|
夢か現か幻か〜追う者〜
Opening 来訪者
――その男は何の前触れもなしにやって来た。
「人を…捜す?」
草間は眉間に皺を寄せ、燻らせていた煙草を灰皿へと押し潰す。
「何か手がかりとかはありますか?」
草間のその言葉に、向かい側のソファに腰掛けていた男はクスリ、と笑みを零した。
繊細な赤毛を惜しみなく垂らし、暗いグレイのダッフルコート。全身から途轍もない余裕が感じられ、草間は些かこの男に不信感を抱いていた。
「ええ…ありますよ」
男は弄んでいた髪から手を外すと、コートの内ポケットから写真を一枚取り出す。スッとテーブルの上に差し出すと、草間の眉がピクリと大きく跳ねた。
「コイツは…」
「名をC.T.クライン。裏東京では『掃除屋』と呼ばれている人物です」
顔を上げた草間に男はクスクスと相変わらずな笑みを貼り付ける。
「どうしても、その人物と接触を図りたくて、ね。お手伝いをして頂けないかと」
草間は手にした写真に再び視線を落す。蒼い髪に紅い瞳、白コート…何処から撮ったのであろう、街を徘徊する掃除屋がこちらに全く気づかずに写真に収められている――明らかに盗撮だった。
「接触してどうするつもりですか」
草間はギラリとその男を見据えた。掃除屋とは情報交換をする程度の付き合いがある。別に庇うつもりはないが、どうも目の前に座るこのきな臭い男に対して…云い様のない苛つきを覚えていた。しかし、男は草間の威嚇さえも軽く肩を竦ませて相変わらずの表情を称えるだけだ。
「そこまで貴方に云う必要が? 金なら幾らでも積みますが」
クスクスと非道く可笑しげに嗤うと、湯気が立ち上るインスタントコーヒーを手にとる。
「要は捜す手伝いをして頂きたいだけ…。『貴方なら』クラインの行方をご存知でしょう?」
――この男…俺と掃除屋に接点があることを知っている…? 知った上でここにやって来たのか?
草間は今回の依頼が、目の前の男からの挑戦状のように思えてきた。
「お手伝いして頂ける方はこのマンションまで来て頂けると嬉しいのですが」
男は考えを巡らせる草間を他所に、内ポケットから名刺を一枚取り出すとサラサラっとペンを走らせた。そして、洗練された動きで草間にそれを差し出すと音も立てずに席を立つ。
「お待ちしております」
嘲笑とも誘いとも取れるその表情と科白。
草間はその男の背がドアの向こうに吸い込まれると、手渡された名刺に視線を落した。
「Carmine von Zerbst――カーマイン・フォン・ツェルプスト……」
呟く。カーマインとは狂った紅い色の名だ。
「オイ、お前達。かなーり危ない橋だが…アイツの監視も含めて手伝ってくれないか? そうだな…まずは動機と目的をアイツに近づいて調べて――それが分かった上でアイツに手を貸すか、それとも止めるか…それはお前達に任す」
そう云って草間は苛立たしげに煙草を咥え、ライターを弾いた。
Scene-1 迷走する宴
――The End of Beginning......
