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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


夢か現か幻か〜追う者〜

Opening 来訪者

――その男は何の前触れもなしにやって来た。

「人を…捜す?」
 草間は眉間に皺を寄せ、燻らせていた煙草を灰皿へと押し潰す。
「何か手がかりとかはありますか?」
 草間のその言葉に、向かい側のソファに腰掛けていた男はクスリ、と笑みを零した。
 繊細な赤毛を惜しみなく垂らし、暗いグレイのダッフルコート。全身から途轍もない余裕が感じられ、草間は些かこの男に不信感を抱いていた。
「ええ…ありますよ」
 男は弄んでいた髪から手を外すと、コートの内ポケットから写真を一枚取り出す。スッとテーブルの上に差し出すと、草間の眉がピクリと大きく跳ねた。
「コイツは…」
「名をC.T.クライン。裏東京では『掃除屋』と呼ばれている人物です」
 顔を上げた草間に男はクスクスと相変わらずな笑みを貼り付ける。
「どうしても、その人物と接触を図りたくて、ね。お手伝いをして頂けないかと」
 草間は手にした写真に再び視線を落す。蒼い髪に紅い瞳、白コート…何処から撮ったのであろう、街を徘徊する掃除屋がこちらに全く気づかずに写真に収められている――明らかに盗撮だった。

「接触してどうするつもりですか」
 草間はギラリとその男を見据えた。掃除屋とは情報交換をする程度の付き合いがある。別に庇うつもりはないが、どうも目の前に座るこのきな臭い男に対して…云い様のない苛つきを覚えていた。しかし、男は草間の威嚇さえも軽く肩を竦ませて相変わらずの表情を称えるだけだ。
「そこまで貴方に云う必要が? 金なら幾らでも積みますが」
クスクスと非道く可笑しげに嗤うと、湯気が立ち上るインスタントコーヒーを手にとる。
「要は捜す手伝いをして頂きたいだけ…。『貴方なら』クラインの行方をご存知でしょう?」

――この男…俺と掃除屋に接点があることを知っている…? 知った上でここにやって来たのか?

 草間は今回の依頼が、目の前の男からの挑戦状のように思えてきた。
「お手伝いして頂ける方はこのマンションまで来て頂けると嬉しいのですが」
 男は考えを巡らせる草間を他所に、内ポケットから名刺を一枚取り出すとサラサラっとペンを走らせた。そして、洗練された動きで草間にそれを差し出すと音も立てずに席を立つ。
「お待ちしております」
 嘲笑とも誘いとも取れるその表情と科白。
 草間はその男の背がドアの向こうに吸い込まれると、手渡された名刺に視線を落した。
「Carmine von Zerbst――カーマイン・フォン・ツェルプスト……」
 呟く。カーマインとは狂った紅い色の名だ。
「オイ、お前達。かなーり危ない橋だが…アイツの監視も含めて手伝ってくれないか? そうだな…まずは動機と目的をアイツに近づいて調べて――それが分かった上でアイツに手を貸すか、それとも止めるか…それはお前達に任す」
 そう云って草間は苛立たしげに煙草を咥え、ライターを弾いた。


Scene-1 桐谷虎助

 ふわぁあ。
 大きな欠伸を何の遠慮もなく目一杯カマす猫が一匹。
 草間興信所の壁に沿うように立っているブロック塀の小さなスペースに器用に横たわり、時よりムニャムニャと口元を動かす。チョコレートのような円らな鼻の横からはピンピンと跳ねた自慢の髭が伸びて、ピクリと動かしたかと思えば、目を閉じながら前足で顔を洗ったり。ゴロン、と白い腹を出して仰向けになれば、「にゃぁ」と小さく……まるで寝言のように鳴声を漏らす――桐谷さんちの飼い猫・虎助である。
 彼が何故こんな所で昼寝しているかと云うと。それには長くも短い理由があった。まず、1つ。草間さんちは日当たりが頗る良い。そして2つ。この脇のブロック塀は風の通り道となっていて、なお且つ隣のビルの庭木がちょうどよい影を作り、この暑さの中では持ってこいの昼寝スポットなのだ。虎助は彼の本宅である桐谷さんちに始終いることはなく、その季節毎、その時間毎に、ベストな昼寝ポジションを探し求め移動する。これで、猫缶をくれる人間がいたら最高なワケなのだが……まぁこのご時世、贅沢は云えぬ。少し喉が渇いた時に水か茶をくれれば大感謝だ。

