さく首をかしげて、呟くように言い、瑠璃子は自嘲するように笑った。
『あの人とも、こんな風に話せたらよかったのに』
『まあ、私のような能力を持つ者は、そうはいないでしょうからね……』
無我もまた、自嘲気味に呟き、嗚咽とも聞こえる低い笑いを漏らす。
『それで、もしも旦那さんと話せたら、何を伝えるおつもりだったんです?』
『私が、あの人を愛していることを。それを、信じていてほしかったってことを』
言って、彼女ははかなげな笑みを口元に浮かべた。
『籠から逃げ出したのは、それを伝えられないことに、焦れていたからかもしれないわ』
『なんなら、私がお伝えしましょうか?』
『いいえ』
無我の申し出に、彼女はかぶりをふる。
『たぶん、あなたが伝えてくれても、あの人は信じないわ。他人の言伝を信じるぐらいなら、最初から蝶の中にいる私に気付くはずですもの。でも、ありがとう』
再び、はかなげに微笑んで、礼を口にし、彼女は首をかしげた。
『不思議ね。あなたに話したら、少しすっきりしたわ。最初にあなたの顔を見た時、昔の、私の愛を信じていてくれたころのあの人に似ていると思ったせいかしら』
 言われて、無我は苦笑する。
『そんな風によく言われますよ。私の顔は、見る人の心の鏡のようなものらしいですな』
『心の鏡?』
瑠璃子は、軽く目を見張った。
『じゃあ、あの人の見るあなたの顔は、私が見たものとは別人だということ?』
『自分自身を見ることもあるようですが……』
低く呟く無我に、彼女はクスクスと小娘のように笑う。が、その笑いの中には、幾分、意地の悪い何かが感じられた。
『面白いわね。あの人が、あなたの顔に、どんなものを見るのか、私も見てみたいわ』
『それは、無理だと思いますが……』
『でしょうね。まあ、いいわ。あなたと話せて、本当に楽しかったわ。時には、こうして籠を逃げ出すのも悪くはないわね』
笑って、どこかさばさばと彼女は言う。
 その口調に、逃亡への未練がないことを感じて、無我は問うた。
『戻りますか?』
『ええ』
瑠璃子がうなずく。
 途端、彼女の姿は消え、風にざわめく梢の音と、周囲の森の風景が戻って来た。無我の指先から、瑠璃色の蝶がふっと飛び離れる。だが、逃げて行く様子はない。彼はそれを見やって、もう一方の手に下げていた銀細工の虫かごを掲げた。小谷から、これでしか捕えることができないと渡された虫かごだ。小さな扉を開けてやると、蝶は自ら中に飛び込み、中央の繊細な銀の止まり木に羽根をやすめた。無我は、扉を閉めると、虫かごを手に、森を後にした。

 翌日。
 無我からの連絡を受けて、小谷和也が草間興信所へやって来た。先日と同じく、なんとなくよれた感じのネズミ色のスーツを着て、髪もぼさぼさのままだ。
 事務所のテーブルを挟んで向かい合った無我が、蝶の入った虫かごをさし出すと、小谷はまるで、高価な宝石をでも扱うような手つきで、それを持ち上げ、しげしげと中を覗き込む。そして、深い安堵の吐息をついた。
「間違いありません。私の妻の記憶を結晶化した、蝶です。本当に、ありがとうございました」
深々と頭を下げ、次いで上げた小谷の顔が、ふいに大きく歪んだ。そこに刻まれているのは、深く激しい恐怖だった。
 無我は、その見開かれた瞳の中に映っているものを興味深く見やった。
 そこにあるのは、小谷瑠璃子の顔だった。だがその顔は、青黒く膨れ上がり、大きく目を見張り、舌を突き出して、明らかに苦悶の色と死の陰を同時に刻んでいた。
 事務所の中でも取ることのない、黒いつば広の帽子の下で、無我は低く嗚咽するような、奇怪な笑い声を上げる。
 小谷の記憶を「観た」のは、記憶の蝶の居場所を探すための、ほんの一瞬のこと。だが、それでも得られる情報は大きい。そして、瑠璃子の言葉と、今、小谷自身が無我の顔の上に見ているものと。それらの情報を合わせれば、おのずと一つの解答が導き出される。
 小谷は、美しい自分の妻の愛情が、信じられなかったのだろう。そして、失うことを恐れたのか、それとも、妻の不実(と彼が信じたもの)が許せなかったのか。
 いずれにしろ彼は、妻の時を止め、当人が口にしたように、一番幸せだったころの記憶を蝶の姿に結晶化させ、特殊な魔法のかかった虫かごに捕えて、飽かず眺め続けることで、自分自身の心の時をも止めたのだ。
 その彼が今味わっている恐怖は、自分が犯したことへのものでもなければ、死へのそれでもなかった。事実を認めることで、止めたはずの時間が動き出すことへの恐怖だ。
 無我は、その恐怖をゆっくりと味わい、堪能した。
 そして、ほど良いところで、声をかける。人は、本当の恐怖にそう長く耐えられる存在ではない。
 「どうか、しましたか?」
声をかけられて、小谷は、我に返った。
「い、いえ……なんでも……」
慌ててかぶりをふると、彼は急に目の前の男そのものに恐怖を抱いたかのように、立ち上がった。
「ほ、本当に、ありがとうございました」
もごもごと礼を口にし、いかにも大事そうに虫かごを抱えて、彼は、そそくさと事務所を立ち去って行った。
 それを見送る無我の、白い歯の覗く口元には、あるかなしかの笑みが、小さく刻まれていた――。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0441/無我司録/男/50/自称・探偵】


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■         ライター通信          ■
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こんにちわ、織人文です。
依頼に参加いただきまして、ありがとうございます。
今回の作品は、私の初仕事でもあります。
一人一人、別々の作品に仕上げさせていただきました。
どのキャラクターも個性的で、とても素敵で、書きながら、私も楽しませていただきました。
皆さんにも、気に入っていただけて、楽しんでいただければうれしいのですが。
もしよろしければ、お暇な時にでも、感想などいただければ、幸いです。