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真夜中の森で
●準備万端
ネオンきらめく都会ならばともかく、辺鄙な南の島でわざわざ真夜中に出歩こうだなんて考えるのは、よっぽどの物好きだろう。けれどもそういう物好きは意外と居るもので、今森の入口に立っているシュライン・エマもその物好きの中の1人であった。
「変な音か……」
ぼそっとつぶやくシュライン。動きやすい服装に、背中にはリュック、そして手には強力な懐中電灯を持っていた。
(今の所は何も聞こえないわね)
シュラインは耳を澄ませたが、森の中からは何も聞こえてはこなかった。それがまた何かあるように感じさせるのだが。
「我ながら物好きね。ココ来てまでこんなことに首突っ込んで」
自分が物好きの一員であることを自覚しているのか、苦笑するシュライン。好奇心、職業病、言い方は数あれど、こうなってくるともはや性と言えるのではないだろうか。
そもそもシュラインがこんな所に居るのは、不思議な報告をふと耳にしたからであった。
この森では、夜になると時々変な音が聞こえてくると言われていた。それに加え、誰かに見られているような気がする、妙な気配を感じる、あちこちの木に刃物による真新しい傷がついていた等々の話まであったのだ。
「発信源の確定だけなら楽なんだけど」
そんなことを言いながら、森の中の様子を窺うシュライン。依然森の中は静まり返ったままである。
シュラインの聴力をもってすれば、音さえ聞こえれば発信源の確定はほぼ可能といえる。が、どうもそれだけでは済まないような気がしていた。
まず、夜に変な音が聞こえるというのが妙である。それから木の傷だ。自らの目で見てみないことには、本当に刃物かどうか納得は出来ないし、刃物でなければ夜行性の動物による傷だと考えることが出来るからだ。変な音が聞こえるのが夜であることを踏まえれば、そのような考えも出てはくる。
「まぁ、行ってみれば分かることよね」
確かにここであれこれ考えていても仕方がない。実際に自分の目で見た方が早いのだから。
シュラインは懐中電灯の明かりをつけた。うっそうと生い茂った真夜中の森に、一筋の光が照らされる。視界良好とは言えないが、懐中電灯がなければ迷子になるのは目に見えている。森の中へ足を踏み入れるシュライン。
「何だか肝試しみたいね……」
スタイルとしては似たような物だろう。何が待っているか分からない暗闇へと足を踏み入れるのだから。
けれどもこれはどこぞの遊園地のお化け屋敷ではない。現実に、危険を伴うかもしれないのだ。シュラインもそのことは分かっていた。
(問題はあれよね。……何かの霊だったとすれば危ない相手かもしれないってことかしら)
シュラインは溜息を吐いた。霊相手だと、シュラインには手を合わせることくらいしか出来ない。心許ないが、行くしかないのだ――。
●何かが居る
シュラインは足元と遠くを交互に照らしていた。何しろ足場があまりよくないのだ。うっかりしていると、木の根に足を取られて転んでしまいそうだった。実際、シュラインは森の中に足を踏み入れてから3回も木の根に引っかかっていたのだから。
「うーん、何も居そうにないけど……」
森の中を歩き続けてすでに30分以上が経過していた。足を踏み入れる前の静けさはシュライン自身が草木を掻き分ける音で消え失せていたが、特にどこかから音が聞こえてくるというようなことはまだなかった。
(単なる噂に過ぎないのかしら)
そうシュラインが思った時だ――。
「……くすくすくす……」
森の中から女性の笑い声が聞こえてきた。笑い声は2ケ所、3ケ所と増えてゆき、そのうちにシュラインを包囲するかのように聞こえてくる。
「くすくすくす……」
「……くすくすくす……」
「……くすくすくす」
「……くすくすくす……」
「くすくすくす……」
「……誰っ!」
シュラインは大声で叫ぶと、手にしていた懐中電灯をぐるりと周囲に向けて照らした。途端に笑い声はぴたりと止まり、静寂が戻ってきた。懐中電灯の明かりには、何も照らされてはいない。捻れた木々が照らされるだけだった。
「何かが居る……のは間違いないみたい」
シュラインは大きく息を吐くと、再び歩き出した。今のでいくつかの方角と距離は分かった。シュラインはその中の1つに向かった。
周囲を警戒しつつ歩くこと4分、シュラインの目が懐中電灯の明かりに照らされた1本の木の幹で止まった。木の幹にいくつか傷がつけられていたのだ。
「これ……」
木に近付き、じっくりと確認するシュライン。ついていた傷はどれも新しく、各々の場所は離れている。間隔が等しくないので、動物による物だとは考えにくい。
「刃物みたいね」
シュラインは指で傷に触れながら言った。そしてくるりと何気なく後ろを向いたその時――シュラインの目が大きく見開かれた。
「なっ……!」
後ずさりするシュラインの身体が、木にぶつかる。目の前の木の幹にも傷がつけられていた。だがそれは、単なる傷ではなく言葉となっていた。荒々しい『怨』という文字が、懐中電灯の明かりに照らされていたのだ。
●呪いの言葉
シュラインは恐る恐る木に近付き、文字を調べた。こちらの傷も真新しい物であった。
(誰かがこの森で、呪術を行っている……?)
