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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


夢か現か幻か〜追われる者〜

Opening 忍び寄る手

「…依頼?」
 麗香は片眉を僅かに顰めた。
 フレッシュルーム――向かい側にのソファに座るのは久しぶりにやって来た白コートの男。
「ウチは取材はしても個人からの依頼は受けないわ」
 肩を竦めてオーバーに両手を広げて見せると女は湯気の立つインスタントコーヒーを手にとって足を組替えた。
「それにアンタなら別に人の手を借りなくたっていいじゃない?」
 赤いルージュが引かれた口元から呆れた風に溜息が漏れる。ここんとこ面白い…部数が伸びそうな記事やネタがなく麗香は苛立ちを隠せないでいた。…と云うのも、月刊アトラスのライバル誌、月刊シネマルとの売上高の差が格段に開き始めているからだ。
「まぁ…そうイライラするな。皺が増えるぞ」
 掃除屋は云いしな、背をソファへボスンと勢いよく預ける。些か疲れた風に大きく溜息を落した。
「何よ…追い出すわよ。それより、依頼の中身は何? それによってはウチのを何人か出してもいいけど」
『皺』の一言にピクリと眉を動かした女だったが、そこはヤリ手の編集長。押さえるトコはキチッと押さえる。
「…嫌な予感がする。今週末は1人でいるのは何だか危険な気がする」
 ポツリ、と男は天井を見つめながら…まるで明日の天気を占うかのような口調で云った。
「は? 何かヤバいことにでも巻き込まれてるわけ?」
「そうでもないが…勘だ、勘」
 更に眉間に皺を寄せた麗香の問いに掃除屋は何処か遠い目で天井を見据えたまま応える。
 そこへ。

「あー…編集長、今週末、男運が最悪みたいですよ」

 相変わらずの能天気さで手にした雑誌に視線を落としながら入ってきたのは三下忠雄だ。
「『出会い系サイトにはご用心』とか書いてあります」
 先に云っておくが、この青年には何の悪意もない。ただ、あまりに単純で純粋すぎるだけなのだ。
「…三下クン、それなぁに…?」
 麗香はプルプルと拳を震わせながら目も合わさずに三下に声を掛ける…。
「え? 今、噂の『ガーネット占い』…月刊シネマルの」
「タワケッ! 何処にライバル誌の、しかも売上に一役買った占いを読み上げるボケがいるの!!」
 イチチチチと暴れる三下の耳を引っ張って麗香は編集部全体に響くような大声で怒鳴る。そしてその拍子で三下の手から噂の月刊シネマルは掃除屋の目の前にバサリと落ちた。
「――『ガーネット占い』?」
「あれ? そーじやさん知らないんですかぁ?」
 まだ耳を引っ張られたままの三下は、訝しげに雑誌を手に取る掃除屋に、
「よく当たるって有名なんですよ、その『ガーネット占い』。占い師はガーネット・フォン・ツェルプストさん。そのおかげで月刊シネマルは部数が2倍に膨れ上がったんですから〜」
「…ガーネット…」
 掃除屋は徐にその占いのページを捲った。
「掃除屋…アンタ、占いとか迷信は信じないんじゃなかったっけ?」
「まぁな。だが、当たると云われると…」
 そう云いながら視線を左右に巡らせた掃除屋が固まった。

**2/27生まれの魚座な貴方

 紅い紅い狂った月の下 再び宴に誘われる
 それは偶然によるものではなく必然

  逃げることなかれ 目の前の人物から目を外すな
  時として苦しいこともあるだろう

 だが故郷に戻ることは許されぬ
 ザクロの木の下で淡い夢を抱くのもいいではないか

  草の間の狸達に身を委ねる? それとも猫友達に身を委ねる?
  それは貴方次第…貴方の過去を握る『紅』はいつまでも貴方を追いかける

「どうしたの?」
 突如、表情を険しくさせた掃除屋に麗香は目の前で手を振って、大丈夫?と尋ねる。
「…すまないが、やはり手を貸してくれ…今週はどうやら鬼ごっこのようだ…」
 掃除屋は視線をその記事に釘つけたまま口を開いた。

――逃げ切るか…迎え撃つか…どうする?