そんな声がどこからか聞こえて来るような気がして、男は顔を上げた。細い紫煙が前髪をすり抜け、薄い闇へと吸い込まれていく。その様を視線で追うと、男は燻らせていた煙草を無言のままに消して、体重を預けていたガードレールから立ち上がる。スラッと身長が高いながらも痩せた印象は与えず――云うなれば黒豹のような洗練された引き締まった躯。漆黒の髪、凄むような銀色の瞳、左耳に2個のリングピアスをつけた男――沙倉唯為。左手には藤色の布に包れた我が分身・緋櫻を携え、僅かに鞘の端を上にあげ、柄を下にさげる。
雑踏の片隅で、いつものように煙草をふかし、いつものように空を見あげ、いつものように闇に消える。今宵もそうだった。そうなるべくしてやって来た。ヤカましい雑音など一切掻き消されて彼の耳には届かない。
(カーマイン……? 実に虫酸の走る名だな)
チリリ、と瞼を掠めるような紅い痛みに唯為はくしゃり、と前髪を掻き上げた。忘れもしない名前だった。あの男が草間興信所にやって来たということは後から聞いた話だったが――相変わらずのようだ。そして、「カーマイン」という名を聞くだけで、脳裏にあの笑みが浮かんでくる自分に失笑する。
(まぁいい……以前の借りもある。お住まいの高級マンションまで足を運んでやろうじゃないか)
クッと男は口元を歪めた。手には草間から手渡された紙が1枚――カーマインの住所と名前が書かれているメモ。男はそれに視線を落とすと手のひらで握り潰して歩む足を更に速めた。
人の波をすり抜けるようにネオン街から遠ざかり、闇へと歩き出した男はふと空を仰ぐ。恐ろしいほどに紅い紅い滴るような月がこちらを見ているような気がして……男は大胆不敵に嗤った。
――宴の……始まりか?
Scene-2 賭けの行方
「再びお会いできて光栄です」
唯為が部屋に入ると、男は背中を向けたまま開口一番に云った。前面ガラス張りの窓からはまさしく宝石箱をひっくり返したような輝かしい夜景。
「ほう……見事な眺めだな」
唯為はそう云って足を進めた。男の横からそれを眺めると視線を夜景に貼り付けたまま、
「今度は狸と猫を衝突させる気か……Mr. Mad Carmine?」
口を開く。男は――カーマインは手にしたワイングラスにキスのような口付けを落とすと、
「生憎ですが、その名は随分前に捨てました。日本へは人捜しに」
短く云って紅い瞳が虚空を掴む。落とした口付けを惜しむように離した後、男は唯為を仰いだ。
「何やら聞きたそうな顔ですね……一杯付き合って下さるというのなら少しお話でも致しますが?」
「一杯でも何杯でも…幾らでも付き合ってやる」
唯為はおどけた風に肩を竦めて見せた。…どうせなら面白い方がいい…暇つぶし程度にはなるだろう。
――ミイラ取りがミイラにならねば良い……が。
ピッとリモコンの音が耳に届くと部屋に電気が灯る。白色光が暗がりに慣れた目には些か眩しかった。ソファに身を沈めた唯為にカーマインは戸棚から取り出した白ワインをグラスに注ぐ。琥珀色のそれがグラスの中で踊る様を唯為は無言のまま見つめると、カーマインはクスリと笑みを一つ零した。
「何が可笑しい」
「別に」
そうは云いつつも赤毛の男はクスクスと自嘲にも似た笑いを止めることはなかった。唯為はやれやれ、と一種の諦めにも似た溜息を吐くとスッと足を組んだ。
「で… 今回の目的は何だ?」
「目的?」
「トボけるな。お前なら草間に来んでも人探しなんぞ容易い筈。それをワザワザ……」
見上げたカーマインは何処か含んだ表情をすると、自分のワイングラスを片手に向かい側へと腰を掛けた。
「ねぇ、折角ですから面白い遊びでもしましょうか?」
「何?」
細い繊細な赤毛を人差し指に絡め、男は視線を唯為に据えた。
「私だけが一方的に答えるのでは面白くない。世の中、ギブ・アンド・テイクですから」
「ならばどうしろと?」
「交互に質問をする。どうしても答えたくなかったら『Nicht<ニヒト/ドイツ語で“いいえ”の意>』でも『No』でも。ただし……」
「答えないでばかりいれば、お前の答えも聞くことはできない、と?」
「Ja.」
カーマインはグラスに口付けながら唯為を見据えた。あの紅い瞳が妙に挑発的に光る。