そんな考えがシュラインの頭に浮かぶ。だが、その考えは他の木に明かりを照らした時に打ち壊されることになった。
「え……?」
シュラインを取り囲む他の木々にも、同じように文字が刻まれていたのだ。
『呪』
『殺』
『滅』
『出テイケ』
『殺ス』
『死』
『出テイケ』
『殺ス』
『死ネ』
先程の文字と似たような雰囲気の物もあれば、微妙に異なっている物もある。そしてシュラインは気付いた。これらの文字が、全て自分に対して向けられている物ではないのかということに……。
「くすくすくす……」
「……くすくすくす……」
「……くすくすくす」
またもや女性の笑い声が周囲から聞こえてくる。笑い声はじりじり、じりじりと近付いてくる。
シュラインはすかさず懐中電灯の明かりを消した。もう手遅れかもしれないが、明かりをつけたままでは自分の居場所を相手に教えてしまっているようなものだからだ。
それからリュックを降ろし、中から信号弾を取り出した。万一迷った時のためにと持ってきた物だったが、まさか違う使い方をするはめになるとは思ってもみなかった。
(ともかくここから逃げなきゃ……)
シュラインは信号弾をしっかと握り締め、目を閉じて耳に全神経を傾けた。笑い声はなおも近付いてくる。それがある一定距離に入った瞬間、シュラインは信号弾を放った。
まばゆい光が一直線に伸びてゆき、それを追うようにシュラインが走り出した。強行突破である。
シュラインは笑い声の包囲を何とか抜け出すと、後ろを振り返ることなくただ森の外を目指して走り続けた。
●傷だらけのシュライン
シュラインは何度となく転びながらも、必死に走っていた。衣服は土と汗でどろどろになっており、擦りむいたのか肘には血が滲んでいた。
笑い声はシュラインをなおも追いかけてくる。やがてその中の1つがシュラインに追い付き、襲いかかってきた。シュラインの真横、右側から。
ガサガサガサッと木が揺れたかと思うと、弾丸のように影が飛んできた。シュラインはそれを何とかかわしたが、右肩に鋭い痛みが走った。
「くっ……!」
シュラインの顔が苦痛に歪む。衣服の肩口が、すっぱりと切られて血が滲んでいた。
肩を押さえ走り続けるシュライン。立ち止まってしまえば、待っているのは死なのだから。
どのくらい走り続けたのか、時間の感覚はなくなっていた。けれども物事には終わりはやってくる。そう、森の外が見えてきたのだ。
(外だわ!)
シュラインは残っていた力を振り絞って、走る速度を上げた。が――。
シュラインの目の前に、立ち塞がる者が居た。驚き、足を止めるシュライン。立ち塞がっていたのは、どこにでも居るような少女だった。違うのは、手に鈍く光るナイフを手にしていたことくらいで。
「……アナタ……殺ス……」
少女は虚ろな目で、ナイフの刀身をぺろりと舐めた。何度も、何度も。
じりじりと近付いてくる少女。後ずさるシュライン。笑い声が背後から近付いてくる。『前門の虎、後門の狼』とはまさにこのこと、絶体絶命だった。
(どうすれば……どうすればいいの)
シュラインは混乱気味の頭で、何とか打開策を考えようとした。そして、ある行動が頭に浮かぶ。それは賭けでもあった。
少女が大きくナイフを振り上げ、シュラインへと襲いかかってくる。その刹那、シュラインは音を発した。自分の出すことの出来る、最も高く鋭い音を。普通の人間であれば、思わず耳を塞いでしまう程の音だ。
一瞬怯む少女。シュラインはその隙を逃さなかった。少女の脇を一気に擦り抜けたのだ。
逃げるシュラインの背に、少女がナイフを振り降ろす。だが、ナイフは虚しく空を切った――。
●脱出
シュラインは転がるようにして森の中から飛び出してきた。なかなか立ち上がれない。笑い声はしばらく聞こえていたが森から出てくるようなことはなく、やがて諦めたのか次第に遠ざかっていった。
「何なのよあいつら……いったい……」
肩で息をしながらシュラインがつぶやいた。正体はよく分からない。しかし何らかの危険な存在が森の中に居たということは、紛れもない事実であった。
天を仰ぐシュライン。長い夜は白々と明けつつあった……。
【了】
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