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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


幸せの白いモコモコ。
●0点の依頼文書
「はぁ、なんて言えばいいんだか……」
 長谷川豊(はせがわ・ゆたか)はパソコンのモニターを前に形の良い眉をわずかにゆがめ、小さくため息をついた。
 解離性同一性障害――DIDをテーマにした研究論文が煮詰まり、息抜きにネットを巡回していたところ、ゴーストネットの掲示板で次のような書き込みを見つけたのだ。

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[777]お願いしますっ!!
投稿者:竹本恵

えと、その、あうう、なんて書けばいいんだろ?
ゴメンなさい、掲示板に書き込みするのなんて初めてだから緊張しちゃって(泣)。

あたしは竹本恵、高校二年生です。
今日書き込みしたのは、みなさんにどうしても相談したいことがあったからです。
それというのも実はあたし……ドジなんです! それも普通ドジなんかじゃなくて、ギネスブックに載っちゃうくらいのドジなんです!!
何もないところで転ぶし、財布は今年だけで三回も落としたし、テストのマークシートは必ず一列ずれるし、コンビニでバイトすればうっかりプリンまで温めちゃうし、とにかくもう失敗を数え始めたらキリがありません。
自分だけならともかく、おかげで友達にまでいつも迷惑かけてばかりだし……。

でもそんなとき、あるウワサを聞いたんです。
飼っているだけで幸せになれる不思議な生き物がいるらしいって。
その生き物の名前はケサランパサラン。なんでも白くてモコモコした綿毛みたいな姿をしているそうです。
もちろん、ただのウワサかもしれません。でもあたし、それでも信じてみたいんです。その生き物さえいれば、自分のドジも少しはマシになるんじゃないかって。
お願いです! どなたかあたしといっしょにケサランパサランを探してくれませんか?

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 ゴーストネットはインターネットカフェ『ゴーストネットOFF』の掲示板だ。嘘も真実も取り混ぜて膨大な量の怪奇情報が寄せられ、中にはこの書き込みのように依頼の形を取るものも少なくない。ただ……。
「依頼文書としては0点ね、これ」
 感情のあふれるままに書かれた、推敲の「す」の字も見えない文章。学術書の率直で的確な記述に慣れ親しんだ豊の目には、ちょっと許せないものがある。
「おまけにこれ本名だろうし、ああああ年齢まで書いてあるじゃない! 最近のニュースとか見てないのかしら、この子」
 豊は書き込みを読むだけで、温室育ちで世の中の綺麗な部分しか知らない無防備な少女の姿を容易に思い描くことができた。この書き込みを見て集まるのはよっぽどのお人好しか、それとも邪まな感情を抱いた連中か……。
「ああもう、世話が焼ける」
 豊は「よっぽどのお人好し」の代表として恵の書き込みにレスをつけた。待ち合わせ場所、時間などを簡潔に記し、少し迷ってから最後に一言こう書き加える。
『いい? 私が行くまで絶対に誰かと二人きりで会っちゃダメだからね!!』

●遅れてきた少女
 次の日、大学でその手の話にくわしい友人たちからケサランパサランについて一通りの知識を仕入れ、さらに必要な資料や道具などをそろえた後、豊は待ち合わせ場所の喫茶店に向かった。
 大学の側にある、手軽で明るい雰囲気の店だ。ゴーストネットOFFで待ち合わせてもよかったのだが、デリケートなパソコンがずらりと並んだ空間で、ギネス級のドジを公言する相手と会うのはちょっとためらわれたのだ。
「それにしても……」
 豊は腕時計を見て深々とため息をついた。時計の針は、約束の時間をすでに三十分以上回っていた。目の前のコーヒーは、ほとんど口をつけないうちに冷め切っている。
 整いすぎた容姿から誤解されることも少なくないが、豊は本来あまり細かいことを気にしない快活な人間だ。だがそんな豊でも、さすがに初対面から平気で遅刻してくるような相手に好意的でいられるほど心は広くない。
 たしかにドジは自分ではどうにもならないかもしれない。でも約束を守れるかどうかは本人の意思の問題だ。この子もたぶん、自分のルーズさが招いた当然のミスを勝手に不幸に置き換えて嘆いている、無責任で他人任せな人間のひとりなのだろう。豊の恵に対する印象は、この時点でかなり悪くなっていた。
 もう帰ろうかしら。
 そう思って入口に視線を向けた豊は、そこで信じられないものを見た。萌黄色の制服に身を包んだ小柄な少女が、自動ドアの前でピョンピョン飛び跳ねていたのだ。しかも今にも泣き出しそうな顔で、必死になって。
 気がついたウェイトレスがギョッとしてボタンに触れると、自動ドアは何事もなかったようにあっさり開いた。
「……お客さま、ここを押すとドアが開きますので」
「ごご、ゴメンなさい、ゴメンなさい、ゴメンなさい!」
 笑っていいのか怒っていいのか複雑な表情のウェイトレスに、少女がバネ仕掛けの人形みたいにペコペコと頭を下げる。
 ようやくお辞儀攻撃を終えると(正確にはウェイトレスの方が退散したのだが)、少女はキョロキョロと店内を見回し始めた。誰かに声をかければいいのに、それが出来ずにテーブルの間をオロオロと行ったり来たりしている。
 ……これは思った以上に手強そうね。
 本当はこのまま関係ないフリをしたい気分だが、さすがにそうもいかない。豊は頭痛を感じつつ、立ち上がって少女の名を呼んだ。