 そんなお気楽極楽小さな幸せ大歓迎な虎助は今日も相変わらずムニャムニャと昼寝をしているわけだった。しかし、そんな穏やかな昼下がりはとある人物によってあっという間に壊されてしまうことになる。猫という生き物は兎角敏感な生き物である。空気、水、風、熱……どれも人間より早く察知してその縦長の瞳孔を目一杯開く。
――今日もそうだった。
 紅い……赤い髪の男が草間興信所のビルに入ったその時から、虎助は尻尾をビンビンに痙攣させてその身を震わせた。
(にゃろう……俺のお昼寝タイムを邪魔しやがって)
 実際、その男にはまったりと寝ていた虎助を一発で起こす迫力があった。それが何となく虎助は気に入らない。
「にゃー」
 虎助は小さく唸ると、タンッと軽く跳んで方向転換をし、草間の窓――ちょうど2階にある草間のデスクの真後ろにある窓からその男を伺おうと前足をスタスタと動かして歩みを進めた。

(うぉ! 暑苦し!)
 そろりと顔を出した虎助は真っ先にその男の格好を見てしかめっ面をした。この真夏の太陽の下をコートを着て……しかも殆ど黒に近い色だった。
(ファッションで羽織るにしても、せめてトレンチコートくらい薄くしとけばさぁ…)
 思わずツッコミを入れてしまう。相手や草間をちょうど横から見る位置なので、分からないだろうと思い、虎助は更に身を乗り出した。
「ん?」
 ふと、虎助は妙な違和感を覚えた。草間が貧乏揺すりをしている。あの赤毛の男に――妙に苛立っているように思えた。
(ハハーン……さてはアイツ、ガマン大会の参加者で草間さんを誘いに来たんだな)
 尻尾を振りながらバランスを取る猫の頭にピロリロリーンと豆球が光る。
(草間さんって絶対そーゆーの嫌いそーだよなー……あ!)
 猫はムフフと不敵な笑いを零す。
(このところクーラーのある部屋でずーっと寝てばっかりだったから世情に薄くなっちまったけど、きっと近くでそんなイベントをやるに違いない。おーもしーろそー。早速ついて行ってみよ)
 可愛らしい筈の猫の口元がやけに妖しく微笑まれる。
「にゃあ」
 赤毛の男が席を立つと虎助は軽い身のこなしで塀を降りて男の後を追う。
(車だったら助手席にでも乗っけてもらおうっと♪)
 小走りな猫の後ろ姿はルンタッタとまるで鼻歌が聞えてきそうなほど陽気なものだった。
 だが、この後に……待ち受けている悲劇を彼はまだ知らないでいた。


Scene-2 てーそーの危機。

(…随分立ったけど、どこ向かってんだろ)
 結局、赤毛の男の車の助手席に乗ることは叶わず、コッソリと開いていた後部座席――と云ってもスポーツカータイプなのでホンの僅かな隙間なのだが――へと身を滑らした虎助は、バックミラーに写らないようにとコソっと顔を覗かせる。赤毛の男は虎助の存在に気付いているのかいないのか……前を見据えたまま振り返らなかった。
(それにしても騒々しい車だなぁ。ブルルブルルとさっきから吹かしっぱなしだぞ)
 車名にはとんと疎い虎助である。乗っている車がまさかドイツ産ルーフCTRだとは夢にも思っていない。所謂……(ケタも違う)高級外国車である。地を這うようなエンジン音が腹に響いて心地よい……筈なのだが、猫の虎助に関して云えば、そんなの煩いだけで人間と云う生き物の価値観などサッパリである。
(全然会場に着く様子ないし…つまんね)
 虎助は「ふにゃ」と小さく零すとシートの上でゴロンと仰向けになった。窓からは紅く滴る月が顔を覗かせていた。車のスピードと同じ速度で月もまた車を追いかける。男は振り返らなかった。虎助は男の顔を斜め後ろから仰ぐと……ふん、と鼻を鳴らして眠りに落ちていった。

