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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


幸せの白いモコモコ。
●幸福な悩み
 熱いシャワーを頭から浴びる。疲れ切った肉体を温かな湯気が優しく包み込む。
 その瞬間だけ深影想助(みかげ・そうすけ)は己の宿命や任務から解き放たれ、ただの十九歳の若者に戻ることができる。
 もちろんそれが幻だということは、想助自身が誰よりも理解している。一歩浴室を出れば、再び修羅の世界が想助を待っている。染み付いた血の匂いは、いくらシャワーを浴びても洗い流すことなどできはしない。
 だが、それでも。たとえわずかでも戦いを忘れられる瞬間があるということは、想助にとってなによりの救いだった。
 浴室を出てTVのスイッチを入れる。殺人。汚職。紛争。ニュースは相変らず血生臭く絶望的な事件を垂れ流している。想助はやり切れない思いですぐにTVを消した。
 想助は時空跳躍者だ。世界はやがて地獄と化す、この時代に起こる何らかの異常事態が原因で。その秘密を解き明かし、未来を救う手がかりを得るために、想助は未来からこの時代へと送り込まれてきた。最後の退魔剣術使いのひとりとして。
 今日もまた想助は数体の魔を塵に返していた。だが雑魚をいくら倒したところで、それが何になるというのだろうか。謎の核心に通じるかすかな糸口さえも、まだ自分は見つけられずにいるというのに。
 それに実際にこの時代に送り込まれる以前、想助はたしかな希望を持っていた。そこには自分たちの世界とはちがう、人が人として生きられる平和な世界があるはずだと。
 だが現実はちがった。魔の脅威が深刻ではないこの時代では、代わりに人間同士が奪い合い、傷つけ合っていた。忍び寄る破滅の足音に、まるで耳を貸そうともせずに。
 自分は世界を、未来を救うことができるのだろうか。あるいはこんな汚れた人間の世界を救うことに、本当に意味など……。
 ――やめよう。
 想助は己の中にわきあがる疑念を、無理に抑え込んだ。お前はただ少し疲れているだけなのだ。自分自身にそう言い聞かせる。
 せめてもの気分転換に、想助はパソコンを起動した。インターネットを接続し、掲示板をチェックする。インターネットカフェ『ゴーストネットOFF』の掲示板だ。そこには嘘も真実も含めてさまざまな怪奇情報が寄せられてくる。
 気分転換と言いつつ、無意識のうちに新しい情報を求めている自分に、想助は我ながら苦笑した。ひとつだけ雰囲気のちがう書き込みを見つけたのは、そんなときだった。

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[777]お願いしますっ!!
投稿者:竹本恵

えと、その、あうう、なんて書けばいいんだろ?
ゴメンなさい、掲示板に書き込みするのなんて初めてだから緊張しちゃって(泣)。

あたしは竹本恵、高校二年生です。
今日書き込みしたのは、みなさんにどうしても相談したいことがあったからです。
それというのも実はあたし……ドジなんです! それも普通ドジなんかじゃなくて、ギネスブックに載っちゃうくらいのドジなんです!!
何もないところで転ぶし、財布は今年だけで三回も落としたし、テストのマークシートは必ず一列ずれるし、コンビニでバイトすればうっかりプリンまで温めちゃうし、とにかくもう失敗を数え始めたらキリがありません。
自分だけならともかく、おかげで友達にまでいつも迷惑かけてばかりだし……。

でもそんなとき、あるウワサを聞いたんです。
飼っているだけで幸せになれる不思議な生き物がいるらしいって。
その生き物の名前はケサランパサラン。なんでも白くてモコモコした綿毛みたいな姿をしているそうです。
もちろん、ただのウワサかもしれません。でもあたし、それでも信じてみたいんです。その生き物さえいれば、自分のドジも少しはマシになるんじゃないかって。
お願いです! どなたかあたしといっしょにケサランパサランを探してくれませんか?

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 なんて幸福な悩みだろう。
 書き込みを読み終えたとき、想助は口元にかすかな笑みを浮かべていた。
 もちろん、本人は大真面目なのだろう。つたない文章からも、一生懸命さがひしひしと伝わってくる。ただそれでも、想助は心なごまされずにはいられなかった。
 この殺伐とした世界で、こんな小さな悩みに、こんなにもまっすぐに胸を痛ませている者がいる。その事実が、なぜだかひどくうれしかったのだ。
 書き込みにはすでに返信がついていた。発信者の名は長谷川豊。一見すると男性のような名前だが、どうやら本人は女性のようだ。待ち合わせの場所や時間などを簡潔に記した上で、最後に一言こう付け加えてある。
『いい? 私が行くまで絶対に誰かと二人きりで会っちゃダメだからね!!』
 少女の書き込みにどこか危なっかしいものを感じたのだろう。不器用な気遣いの仕方が微笑ましい。
 ――そうだな、たまにはこんなのもいいかもしれない。
 想助は待ち合わせ場所と時間をメモしてパソコンの電源を落とすと、久しぶりに穏やかな気持ちで眠りについた。