●先行き不安な作戦会議
 落ち着きのない小動物。それが竹本恵の第一印象だった。小さな顔の中でひときわ目立つ黒目がちの大きな瞳。左右で結んだ髪はまるでウサギの耳みたいに見える。上目づかいに不安げに豊を見上げる様子は、まさに捨てられた子犬そのものだ。
 顔立ち自体はかなり可愛い部類に入るのだが、正直ちょっと苦手なタイプだった。そういえば高校生のころ、似たような雰囲気の子になぜか妙に頼られて、どこに行くにもパタパタとうしろをついて来られた記憶がある。
「ええと、竹本恵さんよね。恵ちゃん、て呼んでもいいかしら?」
「は、はい、もちろん!」
 気を取り直して尋ねる豊に、恵はブンブンとうなずいた。
「いいのよ、そんなかしこまらなくて。こっちがくすぐったくなっちゃう。私は豊、長谷川豊よ、よろしくね」
 安心させるように微笑んで手を差し出す。恵はようやく少し緊張が解けたのか、豊の手をしっかりと握り返して嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「でもよかったです、豊さんが優しい人で」
 優しい人、ね。
 豊はその言葉になぜか軽い苛立ちを覚えた。初対面の相手に、どうしてこんなに簡単に心を許せるんだろう。どんな極悪人だって、下心のひとつもあれば感じの良い笑顔くらい惜しみなく振りまいてみせるだろうに。
 豊は珍しく意地悪な気持ちになっている自分自身に戸惑いながら、ことさら平静をよそおって話を先に進めた。テーブルの上に、用意しておいたケサランパサラン関係のコピーをズラリと並べる。
 ケサランパサランとは恵の書き込みのとおり、白い綿毛のような姿をした不思議な生物のことだ。幸福を運んでくると言われ、今までに何度かブームになったこともある。だがその正体については植物説や動物説から鉱物説までさまざまな意見があり、本当のところはよくわかっていない。いわゆる幻の生物というやつだ。
「恵ちゃんはそれを探したいのよね?」
 恵がコックリとうなずくのを見届けてから、豊は言葉を続けた。
「ケサランパサランについて、私も少し調べてみたの。一般によく言われてるのは、ビワの木に生息してるとか、おしろいが好物だとか、分裂して増えるとか。中には空から笑いながら飛んでくるなんてのもあったわね。どれも漠然としてるけど、一番具体的なヒントはやっぱりビワの木かな。それでね、うちの大学の農学部でもビワを栽培してるらしいんだけど、もしよかったら今からそこに行ってみない?」
「え? あ、はい、ぜひお願いします!」
 豊の言葉に、恵がハッと我に返って答えた。どうやらコピーの中にあったケサランパサランの可愛らしいイラストに夢中で見入っていたらしい。
「OK。でもね、ひとつだけ言わせて」
 豊は恵の目をまっすぐに見つめて言った。
「幸せってのは、自分の手でつかむものよ。ドジを直すために飼うってのは、ちょっと可哀相な気もしない?」
「えと、それは、あの……」
 思いがけない一言だったのかもしれない。恵は言葉を失くしてうつむいてしまった。
 豊はフッと息を吐き出すと、ガラリと口調を変えて明るい声を出した。
「ま、いいわ。それは後でゆっくり考えれば。まずは行動、行きましょう」
 資料を片付け、伝票を手に取って立ち上がる。
「あ、待って下さい! お勘定はあたしが――」
 恵が慌てて席を立とうとしたそのときだった。
 ガチャン!
 店内にけたたましい音が響き渡った。ちょうど通りかかったウェイトレスが運んでいたトレーに、恵が下から思いっきり頭突きをする格好になってしまったのだ。トレーの上のコーヒーポットが倒れて、湯気を立てるコーヒーが頭から恵に――。
「恵ちゃん!」
 思わず悲鳴を上げたそのとき、奇妙な感覚が豊を襲った。まるでフィルムのコマ落としのように、コンマ零何秒、時間を抜き取られたかのような感覚……。そして次の瞬間、豊は見知らぬ若い男が魔法のように突然視界に現れるのを見た。
 男は右手に木刀を下げ、そして左手には倒れたはずのコーヒーポットを持っていた。しかも驚くべきことに、コーヒーは一滴もこぼれた様子がない。
 男は呆然と立ち尽くすウェイトレスに軽く頭を下げて、ポットをトレーの上に戻した。
「あなたはさっきの……」
 恵が男の顔を見上げてハッと息を飲む。
 男はそんな恵に笑顔で小さくうなずくと、豊の方を振り向いて言った。
「僕は深影想助(みかげ・そうすけ)。僕も君たちといっしょに行かせてくれないか」