(何処だ……ここ?)
 エンジンが止まる音で目を覚ました虎助は、ハッと飛び起きてキョロキョロと顔を左右に動かす。薄暗い……車がいっぱいある。見たこともない派手な色の車ばっかりだった。虎助が前足で目を擦りながらシパシパと目をはたつかせていると運転席に座っていた赤毛の男がドアを開けて外に出ようとする。
(ヤベッ。一緒に出ないと閉じ込められちまう)
 虎助は慌てて、身を翻してドアの隙間へとダイブした。しかし、コンクリートの上にナイス着地! とは行かず、男に首根っこを捕まえられることになる。
「猫……? 何とまぁ品のない」
 赤毛の男はトラ模様の猫を見るなりクッと喉の奥で嗤った。
(にゃ、にゃんだとぉーぅ?!)
 軽々と摘まみ上げられた虎助は手足をばたつかせ、「シャー」と歯を剥き出しにして威嚇する。
(ガマン大会参加者だからって云っていいことと悪いがあるだろッ。それになー! 俺だって十分ガマン大会状態だしさ、毛皮あるしッ。人間になっても服着なきゃなんないし!)
 精一杯もがいて睨み付ける。が、
「威嚇するところが小動物たる所以でしょうが…脳みそが足りないのでは話にならないですね」
 男はやれやれ、と肩を竦めた後、ひょい、と虎助を放るようにコンクリートに解放した。しかし、そこでプチっと何かが虎助の中でキレる。わなわなと小さな躯を震わすと……男が背を向けた瞬間、猫のシルエットがにょきにょきと大きくなり、あんなに暑苦しかった毛皮がスルリと消えて滑らかな肌となる。尻尾が縮んだかと思えば、翡翠の眼が大きく開き、細い繊細な金髪が緑色の綺麗な紐で小さく結い止められる。唯一、猫の名残と云えばその首元にある赤い首輪と金色の鈴であろうか。チリリン、と地下駐車場にその鈴の音が響き渡ると、赤毛の男は足を止めて振り返った。
「テッメェー! ガマン大会参加者とはイイ根性だッ!」
 ビシィッと人差し指をさして男に「一言物申す」状態の虎助。だが、虎助よ……。己の格好をよく見ろと云いたい……。猫の姿の時は悲しいかな、毛皮がモコモコと彼の躯を包んでいてくれている。
 しかし。
 人間の姿に戻った虎助は――まさしく文字通り『素っ裸』なのである。正面向いて、足を大きく開き、睨み付ける……裸の少年なのである。

 赤毛の男は一瞬固まったものの、
「公然猥褻<こうぜんわいせつ>罪で捕まりますよ、貴方」
直ぐにクスリ、と笑みを一つ落とすと、踵を返して少年の傍へと歩み寄ってくる。
「こここここぉーぜん?! そんなもの美味しくねぇやい! それよりなぁ!」
 少年の頭に大きなクェスチョン・マークが数個飛び交うが、近寄ってきた男に対して怯むつもりは毛頭ない。
(抱きついてガマンできないくらいに暑くしてやる!)
 キラリと虎助の瞳が光った。
「とりゃっ!」
 虎助は正面から男に抱きつく。両手をしかと男の背中に回し、足もバッチリ絡めた。
「これでどうだッ。暑くてたまんねぇだろ!」
 へへん、と鼻を鳴らして得意そうに少年は男を見上げる。
 だが、しかし。
「猫又か……面白い」
 男は妖艶な笑みを口元に貼りついけると、抱き着く虎助をそのまま抱えるようにして抱きあげ、自分の車のボンネットの上に座らせて押し付けた。鼻先がくっつきそな程、顔を近づけると、
「素っ裸で…遊んで欲しいのですか……?」
 そう云いしな、ぽかんと半開きになっている虎助の唇を乱暴に塞いだ。
「んんーー! んにゅんにゃーッ!」