Scene-1 勝つのはどっち?!

 それは夕暮れ迫る夏の午後だった。
 都内とは思えぬ静かな町の一角にその店はひっそりと佇んでいる――『時の間』。まさに『時の間』の名に相応しく、その喫茶店は外界からぽっかりと切り離されていて、店に一度足を踏み入れると、まるでアリスの世界に迷い込んだように……不思議な気分となる。外観からして実にレトロなその建物は10人程度入れば満員になるほどの小さな店内で、カウンターと2人掛け、4人掛けのテーブルが各2組ずつ置かれているのみである。入ってすぐには暖色の小さなランプが灯されていて、この夏真っ盛りな季節でも、何処か暖かさと何処か物悲しさを与えてくれた。

「鬼ごっこって……クライン、お前何したんだ?」
 細身でスラッと身長が高く、漆黒の髪を後ろで1つに束ねる青年。この青年がここ『時の間』のマスターである。青年――というのは彼の年齢からすれば些か適当ではないが、その表情、仕草、加えて性格からすれば、『青年』と形容するのが妥当であった。可愛げのある口元からはぶっきらぼうな科白が飛び、紅い瞳は好物・チョコレートパフェを目の前にすると爛々と輝き、そして挑発に乗りやすいその性格。彼――綾小路蘭丸の短所でもあり最大の長所でもある。
 その蘭丸はカウンター内でグラスを拭きながら、前に腰掛けた男――掃除屋ことクラインにどうもきな臭い今回の一件について質問の嵐をぶつけていた。
「なぁ、食い逃げか? 結婚詐欺か? それとも……霊感商法か?」
 カッカッカと面白がって笑う青年に、クラインは片眉をピクリと動かした。
「蘭丸。調子こいてるとシバくぞ」
 手にしたアイスティーのグラスにやや力を込めながらクラインは顔を上げる。
「おぅ上等だ! 今日こそ俺の自慢のスリーパーホールドをキメてやるぜ」
「ふん」
 クラインは鼻を鳴らしてグラスを呷った。
「あーーー! まぁた、俺のことバカにしてんだろー!! ムカツキーッ」
 相変わらずな態度に蘭丸はカウンターから身を乗り出してクラインに目一杯抗議をする。
「ガキなのも大概にしろよ。そのうちピー歳なんだろう?」
 クックとクラインは肩を揺らす。しかし、それが蘭丸の闘争心に火をつけた。
「ガキなのはそっちだろ。酒も飲めねぇくせに」
 ボソッと零す。
「……ヤル気か」
「望む所だ」

 ガタン、と音をさせて立ち上がる。カウンター越しに2人の視線がぶつかったかと思うと、
「食らえッ」
 蘭丸の蝿も止まりそうな超スローペースお盆叩きがクラインを襲う。が、それを軽くクラインは避けると、カウンターに前のめりになった蘭丸に涼しい顔をしてクッと嗤った。
「相変わらず芸がない」
「クーラーイーン……!」
 クラインとしては日頃の鬱憤をここらでしっかりと晴らしておきたい。たまにエプロンを着せられてお世辞でも繁盛してるとは云えないこの店の利益貢献をさせられている。つまり、客寄せ、だ。嫌々ながらも手伝ってしまう自分も自分だが、それに笑顔で応える蘭丸も許せない。
「顔を洗って出直して来るんだな」
 クラインは薄く笑って蘭丸に背を向けた。だが、珍しく青年はすばやい行動でカウンターから出ると、そろりと男の背に近づく。
「甘いぞ、クラインッ。必殺・スリーパーホールド!」
 てやッ!と掛け声の元に蘭丸はクラインの首に襲い掛かるが、そこは掃除屋。ヒョイと身を翻すと、イキオイ余った青年の背をとん、と押してやる。
「うわぁたったったった!」
 前のめりになった蘭丸はクラインによって更に追い討ちを掛けられたことで客用のテーブルにべしゃん、と物の見事に突っ込んでしまう。