●それぞれの事情
 豊の大学の付属果樹園は、電車で一時間ほど揺られた先にある。不便といえば不便にはちがいないが、そのぶん敷地が広大で様々な果実を研究・栽培しているのが魅力だ。豊も論文が煮詰まったときなど、農学部の友人に頼んで気分転換に作業を手伝わせてもらったことが何度かある。
「うーん、やっぱ空気がちがうわね」
 豊は駅の改札を出ると、思いっきり伸びをして新鮮な空気を吸い込んだ。
 そんな豊の服を、恵がうしろからクイクイと引っ張る。
「どうかしたの、恵ちゃん?」
「あの……」
 恵は想助をチラリと見ると、背伸びして豊の耳元にゴニョゴニヨとささやいた。
 その内容に、豊はムッと眉をしかめた。
「あーのーねー、トイレぐらい普通に行ってきなさい」
「はわわわわ!」
 恵は真っ赤になって胸の前で激しく両手を振り、逃げるように走り去って行った。どうやら想助にトイレに行くことを知られるのが恥ずかしかったらしい。
「ほんと天然記念物ものね、あの子」
 豊はため息まじりに恵の背中を見送った。あとには豊と想助だけが残される。
 豊は正直に言えば、まだ想助という人間を見定められずにいた。
 年齢は二十歳そこそこだろうか。ただ今時の若者らしい軽薄さはなく、漆黒の髪と凛々しい顔立ちがどこか古風なものを感じさせる。木刀を納めた背中の鞘袋と相まって、さながら青年剣士といった印象だ。
 恵に向ける瞳も温かく澄んで、とりあえずのところ邪まな下心を心配する必要はないと思える。ただ……。
 気になるのは、想助からわずかに漂う血の匂いだった。毛穴の奥までこびりついた血の匂い。それは想助が長い間戦いの中に身を投じてきたことを意味する。想助には、単なる好青年以外の何かがある。その何かが豊の想助に対する判断を保留させていた。
 そんな気まずい空気を敏感に感じ取ったのか、あるいはただ単に何も考えていないだけなのか、車内では恵が二人の間に入って必要以上にはしゃぎ続けていた。そしてその恵が席をはずした今、必然的に居心地の悪い沈黙が二人に覆いかかる。
 だが成り行きとはいえ行動を共にすることになった以上、いつまでも腹の探り合いをしているわけにもいかない。豊は開き直って直球勝負で想助に疑問をぶつけてみた。
「恵ちゃんと顔見知りみたいだけど、どういう関係?」
「いや、僕も初めて会ったばかりだよ。今日のことは掲示板を見て知ってね。ただ喫茶店に着く前にちょっとしたトラブルがあって、そのときに彼女と……」
 想助は何かを思い出すようにクスリと笑みをもらした。目の前の青年がそんなふうに無防備な表情を見せたことが、豊にはなんだかひどく意外に思えた。
「あの手品はどうやったの?」
 もちろん喫茶店で想助が恵を助けたときのことだ。時間を抜き取られたかのような奇妙な感覚。それに続いて突然現れた想助。あれは単なる霊能力などでは説明できない。
 しばしの無言の後、想助は鞘袋に手をかけた。慣れた手付きで袋を解いて中から木刀を取り出す。続いて木刀を握った右手を前に突き出し、精神を集中するように両目を閉じてみせた。それと同時に、木刀がまばゆい光を帯び始める。
「これは……」
 豊は木刀を包む不思議な輝きに目を奪われた。炎のように激しく、それでいて氷のように静かな青い光。だが次の瞬間、想助がフッと短く息を吐いて集中を解くと、木刀はすぐさま光を失い、単なる木の塊と化していた。
「今のは『光刃』。心の力を具現化して時空を操る剣だ。無から生み出すことも出来なくはないが、やはり依代があった方が集中しやすい」
「時空を……操る?」
 豊は呆然と想助の言葉を繰り返した。だが想助はそれ以上なにも答えず、木刀を元通り鞘袋にしまい込んだ。その横顔が、豊の目にはどこか寂しげに映った。
 想助が何か想像もつかないような秘密を抱えているのはたしかなようだ。だが豊はもうそれを追及する気は失せていた。誰にも言えない秘密を抱えているという意味では、豊も想助の同類にちがいなかったから。
 豊はうつむいて逆十字のネックレスをギュッと強く握り締めた。
「お待たせしましたー!」
 再び沈黙が重く垂れ込めかけたそのとき、場違いに明るい声が響いた。恵がトイレから戻って来たのだ。
「あれ、お二人ともどうかしたんですか?」
 恵が豊と想助の顔を見比べて不思議そうに首をかしげる。
「なんでもないの。さ、行きましょ」
 豊は微笑んで恵の肩をポンと叩いた。だが自分が本当にうまく笑えているのかどうか、正直なところ豊にはあまり自信がなかった。