●親切な方向オンチ
 雑踏を歩くのは、いまだに慣れない。これほどの大人数が、しかもほとんど面識のない者同士が、足並みをそろえて自然と途切れることのない行列を作るなど、想助の世界では想像もつかないことだ。
 すれちがう相手が、ときおり想助を振り返っていく。それが背中に背負った鞘袋のせいなのか、それとも想助自身が放つ異質な空気のせいなのか、自分でもわからない。いずれにしても想助がまだこの時代に完全に馴染めていないことだけは事実だろう。
 息苦しさを感じた想助は、横道に入って裏通りに抜けることにした。道を一本へだてるだけでガラリと雰囲気が変わるのが、この街の不思議なところだ。大通りの騒々しさからようやく解放されて、ホッと息をついたそのときだった。
「あの、すみません」
 誰かがうしろから想助に声をかけた。
 声の主は萌黄色の制服に身を包んだ小柄な少女だった。わりと可愛い顔立ちで、大きな瞳が特に印象的だ。左右で結んだ髪が、身体の動きに合わせてぴょこぴょことウサギの耳みたいに揺れている。
 だが想助が目を奪われたのは、少女自身ではなかった。少女はなんと両手で唐草模様のふろしき包みを抱きかかえていたのだ。この時代に来てそう長くない想助の目にも、それはあきらかに不自然に映った。
「えと、このあたりの道ってわかりますか? 案内してたんですけど、でもあたしもよくわからなくなっちゃって」
 少女はそう言ってうしろを振り向いた。少し離れた日陰で休んでいた老婆が小さく頭を下げる。それを見て想助もやっと事情が理解できた。
 想助は少女と共に老婆のところに行った。目的地の住所を書いたメモを見せてもらう。東京周辺の地理は、すでにデータとして想助の記憶に完璧にインプットされている。
「これは……」
 想助は思わず頭を抱えた。メモに記された住所と現在地では、駅を間にはさんで方向がまるで正反対だったのだ。
「すすす、すいません! きっとあたしが駅の出口を間違えてそのまま……」
 少女が泣き出しそうな顔で想助と老婆に交互に頭を下げる。
 想助は少し考えてから、鞘袋を片手に持ちかえて老婆の前にひざまずいた。
「どうぞ。僕が案内しますから」
「そ、そんな、申し訳ないですっ」
「いいさ、どうせ予定があるわけじゃない」
 うろたえる少女に想助はウソをついた。今から老婆を送って行けば待ち合わせの時間には間に合わなくなる。だが二人をこのままにしておくわけにはいかない。
 それにもともと連絡なしで押しかけるつもりだったのだ。自分が行かなくても、誰かに迷惑がかかるわけではない、想助は自分自身にそう言い聞かせた。
「さあ、行こう」
 想助は老婆を背負って立ち上がると、少女をうながすように微笑んだ。