 そのときだ。
 カランカランと乾いた音をさせてドアが来訪者の存在を知らせる。クラインが、あたたた、と鼻を押さえる蘭丸を余所にそちらを振り返ると、
「聞いてくれよ、マスター!」
 まるでドタバタ劇を見ているかのような半泣きの形相で飛び込んでくる1人の少年。ガシィっとクラインにしがみ付く。
「お、お、お、俺のてーそーがッ!」
「ん? 虎助?」
 慌てふためく……というかパニックに陥っている少年に漸く起き上がった蘭丸は、
「お前……相手間違ってるぞ」
「え?」
 少年は横から聞こえた蘭丸の声にそろりと顔を上げる。勿論そこにはやれやれ、と溜息を落とすクラインが。
「にゃーー! にゃんだよ、お前ッ!」
『時の間』に今日一番の悲鳴が轟く。クラインは眩暈のような頭痛を覚え、頭を抱えた。


Scene-2 モーホーの変質者、現る。

「…だったワケなんだよ。最悪だろ?」
「んで、お前、どーしたの?」
「もがいてひっかいて何とか離れて猫の姿で逃げた」
「ソイツ、何者なワケ? モーホー?」
「分かんねー。でも変質者だぜ、絶対」
「なぁ、クライン、どー思う?」

――頭が痛かった。
 クラインははぁ、と大きな溜息を落とす。
「蘭丸……そのモーホーの変質者が恐らくカーマインだ」
「え゛、マジぃ?!」

 先ほど、飛び込んできた桐谷・虎助<きりたに・こすけ>の話はこうだった。
 草間興信所にて気持ち良く昼寝をしていたら、毛色の変わった客が1人。大層厚着をしているのでガマン大会の参加者だと思い、興味本位で後をつけた。が、色々と失礼をブッこくので腹が立って抱きついたら(ここら辺は蘭丸もクラインも理解に苦しむが)妙なことを云って濃厚キッスをお見舞いされてしまった……というわけなのだ。
 身振り手振りで必死に蘭丸に説明する虎助は猫又妖怪で、人間の姿になると高校生ぐらいの少年である。金髪を後ろで小さく縛り、翡翠の大きな眼が印象的だ。そこへ、
「思ったより賑やかね」
ドアが開いた音がしたかと思うとコツンコツンとハイヒールを鳴らして女が1人入ってくる。漆黒の髪を長く垂らし、カーマインとはまた違った妖艶な雰囲気を纏う――巳主神・冴那<みすがみ・さえな>だ。
「遅かったな。どする? アイスコーヒーでいい?」
 蘭丸は手早く後ろの棚からグラスを取り出して冷蔵庫を開ける。冴那は軽く頷くとクラインの横に腰掛けた。
「一応、外に見張り用の蛇達を置いてきたわ。追い続け…とはいえこちらの駒もしっかり考えねばならないのだけれど……」
 そう云うと冴那はギラリと金色の右目を剥いた。容赦をする気は毛頭ない。
「まぁ落ち着けよ。俺も結界張っておくし」
 青年はカウンター裏から外へ出ると、人差し指と中指を口元に当てて瞳を閉じた。そして、徐にその手を大きな円を描くようにゆっくりと動かすと、キィィンと耳鳴りのような空気の凍てつく音が『時の間』を包む。
「ぐわぁ! 耳が痛ってぇッ」
 虎助は思わず両手で耳を塞いだ。猫又である彼は人より数倍の聴力を持っている。人間であるクラインでさえも些か頭に響く音であるのだから、虎助にしたら大変な音なのだろう。思わず、ぽん、と尻尾と耳が猫に戻ってしまい、躯を丸めてしまった。
「もうちっとだから、ガマンしろよ、虎助」
 蘭丸は苦笑い交じりの表情で肩越しに振り返ると、人差し指で空に『青龍』の文字を書き記す。するとその文字が青白く発光し、徐々に膨れ上がったかと思うと一陣の風を担って巨大な龍が出現した。
「おし、青龍。この喫茶店全体をその躯で守れ。何かあったら攻撃してもヨシ」
 ビシィと指差して「行け」と蘭丸が短く命令すると、青龍は牙を剥き出してそれに応える。そして再びその身を透かして天井と云わず壁と云わず吸い込まれていくと辺りは奇妙な静寂を取り戻した。
「完了♪」
 青龍を呼び出しているときの真剣な表情とは打って変わって、蘭丸はウキウキと再びカウンター裏へと身を滑らす。
「これでヤツが来たとしても時間ぐらいは稼げっだろ」
 ふぃ〜と右手の甲で額をこすると、拭きかけていたグラスを手に取った。