●いきなり、発見!?
 目的の果樹園までは、駅からさらに徒歩で十五分ほどかかる。ただ河原沿いののどかな一本道なので、いくら恵でも迷子になる心配はないだろう。
 豊は恵と想助を前に行かせ、二人から少し離れた場所を歩いていた。本来の豊なら先頭に立ってみんなをグイグイ引っ張っていくところだが、今は何となくそんな気分にもなれなかった。
「まず基本は物事をしっかり見ることだ。失敗は必ず起きてしまうものだが、そのことで八割はなんとかできる」
 想助はさっきから恵にドジを克服するコツを伝授しているようだ。方法論として昔からよく言われている内容ではあるが、それだけに無難なアドバイスともいえる。恵も真剣な顔で一生懸命にうなずいている。
「物事をしっかり見る……」
「大丈夫、君は自分で思うよりずっとできる。落ち着いて、さあやってごらん」
 恵はその言葉に従い、大きくひとつ深呼吸してからゆっくりと周囲を見渡してみせた。
「あ!」
 次の瞬間、いきなり素っ頓狂な声を上げて走り出す。
「ちょっと、恵ちゃん!?」
 豊は慌てて恵の後を追った。想助もすぐにそれに続く。
 恵は20mほどダッシュして、道端に捨てられたダンボール箱の前にしゃがみ込んだ。
「うわあ、可愛い〜」
 そう叫んで箱の中から何か白くてモコモコした物体を抱き上げる。
 ――まさか、ケサランパサラン? こんなに簡単に見つかるなんて!
 だが興奮も束の間、豊は落胆して肩を落とした。それは白いフワフワの毛皮に包まれた二匹の子猫だったのだ。
「……捨て猫か」
「もう、ビックリさせないでよ」
 あきれる豊たちの前で、恵は二匹の子猫にかわるがわる頬ずりをしている。放っておいたらいつまでもここに居座り続けそうな勢いだ。
「ほら、いつまでそうしてるつもり? 私たちの目的は猫じゃないでしょ」
 豊はわざと厳しい言い方をした。たしかに捨て猫は可哀相かもしれないが、中途半端に情をかければお互い余計に辛い思いをすることになる。自分で引き取らない限り、豊たちにできるのは、ただ子猫たちが良い飼い主に出会えるように祈ることだけだ。
 なにより今の豊たちにはケサランパサランを探すという目的がある。一時の感情に流されて時間を浪費するのは、あまり得策とは言えなかった。
「……そうですね。でも、せめて」
 恵は背中のリュックから折りたたみ傘を取り出すと、傘を広げて子猫たちのために日陰を作った。そういえばたしかに、長毛の子猫たちにとって真夏の直射日光はちょっと酷かもしれない。
「すみませんでした。さあ行きましょう、豊さん!」
 恵はそう言って微笑んだ。少しも他意のない、ごく自然な笑顔だった。その笑顔が豊の胸にチクリと突き刺さる。
 自分の判断は間違ってなんかいない。それなのに恵の笑顔をまともに見れないのはなぜだろうか。
 豊は胸の中で騒ぎ始めた言葉に出来ないモヤモヤした気持ちを振り切るようにブルンと大きく首を振り、ようやく見えてきた果樹園の門に向けて足を速めた。