●いたずらな運命
 それから十分ほど後、想助と少女は老婆を無事に目的地まで送り届けることができた。老婆が何度もお礼を言いながら建物の中に入るのを見届けてから、少女があらためて想助に深々と頭を下げる。
「あの、どうもありがとうございました」
 少女はまるで自分のことのように恐縮していた。もともと少女自身も親切心から老婆を案内していたのだから想助と立場は同じはずなのだが、もうそのことはすっかり頭から消えてしまっているようだ。
「でも本当によかったんですか? その、もしかして待ち合わせとか――」
 そう言いかけた少女は、自分自身の言葉にショックを受けたようにハッと息を飲んだ。慌てて腕時計を見る。
「きゃああああ、もう時間すぎてる!」
 少女はムンクみたいなポーズで絶叫した。
「あ、あの、すみません、あたし実は……」
「気にしなくていい、それより早く」
 想助は笑いをかみ殺しながら言った。
 少女はペコリと頭を下げると、大急ぎで走り出した。だが何を思ったのか、途中で急に引き返して来る。
「すみません、T大学ってどっちですか!?」
 涙目の少女がその場で駆け足をしながらたずねる。
 想助はあっけにとられながらも、少女が行きかけたのと反対の方向を指さした。
「ありがとうございますっ!」
 少女はあわただしくそう言い残すと、今度こそ本当に走り去っていった。
 まったく、なんという子なんだろうか。想助は笑いをこらえるのに必死だった。あれではまるで例の掲示板の――。
 そのとき想助はふと思い出した。待ち合わせの喫茶店も、T大学のすぐ側にあるということを。
「もしかして、今の子が……」
 想助は小さな期待とたしかな予感を胸に、少女が走り去った方向に歩き出した。
 T大学の前を通りすぎ、待ち合わせ場所に指定されていた喫茶店のドアを開ける。
 はたして、そこにはさっき別れたばかりの少女の姿があった。
 どうやらこの時代の神は、よほどイタズラが好きらしい。
 想助は珍しくそんなことを考えた。
 少女と同じ席に、若い女がもうひとり座っている。おそらく彼女が書き込みに返信していた長谷川豊(はせがわ・ゆたか)なのだろう。端正な容姿と腰まで伸ばしたつややかな黒髪が人目を引く、二十代半ばの女性だった。
「ま、いいわ。それは後でゆっくり考えれば。まずは行動、行きましょう」
 豊はテーブルの上に広げていた資料を片付けると、伝票を片手に立ち上がった。
「あ、待って下さい! お勘定はあたしが――」
 少女――竹本恵が慌てて身を乗り出したそのときだった。
 ガチャン!
 店内にけたたましい音が響き渡った。ちょうど通りかかったウェイトレスが運んでいたトレーに、恵が下から思いっきり頭突きをする格好になってしまったのだ。トレーの上のコーヒーポットが倒れて、湯気を立てるコーヒーが頭から恵に――。
「恵ちゃん!」
 豊が悲鳴を上げる。
 想助はとっさに鞘袋から木刀を抜き放ち、上段から一気に振り下ろした。
 刹那、時間が凍りつき、続いて世界がゆるゆると逆回転を始めた。こぼれたコーヒーがまるで軟体動物のように自らポットの中に戻っていく。
 光刃。心の力を具現化させた、光の刃。その使用者は時間の鎖から解き放たれ、さらに能力に応じて最大で零コンマ数秒、時のネジを巻き戻すことさえできる。それこそが古伝退魔剣術の奥義であり、想助を最強たらしめる武器だ。木刀は単なる依代にすぎない。
 想助は凍りついた時の中をただひとり自由に動き、ウェイトレスの前に立ってわずかに傾きかけたポットに手をかけた。当然ポットは空間に固定されたまま、ビクとも動こうとはしなかったが。
 厳密に言えば今の想助は、恵やポットとは異なる時空に身を置いている。異なる時空に存在するものを動かしたり傷つけたりすることは、物理的に不可能だ。だが動かすことはできなくても、こうして次に起こることに対して準備をすることはできる。
 想助は光刃を消して再び時計の針を進めた。次の瞬間、手の中のポットがズシリと重さを取り戻す。それでも想助はもちろん、ポットを取り落とすようなミスはしなかった。
 動き出した時間の中で、誰もが呆然と想助を見つめていた。当然だ。他の人間の目には想助が何もない空間からいきなり飛び出してきたように映ったにちがいない。
 想助はポカンと口を開けたままのウェイトレスに軽く頭を下げて、ポットをトレーの上に戻した。
「あなたはさっきの……」
 恵が想助の顔を見てハッと息を飲む。
 想助は恵に笑顔で小さくうなずき返してから、豊の方を振り向いて言った。
「僕は深影想助。僕も君たちといっしょに行かせてくれないか」