「で、どーすんだよ。モーホーの変質者」
 何故か青年と同じくカウンター裏に入って蘭丸の手伝いをしている虎助は、口をつんと尖らせた。
「ってか、そもそもクライン、アイツとどーゆー関係なワケ? 何で鬼ごっこなんか……」
 蘭丸も手はグラス拭きに取られながらも、口は達者だ。
「私も少し興味があるわね。あの占いといい……何か込み入った意図が見えるような気がするのだけれど」
 冴那はグラスを傾けながら、髪を掻き上げる。
「……別に、単なる商売敵」
 呟くようにクラインは零すと、内ポケットを探ってシガーケースを取り出す。しかし、一本咥えた所でスイ、とそれは奪われてしまった。
「禁煙しろって云っただろ。それに嘘、吐くなよ。単なる商売敵がワザワザこんな手の込んだ潰し方するかよ」
 眉間に皺を寄せながら青年は奪ったそれを自分の下にあるゴミ箱に捨てた。
「あの男は……何をするにでも楽しんでいるようには見えるけど……」
 言葉を紡いだ女はそこでハタと止まった。指先に一定のリズムを刻んだシグナルが送られてくる。
「どうした」
「人の気配がする。1人……2人? 正確な数は分からないわ…」
 問いただしたクラインに冴那はカウンターの隅を見つめながら口を開いた。
「じゃあこうすっか。俺と冴那で外を見てくる。こっちは結界が張ってあるから少々のことでは人は入ってこれないからな。虎助はクラインの傍に付いてて何かあったら2人で逃げる」
「そうね…それが一番いい方法ね」
 冴那は頷くとカタン、と音をさせて席を立った。


Scene-3 白い月の夜に

 外に出ると白く大きな月がちょうど『時の間』と向かい合わせに上っていた。逆光が眩しいぐらいのその大きな月を冴那は仰ぐと、スイ、と人差し指を動かして見張りをさせていた蛇達に合図を送る。
「ぎりぎりまで姿は現さぬ様……蛇だもの、お手の物よね…?」
 静かに唱えた。蛇達はギョロリと眼を動かし、また再び闇へと身を滑らせていく。
「冴那、蛇はどれくらい放ったんだ?」
 蘭丸は『Closed』の吊り札を右手でコツンと叩くと、施錠を確認して女の方を振り返った。
「そうね……結構な数だとは思うんだけど」
 云いながら冴那は視線を左右に配らせ、辺りの様子を慎重に伺う。

「店は青龍が守っててくれるし…幾らモーホーの変質者が乗り込んで来たって平気だろ? それよりこっちから攻めてやろっか。クラインの偽者とか作ってさ、相手を出し抜こうゼ!」
 女に半歩遅れて、歩き始めた蘭丸はカラカラと陽気に笑った。それを冴那はしたたかに嗜める。
「馬鹿ね。カーマインを甘く見ないほうが良くってよ。とにかく攻め辛い男だから……」
 月明かりに照らされて出来た影が細く長く後ろに伸びる。蘭丸は両手を頭の後ろで組んで、ちぇーと口を尖らせた。