●ビワの木畑でつかまえて
「うわー、これ全部ビワの木なんですか」
 恵がビワ畑をグルリと見回して歓声を上げる。
 大学の付属施設とはいえかなり本格的な果樹園で、学校の体育館ほどのスペースにビワの木がぎっしりと生い茂っている。さらにとなりにはリンゴ畑、そのむこうには桃畑がそれぞれ広がっている。
「まあ、シーズンが終わってるだけまだマシだけどね」
 ビワの収穫時期は六月ごろだ。収穫シーズンの真最中なら、とてもケサランパサランを探すどころの騒ぎではなかっただろう。
「さて、さっそく始めますか」
 豊はバッグからあるものを取り出して恵と想助に手渡した。
「これは……」
「ファンデーション、ですか?」
「おしろいって言ってよね。これでも苦労してなるべく香料の少ないタイプを選んできたんだから」
 豊が二人に渡したのは、ケサランパサランの好物と言われる粉おしろいだった。これを餌にケサランパサランをおびき寄せるのだ。
 こんな単純な方法でうまくいくとは豊自身も本気で信じてはいなかったが、かといって他に有効な手段があるわけでもない。今回はもともと雲をつかむような依頼だ。少しでも可能性があるなら、それを試してみるしかなかった。
「手分けしてビワの木の根元におしろいを撒くの。あなたはむこうからお願い。恵ちゃんは……そうね、私といっしょに来てちょうだい」
 豊は想助と恵にテキパキと指示を出した。
 本当のことを言えば、モヤモヤした気持ちはまだ完全に消えてはいない。それどころか時間と共に自分の中で少しずつ膨らんできているような気さえする。さらに厄介なことに豊はモヤモヤの正体を自分でもまったく理解できずにいた。そしてわからないから余計にイライラがつのる。最低の悪循環だ。
 それでもこうして仕事に徹している間だけは、豊は余計なことをすべて忘れられるような気がした。
「恵ちゃんはそっちの列を頼むわね」
 恵と背中合わせに豊はさっそく作業を開始した。
 ビワは一枚一枚の葉が大きく枝も密集しているので、木の上部はひどく見にくくなっている。たとえ本当にケサランパサランが隠れていたとしても、肉眼で見つけるのは至難の業だろう。だが地面に近い部分は邪魔な枝もなく、もし何か怪しいものが現れればすぐに見つけられるはずだ。
 豊は一本一本の木を慎重に調べながら、順調におしろいを撒いていった。
 ――そうそう。その調子よ、豊。
 作業が進むのに合わせて、豊は自分が少しずつ普段の冷静さを取り戻していくのを感じていた。何をあんなにナーバスになっていたのか、不思議に思うくらいだ。自然と口元がほころび、鼻歌まで流れ出す。
 もちろん途中で恵がミミズを見つけて大騒ぎしたり、転んで全身おしろいまみれになったり、あげくに蜘蛛の巣に顔を突っ込んでパニックになったりして何度も作業が中断されはしたのだが、豊はそれさえも笑って許すことができた。