●それぞれの事情
 ケサランパサランについての最も具体的な情報は、ケサランパサランはビワの木に生息しているらしいというものだった。
 想助たちは電車に一時間ほど揺られ、豊の大学の付属果樹園に向かった。そこでは農学部の学生たちが研究の一環としてさまざまな果実を栽培しており、その中にビワも含まれているのだという。
 もっとも豊自身は心理学部の院生だそうだが、農学部の友人たちになんとか頼み込んですでに使用の許可は得ているらしい。どうやら華奢な見た目とは異なり、豊はかなり行動的でたくましい性格の持ち主のようだ。
「うーん、やっぱ空気がちがうわね」
 駅の改札を出たとたん、豊が思いっきり腕を突き上げて伸びをした。
 そんな豊の服を、恵がうしろからクイクイと引っ張る。
「どうかしたの、恵ちゃん?」
「あの……」
 想助の方をチラリと見ると、恵は背伸びして豊の耳元に何かをささやいた。
 次の瞬間、豊がムッと眉をしかめる。
「あーのーねー、トイレぐらい普通に行ってきなさい」
「はわわわわ!」
 恵は真っ赤になって胸の前で両手を激しく振ると、そのまま想助の視線から逃げるように走り去って行った。どうもトイレに行くことを知られるのが恥ずかしかったらしい。
「ほんと天然記念物ものね、あの子」
 豊がため息まじりに恵の背中を見送る。あとには想助と豊の二人だけが残された。
 豊がまだ自分に心を許していないことに、想助は気がついていた。
 いや、むしろそれが当然の反応なのだろう。想助はまだ自分自身のことを何も話してはいなかった。……もとより話せるような内容など、ほとんどなかったが。いずれにしてもそんな得体の知れない人間のことを、無条件で信じろという方が無茶なのだ。
 不穏な空気を敏感に感じ取ったのか、車内では恵が二人の間を取り持つように必要以上に明るく振舞ってくれていた。だがいつまでもそれに甘えてるわけにはいかない。たとえ一日だけとはいえ、共に協力して行動する以上、最低限の意思の疎通は必要だ。
「恵ちゃんと顔見知りみたいだけど、どういう関係?」
 豊も同じようなことを考えていたのかもしれない。豊は不意に口を開いてストレートに質問をぶつけてきた。
「いや、僕も初めて会ったばかりだよ。今日のことは掲示板を見て知ってね。ただ喫茶店に着く前にちょっとしたトラブルがあって、そのときに彼女と……」
 あのときのことを思い出すと、自然と口元がほころんでくる。そんな想助を見て豊は意外そうな顔をしたが、すぐに表情を引き締めて次の質問を投げかけてきた。
「あの手品はどうやったの?」
 もちろん喫茶店で想助が光刃を使ったときのことを指しているにちがいない。
 しばし迷った後、想助は鞘袋に手をかけて木刀を取り出した。木刀を握った右手を前に突き出し、目を閉じて意識を集中する。
「これは……」
 豊が息を飲むのがわかった。木刀の刀身は今、揺らめく青い光に包まれたように見えているはずだ。想助はフッと短く息を吐いて集中を解いた。
「今のは『光刃』。心の力を具現化して時空を操る剣だ。無から生み出すことも出来なくはないが、やはり依代があった方が集中しやすい」
「時空を……操る?」
 豊が呆然とその言葉を繰り返す。だが想助はそれ以上もう何も言うつもりはなかった。今の想助に話せるのは、これがすべてだったから。
 豊もまたそれ以上は何も聞いてこなかった。豊はただうつむいて、胸に下げた逆十字のネックレスを握り締めていた。まるで何かに耐えるように、指先が白くなるまで、強く。
「お待たせしましたー!」
 重苦しい沈黙が想助と豊を飲み込みかけたそのとき、底抜けに明るい声が響いた。恵がトイレから戻って来たのだ。
「あれ、お二人ともどうかしたんですか?」
 恵は想助と豊の顔を見比べて不思議そうに首をかしげた。