「!」
 僅かに先を行く冴那は、いち早く『時の間』に向けられる異変に気づき身を低く伏せた。
「貴方も伏せなさい……ッ」
 乱暴に青年の肩を掴んでしゃがませると、上を――先ほど己達が立っていたその辺りをかまいたちのような風が円状に抜けていく。続いて、撓るような音が耳を劈き、思わず蘭丸は耳を塞いだ。先ほど自分が結界を張ったあのときの音とは比べ物にならないほどの代物だった。
「冴那ッ、これは……?!」
「来たわ、ヤツが!」

『時の間』の前では青龍が奇妙な声を上げている。恐らくカーマインの『テリトリー』に喰われたことに己の気が乱れたのであろう。具現化した躯が徐々に薄くなり、断末魔を喉から搾り出す。
「迂闊に近寄るなッ」
風が抜けた所で立ちあがり、走り始めた2人の前に1人の男が塀からスタンッと綺麗に飛び降り、行く手を阻んだ。スラリと身長が高く、銀色の瞳がさめざめと光る――沙倉・唯為<さくら・ゆい>。
「唯為ッ! 貴方、どうしてここに?」
 立ちはだかった男に冴那はやや息を弾ませながらも静かに云った。
「話は後だ。今、カーマインに近寄ればこの前の二の舞になるぞ」
 男は低く……そして銀色の眼を光らせた。その様子に前方の闇――否、『時の間』を中心に何かが起こり始めていることを 蘭丸は察知した。舌打ちを漏らす。
「だけど、クラインを潰しに来ると分かってて黙って見てられっかよッ!」
 吐き捨てるように青年は怒鳴ると、唯為の傍をすり抜けて走り出す。
「待てッ」
 振り返る男を余所に、
「そういうことね。私もカーマインに借りは返さないと気が済まなくってよ」
反対側を冴那がすり抜けて、駆けて行く。
「イケメンのおにーさん、そんなに俺達のこと心配してくれっなら、『時の間』にいるクラインを
 連れて逃げてくれよッ。頼んだゼ!」
 蘭丸は遠ざかりながら片手を上げて叫ぶ。ここまで来たら、カーマインがどんなヤツであろうと一歩も引く気はなかった。


Scene-4 対峙

「Guten Abend」

 闇を走りぬけた先に佇んでいた男は白い月を背負い、背筋も凍るような冷笑を浮かべていた。
「アンタがカーマイン?」
 息を弾ませながら蘭丸は赤毛の男を見据えた。その問いに男は答えることなく、クッと嗤うと、
「綾小路蘭丸。古めかしい外観をした、あまり繁盛しているとはお世辞にも言えない、喫茶店『時の間』のマスター」
 辞書のような厚手の本を開き、ペラリと音をさせて1枚捲った。
「家柄は由緒ある旧家だが、紅目のせいで忌み嫌われ追い出されてしまっている、か……」
 蘭丸は男の科白に眉根を寄せた。
「アンタ、何? ストーカー?」
 ジリジリとスニーカーが砂利を噛む。代わりに男はクスクス、と笑みを貼り付けた。
「クラインは何処ですか?」
「質問してんのはこっちだろ……!」
 この歪んだ空間の中で青年は知らず知らずの内に男のペースへと引き込まれていた。隠せない苛立ちでもって身を翻し、余裕をカマす男に向かって回し蹴りを食らわそうとアスファルトを蹴った。
「ほぅ。意外と短気だ」
 赤毛の男は何ら慌てることなく軽くそれを避けると、空いた青年の脇にシルバーの杖で一発入れる。
「クッ」
 退こうとする蘭丸に間髪入れず男は肩を掴み、ブロック塀へと押し付けた。鈍い音が辺りに響く。
「クラインは何処か、と訊いている」
 しかし、青年はキツク顔を歪めながらも、
「ケッ、知るかよ。知ってても死んでも云わねぇ、アンタにはな」
ニッと笑った。
「…………」