「上等だ」
唯為はここで一歩も引く気はなかった。無論、それはカーマインとて同じことであろう。
「では、まず貴方から質問をどうぞ」
「先攻を譲るとは中々殊勝な心がけだ。ならば、先程の質問に答えてもらおうか」
「ああ……目的ですか。目的は草間でお話した通りですよ。クラインと接触を図りたい」
「それだけか?」
「次は私が質問する番です」
足を組み直した男はまるで残忍な遊びに無邪気に手を染める子供のように笑った。
「貴方、『赤』…いえ『炎』に敏感に反応しますね。それは何故?」
「……No」
男は表情を変えずに答えた。だが、凍りついた冷たい怒気を孕んでいるようにも見える。
「では、次は貴方の番」
対するカーマインは相変わらずのテンポのままグラスを傾ける。
「…掃除屋はお前の一体何だ? 月刊シネマルの2月の占い……あれはお前の仕業だろう? わざわざあんな手の込んだラブレターを用意するとは中々ロマンチストじゃないか」
皮肉、とでも云うのだろうか。唯為は貼り付けたような嘲笑を浮かべた。
「Nicht...と云いたい所ですが、それでは貴方の気が済みそうにないですね」
クスクス、と嗤うとカーマインは内ポケットから2枚の写真を取り出した。
「掃除屋を……クラインを私の手元に連れ戻したい」
グラスを重厚なガラスのテーブルに置くとカーマインは膝の上で両手を組んだ。
「連れ戻したい……? どういう意味だ?」
「貴方、母親をその手で殺してますね。そのときの気分は如何でした?」
「!」
底冷える空気が2人を包んだ。息苦しさと熱と……怒りと。
「私がその問いに答えれば、私が今訊ねた問いに答えて頂けますか?」
「…………」
無言の沈黙が一筋の糸のように2人の間をつなぐ。これは駆け引きなのか?
唯為は瞼に過る赤い炎に苛つきながらも額に手を当て、指の隙間からカーマインを見据えた。――赤毛の男は微笑んでいた。
「では……依頼が無事完遂されたときに私の答えは貴方に差し上げましょう。ただし、失敗すれば貴方の答えを私が『記憶』という形でいただく」
唯為は差し出された2枚の写真に視線を落とす。1枚はレトロな喫茶店。もう1枚は気の優しそうな黒髪の青年。
「クラインは『時の間』という喫茶店にいます。で、その男はその店のマスター」
「…………」
「Auf Wiedersehen」
カーマインはそう云うと再び妖艶な雰囲気を纏った。
Scene-3 始まりはいつも
試されている? それとも単なる遊びの駒にしか過ぎない……?
唯為は月明かりだけが頼りである閑静な町をコツン、コツン、と規則正しい足音を鳴らして歩いていた。時折ある電信柱に設置された街灯に虫が盲目的に集っている。それをわき目に見ながら唯為は内ポケットからシガーケースを取りだし、ライターを弾いた。ふぅと一筋の煙と赤い光が闇に吸い込まれる。
――手を貸すも貸さんも俺の気分次第……だが。
恐ろしいくらいに美しい満月の夜だった。昼間の熱はコンクリートに吸収されて妙な渇きを与える。男の後ろから攫うような冷えた風が抜け、黒髪とジャケットの裾が揺れた。顔を上げると――ボヤンと浮かび上がるような暖色の明かりが視界の中心に来る。中世大英帝国を思い起こさせるようなレトロな外観の喫茶店。唯為は煙草を咥えたまま手渡された写真を2枚、取り出して視線を落とした。――『時の間』だ。
「!」
ボンヤリと吸い込まれるように眺めていた男はハッと我に戻る。カランカランと乾いたベルの音をさせて2つの人影が『時の間』から出てくる。唯為は咄嗟に身を翻して電信柱の裏に張りつくと、左手……緋櫻を握り締める手に力を込めた。
「冴那、蛇はどれくらい放ったんだ?」
「そうね……結構な数だとは思うんだけど」
若い男の声と艶っぽい女の声……何処かで聞き覚えがある。
「店は青龍が守っててくれるし…幾らモーホーの変質者が乗り込んで来たって平気だろ? それよりこっちから攻めてやろっか。クラインの偽者とか作ってさ、相手を出し抜こうゼ!」
「馬鹿ね。カーマインを甘く見ないほうが良くってよ。とにかく攻め辛い男だから……」
陽気にカラカラと笑う声とそれをしたたかに嗜める声。
(冴那と……『時の間』のマスター…?)