――桐谷虎助・桐谷さんちのペット・152歳・男。色んな意味で貞操の危機。


Scene-3 『時の間』にて

「…だったワケなんだよ。最悪だろ?」
「んで、お前、どーしたの?」
「もがいてひっかいて何とか離れて猫の姿で逃げた」
「ソイツ、何者なワケ? モーホー?」
「分かんねー。でも変質者だぜ、絶対」
「なぁ、クライン、どー思う?」

 ……頭が痛かった。
 クラインは頭を抱えると、溜息を落とす。
「蘭丸……そのモーホーの変質者がカーマインだ」
「え゛、マジぃ?!」

 ここは閑静な町にひっそりと佇む店『時の間』。
 綾小路・蘭丸<あやのこうじ・らんまる>が経営する喫茶店なのだが、立地条件が悪いのかはたまたこのレトロチックな外観がよろしくないのか、お世辞にも流行っているとは云えないこぢんまりとした店だ。そして、それが虎助にとってベストな昼寝スポットとなっている。クーラーがよく効いた店内。人のよさそうなマスター。何よりこの静けさ。確実に三ツ星はつくこの昼寝スポットへ掛け込んで、虎助は昨日の出来事をマスターの蘭丸とそこにいた男に一生懸命身振り手振りを交えて話した。
 しかし、どうやら話を聞くに、昨夜の赤毛の男はどうやら蘭丸とクラインにも被害を及ぼしているらしい。

 そこへ、
「思ったより賑やかね」
ドアが開いた音がしたかと思うとコツンコツンとハイヒールを鳴らして女が1人入ってくる。
 漆黒の髪を長く垂らし、カーマインとはまた違った妖艶な雰囲気を纏う――巳主神・冴那<みすがみ・さえな>だ。
「遅かったな。どする? アイスコーヒーでいい?」
 蘭丸は手早く後ろの棚からグラスを取り出して冷蔵庫を開ける。冴那は軽く頷くとカウンター――クラインの横に腰掛けた。
「一応、外に見張り用の蛇達を置いてきたわ。追い続け…とはいえこちらの駒もしっかり考えねばならないのだけれど……」
 そう云うと冴那はギラリと金色の右目を剥いた。容赦をする気は毛頭ない。
「まぁ落ち着けよ。俺も結界張っておくし」
 青年はカウンター裏から外へ出ると、人差し指と中指を口元に当てて瞳を閉じた。そして、徐にその手を大きな円を描くようにゆっくりと動かすと、キィィンと耳鳴りのような空気の凍てつく音が『時の間』を包む。
「ぐわぁ! 耳が痛ってぇッ」
 虎助は思わず両手で耳を塞いだ。猫又である彼は人より数倍の聴力を持っている。人間であるクラインでさえも些か頭に響く音であるのだから、虎助にしたら大変な音なのだろう。思わず、ぽん、と尻尾と耳が猫に戻ってしまい、躯を丸めてしまった。
「もうちっとだから、ガマンしろよ、虎助」
 蘭丸は苦笑い交じりの表情で肩越しに振り返ると、人差し指で空に『青龍』の文字を書き記す。するとその文字が青白く発光し、徐々に膨れ上がったかと思うと一陣の風を担って巨大な龍が出現する。
「おし、青龍。この喫茶店全体をその躯で守れ。何かあったら攻撃してもヨシ」
 ビシィと指差して「行け」と蘭丸が短く命令すると、青龍は牙を剥き出してそれに応える。そして再びその身を透かして天井と云わず壁と云わず吸い込まれていくと辺りは奇妙な静寂を取り戻した。
「完了♪」
 青龍を呼び出しているときの真剣な表情とは打って変わって、蘭丸はウキウキと再びカウンター裏へと身を滑らす。
「これでヤツが来たとしても時間ぐらいは稼げっだろ」
 ふぃ〜と右手の甲で額をこすると、拭きかけていたグラスを手に取った。