「私が教えて差し上げましょうか?」

 不意に闇から声が飛んだ。そして、それに惹かれたように男は顔をそちらに向ける。闇から浮かび上がるように現れたのは、蘭丸から僅かに遅れて到着した――冴那だった。
「バカッ! 何云ってるんだよ、お前ッ!」
 押さえつけられたまま蘭丸は叫ぶが、首を男に取られている為、大声を出すことで咽込んでしまう。
「その手を外しなさい」
 冴那は冷たく云い放った。
「お久しぶりですね。貴方が次のお相手を?」
 不敵な笑みを称えながら男はスッと手を外し、蘭丸を開放すると、青年はずるずると壁を伝って座り込んだ。喉を押さえ、激しく咳き込む。それをわき目に見ながら、
「そうね…。私を倒せたらご褒美にクライン氏の行方を教えて差し上げるわ」
「Na gut.」
赤毛の男はそう云い捨てると、次の瞬間、冴那の視界から姿を消した。
「!」
 冴那はすぐに辺りに視線を配らせるが、背筋に稲妻のような衝撃を覚えて、動けなくなる。

「貴方と遊ぶのは実に楽しい…貴方の記憶、声、全てに興味があります」
 後ろ――女の真後ろから耳元で囁くように男は含み笑いを零す。
「ですが、今宵のターゲットは貴方ではない……」
 両腕を前に回し女を抱きすくめると、男はその場を後にしようと躯を冴那から離した。
 しかし――
 冴那はギラリと右目……金色の蛇の目を剥くと、その身をくねらせ蝮の姿へと変貌を遂げる。
「!」
「貴方の首…美しい首筋だったわ…私に…古の…蛇としての牙を…衝動を…顕わにさせる程に…」
 大蛇と化した冴那はしなやかに躯を動かして、男を追い詰め、牙を剥く。舌打ちを漏らして男が脇に退くと、溝の隙間から蛇が突如顔を出し、男の足首に噛み付いた!
「ッ」
 男は僅かに顔を歪め、アスファルトを蹴ると、ブロック塀に飛び乗る。
「中々…腕を上げたようですね」
 僅かに弾んだ息を男は楽しむかのように乱れた赤毛を掻き上げ、口元を歪めた。
「だが、ここで遊んでいる暇は余り無い」
 男は低く云うと、左手を仰向けて瞳を閉じる。シュゥゥゥと質量がそこに集まり、空間が歪むような錯覚を起き上がった蘭丸は見た。黒く蠢く煙のようなものが現れたかと思えば……それは徐々に具現化し、形を成す。
「な…?!」
 蘭丸と冴那は目を見張った。
 現れたのは先程から無くなっていた――男の本だった。クスクスと笑みを零すと、男はそれを開く。
「ここで貴方方の記憶を全て頂きましょうか」
 云いしな、先程のようにかまいたちのような風が男を中心に駆け抜け、避けた女の髪を僅かに切断する。蘭丸は身を低く屈めて、それをやり過ごすと視界に見なれた足が映りハッとした。視線をゆっくりと上に巡らせる…黒いブーツに黒いパンツ…今度は逆に白コートの裾が見えて……。
「クラインッ!」
 コツン、と僅かに足音をさせて青年の前に現れた男は蘭丸と視線が合うと淋しそうに笑った。
「大丈夫か」
 しゃがみ込んでいる青年にスッと手を差し出す。
「バカッ。逃げろって云っただろ!」
「色々と…すまなかった」
 クラインは噛み付くように抗議をする青年を立たせると、ポン、と青年の肩に顔を埋めた。
「な……?」
「…今まで……ありがとう」
 蘭丸が言葉を発するその前に、クラインは身を離すと、くるりと背を向ける。そして、
『カーマイン。もう……いいだろう?』
 本を開き、術を唱える体制に入っている男に向かって、静かに云った。
「冴那、蘭丸を連れてここから引け」
 クラインは視線を蛇から人に戻った冴那に向ける。
「何を云ってるの? ここまで来たら貴方を置いては行けないわ」
「いいから」
 振り切るように冴那を遮ると、スッと足を進めた。