唯為は背をブロック塀に預けながら視線を2人に向けた。向こうは何かに気配を配っているようだが、こちらの存在には気づいていないようだった。巳主神・冴那<みすがみ・さえな>と先程の写真で見た『時の間』のマスター、綾小路・蘭丸<あやのこうじ・らんまる>である。
(青龍…ということは何かしらの結界を張ったというワケか……掃除屋は恐らく中にいる)
この2人が……掃除屋が月刊アトラスに駆け込み、助けを求めた相手なのであろう。唯為の脳裏には3つの選択肢が浮かんだ。
1つ目は2人を振りきって『時の間』から掃除屋を引き摺り出すこと。
2つ目はこのまま静観すること。
3つ目は――……
「私と対峙すること、ですか?」
男はゆっくりと後ろを振り返った。
白い月を背負って佇む赤毛の男が1人――凍てつくような殺気を引き連れて。思わず唯為の背筋に冷たいものが走った。余裕をカマして嗤っている姿も、残酷な嘲笑を浮かべる姿も見たことはある。だが、このように沈むような重い空気を纏うことは一切なかった。
「カーマイン…!」
キィィンと張り詰めるような空気が赤毛の男を中心に円状に広がる。唯為は両腕をクロスさせて顔を覆い、思わず地面を蹴って塀に飛び乗った。
(掃除屋と初めて会った、あの時以上だ……!)
空間の歪み、とでも云うだろうか頭痛を覚える程の波長の乱れだった。前回――マンションで対峙したときとはケタが違う。50mも離れていない所にいた冴那と蘭丸もこの異変に気づき、こちらへと駆けて来る。
「冴那ッ、これは……?!」
「来たわ、ヤツが!」
『時の間』の前では青龍が奇妙な声を上げている。恐らくカーマインの『テリトリー』に喰われたことに己の気が乱れたのであろう。具現化した躯が徐々に薄くなり、断末魔を喉から搾り出す。
「迂闊に近寄るなッ」
チッと舌打ちを漏らすと唯為は塀の上を颯爽と駆け抜け、こちらに向かってくる冴那・蘭丸の傍まで来ると、タンッと2人の前に飛び降りた。
「唯為ッ! 貴方、どうしてここに?」
行く手を塞ぐように立ちはだかった男に冴那はやや息を弾ませながらも静かに云う。
「話は後だ。今、カーマインに近寄ればこの前の二の舞になるぞ」
男は低く……そして銀色の眼を光らせた。
「だけど、クラインを潰しに来るのと分かってて黙って見てられっかよッ!」
吐き捨てるように青年は怒鳴ると、男の傍をすり抜けて走り出す。
「待てッ」
振り返る唯為を余所に、
「そういうことね。私もカーマインに借りは返さないと気が済まなくってよ」
反対側を冴那がすり抜けて、駆けて行く。
「イケメンのおにーさん、そんなに俺達のこと心配してくれっなら、『時の間』にいるクラインを連れて逃げてくれよッ。頼んだゼ!」
蘭丸は遠ざかりながら片手を上げて叫ぶ。
振り返る? 振り返らない?
頭がやけに膨張して何かの箍が一気に吹っ飛びそうだった。
「阿呆が」
Scene-4 紅い闇
闇の中はまた闇で。
更に濃くなるのか僅かな光により薄くなるのか――それは分からない。ただ……今、手の中にある、理解でき得る『必然』だけを握り締めて走ることしか自分には叶わないことだと。頭の中があの時見た、焼け野が原にただ1人佇んでいるような。緋櫻を握る手は昨日のことの様にあの時の感触を忘れずにいる。
――答え、だと?