「なんでもないの。さ、行きましょ」
 豊が微笑んで恵の肩をポンと叩く。だが想助の目には、その笑顔はどこかぎこちない作り物のように見えた。

●いきなり、発見!?
 目的の果樹園までは、駅からさらに徒歩で十五分ほどかかるという。
 果樹園へと続く河原沿いののどかな一本道を、想助は恵と肩を並べて歩いていた。
 豊はやはり何か思うところがあるのか、二人を先に行かせて自分はそのうしろをついてきている。ときどき恵が話しかけても曖昧に返事を返すだけだ。
「まず基本は物事をしっかり見ることだ。失敗は必ず起きてしまうものだが、そのことで八割はなんとかできる」
 豊の様子は気になるものの、そればかり考えているわけにもいかない。想助はいい機会だと思って、恵にドジを克服するためのヒントを話して聞かせた。
 ケサランパサランなる生物が本当に存在するのかどうかはわからない。想助の情報網を持ってしても、一般に流布しているウワサ以上のものはつかめなかったのだ。
 ただ結果はどうあれ、せめて今回の依頼を通して、この危なっかしくも心優しい少女に自信を持つキッカケだけは与えてやりたい。想助は強くそう思うようになった。
「物事をしっかり見る……」
 恵はかみしめるように想助の言葉を繰り返した。
「大丈夫、君は自分で思うよりずっとできる。落ち着いて、さあやってごらん」
 決して焦らせないように、ゆっくりと穏やかな声で後押しする。
 恵はコクリとうなずいて立ち止まると、大きくひとつ深呼吸をしてからゆっくりと周囲を見渡した。
「あ!」
 そして次の瞬間、恵はいきなり素っ頓狂な声を上げて走り出した。
「ちょっと、恵ちゃん!?」
 豊が慌ててその後を追う。想助もすぐにそれに続いた。
 恵は20mほどダッシュして、道端に捨てられたダンボール箱の前にしゃがみ込んだ。
「うわあ、可愛い〜」
 そう叫んで箱の中から何か白くてモコモコした物体を抱き上げる。
 ――まさかケサランパサランなのか!?
 さすがの想助にも緊張が走る。だがすぐにそうではないことに気づいた。恵が抱き上げたそれは、白いフワフワの毛皮に包まれた二匹の子猫だったのだ。
「……捨て猫か」
「もう、ビックリさせないでよ」
 思わず気の抜けた想助たちの前で、恵は二匹の子猫に夢中で頬ずりしている。おそらく今のこの瞬間、ケサランパサランのことは頭からすっかり消えているにちがいない。
「ほら、いつまでそうしてるつもり? 私たちの目的は猫じゃないでしょ」
 豊が見かねたように言う。いっけん冷たい言い方に聞こえるかもしれないが、想助も豊と同じ意見だった。中途半端に関わっても、お互いにあとで辛い思いをするだけだ。なにより今の想助たちには、ケサランパサランを探すという目的がある。
「……そうですね。でも、せめて」
 恵は不意に背中のリュックを下ろし、その中から折りたたみ傘を取り出した。傘を広げてダンボールに立てかけ、子猫たちのための日陰を作る。
「すみませんでした。さあ行きましょう、豊さん!」
 恵はそう言って微笑んだ。その笑顔に想助はハッと胸を衝かれた。
 想助たちは無意識のうちに大人の論理を盾にし、子猫に何もしてやれない自分を正当化していた。だが恵は理屈ぬきで自分にできることを探し、それを実行してみせたのだ。
 恵の笑顔からはなんの他意も感じられなかった。恵はただ、彼女にとって当り前のことを当り前にしただけなのだろう。だからこそ、想助はまぶしくてその笑顔をまともに見ることができなかった。
 豊もたぶん同じ気持ちだったのだろう。豊は一瞬怒ったような泣いたような複雑な表情を浮かべ、恵の視線を避けるように背を向けた。それから果樹園に到着するまでの間、豊は一言も口を開こうとはしなかった。