『やっと…会えましたね。会いたかった』
 スタン、と綺麗に男は着地すると、笑みを浮かべて右手を差し出した。
『5年も貴方を追いかけた。帰りましょう、一緒に』
 差し出された手に視線を落とす。吸い込まれるようにその手を取ろうと、己の右手を上げた瞬間。
「冗談はヨシ蔵さんだ」
 クラインはその手を取ることなく――代わりに亜空間から刀を抜き出すと、男に向かって斬りかかる。紙一重でかわして退いた男は、何ら焦ることなく嘲笑の笑みを浮かべた。

『初めて出会った、あの時と一緒ですね』

 蘭丸、冴那、クライン、そしてカーマイン。
 辺りは奇妙な静寂に包まれていた……。


Scene-5 白い闇に消え行く声

 クラインとカーマインは対峙したまま一歩も動かなかった。僅か数分しか経っていない筈なのに、それが1時間にも2時間にも思える。蒸せ返るような底知れぬ熱気がこの『テリトリー』を包んでいた。

『大人しく私と帰りましょう。さすれば、この場にいる彼らには今後、危害を加えない』
『それは駆け引きか? それとも脅しか?』

 先程から2人は何やら聞きなれない言葉で話していた。
「あれ、ドイツ語か?」
 脇腹を押さえながら立ち上がった蘭丸は冴那の横に並ぶ。
「さぁ……どうかしら。相変わらず交渉決裂のような雰囲気だけは伝わってくるのだけれど」
 カーマインの『テリトリー』内にいる以上、男の掌の上で遊ばれているも当然だった。それは冴那もよく理解している。
――どう動くつもり…?

『鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス……ですね』

 カーマインは喉の奥で嗤うと、左手を仰向けて何かを唱える。質量がグングンとそこに集まり、先程と同じくそれは形を成し、見慣れた――あの『本』が召喚される。

『記憶だけを全て奪って……骸だけの貴方を手にするのも、この際悪くない』

 ペラリ、と男がそのページを1枚捲る。
「!」
 蘭丸は目を見張った。動かねばッ!と咄嗟に躯が反応する。しかし、脇腹に激痛を覚えて躯を折り曲げ、顔上げたその瞬間だった。

「唯為ッ!」
 クラインが叫ぶのと同時に、冴那と蘭丸の後方から駆けて来た男がカーマインに斬りかかった。術の体制に入っていたカーマインは云わば丸腰である。飛び道具は彼のコートに跳ね返されてしまうが、直で入れば文句はないだろう。
「阿呆。お前だけじゃ、役不足だ」
 鋭い金属音を発して、日本刀・緋櫻はカーマイ自身を取り巻く球体の結界に阻まれていた。だが、グググ……と叩きつけるかのようにそれを押し切り、強引にブチ込む。
「クッ」
 刃は触れなかったが、掛かった圧力が赤毛の男の躯にモロに入った。後ずさり……それと同時に本が煙となって消えてしまう。カーマインは舌打ちを洩らし、繊細な赤毛を僅かに乱すと手にしていたサーベルでもって間髪入れずに横凪にはらい、間合いを取った。

 しかし、その間に冴那と蘭丸が行く手を阻む。閑静な町の一角である。路幅も然程無く、これ以上は些か不利と取ったのかカーマインは小さく舌打ちを打った。
「多勢に無勢ですか……仕方ありませんね」
 小さな溜息を落とすと、落ちている杖――鞘を拾って洗練された動きでサーベルをしまった。
「逃げるの?」
 つと冴那が口を開く。しかし男は息も乱さずに……嗤った。