生々しい手応えが彷彿とする中で唯為は自分の中の何かが崩れていく音を聞いた。後から思えばそれは何と形容すればいいものなのか、それすら分からない。
ただ、気がつけば――風を切って走っていた。
闇の中で声が聞こえる。
ここにも紅い闇に翻弄される人間がいる。
ギギーと鉄と木が擦れる音がして前方から光が零れた。
薄闇に慣れた目には些かそれが眩しい。女――原咲・蝶花<はらさき・ちょうか>は右手で光を遮りながら目を細めた。
「こっちから早く逃げた方がいいって」
逆光となって暖色の光の筋から2つの人影が出てくる。1人は少年だろうか。そしてもう1人は……。
「掃除屋さん……?」
蝶花は翳した手を下ろし、目をはたつかせた。
扉を閉じるとまた暗闇へとその場は帰る。白コートが月明かりに染め上げられ、紅い瞳がさめざめと光っていた――間違いない、掃除屋ことC.T.クラインだ。
「蝶花?」
掃除屋を凝視している蝶花の視界に金髪の少年が現れる。桐谷・虎助<きりたに・こすけ>だった。蝶花は虎助の存在を認めるときゅっと胸の上で手を握り締める。
「私は原咲蝶花と申します。ツェルプスト氏の依頼により、掃除屋さん……いえ、クライン氏にご同行願いたく、参上致しました」
「ツェルプストって誰?」
「それ以上は……」
蝶花は未だ心の中で芽生える葛藤に悩まされていた。己はここに馴れ合う為にやってきているのではない。
だが――……
その蝶花の胸の内を読んだかのように、掃除屋は笑った。
「虎助。ここでいい。お前はここから遠くに引け」
スッと蝶花に食い掛かろうとする虎助を静止して掃除屋は歩を進めた。
「何云ってんだよ! マスターにアンタを連れて逃げろって云われてんだ」
「いいから」
掃除屋はふと空を仰いだ。それに釣られて蝶花と虎助も掃除屋の視線を追う。
「!」
悲鳴を上げる巨大な龍が見え隠れしている。耳鳴りに似た歪みに思わず蝶花は眉間に皺を寄せた。
「見ろ、蘭丸の『青龍』がカーマインの『テリトリー』に喰われ始めている。この青龍が消えたら、この一帯は全てヤツに侵食される。その前に……」
「その前に?」
蝶花の後方から声が飛んだ。ハッと振り返るのと同時に掃除屋と虎助の視線も弾かれたようにこちらに向けられた。赤い煙草の火が1つの点のように……まるであの男のように深く光る。
「お前が動く前に、俺達にも分かるようにアイツとの関係を話してもらおうか。そこの坊主もお嬢ちゃんもそれを望んでいる筈だ」
唯為は低く云うと、ピンと煙草を弾いて灰を落とした。
Scene-5 金色の風に身を任す時
「カーマインとは単なる商売敵に過ぎない、今は」
シン、と静まり返った空気の中で、漸くクラインは重い口を開いた。
「『今は』ってどーゆーイミ?」
間髪入れず問い返す虎助に、クラインは苦笑いを貼り付け、「煙草はないか?」と初めて会ったあの夜のように人差し指と中指を指して唯為に尋ねた。唯為は無言のままに内ポケットからシガーケースを取り出し、掃除屋に差し出すと自分も1本咥える。ライターを弾いて火を点すとふぅーと溜息にも似た風にクラインは大きく深く紫煙を吐き出した。
「ドイツにいた頃……、もう7年も前の話だ。荒稼ぎの為に罠を掛けていた私の前にあの男が現れた。あの男は完璧にハマりいいカモだと思った。だが、逆に……」
そこでクラインは言葉を詰まらせた。長くなった灰がぽとりと落ちる。
「逆に?」
蝶花が問い返す。
「逆に……返り討ちにあった」
街灯に吸い寄せられて飛んできた蛾が足元に力無く羽を折る。ピクピクともがく様は自分に似ている、とクラインは思わず目を伏せた。
「カーマインは『手元に連れ戻したい』とかホザいてたが?」
