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中ノ鳥島沖艦隊戦 大和の帰還
●――〇五二四時――巡視船「みつるぎ」ヨリ、所属海上保安部ヘ通信入ル。
その日、〇三一四時――米国籍の貨物船「マーブルヘッドJr」号から謎の通信と共に救難信号を受け取った巡視船みつるぎは、問題の貨物船が消息を絶った北緯30度5分・東経154度16分地点に向け、針路を取った。
マーブルヘッドJr号からの最後の通信は、『――BAKA……』。
――back-up――援護
――buck at――反対する
――bucker――暴れ馬
――Bacchus――酒神バッカス
――Bach――ヨハン・セバスチャン・バッハ
――或いは、日本語の「馬鹿」なのか……。
だが、そのみつるぎから海上保安部に届いた通信は、さらに奇妙なものであった。
『――目標海域付近にて、国籍不明艦――いや、「大和級戦艦」の航行を確認ッ。繰り返す、「大和級戦艦」の航行を確認ッ! 指示を請うッ!』
●――〇五三三時――海保ヨリ海自ヘ打電。一個護衛隊群出動。
小笠原群島外洋にて対潜哨戒演習中の海上自衛隊一個護衛隊群、及び対潜哨戒機「P-3C」が、防衛庁設置法に基づく「調査・研究」名目により、目標海域へ出動。
「『調査・研究』――ですか」
上空を飛ぶP-3C宮沢(ミヤザワ)コ・パイロットは、前方を向いたまま、そう漏らした。
「当たり前さ――」
竹中(タケナカ)パイロット兼機長が、同様に前を目視したまま、告げる。
「――こんな話、永田町の法律屋どもを説得のしようがない。まだ、キタの不審船発見で海警行動発令を打診した方が可能性がある」
「太平洋でですか」
宮沢は苦笑した。だが、その目は飽く迄も笑ってはいない。
海自内で一個護衛隊群が動いただけでも、大したものだ――無視されても仕方の無いような報告だった。だが、現場海域は日本のバミューダとあだ名される場所――それは、海自隊員の間でも有名な話だった。寒流と暖流の衝突や、海底地形の隆起による海流の乱れが原因とも言われるが、行方不明となる艦船が後を絶たない。そして、現にマーブルヘッドJr号が、今朝、消息を絶っている。みつるぎの通信は或いは乗員の混乱だとしても、そこで何かが起こっていることは間違い無い。
「報告ッ。レーダーに船影を確認」
非音響センサー要員であるSS3の声が上がった。
「小型艦か? 大型艦か?」
竹中が問う――巡視船か、それとも――「大和」なのか。
「いえ、艦隊であります」
「艦隊?」
それは、レーダー・モニターに奇麗な輪形陣を示す、七つの船影だった。これでは自ら艦隊だとバラしているようなものだ。今時、こんな陣形を組む艦隊は無い――そう、第二次大戦期の空母部隊でもあるまいし……。
「これより、確認された船影群に対し、洋上偵察を行う。目標に対し針路を取る」
「了解」
並び座る正・副操縦士の間で、短い伝令が交わされた。
護衛隊群は遥か後方。空自の護衛機も無い「調査・研究」目的の単独作戦。対潜哨戒機に過ぎないP-3Cでは、対空ミサイルを撃たれただけで、撃墜される。一方、こちらには対艦ミサイルは無い。
その行動実行の決断と了解が、僅かそれだけの会話だった。
――その日、海保からもたらされた報告は、無視されても仕方の無いような代物だった。だが、P-3C搭乗員十一名の目は、飽く迄も笑ってはいない。
●――〇六〇一時――付近海域ニテ、民間艇難破ス。
事態が異様な状況を見せ始める中、目標海域に近づこうと――いや、近づくことを既に放棄した、余りにも貧弱なもう一艇の影があった。
「だぁ〜れかぁ〜! 誰か助けて下さぁ〜い! SOSですよぉ〜!」
遠くの中ノ鳥島を呆然と見つめながら、「三下 忠雄」は誰もいない海上で、空しく泣き叫んでいた。