「で、どーすんだよ。モーホーの変質者」
 何故か青年と同じくカウンター裏に入って蘭丸の手伝いをしている虎助は、つんと口を尖らせた。
「ってか、そもそもクライン、アイツとどーゆー関係なワケ? 何で鬼ごっこなんか……」
 蘭丸も手はグラス拭きに取られながらも、口は達者だ。
「私も少し興味があるわね。あの占いといい……何か込み入った意図が見えるような気がするのだけれど」
 冴那はグラスを傾けながら、髪を掻き上げる。
「……別に、単なる商売敵」
 呟くようにクラインは零すと、内ポケットを探ってシガーケースを取り出す。しかし、一本咥えた所でスイ、とそれは奪われてしまった。
「禁煙しろって云っただろ。それに嘘、吐くなよ。単なる商売敵がワザワザこんな手の込んだ潰し方するかよ」
 眉間に皺を寄せながら青年は奪ったそれを自分の下にあるゴミ箱に捨てた。
「あの男は……何をするにでも楽しんでいるようには見えるけど……」
 言葉を紡いだ女はそこでハタと止まった。指先に一定のリズムを刻んだシグナルが送られてくる。
「どうした」
「人の気配がする。1人……2人? 正確な数は分からないわ…」
 問いただしたクラインに冴那はカウンターの隅を見つめながら口を開いた。
「じゃあこうすっか。俺と冴那で外を見てくる。こっちは結界が張ってあるから少々のことでは人は入ってこれないからな。虎助はクラインの傍に付いてて何かあったら2人で逃げる」
「そうね…それが一番いい方法ね」
 冴那は頷くとカタン、と音をさせて席を立った。


Scene-4 冗談は……

「なぁ、アンタ」
 1人カウンター裏に残った虎助は何やら機嫌が悪い。
(俺だけ何か事情が飲み込めてない感じがすんだけど)
ブツクサと零しながら虎助は蘭丸が拭きかけていたグラスを手に取った。
「モーホーの変質者がアンタを狙ってるってことはアンタもモーホー?」
その科白にクラインの眉はピクリと跳ねる。
「冗談はヨシ蔵さんだ」
「何だよ、冗談はよし子さんじゃねぇのかよ」
「甘いな、冗談は吉幾三もある」
「へぇ〜…レパートリー多いな、アンタ……って、違う!!」
 拭いたグラスを思わず叩き付けてしまいそうな程、少年は牙を剥いた。
「そーゆーことを云ってるんじゃねぇよ! マスターも聞いてたけど……」
「……来たな」
「ハ?」
 クラインは低く云うと席を立つ。スッと天窓を仰いだ。
「『青龍』も直に喰われる。ヤツが『テリトリー』を張り始めた」
「ヤツってアイツか?! だったらヤベーじゃん! 早く逃げないとッ」
 虎助は妙に落ち着いているクラインの腕を取った。
「マスターに云われてんだからッ!」
 クラインを引き摺るようにして少年はいつも猫の姿の自分が出入りをする裏口の戸に手を掛けた。ギギーと鉄と木が擦れる音がして暗闇に光が零れる。
「こっちから早く逃げた方がいいって」
 虎助がそう云って後ろを振り返った時だった。