●ビワの木畑でつかまえて
「うわー、これ全部ビワの木なんですか」
 恵がビワ畑をグルリと見回して歓声を上げる。
 大学の付属施設とはいえ、かなり本格的な果樹園のようだ。ちょっとした体育館ほどの敷地にビワの木がぎっしりと生い茂っている。さらにとなりにはリンゴ畑、そのむこうには桃畑がそれぞれ広がっている。
「まあ、シーズンが終わってるだけまだマシだけどね」
 豊の言葉に想助は無言でうなずいた。ビワの収穫時期は六月ごろだ。もし収穫シーズンの真最中なら、とてもケサランパサランを探すどころの騒ぎではなかっただろう。
「さて、さっそく始めますか」
 豊がバックから何かを取り出して想助と恵に手渡す。それは手のひらに収まるサイズの丸い容器だった。フタを開けてみると、中に白い粉のようなものが入っている。
「これは……」
「ファンデーション、ですか?」
「おしろいって言ってよね。これでも苦労してなるべく香料の少ないタイプを選んできたんだから」
 おしろいは昔からケサランパサランの好物だと言われている。これを餌にしてケサランパサランをおびき寄せる作戦なのだろう。
「手分けしてビワの木の根元におしろいを撒くの。あなたはむこうからお願い。恵ちゃんは……そうね、私といっしょに来てちょうだい」
 豊が想助と恵にテキパキと指示を出す。
 想助も特に異論はなかった。もともとが雲をつかむような話だ。ほんの少しでも可能性があるなら、それを試してみるしかない。
 想助はさっそく指示された場所に向かい、ビワの木の根元におしろいを少量ずつ丁寧に撒き始めた。
 ビワは一枚一枚の葉が大きく枝も密集しているので、木の上部はひどく見にくくなっている。たとえケサランパサランが隠れていても、肉眼で判別するのは難しいだろう。だが地面に近い部分は邪魔な枝もなく、怪しいものが現れればすぐに見つけられるはずだ。
 作業はほとんど何の問題もなく進んだ。
 何かを思い悩んでいる様子の豊を恵と二人きりにするのは少し心配だったが、どうやらそれもいらぬ気づかいだったようだ。
 作業に集中することで豊の気分もかなり落ち着いたのだろう。ミミズを見つけて悲鳴を上げたり、転んで全身おしろいまみれになったり、蜘蛛の巣に顔を突っ込んでパニックになったりと恵は相変わらずの大騒ぎだったが、それでもなんとか二人はそれなりに楽しくやっているようだ。
 ときどき聞こえてくる二人のにぎやかな掛け合いから、想助はそう判断した。
「お姉ちゃん、ほんとに大丈夫?」
 しばらく静かな時間が続いた後、不意に畑のむこうから不安そうな声がした。聞き覚えのない声だが、感じからして小学生くらいの女の子のようだ。
「うん、まかせてまかせて!」
 明るくそう答えたのは、恵の声だった。
 不思議に思って手を止めたそのとき、鋭い悲鳴が想助の耳を打った。
「恵ちゃん!」
 悲鳴の主は豊だった。
 想助はただならぬ雰囲気を感じて、一気に声のした方に跳んだ。
 そこは畑の裏の小さな空き地だった。
 豊が青ざめた顔で大きな柿の木を見上げている。そのとなりでバトミントンのラケットを手にした二人の女の子が、やはり不安げな顔で立ち尽くしている。そして全員の視線の先には、張り出した枝から大きく身を乗り出した恵の姿が――。
「すぐに降りて、危ないわ!」
 豊が必死に声を張り上げる。
「平気ですよ、あたしこれでも木登りだけは得意なんですか……らぁ!?」
 その言葉は途中までしか声にならなかった。引っかかったバトミントンの羽根を取ろうとして手を伸ばした瞬間、何の前触れもなくボキリと根元から枝が折れたのだ。枝と共に恵がまっさかさまに落下する。
 想助は光刃を生み出して時空を切り裂いた。
 凍結した時の中を一直線に疾走する。時空を操るには、莫大な精神力が必要だ。しかも想助はすでに喫茶店でも力を使用している。制御が可能なのは、おそらくあとわずか。
 ――クッ、間に合ってくれ!!
 想助は最後の気力をふりしぼって跳躍した。それと同時に再び時が動き始める。
 間一髪、想助は恵を両腕で抱き止めた。想助だけの力ではない。豊がサイコキネシスでわずかに恵の落下速度を遅らせてくれていたのだ。もしそうでなければ、恵は……。
 想助の背中を、冷たい汗が流れ落ちた。
「お姉ちゃん、大丈夫!?」
「ゴメンね、ビックリさせちゃって。ハイ、これ」
 心配して駆け寄る女の子たちに、恵がニッコリと笑って羽根を差し出した。自分の身が危なかったのに、それだけは忘れずにしっかりと握り締めていたようだ。
「次は気をつけるのよ。さ、お姉ちゃんはもう大丈夫だから、ね?」
 恵は優しく言い聞かせるようにそう言った。女の子たちはまだ心配そうだったが、何かを感じたのかペコリと頭を下げて走り去って行く。
 女の子たちの姿が見えなくなると、恵は唇を噛んでうつむいた。
「あの、ゴメンなさい。あたし、また……」
「バカ! 一歩まちがえたら大ケガするとこだったのよ!!」
 豊が恵を大声で怒鳴りつける。豊はあきらかに感情のコントロールを失っていた。理性でこれまで抑えてきたものが、今のショックで一気に爆発してしまったようだ。
「だいたいさっきから何様のつもりなのよ? 自分のことも満足にできないくせに、余計なことまでどんどん首を突っ込んで! 誰のために私たちが苦労してるか、本当にわかってるの!?」
 容赦のない言葉に、恵が青ざめた顔で言葉もなくうなだれる。
 だがショックを受けているのは恵だけではなかった。想助には、誰よりも豊自身が自分の言葉に衝撃を受けているように見えた。すべてを吐き出して冷静になった今、あらためて自分がしてしまったことの意味を思い知らされたのだろう。
「……ゴメン、ちょっと頭冷やしてくる」
 豊は絞り出すような声でやっとそれだけつぶやくと、想助が止めるひまもなく、逃げるようにその場から立ち去った。