唯為は煙草を深く吸った。赤い光がジリジリと熱を増す。その科白にクラインは馬鹿が、と吐き捨てるように零した。
「連れ戻したい? 冗談はヨシ蔵さんだ。……とにかく、ここで時間を費やす気はない。蘭丸と冴那が派手にあの男とやりあっているだろうからな」
云いしな、タンッタンッと軽く跳んで『時の間』の屋根に登ったかと思うと、クラインはヒラリと身を翻し視界から消えた。
「オイ、坊主」
「坊主じゃねぇ。虎助だ虎助」
「坊主、お嬢ちゃんを連れてここから離れろ。いいな」
視線を掃除屋が去った方向に貼り付けながら口を尖らす虎助に唯為は云い放つと、掃除屋を追いかけて自分も軽く身を翻してアスファルトを蹴る。
――全く……どいつもこいつも。
スーツの裾がふわりと浮かび、屋根に登ったところで唯為は舌打ちを漏らす。正面には白く大きな月がこちらを見据えている。そして、前方を掃除屋が駆けて行くのが僅かに映った。それを確認すると男は更に先へと視線を向けた。陽炎のように歪んで見える空間が1人の男を中心に広がっている。
『其が我を呼び、我が其を欲する今……櫻・唯威の名の元に、緋櫻の戒め――解き放つ…!』
唯為は低く唱えるのと同時に――携えていた日本刀・緋櫻を目の高さまで横一文字に掲げて、人差し指で『櫻・唯威』の文字を素早く書き記した。
金色の風が『時の間』の上空を吹き荒ぶ。血が欲しいと男を呼ぶ。
黒髪が緋櫻の妖気に遊ばれて揺れ、刀身からはシュゥゥゥゥ…と息づく白い霊気が立ち上がった。
「さぁ、逝こうか」
男は、クッと不敵に嗤った。
Scene-6 白い闇
颯爽と駆け抜ける男の後ろで、グン、と吸い寄せられるような風を体全体に受け、唯為は足を踏ん張った。ハッと後ろを振り返る。『青龍』が完全に飲み込まれ、カーマインの『テリトリー』に喰われたことにより、空間の歪が生じていた。まるでブラックホールのような蠢く塊が振り返った『時の間』に浮かび上がっている。
――早くしないとマズいな……。
男は緋櫻を握り締める力を僅かに込めて、前方と見据えた。人影が4つ。街灯に照らし出された――冴那、蘭丸、クライン、そしてカーマインだ。
耳がどうにかなったかと思うくらい、無音の世界が『テリトリー』の中心に近づくにつれて広がっていた。これは一種の隔離された別空間なのだろうか? 過ぎった考えに形のよい眉を寄せた唯為は、不意に届いた声によって思考を現実へと引き戻されることになる。
『大人しく私と帰りましょう。さすれば、この場にいる彼らには今後、危害を加えない』
『それは駆け引きか? それとも脅しか?』
サーベルと日本刀という違いこそあれ、2人は刀を抜いて対峙していた。にじり寄るようにクラインが足を滑らし、カーマインの出方を伺っているようだが――……。
『鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス……ですね』
カーマインは喉の奥で嗤うと、左手を仰向けて何かを唱える。質量がグングンとそこに集まり、先程の『時の間』上空で起こった空間の歪みが小規模で男の掌の上で形成されていた。見る見るとそれは形を成し、見慣れた――あの『本』が召喚される。
『記憶だけを全て奪って……骸だけの貴方を手にするのも、この際悪くない』
ペラリ、と男がそのページを1枚捲る。
「!」
唯為は手にした緋櫻がドクン、ドクンと息づき始める音にハッと目を見張った。まるで脈を打っているかのように、それはどんどんと早くなり、頭の中を侵食してくる。
――行け。
何かがそう叫んでいる気がして、唯為は地面を蹴って間を割って入った――!