「お姉ちゃん、ほんとに大丈夫?」
「うん、まかせてまかせて!」
 畑のむこうから話し声が聞こえてきたのはそんなときだった。
 そういえば恵がさっき水を飲みに行ったきり、まだ戻ってきていない。
「恵ちゃん、どうかしたの?」
 豊は額の汗を拭いながら、何気なく声のした方に向かった。ビワ畑を抜けて裏の空き地に出る。
 地元の小学生だろうか。大きな柿の木の下に、バトミントンのラケットを持った二人の女の子が心配そうな顔で立っていた。果樹園は建前上、大学の関係者以外は立ち入り禁止なのだが、実際には地元の子供たちの恰好の遊び場になっているという。
 そして二人の視線の先では恵が――。
「恵ちゃん!」
 豊は驚いて木の下に駆け寄った。恵が柿の木に登って、枝に引っかかったバトミントンの羽根を取ろうとしていたのだ。
「すぐに降りて、危ないわ!」
「平気ですよ、あたしこれでも木登りだけは得意なんですか……らぁ!?」
 恵が羽根に手を伸ばした瞬間、何の前触れもなくボキリと根元から枝が折れた。恵は知らなかったのだろう、柿の木は一般的に枝が弱くて折れやすいということを。枝と共に恵がまっさかさまに落下する。
 ――ダメ、支えきれない!!
 とっさにサイコキネシスを全開にする。だが豊の力では落下速度をわずかに遅らせるのが精一杯だった。豊は思わずギュッと目を閉じた。
 次の瞬間、例の奇妙な感覚が再び豊を襲った。ハッとして目を見開くと、果たしてそこには恵の体をしっかりと抱き止める想助の姿があった。
 豊は一気に全身の力が抜けるのを感じた。汗がドッと流れ出す。
「お姉ちゃん、大丈夫!?」
「ゴメンね、ビックリさせちゃって。ハイ、これ」
 心配して駆け寄る女の子たちに、恵がニッコリと羽根を差し出す。落ちる間際にそれだけはしっかりと握り締めていたようだ。
「次は気をつけるのよ。さ、お姉ちゃんはもう大丈夫だから、ね?」
 恵は促すように言った。女の子たちはまだ心配そうだったが、何かを感じたのかペコリと頭を下げて走り去っていく。
 女の子たちの姿が見えなくなると、恵は唇を噛んでうつむいた。
「あの、ゴメンなさい。あたし、また……」
「バカ! 一歩まちがえたら大ケガするとこだったのよ!!」
 豊は恵を大声で怒鳴りつけた。自分でもひどく興奮しているのがわかった。理性は必死にブレーキを踏もうとする。だが感情はさらにアクセルを踏んだ。
「だいたいさっきから何様のつもりなのよ? 自分のことも満足にできないくせに、余計なことまでどんどん首を突っ込んで! 誰のために私たちが苦労してるか、本当にわかってるの!?」
 気がついたときには、鬱積した不満をすべて恵にぶつけてしまっていた。
 恵は青ざめた顔で言葉もなくうなだれている。
「……ゴメン、ちょっと頭冷やしてくる」
 豊は絞り出すような声でそうつぶやくと、逃げるようにその場を立ち去った。