●失くしたものはなんですか?
 想助は恵と並んで柿の木の下に座っていた。
 あれからだいぶ時間が経つのに、恵はまだ一言も話そうとしない。ときおりスンと小さく鼻をすする音だけが聞こえてくる。
 想助はやりきれない思いだった。
 豊が悪いわけではない。たとえ何か思うところはあったにせよ、豊は豊なりに恵の願いを叶えるために必死だった。それだけは想助にもわかる。もちろん恵が悪いわけでもない。恵は恵で己の心に正直に行動していただけだ。
 どちらが正しいとか、まちがっているとか、比べられる問題ではない。それなのにわずかな歯車の狂いが亀裂を生み、お互いを傷つけることになってしまった。
「気にしなくていい、彼女も本気で言ったわけじゃないさ」
 そんな当り前のことしか言えない自分が、想助は情けなかった。
 だが恵は想助の言葉になぜか激しく首を振った。
「ちがうんです、あたし、うれしいんです」
 それは想助がまったく想像もしていなかった言葉だった。
「たしかに最初はショックだったけど、でも全部本当のことですし、それに……」
 恵は両手でゴシゴシと涙を拭きながら、途切れ途切れに言葉を続けた。
「あたし思うんです。怒るって、すごく大変で勇気がいることだって。……やっぱり憎まれ役は誰だって辛いですよね? だから優しい言葉で慰めるのは誰にでもできるけど、怒るのは相手のことを真剣に考えてないとできないと思うんです。でも豊さんは、あたしのこと怒ってくれた。豊さんはあたしのこと本気で心配してくれる、本当に優しい人なんだって。そう思ったらあたし、うれしくて申し訳なくて……」
 それから恵は想助の顔を見て、ハッと思い出したように付け加えた。
「あ、いえ、その、想助さんが優しくないって言ってるんじゃないんですよ! 想助さんはすごく親切だし、頼りになるし、ええと、それからそれから」
「わかってる」
 想助は大慌ての恵をなだめるようにうなずいた。ひどく満ち足りた気分で。
 ――かなわないな、この子には。
 本当に、心からそう思った。純粋で、優しくて、とにかく一生懸命で、他人を疑うことを知らなくて、そして何より自分の弱さを少しも隠そうとしない。
 想助は、今ならはっきりとわかる気がした。豊は、そして自分は、きっと恵の中に自分たちが遠い日に失くした何かを見ていたのだ。
 強くなるということは、現実を知るということだ。無垢なまま強さを得ることなど誰にもできはしない。だから人は強くなるために、心から少しずつ何かを削ぎ落としていく。
 それが本当に正しいことなのかどうかはわからない。だが想助には、選べる道などなかった。生きること、それはすなわち強くなることだった。おそらくは豊も自分と似たような境遇で生きてきたのだろう。
 だが恵はちがう。恵は何ひとつ失うことなく、無垢な心のまま生きている。だから恵を見ていると、つぎはぎだらけの欠けた心がこんなにもうずくのだ。
 かすかな気配に顔を上げると、豊が物陰からこちらを伺っているのが見えた。
 たぶん豊にも恵の話は聞こえていたのだろう。豊の顔は遠目にも、憑き物が落ちたように晴れ晴れとしていた。
「……豊さん、戻ってきませんね。やっぱりあたし、嫌われちゃったんでしょうか」
 何も知らない恵がシュンとうつむく。
「大丈夫、ちょっと驚いただけだよ。落ち着いたらすぐに戻ってくる」
 想助はそう言って豊の方にそっと視線を向けた。豊もすぐにその意味に気づく。
 豊は苦笑して指先で目尻を軽く拭い、わざとらしいくらい大きな声を出した。
「ちょっと二人とも、いつまでサボってるのよ!」
 どこかの先生のようにパンパンと手を叩きながら、恵の前に姿を見せる。
「豊さん、あたし……」
「ほらほら、もうあんまり時間がないんだから。遅れたぶん、ビシビシいくわよ!」
 恵が何か言いかけるのをさえぎるように、豊が明るい笑顔で恵の胸にビッとひとさし指を突きつける。
「はいっ!」
 目の端にうっすらと涙を浮かべながら、恵もしっかりと力強くうなずき返した。