「掃除屋さん……?」

 女が1人……翳した手を下ろし、こちらを見ている。漆黒の闇に同化するような――静かな女だった。
「蝶花?」
 少年はこの張り詰めた空気の中で女を見つけたことにより、何やら毒気が抜けてしまったような声を出した。しかし、蝶花の視線はクラインへと注がれていた。
「私は原咲・蝶花<はらさき・ちょうか>と申します。ツェルプスト氏の依頼により、掃除屋さん……いえ、クライン氏にご同行願いたく、参上致しました」
「ツェルプストって誰?」
「それ以上は……」
 虎助の問いに女は口篭もった。しかし、蝶花の胸の内を読んだかのように掃除屋は笑い、少年を静止した。
「虎助。ここでいい。お前はここから遠くに引け」
「何云ってんだよ! マスターにアンタを連れて逃げろって云われてんだ」
「いいから」
 掃除屋はふと空を仰いだ。それに釣られて蝶花と虎助も掃除屋の視線を追う。
「!」
 悲鳴を上げる巨大な龍が見え隠れしている。キィィィンと耳鳴りに似た歪みに思わず蝶花は眉間に皺を寄せた。
「見ろ、蘭丸の『青龍』がカーマインの『テリトリー』に喰われ始めている。この青龍が消えたら、この一帯は全てヤツに侵食される。その前に……」

「その前に?」

 蝶花の後方から声が飛んだ。ハッと振り返るのと同時に掃除屋と虎助の視線も弾かれたようにそちらに向けられた。暗闇から浮上するように現れたのは――沙倉・唯為<さくら・ゆい>。赤い煙草の火が1つの点のように……まるであの男のように深く光る。
「お前が動く前に、俺達にも分かるようにアイツとの関係を話してもらおうか。そこの坊主もお嬢ちゃんもそれを望んでいる筈だ」
 唯為は低く云うと、ピンと煙草を弾いて灰を落とした。


Scene-5 蒼の先にある答え

「カーマインとは単なる商売敵に過ぎない、今は」
 シン、と静まり返った空気の中で、漸くクラインは重い口を開いた。
「『今は』ってどーゆーイミ?」
 間髪入れず問い返す虎助に、クラインは苦笑いを貼り付け、「煙草はないか?」と人差し指と中指を指して唯為に尋ねた。唯為は無言のままに内ポケットからシガーケースを取り出し、掃除屋に差し出すと自分も1本咥える。ライターを弾いて火を点すとふぅーと溜息にも似た風にクラインは大きく深く紫煙を吐き出した。
「ドイツにいた頃……もう7年も前の話だ。荒稼ぎの為に罠を掛けていた私の前にあの男が現れた。あの男は完璧にハマりいいカモだと思った。だが、逆に……」
 そこでクラインは言葉を詰まらせた。長くなった灰がぽとりと落ちる。
「逆に?」
 蝶花が問い返す。
「逆に……返り討ちにあった」
 街灯に吸い寄せられて飛んできた蛾が足元に力無く羽を折る。ピクピクともがく様は自分に似ている、とクラインは思い目を伏せた。
「カーマインは『手元に連れ戻したい』とかホザいてたが?」
 唯為は煙草を深く吸った。赤い光がジリジリと熱を増す。その科白にクラインは馬鹿が、と吐き捨てるように零した。
「連れ戻したい? 冗談はヨシ蔵さんだ。……とにかく、ここで時間を費やす気はない。蘭丸と冴那が派手にあの男とやりあっているだろうからな」
 云いしな、タンッタンッと軽く跳んで『時の間』の屋根に登ったかと思うと、クラインはヒラリと身を翻し視界から消えた。