みつるぎの無線交信を傍受した上司「碇 麗香」の命により、幽霊船「大和」現る――とばかりにオカルト取材へ駆り出された三下ではあったが、今ではただ、コントロールを失った船上で海の藻屑と化すのをただ待つばかりであった。
「本当にそんなもので、海に出る奴が居るとはな」
不意に、三下の背後から女性の声が掛けられた。振り返った三下が目にしたのは、波間からそそり立つ黒い鉄の壁――いつの間に現れたのか、艦船の外壁だった。ポカンと口を開けて見上げる三下の黒縁眼鏡に、甲板上で朝日に照らされて金色に煌く、長い髪が映った。
「レイベルさん! だって、編集長ぉが、編集長ぉぐぁ〜」
それは、同じく碇から情報を得て目標海域を目指す、「レイベル・ラブ」であった。
「分かったから、泣くな若人よ。ここで死んだとあっては、碇麗香も二、三日寝覚めが悪かろう――」
「二、三日だけですか!」
「――連れて行ってやるからほら、しっかり結べ」
甲板から一本のロープが垂らされた。
「結べって――わ、わわッ!」
三下がロープを掴むと、巨大な艦体がゆっくりと動き始める。
「連れてくって、そっちに乗せてくれないんですかぁ〜!? たぁすけてぇ〜! 誰かたぁすけてぇ〜!!」
一隻の護衛駆逐艦に曳航されて、ボートが――白鳥型のスワン・ボートが、海を進んで――あ、沈んだ。
●――〇六四七時――P-3C対潜哨戒機、対象ヲ目視確認。
「前方に艦影を目視確認」
宮沢コ・パイロットの見つめる水平線の彼方に、輪形陣の艦隊が姿を見せる。
予想に反し、艦対空ミサイルの射程内に入っても、攻撃は来なかった。それはつまり、近代兵器を有しない――あれは本当に、大和の艦隊だと言うのか――。
だが、そうでは無かった。陣形の中央、巨大なその艦影は、大和級戦艦のものではない――
「あれは――空母か!?」
竹中パイロットは思わず声を上げた。それは、日章旗を掲げた正規空母であった。
ありえない――海自の自分達が正体を探っていたものが、日本の空母だなんて。第一、日本国は空母を保有しない――
いや、あった――自衛隊は空母を持たないが、旧日本軍は空母を保有していた。そして、この艦隊――正規空母一隻、軽巡洋艦二隻、駆逐艦四隻――竹中の知る限りどれも艦名を特定出来ないが、遠目に艦影を見ただけでも明らかに搭載兵装が古すぎる。どう考えても、第二次大戦期のそれだ。
「報告ッ、右舷前方レーダー捕捉範囲内に、突如艦影を確認ッ! 大型船です!」
竹中の視線が右に動く――昇る朝日を背に、艦隊の空母を超す巨大な艦影が、正面を向いて浮かんでいた。
昭和12(1937)年、ワシントン軍縮条約失効に伴い、主力艦保有率制限解除。日本は空母及び大型戦艦の建造を相次いで起工する。そして、昭和16(1941)年、一隻の戦艦が誕生した――全長263m、基準排水量6万4千t、出力15万馬力、主砲45口径46cm。
世界最大の戦艦――『大和』。
●――〇六五五時――開戦。
緑の機体の下に、白いペンシル型の――飛行機というには余りにもお粗末な――もう一つの小型の機体が吊り下がっている。
一発の弾丸が母機の主翼を撃ち抜いた――途端、緑の機体が炎に包まれる。海面へと墜落するその過程で、子機も炎に飲み込まれた。
瞬間、爆炎が空間を埋め尽くす――空が、一瞬で赤に染まる。やや遅れ、
――どんッッ。
衝撃と共に爆音が届いた。
「“BAKA BOMB”――そういう意味だったのね」
その二十代の見かけと反し、第二次大戦期には米フィラデルフィア海軍工廠に勤務していたレイベルは、その話を聞いたことがあった。
「一式陸上攻撃機」に吊るされて運ばれ、切り離し後は滑空とロケット推進で乗員もろとも敵艦へ突入する特攻機「桜花」。米軍は、被弾に弱く炎上し易い一式を「ワン・ショット・ライター」、そして800kgの爆弾を先端に積め込んだ桜花を「バカ爆弾」と呼んだ。