●恵と夕陽と幸せの白いモコモコ。
「どう、何か変化あった?」
 事務所から戻ってきた豊が、戦利品の缶ジュースを差し出しながらたずねる。
 想助は無言で首を振ってそれに答えた。
 すでに陽は傾き、西の空が赤く染まり始めていた。すべてのビワの木におしろいを撒き終え、今は定期的にそれをチェックしている。
 これまでの収穫は小鳥の足跡が七つ、それに野良猫の足跡が四つだ。よほど几帳面な猫なのか、ご丁寧にそのうちのひとつは土でおしろいをすっかり覆い隠してあった。
「……あの、豊さん。牛乳ありますか?」
 缶を額に当てて冷たさを楽しんでいた恵が、ふと何かを思い出したように言った。
「事務所にならあったと思うけど」
「ゴメンなさい、あたしちょっと行ってきますね」
「ちゃんと温めてからあげるのよ!」
 思い立ったが早いか走り出した恵の背中に、豊がそう声をかける。
 不思議そうな顔をしていると、豊が一言「子猫」と答えた。どうやら恵の行動パターンはすでにお見通しのようだ。以前のピリピリした感じは完全に消え、今ではもうすっかり頼れるお姉さまといった雰囲気だ。きっとこちらが豊の本来の姿なのだろう。
「ケサランパサラン、見つかると思う?」
 想助のとなりに腰を下ろしながら、豊が無造作にたずねた。
「いいや」
 想助はあっさり首を横に振って答えた。
「じゃあ依頼は大失敗ね」
「ああ、大失敗だな」
「……ウソつき。ちっともそんな顔してないじゃない」
「それはお互いさまだ」
 想助と豊は顔を見合わせて笑った。
 ケサランパサランは見つからなくてもかまわない。
 言葉には出さなくても、いつしか誰もがそんなふうに思い始めていた。……おそらくは当の恵でさえ。三人で協力して何かをやり遂げたというその事実の方が、想助にはよほど大切なものだと思えた。ケサランパサランが見つかるかどうかは、ただの結果だ。
 そもそも今回の依頼は、恵が独断で出したそうだ。もし恵の友人たちがその話を知っていたら、きっと大反対していたのではないか。想助にはなぜかそんなふうに思えた。
 あるいはそれは想助自身の願望も含まれているのかもしれない。こんな子がいてもいいではないか、自分勝手なワガママかもしれないが、想助は強くそう思い始めていた。
 みんなが恵の行動にハラハラして、あれこれ文句を言ったり、ときには本気で怒ったりしながら、それでもありのままの恵をいとおしく思っている。想助はそんな恵と友人たちの関係をはっきりとまぶたに思い描くことができた。
 そして願わくは、自分もその中のひとりに加わって恵を見守りたいと思う。……もっとも恵の方では、とっくの昔に想助たちを友達リストに加えているのかもしれないが。
「豊さーん! 想助さーん!」
 ぼんやりとそんなことを考えている間に、ずいぶん時間が経っていたようだ。まぶしい夕陽を背に、当の恵が二人の名を呼びながら駆けてくる。
 豊が小さく手を振ってそれを出迎える。だが恵は手を振り返さない。もちろん無視したわけではない。恵は両手にしっかりと二匹の子猫を抱きしめていたのだ。
「やっぱり連れて帰ることにしたんだ、その子たち?」
 豊が問いかけると、恵は弾んだ声で答えた。
「はい、ママにも電話でOKもらいました! ね? ケサラ、パサラ」
「ケサラと……」
「パサラ?」
 想助と豊はほぼ同時に聞き返していた。恵が子猫たちを引き取るだろうことは、なんとなく予想できた。でも子猫たちの名前はさすがに予想外だった。
「もしかしてその子たち、ケサランパサランの身代わりってこと?」
「ち、ちがいます、そうじゃないんです! そうじゃないんですけど、でも……」
 豊の疑念を打ち消すために、恵はしどろもどろになりながら必死に説明した。
「あの、ケサランパサランは見つからなかったけど、でもあたし、おかげで豊さんと想助さんに会えましたよね? ケサランパサランはいないけど、でもあたしはものすごく幸せで、つまりその、幸せになれた以上、やっぱりあたしにとってケサランパサランは本当にいたわけで、だからこの子たちの名前はその記念に……って、わかります?」
「わからないでしょうね、普通は」
 不安げな顔で問いかける恵に、豊が冷たく言い放つ。
 しばしの沈黙。
 想助はこらえきれなくなって吹き出した。恵と豊もすぐにつられて笑い出す。
 三人の笑い声が、夕焼けの空に明るく響き渡る。こんなふうに大きな声を出して笑っているなんて、想助は自分でも不思議な気がした。だが決して悪い気分ではない。
 ――もう迷わない、答えは見つかった。
 想助は涙でぼやける視界で恵や豊を眺めながら、思う。
 昨日までの想助にはわからなかった。なぜ自分は世界を救うために戦っているのかが。世界を救うことに本当に意味はあるのかが。
 でも今なら想助は胸を張って答えられる。自分はこの笑顔を守るために戦っているのだと。こうして無邪気に笑い合える幸福を守るために戦っているのだと。
 そしていつの日か謎を解き明かし、自分たちの時代にも必ず――。
 想助は心の中で夕焼けの空に固く誓っていた。

Fin
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0893/深影・想助/男/19/時空跳躍者
0914/長谷川・豊/女/24/大学院生


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■         ライター通信          ■
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はじめまして、ライターの今宮和己と申します。
今回は『幸せの白いモコモコ。』へのご参加、ありがとうございました。
最初は短めのコミカルなシナリオを予定していたのですが……またまた自己最長記録を更新してしまったのはなぜでしょうか(汗)。
シナリオがシリアス路線に変更になったのは、みなさんが単にケサパサを探すだけではなく、恵にとって何が一番いいのかをより真剣に考えて下さったおかげです。
はたしてイメージに近いシナリオになっていたでしょうか?

想助さん。
孤独な戦士としての横顔を前面に押し出してみたのですが、いかがでしょうか?
光刃は「心の具現化」という言葉をヒントに思い切って不定形(今回は木刀を依代)にしてみました。
能力的には「加速装置+α」という感じでしょうか。
もし使い方がまちがっていたら本当にゴメンなさい〜(汗)。
少しでも気に入っていただけた部分があれば、本当に幸いです。

ではまた、どこかでお目にかかれることを祈りつつ。
ありがとうございました。