「オイ、坊主」
「坊主じゃねぇ。虎助だ虎助」
「坊主、お嬢ちゃんを連れてここから離れろ。いいな」
 視線は掃除屋が去った方向に向けながら口を尖らす虎助に唯為は云い放つと、掃除屋を追いかけて自分も軽く身を翻してアスファルトを蹴る。
「ちょっ!」
 少年が止めるその前に、男は闇へ吸い込まれていった。代わりに蝶花は白魚のような手を口元にあてて俯く。
――おかしい。
「蝶花、どうする?」
 虎助は頭をぽりぽりと掻いて溜息を吐いた。
「……おかしいわ。カーマインは私に『鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス』を引用して心中を語ったのに…」
「ホトトギス?」
 問い返す少年に蝶花はコクンと頷く。
「つまり、あの人が云いたいのは……」
 蝶花が何かを思いついて顔を上げたその時だった。ズン、と腹に来るような地鳴りが2人を襲い、足元を取られる。
「な、何だよコレ?!」
「……クッ」
 2人は思わず身を沈め、瞳を閉じた。巻き上がるような風に蝶花のレースの裾と虎助の金髪が吹き荒ぶ。虎助は両手で顔を覆い、上空で起こる奇妙な声に空を仰いだ。蘭丸の青龍が消滅し……カーマインの『テリトリー』とぶつかったことにより、激しい時空の裂け目が『時の間』を中心に蠢いていた。
「蝶花ッ。ここはヤベェ! ズラからないとッ!」
 虎助の声に両手で髪を押さえていた蝶花はそろりと瞳を開く。差し出された少年の手に戸惑いを隠せないながらも、きゅっと唇を噛み締め、その手を取った。
「私達も掃除屋さんの後を追いましょう」
 蝶花は吸い込まれるような風に足を踏ん張らせながら、凛、と少年に云う。
 金色の風が攫うように2人を取り巻く中で――虎助と蝶花は走り始めた。


Scene-6 去り行く今

 入り組んだ路地を抜け、『時の間』の前を通る少し広めの道路へと出る。シン、と沈む空気に虎助はブルっと躯を震わした。
――嫌な…匂いだな。
 紺碧の瞳を少年は僅かに潜めた。何だろう? 奇妙な静寂さが恐ろしいくらいに広がっていた。
「虎助? 急ぎましょう」
 後ろから蝶花が声を掛ける。虎助はその声にハッとし頭をブンブンと大きくかぶり振った。しかし、少年はこの行く手――掃除屋と唯為が向かったと思われる先での異変を一早く察知していたのかも知れない。横をすり抜けようとする女の腕を掴んだ。
「虎助…?」
 目を大きく開いてはたつかせる蝶花に虎助は、
「煙……」
 呟くように虎助は云った。蝶花は「え?」とキョトンとした顔をしたが、前方――『時の間』の前のクランクの向こうで鈍色の塊が広がっている。暗闇でそれはしかと確認できなかったが、モクモクと息づく様が見て取れる。
「何……あれ…」
 蝶花は圧倒されて、ぽつり、と零した。ただの煙ではないことは肌で感じられた。すると、前方から地を這うような轟音が徐々に近寄ってくる。
「!」
 弾かれたように虎助と蝶花はその音がする方向に視線を転じた。
「……アレ!」
 それは見覚えがあった。ライトグリーンのボディ。腹に響くエンジン音、低い車体――あのとき乗った男の車だ。
 その車は2人に近づくとヘッドライトをつけ、闇に急激な光をもたらす。虎助と蝶花は思わず目を顰め、手を翳した。
――何だアレ! 見えやしねェッ!
 虎助は舌打ちを洩らすと、咄嗟に道路に身を躍らせた。両手を広げて立ちはだかる。
「止まれッ!」
 例え轢かれそうになっても、猫の姿に戻り素早く動けば何ともない。少年はキッと前を見据えた。
「虎助、危ないわッ」
 突然、飛び出した虎助に蝶花は自分も身を投げ出した。迫り来る車が失速することがなかったからだ。間一髪で虎助にタックルするようにぶつかり、2人は雪崩れこむように脇へと身を崩す。