●ココロの欠片
 水道の蛇口を全開にして、バシャバシャと乱暴に顔を洗う。それでも胸の中のモヤモヤは少しも洗い流すことが出来なかった。
「最低ね」
 豊はタオルで顔を拭きながら、ポツリとつぶやいた。
 本当、最低だ。人前であんなに取り乱すなんて。
 自分はもっと強い人間だと、豊はそう信じてきた。もちろん強くなるための努力も重ねてきたつもりだ。豊には、どうしても強くならなければならない理由があったから。自分の中に巣食う、得体の知れない闇と向き合うために。
 そして実際、強くなれたはずだった。今の友人の中に豊を弱いと言う者など一人もいない。明るく行動的で誰からも頼られる姉貴分、それが長谷川豊という人間だ。
 それなのに、恵を見ているとこんなにも心がざわつくのはなぜだろうか。挙句に感情の抑えが利かないまま、あんな激しい言葉までぶつけてしまった……。
 恵は泣いていないだろうか。落ち込んでいないだろうか。想助がついているから大丈夫だとは思いつつ、豊は急に心配になって早足に引き返した。
 だが、いざとなるとどんな顔をして恵たちの前に出ればいいのかわからない。恵を傷つけたのは、他ならぬ自分自身なのだ。
 恵たちのところに戻るのか、それともこのまま立ち去るのか、決心がつかずに立ち尽くす豊の耳に、かすかに聞き覚えのある声が届いた。
 恵と想助だった。そっと覗き見ると、二人はあの柿の木の下に並んで座っていた。
 恵はやはり泣いているのか、スンと何度も鼻をすりあげている。
「気にしなくていい、彼女も本気で言ったわけじゃないさ」
 そんな恵を想助が優しく気づかう。そこにはもう、豊が戻るべき余地など残されていないように思えた。
 やっぱりこのまま消えよう、豊が背を向けかけたそのときだった。
「ちがうんです、あたし、うれしいんです」
 恵の口から出た思いがけない言葉に、豊はハッと足を止めた。
「たしかに最初はショックだったけど、でも全部本当のことですし、それに……」
 恵は両手でゴシゴシと涙を拭いて話を続けた。
「あたし思うんです。怒るって、すごく大変で勇気がいることだって。……やっぱり憎まれ役は誰だって辛いですよね? だから優しい言葉で慰めるのは誰にでもできるけど、怒るのは相手のことを真剣に考えてないとできないと思うんです。でも豊さんは、あたしのこと怒ってくれた。豊さんはあたしのこと本気で心配してくれる、本当に優しい人なんだって。そう思ったらあたし、うれしくて申し訳なくて……」
 それから恵は、ハッと思い出したように付け加えた。
「あ、いえ、その、想助さんが優しくないって言ってるんじゃないんですよ! 想助さんはすごく親切だし、頼りになるし、ええと、それからそれから」
「わかってる」
 大慌ての恵をなだめるように想助がうなずいた。とても楽しそうな顔で。
 ――ほんとにもう、なんて言えばいいんだか。
 その言葉を聞いて豊はようやく理解した、自分は恵に嫉妬していたのだと。
 バカ正直で、底抜けの甘ちゃんで、他人を疑うことを知らなくて、なにより自分の弱さを少しも隠そうとしない。自分はそんな恵に嫉妬していたのだ。
 なぜならそれらは、豊が強くなるために無意識のうちに切り捨て、あきらめてきた部分だったから。過酷な運命に押し潰されずに生きていくために、豊は強くなるしかなかった。でも心から強さを望んでいたわけじゃない。豊が豊のまま、何の負い目もなく生きていける世界があったなら、あるいは……。
 豊は恵の中に、遠い日に失くした心の欠片を、もし運命が許せば自分もそうなれたかもしれない、無邪気で幸福な少女の面影を見ていたのだ。
 それがわかった今、豊の心を覆っていた暗雲は嘘のように消え去っていた。
「……豊さん、戻ってきませんね。やっぱりあたし、嫌われちゃったんでしょうか」
「大丈夫、ちょっと驚いただけだよ。落ち着いたらすぐに戻ってくる」
 想助はシュンとうつむく恵にそう言うと、豊の方にそっと視線を向けた。どうやらすでに豊に気がついていたらしい。
 ――まったく、この子たちときたら。
 豊は苦笑して指先で目尻を拭うと、わざとらしいくらい大きな声を出した。
「ちょっと二人とも、いつまでサボってるのよ!」
 体育の先生みたいにパンパンと手を叩きながら恵の前に姿を現す。
「豊さん、あたし……」
「ほらほら、もうあんまり時間がないんだから。遅れたぶん、ビシビシいくわよ!」
 恵の言葉をさえぎるように、豊は恵の胸にビッとひとさし指を突きつけた。たぶん今日初めての、心からの笑顔を浮かべて。
「はいっ!」
 恵は目の端にうっすらと涙を浮かべながら、しっかりと力強くうなずき返した。