洋上では、空母から次々と発進する桜花と、それを端から撃墜する大和の猛攻が繰り広げられていた。だが、状況は圧倒的に大和が不利である。軽巡洋艦・駆逐艦からの攻撃も受ける圧倒的数の差。それだけでは無い、どんなに撃墜しても桜花の発進が止むことは無い――これはただの艦隊戦では無い――互いに、この世の存在では無いのだ。
その様子を冷静に見守るレイベルは、やっと得心がいった。
マーブルヘッドJr号の最後の通信は、つまり桜花に攻撃されたことを意味している。この海域で船舶が消失する原因の一つは、あの亡霊艦隊にあるのだろう。大和がみつるぎに告げたという、
『我等、今ココニ同朋ノ死ヲ看取ルベク、黄泉路ヲ戻リテ来タリ。退避セヨ、我等ハ今ヨリ戦闘ヲ開始スル』
の通信は、つまり、大戦の呪いなのか今も戦闘し続けるあの艦隊を、撃破することを意味していたのだ。
では大和は何なのか――それは分からない。だがどうやら今は、あの艦隊を倒すことに力を貸すのも、悪くはなさそうだ。
レイベルの乗る艦船のモニター上、艦隊の空母の機体中央付近に、ある種の反応が示されていた。それは、艦隊全体の霊的中枢がそこにあることを意味していた。それを破壊することこそが、この状況の鍵となる――。
交戦の最中、レイベルは冷静に状況を見ていた。その理由は、彼女の乗る艦船にある。
突然、交戦海域の何も無い一角が、きらきらと緑色の蛍光に瞬き始めた。輝きは次第に強く、大きくなる。そして、その煌きの中から、巨大な艦体が姿を現した。
米海軍カノン級護衛駆逐艦「エルドリッジ」――フィラデルフィア実験によって生み出されたテレポート艦。レイベルが時空の狭間から召喚したその船の中に、彼女と、ついでに三下も居た。
だが、その三下は、先ほどレイベルが嘘みたいな怪力で彼ごと引き上げたスワン・ボートと一緒に、再びその怪力で海へ突き落とされた。
「たぁ〜すけてぇ〜」
波間で憐れな声を上げる三下を余所に、レイベルもボートの上に飛び降りた。同時に、エルドリッジが再び燐光に包まれ――そして、消える。
「何するんですか、レイベルさぁ〜ん!」
ボートにしがみ付いた三下の目が、信じられないものを捉えた。
「そんな、馬鹿なぁッ!」
砲撃音の響き渡る海上の彼方、交戦中の空母の上空から――駆逐艦が、降って来る。
「あれも、大戦の亡霊みたいなもの――だから、一緒に消えてもらおうと思って」
事も無げに言い放つレイベルの向こうで、余りにも巨大な爆炎と煙と水しぶきの混ざったものが、立ち昇る。
●――〇八一二時――不沈艦ハ波間ニ消ユ。
レイベルは知らないが、その空母に積み込まれていたのは、「怨霊機の長距離受信機」であった。そして、それを破壊された残りの艦隊は、大和の主砲によって、次々と破壊され、轟沈していった。
主砲の轟音は、海域を目指す海上自衛隊一個護衛隊群の元にまで、響き渡る。
その音は、どこか泣いているかのようだった。
海上戦が空母中心とした戦術に変わりゆく中で、未だ大艦巨砲主義を引きずっていた日本の、時代遅れの産物「大和」。その大和が、特攻という同じ日本人の命を賭した攻撃を、撃ち墜とす。それは、あってはならない光景だった。
大和は、泣きながら、大戦では遂に活かされることの無かったその主砲を撃っていた。
P-3Cからの報告を受けながら、護衛隊群の乗員達は、遠くから響くその主砲の音を、重く受け止めた。
彼らが目標海域に到達した時、そこに空母艦隊の面影は全く無かった。
ただ、水平線に、去りゆく巨大戦艦の姿が見えた。それを、三隻の海自護衛艦の甲板に並んだ乗員達が見送る。
旗艦の警笛を合図に、一斉に敬礼を送った。
完
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