「全く……道路には飛び出さないというルールは万国共通の筈ですが?」

 キッと僅かなブレーキ音と共に車は止まった。そして、やれやれ、と溜息を吐いて降りてきたのは――赤毛の男。
 イチチ…、と虎助は倒れた身を起こしながらその男を見た。熱っぽく嗤う、その男と――
「掃除屋さん!」
同じく翻ったスカートの裾を押さえながら上半身を起こした蝶花は目を見張った。助手席の窓から僅かに見える蒼い髪……。
「ああ、お嬢さん。無事、目的は完遂されましたので貴方はここまでで結構ですよ」
「…………」
 ぐったりと動く気配を見せないクラインに蝶花はぎゅっと拳を握り締めた。
「待てッ! テメェ、そーじやとマスターと冴那とイケメンのにーさんに何したんだよッ!」
 虎助はスッと立ち上がり、ビシィと男を指差した。
「貴方、何処かで見かけましたね……ああ、駐車場にいた猫又か」
「どーだっていーだろ、そんなことッ! それより、俺の質問に答えろよッ」
 怒りに打ち震える少年に男はまた大きく溜息を吐いた。
「ネコマタ君。今宵は私も些か疲れましてね……もう貴方の相手をする気はないんですよ。愛人希望ならまた後日」
 クスクス、と男は笑みを零しながら、再び運転席へと身を滑らした。耳を劈くようなほど大きくアクセルを吹かすと、

「Auf Wiedersehen」

嘲笑を含んだ声で云う。虎助は後を追おうと咄嗟に猫の姿に変身するが、遠く小さくなる車の後ろ姿に――少年と女は追いかける術を持たなかった。


Epilogue 夢か現か幻か

 ふわぁあ。
 大きな欠伸を何の遠慮もなく目一杯カマす猫が一匹。
 草間興信所の脇を走るブロック塀でムニャムニャと口を動かす虎助は、ゴロンと仰向けになりポケーとビルとビルの隙間から覗く青い空を眺めていた。

 結局。
 あの車が遠く見失われたように――掃除屋もカーマインも真実さえも見つからなかった。まるで幻を見ていたかのように――この数日に出会った存在さえも嘘だったかのように……。一瞬にして消え去った夏の終わりに見る夢のように……目が覚めた今、何とも云えぬ虚無感が胸のうちに広がっていた。

『猫又か……面白い』

 しかし虎助は今も脳裏にあの男の声がしかっかりと焼きついていた。可愛い猫口は「へ」の字に大きく歪められる。
――やっぱ、アイツムカツク。
 口をつん、と尖がらせて呟く。僅かに吹く風がそよそよと虎助の髭を揺らしていた。


Fin or To be Continued...?


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0104 / 桐谷・虎助(きりたに・こすけ) / 男 / 152 / 桐谷さん家のペット】
【0733 / 沙倉・唯為(さくら・ゆい) / 男 / 27 / 妖狩り】
【0885 / 原咲・蝶花(はらさき・ちょうか) / 女 / 19 / 大学生】

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■         ライター通信          ■
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* 初めまして、本依頼担当ライターの相馬冬果(そうまとうか)と申します。
 この度は、東京怪談・草間興信所からの依頼を受けて頂きありがとうございました。
* 今回の依頼は同ライター名でUPされた、月刊アトラス『夢か現か幻か〜追われる者〜』
 との連動シナリオとなっております。
* 事件の全容も含めて、カーマインの思惑、行動、進展度などは、他の参加者の方は勿論、
 月刊アトラス側の参加者の方のノベルにも目を通して頂くと、より一層楽しんで
 頂けると思います。
* 注:ノベルに登場するカーマインの科白、「Auf Wiedersehen」は「さようなら」という意の
 ドイツ語です。

≪桐谷 虎助 様≫
 初のご参加、ありがとうございます。
 設定を拝見して、桐谷さんらしい元気よさを出せたら…と思って、執筆いたしましたが、
 如何でしたでしょうか?
 大きくイメージを外していましたら申し訳ありません。
 それでは、またの依頼でお会い出来ますことを願って……
 
 
 相馬