「まさか」

 男が言葉を紡いだ瞬間、ドライアイスのような煙ともつかぬ鈍色の白煙が辺りから立ち込めた。シュゥゥゥゥと音を立てて、云う間にその場を白く染めていく。
「云ったでしょう? 今宵の目的は『貴方方ではない』と」
 唯為は男の愉悦を含んだその科白に弾かれたように後方を見た。そこに先程までいた掃除屋の姿がない。
「オイ、アイツは何処へ行った!?」
 ゴホゴホと咳を洩らして、煙を掻く蘭丸はキョロキョロとクラインの存在を探すが、

「クライン? 何処だよッ!」

 白い闇の中で蘭丸の声が無常に響く。まるで下手な手品のようにクラインは一瞬にしてその姿を消していた。


Epilogue 夢か現か幻か

 カランカランと『時の間』に静かに音が響く。
 蘭丸はその音にふと顔を上げ、入り口に視線を向けた。
「こんにちは」
 冴那は沈んだ蘭丸に申し訳程度の僅かな笑みを向ける。

 結局。
 あの混沌とした煙に巻かれたまま――クラインもカーマインも真実さえも見つからなかった。まるで幻を見ていたかのように――この数ヶ月に出会った存在さえも嘘だったかのように……。一瞬にして消え去った夏の終わりに見る夢のように……目が覚めた今、何とも云えぬ虚無感が2人の心中に広がっていた。
「アイスコーヒーでいい?」
 蘭丸は後ろの棚からグラスを取り出して冷蔵庫を開ける。浅く頷くと冴那はカウンターに……あの夜に腰掛けた同じ場所に座った。沈黙の中に沈黙を見つける、と云えば間違っているだろうか。蘭丸も冴那も言葉を紡ぐ気にはなれなかった。カラリ、と出されたアイスコーヒーの氷が溶けて崩れる音が『時の間』に響く。

『…今まで……ありがとう』

 蘭丸は複雑な気分でグラスを拭いていた。無意識のうちにそれに力を込めていることに青年は気づいていない。
「…………」

 今日も『時の間』は時間の狭間に存在する空間のように……ギラギラと照る夏の太陽の中、ひっそりと佇んでいる。いつも来ていた常連客が姿を消した――そのこと以外は何ら変わりもなく…『時の間』は存在している。


Fin or To be Continued...?


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0640 / 綾小路・蘭丸(あやのこうじ・らんまる) / 男 / 27 / 喫茶店『時の間』のマスター】
【0376 / 巳主神・冴那(みすがみ・さえな) / 女 / 600 / ペットショップオーナー】

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■         ライター通信          ■
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* 初めまして、本依頼担当ライターの相馬冬果(そうまとうか)と申します。
 この度は、東京怪談・月刊アトラス編集部からの依頼を受けて頂きありがとうございました。
* 今回の依頼は同ライター名でUPされた、草間興信所『夢か現か幻か〜追う者〜』
 との連動シナリオとなっております。
* 事件の全容も含めて、カーマインの思惑、行動、進展度などは、他の参加者の方は勿論、
 草間興信所側の参加者の方のノベルにも目を通して頂くと、より一層楽しんで
 頂けると思います。
* 注:ノベルに登場するカーマインの科白、「Guten Abend」は「こんばんは」、
 「Na gut」は「まぁいいだろう」という意のドイツ語です。

≪綾小路 蘭丸 様≫
 初のご参加、ありがとうございます。
 設定とプレイングを拝見しまして、思わず「可愛いなぁ」とニンマリしてしまいました。
 『時の間』も含めて上手く描写出来たかどうか…些か不安ではありますが、
 如何でしたでしょうか? 大きく外していましたら申し訳ありません。
 それでは、またの依頼でお会い出来ますことを願って……
 
 
 相馬