●恵と夕陽と幸せの白いモコモコ。
「どう、何か変化あった?」
 豊は事務所から調達してきた缶ジュースを二人に手渡しながらたずねた。
 想助が無言で首を振ってそれに答える。
 すでに陽は傾き、西の空が赤く染まり始めていた。すべてのビワの木におしろいを撒き終え、今は定期的にそれをチェックしている。
 これまでの収穫は小鳥の足跡が七つ、それに野良猫の足跡が四つだ。よほど几帳面な猫なのか、ご丁寧にそのうちのひとつは土でおしろいをすっかり覆い隠してあった。
「……あの、豊さん。牛乳ありますか?」
 缶をおでこに当てて冷たさを楽しんでいた恵が、ふと何かを思い出したように言った。
「事務所にならあったと思うけど」
「ゴメンなさい、あたしちょっと行ってきますね」
「ちゃんと温めてからあげるのよ!」
 思い立ったが早いか走り出す恵の背中に、豊はそう声をかけた。
 不思議そうな顔の想助に「子猫」と答える。豊は今ではもうすっかり恵の行動パターンを読めるようになっていた。
「ケサランパサラン、見つかると思う?」
 豊は想助のとなりに腰を下ろして無造作にたずねた。
「いいや」
 想助があっさりと首を横に振る。
「じゃあ依頼は大失敗ね」
「ああ、大失敗だな」
「……ウソつき。ちっともそんな顔してないじゃない」
「それはお互いさまだ」
 豊は想助と顔を見合わせて笑った。
 ケサランパサランは、もう見つからなくてもかまわない。
 言葉には出さなくても、誰もがそんなふうに思い始めていた。……おそらくは、当の恵でさえも。三人で協力して何かをやり遂げた、ただその事実だけがあればいい、少なくとも豊自身はそう思っていた。ケサランパサランが見つかるかどうかは、ただの結果だ。
 そもそも今回の依頼は、恵が独断で出したそうだ。もし恵の友人たちがその話を知っていたら、きっと大反対していたにちがいない。豊なら、絶対にそうしていたから。
 そう、軽く頭を小突いて一言こう言ってやるのだ。
「バカね、あんたはそのままでいいのよ」と。
 みんなが恵の行動にハラハラして、ぶつぶつ文句を言ったり、ときには本気で怒ったりしながら、それでもありのままの恵をいとおしく思い、大切に見守っている。豊はそんな恵と友人たちの関係をはっきりと思い描くことができた。……今ではもう、豊自身もその中のひとりに含まれているにちがいなかったけれど。
「豊さーん! 想助さーん!」
 ぼんやりとそんなことを考えている間に、ずいぶん時間が経っていたようだ。まぶしい夕陽を背に、当の恵が二人の名を呼びながら駆けてくる。
 豊は小さく手を振ってそれを出迎えた。だが恵は手を振り返さない。もちろん無視したわけではない。恵は両手にしっかりと二匹の子猫を抱きしめていたのだ。
「やっぱり連れて帰ることにしたんだ、その子たち?」
 豊がそう問いかけると、恵は弾んだ声で答えた。
「はい、ママにも電話でOKもらいました! ね? ケサラ、パサラ」
「ケサラと……」
「パサラ?」
 豊と想助はほぼ同時に聞き返していた。恵が結局子猫たちを引き取るだろうことは予想できた。でも子猫たちの名前はさすがに予想外だった。それは想助も同じのようだ。
「もしかしてその子たち、ケサランパサランの身代わりってこと?」
「ち、ちがいます、そうじゃないんです! そうじゃないんですけど、でも……」
 恵はしどろもどろになりながらも必死に言葉を続けた。
「あの、ケサランパサランは見つからなかったけど、でもあたし、おかげで豊さんと想助さんに会えましたよね? ケサランパサランはいないけど、でもあたしはものすごく幸せで、つまりその、幸せになれた以上、やっぱりあたしにとってケサランパサランは本当にいたわけで、だからこの子たちの名前はその記念に……って、わかります?」
「わからないでしょうね、普通は」
 不安げな顔で問いかける恵に、豊は冷たく言い放った。
 しばしの沈黙。
 最初に吹き出したのは、意外にも想助だった。恵と豊もすぐにつられて笑い出す。
 三人の笑い声が、夕焼けの空に明るく響き渡る。こんなふうにお腹の底から声を出して笑ったのは、本当に久しぶりだった。恵のころころと鈴を鳴らすような笑い声を心地よく耳に聞きながら、豊は意識の片隅でふとこんなことを思った。
 もし本当にケサランパサランがいるなら、きっと恵みたいな声で笑うにちがいないと。
 それは、決して悪くない想像だった。

Fin
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0914/長谷川・豊/女/24/大学院生
0893/深影・想助/男/19/時空跳躍者


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■         ライター通信          ■
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はじめまして、ライターの今宮和己と申します。
今回は『幸せの白いモコモコ。』へのご参加、ありがとうございました。
最初は短めのコミカルなシナリオを予定していたのですが……またまた自己最長記録を更新してしまったのはなぜでしょうか(汗)。
シナリオがシリアス路線に変更になったのは、みなさんが単にケサパサを探すだけではなく、恵にとって何が一番いいのかをより真剣に考えて下さったおかげです。
はたしてイメージに近いシナリオになっていたでしょうか?

豊さん。
恵のことを真剣に考えるがゆえに、少しソンな役回りになってしまいました。
そのぶん豊さんの内面を掘り下げられるようにがんばったつもりなのですが……心配です。
イメージとちがっていたら、本当にゴメンなさい。
もしも気に入っていただけたなら、本当に幸いです。

ではまた、どこかでお目にかかれることを祈りつつ。
ありがとうございました。