「唯為ッ!」
クラインが叫ぶのと同時に、唯為はカーマインに斬りかかった。術の体制に入っていたカーマインは云わば丸腰である。飛び道具は彼のコートに跳ね返されてしまうが、直で入れば文句はないだろう。
「阿呆。お前だけじゃ、役不足だ」
鋭い金属音を発して、緋櫻はカーマイ自身を取り巻く球体の結界に阻まれていた。だが、グググ……と叩きつけるかのようにそれを押し切り、強引にブチ込む。
「クッ」
刃は触れなかったが、掛かった圧力が赤毛の男の躯にモロに入った。後ずさり……それと同時に本が煙となって消えてしまう。カーマインは舌打ちを洩らし、繊細な赤毛を僅かに乱すと手にしていたサーベルでもって間髪入れずに横凪にはらい、間合いを取った。
しかし、その間に冴那と蘭丸が行く手を阻む。閑静な町の一角である。路幅も然程無く、これ以上は些か不利と取ったのかカーマインはサーベルを下に降ろした。
「多勢に無勢ですか……仕方ありませんね」
小さな溜息を落とすと、落ちている杖――鞘を拾って洗練された動きでサーベルをしまった。
「逃げるの?」
つと冴那が口を開く。しかし男は息も乱さずに……嗤った。
「まさか」
男が言葉を紡いだ瞬間、ドライアイスのような煙ともつかぬ鈍色の白煙が辺りから立ち込めた。シュゥゥゥゥと音を立てて、云う間にその場を白く染めていく。
「云ったでしょう? 今宵の目的は『貴方方ではない』と」
唯為は男の愉悦を含んだその科白に弾かれたように後方を見た。そこに先程までいた掃除屋の姿がない。
「オイ、アイツは何処へ行った!?」
ゴホゴホと咳を洩らして、煙を掻く蘭丸はキョロキョロとクラインの存在を探すが、
「クライン? 何処だよッ!」
白い闇の中で蘭丸の声が無常に響く。まるで下手な手品のようにクラインは一瞬にして姿を消していた。
Epilogue 夢か現か幻か
雑踏の片隅で、男は煙草を吹かしていた。いつもと変わりのない、狂った都――東京の片隅で。割れんばかりの騒音も、くだらないことで囃し立てる声も、男の耳には一切届いていない。整った口から一筋、細く長く煙を吐く。
結局。
あの混沌とした煙に巻かれたまま――掃除屋もカーマインも真実さえも見つからなかった。
別に、そんなことはどうだっていい。もともと気まぐれで受けた仕事だ。掃除屋がどうなろうとカーマインがどうなろうと知ったこっちゃない。
――だが。
だがそれは、まるで幻を見ていたかのように――この数ヶ月に出会った存在さえも嘘だったかのように……。一瞬にして消え去った夏の終わりに見る夢のように……目が覚めた今、何とも云えぬ虚無感だけが掌に残っているような気を起こさせた。
『貴方、母親をその手で殺してますね。そのときの気分は如何でした?』
クシャリ、と男は前髪を掻き上げる。
――「答え」は……まだ見つかっていない。
Fin or To be Continued...?
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0733 / 沙倉・唯為(さくら・ゆい) / 男 / 27 / 妖狩り】
【0104 / 桐谷・虎助(きりたに・こすけ) / 男 / 152 / 桐谷さん家のペット】
【0885 / 原咲・蝶花(はらさき・ちょうか) / 女 / 19 / 大学生】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
* こんにちは、本依頼担当ライターの相馬冬果です。
この度は、東京怪談・草間興信所からの依頼を受けて頂きありがとうございました。
* 今回の依頼は同ライター名でUPされた、月刊アトラス『夢か現か幻か〜追われる者〜』
との連動シナリオとなっております。
* 事件の全容も含めて、カーマインの思惑、行動、進展度などは、他の参加者の方は勿論、
月刊アトラス側の参加者の方のノベルにも目を通して頂くと、より一層楽しんで
頂けると思います。
* 注:ノベルに登場するカーマインの科白、「Nicht」は「いいえ」、
「Auf Wiedersehen」は「さようなら」という意のドイツ語です。
≪沙倉 唯為 様≫
再びお会い出来て嬉しいです。ご参加、ありがとうございました。
全体に渡り、沙倉さんとカーマインとのやり取りを実に楽しく書かせて頂きましたが、
如何でしたでしょうか?
それでは、またの依頼でお会い出来ますことを願って……
相馬
|
|
|